ずんだ&ゆべしの章 3
※ この話は、「ずんだ&ゆべしの章2」のつづきとなります。
「フラガラッハとは、また大層なものを仕入れたものじゃな」
と、エリザベスは、給水塔の上で、おのれの身長はあるであろうという、巨大な魔剣を、いかなる魔力か、槍のように軽々と番えて見せる、少女の姿をした従妹をにらみつけた。
剣の形をしているが、その巨体は、剣として振るうように使うのではなく、槍ように投げつけ、その切っ先を相手にめがけて射抜くために使うのである。
かつてはス、コットランドの光の神・ルーが持っていた剣であるが、レティクルが、メアリ・スチュワートという怨霊を、アトラ・ハシース化させた際に、携帯させたものであろう。
フラガラッハとは「報復する」という意味の剣、まさに、世に多くの恨みを持つメアリには、ぴったりなものであった。
只人となった趙雲でさえ、メアリから発せられる邪気の、その凄まじさが読み取れる。
それはそうであろう。己の事業を邪魔するものである、趙雲や孔明はいわずもがな、おのれを生前に処刑した、憎んでも尚余りある、従姉もいるのだ。
たとえ怨霊でなかったとしても、己を殺した人間を前にしたなら、激昂したであろう。
「東洋の騎士よ、与えた、その槍を返せ」
エリザベスは、アコの冷たい身体を抱えるようにして、メアリを睨み続ける趙雲に言った。
「なぜ?」
趙雲がちらりとエリザベスを見ると、気高い女王は、純白のドレスを、屋上に吹きすさぶ夕闇の風になぶらせ、敢然とメアリを見据えていた。
「あの魔剣は、われらの霊性を傷つけることができる、いわば『英雄殺しの槍』とおなじ、呪具じゃ。まともにくらえば、そなたの肉体は消滅し、そなたのアトラ・ハシースもわらわも消滅、同時に、その娘も、そのまま朽ち果てようぞ」
「このままでは全滅、というわけか」
「ここに、『完全なる者』か、防御型アトラ・ハシースがいれば、なんら問題はないのじゃが、嘆いてみてもはじまらぬ。補給型たるわらわが、この場を凌ぐしかあるまい。だから、その槍を返せ」
「どうするつもりだ?」
エリザベスは、ちらりと、つぶらな瞳を趙雲に向けて、不敵に笑った。
「メアリがフラガラッハを放つと同時に、わが持てる霊力をすべて放つのじゃ。完全に防ぐことは無理かも知れぬが、そなたが、その娘をつれて逃げる余裕くらいは、多少できようぞ」
「それでは、おまえが消滅する」
「かまわぬ。メアリが怨霊となったのには、わらわに責がある。わらわの治世が、メアリを納得させるものであったなら、メアリをかつごうとする貴族どもを、もっと早く沈黙させることができたなら、わらわが、半端な慈悲をメアリにかけずにいたなら、メアリは、スコットランド王位への執着を捨て、おだやかな老後を過ごせたやもしれぬ」
「結果論だろう。それに、フラガラッハを押し止めるだけが、おまえの望みではなかったはずだぞ」
その言葉に、エリザベスは、今度は自嘲の笑みを浮かべ、目を伏せる。
「たしかにメアリを抑えることはできぬ。悔しいが、メアリのいうとおり、わらわは、はじめてメアリに負けようとしているのじゃ。だが、ただ負けるのではない。後事はそなたに託す。東洋の騎士よ、かならずあの怨霊の野望を挫いて欲しい」
趙雲は、言葉を返そうとしたが、エリザベスの表情の中に、頑なで純粋な気高さ、そしてなにより、栄光ある大英帝国の礎を築いた女傑の、強固な意志をそこに認め、口を噤んだ。
趙雲に、己の言葉が届いたのを見て、エリザベスは、会心の笑みをこぼす。
「さらばじゃ。それと、もうひとつ約束がある」
「なんだ」
エリザベスは、金の巻き毛を風になぶらせつつ、言った。
「次に会いしときは、わらわのことを、小娘ではなく、『女王陛下』と呼びしこと。よいな?」
「わかった約束する」
趙雲が頷くと、エリザベスは、はじめて晴れ晴れとした、明るい笑みを見せた。性格も性別も人種もちがうというのに、趙雲はエリザベスの中に、劉備と同じ、太陽のように不滅な、健全明朗たる精神を見た。
「お別れの挨拶はよろしくて?」
勝ち誇ったメアリの声が屋上に響き渡る。
フラガラッハから放たれる妖気は、ますます膨れ上がり、紫色に熔ける空に混ざり合っていった。
エリザベスの霊力と、フラガラッハの力をぶつけ合って、相殺する。
その間のわずかな隙に、アコの身体を運んで、屋上へ後退する。
だが、そのあとは?
怨霊の近づけない聖域に逃げて、体勢を整えるのが一番だが、卑弥呼の鏡によって『死者』である本質を暴かれた最上アキラ子の肉体は、もはや、どうにもならない。
本性を暴かれた瞬間に、本来ならば、肉体が朽ちてしまっても、おかしくなかった。
それが辛うじて保たれているのは、孔明の莫大な霊力が盾となり、彼女を保持するために、一瞬にして大量に消費されたからだ。
孔明の霊力は自然回復する。
霊力が回復すれば、それはアコの死にかけた肉体に流れ込み、ふたたび命を吹き込むことができる。だが、それには、時間をかけねばならない。
この学校の周辺の、聖域とはどこだ?
仙台東照宮は、学校から南へ数キロ先と、遠すぎる。
アストラルでありさえすれば、聖域をすぐに感知できるのだが、只人となってしまったいまでは、なにもわからない。
嘆いてみても仕方がない。
ともかく、逃げるのだ。時間を稼ぐ。
屋上の上で、メアリが構えるフラガラッハから、一撃が放たれる瞬間、後方にある、もう一方の屋上の入り口へ、飛び込むのだ。
メアリが空で、弓を番えるようにフラガラッハを構えると、霊力の弓がそこに出現した。
おそらくフラガラッハと対を為すもので、その照射率を高めるために作られた弓にちがいない。
「いまぞ!」
エリザベスの声と同時に、趙雲は素早く地を蹴った。
一子は、学校の裏山にある教会に向かっていたが、しかし途中で、ぴたりと足を止めた。
そして、さきほどまで握っていたアコの手の感触が、いまだに残る片手を、ぎゅっと握り締めてみる。
友だちになろうと言っておいて、肝心な時に見捨てて、逃げた。
なにやってるんだろ、あたし。これが、あたしの言う、友情ってやつ?
己を責める声がする一方で、すぐさま援護の声が胸の内に響く。
だってしょうがないじゃん。わけのわかんない変質者(しかも外国人の!)が襲ってきてさ、フツー、逃げるっての。勝てないよ、あたし、ふつうの人間だし。体育だって、10段階のうちの4、とかいうヤツだし、無理!
無理だったんだ。そうだよ。
一子は、いまやすっかり闇に飲まれつつある校舎を振り返り、そして、愕然とした。
屋上に、なにやら紫色の妖しい妖気が、はっきりと立ち上っているのだ。
「な、なんじゃありゃ」
これで、いつもならば、携帯を取り出してカメラで撮影をしたところであるが、一子に、そんな余裕は、まったくない。
紫色の煙も似た妖しい雲は、あきらかに、誰かが花火をした、などという可愛らしい理由で立ち上っているのではない。
美しい色をしているが、見れば見るほどに、背筋が冷たくなってくる。
蛇のうろこをは美しいが、それでも、蛇のものであるのにはちがいない。最初は美しさに見とれていられるが、だんだんと嫌悪感が増してくる。不安も共に連れてくる、気味の悪さ、それに似ている。
あたしは教室から突き飛ばされて、でもかすり傷ひとつ負わずに、地面にたどり着いた。
そしたらなぜだか、みんながぞろぞろ下校を始めて、ぽかんとしていたら、金髪の変質者が、鎌を持ってやってきたのだ。
あの変質者は、どうしてあたしを襲ってきたわけ?
最上さんが難しい話をしていたけれど、世界がどう、とか?
あいつ、あたしを殺そうとしていたんだよね?
そのとき、一子の脳裏に、ほぼ同時に二つの考えが浮かんだ。
1・だったら、尚更、逃げなきゃマズイじゃん。
2・だったら、尚更、逃げたら無責任じゃん。
でも、悪いことしてないよ? なのに、なんであたしが襲われなくちゃいけないわけ?
あたしなにか悪いこと……したかなぁ?
読書家の一子は、世に不条理があふれていることを、活字では理解していた。
悪事など、なにも働いていないと信じていても、知らない間に人を傷つけていることが、ままあることも。
しかし、相手が日本人、というのであればわかるが、外国人との接点が、バイトもしていなければ、塾にさえ通っていない自分にあるとは思えない。
まてよ、外国人? うちの犬?
でもあれは元中国人だけどなぁ。
そこでふと、一子は我に返った。
なんだか、あたしってば、狂ってない?
そもそも、人間の言葉を喋る犬がいるってこと自体が、異常だったんだ。
たしかに最初は驚いたけれど、なんとなく慣れちゃって、ぜんぜん不思議に思わなくなっていた。
銀のヘンテコに襲われたのもそうだし、あの煙を見ても、なんだか「わあ、ふしぎ」で終わっている自分って、変じゃない?
最上さんが、金髪の…『吸血鬼』とか呼んでいたけど、そいつに星の塊みたいな、すっごい光をぶつけて撃退したときも、「わあ、きれい、すごい」で終わっていなかった?
最上さんは、あたしを守るために何かをして、今度はヨーコなんかのために、学校に戻った。
それなのに、あたしは、さっさと一人で逃げちゃって…でもでも、最上さんは、あたしの安全確保が最優先、みたいなこと言っていたよね?
ああ、ごちゃごちゃしてきた。
あたしは逃げるべき?
それとも戻るべき?
「悔いの無いようになさい、言えることはそれだけよ。アタシでなくても、ほかのだれでもそうでしょうね」
その声に、一子は、逢魔が刻の、光と闇のあいまいな空間のなかで目を凝らし、そして叫んだ。
「羅貫中犬! 良かったー、生きていたんだ! 心配したんだよ!」
一子は、校庭のやわらかな土の上に、ぜいぜいと息を切らせながら、普段の姿とはかけ離れた、蓑虫のようにみすぼらしくなって、茶の長毛の薄汚れている羅貫中犬を見つけた。
「そんな簡単に、死にはしないわ。あなたたちを守る使命があるんですもの。無事ね? 怪我はどこにもない?」
「おかげで無傷だよ。良かったよー。もー、一人でどうしようかと思ってさ」
「無傷なの…良かったわ。たくさんの人に守ってもらえたのね?」
羅貫中犬を抱き上げようとした一子は、その意味ありげな言葉に、ぴたりと動作を止める。
「なんで知っているの?」
「この世界はね、あなたたち姉弟のために、存在しているものだからよ。あなたたちのどちらかひとつが欠けてしまったら、アタシたちがここにいる意味もなくなってしまうの。アトラ・ハシースが二人、それから、レティクル・クィーンかしら? 邪悪の霊力が、はっきり感じ取れるわ」
「それそれ! レティクルっていうの? 銀のヘンテコ! 昨日、仙台東照宮で襲われて、最上さんに助けてもらって…」
と、一子は言葉をつづけることができなくなった。
助けてもらったのに、自分は、また、見捨てるのか。
「どうしたの、一子。あなた、どうしてこんなところにいるの?」
「う、含蓄のあるお言葉ありがとう。本当だね、あたし、逃げてばっかりだ」
「そんな抽象的な意味で聞いたんじゃないわ。どうして、校門とは逆の裏山なんかに向かっているの? なにかそっちに用?」
「最上さんに、裏山の教会に逃げろ、って言われたんだよ。そこは聖域だから、吸血鬼もレティクルも追って来られないんだって」
「吸血鬼! そんなヤツまでいるのね!」
羅貫中犬は、四肢を突っ張らせ、すばやく周囲を警戒したが、さいわい、邪悪の気配は近くにはいなかった。
「最上さんって、あなたの言っていた、ヨーコとかいう子に、苛められている子でしょう?」
「そうそう、ヨーコがともかく足を引っ張りまくって、ヨーコを助けるために、最上さんが学校に戻っちゃって」
「待って。話が見えないわ。落ち着いて、順序立てて話をして。でも手短にね」
難しい要求を突きつけてきた羅貫中犬に、むう、と抗議しつつ、一子は出来うる限り手短に、昨日、羅貫中犬から別れ、それから今日の放課後に起こった、一連の不思議な出来事を、一気に説明した。
「その子、アトラ・ハシースなんじゃないかしら」
「あとら・はしーす?」
「そうよ。吸血鬼に、そこまで膨大な霊力をぶつけることができるのなら、アトラ・ハシースよ。只人なら、逆に霊力の固まりに焼かれてしまったでしょうし、アストラルならば、微力な霊力の束ならともかく、吸血鬼をも撃退できるほどの膨大な霊力はコントロールできないの。アトラ・ハシースとアストラルでは、霊力を受け止めることのできる器の、大きさ自体が違うのよ。
まちがいないわね。この世界をレティクルから守るために、ヴァルキューレのブリュンヒルデに召喚されたうちの、一人にちがいないわ」
「でも、最上さんって、あたし、一年の時から知っているんだけど」
「おそらく、なんらかの事情で、世界がループをはじめたときに、本来の姿じゃなく、この世界の住人として、封じ込められたのに違いないわ。アタシが、犬の姿をしているようにね」
くるり、と一子に背を向け、羅貫中犬は校舎の方に向き直る。
あわてて、一子が追いすがった。
「どこいくの? 最上さんは、教会に逃げろ、って言ったよ?」
「そうね。事情を知れば、それが最良の選択だわね。あなたは聖域へ行って、だれか、助けがくるのを待つのよ。もし、いくら待っても、誰も来なかったら…なんとかして、自宅へ帰りなさい。そして、もう絶対に家から出ては駄目よ。残ったアトラ・ハシースが戻ってくるのを待つの。いいわね」
「よくないよ! 羅貫中はどうするの?」
「アタシはアトラ・ハシースですもの。相手が何であれ、ここで背を向けて逃げるわけには行かないわ」
「足が震えてるじゃん! 一緒に教会に行こうよ。お父さんがもう帰ってきているはずだから、車で迎えにきてもらおうよ!」
「駄目よ。ここで逃げたら、アタシは弱虫の裏切り者として、アトラ・ハシース仲間から、はじき出されてしまうわ。いいえ、それが怖いのじゃなくて、これは、文人でありながら、アトラ・ハシースとなった、アタシの意地ね。さよなら、一子。レティクルなんかに負けてはだめよ。必ず助けは来るわ」
「ちょっとお!」
一子の抗議の声もむなしく、羅貫中犬は、いつになく力強く校庭を駆け抜けた。一歩、近づくごとに、跳ね返されるような邪悪な力を、全身にびしびしとつぶてをぶつけられるように、覚えながら。
「メアリ!」
趙雲が、まさにアコを抱えて飛び出そうとしたそのとき、もうひとつの声が、メアリの攻撃を制止した。
ヨーコである。
ヨーコが、ちょうど趙雲とエリザベスたちを狙うメアリの射程距離の真ん中に、割って入ったのだ。
「あんたが何を考えているのかわかんないけど、もうアコを傷つけるのはやめてよ!」
「愚かなことを! 一番、傷つけ、死に追いやった女が、いまさらわたしに説教をするつもり? おどきなさい、邪魔よ!」
「邪魔してやるよ! なんなの、あんた! もう、わけわかんない!」
「説明したところで、あなたのおつむじゃ、理解はできないでしょうよ! 死にたいの? さっさとおどきなさい!」
「なんだか、よくわからないんだけどさあ、あたし、たしかに勉強とかちゃんとしてこなかったから、馬鹿だし。でも、あんたに馬鹿にされた、ってことは、はっきりと判るんだよね。つーか、どうしてアコを、あんたが殺そうとしているのかも、意味不明だし」
メアリは苛立って、ヨーコから照準を外して、フラガラッハを放つタイミングを狙っている。
しかし、ヨーコは思わぬ運動神経をみせ、メアリがフラガラッハの先端を変えるごとに、自分も位置をすばやく変えた。
「あんた、アコは殺しても、馬鹿にしているあたしは殺さないんだ?」
揶揄するように言ったヨーコのことばに、メアリは語気を荒げる。
「愚民が、黙るがいい!」
「グミンだから、よくわかんなーい。でもさ、あんたも、あんまし頭よくないんじゃない?」
「なんと?」
趙雲からは、ヨーコの表情が見えなかったが、いま、茶色の髪をした少女は、はっきり笑ったように、感じられた。
屋上から見える泉が岳の稜線に、いま太陽が完全に消えていこうとしている。
その最後のひとかけらを掬うように、ヨーコは、手にした卑弥呼の鏡を向けた。
とたん、太陽の光は吸い寄せられるように鏡に集り、そして、鏡面に反射して、メアリ・スチュワートにむけて、いっせいに閃光を放出した。
何百というフラッシュを、いっせいに浴びせかけたような光が、メアリめがけて降り注ぐ。あまりのまぶしさに、趙雲もエリザベスも、とっさに目を庇う。
「貴様!」
目を庇う趙雲の指の隙間から、フラガラッハを持ったままのメアリが、もだえ苦しむ姿が、はっきりと見えた。メアリは、耳を塞ぎたくなるような、甲高い悲鳴をあげて、のた打ち回る。
とたん、ぶわっと青白い炎が巻き起こり、メアリの全身を焼き尽くした。
「はは、マジであたしってばすごい。今日から正義の戦士デビュー?」
などと、呑気に喜んでいるヨーコのもとへ、すばやくエリザベスが飛んで行った。
「ようやった。誉めて使わすぞ。しかし光が足りなかったようじゃ。メアリは倒れておらぬ。やつがもだえ苦しんでいる、いまのうちに、逃げるのじゃ! 東洋の騎士、そなたも!」
趙雲はエリザベスの言葉に頷き、アコをかかえて、屋上の入り口へ向かう。
ヨーコはというと、突如あらわれた白いホロコーストに、口をあんぐりとさせている。
霊具を持っているので、エリザベスの姿が見えるのだ。
「説明は後じゃ! 早う!」
ぽかんとするヨーコを、エリザベスは促し、趙雲につづいて、屋上の入り口へ向かおうとする。
しかし、趙雲がまさに扉に手を掛けようとしたその瞬間、屋上の入り口が、木っ端微塵に砕かれた。
爆風に煽られ、趙雲はアコを抱えたまま、屋上に転がる形となった。
擦過傷を全身につくりながら、まず、アコが無事かどうかをたしかめ、辛うじて息があることを見ると、給水塔の上にいたメアリを見る。
そこにはもう、ハニーブロンドの可憐な少女の姿はどこにもなかった。
フラガラッハを手に携え、ぼろぼろのドレスを身に纏い、首には無残にも斬首の後がくっきりと残る姿をした、小太りの中年女の姿があった。
処刑される直前の、メアリ・スチュワートの姿である。
「本来の姿というわけか」
「お黙り! おまえたち…もはやレティクルの思惑などどうでもよい! みな殺しにしてくれようぞ!」
その言葉に、ヨーコを庇っていたエリザベスは、舌打ちをした。
「相変わらず短慮な女よの。この娘をも殺すと? 激昂のあまり、味方を裏切ろうというのか」
エリザベスが忌々しそうにつぶやくのを横にして、趙雲は、消失した入り口から、なんとか下に降りることはできないか確かめた。
フラガラッハの威力はすさまじく、ちょうど入り口のあったコンクリート部分はすべて砕け散り、屋上から、最寄りの階に掛けられていた階段は、融け落ちていた。
これでは飛び降りるしかないが、アコを抱えた状態で、生身の身体で飛び降りたなら、ただではすまないだろう。
「東洋の騎士、そこはもう駄目じゃ。となれば、入り口はただひとつ」
エリザベスに言われ、趙雲も、メアリ・スチュワートの、ちょうど真下にある出入り口の扉を見る。
しかし、そこにたどり着く前に、メアリの構えている、フラガラッハの餌食になりかねない。
フラガラッハは、それ自身を投擲する攻撃方法のほかに、出入り口を吹き飛ばしたように、霊力をあつめて、レーザーのように照射する力も備えているようだ。
「結局、同じ作戦をとるしか、なさそうじゃ。そなた、フラガラッハに弾き飛ばされぬよう、その娘たちを、連れて入り口へゆけ」
「簡単に言ってくれるな。おまえの霊力と、あれほどの威力を持つ武器がぶつかった際の熱量を避けて、潜り抜けるのは不可能だ。俺もそうだが、この娘たちとて、火傷程度ではすまぬ」
「メアリを給水塔から下ろすしかないか」
エリザベスは、趙雲たちを守るように、すっくと前面に立つと、高らかと、中年女の姿をあらわしたメアリに言った。
「これはなんと不様な姿よの、メアリ。そのように高座にて、恥を晒しているでない。降りて、わらわと、堂々と一騎打ちをしようではないか」
「一騎打ち? おふざけにならないで、お姉さま。単に、わたしをここから下ろしたいだけでしょう。あなたの口車には乗りませんわ」
「だめか。しかし、そなたとて、真の姿を暴かれて、さらにいまの攻撃で霊力を大量に消費したはず。わらわと同等に戦うことすら、難しいのではないか」
すると、メアリは、耳障りな甲高い声をたてて笑った。
「怨霊には、怨霊の霊力の使い方がありますの。あなたがたアトラ・ハシースが、自然界から霊力を集めるのならば、わたしは人の負の感情を糧にする。人が滅びぬ限り、永遠に消え去ることのない、恨み、悲しみ、嫉妬、憎悪、恐怖。すべてがわたしの力。そこにいる、娘たちの感情もしかり」
「うぬ」
と、エリザベスは、床にへたりこんで、目を見開き、ぶるぶると子犬のように震えてしまっているヨーコを、ちらりと見る。
「なるほど、この娘に、怯えるなというほうが、無茶であろうからな。なるほど、やはり八方塞がり、というわけかえ」
「そうですわ、お姉さま」
メアリは、髪を振り乱して、凄艶に笑った。
十六の少女の姿をとっていた時とはまたちがう、成熟した女の艶やかさが、いまのメアリにはあった。
首の無残なしるしさえなければ、やはりその美貌に引き寄せられる者は多かろう。小太りな身体も、ふくよかな豊満さでもって、男の気を引き付けるのに十分である。
趙雲は、せめてヨーコとアコだけでも、なんとかして救いたいと思った。
自分たちは、基本世界において、一度死んでいる。
もはや消滅に恐怖はない。
むしろ、なにも為せずに死ぬ恥辱のほうがおそろしい。
エリザベスが盾となり、フラガラッハを受けてぶつかり合うエネルギーから、自分の身体を盾として、ヨーコとアコだけでも出入り口へ。
それしか方法はないだろう。
ここで立ち止まって、死を待っていても、仕方のないことだ。
自分が消滅してしまえば、孔明は煉獄行きであるが…
「許せよ」
昏睡する青白いアコの顔にそうつぶやき、趙雲は、フラガラッハの放たれるその時を待った。アコを片腕にかかえ、放っておけば、すぐにへたり込んでしまうヨーコを助け起こす。
「さようなら、みなさま!」
メアリの手から、フラガラッハが放たれた。
※ この話は、「新ずんだの章1」につづきます。