リクエスト企画第三弾
ずんだGAME 番外編
ラクリマ・フィリア
四
ルーシェンは、葬儀用の黒いワンピース姿で、『ラクリマ・フィリア』とよばれたベージュのポンプの横で、大人たちとはなれてスコットと話をしている。
フェイ医師の葬儀は、まさに工員側と経営側の、一触即発のぴりぴりした異様な空気のなかでおこなわれた。そこに感受性のつよい少女をおいておきたくないと思った、趙雲の配慮である。
スコットは、悲しみにしずむルーシェンのために、自分はいかにして、孔明の使い魔になったのかを語り、ルーシェンを励まそうとしていた。
「空を飛びたかったのであります」
と、スコットは、その両ヒレを、ひらひらと動かしてみせた。
「ペンギンは鳥類であります。わたしもほかのペンギン並みに海を『飛ぶ』ことはできましたが、しかし海と空はちがいます。まだぽやぽやのうぶげにかこまれたころから、わたしは氷の上から空をながめて、いつかあの空を飛んで見たいと夢に思っておりました。
そうして成長してから、わたしは練習をはじめたのであります。
空を見れば、飛ぶ鳥のたいがいの翼は、わたしより大きい。つまり、わたしもけんめいに身体を鍛えて、ほかの鳥のように、たとえばかもめのように翼を大きく鍛え上げてみれば、空を飛べるようになるのではないかと」
ルーシェンは、子どもらしく足をぶらぶらとさせて、スコットの話に聞きいっている。
「ペンギンさんは、翼をおおきくできたの?」
するとスコットは、自慢げにうなずいた。
「もちろんでございます。おなじ部族のなかでも、ほかに並ぶ物がない、というほどにみごとなヒレを得ることができました。おかげで海を『飛ぶ』ときに、わたしの速さにかなうものはおりません。
どんなに大きく早い魚であろうと、わたしがぴゅんと飛んでいけば、一撃で仕留められるのですから、部族の娘たちはわたしにあこがれ、大人たちは、あいつは大した男だと、わたしを誉めそやした次第であります!」
スコットはむん、と胸を張って自慢げにする。
が、不意に、その顔が曇った。
「ですが、わたしの心は晴れることはありませんでした。なぜならば、わたしの夢というものは、あくまで『空』を飛ぶことであったからです。
いかに海を『飛べ』ようと、空を飛べないのでは、意味が無いのです。
わたしは岸壁から、なんどもこの大きなヒレを動かして、空を飛ぼうとがんばりました。胴体とひれの大きさに問題はありません。飛べるはずなのです。
意地の悪いかもめどもは、わたしのこの努力を嘲い、気狂いペンギンなどとはやし立てましたが、わたしはいつかみておれと、けんめいに練習をつづけました」
「ペンギンさん、えらいねぇ」
子どもらしく感心するルーシェンに、スコットは照れて、いやいや、と言いながら、その片方のヒレで、自分の頭をかいた。
「かもめたちが、あまりにわたしを莫迦にするものですから、いつしかわたしのこの夢は、部族の長老たちの知るところとなり、このままでは、われら部族全体が笑いものになる、おまえは夢をあきらめて、おとなしくペンギンらしく生きるようにと言いました。
そうして、もし『空』を飛ぶことをあきらめてくれるのであれば、おまえにとびきりかわいいお嫁さんと、いちばんいい場所にある巣をあげようといいました。
けれど、わたしはすこしもそれを嬉しいと思いませんでした。なぜかと申しますと、子どもの頃から、わたしは『空』を飛ぶことを目標にして生きて生きたからです。その夢をなくしてしまえといわれるということは、もう明日から生きるなといわれるのとおなじでありました。
わたしは長老たちの申し出を断りました。すると、長老は、おまえのために部族が笑いものになるのは耐えられないからといって、わたしを部族から追放したのです」
とたん、ルーシェンは悲しそうな顔をして、スコットの顔をのぞきこんだ。
「それじゃあ、お友達もいなくなって、いやだったでしょ?」
しかし、意外にもスコットは、首を振った。
「いいえ。わたしのような、ふつうは思いつかないような夢にとりつかれている者と、気の合うものは部族にはいませんでした。ですから、わたしには、もともと友達というものがいなかったのです。
ひとりには慣れっこになっておりましたから、さびしいとは思いませんでした。
たったひとりになったわたしでありましたが、もうひるむことはありませんでした。岸壁から、毎日毎日、このヒレをひろげて、『空』を飛ぼうとしたのであります。
かもめどもは、わたしを笑って糞を投げてくるものまでありましたが、かまいませんでした。
だれに石をなげられようと、トドに、おまえを食ったら腹を壊すと莫迦にされても、わたしは夢を捨てることができなかったのです」
「ペンギンさん、えらいねぇ」
「えらいのではありません。わたしは、わがままで、幸福なペンギンでありました。あまたのペンギンが、生まれたあと、毎日の餌の心配をし、そうして生まれた子を育て、そして日々をただひたすら食うためだけに過ごすのにくらべたら、なんとたのしい毎日だったでしょうか。
わたしは、いつか夢がかなうのだと信じつづけ、この両ヒレを動かし続けたのです。ずっと、ずーっと!」
スコットは、自分の、たしかにほかのペンギンよりは大きなヒレを、ばさり、ばさりと動かして見せた。
その黒いつぶらな瞳の向こうには、南極の澄んだ青空がみえているのかもしれない。
「あの日は、朝から不思議な日でありました。
すでに老境をむかえていたわたしでありましたが、部族からつまきはじきにされ、かもめには莫迦にされ、トドには見向きもされず、友達もひとりもない状況で、なぜだかとても朝から幸福なきもちで一杯だったのです。
そうして、いつものように岸壁に立ちまして、『空』を飛ぼうとヒレを動かして、大地を蹴りました!」
ルーシェンは、すっかりスコットの話に聞き入っている。
「うん、それから、どうなったの?」
「飛べたのであります! わたしは見ました。風に姿があることや、色というものがあることを。
そうして空から眺める波間の美しかったこと、地平の彼方にある太陽が、なんとやさしく荘厳であったこと、全身に受ける風のすべてが、わたしを幸福につつんでくれました」
「うわあ、すごい、すごいねえ!」
「けれど、それも一瞬のことだったのです。わたしは目の前に、ドンドンと近づく岩を見ました。波の音が近づいてくるのを聞きました。
わたしはたしかに『空』を飛びました。けれど、はたから見る分には、実際には、飛んだのではなく、岸壁から飛び降り、失速しただけのようでした。
わたしをみていたかもめが、『あの頭のおかしいペンギンのじいさん、とうとう岩にぶつかっちまった』と笑ったのが聞こえました。そこで、わたしの意識は途絶えたのです」
「ええ?」
ルーシェンは、目じりに泪さえためて、その話を聞いた。幼いルーシェンのなかでは、アストラルというものはやはり理解できないものであるうえに、スコットの語る『スコット』と、スコットを語っている『スコット』は別の人格のように錯覚しているらしい。
ショックを受けた顔をするルーシェンであるが、スコットは力強くつづける。
「がつんと、全身につよい衝撃がありました。これを痛みという物でしょう。だんだんと意識がなくなり、ああ、これでこの命はおしまいなのだと思いました。
ところが、そのとき、岸壁のうえに、だれかが立っているのがわかりました。
それはトドでもかもめでも仲間のペンギンでもなく、人間の姿をしてはおりましたが、人間でもありませんでした。黒衣をまとったその美しいお方は、意識のうすれていくわたしにたずねてきました。
『おまえはこんなにみんなに莫迦にされて、友達も理解者もだれもいなくて、結局夢を果たせずに死んでいくのだよ。こんなにさびしい生涯を後悔はしていないのかい』
わたしは答えました。
『いいえ、なにを後悔するというのでしょう。こんなに夢をひたすらに追いかけることができた人生に、後悔があるはずがありません。わたしとて、孤独に泣いたことがないわけではありません。
それでも、孤独よりも夢を追う力のほうが強かったのです。わたしはさいごに『空』を飛びました。しあわせな人生であったと思います』
そのひとは、一瞬、ことばをなくしたようでしたが、やがて言いました。
『それでは、おまえは、まだ命があったら、夢を追おうとするだろうか。また『空』を飛ぼうとするだろうか』
わたしは即答いたしました。
『もちろんです。夢があるからこその人生ではありませんか。夢のない人生ならば未練もありませんが、夢がまだ残っております。まだ『空』を飛びたいと、心の底から思っております』
わたしが答えると、その美しい方は、やさしい声で言いました。
『ならば、おまえはわたしの使い魔とおなり。『空』を飛ぶことだけをしていればいい人生ではなくなるけれど、夢を追うための無数の時間をおまえにあげよう。わたしについておいで。わたしの名は『当山孔真君』。今日からおまえの主君だよ』
こうして、わたくしは、『当山孔真君』の使い魔となったのでした」
ルーシェンはふしぎそうに首をかたむける。
「とーざんこうしんくん? 聞いたことのない神さまだけど」
「死を司る北斗の化身、いわば冥界の王の化身にして、使者を務めるお方であります。おそろしげなお役目を担うお方でありますが、じつはたいそうおやさしいお方でして、おかげで、わたしはこうして、いまも夢を追うことができているのであります」
スコットはそういいながら、自分の、たしかにほかのペンギンに比べれば大き目のヒレをばさばさと動かした。
趙雲がそんなことがあったのか、孔明らしいな、と思って聞いていると、背後より、しくしくと泣き声がする。
振り向けば、いつのまにやら、ミッキーとウラニアが、最初の時とおなじようにスーツ姿のまま、スコットの話に感激して、泪をながしているのであった。
「いつ聞いても胸に染み入るお話です。『かもめのジョナサン』にまさる感動を与えられます。そうは思いませんか、趙子龍」
ウラニアは本当にそう思っているらしく瀟洒な白いレースのハンカチで、目じりをぬぐい、ミッキーもまた、涙のやつ、困ったものだ、などと気障なことをいいながら、目頭を押さえている。
「ときに、あなたの夢はなんですか、趙子龍」
屈託のないウラニアの、突然の問いに、趙雲は戸惑い、首をかしげた。
「なぜいきなり、そんなことを聞く」
「なぜって、いかな只人より強い力をもち、生命力もほぼ無尽蔵といっていいアストラルにだって、生きる目標はあるでしょう。スコットの夢は空を飛ぶことだそうです。あなたには、なにか夢はないのですか」
「それを語ったところで、あんたたちの利益になるとは思えないが」
と、答える趙雲であるが、その実、夢があるかと答えられて、あると答えることがむずかしかったのだ。
脳裏に浮かんだのは、やはり生前とおなじように、孔明の姿であり、趙雲にとっての最大にして最重要な目的は『孔明が孔明らしく生きてくれていること』である。
すなわち、それが夢なのだ。
趙雲がいうと、ミッキーが、まるでそれを見透かしたように言った。
「だれかが幸せだといい、なんて夢だったら、不幸の極みだけれどね。その夢のなかには自分がない。自分が幸せでなくてもいいから、相手が幸せであればよいだなんて願望は、どこか欠陥があるように思えるわけよ、ぼくは」
ミッキーが、暗に、なにやら自分と孔明のことを言ったような気がして、趙雲はむっとして反論する。
「なぜ不幸の極みということになる。それは無私無欲の精神として、なにより東洋では尊ばれるものだ」
「そうかい? ぼくには、それを『うつくしい』心とすることで、『負ける』ことを正当化する作業を、綿々とつづけてきたように見えるけれど?
そうしたほうが、為政者が利用しやすいから、無私無欲の精神ってのは、美化され、広められて行ったのじゃないかねぇ。やっぱり、アストラルにまでなったのだったら、夢が『他者が幸せであればいい』なんてものだけであっちゃいけないと、ぼくは思うけど」
「では、おまえの夢はなんだ」
「ぼくかい? そうだね、みんなが幸せになることさ。ぼくも含めて、ぼくとおなじ力を持つ者たちが、幸せになれる世の中があればいいと、心から思うよ。だれに捕らわることもなく、自由に、ね」
そう笑うミッキーの顔は、軽薄さはなく、浮かべる表情が笑っているというのに、どこかアルルカンのメイクのように深い悲しみが刻まれているような、ちぐはぐなものであった。
「わたしもそう思います。わたしの司る力をもつ子たちが、みな、だれに捕らわれることもなく、しあわせになれればいいと、心からそう思います。あなたは、わたしの力を持っていませんが、おなじように、しあわせであってくれればいいと思っていますよ、わたしは」
と、ウラニアは、聖母のような慈愛に満ちた笑みをむけてきた。
その純粋な、媚びも計算もない笑顔に、趙雲は、思わず子どものように泣きたくさえなってきた。
このままだと、感傷的になりすぎていけない。
趙雲は、話題を切り替えて、ウラニアとミッキーに言う。
「ところで、いいところへ来てくれた。あんたたちに聞きたいことがあったのだ」
「君もそういいだす頃だろうと思って、ぼくらもここに来たんだよ。ルーシェンは、工場長に引き取られて、一緒に住むことになったって? いっそ養女になればいいのさ。そうしたら、治まるところに治まる形になって、ほんものの大団円なんだけれど」
などと、ミッキーはまるで他人事のようにいう。
呑気なミッキーをよそに、趙雲は隠し持っていた、例のロシア人のアストラルが持っていた銀の珠をふたりに見せた。
それぞれ別の方向を見つめる男の姿が、後頭部でひとつに溶接されているような、奇妙な形をしているが、これが古代ローマ神話に登場する、ヤヌス神であることにはまちがいない。
とたん、ウラニアの清楚な顔がくもる。
「新型のヤヌスの護符だわ」
趙雲の掌にあったそれを、横からミッキーが取り出して、陽光にすかすようにして持ち上げた。
「なるほど、これがあればルーシェンの予知を妨害できることができる。
これはね、いわば霊力のジャマー(電波妨害装置)を改良したものさ。むかし、警吏用のゴーレムに使用されていたものと素材は一緒で、ルーシェンの予知を妨害するためだけに開発されたものだろう。
ヤヌスは『始まり』と『終わり』を見つめる神。人にはそのどちらも見ることができない。けれど、ルーシェンには、特別にそれを見る力を与えられてしまった。その力を妨害するためのもの。どうだい、こう説明するとわかるかな」
「なぜそこまでしてルーシェンの予知を防ごうとするのだ。いや、狙いがルーシェンならば、ルーシェンだけを狙えばよかろう。それなのに、なぜルーシェンの祖父までも狙った」
それを問うと、ミッキーとウラニアは、困ったように顔を見合わせた。
二人はなにかを知っていると、その表情は雄弁に物語っている。
だが、二人は顔を見合わせたまま、押し黙り、趙雲にそれ以上の説明をしようとはしなかった。
趙雲は、ため息をひとつ、つくと、言った。
「すまないが、あんたたちがそんなふうに隠し事をつづけている以上、俺としてもあんたたちを信用できない。信用できない相手とは、組むことは出来ないのは道理だろう。わるいが、俺はこの件から手を引く。ほかのアストラルを当たってくれ」
そうして、手を引く合図として、アストラルに許された絶縁の呪文を唱えようとすると、あわててミッキーが、黒の巻き毛をかきあげつつ、言った。
「ああ、そんなに短気になるもんじゃないよ。ぼくたちがあんたに話さないことがあるのは、言っておくけれど、あんたのためでもあるんだからね」
「どういうことだ」
きつく趙雲がいうと、ミッキーは、やれやれというふうにため息をついた。
「あんたは信頼できる男だ。だからルーシェンを安心して託していられる。スコットも、あんたにはあれだけなついているのだし、そこはまちがいないところだろう。
だが、信頼できる男ってのは、同時に、責任感が強すぎるっていうのがあってね、ぼくたちは、それを警戒したんだよ」
「責任感だと? なにに対する責任だ。ルーシェンの祖父を守れなかったことに対する責任か」
「いいえ、どちらにしろ、あの老人は寿命でした。彼の身体も、この工業地帯の水によって、相当に痛めつけていましたし、そこを押して不眠不休で水を改良する研究をしていたのですからね。
結果はこうなってしまいましたが、あなたが責任を感じることはありませんし、実のところ、あなたも、それは割り切っているのではないですか」
ウラニアのことばは静かなものであったが容赦なく、たしかにそのとおりで、趙雲のそもそもの使命はルーシェンを守ることであったから、それ以外のことで、ひとつひとつ気にしてはいなかった。
いや、気にしていたら、心がもたない。
「隠し事をしているのは認めます。しかし、それを打ち明けたところで、あなたには何もできない。
短い間ですが、ミッキーのいうとおり、あなたはとても責任感のつよい方だと見受けました。きっとこのことを話せば、あなたは勝ち目の無い相手に戦いを挑もうとするでしょう」
「勝ち目の無い相手だと? だれのことだ。この世にもし、勝ち目の無い相手がいるとしたら、それはアトラ・ハシースか、ヴァルキューレであるあんた、そうでなければ、最高府だろう」
「それが、どれでもないんだな」
「どれでもないだと? どういうことだ」
鸚鵡返しにする趙雲であるが、そこへ、だばだばと、『ラクリマ・フィリア』の水のポンプから、スコットが走ってやってきた。
そうして、ミッキーとウラニアの姿を見ると、びしりと敬礼をして、報告する。
「申し上げます! ルーシェンが、またも予言をいたしました!
『鋼鉄のキリンの見下ろす塔にて、工場長は命を落とし、自分もまた、片目の悪魔の口に呑みこまれてしまうだろう』
というものであります!」
その不吉すぎる文言のならぶ予言に、趙雲はじめ一同は、ことばを失った。
「なんだい、それは。鉄鋼のキリン? 片目の悪魔?」
「アトラ・ハシースの別働隊は、うまくやっているわ。それなのに、それでも二人は死んでしまうというの?」
「申し訳ありません、ウラニアさま! ルーシェンは、そうなるとはっきり口にいたしました。そしてすっかり怯えてしまっております。いかがいたしましょう!」
趙雲が見れば、『ラクリマ・フィリア』のポンプのうえで、ルーシェンは自分のした予言のおそろしさにひざをかかえ、震えて泣いている。
趙雲は、スコットの黒いボーリグのピンのような丸いあたまをごん、と殴って、言った。
「たわけ、いかがもなにもあるか! おまえはずっとルーシェンを守れ! それでも孔明の使い魔か! 孔明が聞いたら、罰として、ペンギンから、今度はマトリョーシカに変身させるくらいのことはするぞ!」
「なぜマトリョーシカ…でも想像がつくところがあの方でありますな。おことば、まさにそのとおり!このスコット、あとでどのような懲罰も受ける覚悟でございます! 申し訳ございませんでした! ただちにルーシェンの警護に戻ります!」
そうして、スコットは、趙雲に殴られた部分をさすりつつ、怯えて泣いているルーシェンのもとへと去っていった。
「まだあんなに小さいのに、予言をする力を得てしまったがために、こんな悲しい思いをしなくちゃいけないなんて、間違っているとおもわないかい」
それまで、どこかふざけた調子を持っていたミッキーが、はじめて真情をあらわにして、怒りに身をふるわせさえして、趙雲に言った。
その碧瞳は、義憤と悲しみに満ちている。
ミッキーのこの変化は、正直なところ、趙雲をおどろかせた。
この男のことは、『ミッキー』というふざけた略称しかわからない。
けれど、おそらくは、ルーシェンとおなじような目に遭ったことがきっとあるのだろうと、趙雲は直感した。
「これでも、ぼくらを見捨てて去るかい、趙子龍。うらみはしないよ。君の自由だし、たしかにわけのわからない話だろうからね。
けれど、ぼくはここに残って、勝ち目の無い戦いを続けるつもりだ。そういうフランス人がいることを忘れないでほしい」
「あなただけではありませんよ、ミッキー。わたしもあなたとともに、戦いをやめないでしょう」
ウラニアが言い添える。
そこまでいわれて、それではさらばと立ち去れたなら、それはもはや趙子龍ではない。
趙雲は、契約の打ち切りをやめて、あらためてミッキーとウラニアに協力することに決めた。
「ただ、ハッキリさせておきたいのは、敵の正体もわからないまま戦うのは、戦いのセオリーに真正面から反しているということだ。
見たところ、あんたたちは実戦型じゃないからピンと来ないかもしれないが、公園でルーシェンを攫おうとしていたやつも、ルーシェンの祖父を殺した男も、かなりの手練れだった。
敵は好戦的だが、集団では襲ってくることはない。なぜだ。そして、ルーシェンばかりではなく、祖父までも狙った理由は?」
「ひとつずつ答えて生きましょう。かれらが集団で襲ってこない理由は、彼らの数が少ないからです。そのうえ、ヤヌスの護符は量産がむずかしい。だから、彼らのうちでも精鋭をえらび、単身で襲ってくるのでしょう」
「どこからやってくるのかわからない、と言っていたが、それは本当か」
趙雲が聞くと、ウラニアはこくりとうなずいた。
「おそらくは、かれらは、わたしたちムーサイとちがう方法で世界を渡る方法を知っているのです」
「ワームホール(虫食い)方法って聞いたことはないかい」
と、横から口にしたのはミッキーである。
「魔女と呼ばれる女神とはちがった存在や、最高府の中の一部の人間が会得しているという、世界を渡る裏技みたいな方法さ。おそらくは、その方法でもって、連中はこの世界にやってきているのだろう」
「なんのために。ルーシェンを殺すため?」
その問いに、ミッキーもウラニアも、ほぼ同時にうなずいた。
「なぜだ。相手は無力な子どもだろう。ルーシェンが邪魔だということは、黒春工業地帯が存在しないとまずいと考えている連中がいて、そいつらが妨害をしてきているということか」
「いや、黒春工業地帯は関係ないだろうね。もしたとえ、ここが緑豊かなジャングルのど真ん中だったとしても、連中はルーシェンを狙ってあらわれただろう」
「つまり、ルーシェンの、能力自体が問題だということなのか。アカシックレコードとやらに関連があるのか」
「アカシックレコードには関係はないでしょう。おそらく、これは思想の問題なのです」
「思想の問題だと? どんな思想だ」
「人類と、未来、そして希望というものに対する思想です」
ウラニアが口にしているところへ、祖父の葬儀がひと段落した工場長が、『ラクリマ・フィリア』のポンプの上で泣いているルーシェンに声をかけ、それをやさしく抱き上げた。
傍目から見る分には、ふたりは仲むつまじい父娘のようにみえる。
たしかに横顔が、幼いルーシェンと工場長は、似ているところがあった。
その動きに合わせて、スコットも、ぴょこりとポンプから飛び降りて、二人につづく。
どうやら、フェイ家をはなれて、工場長の家に向かうようであった。
「二人から目を離してはいけません。わたしたちも行きましょう」
ウラニアのことばに、趙雲とミッキーもうなずくと、工場長たちといっしょに、団地から去っていった。