真ずんだの章 10
※ この話は、「真ずんだの章9」のつづきとなります。
白百合がこのまま失踪をつづけた場合、失踪宣告後、死亡したものと同等と法的にはみとめられるため、相続権は、通常であれば一樹にいくのであるが、最上家の場合は、山の相続者はかならず女性であるべしと決められているために、一樹に加担した者のなかでも、何百年と守られてきた因習をここで破るとなると、とたん、弱気になる者が複数いた。
では、かれらを納得させるためにはどうしたらよいかというと、一族のなかでも生き残っている女性に相続権を渡し、これを傀儡としてあつかうのである。
となると、自然と白羽の矢がたつのが、最上家の血筋のなかでも、本家とはほとんど没交渉となっていた最上アキラ子であった。
まりに事を冷徹に進めすぎる一樹に警戒心をもちはじめた仲間たちが、いまも生き残っている少女の名を出して、因習は守りつつ、彼女を利用し、山を支配すればよいのではないかといいだした。
かれらの数が思いもかけず多かったため、一樹は最上アキラ子をどうしても意識せざるをえなくなってきた。
かれはすっかり人の死というものに無感覚になっていたから、自分と敵対する態度を見せはじめた者を黙らせるために、アキラ子を消してしまうことも考えた。
だが、両親を亡くし、ほかに頼れる親族もなく、一人暮らしをしている少女とはいえ、これを容易に世間から消すのは難しい状況だ。
彼女の親の死というのが唐突であったためと、その両親の人徳ゆえか、アキラ子を気にかけて、ちょくちょく面倒を見にくる大人たちが存在したため、強引にことをすすめれば、よけいな騒ぎが起こる可能性もあった。
一樹が考えたのは、かれにしては消極的な対応であった。
すなわち、仙台に住む最上アキラ子を、おなじく仙台にいる潮に監視させることにしたのだ。
アキラ子は、自分の両親がなぜ事故に遭ったのか、親戚とはどういう人々であったのか、まったく知らずに過ごしている。しかし、一樹に反対する一派が、彼女に近づいて、山の知識を彼女に吹き込んでしまうとやっかいだ。
いや、たとえ山のことや一族のことを知ったとして、彼女が果たして、素直に傀儡としてあやつれるか、それとも抵抗するかは未知数であった。
一方で、一樹から依頼を受けた潮は、当初はアキラ子への監視に乗り気ではなかった。
とはいえ、宝の山である山の所有権を受け継ぐかもしれない少女となれば、潮の未来にも深くかかわってくるのだと、一樹に泣きつかれつつも、なかば脅されるようなかたちで、しぶしぶ監視をはじめることとなった。
潮はそこで、アキラ子への監視の一環として、アキラ子を妻の経営する学校法人に入学するように手をまわさせ、おなじクラスに娘のヨーコを置くことにした。
ヨーコにはなにも知らせなかった。
潮は、実子であるヨーコの能力や性格を信用していない。
ヨーコは野生のうさぎのように弱弱しいくせに敏感で、自分の身を守るためならどんな嘘も平気でつくようなずるさも持っている(どうしてそうなったかは、潮は考えない)。
利に聡いところもあるので、自分を裏切る可能性とてあると潮は考えていた。
じつのところ、血縁であるからこそ、あまりに見えすぎてしまい、潮はヨーコを愛することができなかったのだ。
ヨーコはまるで、自分の問題をそのまま体現して見せ付けるために生まれてきたような、歪んだ鏡のような娘である。
かれは、自分を、だれより嫌っている。
かれはコンプレックスの塊だった。
幼少のころより英才教育をほどこされ、その一方で、友達づくりが下手だった。
潮にとって、『友達』というのは『便利に使える人間』である。
情報や知識を持つか、人脈や物資が豊富なものでなければ、『友達』でなかった。とはいえ、それでいいのだと割り切る一方で、そうではないだろうという違和感が、いつも胸のなかにあった。世間では友情や愛情を最高のものだとして尊んでいる。現実を見ていないと、ろくに現実をしらないうちから蔑む技術ばかり磨いた潮であるが、しかし一方で、違和感は拭えずにいた。
だれにも本音を打ち明けられない。だれにも弱みを見せられない。自分はエリートである。
それはちがいないのだが、一方で、ひどく未熟で、子供のように残酷で粗暴なままの自分が、成長できずに胸のうちで膝をかかえて、世をそねんでいる。
エリートとして教育を受けられた環境というのは、そのまま幸福な環境であったとはいえない。大人になってまるで役にたたない数式を暗記させられるより、目のまえにいる人間に助けを求められる方法を、ほんとうは、かれは教えてほしかったのだが、だれにもそれは教えてもらえずに大人になった。
つねに不満と不安がある。
それは成長するごとに、消えるどころか膨らんでいったが、どんどん複雑な競争社会に飲み込まれていくうちに、表に出すことの許されないものとして、ますます胸のうちに蓄えられ、いつしかそれは、潮の心のなかの均衡を揺さぶるものにさえなっていった。
口が裂けてもだれにもいえなかったが、かれは、外面的にはエリートであるはずの自分が、人間性に欠ける欠陥品だということに気づいていた。
気づいているから、それを見まいと躍起になった。
なにより、いつまでも駄々をこねる子どもを内側に飼いつづけ、そしてそれを飼いならせずに、子どもであるならば駄々ですむが、大人であるからこそ唐突に兇悪になってしまう自分を憎み、おのれの内側の子どもを嫌でも意識させる、世のありとあらゆるもの、おのれの思うままにならないものを、はげしく憎んだ。
だからこそ、自分から派生した血を引く娘も憎んだ。
幼い頃はまだ従順であった。
おのれの地位を確立するために忙しくしていたので、ほとんど家に帰らなかったが、ヨーコは、いるということすら意識させない、大人しい娘だった。
ところが自我に目覚めたら手をつけられなくなってきたのだが、その言わんとするところは、潮が暗然とするほどに、かつての自分と同じことであった。
モノはいらない、ちゃんと自分を見てほしい。
不憫だと思うこともあったけれど、それよりさきに憎悪が先に立つ。
自分は我慢し、不満を押し殺し、ここまでやってきた。
どうして同じ血を引くくせに、我慢できずに、声高におのれの主張ばかりをくりかえすのか。
アルコールを口にしてしまうと、抑えがきかず、ヨーコを打ちのめす。
ほんとうのところは、抑えのきかない幼い自分を葬ろうとしているのであるが、本人はそこまで考えるに至っていない。
ともかく苛立つのだ。憎いのだ。
同居している妻や弟夫婦は、潮のなかにある兇悪さにむしろ同調してしまうことで、その暴力から逃げる術をおぼえたが、そこまで心が歪んでいないヨーコは、ひたすら反抗するか、下手な嘘をつくか、あるいは逃げるかしかできなかった。
そんな不器用な娘を、潮はますます疎んじた。
なにも知らないアキラ子を、やはりなにも知らないヨーコが同じクラスとなった。
とはいえ、同じ教室に入れれば、そこで友情が生まれるというという単純なものではない。
潮としては予想をつけていたものの、失望したことには、ヨーコは高校に入るとすぐに学校にもろくに通わず、家にもほとんど帰らなくなったため、アキラ子への監視の役目をほとんど果たさなかった。
もっとも、ヨーコは自分がアキラ子の監視役だということすら知らない。
潮は、ますます、この、自分の血をあきらかに濃く引いているがゆえに、どうしても好きになれない娘へ期待することをあきらめて、ふたたび人を雇って、アキラ子を監視することに方法を切り替えた。
アキラ子は、高校に入ってからも、生活に必死で、親の死をめぐる秘密については、なにも知らない様子であった。
アキラ子への接触をはかる、最上の一族の者もいない。
本来の相続人である白百合は、あいかわらず姿を隠しつづけていたが、白百合が一樹におとなしく所有権を渡せば、アキラ子への監視は解ける。
監視する必要のない少女となるのだ。
さすがの潮も、娘と同年の少女を、すぐに消すことをためらっていた。
いや、ためらいだけではない。他人には測りがたい心理が、潮のなかに生まれつつあった。
二年に及ぶ監視のなかで、最上アキラ子という少女の生活ぶりの詳細な報告を受けているうちに、潮は、この少女に対する、なんとも説明のむずかしい愛着をもつようになっていた。
女性として見ているのではない。
実際に一度も言葉をかわしたことはないのだが、遠くから、彼女の行動をひとつひとつ眺め、その生活ぶり、学校での過ごし方を見ているうちに、彼女が身近な存在に思えるようになってきた。
彼女は孤独で、友人もすくなく、現実のなか、たった一人で戦っていたが、その奮闘ぶりを、潮は最初は好奇心をもって見た。
すくなくとも、彼が歩いてきた人生のなかでは、アキラ子のように生活の苦しい者とは接することがなかった。
たいがいはみな同じ生活レベルで、生活が苦しいといっても、そのレベルは十分に基準以上であった。
潮のほうも、エリート意識がつよい男であったから、成り上がり者をあからさまに見下すところがあったし、利用価値のないものにはそもそも近づかない、という信条の持ち主であったから、いくら能力があろうと、もともとの出自が低いものや、金がないものには興味をおぼえることもなかった。
ほぼ無理強いされるかたちで、はじめてぎりぎりの生活のうえで、懸命に奮闘する少女の姿を見ることになったわけであるが、当初はほとんど異常がなければよし、とろくに報告に目をとおさないほどであったのが、徐々に、積極的に彼女の報告を見るようになっていた。
監視をつづけながら、潮は間接的にではあるけれど、アキラ子のことを理解していた。
データに浮かび上がってくる少女は、潮がその手では決して生み出せないであろうもの、両親の愛情をいっぱいに受けて、すこやかに成長した、愛らしい年頃の娘であった。
男と女としてではなく、守るべきもの、愛玩動物としてではない、あたたかく見守り、支えるべき娘として、アキラ子は潮の前にあった。
この世にはおのれしかおらず、いるのは敵か、あるいは隷属する者たちばかりという、孤独で歪んだ価値観の世界に生きているがゆえに、現実として出会ったなら、アキラ子の健全さは、うとましいものと映ったかもしれないが、データとして受け取る、現実であるにもかかわらず、どこかバーチャルなアキラ子の存在は、いつしか潮にとって、娘や妻以上に存在感をつよく示すようになっていた。
監視をつづけていくうちに、潮は、アキラ子だけは最上のことも知らないわけだから、このまま知らないまますごせるなら、ずっとそっとしておいてやりたいと思うようになっていた。
鈴木の死に疑問をおぼえた浅野と平塚八兵衛が、水面下でうごいていることを、この時点では、まだ潮は知らない。
しかし、かれらは静かに、着々と、潮を追いつめるための材料をたくわえていた。
そして、だれにとっても暗い記憶となる、2004年の12月がやってきた。
悲劇のきっかけは、ほかならぬ最上アキラ子であった。
終業式の直前、品行法正の奨学生であったアキラ子であったが、らしくもなく、学校を無断欠席していたために、心配した担任が自宅に連絡をとった。
しかし、応対者はだれもなく、バイト先にも顔をだしていない。もともと友人のすくない少女であったから、担任と、彼女を心配した数名のクラスメート(そのなかに浅野一子もいた)とで探したが、やはりまったく連絡が取れない。
マンションの管理人に連絡し、家のなかの様子をみてもらったところ、数日前から帰宅していない様子であることの確認がとれた。
彼女の保護者となっていた中学校時代の恩師と、高校の担任教師によって捜索届が出されたその日に、変わり果てた最上アキラ子の遺体が青葉山から発見される。ガードレールからの転落死。着衣に乱れがあったが、実際に乱暴された痕跡はなかった。
おそらくは暴行を逃れるために暗闇のなかで走っていたときに、誤ってガードレールから転落したのだろうと判断された。
さっそく検死が行われ、着衣についていた繊維、バイト先であるエスパルでアコを乗せた車の目撃証言などから、たびたび警察沙汰を起こしていた暴走族の少年たちが容疑者として浮かんできた。
一樹と組んでいる潮にとっては、計算づくで考えるならば、最上家の生き残りのひとりがいなくなったことは、喜ばしいことではある。
だがしかし、アキラ子の痛ましい死の報告を受けた潮は、身勝手な感情ではあるが、まるで、おのれのじつの娘を理不尽に殺されたような感覚をおぼえた。
実際には、潮は、いちどもアキラ子と顔をあわせたこともなければ、会話をしたこともない。
しかし、ニ年間の監視という経験を経て、おそらく、潮はアキラ子をもっとも理解している大人である。
知らないことがないほどであった。
彼女がどんな少女か、どんなふうに暮らしているか、なにが好みで、得意な学科はどれで、苦手な学科はどれか。
それが、この結果である。
さらに潮の怒りに火をつけたことがひとつ。
少年たちの交友関係から、捜査上に、娘のヨーコが浮かんできたことである。
つまり、潮がアキラ子への監視として配した娘が、逆に、アキラ子に牙を剥いたのだ。
自分に似ているがゆえに憎んだ娘が、はじめて実父のような心で見守っていた娘を死においやった。
押さえ切れないまま、いまもって胸にある狂気が、そのままヨーコに引き継がれて、それがアキラ子を殺してしまったのかもしれない。
だが、そこでおのれを省みて、絶望する潮ではない。
奇妙なことであるが、潮は、アキラ子のための報復をはじめることにした。
アキラ子の十七で終わったささやかな人生を守り、作ってきたのは、ほかならぬ潮が手を貸している最上一樹の手にかかった、アキラ子の両親である。
もともとうしろめたさがあってしかるべきだったのであるが、しかし、そういった都合の悪いことは、潮の脳内では、簡単にリセットされてしまう。
そうした身勝手さが、この男にはあった。
口さえ利いたことのない、名前と顔と、そのデータを知っていたというだけの少女を、邪な思いではなくて、ほんとうに可愛いと思った。
それを奪ったものに、罪を償わせるのだ。
そうして、潮のとった手段は、子どもが怒りを発するままに動いたようなものであった。
暴走族というのは、たいがいが暴力団とつながっている。
暴走族のなかから、暴力団は、見込みのある者を、将来の構成員として引き抜くのである。
家族や学校や、そのほかもろもろの規則から解放されるためにドロップアウトしたはずの少年たちは、皮肉なことに、ここで、さらに苛烈な競争社会のなかに置かれるのだ。
潮は、新聞記者の鈴木を始末した暴力団にふたたび連絡をとり、アキラ子を死に追いやった少年たちを探らせた。
蛇の道は蛇とでもいおうか、狙い通り、金と利権をちらつかせられ動いた暴力団によって、少年たちの身元は割り出された。
潮は、かれらに『正当な』復讐をすることにした。
未来のある少年たちだった、とは言えなかろう。
あまりにも傍若無人に他者を踏みつけにし、若さのうえに胡坐をかいて、善意によって守られながらも、その善意を哂う、そういった少年たちであったのだ。
他者の命は、かれらにとっては軽いものであった。
と、同時に、かれら自身も、生きているという実感が稀薄だったのである。
自分たちが、それこそ暇つぶしのために、たいした動機もなく、突っ走った果てに傷つけた人々の生活が、どれほど懸命なものだったか、かれらはわからぬまま、潮の歪んだ正義の元に、死を迎えた。
かれらが本当になにを望み、なにを得ようと反抗をしていたのか、その真意は、結局、だれにもわからない。
死は完結である。かれらがいつかはおのれを省みて、世にもたらしたかもしれない陽の可能性もまた、閉ざされた。
あるいはその逆の可能性も、また、しかり。
「基本世界では、暴力団の抗争に巻き込まれ、暴走族の少年たちが殺された事件が起こったわ。かなりの数の犠牲者がでたというのに、無惨なものよ。あなたのお父さんがマスコミを抑えたということもあって、世間はかれらの死をほとんど知らないままだった。むしろ、暴走族が減ったと賞賛されたくらいでね。
あたしたちの世界では、かれらの死は、仙台連続少年殺人事件に対応するわ。そもそも、最上アキラ子は、基本世界とちがって、当山孔真君の力によって生きていることからして違うのだけれど。
この事件と、あたしたちの世界の事件の時期や、被害者の数が大幅にずれたのは、吸血鬼という、いわば世界を渡るウィルスのようなものが、この世界に入り込んできたためよ」
羅貫中の声を遠くに聞きながら、ヨーコは耳鳴りを必死に耐えていた。
ヨーコの目のまえには、基本世界における浅野史朗の眠る姿と、それに重なるようにして、基本世界での様子が、つぎつぎと、編集のわるい記録映画のように、映像として浮かび上がる。
羅貫中が基本世界での情報をもとに、形としてそれをわかりやすいようにヨーコの前に提示しているのである。
浮かび上がってくる、ヨーコがそれまで見まい、知るまいとしていた、憎悪と恐怖の象徴たる父親の内面は、父親が自分を似ていると断じるのが理解できるほど、吐き気がするほどに、自分にそっくりだった。
幼いころから、物は与えられてきた。
しかし、親からなにか温かいことばをかけてもらった記憶がない。
父親も母親も、いつもよそよそしく、ヨーコがどんなに泣こうがわめこうが、どころか、どんなにうれしいことがあってそれを伝えようとしても、他人のように、いや、他人よりつめたく、見向きもしようとしなかった。
だから、ヨーコは、裏切られるのが嫌になって、だれにもなにも期待するのをやめた。
成長して、親からふんだんに与えられる物こそが、人を惹きつけると知ったとき、はじめて親の与えてくれる多くの物資に感謝したが、しかし好きにはなれなかった。
ときおり、たまらなくイライラして、後先を考えずに行動する。
自分の不用意な言動で、まわりが勝手に動いて、人を傷つけるのを見ると、むしろ生の人間の感情に触れることができるから、おもしろかった。
まったく無機質で起伏のないなかに身をおくよりも、憎悪や嫉妬のなかにいたほうが、まだましだと思った。
目にするもの、すべてが歪んでいる。
そうして口にするようになったことばは、
『人間なんて、そんなもの』。
しかし、人間のなんたるかの、おそらく半分を、自分は知らないまま来ているのだということを、頭のどこかで理解はしていた。
浅野一子のように、あたりまえのように幸福な家庭に育っている人間を、甘ったれだと馬鹿にしつつ、ときどき、腹が立って仕方がなかった。
なぜにこんなに差があるのだろう、自分が悪いことをしたからこうなったというのならともかく、なにも悪いことをしていないのに、どうしてこんなにちがっているのだろう。
そんななかで、よそよそしい誉めことばや、当たり障りのないノリだけの会話の向こうで、妙にどっしりとかまえて、普通のことばをかえしてくるアキラ子は、ヨーコにとっては貴重な存在だった。
はじめて友情というものを、彼女とのあいだに感じてすらいたのに、それをうまくつなげることができなかった。
どうしたら普通に友達になれるか、わからなかったのだ。
だから、いつものように、すこしイライラしていて、酒を飲んで、ちょっとふざけて、アキラ子を遊び友達の少年に紹介した。
好きにしても、だれにも文句をいわれない女の子だと紹介したのだ。
まさか、連中がそこまで極端に考えるとは思っていなかった。
酒が入っていたからとか、集団心理が働いたとか、そんなことは関係ない。
あたし。あたしは、ただふざけただけのつもりだったのに。
まさか、連中がそこまでひどいことをするとは想像もしなかった。
アキラ子が、自分のせいで死んでしまうなんて、夢にも思わなかった。
そして、アキラ子の背後に、本人すら知らなかった大きな闇があったことも知らなかった。
「意味ねーな」
うす暗がりのなか、眠りつづける少年と、かたわらに、丸くなっている黒い犬を、まばたきもせずに凝視したまま、ヨーコはつぶやいた。
笑い出したくなって、体が震えた。それを、隣にいる羅貫中が、きびしく叱りつける。
「しっかりなさい! あんたにはキツイことかもしれないけれど、あんたは自分の父親をしっかり見なければいけないのよ。それが、あんたがしたことの責任をとる、ということなの。
わかりづらいかもしれないけれど、この世界は、じき閉じて、ふたたび時間は最初に巻き戻る。そのとき、あんたがなにも変わらないまま戻るのじゃ、最上アキラ子の死は意味がないものになってしまうでしょ!」
「うるせえ!」
ヨーコは、カーテンの閉ざされた部屋を見つめたまま、叫んだ。
叫んで、ようやく涙が出てきた。
それは、いつか教会で流した、混乱のための涙ではなく、ほんものの悔悟の涙であった。
「なんだよ、畜生、あたしと親父はちがうって思ってたのに、結局いっしょなんじゃんか。親父は親父で、あたしが自分に似ているから嫌いで、あたしは親父が自分と似ているから大嫌いだ。そりゃ、親父だって、アコのような子のほうがいいよな。でも、あたしをこういうふうにしたのは、親父じゃねぇか!」
「そうよ。あんたのせいじゃないわ」
「じゃあ、どうしてみんなして、あたしばっかり責めるんだよ! あたしだって、こんなのヤダ! こんなのやだよ! なんでアコは死んじゃったの!」
「あなたが殺したのよ」
「殺してやろうなんて、ちっとも考えてなかったよ!」
「でも、同じよ。あんたにとって最上アキラ子は死に、彼女を襲おうとした少年たちもあんたの父親によって死ぬ」
「なんでだよ! こんなのヤダ!」
「あんたが歪んだのは、あんたのせいじゃない。でも、あんたの不用意な言葉、態度が、多くの死を招いたのは事実よ」
「うるっさい!」
「うるさかろうと、何度だって言うわ。あんたは先をまったく想像しないで突っ走る。ほんとうは、なにがしたいの? なにが欲しいの?」
「欲しいって、そんなもの」
夢がない。
目標もない。
家にいれば、相手の気分次第で暴力が降ってくる。
だれも守ってくれるものがいないので、そこから逃げるために必死だった。
相手の気持ちを鎮めて、自分を害そうなどと思わなくするような態度をひきだす技術だけはうまくなった。
いつも人の輪の中心のいるようで、じつは、周囲の人間すべてに怯えて、ご機嫌とりをしている。
怯えている自分を悟られないように、いじめられないように気を遣って、ほんとうはいつもびくびくしている。心休まるときがない。
浅野一子たちは、あまりに育ちがよすぎるために、ヨーコにはすこしばかり理屈っぽい未成熟な子どもにしか見えなかったが、アキラ子は、そんななかでも異質なものとしてヨーコの視界に映っていた。
もしかしたらアキラ子ならばあるいはという願望があった。
これだけ苦労している少女ならば、自分のことをわかってくれるかもしれない。
とはいえ、しっかりしているとはいっても、辛うじて自分ひとりの力で立っている、同じ歳の少女である。ヨーコが求めるものは、本来は両親から与えられるものであり、そこをアキラ子に求めるのは、アキラ子にとっても酷な話であった。
アキラ子に期待をかけてみる。
しかし、アキラ子は期待したどおりではない。
けれど、ほかの遊び友達とはちがい、文句は言うけれど、ちゃんと誠実に対応してくれる。
ヨーコは、その点はねばり強くアキラ子にこだわった。
このあいだは駄目だったけれど、今度はあるいはと、ふたたびアキラ子に期待をかける。
またも失望するが、その失望のなかに苛立は含まれるけれど、怒りまでには育たない。
アキラ子はすくなくとも、ヨーコの言葉に真剣に耳をかたむけてくれた。
ヨーコはそれがうれしいので、ついつい甘えてわがままを言ってしまうのだが、それは周囲には、ヨーコが特にアキラ子をいじめたがっているように映ってしまったようだ。
「なんでだよ。あたし、ほんとうは、アコと友達になりたかった。あたし馬鹿だから、アコのほうはあたしのことが嫌いだったみたいでさ」
それが悲しかったので、すこしいじわるをしてみたい気持ちが動いたのかもしれない。
そして、最後に、無惨な結果が待っていた。
「ほんとうね?」
「ほんとうだよ! もうやだ! こんなのやだ! どうしてこうなっちゃうの! あたしのほうが死んじゃいたいのに! 時間がほんとうに巻き戻るってんなら、あたしのほうを殺してよ!」
膝から崩れるようにして、その場にうずくまって、ヨーコは子どものように激しく泣いた。
頭を抱えて泣いた。泣きながら、身もよじらんばかりのつよい後悔の念が押し寄せてきて、たまらなくなった。
傷つけたくて、そうしたんじゃない。そうすることしか知らなかった。
ごめん、ごめんなさい。
ふと、崩れた身のすぐそばで、ゆらりと動くものの気配があった。
ヨーコは、嗚咽をくりかえしながら、涙でくしゃくしゃになった顔を上げる。
暗がりのなか、延命装置の機械のランプばかりが目立つなかで、それまで、眠る少年のよこたわるべっとのそばで、じっとうずくまっていた犬が、起き上がったのである。
そうして、涙を流しているヨーコの前に、犬はよろよろとやってきた。
ヨーコは、泣きながら、気づいた。
黒い毛並みのその犬は、だいぶ年をとっているらしく、その後ろ足をすこし引きずっている。
毛並みも、年のせいか、ぱさぱさしていて、毛そのものも、細そうだ。
痩せた犬である
。雑種の、足が短く、尻尾ばかりがきつねのようにふとくて長い、不恰好な犬だった。
片方の耳はぴんと天を向いており、もう片方の耳は、ぺたりと寝ている。
その犬は、ヨーコの前に来ると、静かに、その鼻面をヨーコの頬に寄せると、その涙を拭うように、舌でもって、ぺろりと頬を舐めた。
その感触がくすぐったくて、温かくて、ヨーコは思わず笑みをこぼす。
そうして、深く息をつく。
「思い出した。クロ。あんたはクロだ。浅野ン家の犬。あたしの親父が殺した、浅野のお父さんの拾ってきた犬」
犬は、そうだと返事をする代わりに、ヨーコから一歩、後退すると、天に向かって、高らかに宣言するように、遠吠えをした。
その声は、一匹の犬の声というよりも、かれの大事な家族である浅野家のだれもが死ぬことのない、夢の世界の終わりを告げる、悲しげなサイレンのようであった。
※ この話は、「真ずんだの章11」につづきます。