仙台ゴールデンポークスの章

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このお話は「新ずんだの章7のつづきです。

仙台市青葉区木町『たんたかタン』。12時。
叔母と亮と犬は、まるで同窓会後のカラオケボックスのような、異様な盛り上がりをみせている店内を前にして、ただ呆然としていた。
「日本に来て、なにが一番よかったといえば、これはやはり日本女性の美しさと慎ましさに、じかに触れることができたからだろうな。
当節では、マスコミなぞで、日本女性が強くなりすぎた、などとぼやく向きがあるが、これはいかん。男どもがヘタレすぎるのだ。
強い。おおいに結構。女を大切にできない社会なんぞ、滅びるべきなのだ。だが、腕っ節が強ければよいというものではない。男をうまく操縦する知恵。これだ。外見は薔薇の花弁の如く、しかし中身は岩のように逞しく不変であれ。
おや、指にそんな邪魔者が嵌まっているということは、既婚か。これは残念。いやいや、残念とはいえ、出会えたことが奇跡なのだ。君のために詩を送ろう。
『おまえはこの仙台市役所となりの牛タン屋の薔薇だ
この薔薇こそは薔薇のなかの薔薇
年をかさねるごとに愛らしく咲く薔薇…』」
「なあに、それ、ケマルさん、本当にいま作ったの?」
と、勝手にテーブルを三つくっつけて、ケマルを中心に、牛タンを肴に盛り上がる女性客のひとりが言うと、ケマルは、大きな目をさらに大きくして、気障な仕草でもって、肩をすくめてみせた。
「当然じゃないか。君と目が合った途端、こんな美しい言葉が泉のように湧いて出てきたのさ」

「嘘だよ、ハイネの盗作だよ…」
陳寿犬が呆れてつぶやく。
実際は『おまえは このブレーメン市役所の地下酒場の薔薇だ』である。
※ブレーメン→ドイツの北部に位置する大都市。
老年を理由に不当解雇を受けたどうぶつ(いぬ・ねこ・ろば・にわとり)が集って、音楽隊を結成し、人生の起死回生を狙う愉快な童話で有名。定年を考える会推奨・警視総監賞受賞作(ウソ)。
「盗作っていうか、あのひとなら、インスパイアされたのだ、とか言いそう…」
「牛タン屋というか、ハーレムだよ、ハーレム。男の常連さん、びっくりして逃げちゃったね…」
「アルコールなしで、どうしてこんなに盛り上がれるんだろう…みんな一人で、三人前くらい注文してくれているのだけど」
「儲かれば、この際、文句は言わないわ」
と、これは叔母さんである。
「亮ちゃん、そろそろお店を見に行く時間でしょ? これじゃあ、今日はほかのお客さんは来ないわ。あたしひとりでもう大丈夫みたいだから、出かける準備をなさい」
「違う意味で、叔母さんひとりで大丈夫? というか、この人たち、午後の仕事、どうするんだろう」
亮の心配をよそに、すっかり出来上がってしまっている女性のひとりが、携帯片手に、
「あたしの友達、いま失業中で、超盛り上がって入るから、おいでー、って言ったら、ダッシュで来るって!」
「おお、それは素晴らしい。その友達が、我が心のオアシスとならんことを。ちなみに気配りの君は、わたしにとっての葡萄酒。片時たりとも忘れられぬ魅惑の味だ」
「やあだ、味わったこと無いくせにー!」
と、傍から聞けば、座布団ぜんぶ持っていって、と叫びたくなるくらいのくだらない会話がつづいているが、亮は、陳寿犬を連れて、叔母のいうとおり、外に出ることにした。

12時45分ごろに、ちょうど仙台零高からのバスが、匂当台公園に到着するので、それに乗ってやってくる関根と合流するのである。
叔父は、彼らの新店舗となる、サンモール一番町の壱弐参(いろは)横丁に先に行っているはずだ。

サンモール一番町は、駅のそばの一番町とは別に、ちょうどデパートの藤崎を中心に、Tの字にひろがるアーケードの、南側につづく商店街のことである。
仙台市営地下鉄東西線の普及により、地下鉄のどの駅からも半端にとおいところに位置するこの町は、ほかの商店街とくらべて、どうも忘れられた感がつよい。
実際、学生の街として栄えていた頃の名残である丸善仙台店が、駅前の高層ビルAERの一階にまるまる移動してしまうと、さらに客足が少なくなってしまった。
とはいえ、和楽器の専門店や、知る人ぞ知るグルメな店などが健在であり、廃れるというほどではない。
壱弐参横丁は、アーケードから入っていく、いささか怪しげな雰囲気を醸し出す、薄暗く狭い横丁である。
その隠れ家的雰囲気の界隈に、高級店から激安店、雑貨から定食、うなぎ屋まで、さまざまなものが並んでおり、施設自体は昭和初期、といった風情で古ぼけているが、レトロ好きには高い評価を得ているマニアな地域である。
丸善の移転に伴い、空きテナントが目立つようになった商店街が、学生向けに、格安で店舗を貸し出している。
もちろん、貸し出すにあたっては、計画性や、収入の見込み、経営者のやる気などが問われるわけだが、関根は高校生ながらそれをクリアし(成年が必要なときは、あまり役に立たないものの、叔父がでてきて処理をした)、短期間でパワーストーンショップを開くに至ったわけである。

「でも、なんで石なの? 関根さんって、学校じゃ、あまり石を集めているふうじゃなかったのに」
「そりゃあ、学校は勉強するところでしょう? 石なんか、持っていかないわよ」
と、綱のように太い三つ網みはやめて、長い黒髪をほどいて風に優雅になびかせている関根は言った。
ふたりはいま、公園から、信号を渡って、三越の前を通り過ぎ、右手に一大歓楽街国分町を見ながら、アーケードをまっすぐ歩き、サンモール一番町に向かっている。
黒髪というのは、やはり魔力があるのだろう。持ち主のきっちりしている性格を受け継いで、真っ直ぐ美しく伸びた黒髪は、化粧っ気のない関根本体を、かなり輝かせて見せていた。
たまに男たちが振り返るのを、関根は気づいているだろうか。
「うちね、母がいないの」
唐突に、関根は言った。
「たぶん、なにかの土産物だったんだと思うんだけれど、母が死ぬ前に、南米のきれいな石を集めた箱をくれたの。宝石みたいに綺麗だった。本当は、二十歳の誕生日に、真珠を贈ってあげたかったけど、これしかないの、ごめんね、って。
でも、真珠より、その石のほうが、あたしには嬉しかったのよ。後にも先にも、あたしに贈り物をくれるのは、母だけだったから」
「そうなんだ…お父さんは?」
「うちの父は仕事莫迦だもの。あなたの叔父さんみたいに、ちょっと遊び心がある人だったらよかったな。あたしの石なんて、そこいらにある砂利と同じだと思っているみたい。砂利で商売するのか、って言われちゃったからね」
亮の足元では、亮のつくった服を着たまま、トコトコと付いてくる陳寿犬が、泣ける話ですなぁ、とつぶやいた。
そして、もちろん関根には聞こえないが、亮に小声で言う。
「しかし、斯様な複雑な家庭環境にあればこそ、叔父君を美化してみているのかもしれませんぞ」
「たしかにそれはあるなぁ。関根さん、飾ればすごい美人になると思うよ。既婚の叔父さんなんか見ていないで、ほかに沢山贈り物をくれる男の子を探せばいいのに」
「亮どのが捜して差し上げればよろしいかと」
「あのね、わたしはそういうの、昔からすっごく苦手なの」
「潔癖なのでございますな」
「なんとでも。本当に心の底から好きになれる人って、出会った瞬間に、それと判ると思わない?」
「どうでございましょうか。少なくとも、オレ様はそういう経験ナシ」
「なんだ、仲間じゃない」
「うれしくない…」

「貰ったスペースは、ちょうど、いろは横丁の真ん中なの。アメリカ雑貨のあるお店のそばだから、雑貨目当てで来た人を、ついでに集められると思わない? 
石はね、ただ売るだけじゃなくて、養護学校に一部卸して、そこで作ったアクセサリーを売るの。もともとがほかより安いから、手間賃を十分に払っても、まだ安く売れるのよ。
人助けにもなるし、お願いした学校に、本職のジュエリーデザイナーをしていた人がいてね、その人が、子供やお母さんたちを指導してくれているから、本物の作家並のいいものを並べられるはずよ」
と、関根は、いろは横丁の看板が見えてきたと同時に、亮に説明した。
「チラシは、うちの父にコピー業をしている知り合いがいるから、安くしてもらえるの。店の内装なんかは、自分で考えたわ。店にもう運んであるから、あとで一緒に見てくれる?」
「いいよ。僕の意見なんかでよければ」
亮が答えると、関根はご機嫌らしく、同性もどきりとさせるような、明るい笑みを見せた。
「こうしていると、傍から見たら、あなたとわたしって、付き合っているように見えるかもね」
叔父から気を逸らしてくれるのはありがたいが、自分に対象が移るのは困る。亮があいまいに返事をしていると、関根は、冗談よ、と言いながら、いろは横丁に入っていく。その足取りは軽い。

「パワーストーンかぁ。確かに、最近あちこちで見かけるけれど、本当に売れるのかな」
陳寿犬が、いろは横丁に漂う、独特のにおいに鼻をひくつかせている横で、亮も頷いた。
「彼女のことだから、勝算のない勝負はかけそうにないけれど、どうせやるなら、成功してほしいとは思うな」
「あんまり儲かっても、亮どのは目立ってはいけないのですから」
「そうなんだよね。どうも町の中にいると、自分の身の上を忘れちゃって」
一人と一匹は、そんな会話をしながら、いろは横丁へと入って行った。
はじめて横丁に入った人間の感想は、暗い、古い、怖いである。
怪しい店が並んでいるわけではなし、むしろ仙台が堂々と全国に紹介してもよいほどの店すら入っているのだが、なにせ建物自体が古すぎるのだ。
店のひとつひとつは工夫を凝らして小奇麗にはしているけれど、古さには勝てない。
店には、すでに中古のレンタルレジの使い方を勉強している叔父がいて、亮たちがやってくると、とぼけたことに、いらっしゃい、などと言う。
半分開いたシャッターの中には、蓋の開いた段ボール箱が置いてあり、その中には、丁寧に梱包された石が詰まっていた。
そのひとつを手にとって、亮はつぶやく。
「本当にいい石」
「へ、おまえ、わかるのか」
と、擦り切れたレジのマニュアル片手に、叔父が顔を上げて尋ねてくる。
その声に我に返り、亮は自分のことばに首をかしげた。
「判らないけど、なんだかそんな気がして……ねえ、この石を流してくれる人って、どこの人なの?」
「さっき話した、養護学校の人の知り合い。昔は自分で店を持って商売していたんだけど、うまくいかなくなったんで、店を畳んで、卸売りに変わったんですって」
「へえ、人生いろいろだね」
判ったような相槌を打ちつつ、亮は石をダンボールに戻すと、外から見た店の位置がどんなふうになるのかが気になって、陳寿犬とともに店を出た。
「あー、トイレの隣かあ」
と、陳寿犬は顔をしかめる。
人がやっとすれ違える程度の広さしかない通路には、ひしめく店のほとんどが飲食店であることを考慮して、共同トイレがところどころにある。
しかし、トイレの施設も古く、掃除はされているのだろうが、どこか不潔に見えてしまう。
「掃除前みたいだなー。犬は、こういうときにツライ…」
「人間の数千倍の嗅覚だっけ?」
「桁が違いますー。MAXで一億倍でした」
「トイレの隣だから、判りやすい立地なのはたしかだけれど、この界隈は、客層が若い女の人は来なさそうだね。関根さんも、しっかりマーケティングしたんだと思うけど…」
と、すこしずれた昼休みを終えた中年のサラリーマンが、定食屋から出て行くのが見えた。
「叔父さんの意見がだいぶ入っている気がする。ここからだったら、目と鼻の先に酒場がワンサカあるし…あれ?」
「どうしたの?」

いろは横丁は、そのまま真っ直ぐ突っ切ると、生命保険会社のビルの並ぶ、アーケードとはすこし外れたところに出る。
抜け道代わりに使う地元の人間もいるのであるが…
「知っている子がいる。ほら、あの濃緑のフリースの子」
亮の通う仙台零高は、私服であるから、基本的に華美でないかぎりは、どんな服装でも、だいたい許される。
前方を、こちらに背中を向けて歩く少年は、髪をワックスでつんつんに立てて、フリースを纏い、肩に引っ掛けるようにして、スポーツバックを持って、悠々と歩いている。
そして、その隣に、歩調をあわせるようにして、背のすらりとした、腰の肉付きの豊満な女がいた。
体のラインのはっきりわかる、挑発的な、派手な色合いのスーツを着ており、スーツと同じ色合いの帽子をかぶっているのだが、まとめた髪は、はっきりと明るい金髪である。
染めたものではないことは、薄暗いなかでもそれと知れた。
不思議と、髪をどんなに綺麗に染めても、それが地毛かそうでないかは、肉眼であれば、たいがいわかるものである。
女はサングラスをしており、趣味のよい、ブランド物らしいスカーフを首に巻いていた。たまに少年のほうを向いて、にこやかに笑いかけているが、少年のほうは、不貞腐れているような、どこか冷笑的な態度でそれに応じている。
「同級生?」
「ううん、一学年下。うちじゃ有名な子だよ。文化祭の美少年コンテストで、他薦で優勝した子で、平本って言ったかな」
「あれがぁ?」
「服のセンスはともかく、ちゃんと陽の当たるところで見ると、納得すると思うよ。バイトをしているとは聞いたけど、なんだか変じゃない?」
「英会話教室の先生とバッタリ会って、一緒に仙台観光中かもしれないよ?」
「それにしては、なんだかちぐはぐだよ。あの子、楽しそうじゃないし」
「教室をさぼるところを捕まったとか…ちがうか、女のほうが笑っているもんね」
亮は、ちらりと店のほうを見た。
叔父と関根は、店の内装について、ふたりで熱心に話しこんでいるようである。
二人にしておくのも心配ではあるが、亮は、なぜだか、今日までまったく接点のなかった平本のほうが気になった。
「すこし追いかけて、様子を見よう。もしなにもないようだったら、また戻ってくればいいし」

亮と陳寿犬は、平本と女のあとを尾行しはじめた。
とはいえ、狭い路地で一本道。
あまり距離を詰めるとすぐにばれてしまうので、慎重に近づき、あるいは遠ざかりの繰り返しである。
二人は、まさか尾行がついていないと思っているのか、こんな会話をしていた。
「慣れているの?」
「慣れてるっつーか、中学のときからだから、ベテラン? みたいな」
「怖くないの? 最近は、ホラ、TVでもやっている、あの事件の影響だってあるでしょう?」
「あるにはあるけど、あんたはちゃんと元締めの紹介だし、女だし」
「男は控えている、ってわけね」
「そ。メールが回ってきてさ、男はしばらく取るな、元締めが回してきた客だけにしろ、って。今月きついから、マジー? とか思ってたんだけど…でも、なんでそう聞いてくるわけ? 言っとくけど、マスコミとかだと、俺、逃げるからね」
「わたしみたいな外人女を潜入させるマスコミなんて、いると思う? 目立ちすぎるでしょう?」
「そうだけどさー、外人、ってところも、なんつーか」
亮は、最初はただの予感だけで尾行をしていたのだが、聞こえてくる会話で、彼らの関係、そして背景にあるものに気が付いた。
少年連続殺人事件の被害者として主に選ばれている、少年売春組織の『現場』だ。
「す、すごい臨場感」
と、陳寿犬が強ばった顔をして、長く太い尻尾をぴんと、猫のように立てる。
平本と女の会話は続いていた。
「なあに?」
「えっとー、あんた金持ってそうだし、見た目良さげだし、女だからいいか。元締めからとは違うメールでさ、俺らの仲間内のなんだけど、タキっていうのがいたのね。
そいつ、この間、国分町で殺されたやつでさ、タキが、国分町で、白人の金髪男と一緒にいたのを見たヤツがいんのよ。どうも犯人、白人の男らしいんだって。だからさ、元締めはなんでか俺らには言わないけど、外国人には要注意ってわけ」
「そう、でもわたしは女だから、いいわよね」
と、女は声を立てて笑った。

潔癖と断じていいほど、乱れた男女関係にはつよい嫌悪感をおぼえる亮だけに、女と平本の会話は、まるでSF映画を観ているように、遠い世界のことのように思えた。
だが、ほんの数メートル先で、この会話は為されているのである。現実に。
さして生活に困っているふうでもない平本が、なぜ身体と己の品性をを痛めつけるような真似をするのか、亮にはさっぱり判らなかった。
そして、もうすこしで横丁を抜けるという段になり、女は、ふと横道に入って行った。
「え、ホテルじゃねぇの?」
「もっといいところがあるの。いらっしゃい」
女は、艶めかしい声で誘うと、ハイヒールの音をさせて横道へ入っていく。亮たちもつづけて入ろうとすると、道はすぐに行き止まりになっていた。
その先は、路地にならぶ店のあいだに埋もれるようにしてある、ビルの入り口につづいていた。
ビルの入り口にはこうあった。
『千台サンモールビル』
古い複合ビルらしく、看板を見れば、マンションのようになっている部屋それぞれには、聞いたことのない会社の仙台支店、あるいは司法書士事務所、税理士事務所などが入っており、歯科医院もあるようだった。
ここなら、たとえ彼らと顔をあわせても、べつの場所に用がある、というふうに誤魔化せるだろう。

亮と陳寿犬は、顔をあわせて頷くと、ビルの中に入って行った。
上のほうから、ハイヒールが階段を昇っていく音が聞こえてくる。
亮と陳寿犬は、それを追うようにして階段を昇って行った。
階段に声が反響して、平本が、まだ? と尋ねているのが聞こえてきた。
「すぐよ。四階だから。こっち」
女の声が答えると、目的地に着いたのか、ぴたりと足音が聞こえなくなった。
見失ってはいけない。亮は四階に上がったのであるが…
「あれ?」
三階を登りきったあと、踊り場にある階層を示す数字は『5』となっていた。縁起をかついで、四階を五階と呼んでいるのだろうか。
踊り場を登りきると、小さな廊下があり、共同の給湯室と、おなじく共同のトイレがあった。
廊下に面する形で三つの扉があり、それぞれ擦りガラスのついた扉には、○○株式会社仙台支店、あるいは××税理事務所、△△ソリューション 東北営業所などと記載があり、それぞれまちがいないことには、擦りガラスごしに、働いている人間の影が、はっきりと映っているのである。
「どこへ行ったんだろう? 上かな?」
と、さらに上に行こうとする亮に、陳寿犬が、鼻をひくひくさせながら言った。
「亮どの待って。なんだか臭うよ…ひどい臭い」
亮も、陳寿犬に合わせて鼻を利かせてみるが、トイレのほうから漂ってくる、きつい芳香剤のにおいが邪魔をして、はっきりとわからない。
が、芳香剤のにおいが、この階に上がったとたんに特に強くなったから、逆に言えば、陳寿犬の言うとおり、悪臭がどこからかしているのかもしれない。
「あそこからだな」
と、陳寿犬は、顔を嫌悪でしかめながらも、ふたたび階段を降りると、階段の壁に敷き詰められたタイルの中に、カモフラージュされているような形である、非常扉を見つけた。
「判りにくいところにある非常扉だね。消防法に引っかかりそう」
「この中から、臭ってきますぞ。どうします?」
「もちろん、乗りかかった船だもの」

亮はすこしも怖じることなく、音を立てないように慎重に扉を開くと、非常扉を開いた。
中は薄暗いが、てっきりまだ奥行きがあるのかと思えば、すぐに壁に突き当たり、さらに階段が下に伸びている。
亮は、二階から三階に上がるときよりも、三階から四階(表記上は五階)に上がるときのほうが、長く階段を踏んでいたような気がしたことを思い出した。
「これ、四階は、外からわからないように隠してあるんだね」
「ますます秘密のニオイ…亮どの、いざというときの携帯電話は?」
「大丈夫、マナーモードで着信対策も完璧。電波も…うん、外に架けられるみたい」
一人と一匹は、声を潜めて話し合いながら、ゆっくりと階段を降りて行った。
降りながら、たしかにこの隠し空間は、非合法な何かを隠すために利用されていたものだと、亮は思った。
ただの隠し場所とは思われないことには、ご丁寧に、階段には滑り止めや手すりが作られており、しかもコンクリートの打ちっぱなしの粗末なものではなく、ちゃんとカーペットが敷かれていたのである。
なにかの店に繋がっているのか? 賭場とか…?

階段を降りきると、また廊下があり、そして、屋上から、これみよがしにカメラが亮たちを威嚇していた。
思わず後退しかけて、陳寿犬が言う。
「亮どの、あれ、稼動していないよ。機械の音が何にもしないから」
「ありがとう。聴覚も鋭いんだっけ。犬って便利だね」
「そりゃあもう。犬は人類の友。大切にしていただかないと」
監視カメラを上にして、先に進むと、ようやく扉があった。
オーク材の、どっしりとした扉である。
なにかを隠すためのものではなく、まちがいなく、だれかを迎えるための空間だ。

扉はわずかに開いていて、中の声、あるいは音が漏れている。
隙間からそっと覗いた亮は、飛び込んできた光景に息を呑んだ。
ビリヤード台がいくつも並んでおり、ちょうど扉の正面には、豪奢な内装のステージがある。
赤いカーテンの前に、さきほどの女が、女王のように、立派な玉座とでもいうべき椅子に座っており、その正面には、平本が、亮に背中を向ける形で椅子に縛り付けられていた。
サングラスをしたままの女の隣には男が立っており、男は、陽の差さぬ空間でもなお、それ自身がきらめきを放つような、うつくしい金色の髪をしていた。

※このつづきは「仙台ゴールデンポークスの章 7」になります

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