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このお話はゆべしの章のつづきです。
結局、平塚八兵衛は、『たんたかタン』に、一日中いりびたっていた。
その間、おかわりした牛タン膳は十膳。
麦ご飯については三十杯という、『たんたかタン』開店以来の大食いの記録を打ち立てた。
「あのひと専用のサービスカードを発行しないと、わるいんじゃない?」
と言い出したのは、叔母さんである。
強面がひとりいると、お客が怖がって寄ってこない、なんていうのは漫画の話で、ふしぎなことに、ほかにもだれかが店にいる、という安心感があるせいか、いつもよりお客の入りがよかった。
それも常連客ではなく、はじめてのお客さんが目立つ好調ぶり。
「でもよ、あのひとだって、仕事でうちにいるわけだし、そんなに気を使わなくっていいんじゃねぇのか? 公費で食べてるんだぞ、公費。いうなれば、俺が払った税金が、回りまわって戻ってきているようなものじゃねぇか。っていうか、もっと言えば、俺がヤツに飯を奢ってやっているようなもんだぞ」
と叔父さんは、レジの計算をしながら言う。
亮は、陳寿犬と店の掃除をしながら、駐車場のほうでなにやら電話をしている平塚八兵衛のほうをガラス越しに見つつ、口を挟んだ。
「八兵衛さんは、明日も来るの?」
「そうじゃねぇかなぁ。しかし、うちに連続殺人犯が来ている、ってのは、本当かねぇ」
「被害者の体にうちの箸袋がついていた、っていうんだから、なにか関連はあると思うけれど」
亮に向かって、テーブルを手馴れたふうに、叔母が言った。
「亮ちゃん、今日みたいに忙しい日は、本当を言うと助かるんだけど、学校を休んでいて、ほんとうに大丈夫なの?」
叔母さんのことばに、思わず亮は、テーブルの下で大人しくしていた陳寿犬と顔を見合わせる。
亮が学校を休んでいるのは、なにも連続男児殺傷犯人が怖いからではなく、銀のヘンテコが怖いからである。
陳寿犬ならば、銀のヘンテコと戦うことが可能なので、店にいるあいだは安心していられるのだが、学校には、犬は連れて行けない。
そんな亮の心中を察してか、陳寿犬が言った。
「じつはオレ様に人語を話せる以外に、人に化けることができる機能が」
「あるの?」
「あったらなぁ、って話。亮殿、叔母上のおっしゃるとおり、学校は平気? 留年とか大丈夫なの?」
陳寿犬の言葉に、亮は不安げに顔をしかめてみせる。
「実を言うと、テストの点数はあまりよくないんだよね。こんどの期末考査で赤点がつづいたら、評定平均まずいかも」
「え、そんなにひどいんだ…」
犬に絶句されて、いい気はしない。
陳寿犬の探している『諸葛孔明』という人物をネットでしらべたところ、東洋の漢字文化圏においては、文殊菩薩に並ぶ、賢者の代名詞のような人物である、ということがわかった。
陳寿犬が絶句したのは、おなじ亮というからには、賢いだろうと思っていたのに、そうではない、ということがわかったからだ。
亮が腹立ちまぎれに、ほうきの柄の部分で陳寿犬の頭のてっぺんの、ちょうど耳と耳のあいだのくぼみをぐりぐり押すと、陳寿犬は、
「そこツボ、そこツボ!」
と、いいながら、痛がるどころか、なんだか気持ち良さそうである。
あんまりだらけた顔をしているので、おもしろくなって、亮はついでに、陳寿犬の頭をむしゃむしゃと撫でてやった。
そんな亮を、不思議そうに叔父夫婦は見ている。
それもそのはず、亮と陳寿犬の会話は、叔父夫婦には亮に犬がきゃんきゃん、くんくんと鳴いているようにしか見えないからだ。
叔父夫婦の表情は、
『男の子のフリを続けている生活のストレスで、犬に話すようになってしまったのでは』
と、心中の不安を物語っている。
真実を話すわけにもいかないので(話したところで、信じてもらえそうにないが)、視線をごまかすために、ふと駐車場のほうを見ると、携帯電話で、どこぞと通話していた平塚八兵衛の顔色が、あきらかに変わったのが見てとれた。
それまで自分の乗ってきた車に、もたれるようにして立っていたのが、とたんにあわてて車の中に飛び込むようにし、ドアのラックから仙台の市街地図を出して、ひろげている。
岩山のような雰囲気が一転、活火山に変化し、携帯に向かって怒鳴っている。
好奇心にさそわれて、亮が店から出て、本人に近づいていくと、八兵衛がこんなことを言っているのが聞こえた。
「ふざけるな! オレはずっと見張っていたんだぞ!」
見張っていた? ハテ?
亮は、うしろからついてきた陳寿犬と顔を見合わせる。
犯人を待ち受けていたのではなかったのか?
「で、目撃者の少女は顔を見たのか? 見た! よし! 特徴は?」
で、しばらく相手の話を大人しく聞いていた八兵衛であるが、急に大きく顔をゆがめて、怒鳴りだした。
「バカヤロー! 外人だと! 間違いないのか? 髪を染めたバタ臭い日本人とかじゃないのか? 本当の本当に外人なんだな? 国籍は? わからんだと? あー、いや、たしかに、ぱっと見で国籍を判断するのは無理か。オレでも無理だ。しかし、そうなると、ここの主人はシロか」
「なにぃ!」
と、これは、亮と陳寿犬の両方から飛び出した言葉である。
「わかった、いまから署に戻る。少女を厳重に保護してやってくれ」
八兵衛が通話切った。亮は、『たんたかタン』を飛び出して、車から出てきた八兵衛に向かって、顔を真っ赤にして怒鳴り込んだ。
「おい平塚! いまの会話を聞いたぞ! よりによって、うちの叔父さんを疑っていたのか!」
平塚、といきなり呼び捨てにされて、むっとした八兵衛であるが、疑惑が見込み違いだった、というのもあるのだろう。大人しく黙っている。
「うちの叔父さんが、男の子を殺して回るはずないだろうが! よく考えろ、うっかり八兵衛!」
「たしかに疑ったのは悪かったが、これも仕事だ。それと、うっかり八兵衛はよせ」
「うっかり八兵衛そのままじゃないか! 犯人の面が割れたらしいじゃないか。情報をしっかり辿って、犯人をきっちり捕まえて、ついでに、うちには二度とこないでくれ!」
「待て。たしかに疑ったのは謝るが、二度とこないという約束はできないな」
律儀な八兵衛は、逆上する亮に、淡々と理性的に答える。
刑事という職業柄、感情的な人間を相手にするのに慣れているのか、それとも動じない性格なのか…たぶん両方だろう。
「少年連続殺人犯が、被害者の身体に、わざと『たんたかタン』の箸袋を置いているのはまちがいない。だが、奇妙なことに…これはマスコミにはけして口外しないでほしいのだが…今回の被害者の身体には、箸袋がなかった」
「ということは?」
「今回の事件のみ、模倣犯、という可能性もある、ということだ」
「つまり、叔父さんへの容疑は晴れていない、ってこと?」
「完全には晴れていない。だが安心しろ、樽宮玄以外に、最重要容疑者はあと九人もいる」
「安心できるか! ってことは、やっぱりまた明日もくるわけ?」
「明日は無理かもしれんが、明後日は来るかもな。できれば、スタンプカードのようなサービスをつけてくれると助かるんだが」
「どこまで図々しい! 人を疑っているようなヤツに、カードを発行させられるわけないだろ! あんな優しい叔父さんを疑うなんて、おかしいよ」
「身内はそう思うかも知れないが、しかしきみの叔父さんは、むかし暴走族の有名なヘッドだった。何度か傷害事件も起こしている。成年になってからの経歴はきれいなものだが、過去の傷害事件では、なぜだか、かならず鎌を持ち出しているのが注目されたんだ」
「鎌?」
叔父が本家…つまり、亮が逃げてきた家から勘当された理由は、中学時代から派手にぐれてはじめたからだ。
ともかく、弱いものいじめ以外の、悪いと世に称されるもののほとんどに手を染めていたらしい。
しかし、妙に兄貴肌なのは昔からで、周囲から担ぎ上げられるまま仙台一の暴走族のヘッドとなり、宮城県警と広瀬川岸で一大バトルを繰り広げたのは、いまだに伝説として語り継がれている。
しかし鎌、ってなんだ?
「そうだ。ナイフならともかく、鎌、というところが特徴的だろう。これもマスコミには非公開の情報だが、少年たちはみな、鎌で咽喉を裂かれて、出血多量で死亡している」
「なんでまた。血でも吸っているのかな?」
亮の漏らした何気ない一言に、八兵衛の顔が真剣にしかめられた。
「なぜそう思う?」
「なんでって、なんとなくだけれど」
「これも非公開情報なのだが、少年たちは、君が言うように、みな血を吸われている」
ぞくり、と亮は背筋をふるわせた。
ほんとうにただの思いつきで口にした言葉であったが、実際に吸血行為がおこなわれている、というのか。
その様を想像し、亮は吐き気をおぼえた。
月ごとに訪れる出血のときの、鼻に付く血のにおいを思い出したのだ。
「それが致命傷になったわけではない。ただ、血をすすった痕がある。犯人はホラー映画マニアか、でなければ倒錯者の一種だ。実際に、殺害した被害者の一部をトロフィーとして持ち帰ったり、あるいは食べたりする殺人犯の例はある」
「うちの叔父さんは、そんな変態じゃないよ!」
「そうだといいがな。ところで、いま話したことは」
「マスコミには口外してはならない、でしょう?」
ふむ、と感心して、八兵衛はまじまじと亮を見た。
亮もすらりと背の高い少年(少女)であるが、八兵衛はさらに上である。
顎を上げないと顔がわからない、という距離も、新鮮なものだ、と変なところで感心していると、強面の八兵衛は言った。
「おまえ、亮といったな。どうだ、高校を卒業したら、警官にならないか?」
「は?」
「俺はいままで機密をだれかに漏らしたことは一度もないのだが、なぜだろう、おまえの前に立つと、真実を話さなくてはならないような気分になる。きっとおまえには、秘められたる『落とし』の才能があるにちがいない。どうだ、警察官! 試験を受けるならヤマを教えてやろう」
なにを言い出すのやら、と亮が反論しようとすると、ふと、街灯の下に、知った顔が立っているのが見えた。
目が合うと、その少女は、律儀に、そして、ゆっくりと頭を下げた。
余裕を感じさせるその挙搓は、ロングのプリーツスカートに厚手のダッフルコート、タータンチェックのマフラーという出で立ちの少女を、ひどく大人に見せていた。
尻まで届く長い髪を、フィッシュボーン編みにして垂らし、縁の太い眼鏡をかけている。
「関根さん」
と、亮が声をかけると、関根は、顎をつんとそらして、人通りのすくなくなった木町通りに、ローファーの革靴の音をひびかせて近づいてきた。
「体の具合がわるいって聞いたので心配したけれど、元気そうで何より」
関根はそう言うと、八兵衛に、きっちり45度のお辞儀をしてみせた。
「こんばんは。お話中にもうしわけありません。ちょっとお邪魔させていただきます」
「ああ、俺はもう帰るので…それではまた明後日」
「いや、ほんとうにもう来なくていいんで」
八兵衛は亮のことばはまったく無視し、これまた律儀に、叔父さんたちに挨拶をして去って行った。
「犬を飼ったのね」
関根は、亮のとなりでお座りをして行儀よくしている陳寿犬をちらりと見た。
「預かり物なんだけど」
「そう。犬でもなんでも、あなたには、打ち解けることができる相手が必要よ」
「はあ」
「孤独って、やっぱりいいものじゃないもの。人は、他人の中にこそ、本当の自分を見つけるのよ。そう、あの日のわたしのように」
と、関根はやたらと遠い目をするのであるが、まるで十年前のことのように語られる『あの日』は、実はつい十日前である。
関根は亮のクラスの学級委員長で、あだ名を『女史』。
女史というほかに、渾名のつけようがない、というくらい女史然としており、その十代とは思えない落ち着きぶりもさることながら、成績も抜群によいため、教師たちからも一目置かれている生徒だ。
とはいえ、いささか思い込みの激しいところもあり、そのうえ頭が固いので、紋切り型のきらいな亮としては、苦手なタイプである。
学校では極力ひとりでいるようにしている亮であるが、関根はクラスでも唯一、どんなに邪険にされても平然と…あるいは傲然と近づいてくるひとりである。
亮が実は少女である、という事実はまだだれも知らないので、関根が亮のことを気にするのは、特別な好意を寄せているからだ、と誤解する向きもあるようだ。
当事者たる亮だけは、もちろんそれはまったくの誤解で、親切さの一方で、関根がなにを目当てに家にまで押しかけてくるのか、その理由に気づいていた。
「今日一日のノートを持ってきてあげたわ。わかっていると思うけれど、うちは中間考査では全学年クラス平均トップだったけれど、二位との差は、わずかに3点。気を抜けば、あっという間に追い抜かれてしまう数字よ。
もっと言わせてもらうけれど、はっきりいって、あなたの成績は、我がクラスのお荷物よ。期末考査までに、なんとか赤点だけは回避する方向で励んでいただけないかしら」
「そうですね。ごめんなさい」
素直に亮が言うと、関根は、すっと手を差し出した。
「携帯を見せて」
いきなり持ち物検査か?
この生真面目な女史は、風紀委員もかねている厄介者だったりする。
いぶかしみつつ、さすがに中は見ないだろうと、亮がポケットから携帯を取り出すと、一瞥しただけで、関根は満足そうに肯いた。
「もう結構よ。あなたが、B組の金のエアヘッドに買収されていないことがわかって、よかったわ」
「B組の、金のエアヘッド?」
「フランスの留学生とかいう、あのメアリ・サン-クレールのことよ。あいつはこの仙台にとっては、黒船以来の最悪の事件だわ。なんでも、あいつのファン倶楽部とかいうのを、男子どもが作ったらしいの。その会員証のかわりが、銀のストラップなのですって」
「銀の? もしかして、キューピーと、ビリケンさんの中間みたいに、可愛くないヤツ?」
「あら、持っているの?」
きつく顔をしかめる関根に、亮ははげしく首を振った。
そして、銀のヘンテコに魂を食われた、ジョージのことを思い出す。
B組の金髪美少女・メアリ・サン−クレールのことは知っているが、彼女の取り巻きが、銀のストラップを配っているのか?
「関根さん、ジョージ先生のこと、学校ではなにか言ってる?」
「じょーじ?」
関根は、ぶ厚い眼鏡の下の、意外につぶらで愛らしい瞳を、きょとんとさせる。
「山本譲二のこと? みちのく一人旅がどうしたっていうのよ?」
「そっちの『じょーじ』じゃなくって、英語のジョージ先生。なにか話はなかった? 臨時集会とか、プリントが配られたとか」
関根は、じっと亮を見て、それから言った。
「わるいけど、どこのジョージのことを言っているのかわからない。前の学校に、外人の先生がいたの? 仙台零高には、外人の教師なんていないわよ」
「いない? だって」
エド・ハリス似のジョージは、女子生徒のあいだでたいそうな人気者であった。
その人気者が昨日、匂当台公園で、銀のヘンテコに魂を食われて消滅してしまったのだ。死体は跡形もなかったから、まだ騒ぎになっていないのか?
しかし関根は、人をからかって喜ぶような性格の少女ではない。
ぞくりと悪寒が走った。
もしかして、銀のヘンテコに魂を食われたものは、肉体が消滅するだけではなく、この世界における存在そのものが、消されてしまうのではないか?
「ところで、叔父さまはいらっしゃるかしら」
と、関根は咳払いをひとつして、亮の肩越しに、『たんたかタン』を覗く。
関根の本当の目的が、これなのだ。
やたらと古風な喋り方をし、大正時代の女学生よりも地味で堅実な関根は、尊敬される反面、生徒たちから浮いた存在でもあった。
亮の見たところ、親しく話す友達も多くないようである。
関根は、十日前に、ほんとうに風邪でやすんだ亮のためにノートを届けに『たんたかタン』にやってきたのだが、そのとき応対した叔父の趣味がパワーストーン集め、というので、やたらと気が合ってしまい、それからすっかり叔父に夢中になってしまったのだ。
その叔父が、若い頃は過激にグレていた、と知ったら、関根はどう思うだろうか。
関根の父は、仙台駅のそばでラーメン屋を経営している。
そこでは超特大『バナナギョーザ』が売りで、餃子好きを中心に、なかなか繁盛しているようだ。
店の構えは立派ながら、ぽつぽつとしかお客のこない『たんたかタン』にとっては、うらやましい話である。
それはともかく、関根は、店の片づけをしている叔父の姿をガラス越しにみとめると、硬質なガラスを思わせる顔に笑みをうかべ、ガチガチにむすんでいた髪をほどいた。
とても美少女とはいいがたい関根であるが、髪の美しさだけはCMに起用されてもおかしくないほどである。
彼女にとっては強力な武器である髪をなびかせ、おみやげの『バナナギョーザ』お持ち帰りセットを手に、店内へと入っていく。
調子のいい叔父が、なにやらオーバー気味に関根を迎えているのがわかった。
叔母は、叔父の調子のよさを理解しているらしく、足繁くやってくる関根のほんとうの目的にうすうす気づいているだろうに、なにも言わずに笑顔で出迎えている。
叔父が関根のことばに乗せられて、店内に『パワーストーン』販売コーナーを作ろう、といったことがあったが、叔母が、
「牛『タン』と『石』じゃ『胆石』になってイメージがわるい」
と最終判断を下したのは、つい昨日のことだったりする。
面倒なことにならないといいなぁ、と亮は思いつつ、店内を見つめていた。
隣では陳寿犬が、
「今日は、よくはたらいたなー」
と伸びをしている。
ガラス越しに平和なホームドラマ。
しかし、この平凡な生活も、じわじわと砂に水が沁み込むように、なにかが狂い始めているのだ。
不意に風に乗って、
「入れ違っている」
という、きれいな女性の声が聞こえた。
亮はぎょっとして周囲を見回したが、街灯に浮かぶ道には、だれの姿も認められなかった。
新幹線のりばは、仙台駅の三階にあたる。
二階が一般乗車口となり、待ち合わせに一番利用される、ステンドグラス前の政宗像も二階のホールにある。
一階部分は通路を中心に、地下からの通路から、仙台駅に添うようにしてあるエスパルの一階の入り口があり、地下がみやげ物売り場兼食堂街となる。
サブラはタクシーから降りると、一階部分から、まず階段で、地下へと降りた。
そうして、呼び出してきた人の姿をさがしたが、目当ての人はいなかった。
ブルネットに花柄のワンピースという出で立ちのサブラは、古いフランス映画から脱け出してきたような可憐さで、ひとびとの目をひきつけた。
外国人である、ということもあり、土産物売り場に立つ、笹かまや牛タンをすすめるマネキンの呼びかけも、ひときわ激しい。
サブラはきょろきょろと周囲を見回し、有名牛タン専門店の人気レストランをガラス越しに覗いてさえみたが、目指す人はいない。
地下の仙石線の入り口を境に、地下一階は、レストラン街になるのだが、ちょうどレストラン街の大幅な改装工事のため、急ごしらえのトタン板の壁にはばまれ、一般人は通り抜けできない。
売り子のひとりにゆべしをすすめられ、サブラは手ぶりでことわった。
地下にはいない。一階にもいなかった。
そうなると二階だろうかと、エスカレーターを上がろうとしたとき、洋菓子店のならぶ一角で、サブラはようやく声をかけられた。
「ここです、妹よ」
その声に、サブラは周囲を見回したが、だれもいない。
一階にあがるためのエスカレーターの付近にはトイレがあり、その入り口は、入った人を待つ人で、いつもにぎわっている。
「あまり人に姿を見られたくないの」
日本人の群の中に韓国人がまぎれていても、西洋人からは区別ができない。
しかし、日本人のなかの西洋人は目立つ。
見失うことはあるまい。
まして、これほど近くで声を聞いているのだから。
「足元を見て」
サブラは言われるまま、足元を見た。
自分のはいている華奢な白いサンダルがある。
12月だというのにまだ雪が降らないので、こんな靴でも平気なのだ。
そして、足元に、ちょろりと現われたのは、金色のモルモットであった。
モルモットは、後ろ足で立ち上がると、口をせわしなく動かすようにして、サブラを見あげた。
「驚いたでしょう。さあ、目立たないうちに、わたしを運んでちょうだい」
サブラはうろたえつつも、屈んで、金色のモルモットのいうとおりにした。
両手ですくい上げるようにして、モルモットを腕に抱く。
ぬいぐるみやロボットなどではない証拠に、モルモットには、生き物のぬくもりがあった。
「お姉さま、どうしてこんな姿に」
周囲から奇異に見られないように気をつけながら、サブラは一階につづくエスカレーを上ろうとした。
しかしモルモットは、それを止める。
「だめ。ここから離れるわけにはいかないの。仙石線のりばまで戻って」
「きっぷ売り場に駅員がいます。目立ってしまうわ」
「仙台ロフト側の連絡通路の前に立って、ペット好きを装ってちょうだい。教えておきたいことがあるの」
サブラはたいがいのことに驚かなかったが、突然、変わり果てた姿であらわれた『姉妹』には、肝をつぶした。
彼女はぞくりと身を震わせたが、それは地下道を抜ける風が、薄手のワンピースを揺らしたからではなく、恐怖のためであった。
12月を中心に、この世界の仙台だけが、時間をループさせているらしい、ということは、サブラは最初から気づいていた。
それは朝食のとき、夫のジョージから、「気になる生徒がいる」と告げられたときからであった。
彼女は、以前の12月4日にも、夫からおなじ告白を受けていた。
女子高生が、まるでブランドのようにもてはやされて、悪い話ばかり誇張されて報道された、奇妙な時期があった。
専業主婦のサブラは、あまり世の中の動きに敏感なほうではなかったので、彼女のイメージする女子高生は、大げさに報道された『女子高生』像に引きずられ、あまりよいものではなかった。
偏見をもとに、サブラは、気になる、というのはどういう意味なのだろうかとうろたえ、つぎに、うろたえる自分に腹を立てた。
ジョージを一瞬たりとも疑うなど、ありえない。
そうして、いつものように朝を迎えて、ある朝、またもジョージの口からおなじ話をされたとき、この聡明ではないけれど、健全な魂をもつ女性は、世界の狂いに、いち早く気づいたのであった。
そうして、世界の番人たる『姉妹』に連絡をとろうとしたのだが、そこだけがふしぎなことにループの輪から外れており、どうしても連絡を取ることができなかった。
12月4日になって、ジョージの気配が途絶え、傷を負ったシエナの竜だけが戻ってきたとき、サブラは、今回も彼らのほうが優位なのだ、と悟った。
前回の結果も惨憺たるものであった。
呼び出されたアトラ・ハシースのうち、聖剣マスターの二人が相討ちとなり、一人が敵方に組み込まれ、ほかは行方不明となった。
ジョージはおそらく今回も、『彼女』に剣を渡す役目を担って、そのまま消滅してしまったにちがいない。
どうしたらよいものかと困っていると、今日になって、『姉妹』から連絡があったので、サブラは飛び出すようにして、待ち合わせ場所の仙台駅にやってきたのだ。
世界の番人たる『姉妹』ならば、これからどうしたらよいのかわかるはずだ。
こちら側が勝利するには、『彼女』に真正ドラゴンバスターを渡すことが第一なのだが…
「わたしに話しかけながら、だれかを待っているフリをして。そうして、あの子を見て」
誰のことだろう、と思いつつ、サブラは言うとおり、モルモットのなめらかな毛を撫でるようにしながら、言われたほうを見た。
そこには、ゆべし専門店のマネキンをする、利発そうな大きな瞳をした、おかっぱの黒髪の少女がいた。
年頃は十六、七。
もしかして、とサブラは期待した。
「お姉さま、彼女が?」
「いいえ、残念ながらそうではないの。時間がないので聞いて頂戴。わたしは前回のループでは、消滅をまぬがれたけれど、致命的な攻撃を受けたの。実態を持たないアストラルとなって、時間を下ることしかできなくなってしまった。いまはこの姿を借りているだけ。一定時間が経つと、わたしは昨日へ行かなくてはならない」
サブラは息を呑み、それから言った。
「それではお姉さまは、わたしたちの未来が見えるのではなくて?」
「ええ。今回のループも、悲惨になる。前回よりもずっと。でもわたしは黙って呪いを甘受するつもりはないわ。過去にしか進めないのならば、やがてくる未来を防止することが可能。
ただ、それぞれに留まることのできる時間は一時間きりで、決まったところにしか移動できないの。決められた土地から離れようとすると、意識が遠のいて、溶けてしまう」
サブラはその様を想像し、ぞくりと身をふるわせた。
「いまあなたが見ているあの子は、『彼女』ではない。信じられないかもしれないけれど、青髭の邪念から『彼女』を守るために聖剣の力が強力に作用して、『彼女』だけではなく、ほかのアトラ・ハシースにも影響が出てしまったの。あの子は『彼女』ではないけれど、アトラ・ハシースのひとりよ」
「会ったことがあるかしら?」
「あなたとは、ないと思う。ここからが肝心なの。これからあの子は、青髭に接触する。青髭もやはりあの子を『彼女』と誤認するので、付きまとってくる。目の開いていないあの子は、それと気づかず、闇に取り込まれてしまう。
そうさせないために、わたしは彼女のポケットに紫水晶をしのばせておいたわ。あれがあれば、完全ではないけれど、いくらか世界の真実の姿を見ることができるでしょう」
「わたしはどうすればよろしいの?」
「あの子を守って欲しいの。そうすることで、『彼女』も守られる。世界を保たせるために植えた五本のユグドラシルのうち、すでに二本は滅ぼされた。残りはあと三本。なんとしてもこの三本を守らなければ、レティクルたちは完全に勝利し、世界は大きく狂う」
「でもわたし、まだ迷いがありますの。この世界の在り様は、正しいのでしょうか?」
「正しいからこそ、生まれたのです。人の世を動かすのは、つねに人の純粋な想いだけ。それを忘れてはなりません。約束してくれるわね。あの子を守って」
「お姉さまの良きようにいたします」
サブラがそう言うと、金色のモルモットは、うれしそうにひくひくと鼻を鳴らし、それから忽然と、空気に溶けたように消えてなくなった。
おそらく、昨日に進んでしまったのだろう。
サブラは動揺しているのを、往来の人々に気づかれないようにしながら、インフォメーションコーナーの隣にいる、あの子を盗み見た。
最初に思ったことは、友だちになれるだろうか、ということであった。
※このつづきは「ゆべしの章2」になります