新ずんだの章 11
※ この話は、「新ずんだの章10」のつづきとなります。
平塚八兵衛は、五橋で見せていた不敵な態度はどこへやら、いまは教師に叱られるのを待っている生徒のように落ち着き無く、そわそわとしている。
孔明が近寄ると、大男の挙動不審ぶりはますますはげしくなった。
目の前にいる、血で汚れた孔明を見て、八兵衛は笑みを浮かべるものの、目にはあきらかに怯えている。
それでも虚勢を張って、満面の笑みをつくって、手をひらひらと振りながら近づいてきた。
「よ、よお。すっかりいいようじゃねぇか、中国の大将」
「妙な呼び方は止せ。我が名は知っておろう」
「諸葛孔明」
「そうだ。おまえには、言わねばならぬことが山ほどあるな。挙動不審のその様子からして、わたしの現状をすべて理解しているというわけか」
孔明に静かに決め付けられて、八兵衛は、あー、とかうー、とか言いながら、孔明を見下ろしたあと、乾いた笑いを公園に響かせた。
「ばれちゃあ、しょうがねぇか。しかし、あんただって、そのほうがいいだろうに。俺は、礼を言われるほうだぜ。なんだって、こんなふうに、責められなくっちゃいけないんだ?」
趙雲は、孔明が、八兵衛の荒っぽい癒しの方法に腹を立てているのだと思っていたが、会話の様子から、どうも違うことに気づいた。
孔明は、単に腹を立てている、というよりも、珍しいほどに、怒りをたぎらせている。八兵衛本人を前にして、その怒りが抑えられなくなったらしい。
少女のやわらかな相貌に、憎悪すら浮かべ、孔明は八兵衛の前に進んだ。
「仙台中央警察署の平塚八兵衛。いや、ジャンヌ・ラ・ピュセルのアストラル、エチエンヌ・ド・ヴィニョル。貴様は、さきほどわたしにした悪行を、どのように返してくれるつもりなのだ?」
「悪行はひでぇな。八つ当たりだぜ。俺は、煮え切らないあんたを助けたんだ」
うそぶく八兵衛に、趙雲が口を挟んだ。
「エチエンヌ・ド・ヴィニョル? 通称・ラ・イールか! あの盗賊あがりの」
「盗賊じゃねぇ!」
むっとして抗議するラ・イールに、孔明は冷たく言った。
「盗賊、あるいは私掠を日課とする大傭兵団の頭。短慮にして獰猛、イギリスのみならず、味方のフランス国民にさえ恐れられた凶悪な戦士。そして、ラ・ピュセルの同胞。彼女を信じ、ともに戦場を駆けた戦友にして、最後まで彼女を見捨てることなく戦った、唯一の男。ほかにどんな評判があったかな?」
「後半はいいが、前半は、過去の話だろうが! いまの俺は違う」
「こいつも、アスカロンの力で人間の肉体に封じ込められたのか?」
「そうだ。こいつもわたしとまったく同じ立場に置かれた。だが、その後の行動がちがう。こいつは吸血鬼より始末がわるいぞ」
「なんだと! あの変態元帥と一緒にするなよ!」
同じ戦友であったはずのジル・ド・レに、思うところが山ほどあるらしく、ラ・イールは憎憎しげに言う。
しかし孔明は、いつもの癖で、己の髪の毛束を、指先でつまんで弄びながら、冷たく切り返す。
「いいや。方向性はちがうが、おまえたちはよく似ている。おまえの大義は、ラ・ピュセルのためだけの大義なのだ。
彼女のためならば、どんなに冷酷にもなれる。合理的だと誉めてやるべきかもしれないが、すまぬが、いまのわたしに、そんな余裕はない」
「どうする」
ラ・イールの顔に緊張が走る。
それもそのはず、孔明は怒りを押し殺した声で語りながら、次第にその霊力の密度を高めているのである。
その身を中心に、ふたたび風が渦巻きはじめた。
ラ・イールは孔明を助けた。
その手法は剣で胸を突くという荒っぽいものであった。
誇り高い孔明は、それを怒っている……だけではないらしい。
もともと、八つ当たりの果てに実力行使に出るような性格でもない。
趙雲は孔明の巻起こす風に注意しながら、尋ねた。
「この男がおまえを助けたのか? しかし、どうやって。俺には、おまえが切り伏せられたようにしか見えなかったが」
孔明は、ラ・イールを激しく睨みつけていたが、ちらりと趙雲のほうに眼だけを動かして、答えた。
「ラ・イールが、ラ・ピュセルにより託された、聖剣ジョワイユーズには、死と復活を司る聖遺物ロンギヌスの槍の穂先が埋め込まれていた。ジョワイユーズには、武器としての効果だけではなく、対象の魂を解放し、復活させる力があるのだ。
ただし、そのまえに、対象を仮死状態にしなければならない。そのために一度、わたしは斬られる必要があった。そうだな?」
「おう。ラ・ピュセルの一番の得意は、ジョワイユーズを使った癒しだ。彼女は癒し手だからな。まあ、アストラルの俺じゃ、あんまりうまくなかったってことは認めるよ」
「素直でよろしい。しかし、この肉体が、普通の状態であったなら、おそらく問題はなかっただろう。わたしもおまえにひれ伏して謝辞を述べたかもしれぬが」
言いながら、孔明はラ・イールのほうへ一歩、足を踏み出した。
「いまのおまえが聖剣をあずかるアストラルならば、相手にとって不足はない。わたしもわたしの聖剣を手にとり、おまえと戦うまでのこと」
「戦う?」
思わず鸚鵡返しにしたのは趙雲である。
「おいおい、マジか」
ラ・イールはそうつぶやくと、生唾を飲んで、孔明を見た。
そして、顔を強ばらせ、孔明の攻撃に対抗する姿勢を取った。
頭のなかで、いま目の前にいる、少女の姿をしたアトラ・ハシースの霊力の大きさを、懸命に測っているようである。
孔明は、ラ・イールの前に立ち、その利き手を、宙を掴むように曲げた。
空を握るようにした掌を中心に、周囲の気圧が変化し、風が動き、なにかが発生しつつある気配がある。
孔明は、自分の聖剣を持っている。
とはいえ、それは剣というよりは、魔法の杖と言い換えてもよい類のものだ。
敵を切り伏せる道具としても、もちろん有用であるが、それ自体に膨大な霊力が籠められており、剣を媒体にして、術の威力を増幅させたほうが、広範囲に攻撃を仕掛けることができる。
吹きすさぶ風の巻起こす砂塵に眼を庇いつつ、趙雲は孔明に言った。
「待て。その男がラ・ピュセルのアストラルならば、俺たちの味方ではないのか? なぜ聖剣まで持ち出して、攻撃をしなければならぬ!」
しかし、孔明は、その抗議には耳を貸さず、言った。
「子龍、只人であるあなたが聖剣同士の戦いに巻き込まれたら、怪我だけではすまないだろう。ここまで付き合わせていて申し訳ないのだが、いますぐ公園を出て山を下り、わたしが戻るのを待っていてくれないか」
言いながら、孔明は目を軽くつむり、その指先に霊力を集中しはじめた。
とたん、風の勢いはさらに増し、周囲の立ち枯れた木々が不気味にざわめきをはじめ、徐々に傾きつつある陽に照らされた公園の、風に揺れうるものすべてが、がさがさと音をたてて、孔明を中心に風に乗りはじめた。
強い風の渦に、ラ・イールは、舌打ちをして目を庇う。
「くそっ、姿を現すだけでこれだけの力を放出するのか。鞘から抜いたらどうなるんだ?」
「興味があるとは、いい心がけだ。いまから試してやるから、待っているがいい」
「頼んでねぇよ!」
ラ・イールと孔明がかみ合わない会話をつづけているのを前に、趙雲は、やはり、わけがわからなかった。
なにが判らないといえば、孔明が『復活』をしたこともそうであるが、最たるものは、喜ばしいはずの出来事に、孔明が芯から怒り狂っている、ということである。
なにか気に食わないことがあるにしても、この怒りようは異常であった。
二人のあいだに共通するものといえば、ラ・ピュセルのことであるが、彼女になにか起こったのか?
「待て! おまえを助けた者に対し、なぜ聖剣を抜く必要があるのだ?」
「そうだぜ、言ってくれ、そこの元アストラル! まったく最悪だぜ。人助けすりゃあ恨まれる、ラ・ピュセルは、人にこんな大事なもんを預けっぱなしで、やっと再会できたと思ったら、巫女に意識を封じ込められていて、人のことをウッカリ八兵衛なんて罵るし。
だいたいよ、槍なら俺が教えてやるって、何度も言ったのに、どうして俺だと首を縦に振らないで、ぜーんぜん面識のない中国人の言うことは素直に聞くんだ?
剣を預けてきたときも、『わたしがいなくても、主なる神があなたを導いてくださるわ。がんばって!』と来たもんだ。相変わらず無茶を気軽に言ってくれるぜ。
最高府さえ見捨てた世界じゃ、主なる神もそっぽを向いてらあ!
というか、いま気づいたぜ、当山孔真君、あんた神さまだろうが。いくら俺が聖剣持っているからって、アストラルの俺が、あんたに敵うわけがないだろう! 弱いものいじめは霊格を落すぜ!」
「よくまあ、ぺらぺらと口の動くものだ。その情熱を、すべて懺悔のために使うがいい」
「待った! マジで待った! 俺が消滅したら、ラ・ピュセルが困るんだぜ。だいたい、あんたはラ・ピュセルの居所を知りたくないのかよ?」
わあわあと喚き続けるラ・イールに、孔明はさらに冷たく言い放った。
「ラ・ピュセルは巫女の体から解放されたのであろう? ならば、あとは霊査をして行方を探るのみ。おまえの力なんぞ、必要ない」
「俺のこのジョワイユーズと、アスカロンは、ラ・ピュセルを通して繋がっているから、眠っていたラ・ピュセルより、意識が最初からあった俺のほうが、全体を把握しているぜ?」
「それで魅力的な提案をしているつもりか? わたしのいままで知りえたことと、ラ・ピュセルが知っていることを繋ぎ合わせれば、おまえの価値はなくなるな」
「あ、そうくるか。でもよ、純粋に戦力としてなら、役に立つだろう?」
「基本的におまえは、ラ・ピュセルの言うことしか聞かないつもりだろう」
「あたりまえだ。俺はラ・ピュセルのアストラルだからな」
むん、と胸を張って、高らかに言うラ・イールに、孔明は呆れたように言った。
「ならば戦力外だ。またこのようなことをされては、たまったものではない」
「あ、しまった。畜生、ここで嘘をつくべきだったのか!」
「智将への道のりは遠そうだな、ラ・イール。そういうわけで、下宿先に戻ったなら、最高府にヴァルキューレの再派遣を頼んでくれたまえ」
「話の通じねぇ中国人だな!」
そう言うと、ラ・イールは、一瞬、その内に隠し持つ、聖剣ジョワイユーズを取り出すそぶりを見せた。
が、しかし、急にそれを止めると、地面に座り込み、どっかりと胡坐をかいた。
「仕方がねぇ。俺の首を取れ!」
思わぬラ・イールの行動に、孔明は驚いて、自分の聖剣を取り出すことを、途中で止めた。
「なんだと?」
大男は、茶色い落ち葉の敷き詰められた公園のうえで、胡坐をかき、思いのほか純粋な眼差しを、孔明にまっすぐ向けている。
「たしかに俺は傭兵上がりの卑しい男だった。世の悪事といわれるものの中で、親殺し、主殺し以外は、やっていないことがねぇ。
そんな俺を変えてくれたのが、ラ・ピュセルだ。そのラ・ピュセルとあんたは、戦っちゃいけねぇ立場だろう。俺の所為で、またあんたたちが戦うことになっちまったら、彼女に合わせる顔がねえんだ。
東洋じゃ、こういうときにハラキリするんだろ? でも俺は作法をしらねぇから、あんたの聖剣で、すっぱりと首を切ってくれ」
「む」
孔明は顔をしかめ、霊力を集める作業を止めた。
風がおさまり、人気のない公園とその周辺に、ふたたび静けさが戻る。
孔明は、胡坐をかいて座り込む、ラ・イールに近づいていく。
美点でもあり弱点でもあるのだが、孔明は悔悛した人間に同情を寄せやすい。
罪を憎んで人を憎まずの精神の持ち主であるから、ラ・イールがなにを謝っているのか、趙雲にはよくわからないまでも、命を差し出すと言い切る相手に、怒りを治めざるを得なくなったのだということはわかった。
さくさくと枯葉を踏みしだき、ラ・イールの前に立つと、孔明は困ったような顔をしたまま言った。
「首を取れとは、つまらぬ提案をする」
「つまらなくはねぇだろう。俺は、ラ・ピュセルのアストラルだからな」
「よい心がけだ」
孔明は、ラ・イールを許すだろう。
ここで剣を取り出して、本当に首を取るような真似はできない。
とりあえず場はおさまりそうだと安堵していると、ふと、長年の直感が急に働いた。
危ない。
「孔明! 近づくな!」
趙雲の言葉に振り返る孔明に、ラ・イールは、してやったりの笑みを浮かべると、狼のように獰猛に起き上がり、拳を握って、孔明に殴りかかってきた。
孔明はとっさにかわそうとするものの、完全にはかわしきれず、頬に、その岩のように大きな拳が掠り、かわそうとした反動で、体が崩れた。
その一瞬、ラ・イールの体は閃光に包まれた。
と、同時に、その体は地上から消え、光の矢が、すさまじい勢いで、仙台の、色あせつつある空を駆け抜けて行った。
どこかで、猫が踏みつけられたような、甲高い悲鳴が聞こえた。
茂みに隠れている猫が、光の矢に驚いたものであろうか。
「大丈夫か!」
枯葉の上に腰を落として、拳の触れた部分をさすりながら、いまいましそうに空を見つめる孔明に、趙雲は近づいた。
幸い、頬にさほど衝撃はなかったようである。
孔明を助け起こしつつ、趙雲は、ラ・イールの消えた方角を見る。
それは、県庁・市役所のあつまる、木町通の方角であった。
「なんて男だ、あれで本当にアストラルか? 人を騙すわ、殴りつけるわ、最悪だな!」
悪態をつく趙雲であるが、孔明のほうは冷静で、おなじくラ・イールの消えた方角を見つめながら、苦笑をもらした。
「あの男は、あれでよいのだろう。純粋に過ぎるあまり、手の内を読まれやすいラ・ピュセルと、血風を起こすことを恐れず、狡知に長けている戦争屋。よい組み合わせだよ」
「あんなやつを誉める必要はない。ひどい目にあったな。立てるか」
趙雲が手を差し伸べると、孔明は素直に手をとって、立ち上がった。
その手が温かいことに、趙雲はふと、違和感をおぼえた。
孔明は、手に支えられながら、ため息をついて、笑った。
「本当にひどい目にあった。今日はきっと厄日なのだろう。ところで、さっき、なんだか妙な声が聞こえなかったか?」
「さっき? いつだ?」
「ラ・イールが消えたときさ。エサを取り上げられたマントヒヒのような」
「おまえの譬えはよくわからん」
「まったくじゃ! だれがマントヒヒなものか!」
金切り声に仰天し、空を見上げれば、白いホロコーストが、公園の木々の上空に、ふわふわと浮かんでいた。
「女王! いつ来た?」
趙雲が尋ねると、エリザベスは白いドレスを風に躍らせつつ、青白い顔をしかめて答えた。
「いつ来た、とは、ご挨拶よのう。ええい、それよりも、あのフランス男め、なんという無礼な! わらわにめがけて突っ込んできながら、謝罪もせずに消えおった! 今度会ったときは、おぼえているがよい!」
「あの戦争屋、ほうぼうに恨みを買ったな…ところで女王、なぜここに?」
趙雲の問いに、女王は、意外そうに眉根をあげた。
「なぜもなにも、定期連絡を待っていたのに、携帯が不通になっておるし、地下鉄で奇妙な事故があったことや、あちこちで爆発があったと聞いて、せっかくそなたらを心配して、文字通り飛んできたのじゃ。
それにしても、いったいなにがあったのじゃ。諸葛孔明の格好は、ひどいものよのう。東洋の騎士よ、そなた、おのれのアトラ・ハシースに、とうとう襲いかかったのかえ。もし取り込み中であるならば、わらわは消えるが」
「………孔明、あの白いホロコースト、おまえの霊力で撃ち落してくれ」
それを聞いて、エリザベスはころころと鈴のような声で笑った。
「わらわを撃ち落すというのか。やってみるがよいぞ、元アストラル。そなたの力が届くかのう」
ほーっ、ほっほ、と甲高く、かつ楽しげに笑い、これみよがしにスカートの裾をひらひらとさせて、公園の空を舞うエリザベスに、孔明はうんざりとした声で、
「頼むから、せめてそちらは仲良くしてくれ」
と、呟いた。
孔明は、趙雲の座るベンチの横に、自分も腰を落とし、ちょうど真正面にフェンス越しに見える仙台の街を見下ろす形となった。
その上空に、ふわふわと風船のように、エリザベスが浮いているが、器用に胡坐をかき、下から見えないようにスカートの裾を足で巻き込んで、袋のようにしている。
三人の正面には、平らにひろがる仙台市街と、その北に連なる、雪を冠する泉ガ岳が見える。
結界の崩壊によって、壊滅状態に見えた五橋であるが、公園から見る限り、異常があるようには見えない。
シンボルであるSS30も無傷であるし、五橋会館も白い姿を留めている。つまりは、すぐに結界は元に戻ったのだ。
完全なる者の結界は、世界と隔絶するためだけの空間ではなく、世界の維持をも目的としている。
結界の回復と同時に、時間も巻き戻ったのである。
五橋マンションを中心に、時空そのものが捻じ曲がっているのだ。
「この目で初めて見るが、完全なる者の力は凄まじいな。アタチュルクが敵に回らないことを祈るばかりだ」
孔明の言葉に、エリザベスが尋ねた。
「朗報じゃな。敵ではないのかえ」
「結界を守るアストラルが言うには、アタチュルクも、アスカロンに記憶を封じられているらしい。アストラルは、アタチュルクの名誉を守るため任務を放棄し、事態が収束するまで中立を守ると宣言してきたよ」
「なんと、大英雄の片腕ともいうべき男の言葉とも思えぬのう。過去にこだわる者には進歩はないというに、新入りが陥りやすい落とし穴じゃ。
なかには、過去の栄光を守ることにこだわりすぎて、堕天する者もいるそうな」
「気持ちはわかるけれどね。彼らの場合は愛国心を超えている。彼らにとっては、トルコ全体が、子供のようなものなのだ。
とはいえ、うまく説得すれば、アタチュルクほどの男だ。かならず、われらに答えてくれるだろう」
「そうなることを祈るしかなさそうじゃ」
そうして、手すり越しに仙台の街を見下ろしていた孔明であるが、ふと、ぐらりと揺らめいたかと思うと、その場に崩れ落ちる。
「ほら、やはり言わぬことではない! 大技ばかり出そうとするからだ!」
叱りつつ、孔明を助け起こそうとすると、その顔は真っ青である。
「平気だ。すこし気分が悪くなっただけだ」
「霊力が切れたのではないだろうな?」
「それはないよ」
趙雲の手を振り解き、自分で立とうとする孔明に、女王は、怪訝そうに眉をしかめた。
「大技とはなんじゃ? それに、そなたの様子もおかしいのう。これまでのいきさつを聞かせてくれぬか」
孔明と趙雲は、それぞれ、互いにあったことを、女王を交えて報告しあった。
孔明のぼろぼろの、その格好を見られただけで即通報されそうな姿は、だれかに見られたら厄介だというので、エリザベスの石のひとつを使って、新しい服を霊力で生成し、身に纏った。
とはいえ、そのセンスは、石の所有者のエリザベスのものである。
着道楽で、自分の服のセンスに自信のある孔明は、身にまとうことになった派手な衣裳に、不機嫌そうに顔をしかめた。
服は、大航海時代の上流階級の人間がイメージしたものである。町に出たら、かなり目立つことは想像できた。
「シンデレラの魔法使いになった気分じゃな。よく似合っておるぞえ」
ご満悦の女王に、孔明は言う。
「過剰装飾だ。それに、色の組み合わせがゴッホの絵のように強烈すぎる。わたしの趣味ではない。せめて、上から下までごてごてとついている、リボンとフリルを半分にしてくれ」
「なにを言うか。わらわの見立てに不服があるというのかや。いま流行の、ゴシックなんたらじゃ」
「ゴシックロリータだよ……似合わない。ともかく似合わない」
「わがままじゃのう。せっかく石をひとつ犠牲にしたというに。仕方ない。前に纏っていた平凡な制服にしてやろう」
エリザベスが言うと、孔明の姿は、千台学院の制服に戻った。
孔明はようやくほっとして、自分の姿を見下ろしつつ、言う。
「石は今夜にでも返す」
「ふん、余裕じゃな。ラ・イールなる男も冷徹きわまりないが、そなたもよい勝負じゃ」
「余裕なんぞ、これっぽっちもないさ、女王。その話はあとにしよう」
「あと?」
女王はふと、不思議そうな顔をして、それから、傍らで、話についていけずに怪訝そうにしている趙雲を見て、それから納得したように頷いた。
「わかった。あとにしよう。では、そなたらの話を総合すると、吸血鬼は本体をどこかに隠して活動しており、いまは憑依している肉体…つまりは器がなくなったので、本体…棺に戻っている、ということじゃな。
そして、五橋の最上家のあるマンションは、アタチュルクのアストラルが、アタチュルクの名誉を守るためという目的で、結界を張っている。
そしてラ・ピュセルは、仙台中央警察署の刑事・平塚八兵衛の肉体に宿るラ・イールに守られながら、巫女の体に封印されており、これも独自に動いている。どうやら木町通りの牛タン屋にいるらしい、と」
「声、というか、気配が似ていたのだ。俺がアストラルであったなら、すぐに判ったのだろうが、なにせ確かめようとしたときに、地下鉄の事故のことが耳に入ったので、俺も余裕をなくしてしまった。いまから案内してもよいが」
「が?」
趙雲は、公園の黒い、何の変哲もない柵の向こうに横たわる、暮れなずむ仙台の街を見下ろしつつ、ため息をついた。
「仕事が途中だ。さすがに、もうこれでクビだろうな」
「ああ、それならば、心配はないぞえ。そなたらと連絡が取れなくなった時点で、わらわも迅速に動いたのじゃ」
と、エリザベスは得意そうに胸を張る。
「どのように」
「まずはわらわがヨーコの体から抜け、そなたらの姿を上空から探した。あらかじめ、そなたより配達ルートを聞いていたのが功を奏し、そなたの乗り捨てた車をすぐに見つけることができた。
ところがじゃ、おそらくは結界の所為であろうが、肝心のそなたたちの姿を追尾することができぬ。そこで、羅貫中とも話し合い、二手に分かれることになったのじゃ。あとは車を戻すだけなのであろう? あとはヨーコが工業団地へ車を走らせておる」
「ちょっと待て。だれが車を運転しているって?」
顔をしかめる趙雲に、エリザベスは不思議そうに答えた。
「ヨーコじゃ。なにをそう、怖い顔をしておるのじゃ?」
「待て。ヨーコはいくつだ」
「十七だよ」
と、隣の孔明が、気に入らない服の所為か、いささか単調に答える。
「十七で普通自動車免許は取れるか?」
「取れないな」
「普通自動車免許? そのようなものが必要なのか? ヨーコは、ゴーカートが得意だから、問題はないとうそぶいていたが」
「ゴーカート…」
絶句する趙雲に、エリザベスはその長い巻き毛をかきあげながら、訝しげに言う。
「なにをそう呆れておる。ヨーコは、たしかに愚かな娘ではあるが、性根は腐りきってはおらぬ。それに助手席には羅貫中も乗っておるゆえ、なんとかなっているであろうよ」
「ああ、そうだな、ヨーコとあんたはいい勝負だ」
「なんだか含みがある言葉なのじゃ」
趙雲の言葉に、むっとする女王に、孔明が割って入った。
「まあまあ、ともかく仕事の件が収まってよかった、ということにしよう。ところでその牛タン屋、名前はわかるか」
「『たんたかタン』だ。木町通りにある洒落た作りの店で、浅野家からも遠くない。おそらく、吸血鬼も、そこにラ・ピュセルの気配を感じ取っているのではなかろうか」
「なぜ?」
趙雲は、たんたかタンの女主人から聞いた、連続少年殺傷事件の犯人が、たんたかタンのオリジナルの箸袋を、犯行現場に残していく、という話をした。
そして、手に入れた実際の箸袋を孔明とエリザベスに見せた。
「なぜ箸袋なのだろう? 特別な意味があるのだろうか?」
「現物を見てくれ」
趙雲が差し出した箸袋には、下手すぎて、かえって印象に残る、髯の生えた黒い牛の絵が印刷されている。
「これは……なんの動物だ? ひどい絵だな。女王はどう思う?」
「初めて知ったぞえ、東洋の騎士よ、牛タン屋というのは、黒山羊の肉も出すものなのか?」
エリザベスの問いに、孔明は怪訝そうに柳眉をしかめた。
「黒山羊? これは牛のできそこないでは?」
「髯の生えた牛などおらぬ。わらわには、これが黒山羊にしか見えぬぞ」
エリザベスの言葉に、趙雲は深く頷いた。
「やはり、そう思うだろう。その絵は、事情を知っている者からすれば、店の主人が、道楽で、自分に似せて書いた牛だとわかっているが、まったく知らない者から見たら、黒山羊にそっくりなのだ。
東洋人である我らは、黒山羊自体になじみがないため、牛に髯が生えた稚拙な絵、というふうにしか見ない。しかし、西洋人にしてみれば、黒山羊といえば、悪魔崇拝の象徴として、強烈に印象に残っている。
だからこそ、この稚拙な、牛にも山羊にも見える絵を、黒山羊に見立ててしまうのだ。おそらく吸血鬼もそのように思ったのだ。生前、ジル・ド・レは、少年たちを屠って、悪魔の召喚術に熱中していた」
「そうか。いわゆる連続殺人犯というものは、総じて自己顕示欲が、異常に強い。マスコミに挑戦状を送りつけたり、現場に特異な自分のシンボルを残したりしたがる。何百年と汎世界を彷徨いつづける吸血鬼も、その性癖から抜け出せていない、ということだな」
「そうだ。これは憶測だが、俺の前任の、唐突に辞めた男。そいつと、おまえが地下鉄で対峙した吸血鬼の器になっていた男。これは同一人物の可能性がある。
吸血鬼がそいつを器として選んだのも、どこかでラ・ピュセルの気配を感じていたからなのかもしれない」
「そうか、器の周辺から辿れば、吸血鬼の本体がどこに隠されているか、探れるかもしれぬ。GPPに行けば、男のことがわかるな」
「おまえの傷も癒え、霊力も戻ったというのなら、先にラ・ピュセルとの合流を急いだほうがよいだろう」
「ふむ、その通りかもしれぬが、しかし気になるのう」
と、口をはさんだのはエリザベスである。
その透けた体の向こう側では、あっという間に西の空に沈んだ太陽と、ぱちぱちと点燈をはじめた公園の街灯が見える。
「吸血鬼とレティクルは、繋がっておらぬのだろうか。ならば、吸血鬼は、『英雄殺しの槍』をどこで手に入れたのであろうな?
レティクルの動きが静かなのも不気味であるし、東洋の龍を襲った氷の巨人、これがなにゆえ単独で現われたのかがわからぬ」
「羅貫中がヴァルキューレ自身から聞いた話によれば、最初に召喚したアトラ・ハシースはレティクルに取り込まれたという。ヴァルキューレのブリュンヒルデが召喚する者とすれば、それは夫のシグルトだろう。
しかし、シグルトはレティクル側に引き込まれ、我らに攻撃を仕掛けてきた。あのとき、五橋にラ・ピュセルが来たのは、シグルトを追ってのことかもしれないな。これは聞かねばわからぬことだ」
「なるほど、いろは横丁で起こった、なぞのビル爆発事件のほうは、我らは関知していないとなると、ラ・ピュセルが関わっている可能性が高い、ということじゃな。
そこにさらに、ラ・イールが絡んでくるだろう、と。ややこしいのう」
「ややこしいが、少しずつ道は一つにまとまりつつあるよ。まず、我らがすべきことは、ラ・ピュセルと合流すること。アタチュルクを探し出し、味方につけ、五橋の結界を解除させること。
それから吸血鬼を退治し、メアリ、あるいはシグルトを消滅させる。そのあと、レティクルを潰すのだ」
「先の長い話じゃな。さて、ではさっそく、ラ・ピュセルに会いに行こうぞ」
気合を入れるためなのか、大きく体を伸ばして言うエリザベスの横で、ふと、街灯の白い光に照らされ、孔明が自分のほうをじっと見ていることに、趙雲は気が付いた。
「どうした?」
「いいや。ひとつ聞きたいのだが、いいだろうか」
「なんだ?」
「あなたは、いつまでもわたしの味方かな」
どんな質問が来るかと構えていた趙雲であるが、孔明の問いに、なんだ、そんなことかと力を抜いた。
「あたりまえだろう」
「そう? 本当に? わたしが何者に変わってしまっても?」
「ああ、味方だ。ずっとそうだったろう」
「ならば、いい。ありがとう、子龍。すこし安心した」
「おかしなやつだな」
いぶかしむ趙雲に、孔明は微笑んだ。
※ この話は、「真ずんだの章1」につづきます。