新ずんだの章 4
※ この話は、「新ずんだの章3」のつづきとなります。
パワーストーンショップの余ったチラシは大活躍で、夜は敷布団の代わりになり、いまはランチョンマットの代わりになっている。
チラシの上には、おむすびと、から揚げ、サラダがあり、ドリンクはスポーツ飲料だ。疲れを癒すという理由で、デザートにはチョコレート。
ドリンクとの相性はいまひとつだが、孔明は、自分が買い出しに行ったら、これだけバランスよく買うことは出来なかっただろうな、と思った。
そもそも、この近くのどこにコンビニエンスストアがあるのかなど、昨夜のうちにチェックしていなかったし、日本のコンビニエンスストアの商品に、どんなものがあるのかすら、正直なところ、よくわからない。
いままで、買出しから家事に至るまで、いつもだれか(主にとなりにいる仏頂面)がしていてくれたからだ。
アストラルから只人になってしまったにもかかわらず、淡々と日常行為をこなせる趙雲のほうが、よほどこの世界に順応している。
チョコはよいのう、と嬉しそうに目を細め、エリザベスは板チョコの欠片を、ぱりぱりと音をさせて食べた。
孔明も、趙雲に割ってもらった欠片を口にする。
甘いものは嫌いではないが、チョコレートは甘すぎるので苦手だ。薬と思って食べることにしよう。
「まずは、わらわのほうから報告しよう。千台ヨーコと話し合って、活動時間を決めた。まず、朝の九時から四時まではヨーコ、早朝の時間帯と、四時以降の就寝までをわらわの時間とする」
「どういう基準だ?」
「この娘には学校があろう」
「学校に通うつもりなのか?」
驚く二人に、女王は制止を促すように手をかざし、言った。
「現状を見るに、まず我らがせねばならぬことは、二つあろう。
まずは、ラ・ピュセルおよびケマル・アタチュルクの探索。
つづいて、レティクル、吸血鬼、メアリの攻撃を防ぐ」
「そのとおりだ。敵は三勢力。そのうち、だれが、どこで襲ってくるかわからぬ。固まっていたほうがよい」
渋面の趙雲の言葉に、エリザベスは言った。
「だが、三人で移動すれば、嫌でも目立ってしまう。わらわが、この娘を学校に通わせる理由は、レティクルの真意を探るためと、浅野一子を守るためぞ」
趙雲は、渋い顔を崩さぬまま、孔明のほうを見た。
「おまえの意見は?」
「わたしの考えとおおむね同じだな。まず、二手に分かれる。わたしとあなたは、一組になり、当面の生活費を稼ごう。なにせ、みな受肉した状態も同然だ。千台ヨーコの小遣いを当てにするなどしたくないし、わたしたちはこうして日々の糧を口にするたびに、金も消費している。
われらは『世界を守る』ことと同時に、『世界の維持』にも努めなければならない。わたしたちが存在することで、最上アキラ子の蓄えが減ってしまうことは避けたいのだ。
わたしたちが表に出ることで、レティクルの目を、浅野家から逸らすことができるかもしれぬ。
もし吸血鬼やメアリが襲ってきたとしても、物理的攻撃に関しては、女王よりはあなたのほうが熟練していようし、霊的攻撃の場合は、わたしが斥けられる。あなたはいま、只人であるから、メアリらが近くにいても感知ができない。わたしが側にいたほうがよいだろう」
「たしかにそうだが、女王が手薄に感じる。羅貫中も守りに加わるとして、防御はともかく、攻めの部分では弱くはなかろうか」
趙雲の言葉に、エリザベスは明るく答えた。
「わらわのことは心配ない。レティクルは、すくなくとも、この娘、ヨーコを殺すことはできぬ。三つのうち、レティクルは敵ではない。わらわはヨーコという鎧を纏っているも同然ぞ」
「残りの二つに攻撃をされたら?」
「鏡がある。陽が高いうちは、霊具を使えばよい。ヨーコが表に出ているあいだは、わらわは眠り、霊力を貯めて、石に還元しておく。陽が落ちたら、そなたらと合流する」
「筋は通っているが、いっそ、浅野姉弟も学校に行かせないようにして、固まっていたほうがよいのではないか?」
趙雲の言葉に、エリザベスは、細く剃られた眉を吊り上げた。
「行かせないとして、その理由を、どう説明するのじゃ。わらわたちが恐れる『最悪の日』は、この世界以外では、すでに確定した『過去』かもしれぬが、この世界では未確定な『未来』に過ぎぬ。
まったく、考えることはわらわの仕事ではない。決めることがわらわの仕事ぞ。そなたら臣なれば、よき提案を見せるがよい」
「俺はおま」
おまえ、と言いかけて、趙雲は約束を思い出した。女王の眉が、器用に片方だけ、ぴくりと動いたのを見て、言いなおす。
「残念ながら女王陛下の家臣ではない」
「ではなんじゃ」
「俺はおま、いや、女王、貴女と共に戦う仲間だ。それに、こいつのほうがアトラ・ハシースとしては長いし、経験も豊富だ。仕切りたがる気持ちはわかるが、ここは、こいつに合わせるべきだ」
むう、と頬を膨らませるエリザベスと、主導権を孔明に集めようとする趙雲を交互に見て、孔明は、いつもの癖で、乱れてはいない髪をひと束掴んで、指先に絡ませながら言った。
「子龍、女王に決断を任せるべきだと思う。わたしがリーダーになると、ろくなことにはならない」
「なんだ、気弱だな」
「今回は、わたしたちは薄氷の上を目隠しで歩かされているような状態だよ。慎重の上には慎重を期したい。それに、決定を下すという点にかけては、おそらく女王のほうが長けている。これは勘だがね、この世界のキーになっているのは、すべて女性だ。女性には女性の考えがあり、男では及びもつかないとろで、状況が引っくり返る可能性がある。
わたしなどはかなり細かいほうだが、やはりそれでも、女性の繊細さには負けるからね。いまの状態では、ちょっとした動きを霊感のごとく汲み取って、素早く動ける人材が、リーダーとして好ましいのだ。
目には目を、というわけではないが、女性には女性が当たるべきだと思う」
うんうん、と得心しながら、エリザベスは満足そうに言う。
「わかっておるではないか。さすが悪魔をも騙す智者と誉れ高いだけある」
孔明は、思わず、一人遊びの手を止めた。
「悪魔をも騙す? いったいどういう評判が立っているのだ」
「こういうときに、常日頃の行いが出てくるな」
趙雲が言うのを、エリザベスが反論する。
「悪口ではない。中国の辺境のちいさな国の、王でもなかった人間が、アトラ・ハシースの中でも異例の速さで霊格を上げまくり、馬車馬のように命題をこなしまくっておると聞いた。
余裕のない卑しき輩よ、と思うておったが、いささか認識を改めさせてもらうぞえ。そなたは、なかなか話がわかる」
「傷つく異名だな。悪魔なんか騙して…ないと思うが、どうだろう」
孔明は考えるが、悪魔と一口にいっても、比ゆ的な悪魔もいるだろうし、悪魔そのものもいるだろうし、そうなると、いままであまりに多くの仕事を請け負ってきたので、なんの件からはじまって、そんな極悪人のような評判が立っているのかわからない。
「悪魔をも騙す、などとは、的外れだと思うが。こいつがラ・ピュセルと気が合ったのは、互いに、悲しくなるほど、莫迦正直な正攻法が得意だったからだぞ」
「それ、フォローのつもりか、子龍…」
「先へ進もう。東洋の龍よ、そなたの策を聞きたい」
「うむ、いまの現状を整理するに、この世界の発端は、すべてとても狭い地域、狭い人間関係のなかにすべて凝縮されているような気がしてならない。聖剣アスカロンは、われらをパズルのように、見えにくい人間関係のなかに、それぞれ封じ込めたのに過ぎないのだと思う」
「つまり?」
「もしも、最上アキラ子が千台ヨーコの学友でなかったら、わたしはこの娘の中に封印されることはあっただろうか。被害者の浅野姉弟がいて、加害者の千台家がいる。その共通の知り合いとして最上アキラ子。ここに、最上アキラ子に封じ込められたわたしと、わたしの呼び出したアストラル、浅野家を守る羅貫中と失踪中の陳寿が加わり、ヨーコの友達としてメアリ、メアリの対抗として貴女と、連想ゲームか、数珠繋ぎのように人間関係が連鎖している」
「たしかにのう。召喚されたアトラ・ハシースの八人のうち、三人が三国志というキーワードで括れる、というのも偶然かや?」
「おそらく、われらを互いにつなぐ『意味』があるのだよ。とてもちいさな理由で、もしかしたらまったく状況を変化させないかもしれないが、われらを召喚したヴァルキューレ、そして二度目のループで我らを封印した者は、仙台という街に実際に『在る』人間関係のなかに、われわれを、それぞれ鏤めているのだ。この配置には、おそらく意味がある」
「どういうことじゃ?」
「悲劇というものは『人間関係の破綻』から生じるものだろう。この世界は、連なる世界からぽつりと離れた巨大な風船の中に浮いて存在しているようなものだ。レティクルは風船を破壊し、中の世界をも破壊しようとしている。
ヴァルキューレは、それを予測し、風船を補強するために、五本の世界樹ユグドラシルを植えた。だが、世界樹の役目は、風船、つまりは世界という大きな器を保護するだけだ。
われらは、最初のループにおいて、この点ばかりに目を向けて、結局、『最悪の日』の回避を出来なかった。
だから、彼女は考えたのだ。なぜ悲劇が起きたのか。この夢の世界、本来ならば生じることのなかった世界が、汎世界に影響を与えているのならば、逆に、この世界の『最悪の日』を完全に回避させ、基本世界の『確定した過去』をも覆してしまえばよい、と」
「莫迦な。基本世界は、その名の通り、汎世界のオリジナルだぞ。オリジナル(根源)を変えるということは、すべてを否定することと同義ではないのか。そんな大それたことを、ヴァルキューレが考えたと?」
「いいや、考えたのは、ヴァルキューレではない」
「では?」
「ラ・ピュセルさ。彼女は、基本世界で起こった『最悪の日』を徹底否定するために、人間関係の補強として、われらを、浅野姉弟、千台ヨーコの周辺に封印した。あてずっぽうに封印されたのではない。目的があったのだ。
『戦士の角笛』を吹いて、聖剣の力を使い、破綻した人間関係を、破綻しない人間関係に変えてしまうように、小さな奇跡が積み重なれば、それはさらに大きな奇跡を呼び起こす。彼女はそこに賭けた。意味もなく、時間を巻き戻したのではないのだ」
「ラ・ピュセル…ただの朴訥な田舎娘ではない、ということかえ」
「彼女は天性の戦術家なのだ。単に、神の声を聞いたという奇跡だけに、守られていた娘ではない」
「ヴァルキューレはそれを把握しているのか?」
「子龍、いまだかつて、ヴァルキューレを倒したアトラ・ハシースなどいると思うか?」
孔明の問いに、趙雲は、困惑したような面持ちで、それでも即座に答えた。
「そんなものは存在しない。あれは、おそらく『下宿先』のアトラ・ハシースすべてが束になって向かって行っても、敵わぬ、神霊だ」
「そう。だが、この世界のヴァルキューレは力を失っている。最高府は、渡航禁止命令を出し、この世界を封印した。なぜか?」
「レティクルの力が強すぎるからではないのかえ?」
エリザベスが怪訝そうに言った言葉で、趙雲は、孔明の言わんとすることがわかったらしい。
「レティクルにそんな力があるはずがない。あれは、あくまで汎世界のなかの未来人が、時空を捻じ曲げて侵入してきた軍団、つまりは『人間』だ。人間を凌ぐアトラ・ハシースが勝てないものに、人間は勝てやしない」
「そのとおり。ヴァルキューレが力を失い、われらの前から消えてしまったのは、レティクルの所為ではない。彼女はおそらく、本来なら、ラ・ピュセルが受けるはずであったペナルティを、代わりに受けたのではないだろうか」
「最高府にか?」
「恐らく。最高府は、レティクルを恐れて、この世界への渡航禁止命令を出したのではない。ラ・ピュセルの影響をこそ恐れた。アトラ・ハシースが、おのれの召喚したアストラルに対して、絶対的な責任を負うように、ヴァルキューレもまた、おのれの召喚したアトラ・ハシースに対して責任を負う。
そのルールに則り、ヴァルキューレは、ラ・ピュセルを庇って、なんらかの罰を受け、われらの前から消えてしまったのだ」
「ふん、そして、事態をややこしくした張本人はどこにいるのかや? われらにすべてを押し付けて、己はアスカロンに守られ、高みの見物かえ?」
「そういう娘ではない。おそらく、彼女のことだから、自分を最前線に置こうとしたはずだ」
「最前線はここであろう」
「だが、彼女はいない。なぜか?」
「吸血鬼か?」
趙雲の言葉に、孔明は強くうなずいた。
「そうだ。彼女にとって誤算だったのは、『戦士の角笛』を吹ける者が、吸血鬼以外、ほかにいなかった、ということだ。不老不死のあの男であれば、『戦士の角笛』の引き起こす、時間を巻き戻す力の衝撃に耐えることができる。
それはともかく、『戦士の角笛』を吸血鬼が吹いたことで、聖剣アスカロンが出張ってしまったのさ。聖剣は、もともとキリスト教系の聖者を守護するための剣。吸血鬼がラ・ピュセルに邪心を持っていることに反応して、彼女の意志を汲みながらも、彼女をもっとも強く封印してしまったのだ」
「複雑になってきたぞよ。しかし、聖剣は、本来の主人であるゲオルギウスは守らなかった」
「ゲオルギウスの消滅は、理由はよくわからないが、やはりこれも、ラ・ピュセルを守るためであったのではないかな。ラ・ピュセルが消滅したならば、それは聖剣アスカロンが折れた、ということだから、相当な衝撃が世界を襲うはずだが、いまのところ、その気配はない。つまり、彼女はまだ無事で、『われわれの近くにいる』」
「なにを根拠に?」
「強く封印したとはいえ、アスカロンが、ラ・ピュセルを、まったく無関係な、それこそ『高み』に避難させる理由がない。彼女は、戦ってこそ真の実力が発揮されるアトラ・ハシースだからな。
彼女の意志を汲んだのなら、いつでも戦闘可能な位置に、彼女を置いたはずなのだ。われらには、偶然と必然が重なり合って出来上がったように見える人間関係も、俯瞰すれば、ちゃんと筋がとおった図式になっているのかもしれない。彼女はそばにいるのだ」
「待て」
と、エリザベスが口を尖らせて、言う。
「そなたの言いたいことはわかった。だが、なぜにわらわだけが、ふつうにアトラ・ハシースとして存在し、ホロコースト状態に追い込まれるまで、そなたらと合流できなかったのじゃ? いまヨーコと肉体共有をしていることをも、ドンレミの村娘が読んでいたというのか?」
その問いに、孔明は、言い淀むこともなく、きっぱりと答えた。
「それは、女王、あなたが『ジャンヌ・ダルクを火刑にした国の女王』だったからだよ。アスカロンは、『聖女ジャンヌ・ダルク』を第一に守る。だから、あなたは弾かれてしまったのだ」
「人種差別かえ、いやな剣じゃ…」
「落ち込むな。孔明、ラ・ピュセルも、おまえがそうであったように、千台ヨーコや浅野一子と、同じ学校の生徒の中にいると?」
趙雲の言葉に、孔明が小首をかしげて、疑問の声を投げる。
「残念ながら、そこまでうまく偶然が重なっているとは思えないな。すくなくとも、昨日、あれだけ霊力のぶつかり合いがあり、銀の小人たちが集結する状態だったのだ。封印されている状況でも、ラ・ピュセルが近くにいたなら、なんらかの反応をしたはずだよ」
孔明の言葉に、エリザベスも深くうなずいた。
「わらわも、あの場に、メアリとそなた以外のアトラ・ハシースの気配を探れなんだ。ラ・ピュセルは、あの学校にはおるまい。だが、おそらく我ら…いや、千台ヨーコや浅野一子と関わりのある人間のなかに封じ込められている、というのじゃな」
「まちがいないところだと思う。さて、長くなったが、ここで戻ろう。
女王は、ヨーコを守りつつ、一子と共に行動し、ラ・ピュセルらしき人物と接触することはないか、探って欲しい。
もしかしたら、学校の生徒や教師とは限らぬ。出入りの業者かもしれぬし、遊び仲間の一人かもしれぬ。アスカロンが守っているのだ。完璧に気配を隠しているだろうから、霊力で探るのは難しかろう」
「うむ、あいわかった。男女の別なく、ということでよいな?」
エリザベスの勘の良さに、孔明は微笑で答えた。
「そうしてほしい。浅野家の羅貫中犬は、浅野史朗の守りと、そして浅野家の防御だ。
偵察も兼ねて、表に出るのはわれら二人。レティクルの動向を探り、ケマル・アタチュルクとの合流を目指すのだ」
孔明の言葉に、エリザベスは、よかろう、任せよ、と胸を叩き、趙雲は趙雲で感心して、
「おまえ、一晩でよくここまで考えたな」
と、感心をしていた。
孔明は、気をよくして、顎をつんとそらせる。
「ひとたび、前に進むための目標が定まったら、とたんに動きをよくするのが、わたしの取り得でね。後手後手はもう沢山だ。だれよりも先んじて動くためには、全体を把握する必要がある。
子龍、わたしもね、やはり娘の身体に封じ込められたということで、いささか混乱していたようだよ。考えが、どうしても狭くなっていた。そこで、思い切って上から全体を眺めて見たのさ。そうしたら、やっと彼女の考えがわかった。もっと早く見えていれば、前回のような結果にはならなかったのに」
小学校の廊下で最後に見た、乙女の悲しそうな顔を思い出し、またもや孔明は胸を痛めた。
これはなにも、感傷によるものではない。自分よりはるか年下の少女を傷つけたことに対する、良心の呵責ではない。
孔明は最初から、彼女を優れた智将として見ていた。
そのずば抜けたカリスマ性も、精神の強さも、神によって、従順な富農の娘に与えられた仮の力などではない。もともと、彼女には、英雄たる素地、才能があったのであり、そこに奇跡が降りてきたに過ぎない。
だが、あまりに非凡すぎたのだ。殺戮と狂信の時代にあって、彼女は男ではなく、ましてや女でもない、分類不可能な『少女』であった。彼女の異才を理解し得なかった者たちは、彼女を魔女として抹殺するほかなかった。
彼女の見せた悲しそうな顔は、単に戦いたくないという悲しみだけではなく、ああ、また裏切られるのか、と、そんな呟きが聞こえてきそうな、とても孤独なものであったからだ。
こうなれば、意地である。かならず彼女を見つけ出し、謝罪をせねばならぬ。そして、己の誇りにかけて、彼女を裏切った詫びを、態度と結果で見せるのだ。
「さて、ここで気をつけなければならないのは、ケマル・アタチュルクについてだ。昨日の羅貫中の話では、金髪の男が首を絞めて殺そうとしてきたという」
趙雲が、それについて口を挟んだ。
「ケマル・アタチュルクの仕業とは思えぬな。アタチュルクと言えば、豪放磊落な男だ。華奢な犬を騙すように腕に入れて、こっそり縊ろうなどと、考えるだろうか」
「ふむ、わが大英帝国を苦しめた男ではあるが、天晴れな男じゃぞ、あれは。なにせ、死ぬ前から、あれはきっと必ず『完全なる者』としてアトラ・ハシースに加えられるであろうと、噂が立っていたくらいだからのう。
すぐれた戦術家というだけではない、きわめて有能な政治家でもあり、また、みずからトルコ文字を創案し、国民の識字率を飛躍的に向上させ、さらに自国の遺跡発掘に力を注いだ『文明の守り手』でもある。どれを取っても、堂々としたものじゃ。いまさら、犬なんぞ縊ろうか」
「ということは、結論はひとつだろう。そいつは、おそらくアタチュルクのアストラルだ」
「渡航禁止命令が出ているのだぞ。もうアストラルは召喚できまい」
「前回のループで召喚したのだろう。ここで言いたいのは、羅貫中を襲った者の正体ではないのだ。つまり、前回のループにおいて、どれだけのアストラルが召喚されたのか、わたしたちは正確なところを把握していない、ということを言いたいのだ」
趙雲は仰天し、まじまじと、一回り小さくなっている、隣の友を見た。
「なにを言い出す?」
「おかしな話ではないだろう。前回においても、アトラ・ハシースは顔をあわせることなく、それぞれが散り散りになって戦った。そのために、各自がめいめいにアストラルを召喚した状態なのだ。女王、あなたのアストラルは?」
すると、女王はむっとして、顔を背けて言った。
「召喚したのに、現われなんだ。ウォルシンガムもドレークも、セシルまでも!」
「…まあ、そういう例もあるが、普通は、己の助けをしてもらうために、アストラルを召喚する。みんなそうしたはずだよ。
わたしがあなたを呼んだように、ラ・ピュセルも、わたしたちと別れたあと、だれかを召喚したかもしれない。アタチュルクもそうであったのだ」
「だが、召喚したアストラルが、アトラ・ハシースに攻撃を仕掛けてきたとなると、召還者たるアタチュルクも、敵側と見なしてよいのではないか?」
「その見極めが大切になってくるだろうな。だって、わたしたちの間でも、たまに意見が割れて、行動がばらばらになることもあるだろう。それが、ましてやアスカロンに封印されて、記憶をなくしている状態では、どんなことになっているやら、だ。
近づく霊力の高い者すべてを敵だと勘違いしている可能性だってあるし、アストラルだけが先走って、アトラ・ハシースを守ろうとしているのかもしれない。上手な接触が必要だよ。
さいわい、この最上アキラ子は、アタチュルクの隣人だし、女王、彼は才気煥発な女性が大好きなのだ。アタチュルクの弱点は、酒と女だ」
「女の話なら聞くと?」
「すくなくとも、いきなり戦闘、ということにはならないだろう。アタチュルクは頑固ではあるが、善悪の判断はきっちりつけられるバランスの良い男だ。話をちゃんとすれば、われらの味方になってくれるだろう」
「希望的観測じゃが、まあ、よかろうぞ。アタチュルクに関しては、そなたらだけではなく、わらわも同行したい。今日の夕方、そなたらの仕事が終わり、わらわが一子を無事に学校に送り届けてから、共に五橋へ向かう。それでどうじゃ」
「異論はない。だが、すまぬが女王、あなた一人で、浅野一子を守りきれるか。また吸血鬼が襲ってきたら、なんとする」
孔明が言うと、エリザベスは、ほほん、と鼻を鳴らして言った。
「この娘と肉体を共有するにあたり、そなたが言った言葉を忘れたか。この娘は、レティクルどもによって、そなたの嫌いな『卑弥呼の鏡』を持たされておる。ヨーコに霊具の影響がいかないよう、わらわが防御し、なおかつ攻撃された際には、素早くヨーコに攻撃指示を出す。完璧じゃ」
「『ヨーコに攻撃指示を出す』? つまり、貴女では扱えないと?」
「この霊具は、ヨーコに従うように命令が出されておる。霊具を捨てようとしても、また戻ってきたのは、そのためじゃ。
ヨーコは、これでも運動神経がよい。それに、最上アキラ子に関して、この娘はかなり責任を感じているようじゃ。そなたの言葉には素直に耳を傾けようぞ。前回のループのように、むざむざ『最悪の日』を迎えさせはせぬ」
「女王、ヨーコに『最悪の日』のことを教えたのか?」
「安心せい。わらわも、そこまで無情ではない。すくなくとも、この世界の人間にとって、『最悪の日』は未確定な『未来』じゃ。わらわは予言者の真似事はせぬ」
「安心したよ。さて、もう六時になるな。あと一時間もしたら浅野家に一子を迎えに行って、学校へ向かおう。わたしは、そのあと子龍とともに、GPPだっけ? そこへ行って、謝罪して仕事を続けさせてくださいと言いに行く」
本当に一緒に来るのか、とぼやく趙雲のとなりで、エリザベスが怪訝そうに眉をしかめる。
「なんじゃ、浮かぬ顔じゃな。そなたと立場を交換してもよいが、しかしそなたの霊力は、いまだ完全に回復はしておらぬ」
「わかっているとも。わたしが心配しているのは、別なところだ。『最悪の日』の前に、大きな試練を超えねばならぬ」
孔明の深刻な顔に、趙雲とエリザベスが、なんだ、と膝を詰めてくる。
孔明は、一息つくと、二人を交互に見て、言った。
「期末テストだ」
とたん、エリザベスも趙雲も立ち上がり、身づくろいや、掃除をはじめた。
「なぜ呆れる? これは深刻な問題だぞ? なにせ、わたしは日本語を喋れることはできても、書くのは不自由する身だからな」
「なぜじゃ。アトラ・ハシースにとっては、言葉もであろう。そなたほどの者が、なにをテストごときで怖じるのじゃ」
「戦闘に備えて、霊力を最小限に抑えなければならない状況だぞ。数学は万国共通だから、なんとかなる。化学も大丈夫だろう。世界史は完璧だ。だが、問題は、古文だ。現代文ならば、慣れ親しんでいるから問題ないが、古文は霊力を使わねば、もう解読できぬ。暗号並にさっぱりわからぬのだ。つまり、霊力を使わず、己の頭脳のみで勝負せねばならん」
「安心せい。マークシート方式じゃ。適当に塗りつぶせば、よほど運が悪くないかぎり、赤点は行くまい」
「どうかな、こいつ、倒れる時は本当に派手に倒れるからな。まさにバナナの皮に躓いたところへ雪崩が押し寄せてきて逃げ後れる位の勢いだ」
「冗談事じゃないのだよ、子龍。わかってないな。最上アキラ子は奨学生なのだぞ。平均点数を大幅に下回ると、奨学金打ち切りの危険があるんだ」
とたん、趙雲の顔色が変わった。
「おまえ、それじゃあ、俺にくっついてないで、学校へ行け」
「そうしたいところだが、あなたを一人にするわけにもいくまい。まあ、昨日の今日だし、吸血鬼も、身体の回復は時間がかかろうし、メアリも霊具を派手に使っていたからな、まっとうな手段でなったアトラ・ハシースではないとはいえ、すくなくともこちらと同じくらいの霊力の消耗はあったはずだから、すぐに襲ってくることはないだろうが、油断はできぬ。
ほら、そうなると、やはりあなたに付いていくしかあるまい」
「期末テストはいつだ」
「13日の月曜日から17日の金曜の五日間だ」
「来週? ほとんど時間がない。その間だけでも、最上アキラ子を引っ張り出す、というわけにはいかないのか?」
「手元に紫水晶ほどの大きな霊力を秘めた石でもないかぎり、そんな荒療治をしてみろ。わたしの千八百年分の記憶が全部なだれ込んで、それこそ気が狂ってしまう」
「厄介な…それでは、地道に勉強するしかないのだな」
「そういうことだ。まったく、立場が逆で、あなたが最上アキラ子の身体に封印された、というのならば、もうすこしマシだったかな」
「本当にそう思うか?」
問われて、孔明は、趙雲が女子高生として振る舞う様を想像し…ようとしたが、さまざまな規制がかかって、映像すら浮かばなかった。
「すまぬ。これっぽっちも思わない」
「だろう。GPPでまだ配達の仕事をさせてもらえるかわからぬが、おまえはなるべく勉強だけして、助手席に座っていろ」
「うん、そうさせてもらおうか…まさか、アトラ・ハシースにもなって、テスト勉強とは…」
重たいため息をつく孔明に連鎖してか、趙雲もまた、先が思いやられるとため息をつくのであった。
※ この話は、「ほやの章3」につづきます。