くっきき番外編 小川さんの悩み
解決編
アルプスを登る二人と一匹。
足取りも軽く、ちいさなリュックと魚の形をした、ちいさな瓶を水筒がわりに携帯した灰色のうさぎとは対象的に、そのあとから、うんざり、といった顔で、山をのぼる二人。
空は晴れ、雪の残る斜面のところどころには、可憐なエーデルワイスが風に揺れている。
アルプスに咲く花々の色鮮やかさは、疲れた目にもうれしいうつくしさではあるが、いまの孔明にその余裕はない。
不満もあらわに、なかなか進まない道(それは当然で、平面を歩いているように錯覚しているが、じつはけわしい山道を登っているからである)に苛立ちながら、ピクニック気分なものか、山道のうえを元気に、垂れ耳をゆらしながら行くうさぎのうしろ姿をみつめていた。
仲達は地属性のアトラ・ハシースなので、徒歩などの場合、ほかのアトラ・ハシースらとくらべて、霊力の消耗度がまったくちがうのである。
おなじ理由で、地属性のアストラルである趙雲も、孔明の数倍の荷物を背負いながらも、まったく疲れをみせていない。
一方の孔明は、風属性であるから、疲労の度合いが只人とほとんど変わらない。
常日頃は、霊力を気にすることなく風に乗って移動しているので、あらためて徒歩で山を登ることで、身体のほうが悲鳴をあげていた。
うさぎのほうは、のん気に『アルプス一万尺』などを歌っている。
「♪きーのう 見た夢 でっかい ちいちゃい夢だよ
ノミがリュック背負って 富士登山♫ ヘイ!
らーんららららららら らーんらららららら らーんららららららら らららららん♪」
と、ここまでご機嫌に歌っていた仲達であるが、途中で唄を切ると、けわしい顔をして振り返った。
「これ!」
「なんだ」
孔明が応じると、うさぎは、仁王立ちになって、怒りで顔をしかめつつ、言った。
「そなたたち、この唄をなんと心得る!」
「アルプス一万尺。なのに『富士登山』とは謎であるが」
「ん? アルプスはアルプスでも、ハイジのアルプスではなくて、日本の長野のアルプスではないのか」
「え、そうなのか?」
話し合うふたりに、うさぎはぴっとひとさし指をたてて、指摘した。
「揚げ足取りをするでない! よいか、アルプス一万尺は、『らーんらららららら』に入ったら、同行者も一緒に歌わねばならぬ唄であるぞ! なぜにそなたらは続かぬか!」
怒りながらも、うさぎは背負っていたリュックから、いそいそとちいさなノートとえんぴつを取り出すとメモをとりはじめた。
ノートには几帳面な文字で、『同僚評価表』と書かれている。
「諸葛亮、趙子龍、ふたりそろって協調性マイナス1! 気をつけよ、これが0になったら最悪ぞ!」
「何点満点のうちの0なのだ」
「10点満点。ちなみに0になったら、わたしに嫌われます」
「いいけど…」
「あっ、反抗的! 素直さマイナス1!」
うさぎは毛を逆立ててノートをとると、またそれをリュックにつめて、ぷりぷりと怒りながら、山登りを再開した。
「よいか、ちがう歌を唄うから、こんどはちゃんとついてくるのだぞ!
♪おかーをこーえ いこーよー 口笛 吹きつーつー
風はすーみー あおぞらー まきばをめざしー
うたおー ほがらにー ともに手をとーり らんらららんららららら
らんらららら ひつじさんー♪」
「……メエメエ」
「らんらららら うさぎさんー♪」
「う、うさ?」
「うさぎ? 子龍、うさぎの鳴き声はなんだ」
「えーと、びよびよ?」
「なんだそれ、動物の鳴き声か?」
孔明の指摘に、趙雲はしばし考え込み、それから答えた。
「おまえたちがうさぎだったころ、何度か気味の悪い声を聞いた。
うさぎとは、愛らしい外見のわりに、鳴き声が気の毒だなと思ったものだが」
「気味の悪いとは心外な。うさぎの鳴き声が猫や犬のようにわかりやすいものではないのは、外敵に鳴き声でそれと悟られぬようにするためぞ。ところで子龍」
「なんだ」
「さきほど欧州のアルプスについて、『ハイジのアルプス』と言っていたな」
「言ったが、それがどうした」
「いや、いまになって気になってきた。アルプスにはいろいろ特徴があるではないか。
『スイスのアルプス』『ツェルマトのアルプス』『エーデルワイスのアルプス『水晶のアルプス』…まだまだたくさんあるぞ。
そのなかで、なぜに『ハイジ』? そういえば、あなたの携帯電話の着信メロディ、一時期『おしえて』だったな』
「……そこはツッコミ不要だ」
「そういわれると突っ込みたくなる。もしかして、あなたの部屋の開かずの納戸、ハイジとか、そういう和み系のDVDが入っているとか」
「知らん」
「怪しいな。なぜ目を逸らす。わたしはあなたが最終回で涙ぐんでいたことすら知っているのだぞ、いまさら隠すことはなかろう」
「おまえの、そういうデリカシーの欠片もないツッコミがいやだから、黙っているんだ!」
言い争うふたりに、うさぎがまたまた振り返った。
「また唄を止める! というか、今度わたしを置いてけぼりにして二人で盛り上がったら、思いやり評価をマイナス2にするぞ!」
と、仲達が叫んだそのときである。
前方の尖った岩山のならぶ道(ほんとうは斜面)に、アメリカ西部の荒野にごろごろと転がっていそうな大きな回転草タンブル・ウィード(西部劇に登場するあの草は、枯れ草の塊ではなく、エアプランツの一種)のようなものが、ぽつんとある。
そして、その枯れ草の合い間に、きらきらとちいさく光るものが織り込まれている。
「おお、こんな近くにあるとは! あれぞまさしくガルーダの巣、そして羽根ぞ!」
仲達は喜んで巣に駆け寄っていくのであるが、その背中を見送っていた孔明は、ふと気づいた。
まだ山登りも中盤をすぎたばかりで、山頂の、もっとも人目につかないところに巣をつくっているという噂のガルーダの巣が、なぜだか、これほどわかりやすい場所にぽつんとある。
そして、まさにおあつらえ向きなことに、みなが霊具制作のためにほしがっている羽根をつけた状態で、ガルーダ本体がおらずに、巣が目のまえにある。
あまりに出来すぎていやしないだろうか。
「仲達、しばし待て!」
孔明が静止するよりさきに、仲達の手が、ガルーダの巣にのこされていた羽根をつかんだ。
とたん、それまで晴れていた空が、もくもくと黒雲につつまれ、身を切るようなつめたい風がびゅうびゅうとそこいらじゅうに吹き荒れた。
「な、なにごとぞ!」
うろたえる仲達であるが、孔明は、空を見上げて、舌打ちをした。
黒雲のなかに、武装したガルーダが何匹も見えたのである。
神鳥ガルーダの警備兵たちで、一般のガルーダは大きな鷲の姿をしているが、稀に変化して、人間の姿に頭部と翼が鳥、という姿の者も存在する。
やってきた警備兵はまさにそれで、人間の胴体には、見事な鎧装束をまとっていた。
そして、手には槍が握られているのだが、孔明も趙雲も、そして仲達も蒼くなったことに、その槍は魔槍『嘆きの槍』で、その穂先で軽く突かれただけで、相手のアトラ・ハシース、あるいはアストラルは、霊力を0にされてしまうというものだ。
「ガルーダ族の長年にわたる功績を愛でて、インドラが贈った槍だ。
その効力の高さゆえに、ふだんは使用されることはないが、繁殖期になると、村を守るために、示威効果もねらって、あの槍が、封印をとかれて表にあらわれるのだ」
孔明の解説に、うろたえつつ、うさぎはしっかりと手にガルーダの羽根をにぎって、だばだばと孔明のほうへと戻ってくる。
一方のガルーダは、孔明たちを見つけると、手に手に槍をもち、急降下をしてくる。
「われらの罠にひっかかった愚か者がいると見に来れば、当山孔真君、貴君か!
われらの掟を知るはずの貴君が、なにゆえにわれらが羽根を盗む!」
「待て、話せばわかる! 話し合おう!」
叫ぶ孔明であるが、ガルーダは聞く耳を持たず、孔明たちにめがけて、槍をかまえてくる。
あの槍に突かれただけで霊力は0になる。
つまり、活動できなくなり、捕虜になるしかない。
捕虜になったアトラ・ハシースやアストラルがどうなるかというと、ガルーダ族のきびしい掟にしたがい、何十年と水晶の檻のなかに軟禁されるのである。
「どうする!」
趙雲の問いに、孔明はすばやく頭をはたらかせ、答えた。
「ガルーダ族には掟がある。もちろん侵入者は捕獲する、というのもそれだが、ほかに、潜入者が逃亡した場合、ガルーダ族の追跡を振りはらった者は、その速度に敬意をはらい、これを見逃すこと、というものがある。
戦うのは、こちらが不利だ。逃げるしかあるまい」
「どうやって!」
「子龍、まずあなたを変化させる。そのうえで、わたしも龍に変化して風に乗り、どこまでやれるかわからぬが、かれらの追跡をふり切る。そして仲達」
と、孔明はうさぎを探すのであるが、うさぎはというと、羽根をしっかり握ったまま、地面にちいさな手をぴたりと当てて、なにかつぶやいている。
「聞け、地中をいく友よ、偉大なるガイアの僕にして覇王よ、わが声に応えて、あらわれよ!」
とたん、仲達の指を中心にした円が、ぴかっと光り、それまでまったくなにもなかった岩盤に、唐突にマンホールがあらわれた。
マンホールは、ぱかりと開くと、中から、『安全』と書かれた緑十字のマーク入りのヘルメットに、丸めがねのサングラス、『もぐら王国 覇王もぐたん』と印刷してあるタオルを首に巻いた、ニッカポッカ姿の大きなもぐらが、ひょっこりと顔を出した。
「おお、これはこれは、宣帝さま、いかがなされましたか」
と、恐ろしげな外見とはうらはらに、ていねいな口調で、もぐら王国の覇王である、もぐたんは言った。
『下宿先』の土中において、代々、もぐら族を統べてきた王権の衰亡により、もぐら戦国時代がはじまって久しい。
もぐたんは、勃興した新勢力のなかでも、勤勉さと奇抜な新戦略でもって、ライバルをつぎつぎと吸収合併し、もぐら界のほぼ9割を制圧した実力者なのだ。
こうまで立身出世を果たすことができたのは、あるひとつの悲しいエピソードがきっかけだ。
もぐたんが、まだ駆け出しの新人であったころ、美しい花の妖精に恋をした。
ねずみの家に下宿していたその少女に求婚したもぐたんであるが、野心に燃える若きもぐらは、純朴な少女には、ぎらぎらと危険な香りに満ちた、おそろしい者にしか見えなかった。
もぐたんの求婚を断わった少女は、つばめに乗って逃亡。
のちに、花の妖精の王子と結婚してしまう。
傷心のもぐたんは、このことをバネに、『成金でなにが悪い! 俺は俺の道を行くのだ!』と、ニ度と女には目もくれず、ひたすら覇権をにぎることに集中した。
そうしてもぐたんの手によって、もぐら界に平和がおとずれたわけであるが、この話は少女、すなわち『親指姫』サイドによって語られがちなため、もぐたんの評価は正当なものではない。
ちなみに、もぐたんは、最近余裕がでてきたため、ふたたび理想のパートナー探しをはじめているが、親指姫でケチがついてしまったのか、いまのところ見合いは100連敗である。
101回目にかけているその気合は、身に纏っているTシャツの背中のロゴ、
『お嫁さん、激しく募集中』
にも、あらわれているだろう。
「もぐたん、詳しい事情はあとで説明するが、じつはガルーダに追われているのだ。助けてくれい!」
事情を説明する仲達に、もぐたんは男気のあるところを見せて、まさにいま、魔槍を手に襲い掛かろうとする上空のガルーダにちらりと目線を走らせただけで、うなずいた。
「宣帝には、うちの部下たちもお世話になっております。さ、どうぞ、もぐら道をお使いください。
ガルーダたちには、この道は通れません」
「おお、恩に着るぞ!」
と、うさぎはマンホールの中に身を入れる。
それを見て、あわてて孔明は言った。
「まて、もぐたん! わたしたちも、もぐら道を使わせてくれぬか!」
しかし、もぐたんは振り向くと、悲しそうに首を振った。
「あいにくでございますが、当山孔真君、このもぐら道はゲストの定員1名、そして地属性の方しか通ることができないように仕掛けが作ってあるのです」
そうこうしているうちに、ガルーダたちのほうが、仲達ともぐたんが、もぐら道で逃げようとしているのを見つけた。
「逃がすな! 一斉攻撃!」
ばっさばっさと大きな羽音をさせて下降してくるガルーダたちを見て、うさぎは顔をきりりと引き締めると、つぶやいた。
「ううむ、いまこそ、新必殺技を出すときか。みな、心せよ!」
うさぎは、一度はもぐら道に身を入れていたのであるが、ふたたび地面にあらわれると、自分にむかって槍をかまえて襲ってくるガルーダたちに向かって、手を高々と挙げると、叫んだ。
「バニー・フラッシュ!」
とたん、仲達の身を中心に、まぶしい光が放たれる。
そのあまりのまぶしさに、ガルーダたちばかりではなく、孔明もまた、目をかばって動きを止めた。
その隙をねらって、仲達はおのれの身を、さっとふたたびもぐら道へと入れると、視界が回復せずに悶絶している孔明らに、不敵に笑って見せた。
「変わるわよ♡」
「ああ、変わるとも! おまえに対する評価がまるごと変わった! ひとりで逃げるつもりか仲達!」
「うむ、あとはよろしく逃げまくれ。それでは吉報を待つ!」
「なんと身勝手な!」
孔明の抗議をものともせず、仲達は、
「じゃっ」
と短くあいさつすると、そのまま、マンホールの中にもぐたんとともに入り、消えてしまった。
マンホールが閉まると、魔法の効果か、地面はふたたび岩盤のみとなり、どこにもマンホールの痕跡はなくなってしまった。
「おのれ、逃がしたか! しかしまだ敵は残っているぞ! 目標変更! 当山孔真君とそのアストラル! 心してかかれ!」
仲達の新必殺技バニー・フラッシュによって、隊列を乱されていた警備兵たちは、ふたたび空中にて編隊をととのえると、孔明らにむかって攻撃態勢にはいった。
孔明は空を見上げながら、舌打ちをする。
「ええい、仲達め、ここへきて本性をあらわし、われらを見捨ておったか!
仕方ない、子龍、当初の計画通りでいくぞ。まずは変化を!」
と、孔明は趙雲に向かって変化の術をかける。
でろん、という毎度おなじみの音とともに、白煙についであらわれた趙雲の姿はというと…
「なぜ、ヤギ…」
「単純な発想だ。子龍→ハイジ好き→ハイジ→ゆきちゃん→ヤギ」
「だから、たまたまハイジと答えただけだというのに。って、来たぞ!」
めえめえ言いながら孔明に警告を発するヤギ趙雲。
真っ白な毛並みがじつにかわいらしい。
孔明は、ガルーダたちが地上の自分たちめがけて槍をつきたてるぎりぎりまで待ってから、一気に身をひるがえし、飛龍に身を転じると、その身の丈にしてはちいさな腕でもって趙雲をつかみ、まさに脱兎の如く空へと飛び立った。
「おのれ、われらから逃げるつもりか! おもしろい、当山孔真君とスピード比べぞ!」
警備兵の隊長がいうと、それに同調して、ほかのガルーダたちも、おう、と気合を入れなおす。
それを後ろに、孔明は、ヤギを片手にひたすら空を突き進んだ。
※
小川さんの音楽工房は、なだらかな草原の一角にあり、ちかくには、おなじドイツ語圏のアストラルたちが営んでいる、ちいさな牧場がある。
工房の窓から外を見れば、伝説のアルカディアそのものの、みずみずしい光景をいつでも眺めることができる。
風は穏やかに吹き渡り、草原ではひつじが安らかに草をはむ。
黄色い花をつけた野草が揺れるうえを、蝶がぱたぱたと飛びかっている。
しかし小川さんは苦しんでいた。
というのも、コンクールのテーマである『凛々しい美しさ』にぴったりの曲を、どうしても思いつくことができなかったからだ。
さきほどまで工房には、ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルトなる、軽佻浮薄な青年が遊びに来ており、悪気はないものの、
「いんやー、テーマを聞いた途端に曲が降ってまいりまして、テーマにぴったりな曲をもう2、3は書き上げることができましたよ。
わたしって、ほんとうに天才だなとつくづく思い知った次第です。こりゃ優勝は申し訳ないですが、わたしで決まり、と」
と、自慢話をして帰っていったので、ますます焦っていた。
一応、何曲かあたらしいものを作り上げてはみたものの、どれもなんだか気に入らない。
音楽の父といわれたこの自分が、コンクールで不様な作品を発表してよいものか?
答えは断じて否、である。
そうして悩む小川さんの頭上を、忠実な使い魔である『ぶんぶん音符ばち』が飛び回っている。
小川さんを励ますために、『ロッキーのテーマ』を演奏しているのであるが、しかし賑やかすぎるという理由からこれは途中で小川さんに止められた。
「落ち込んでいるときは、バラードのようなしっとりした曲のほうがいい。おまえたち、なにか選んで演奏してくれ」
というわけで、その声に答えるべく、ぶんぶん音符ばちは、ぶんぶん飛び回りながら、たがいに相談して、小川さんの数ある曲の中から、マタイ受難曲を演奏しようと決めた。
そしてその演奏が始まろうというときに、突然に小川さんの部屋の床にマンホールが浮かび上がり、そこから一匹の灰色うさぎがぴょこりと顔を出してきた。
「小川さん、苦しんでおるようだな!」
息を弾ませて、マンホールから出てきたうさぎは、マンホールの管理人らしいもぐらにあいさつをして分かれると、リュックを背に、てけてけと小川さんのまえにやってきた。
でっぷりと太った小川さんは立ち上がると、やってきたうさぎを出迎えた。
「おや、晋の宣帝じゃありませんか」
「小川さんがコンクールの出品作で、頭を悩ませていると聞いたので、これを持ってきたぞ!」
と、うさぎは手にしていたガルーダの羽根を見せた。
その、きらきらひかる立派な羽根に、小川さんは息をのむ。
「まさか、繁殖期のガルーダの羽根ですか! 入手困難といわれる、わたしたち創造型アトラ・ハシースには夢の逸品! どうやって!」
おどろく小川さんに、うさぎは顔をほころばせて、いう。
「それはもう、わたしも栄えあるドレミ倶楽部の一員として、小川さんの力になりたいと思ったからのう。
小川さんのためならば、いかなる艱難辛苦もいとわぬぞ。
このあいだは、小川さんを不快にさせてしまったことの詫びもこめて、入手してきたのだ。
コンクールでは、小川さんに優勝してほしいしのう」
「ありがとうございます、わたしは、あなたを誤解していたようです」
目をうるませる小川さんに、うさぎは照れて、いやいや、と手を振った。
「誤解されることをしたわたしが悪いのだ。さあ、さっそくこの羽根をペンにして、作曲をしてくれい」
「ほんとうにありがとうございます。それではご厚意にあまえて、さっそく作曲をば」
と、小川さんは羽根を受けとると、しばらく瞑想にふけった。
窓から入る風の音、風に揺らめくカーテンの気配、窓辺の花から漂うわずかな香り…そんなものを感じながら、小川さんは、胸の奥底からこんこんと湧き出る曲想が、はっきりとかたちになるのを待った。
となりで息を呑んでいるうさぎや、ぶんぶん音符ばちの厚意にも答えなくてはならない。
そうして、いいようもないなにか、おのれを奮起させ、力を与えてくれる天使の贈り物、美しい旋律の塊が、はっきりとかたちとなって、小川さんの目のまえにあらわれる。
画家ならば、そのイメージは図像として書きあらわしたであろうが、小川さんはそれを音符にするのである。
「きたきたきた」
さらにイメージをよく掴もうとする小川さんであるが。
しかし。
どがーん!
すさまじい轟音とともに小川さんの音楽工房に、なにかが空から落ちてきた。
とたん、小川さんは、かっ、と目を見開くと、怒りのあまり、叫んだ。
「ああああ! もうすこしで、なにかがつかめそうだったのに! だれですかー、わたしの作曲の邪魔をする人は!」
崩落した屋根の巻き起こす砂煙の向こうに見えたのは、孔明と趙雲のふたりであった。
ガルーダをなんとか振り切って、仲達の気配を追って、小川さんの音楽工房までたどり着いたのであるが、霊力残量がきびしくなり、とうとう墜落してしまったのである。
それを見て、小川さんは、巨体を揺らして、怒りをこめて叫んだ。
「また出た、音楽の敵、汝の名は当山孔真君!
あんた、わたしにいったいなんの恨みがあるというのですか!
せっかく新曲のイメージが出来上がっていたのに、消えてしまったじゃありませんか!」
それを聞き、となりにいたうさぎは身も世もない、というふうに同調して叫ぶ。
「なんと、せっかくのイメージが霧散してしまったと! なんということだ!
オガワ、ボンバイエ! オガワ、ボンバイエ!」
「そんな変な唄で励ますなあ!」
「うわー? なんだかこっちきた!」
※
揉めている小川さんとうさぎをまえに、孔明はというと、屋根に身体を打ちつけた衝撃から、しばらく尻餅をついてぼう然としていた。
空を見上げれば、ガルーダの警備兵たちは、孔明を追うことをあきらめて戻っていくところであった。
どうやら勝てたらしい。
そうしてしばらくぼおっとしていると、背後より、ヤギより元に戻った趙雲が、壊れた屋根と、屋根が落ちたことによって壊れたテーブルの影から、顔だけ出した。
「なんだか揉めておるな。孔明、怪我はないか」
「ああ、あっちこっち打って骨もいったようだけれど、すぐに霊力で治したから、動くのは問題ない」
「そこのクローゼットまで行く余裕はないか」
趙雲のことばに、孔明は怪訝そうにふりかえった。
「クローゼット?」
趙雲はあいかわらず首だけをだして、そしてうなずいた。
「どうやら、ヤギから元に戻るタイミングが悪かったようで、服がズタボロだ。このままでは外に出られない。
小川さんは見たところ、俺と身長も変わらぬようだし、服を借りてもかまうまいと思ったのだが」
「ああ、そういうことならば」
そうして孔明はぎゃいぎゃいと揉める小川さんとうさぎを尻目に、クローゼットを開けると、てきとうに見繕って、趙雲に渡した。
小川さんの服であるから、それはヨーロッパのバロック期の、リボンをアクセントにした、華美なものである。
しかし貴族ではなかった小川さんの服は、過剰に煌びやかというわけでもなく、ほどよい渋さをそなえており、これが趙雲にぴったりと似合った。
「考えてみれば、いっつもトラブルの元はあなただ、この莫迦うさぎ!」
「あっ、莫迦って言った! 莫迦って言ったほうが莫迦なんですぅー」
「莫迦って言ったほうが莫迦、って言ったほうがもっと莫迦なんです!」
「莫迦って言ったほうが場か、って言ったほうがもっと莫迦、って言ったほうがもっともっと莫迦なんですぅー!」
「莫迦って言ったほうが……って!」
と、小川さんが、視界の端にいた、自分の服を着た趙雲の姿をみとめた。
その顔が、ぴかっと希望に輝く。
「それだっ!」
「は? どれだ?」
うろたえる趙雲のもとへ、小川さんは足音も荒く、駆け寄ってきて、趙雲の手をがっしりと掴んだ。
「『凛々しい美しさ』! ちょいと、当山孔真君のアストラル、あなたサイコー! わたしの理想、まさにそれ!
うしなわれた曲が戻ってきた! かけます、これでかけますよ!」
それを聞いて、ぱあっと顔を明るくさせたのは、仲達のほうであった。
「おお、よかったな、小川さん! 当山孔真君のアストラルを連れてきたのはわたしだぞ!」
ちゃっかりPRを忘れない仲達。
そんな仲達をよそに、小川さんは、猛然と机にかじりつくと、その後、わき目もふらずに一気に曲を書き上げた。
出来上がった曲は無事にコンクールに出品され、初の大会において、小川さんは音楽の父の呼称にふさわしい成績をおさめたのであった。
※
「ここで小川さんの成績が悪かったほうが、仲達には、いい薬になったような気がするが」
そんなちょっぴり意地の悪い孔明のことばも耳に入らぬほどに、仲達の機嫌はよい。
なぜならば、小川さんのスランプを助けたことを認められ、ドレミ倶楽部の特別会員にえらばれたのである。
ほくほくのうさぎは、今日もドレミ倶楽部で、みんなと楽しくコーラスに励んでいるはずである。
一方で、小川さんの近年における大活躍の陰に、じつは孔明と趙雲の努力があるということを知る者は、本人たちしかいないわけであるが、ガルーダの羽根からつくられたペンから生み出される、いかにも小川さんらしい穏やかであたたかい曲を聴くにつけ、
『なんだかどうでもよいか。いまは無事だしな』
と、ついつい、尖った気持ちも丸くなる、孔明であった。
ちなみに、趙雲の部屋にある、開かずの納戸の中身は、いまだ謎につつまれている。
おしまい
(C)Hasamino Nakama 2007 07 04