仙台ゴールデンポークスの章

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このお話は「仙台ゴールデンポークスの章8のつづきです。

2004年の仙台は、プロ野球球団の誕生という明るいニュースを最後に、あとはまさに、たった一地域だけが、独立闊歩して、地獄の入り口に足を踏み入れたかのような、有り様になってしまう。

まず、記念すべき第一歩が、新聞記者一家心中事件。
仙台港から引き上げられた軽自動車に、三十代の新聞記者をはじめとする、その妻と幼子、さらに姑までもが、一緒にスシ詰めになっていた、というこの事件。
新聞記者が毒物をどこかで手に入れて家族を殺したあとに、自分も薬物を服毒して、そのまま車で港に突っ込んだらしい。
警察の調べで、この記者が、仙台に潜入している薬物を横流しして、ネットで売りさばいている売人(こいつはT北大の医大生で、その後、別件で逮捕された。ネット心中事件において、睡眠薬を自殺者に売ったという容疑である)と、取材を通して知り合いであったことが判明した。
心中に使った薬は、この売人から仕入れたらしいが、当の売人のほうは、容疑を否認している。
事件性が低いということで、全国的にはさほど知られずに終わった事件であるが、実は、この新聞記者の遺体には、複数の打撲傷が発見されていたことは、あまり知られていない。
検死の結果、海に車ごと突っ込んだときに打ったのだ、という見解が示されたものの、なぜ怪我の多くが、背面に集中していたのか、それを説明しきれずに終わっている。

それとほぼ同時期に起こった、山形におけるチャーターバス二台の大事故。
山形の旧家のあつまりがあり、そこに集っていた親戚が、バスで移動する途中に、事故によって、たいはんが即死、あるいは大半が病院に搬送され死亡した。
この事件の不思議なところは、そもそも、これほどの大事故が、なぜ、ほとんどニュースにならなかったのか、ということに尽きる。
しかも事故の原因は不明だというのに、新聞は、この事故をベタ記事ひとつで終わらせて、その後はなんの報道もしなかった。
かくして気の毒な一族は、たった数行の新聞記事で、地上からの抹殺を宣告されたのであった。

三番目。これはいまさら説明するまでもない。仙台少年連続殺傷事件。
被害者の少年は、下は八歳から上は二十三歳。
手口は同じで、みな咽喉を鎌のような鋭利な刃物で切り裂かれ、多量出血による失血死で死亡している。ごくごくわずかな例外を除き、被害者は性的暴行を加えられたあとに殺害されていた。
ただし、この暴行を受けた少年たちのほとんどは、身元不明、あるいは家出少年たちばかりであり、『まっとう』な少年たちは、暴行を受けずにただ殺害されていた。
あきらかに犯人による、なんらかの選別理由があるらしいと、わかった時点で、マスコミは、過去に少年に対するいたずらの前歴をもつ性犯罪者の所在を明らかにすべきだというキャンペーンを張り、この動きに呼応した議員が、国会において研究会まで作って審議したが、犯人の目撃証言(外国人らしい)が出た時点で、この動きは下降を辿る。
代わりに登場したのが、被害者の少年たちの一部に共通する、『家出』あるいは『身元不明』というキーワードに対する謎。
これだけ個人情報がどうと騒がれている状態だというのに、被害者の一部は、なんと、その本名すら掴めていないという、唖然とする事実であった。
警察は、少年の似顔絵を発表し、身元確定にいたる情報を募ったが、いまもって、確定はできていないという冷たい状況。
専属の刑事たちが、宮城のみならず、東北六県の小中学校から高校の卒業アルバムをしらみつぶしにめくっているが、該当者は見つかっていない。
さらに北海道、関東甲信越にまで捜査協力を依頼しているが、これだけ全国的に注目されているにも関わらず、かんばしい情報は、まるでない。
しかも、死体となって衆目に触れるようになるまでの、彼らの仙台での暮らしぶりもまったくの不明で、警察は、完全なお手上げ状態となってしまっているのだ。
犯人と被害者の接点に不明点が多すぎることと、被害者の選別法の不明瞭さ、さらには、仙台市街において集中して犯行が行われているなかでの、目撃情報の少なさゆえに、その犯行がおさまらないうちから、神戸の連続児童殺傷事件を上回る、最悪の連続殺人事件となる可能性があると、ささやかれている。
ただし、宮崎勤や神戸の事件との差は、この事件の犯人は、マスコミを煽ることには興味がない様子である、ということだ。
社会に訴えたいことがあるわけでもなく、まるで日々の糧を得るために殺人を繰り返すような行為に、とあるコメンテーターは、狩人のようだ、と評した。
それは意外に的を得たものであったのだが、残念ながら、彼らが真実を知る日は来ないのである。

四番目の事件は毛色が変わっている。
仙台連続街路樹盗難事件。
これは仙台にあまたある公孫樹の木のひとつが、一夜にして根こそぎ盗まれてしまう、というもの。
いかにも怪しげな神秘家がいうには、キャトルミュートレーションの例もあることだし、仙台に宇宙人がやってきていて、UFOでもって、公孫樹を盗んでいるのではないのか、とのこと。
なぜ楠木や桜じゃいけないのか、という問いには、宇宙人は公孫樹の実が気に入ったのだ、という回答である。
これだけで終わればよいものを、神秘家は口を滑らせたのか、いい気になりすぎたか、仙台連続少年殺傷事件の犯人も宇宙人の仕業であり、いまだ身元の知れない少年は、宇宙人がどこぞから攫ってきた際に、周囲の人間の記憶を消し去ったからだ、と発言。
これには遺族からの猛抗議を受け、以前に、この神秘家が、『ガンが治る』と偽って売りつけた水を買った被害者が名乗り出るなどして、騒動はひどくなり、結局、この神秘家は、徹底的に叩かれた。
ある意味、間違ってはいなかったのだが。

五番目。不倫心中未遂事件。
とある男が、援助交際(死語だと思われていたところに、突如復活する、この奥ゆかしさが仙台である)の末に、別れ話を切り出した女子高生を殺害した、とされるもの。
『されるもの』だ。あくまで。

六番目。仙台駅爆破事件
テロを警戒中であったにもかかわらず、やはり地方ということで甘さがあったのか、土産物売り場にて、観光客らしき人物より預かった手荷物が、突如として爆発。
仙台駅に集っていた乗客および通行人に、多大な被害が出た。
中央エントランスは消失。
歩行回廊は崩れ落ち、新幹線の線路は寸断された。
一日の利用者を二十万人(通行人を含めれば、三十万人は上回る)とする仙台駅での、この大惨事は、仙台空襲以来の悲劇とされ、日本中のみならず、世界をも驚かせた。
当初は、イラク戦争に加担した、日本への報復措置と噂されたが、肝心のアルカイダや、イスラム原理主義者からの犯行声明は出ず、公安の徹底調査にもかかわらず、赤軍派等のテロの動き、あるいはオウム真理教に類似した、宗教団体による犯行の痕跡も見出せなかった。
構内に複数設置された防犯カメラに残された、不審人物の映像なども公開されたが、いまもって、犯人には辿りつけていない。
首相みずから、全国民に、協力要請を、TVなどを通じて行ったにもかかわらず、だ。
日本の国力の低下、警察および公安の、捜査力の低下が問題視されるようになり、まさにこの事件が、『連中』の浮上のきっかけとなってしまうのだ。

七番目。2004年12月24日。最悪の日。



「平塚さん、藤田署長がお呼びです」
おう、と短い返事をして、平塚八兵衛は、ぱたりと黒い手帳を閉ざした。
戦火をも免れた古いビルのなかにある、容疑者も被害者も目撃者も腰かけたであろう黒い、中身の綿のはみ出した長椅子に、平塚八兵衛は座っていた。
ファンヒーターなどという、気の利いた設備のないビルだが、どうやって暖をとっているかというと、宮沢賢治の童話に登場するような、大きな樽型のストーブ(芋も焼ける)でもって、懸命に全体の冷気を追い払っているのである。
ちなみに取調室には、この暖気がなかなか届かず、冬の間は自供率が高くなるとかなんとか。
声をかけてきたのは、新米刑事の千葉慶介である。
千葉は、平塚に話しかけながらも、なにやら自分の背広のニオイを、くんくんと犬のように鼻をひくつかせて、気にしていた。
「千葉ちゃんよ、ファブリーズがだめなら、一日、お香で焚きしめてくといいぞ」
「お香、うちの母が嫌がるんですよね、墓場帰りみたいだって言って。とはいえ、たしかにスーツを新調する金なんて、もうないしなぁ。平塚さん、気になりませんか」
自分で振っておきながら、千葉は、すぐに質問自体に意味がないことに気づき、すみません、気にならないんですよね、と付け加えた。
たしかにそのとおりで、平塚は、臭いだのなんだのと、細かいことを気にしない。
「ところで、その黒い手帳、いつも持っている手帳と違いますよね。たまに見ているようですけど、もしかして、それが噂の平塚ノートですか。未来が書いてあるっていう」
「未来ぃ? どこの莫迦がそんな噂を立てやがったのやら。ほらよ」
と、平塚は、無造作に、真ん中のページを開いて、千葉に見せる。
それを一瞥するや、千葉は、がっかりしたように、げじげじまゆげをしかめた。
「なぁんだ、来年のスケジュール帳じゃないですか。刑事も変な噂に踊らされるんですねぇ」
「おまえの頭ン中の刑事って、どえらいパーフェクト超人になってないか。おまえだったよな、『あぶない刑事』に憧れて刑事になった、って赴任の挨拶をして、刑事部長にいきなり怒鳴られたヤツ」
「怒鳴ることないと思うんですが」
と、千葉は、なにが悪かったのかわからない、というふうに、なぜかキュウリを思わせる童顔を曇らせて、頭を掻いた。

悪い男ではない。
こういう頭の柔らかい図太いヤツのほうが、組織に馴染みながらも、かえって潰されないで生き残る。
だが、ちょっとばかり注意散漫だな、と手帳を仕舞いつつ、平塚は思った。
平塚が眺めていたのは、手帳の最初の部分、1月に関するページだ。
もしそこを見ていたなら、千葉は、それこそファティマの予言書を見てショック死したというどこかの法王さまのように、この薄暗いおかげで小汚さがカバーされている廊下で、天に召されたかもしれなかった。
2005年。
仙台は、死屍を積み重ねて作られた階段を這うように進んで、ようやく新年を迎える。
しかし、あらたに迎えた旭日は、とてもではないが目出度いものではなかったのだ。
平塚の手にしている手帳には、最悪の12月を越えて、ようやく1月を迎えた人間の、嘆息と怒りと、閉塞感に対する苛立ちが籠められている。

これは基本世界の平塚八兵衛の記録なのだ。

この世界が12月を繰り返しているあいだに、先に1月に進んだ、別の世界の記録である。

「署長、なんか言ってたか」
「目撃証言はもう一度洗いなおしたほうがいい、って。平塚さん、それで怒られるんですか?」
「かもしれねぇなぁ。会議もサボリがちだったし」
「そりゃ、毎日、牛タンを食ってりゃ怒られますよ。でも、洗い直しで事件の捜査に復帰できるなら、ラッキーじゃないですか」
「ラッキーってな、いまどきあんまり使わねぇだろ。おまえ、若いくせに、そういうの疎いな」
「え、使いませんかね。古いのかな。ともかく、現場報告終わったんで、僕もいろは横丁のガス爆発のほうの応援に行ってきます」
「そうそう、いろは横丁のほう、怪我人はどれくらいだって?」
「みんな軽い怪我人ばっかりだったって。コンクリートの塊を頭に直撃した人間もいたそうなんですけどね、不思議とかすり傷程度で終わっていたそうなんですよ。救急隊員が、みんなして頭をひねっていたそうですよ。奇跡みたいだ、って」
「奇跡かねぇ。信じるかい、千葉ちゃんよ」
「奇跡が起こるんなら、少年連続殺傷犯を捕まえさせて欲しいですけど。古いビルだったそうなんで、ガス管が緩んでいた可能性もあるとか。
死体がないだけ、いい現場かな。被害者の家族に、訃報を伝える電話をしなくていいわけですしね。それじゃ、復帰します。平塚さんは、証言者に、もう一度連絡取らないと、ですね」
千葉は、どうやらビルの爆発事件に行くよりも、平塚に付いて行きたそうな顔をしていたが、平塚は、それをすげなく断った。
「猫の手も借りたい状態で、おまえみたいに一番若くて体力あるやつが、最前線で頑張らなくてどうする。しっかりやれよ。今度、牛タン奢ってやるから」
「牡蠣フライのほうが好きなんですけど」
などと軽口を叩きながら、千葉は離れていった。

さて。
平塚は、軽く伸びをすると、仙台中央署署長・藤田恵の待つ署長室へと足を運んだ。
藤田は、正午過ぎにあらたに発見された、少年連続殺傷犯の被害者とおぼしき、三人分の死体についての報告書に目を通していたが、平塚が入ってくると、銀縁の眼鏡を外して、手で、ソファに座るようにと指示をした。
しかし、平塚はそれを断り、立ったままでいた。
藤田恵警視は六十すぎの男である。
制服を脱げば、どこかの温厚な初老の男に見えただろう。
東北大学を卒業後、順当にキャリアを積んで、署長の地位のまま、定年を迎えようとしている。
だが、その丸いつぶらな瞳は、平塚を見るなり、重く厳しいものに代わった。
前置きもなしに、ぴんと背筋を伸ばした藤田は、平塚に問う。
「対象は」
「依然として問題なしです」
「山形の親族からの連絡もないようか」
「ありません。あったら、おそらく逃亡を計っているかと」
「問題がないのならばいい。貴重な証言者だ。今後も目を離すな。学校を休学中というのは、むしろ好都合だな。留年になってしまう可能性がまだないのであれば、今年いっぱいは、少年連続殺傷事件が収束するまで、大人しくしてくれると助かる」
「収束ですか。目撃情報に問題があると、千葉が報告しませんでしたか」
平塚がいうと、藤田は眉をよせて、口をヘの字にして言った。
「他人事のように言うものだな。目撃者の事情聴取をしたのは、おまえだろう」
「そうですがね、あの二人、最上亮子とトルコ人は、嘘はついていませんよ。まあ、もう一度話を聞けというのなら、聞きに行きますが」
「まったく、どういう因果だ。呪われているとしか思えないな」
「オカルトはいけませんや。ぜんぶ繋がっているんですよ」
平塚が軽口を叩いたと判じたのか、藤田は、冗談として笑ってよいものか、それとも無視すべきものなのか、どちらとも付かない、というふうに唇をゆがめた。
「例の占い師だか、オカルト愛好家だったか? そいつみたいに、なんでもかんでもこじつければ、繋がるだろう」
「樽宮玄が逮捕された際の報告書を読みました。たしかに族同士の抗争で、鎌は持ち出していますが、刃を丸くした、殺傷能力のほとんどないものだった、ということですね。いまどき鎌、という理由に関しては、家にそれしかなかった、とか。
相手がチェーンソー持ち出しているのを見たら、対抗しなきゃと焦って、ドスでも鎌でも持ち出しますわな。ちゃんと鎌の刃の先を丸くしておいているあたり、良心的ともいえませんかね」
「とはいえ、昔悪かったツケが、親族に回ってきておるわけだ。樽宮のところは、現状どおりとして、例の新聞記者のほうは」
「あの記者の上司だったという男、こいつが見た目は大人しいのに、さすが根っからの東北人。やたらとねばりがありましてね。納豆みたいに、なかなかしつこいんですわ。こりゃあ、かえって無碍にして孤立させるより、こちらの協力者にして監視したほうがよくないですかね」
「口は堅そうか」
「保障します」
平塚の言葉に、藤田は、しばらく指を交差させて、とんとんと、指の腹で書類を打っていたが、やがて言った。
「では、接触は君に任す。ヘタに動いて、記事にしたりしないように、注意するように伝えてくれ。でないと、部下と同じことになる」
「あの記者は、若すぎたんですよ。先走りすぎた」
「だからといって、一家心中など、絶対に許されん。また同じ目にあわせるわけにはいかん。そこは肝に銘じてくれ」
「それは勿論。しかし、署長も気をつけてくださいよ。いまは、上層部もだれもかれもが、連続殺傷犯のほうに目を向けているからいいが、ヘタにこちらの動きを感づかれたらマズイ。俺なんかは独り身だからいいが、署長はご家族もいるわけですし」
「そんな心配は無用だよ、君」
「いいえ、常に用心はしておいてください。俺の後ろ盾は署長なんだ。なのに、その署長が、なんだか呑気で気が置けないっていうんじゃ、こっちも気をとられてしまいますからね。
ご自宅のほうは、民間の警備会社のセキュリティサービスに加入しておいてくださいよ。あと、お嬢さんがたに、登下校のルートは、毎日変更するようにと、これは徹底してください。どうも、やつは家族もろとも、ってパターンが大好きらしいですからね」
「判っている。早急に君の言うとおりにしよう。君も、あまり無理せんように」
「判っちゃおりますが、突撃するのが昔から好きでして、これはどうも変えられんみたいでしてな。一応、保険として署長に推薦させていただきたいんですが、もし俺に何かあったら、俺の代わりには、千葉慶介巡査長を使ってください。ちょいと心もとないところもありますが、あいつはまっとうな感性を持っている男だ。不正には負けますまい」
「不吉なことは言わんでくれ。まるで遺言みたいじゃないか」
藤田の抗議に、平塚は、どこか不敵な笑みを見せる。
「段取りですよ、段取り。悪いこともいいことも、最初からきちんと決めておけば、いざというときに、おたおたしないで済むってわけです。なにせ相手が悪い。本部長に、治安委員の委員長。
いつのまにやら、この杜の都は、やつらのいいように牛耳られていた。いまのうちになんとかせんと、取り返しの付かないことになる。奇跡は二度も三度も起こせない」
「もちろんだ。奇跡なんぞ、最初から当てにしちゃならん」
「そう、その意気です。それじゃあ、俺はこれから、主任の口封じに、五橋に行ってまいります」
「だれかと組んで行ったほうが、目立たないぞ?」
そうはいかない、と平塚は、心の中で反対する。
なにせ、トルコ人の行方は自分がよく知っているわけだし、話を聞かねばならないのは、女子高生のほうだけだ。
女子高生相手に、この自分がへまをするはずがないのである。
「いえ、大丈夫。死体がまた三つ増えたっていうのに、さらにいろは横丁のガス爆発でしょう。そんななかで人を寄越せなんていったら、また揉めますよ。こんな状況ですし、一人で行動したところで、文句はさほど出ないでしょう」
「くれぐれも慎重にな、慎重に」
了解です、と返答し、平塚は署長室を辞去した。



銀のヘンテコには、恐怖心がないのであろう。
ぼろぼろに崩れた瓦礫の隙間から、ためらいも見せずに次から次へと飛び降りてきては、打ち所が悪くて死ぬものもあるし、たとえ無事だったとしても、びっこを引きながら、なんとか亮と陳寿犬に追いすがろうとしてくるのもある。
悲惨な光景に、陳寿犬は牙を剥くことをためらったが、となりの少女は言った。
「ためらっては駄目よ! あの借り物の命を還してやることが、彼らにとっては救いなの!」
「だれが、あんな嫌な物を作ったのさ!」
「レティクルよ。 基本世界の人類の未来の人たちが、やがて住居にする星の人たち」
「みらいー?」
わけがわからない陳寿犬であるが、悩む間もなく、銀の小人たちは、つぎからつぎへと、トタン屋根の上を、ぱたぱたと足音をさせながら近づいてくる。
陳寿犬は、以前に青葉山で彼らと戦ったことがあるので、どれだけの力加減で、彼らが消滅するのかをおぼえていた。
生前の自分は、喧嘩も武芸もからきし駄目だったのに、面白いほどよく動く自分の体に、面白さをおぼえつつも、やはりどこか釈然としないものを、陳寿犬は感じていた。

一方の亮のほうは、怯えも恐怖もなく、凛とした表情でもって小人たちを迎え撃ち、飛び上がるものがあれば、ため息が漏れるほど見事な一閃でもってこれを切り伏せ、あるいは束になって向かってくるものがあれば、弓のように、ひゅんと聖剣を振るって、その刃の発する波動でもって、小人たちを一網打尽にした。
生前でも、武芸達者な者たちの演武を見たことがあるし、実戦も見たことがあるが、この少女の振るう剣ほどに、雄弁な剣を知らない。
その太刀筋が、動きが、彼女の中にある心の動きを語っているのである。
言葉を発さずとも、彼女がなにを示そうとしているのか、動きだけで伝わってくるのだ。
強い、ということは、素人目にもはっきりとわかる。
動きにまるで無駄がないし、力任せに剣を振るっている、というふうでもない。
風のように軽やかに、それでいて鋭く剣を振るう。
それは、このうえない優美さと、力強さの合致した光景である。
彼女の全身に漲っている自信がそう見せているのだろうか。

「んあ?」
何匹目かを、後ろ足で鹿のように、ぴょんと跳ね飛ばして倒した陳寿犬であるが、ふと見れば、ビルの表面に霜がついて凍っている。
どん、どんと震動がして、崩れた瓦礫の中から、氷の巨人が、姿を現したのである。
そして、トタン屋根にいる亮と陳寿犬を見つけると、ヤニに汚れたその一つ目が、にやりと笑ったように見えた。
「あいつとまともに斬りあっていたら、このあたりがめちゃくちゃになってしまうわ」
すでに、いろは横丁周辺には、警察と消防と救急隊と野次馬が集って、たいそうな騒ぎになっている。
亮は、いろは横丁のトタンの屋根の上から、南に向かう国道48号線に通じる道を見た。
「シグルトたちの気配を、南東のほうから感じるわ。五橋のほうに逃げたのね」
「逃げたのはともかく、あいつをなんとかしなくちゃ!」
「いいえ、あいつはシグルトが召喚したアストラルよ。ヴァルキューレの元を離れたあとに、自分で召喚したにちがいないわ。ヴァルキューレが、魔族の召喚を許すはずがないもの」
「あすとらる? ヴァルキューレ?」
「そう、アストラルを消すには、アトラ・ハシースを先に倒すのが上策ね」
「銀のヘンテコたちも?」
「あれはレティクルよ。レティクルたちを抑えるのは、霊力増幅器となっているクィーンを抑える必要があるけれど、クィーンはいま、ここにいない。
となれば、シグルトのほうが先ね。シグルトは、さきほどの攻撃で、霊力をほとんど使い果たしたはずよ。消すのはいましかないわ」
「消すって? そんな物騒な」
陳寿犬が抗議すると、亮は、味気なさそうな顔を向けてきた。
「どうして? 堕天したアトラ・ハシースを消すのよ。人を殺すのとは、意味が違うわ。彼らを倒すということは、世界の秩序を元に戻すということよ。つまり、多くの普通の人間たちを助けることになるわけじゃない。非難されるべきことかしら?」
「いや、かしら、って、そもそもの状況が掴めてないものでして」
「いいわ。詳しい話はあとでしましょう。それより、シグルトを追うわよ!」
言いながら、亮は「はれ? はれ?」とうろたえる陳寿犬を、かるがると片手に抱き上げて、トタン屋根の上を、それこそ一陣の風のように駆け抜けると、そのまま、アルプスに住まうアルプス・アイベックスも真っ青な跳躍力でもって、ビルとビルを飛び歩き、やがて最短距離でもって、五橋一丁目に到着した。

仙台市青葉区五橋一丁目。
そこは、以前にジルが、最上亮子とケマルに目撃された場所であり、最上亮子のマンションがあるのも、この一丁目である。

※このつづきは「仙台ゴールデンポークスの章 10」になります

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