新ずんだの章 2
※ この話は、「新ずんだの章1」のつづきとなります。
「よし、いいわよ、行きなさい!」
周倉は雄叫びを上げたまま、果敢にメアリに立ち向かっていく。
もとより、恐怖心というものを加えて創造していない。人の最大の敵がなにかと問えば、たいがいの者は、それは恐怖心だと答えるだろう。恐怖心をしらぬ周倉は、攻撃においては無敵である。ためらいもなく相手を倒すことだけを考えているのだ。
外貌についても、獰猛かつ冷徹な武将ということをイメージして、羅貫中の想像し得る範囲で練り上げた。巨体の関羽に付き従う、山のような体躯の大男。義のこころに感じて山賊をやめ、義に殉ずる。羅貫中が『創造』したなかでも、最高峰の出来栄えをほこる人物だ。たとえ霊力的には劣っても、勢いだけで突っ込むことができる。
メアリが手にしている武器が、フラガラッハだということを羅貫中は知らなかったが、相当の霊具であるということは知れた。
だからこそ、羅貫中は興奮していた。
アタシのオリキャラが、アトラ・ハシースに勝てるかもしれない!
周倉は、激突するエリザベスとメアリの間に割って入る形となり、メアリのフラガラッハを叩き落さんと槍を奮う。その間、盾を解除したエリザベスは、相当な霊力を消費したらしく、そのまま屋上の床に膝をついてしまった。
髪を振り乱し、ボロボロのドレスに身を包んだ、首に無残な斬首の痕がのこっているのがメアリであろう。豊満な肉体を持つ、妖艶な美女である。しかし、その表情は憤怒に彩られ、顔色も紫と、まさに怨霊にふさわしいものになっている。
「おのれ、ふざけるな!」
フラガラッハがその手から落ちたと思われた瞬間、霊具は、みずからふたたび吸い込まれるようにして、メアリの手元に戻った。
羅貫中は、趙子龍の話を思い出していた。ヨーコも、捨てても戻ってくる霊具を持たされているとかなんとか。
レティクルの技術は、不可侵な霊具に対して、さらに特殊な効果を付加することも可能だっていうの?
メアリの憤怒に歪んだ顔が、周倉をはげしく睨みつけ、そしてフラガラッハの剣先を、ちょうど槍を振り上げようと構える、周倉の心臓のあたりに目掛ける。
「いけない! 戻って!」
だが、周倉はそれには応じず、メアリの脳天に槍を振り下ろそうとする。
恐怖心がない、ということが、裏目に出てしまった。ここで『本物』の戦士ならば、ただらぬ気配をおぼえて後退し、傷を負った程度で済んだであろう。
戦士ではない羅貫中にさえ、メアリが度を失っていることは判ったからだ。
フラガラッハの剣先が光り、周倉の心臓が吹き飛ばされる。
とたん、身体は四散し、肉片の変わりに、彼を組成していた紙が、あたりに舞い散った。
「このような、紙人形で」
と、メアリは、怒りを込めて羅貫中を睨みつける。
ついさっきまで勝利を信じて疑わなかった羅貫中は、あっさりと形勢が逆転したことにうろたえ、動けない。
メアリの手にしているフラガラッハは、なおも不気味な、瘴気ともいうべき空気を纏って、闇夜に光っている。それは、透明な羽根を持つ蛾のようにも見えた。あまりに禍禍しい姿に、羅貫中の四肢はがたがたと震えた。
「このわたくしを、止められると思ったか!」
ゆらりと足を進め、メアリはフラガラッハを羅貫中に向ける。
逃げるのよ!
頭の中で激しく警鐘が鳴らされるが、羅貫中は動くことが出来なかった。
なんだって、こんなことになっちゃったのかしら。第一、ヴァルキューレに召喚されたことからして、間違いだったのだわ。汎世界から飛び出した、夢の世界の危機を救う、なーんて面白そうだと思ったから、乗ってみたのに、結果がこれですもの!
アタシ、ここで消滅して、下宿先に帰ることになるのかしら。
でも痛いのはイヤ。というより、浅野家はどうなるのよ? あの駄犬の陳寿はどっかへ行っちゃったままだし、このままじゃ世界は、確実に破滅するわ!
だったら、足を動かして、と羅貫中はおのれを励ましてみるのだが、足が別の生き物になってしまったかのように、まったく言うことを聞かない。
あらたなオリキャラ! ええと、ええと、貂蝉? だめ、戦えないじゃない! 相手が男ならともかく、女には効力なし!
フラガラッハの剣先が光を放つ。
ああ、もうおしまい、とぎゅっと目をつぶったとたん、体がふわりと浮き上がる感覚があった。
吹き飛ばされて、もしかして痛覚をおぼえる暇もなく、下宿先に強制返還されているところかしら。だとしたら、運がいいわ。
「目を覚ませ! 気絶されると、重くてかなわぬ!」
その叱咤する声に目を開くと、唸り声を上げる風が、まっすぐ双眸にぶつかってくるのを感じた。
どん、と鈍い音が下方でして、一瞬、校舎の一部が破壊されたのが、闇夜に浮かび上がる。
なぜ自分が上空にいるのかはわからなかったが、いまの一撃は、自分が食らうはずのものであったことは、羅貫中は理解した。
自分の身体を支えているのは、半透明な白い体である。
「陛下! 処女王さま!」
「敵を前にして目をつぶる奴がおるかえ。そなたが攻撃型であったなら、そのまま見捨てて逃げるところじゃ」
「だって、アタシ、こういうタイマン勝負って、経験ないんですもの!」
エリザベスは、闇を突っ切るようにして、羅貫中をかかえたまま、天空高く飛び上がっていた。
半透明のエリザベスの体の向こう側に、仙台駅を中心とする町のネオンが見えた。思わず羅貫中はぶるりと身を震わせる。寒さと、恐怖のためである。
「空を飛べたのですか? だったら、最初から、みんなを抱えて空へ逃げればよかったのに」
「莫迦を申せ。わらわにはもともと、飛行能力はない。風雷を操る人間ならともかく、わらわは風に乗っているのではない。単に、アストラル状態であるから、重力に関係なく動けるだけぞ。そなたをこうして抱えておるのも、霊力を使用してのことじゃ」
「申し訳ございません。過ぎた口を叩きました」
「よい。それより、教会とは、あれかえ?」
と、エリザベスは高度を落して、学校の隣の裏山にある、赤い屋根の教会を見下ろす。赤い屋根、といっても、いまの羅貫中、そしてエリザベスには、電柱の明かりがぼんやりと映し出す光景を頼りにするしかなかったが。
「プロテスタントの教会のようじゃな。ふん、ますますメアリには近づけまいよ。ゆくぞ」
エリザベスは一気に高度を落すと、ヘリコプターのような勢いで、ぐんぐんと教会へ降りていく。
そのすさまじい光景と、胃腸の辺りをぐっと刺激する浮遊感に、羅貫中犬は悲鳴をあげたい気分であったが、ぐっとこらえた。
それというのも、自分の身体を抱えるエリザベスの手が、だんだんと力を無くしているように思えたからである。
気のせいではあるまい。
霊力を一気に解放し、メアリの攻撃を凌いだとはいえ、残量の霊力はのこりわずか。そのうえ、慣れぬ飛行をして、さらに霊力を消費している。
この女王は、いま消滅寸前なのだ。
地面に降り立つと、やはり女王は、荒く息を吐き、しばらく手足をついて、ぜいぜいと肩で息をした。
これでアタシが人間なら、背中をさするくらいはできるのに、と羅貫中犬は残念に思いつつ、優美な尻尾を振ってみる。
すると、脂汗を流しながらも、つぶらな瞳をした勝気な女王は言った。
「このことは、この中にいる者たちには告げてはならぬぞ」
「ええ、ですが陛下」
「ならぬ。見ての通り、わらわはじき、消滅しよう。わらわはもともと攻撃型ではない、補給型のアトラ・ハシースとして、みなの援護に回るべき位置にいた。
このような壊滅状態において、この世に留まっていたのは、わらわの意地のみじゃ。よいか、約束せい。中にいる者たちは、まだ戦うことができよう。戦いに集中させてやるのじゃ。わらわのことで気を逸らさせてはならぬ」
羅貫中は、エリザベスの気高さ、女王としての真の優しさに触れ、思わずつんと鼻の奥が痛くなるほどに感動した。
「さすが日の沈まぬ大帝国の女王ですわ! アタシ、感動いたしました」
「あとでわらわの伝記を書いてもよいぞ。そなたには特に許してつかわす。さて、中に参ろうぞ」
エリザベスは立ち上がったが、そのときには、さきほどの疲れ切った様子はなく、凛と背筋を伸ばした、堂々とした女王の立ち姿であった。
教会のぶ厚い木の扉を開くと、真正面に、モダンな先鋭的なデザインの祭壇が目につく。カトリックの教会とちがい、仰々しい装飾のないプロテスタントの祭壇である。中央には、浮き彫りにされた白い十字架があり、来訪者を出迎える。
そして、参列席には、浅野一子、趙子龍、床に横たえられた最上アキラ子、そして参列席でうずくまるようにしているヨーコの姿があった。
牧師館と祭壇は離れているらしく、窓から見えるこじんまりとした建物には、灯りがついていない。運がよいことに、牧師夫婦はどこかへ出かけているのだろう。信者のために開け放たれた祈りの場が、こうして緊急避難所になっているのである。
アコはすっかり意識を失い、倒れているが、それが死者だと説明されても、納得できる顔色の悪さであった。まして寝かされているのが祭壇の前なので、なおさらである。
趙子龍は、アコの傍らに立ちながら、むっつりと黙り込んでおり、ヨーコは参列席で膝を抱え、己の額を前列の背もたれに預けるという姿勢のまま、顔を上げようとしない。
あきらかに、なにかがあった、とわかる空気である。
そのなかで、浅野一子が所在無げにおろおろしているのが見えた。
「一子、よく言いつけを守ったわね!」
いいながら近づいていくと、普段は無表情ながら、その実、感受性のつよい娘は、羅貫中犬の姿を見て、駆け寄ってきた。
「良かったー! もう二度と会えないんじゃないかと思ったよ!」
「英霊の一人たるこのアタシが、そんなに簡単に、いなくなるわけがないでしょう?」
「わらわの助けがあってこそのことじゃ」
エリザベスの言葉に反応した一子は、シェットランドシープドックの横に並ぶホロゴーストに、あんぐり口を開けたまま、固まってしまった。
「一子、この人が、アタシを助けてくれたのよ」
「あ、ありがとうございまふ」
一子はかろうじてそれだけ言ったが、エリザベスは、よろしい、と一言かえして、軽やかに歩を進めた。
純白のドレスに、太陽の陽射しを凝固したような黄金の巻き毛をしたエリザベスがあらわれると、場所が教会というだけに、さらに彼女の威厳が増すように見えた。
「なにかあったようじゃな」
「無事だったか、良かった、陛下」
趙雲のことばに、エリザベスは、満足そうに頷くと、うなだれたヨーコと、そして不機嫌な趙雲を見る。
「見るからに、何事かあったと判る様子じゃな。そなた、二千年近い時を生きたアストラルの癖して、この娘を苛めたのか」
「苛めたとは人聞きの悪い。真実を話しただけだ」
「真実かえ。真実などというものは、たいがいが人を傷つけ失望させるもの。わらわにも話してみい」
「なぜ」
「わらわが、そなたらの危機を救った恩人だからじゃ。わらわは、そなたから、諸葛孔明が、なにゆえ最上アキラ子なる娘の肉体に封印されるに至ったかの経緯を、くわしく聞いておらなかった。
聖剣アスカロンの力が働いたというのは知っておる。が、なぜに、その娘なのじゃ。ここが中国で、その娘が子孫だというのならば理解もできるのじゃが」
「もしかしたら、どこかで繋がっているのかもしれん。面差しが似ているからな」
「ロマンだわ!」
作家の血がうずいた羅貫中犬が思わず口を挟むと、エリザベスと趙雲の双方からするどく睨まれた。
「ごめんなさい、お話を続けてくださいな」
「うむ…世界がループしたことは、すでに二人には説明してある。このねじれた時間軸のなかで、何が起こったかもだ。だが、この世界がうまれた原因は、言っていない」
と、趙雲は羅貫中犬を見て言う。
羅貫中は、その視線を受け、感謝して、目礼した。一子に世界の成り立ちを説明するのは残酷すぎる。趙子龍も同じように判断してくれたらしい。
あらあら、アタシが書いたどおりのいい男じゃないの。
「前の12月で、あたしが、アコを填めて、男たちに襲わせたって、マジなの?」
参列席に身を沈ませたまま、暗い声でヨーコが言った。
「何度も言わせるな。俺は事実しか言わぬ」
「あたし、そんなことしない」
「したのだ。そして、アコが辱めを受けたあと、自殺するか否かの賭けまでしていた!」
「してないよ!」
「でも、最上さんが連続少年殺害事件の犯人を目撃したって聞いて、あんた、お父さんに頼んで、警察に手を回させて、護衛をつけさせなくしたでしょ? 最上さんの寿命がいつまでかって賭けたじゃない! そういうことするんだもん、前の12月で、そういうひどい賭けしても、おかしくないよ!」
一子が言うと、ようやくヨーコは顔を上げたが、その顔は、泣きじゃくったあとらしく、マスカラやアイシャドウが溶けて、泥遊びをしたあとのパンダのようであった。
「うるさい、アサノ!」
「うるさくて結構! なにさ、いっつも最上さん苛めていたくせに! ここへ来て、責任逃れ? 最上さんも、あんたなんか放って、すぐに教会に逃げちゃえばよかったんだ。そうしたら、そんなふうに、意識不明にならなくって済んだのに」
一子は、自分で話しているうちに、興奮してきたらしい。最後には涙声になった。
「あんたが自分になにをしたのか知らないまま、このまま起きなかったら、可哀想だよ!」
「落ち着きなさい、一子、最上さんは死なないわ。そうでしょう?」
と、羅貫中は趙雲に目を向けるが、趙雲は気まずそうに目を逸らす。
「死んでるんでしょ、アコ」
陰鬱な声でヨーコは言った。
「あたしが、悪ふざけして、男をけしかけたから、逃げようとして、青葉山のガードレールから崖下に転落して、死んだって。いま生きて動いているように見えるのは、諸葛ナントカって人が、アコの代わりになってエネルギー補給しているからだって」
それを聞いて、羅貫中は合点した。
そもそもこの世界は、虐げられた者たちを癒すための世界。ループが開始されたとき、聖剣アスカロンは、傷ついた魂を癒すため、そして世界の原因たる千台家のもう一人の犠牲者を救うため、アトラ・ハシースをその肉体に封印したのだ。
それが最上アキラ子に封ぜられた諸葛孔明、というわけだ。
「つまりなにか、そなたは友を裏切り、男たちに差し出したというわけかえ? 女の敵は女とは、よう言ったものじゃ。なにゆえそのような真似をした?」
エリザベスの詰問に、ヨーコは涙をこぼしながら、それでも勝気に言った。
「覚えてないよ! 遊びだったんでしょ!」
「なんと、呆れたものじゃ」
「全部遊びだよ! 悪かったよ、ごめん、謝る! どうやったら許してもらえるの? アコ、生き返るの!」
「子供の理屈だね! まず反省したら!」
「うるっさい、アサノ! 反省してるよ! だから泣いてるんじゃん! 言っとくけど、あたしが人前で泣いたのなんて、保育園以来なんだからね!」
「逆ギレ? 最低! あんた、反省の意味わかってる?」
甲高く怒鳴る一子の手を、羅貫中犬は押さえて、言った。
「やめなさい、一子! ともかく、事情はわかったわ。趙子龍さま、当山孔真君はお目覚めになるのでしょうか?」
「アスカロンの封印の力が強すぎるので、最上アキラ子の意識が先に出るが、あくまで肉体のみがアキラ子で、生命そのものは諸葛孔明だ。
見通しが甘かった。アキラ子の身体は、日を追うごとに朽ちつつあるのだ。それをアトラ・ハシースの体として、孔明の霊力が作り直している。そのために、霊力のほとんどが消費されてしまっているのだ」
「つまり、最上アキラ子の精神のほうが、じき、追い出されてしまう、と」
「最上アキラ子は、聖剣の力で生き返ったのではない。『仮の命』を与えられただけに過ぎないのだ。吸血鬼を攻撃した、あの紫水晶は、そのバランスを保たせるためのものだった。あれがなくなり、鏡の攻撃を受けた以上、最上アキラ子は『死者』としてしか存在できなくなった。
それに、アトラ・ハシースとしての孔明の記憶が一気に流れ込んだら、只人には耐えられまい」
と、ここで趙雲は深くため息をつく。アコを見下ろすその目には、深い悔悛の情があった。
「俺も孔明も、勘違いしていたのだ。てっきり、霊力で、アコの身体を保たせているのだと思っていた。だが、あれほどの霊力を扱えるということは、アトラ・ハシースの肉体に変わりつつある、ということだ。この世に存在してはならぬものになりつつある」
「基本世界の最上アキラ子は、今、この時点では死んでいるのじゃな」
「そうだ。おそらく汎世界においても、似たような事態に陥っているはずだ。いや、そうでなければならない。最上アキラ子の生きている、この世界が突出して異常なのだ。しかも、その原因が孔明ほどの高位のアトラ・ハシース。またいずれ、汎世界に影響を及ぼすぞ」
「つまり、汎世界のそこかしこで、最上アキラ子にまつわる奇跡が発生しつつある可能性がある、ということか」
「基本世界の肉体に、最上アキラ子の魂を還してやれば問題ないわけでしょう?」
羅貫中犬が言うと、趙雲は、だめだ、と首を振った。
「そうすれば、単に事態を交換しただけの話になってしまう。基本世界では、最上アキラ子は一命を取りとめ、この世界では死んでいる。どちらにしろ異常だ」
「困ったわね。それじゃあ、このまま目が覚めないほうが、世界のためにはいいってこと?」
「しかし、聖剣はそれを望まなかった。だからこそ、ほかのだれでもない、孔明を使ってアコの生命の補填に当たらせたのだ」
「聖剣って、なに? 武器じゃないの?」
一子の問いに、エリザベスが答える。
「古来、鍛冶師は剣を打つときに、膨大な霊力を剣に込める技を持っていたのじゃ。そうして鍛えられたうち、さらに年数を経たものは、剣自体が独自の意志を持ち、動き始める。道具が心を持つのじゃ。
剣の場合はさらに特殊で、アトラ・ハシースを凌ぐ霊力をほこる剣もある。東西あまねく伝わっている、世に平和をもたらす王を選ぶという、選別の剣の伝説。あれは、凄まじい霊力に耐えられる人間でなければ、剣を手にすることができなかったがゆえ、生まれた話ぞ。わが国ではアーサー王伝説が有名じゃ」
「古くは、アレキサンダー大王の伝説もあるわね。手にすれば、巨大な力が手に入る。その代わり、代償も大きい。実際に、アレキサンダー大王は早死にしたし、アーサー王は部下たちの造反にあって、孤独な最後を遂げたわ」
「つまり、われらの言う聖剣アスカロンとは、それ自体が意志を持つ、もうひとりのヴァルキューレのようなものなのじゃ。聖剣アスカロンも、この世界の存続を願っている。だからこそ、荒療治ではあるが、死人を生き返らせるために、アトラ・ハシースの霊力を使って補おうとしたのじゃ」
「むずかしい話はわかんないけどさぁ」
と、ヨーコが暗い顔をして言った。
「つまり、このまんまじゃ、アコの居場所は、どこにもないってことでしょ? あたしのせいで」
「端的に言うとそうだ」
趙雲の言葉に、ヨーコは唇をかみ締めると、ふたたび額を参列席のせもたれに預けて、言った。
「なら、あたしの身体を使えばいいじゃん」
「なんだと?」
「あたしが原因なら、あたしが責任とって死ぬよ。アコも、あたしの体じゃイヤかもしれないけど、そうしたら生きられるよ。駄目かな」
「駄目も何も、そんな簡単に、魂を移し変えることなどできぬ!」
趙雲は鋭く言うが、エリザベスは、興味深そうに、ヨーコを見る。
「殊勝な心がけぞ。いま言うたは、本心であろうな?」
「嘘じゃないよ。いいよ、生きていたって、なんだか迷惑かけまくるみたいだし。レティクルだっけ? そんなののイブになりたくないしさ」
「ふむ」
と、エリザベスは、なにやら考え込んでいる。そのつぶらな瞳が、なにやら悪戯っぽく輝くのを見て、羅貫中は、女王がなにを考えているのかを察した。まさか。
「よし、そなたの身体は使わせてもらおう。ただし、試運転として、わらわがそなたに乗り移る」
「莫迦者! そのような暴挙を許せるか!」
「わらわに向かって、莫迦とはなんじゃ!」
激しく視線を戦わせる、趙雲とエリザベスであったが、そこへ凛とした声が割って入る。
「よい考えかもしれぬ」
一同がぎょっとして視線を移せば、祭壇に寝かされていたアコ、つまりは孔明が、起き上がっていた。
羅貫中は、最上アキラ子という形を取ってはいるが、本物の諸葛孔明にはじめて接し、感動で背筋が震えたほどであった。
少女の姿をしているのが、かえってその神秘性を高めているようにさえ見える。現世の少女の外貌の内側から、光明がにじみ出るような、華やかな空気を纏った人物。それが諸葛孔明であった。
趙雲は、すばやく孔明を助け起こすべく、手を添える。
孔明はその手を取り、そして真っ直ぐ趙雲を見る。
事情を知らなければ、いささか時代めかした恋人同士に見えなくもない。
「どうなっている。アコは?」
「眠らせた。鏡の力で、アコの霊は本来ならば、吹き飛ばされて冥府に行くべきところであるが、わたしの霊力で繋ぎとめている状態だ」
そうか、と渋い顔をする趙雲に、百合の花のように白い顔をした孔明はいう。
メアリとの対決で、ほとんどの霊力を使い果たしていたはずなのに、短い間に喋れるまで霊力が回復したのだ。それだけ、孔明が霊力の扱いに長けているということでもあり、いかに世界から霊力をくみ上げる力が強いかを示している。
「子龍、只人となっているあなたには判らないかもしれないが、女王は消滅寸前なのだ。我々を逃がそうとしたときに、霊力のほとんどを使ってしまった。いますぐ消滅してしまっても、おかしくない状態だ」
「なんだと?」
趙雲がエリザベスを振り返るが、エリザベスは、肩をすくめるような仕草をしてみせるだけだ。
羅貫中犬は、よほどエリザベスがどれだけ忍耐力を駆使しているか、趙雲らに説明しようかと思ったが、口を開きかけたとき、エリザベスに目で制止され、思いとどまった。
「それに、ヨーコの体にも異変が起こりつつある。霊具の影響が出始めているのだ。どうだ、身体が熱っぽいだろう」
孔明の問いに、ヨーコは頷く。
「すこし。それに気持ち悪い」
「感情が不安定になっているのは、『真実』を知ったから、というだけではない。霊具もまた、わたしがアコの肉体に及ぼしている影響を、ヨーコの身体にももたらしているのだ。霊具と彼女を引き離す手段がわれわれには思い浮かばぬ以上、女王を守りにして、ヨーコの生命を守るというのは、よい考えかもしれぬ」
孔明の言葉に、趙雲は反駁した。
「しかし、いくら聖霊が取り憑くとはいえ、憑依は依りましの負担が大きい。修練を積んだ巫女というのであればともかく、只人には、耐えられまい」
「だから、なるべく早く世界の正常化を計るのだ。いまは一人でも戦力が欲しい。女王が消滅するのは痛い。ヨーコの肉体を器にして、ふたたび霊力の補給をするのだ。ヨーコに負担はかかる。だが」
と、孔明は、じっと複雑な面差しで、アコの肉体を見つめるヨーコを見た。
「覚悟はよいな? 生きながらアトラ・ハシースと肉体を共有するのだ。かなりの肉体的負担を負うことになろうぞ」
「いいよ。それで、アコを助けられるかもしれないんでしょ?」
「よろしい。そして、渡航禁止命令を解除し、ヴァルキューレを召喚する。そして、基本世界で『戦士の角笛』を吹くのだ。あれには時間を遡らせる力がある。最初の最初に戻り、アコの命を救うのだ。基本世界は、汎世界全部の基盤。基本世界が変われば、汎世界もいっせいに変わる」
それを聞いて、趙雲は、ため息をついた。趙雲の手に重ねられている孔明、つまりはアコの手は、血の気がまったくない。
それどころか、寒さのためか、あるいは熱があるのか、かすかに震えているようだ。
「おおざっぱな計画だな。おまえらしくもない」
「だが、基本方針は間違っていないだろう。ほかによい方策がない。どうであろう、陛下」
「そなたが諸葛孔明かえ。わらわも、そなたの考え以外に、よい方策はないと思うぞ」
「ありがとう。だが、あなたとヨーコの場合は、条件がつく。あなたがヨーコの肉体に留まるのは、一定時間のみだ。アコとちがって、ヨーコは生きているのだ。あなたとヨーコと話し合って、肉体の共有に関して時間を決めるがいい」
「妥当なところじゃな」
「急いだほうがいいわ。いまだって、かなりキツイはずよ」
羅貫中犬が言うと、大人しくしていたヨーコが、ぎょっとして振り向いた。
「ええ、いますぐなの? ほら、映画の黒魔術みたいにさ、蝋燭立てたり、魔方陣書いたりしなくていいわけ?」
「ろくでもない映画を観ているようじゃな。そのようなもの、不要ぞ。覚悟はよいかえ」
うろたえるヨーコの前に立つなり、エリザベスは、その額に手を添えて、憑依の呪文をとなえはじめた。
「ちょっと待って!」
「待てぬ。実はかなり苦しいのじゃ」
とたん、半透明の体が白い光を放ち、やがてエリザベスという魂の影だけになると、一気に吸い込まれるように、ヨーコの額から中へと侵入した。
ヨーコは、がくんがくんと、何度か大きな痙攣をくりかえす。
そしてそのまま、参列者席に崩れ落ちてしまった。
「失敗か?」
「いや、大丈夫だ。ヨーコの体がショック状態におちただけだ。直に目覚めよう。しかし、今夜はどうするかだな」
「うちに泊まりに来て、って言いたいところなんだけど…」
一子は、趙雲、孔明、倒れているヨーコ(エリザベス)、羅貫中をそれぞれ見回した。
「お布団が足りないと思う…」
一子の言葉に、孔明は笑みを浮かべて言った。
「ありがとう、気持ちだけ受け取らせてもらう。君は羅貫中と一緒に、自邸へ帰るのだ。ヴァルキューレが張った結界があれば、君と君の家族は無事だ。我らが集ることで、かえって自宅がレティクルたちの攻撃拠点になってしまうことのほうが、リスクが大きい」
「となると、俺たちは、最上家に戻ったほうがいい、ということだな」
「そういうことだが…あんまりあそこには戻りたくないな」
「五橋のマンション? たしか、五橋公園のすぐ側でしたわね?」
羅貫中は、肝心なことを言うことを忘れていた。あわてて孔明の前に進み出る。
「実はわたくし、銀のヘンテコどもに襲われた際、ヴァルキューレと話をいたしました」
そして、羅貫中犬は、ヴァルキューレが呪いを掛けられてしまっていること、『完全なる者』の結界があるために、五橋公園から脱け出せないで一日苦しんだこと、脱出した際に、金髪青年に救われたが、その青年が、なぜだか自分を殺そうとしたことをすべて話した。
「金髪の? まさか、吸血鬼か?」
「いや、ちょうどその時間は、おまえと吸血鬼が対峙していた頃だ。吸血鬼の従者だろうか」
「アトラ・ハシースを殺そうとするなど、恐れを知らぬ大胆な奴だな。レティクルか、吸血鬼か、それはわからぬが、敵と見なしてよかろう。なるほど、となると、ますます五橋には戻らぬほうがよいな。わたしが、五橋において、記憶が曖昧になる理由がわかった。『完全なる者』の結界があったからだ」
「ラ・ピュセルが近くに?」
「いいや、気配がちがう。おそらくは、われらの中で、まだだれも接触できていない、最後に召喚されたアトラ・ハシース、ムスタファ・ケマル・アタチュルクであろう」
「うん? アタチュルクとは、たしかトルコ人ではなかったか?」
趙雲の問いに、孔明は首をかしげる。
「それがどうした」
「いや、たしか、最上家の隣に住んでいるのはトルコ人だぞ」
「なぜ知っている? というか、なぜ先にそれを言わぬ! それがアタチュルクだ!」
「おまえが…アコが言ったし、実際に、俺も会ったのだが、まったく判らなかった。すまない。なぜだろう」
「さすが『完全なる者』だな。わたしの記憶も分断されている。そこまで言われても、なにも思い出せない」
「『完全なる者』は、攻守ともに最高の力を発揮できる、ヘラクレスの系譜の人々。僭越ながら、当山孔真君の力をも封じてしまったとしても、いたし方のないことですわ」
「アレクサンダー大王、ユリウス・カエサル、ナポレオン・ボナパルト、そしてケマル・アタチュルク。地中海に面する地域に大英雄が多く生まれるのは、人でありながら神にまで昇華した、黄金の人々の大英雄・ヘラクレスの血脈がいまも残っているからだ。
そうか、はじめて経験したが、これが『完全なる者』の『完全』たる所以なのだな。『完全なる者』は、おそらくレティクル側の攻撃を避けるために、それこそ、『完全な』結界を張ったにちがいない。だが、世界がループしたときに、己の記憶が封印されて、敵も味方も遮断してしまう結界を張ってしまったのだ」
「待て、しかし金髪の男は、羅貫中を殺そうとした。つまりは、メアリ同様に、レティクル側になったということだろうか」
「決断するのはまだ早い。霊力の強いものすべてを、敵と見なしているのかもしれない。接触が必要だな」
「だが、相手が記憶を失くしているのならば、万全を期したほうがいい。身体を休めて、霊力を補給するのが優先だ。こうなると五橋のマンションには、やはり帰れないな」
とはいえ、所持金の乏しい二人では、場末の旅館すら泊まることが難しい。
生活費を一晩でほとんど使ってしまう、というのは痛い。
悩んでいると、倒れていたエリザベスが起き上がった。
「千台家の経営するパワーストーンショップの二階が空き家となっておる。そこは、敷地ごと千台家の所有となっておる。ショップの従業員は店の奥の休憩室を使うので、二階には滅多に上がってこぬそうじゃ。
今宵は、みなでそこで泊まるが良策であろう。店には、ある程度霊力をもつ高価な石も揃っているようじゃ。急場凌ぎではあるが、結界をつくり、ともかく、わらわと、諸葛孔明は霊力の保全を最優先に動くのじゃ」
めまいがするのか、頭を振りつつ、ヨーコの肉体に憑依したエリザベスは言う。
「女王、気分はどうだ?」
「頭痛がする。慣れるのに時間がかかりそうじゃ」
「そうか、あまり無理するな」
趙雲が言うと、エリザベスは、気丈に、なんの、と笑みをむけた。しかし、当人の意思とはうらはらに、その笑みには力がない。ヨーコの拒否反応が強いのだろう。
エリザベスという異物の侵入に、ヨーコという暴れ牛が大騒ぎしている状態が、いまの千台ヨーコの体内の様子である。
「千台家は仙台市内のあちこちにさまざまな店を持っており、この娘は、それぞれを好きなように、遊びの拠点として使っていたようなのじゃ。だから、鍵を持っておる」
「あー、そういえば、うちは、家があっちこちにあるって自慢してました」
と、一子は呆れ半ばに言葉を挟む。
「千台家とレティクルが繋がっている可能性があるぞ。敵の本拠地に自ら飛び込むのか」
趙雲が異議を唱えると、孔明が言った。
「このまま、ああかもしれない、こうかもしれないと頭を悩ませるより、あえて敵の出方を誘うのも手かもしれない。メアリ・スチュワートはレティクルを裏切って孤立したのだし、なにより、レティクルが守ろうとしている千台ヨーコは、わたしたちの側についたのだ。不利な一方であった状況が、すこしだけわれらに有利に動いた。いまは力を蓄え、あらたな局面に備えよう」
「ラ・ピュセルを我が物にせんとする吸血鬼、世界を破壊しようとするレティクル、アトラ・ハシースを殺そうとした謎の金髪男…これだけか? ほかに敵はいないだろうな」
ぼやく趙雲に、孔明がふと、眉をひそめて尋ねた。
「そうだ、とっさに呼び出してしまったが、仕事のほうは大丈夫か」
「配達はほとんど終わっていたから、問題ない。だが、日報を書いてない」
その声を受け、エリザベスがえへんと胸をはって口を挟む。
「安心せい、タイムカードはわらわが押してやった」
「ありがとうよ。だが、日報は必ず書いていけと念を押されていた」
「すまない、クビかもな…」
趙雲は、しょげる孔明を励ますように、声を立てて笑いながら、その華奢な肩を軽くたたいた。
「ならば、また仕事を探せばよい。元気を出せ。なんとかなる。まずは、この教会から仙台駅にむかって、レティクルとメアリ、そして吸血鬼に見つからないように、移動せねばならん」
「それなら、うちのお父さんが車を回してくれます。あの、携帯でもう連絡してあるから、あとすこしでこっちに来ると思います」
一子の言葉を継いで、羅貫中が言った。
「浅野家の車にも、ヴァルキューレの結界が張ってあります。おそらく、この世でもっとも安全な乗り物ですわ」
「行き届いていることだな。よし、では厚意に甘えて、浅野家の車で移動する。とりあえず、すべては明日、太陽がふたたび昇ってからだ」
孔明の言葉に、一同はうなずいた。
※ この話は、「新ずんだの章 おまけ」につづきます。