新ずんだの章 おまけ1
※ この話は、「新ずんだの章2」のつづきとなります。
趙雲は、ふと気づいた。
アコの肉体に封印されている孔明は除くとしても、浅野一子、千台ヨーコ(エリザベス)、行方不明のラ・ピュセル、ヴァルキューレのブリュンヒルデ。
なんだって、今回はこんなに女がわんさかといるのだろう。
エリザベスの性格が、偉大な女王らしく、豪放磊落であるのが幸いしている。
そのエリザベスは、参列席の長椅子にひとり腰かけて、なにやらぶつぶつ言っている。
どうやら、ヨーコと時間割について話し合っているようだ。
事情を知らなければ、やけに独り言の多い、危ない空気を漂わせた女に見えてしまう。難儀なことだ。
エリザベスの性格が凛々しいおかげで、これから孔明を含む三人で、同室にて(そのショップの二階とやらの構造を見ない限り、油断は禁物だ)眠らねばならないが、さほど緊張しなくてすむ。
趙雲は、女を憎んでいるわけでも、嫌悪しているのでもない。
単に、怖いのだ。女は肉体構造が脆い。神経が細いようで太かったり、かと思えば、理解できないところで、唐突にヒステリックになったりする。扱いかねる。
要するに怖いのである。
それに今回は、敵までメアリ・スチュワート、レティクル・クィーンと女づくめではないか。
そして…
趙雲は、一子に寄り添うようにして、尻尾を振りながら浅野家の父の車を待っているシェットランド・シープドックを見下ろした。
その視線に気づいたのか、犬のほうも趙雲を見上げる。
ぶつかり合う視線。そして、紅茶色した優美な毛並みをもつ犬は、首を傾げて見せた。
「なにかしら」
「いや…今更だが、おまえ」
女か、というのも不躾だろう。かといって、男か、と問うても同じこと。
まてよ、女の言葉を話している男…宦官か? 羅貫中に関しては、シェイクスピア並に謎が多いのだったな。紫式部や、近くはハリー・ポッターの作者の例があるわけだし、女作家が壮大な物語をつむげない、というのは偏見だろう。
「どうなさいましたの?」
女だということを確認してどうなる。
そうです、と返答がかえってきて、そのあとは?
そうか、これからもよろしくな、か? それはおかしかろう、俺。
ええい、言葉が選べぬ。
「いや、なぜ犬に」
「おそらく、浅野家を守るのに、もっとも自然な形で共にいられる形だったからでしょう。それに犬は安産の神ですから、世界の母胎たる浅野家を守るには、うってつけ。この犬を選んだのはヴァルキューレですから、恐らく、としかお応えできないのですけれど」
「そうか、不便ないか」
「快適ですわ。人であったほうが、いろいろと煩わしいこともあるでしょうけれど、犬は、人のいけないところも行けますもの。それにご存知? 人間とはおかしなもので、同胞が犠牲になろうと涙ひとつこぼさないのに、犬が災難にあうと悪人だろうと涙を流します。犬は、全世界において、とても愛されている存在ですの。むしろ犬であったほうが、有利かもしれませんわよ」
「うむ、ならばよいが」
やはり、ますますわからぬ。いや、知ったところで、事態がどうなるわけでもないのだが。
一度気になりだすと、止まらなくなるものだな。疲れているのかもしれぬ。
ふと気づくと、アコ(孔明)が、こちらの肩にもたれて瞑目している。
顔色は、さきほどよりだいぶよくなってきた。
しかし、身体に触れる感触が、いつもと違って、ずいぶん柔らかいのが気にかかる。
思えば、孔明のほうが、わずかに背が低い程度の身長差であったから、自分の肩が、孔明にとってちょうどよい枕代わりになっている、というのもおかしなものだ。以前ならば、相当に身体をずらさなければ首筋が痛むので、めったにこんなふうに引っ付いてこなかった。
いや、引っ付いてこられたらこられたで、なかなかむずがゆいものがあるのだが。
本当に少女の姿になってしまったのだ。主公がこの姿をご覧になったら、嘆かれるであろう。
視線に気づいたか、孔明が伏せていた長い睫毛を動かして、趙雲を見上げる。
面差しはよく似ている。いや、もしかしたら、最初に出会ったころのアコと、いまのアコとでは顔立ちが変わってきているかもしれない。中身である孔明にあわせ、肉体が変化しつつある可能性があるからだ。
ゆるやかにすこしずつ、最上アキラ子という少女の存在が、砂を削るように、世界から消えていく。残酷な話ではないか。
助けてやると言った。約束は守らねばならぬ。
「どうした」
孔明が尋ねてくる。口調、喋り方、張りのある声、どれを取っても変わらないのに、音質が高い。アコよりはだいぶ低いが。
「考えていた」
「その顔からして、あまりよい考えではなかったようだな」
「そういうおまえはどうだ」
孔明は、気だるそうにしながらも、祭壇に供えられた、大輪の白百合を見つめていた。
百合のきつい芳香が、離れた席にいる二人のところにも漂ってきていた。百合の匂いは血の匂いに似ていると思う。花弁の雪のような白さも、形の美しさも、なにもかもが端整すぎて、主張がつよい。
清楚な姿で血を流す。ゆえに聖母マリアの花なのか。
「この世界が、『最悪の日』に向かっているのかどうかを考えていた」
「前回のループとは状況がちがう」
「わたしたちが救おうとしているのは、大河のなかのたった一粒の砂に過ぎない。彼らを助けることによって、こぼれる手がきっとある。わたしたちがここにいる意味はあるのだろうか」
「いつもの袋小路か」
「状況が何も見えない。だれが敵で、だれが味方なのか。次に打つべき手は? 攻撃はどこから来る? なにもわからない。暗中模索、まさにその言葉どおりだな。わたしたちは、だれの手駒になっているのだろう」
「それでも、ねばり強く探っていけば、なにかを掴める。そうしていままでやってきただろう」
「理不尽に虐げられた者を救うための世界、か。どうせならば、世界中の悲劇に見舞われている人間が、救われればいい」
「それは愚痴だ」
「愚痴かな。よくないな」
「頭痛がするのか」
「こめかみが痛い。身体が変化しているのだな。この身体はどんどん、最上アキラ子から、わたしからも離れていく。別な人間に生れ変わっていく気分だよ」
趙雲はあえて口をつぐんだ。
なんとかなる、などと、ありきたりの慰めを言っても、どう考えても、現状はなんともならないのである。一緒になって落ち込んでいる場合ではないな、と思いながらも、どんな言葉をかければ、この友は気が楽になれるのだろう。
「言わなくていい」
あれこれ言葉を模索していた趙雲の考えを読んだように、孔明は言った。
あまりに付き合いが長いので、たまにこういうことがある。そういうとき、言葉はむしろ邪魔になると経験でわかっていたので、趙雲は、素直に黙った。
「反省しているのだよ、わたしは。昨日からいまに至るまで、わたしの考えていたことといえば、敵からどう身を守るか、どう敵を探るか、そればかりであった。アトラ・ハシースは世界を救うために存在するのだ。なのに、わたしは、昨日からわたしと、あなたの保身のことばかり考えていた気がする」
「ばかり、ということはない。浅野一子を守りきった」
「それでも、どこかで半端な気持ちがあった。浅野家を守るばかりでは、この世界は救われない。守りに入っては駄目なのだ。だからすべてが後手後手で、みなが傷ついている」
「でも全員が無事だ」
「辛うじてな。子龍、教会だからというわけではないが、ひとつ許して欲しいことがある」
「懺悔か」
「というより予告かな。わたしは、これから先、あなたを忘れる瞬間があるかもしれない」
「それを言うなら、俺も一緒だな」
すると、孔明は眉をひそめて、趙雲を見上げた。
「薄情者」
「俺に自由はないのか」
「ない。わたしはあなたを忘れることがあるかもしれないが、あなたはわたしを片時も忘れてはならぬ」
「めちゃくちゃだ」
「めちゃくちゃなものか。あなたはわたしの友であり、兄であり、師であり、そのほかもろもろのすべての役目を負っているのだ。あなたがわたしを忘れてしまうのであれば、わたしは気持ちよくあなたを忘れることが出来ないじゃないか」
「どういう理屈だ。つまり、俺は忘れられて置いてきぼりをくらって、おまえの背中をぼんやり見ていなければならない、というわけか」
「わからないかな、微妙なこの論理。つまり、あなたを忘れるからこそ、前に進むことに集中できるのであり、結果、あなたを守ることが出来る、というわけなのだが」
「やっぱりよくわからん」
「要するに、あなたがいるからこそ、いまわたしは冷静になれるのだ、ということだよ」
孔明は、あらためて趙雲の肩に頭をもたれなおして、目をつぶった。
「だから、わたしの知らないところで絶対に消滅しないように。わたしを忘れなければ、消滅なんぞできやしないだろう」
「そうだな。おまえを残していくとなると、消えるに消えられぬ」
「そうそう。そういうことなのだよ。それは、最上アキラ子を救うことでもある。わたしたちは、この娘のためにも、『最悪の日』を、なにがあっても回避しなければならない。よし、だんだん気持ちが上向いてきたな。
考えてみれば、悪いことばかりでもない。浅野家はとりあえず無事であるし、前回のループでは、接触すらできなかった千台ヨーコが我らの手元にある」
前回のループは、純粋にアトラ・ハシースとレティクルだけの争いだった。
今回は、本来、無接触がのぞましい『只人』との接触がはげしい。そこに勝機があるのか、それとも、足枷になってしまうのか、それは趙雲にはわからない。
ただ言えるのは、まだ負けてはいない、ということだ。
「子龍、明日、会社へ行って…仙台GPPだっけ?…どうやって謝るかを考えておいたほうがいいな。そうしたほうがいいなら、わたしも一緒に行くよ」
「行ってどうする」
「妹だと言って、兄が無断早退したのは、妹が貧血で倒れたためだった、とかなんとか説明するのさ。先方が納得するようにね。怠け心から無断早退したわけではないのだからして」
「かえっておかしかろう。一人で謝りに行く。クビになったら、また職安か」
あの小鳥遊宇宙とかいう、叔至そっくりな奴に頭を下げなければいけないわけか。面倒だ。しかし、金はなるべく稼いでおかねばならん。
趙雲はうんざりしつつ、小さくため息をついたが、なにが面白いのか、目をつぶったままの孔明が声を立てて笑った。
金はなるべく稼がなくてはならない。このわがままな扶養家族のためにも。
そうこうしている間に、浅野家の父親の車がやってきた。ちょうどいい具合に、ワンボックスカーである。一子は、迎えに来た父親に、いなくなった羅貫中犬を、みんなが探してくれたのだと説明している。人の良い浅野家の父は、それぞれに、うちの犬がご迷惑をおかけしました、などと愛想よく言ってくる。
趙雲が想像していた以上に、穏やかな風貌をした、眼鏡で小太りの、どこにでもいるサラリーマン、それが浅野家の父親だった。
アイリッシュセーターにグレーのズボン、サンダル、という出で立ちだ。
手編みのアイリッシュセーターが高価なものだということは、着道楽の孔明でなくても知っている。
こうして見ると、ごく平凡な中年男であるが、会社にいけば、多くの部下をもつ企業戦士に代わるのだろう。
最初に召喚されたときに見たTVの画像が、浅野家に同情的に編集されていただけに、趙雲は、いまのにこやかな父娘の姿に、憐憫の情をおぼえた。
基本世界では、彼らの顔からは笑みが消えている。
エリザベスは、あ、顔を洗うのを忘れていたのじゃ、と言いながらも車に乗り込み、一子は羅貫中犬を抱え、孔明は趙雲と並ぶようにして車に乗り込んだ。
孔明も同じ感情に捕らわれたのか、車に乗り込むと、
「いまはなにも考えるな」
と、言った。
そうだ、いまは考えるときではないか。いまは、ゆっくり休むこと。それだけを考えよう。明日から、また忙しくなる…
※ この話は、「仙台ゴールデンポークスの章 4」につづきます。