真ずんだの章 7

※ この話は、「真ずんだの章6」のつづきとなります。

犬の遠吠えが聞こえた。
それはいつまでも尾を引いて、混乱に陥っている仙台の街のうえに、たなびいた。なにかを告げるサイレンのように。

羅貫中犬は、前足を窓の桟にかけて、窓のそとを見た。
電光が反射するために、窓はまるでスクリーンのように、室内の様子を映している。
史朗や一子たちと無邪気にGAME機で遊んでいるヨーコの姿が、そこにはあった。
基本世界で起こったことを考えれば、いま、史朗の部屋でくりひろげられている光景は、まさに奇跡のようである。
こちらの世界は、確実に変化をしている。
GAMEに夢中になっている一子やヨーコには、犬の遠吠えは聞こえなかったようだ。
それでもいいと、羅貫中犬は思う。
多くの楽しい時間を過ごすことで、悲劇をなくすことができるなら、それでいい。
ヨーコは、たしかに考えなしなところのある娘だけれど、千台潮のような冷血さはない。世間知らずなだけなのだ。
こうして、すこしずつ、人間関係がかわっていけば、もしかしたら、『最悪の日』は回避できるのではないか。

『なんて考えは、甘いようね』
心を引締めつつ、窓ガラスに反射して映るヨーコたちの向こう側を、羅貫中犬は、じっと睨んだ。
その視界のなかにあるのは、闇に溶けつつある上杉の住宅地ではない。
羅貫中犬の目線のさきには、はっきりと『基本世界』の様子が映っていた。

いま、羅貫中がいる世界というのは、えんえんと2004年の12月1日から、23日までの22日間のループをくりかえす、この夢の世界である。
これがあまりに精巧にできていたために、現実世界、つまりは、基本世界を中心にひろがる汎世界にも、影響を与えるようになってしまった。
つまりは、まったくあたらしい世界が、唐突に割り込むようにして汎世界の連なりのなかに生じたのである。
この影響をおそれて、アトラ・ハシースとアストラルを統括する『最高府』は、この世界を隔離し、ありとあらゆる霊的存在がこの世界にやってこられないように、渡航禁止命令を出した。
孤立した世界をなんとか保たせているのは、ヴァルキューレが残してくれた、このオーディンの結界に守られている、世界の臍たる浅野家の存在と、わずかに残っている世界樹ユグドラシルの存在があるからだ。

いまの遠吠えは、もしや、○○のもの?

羅貫中犬は、じっと目を凝らす。
その目線の先には、基本世界の『いま』が映し出されているのであるが………

主の眠りつづけるカーテンの閉ざされた部屋。それを守るようにしてうずくまっている○○。
浅野家のひとびと、後悔にさい悩まされている夏目マナブの姿。
店の主が女子高生と心中したために、店を畳まざるをえなくなった牛タン店。
日本中をおどろかせた、仙台駅におけるおおがかりな爆破事件。
巻き込まれて死に至った、視察旅行に向かうとちゅうであった反千台派の県議会議員たちと、兄の追っ手から逃げようとしていた最上小百合の死。
テロ事件の捜査中に、過労が原因で拳銃自殺したとされた刑事・平塚八兵衛。

前回のループでは掴みきれなかった全体像が、羅貫中の目の前に、つぎつぎと映し出される。
どれもこれも、ひどい話であった。
命がこれほど軽くあつかわれてしまうとは。
うず高く、無造作に積み上げられたひとびとの死。
葬列はつづき、止むことはない。
まるでTVのチャンネルを切り替えるように、つぎからつぎへと、画面は切り替わっていく。

いやな画面ばかり。
なるべくなら見たくないけれど、こればかりはしょうがない。
これで確認するかぎり、基本世界への影響は、最高府の封鎖が利いたのか、ほとんどないようであるが……

『え?』
唐突にあらわれたその光景に、羅貫中犬は、思わず窓の桟にかけていた両足が滑りそうになるほどにおどろいた。
『どういうこと。どうして生きているの? それに、あれはだれ? アトラ・ハシースなのはちがいないわ。でも、どうしてひとり増えているの?』
身を乗り出すようにして、目のまえに映し出されている光景の人物が何者なのか、見極めようとする羅貫中犬であるが、そのとき、階下の玄関がひらく音がした。

開けはなたれた部屋の向こうから、階段をとおして、玄関からの声が聞こえてくる。
「ただいまー」
その声に、一子と史朗が手を止めた。
「あ、お父さんが帰ってきた。今日、早いじゃん」
一子と史朗は、GAMEを中断し、玄関の父を迎えにいくために、ばたばたと仲良く階段を降りていく。
ひとりぽつんと残されたかたちとなったヨーコであるが、そこに浮かんでいた表情は、嫉妬と寂しさが入り混じった、怒っているようにも見える、複雑なものであった。
「ちぇ、マジでここの家のやつら、仲がいいんだな。あたしン家なんて、親父が帰ってきたら、みんな出迎えるどころか、部屋に逃げるぜ」
言いつつ、気を紛らせるためか、いささか乱暴にGAME機のコントローラーを離し、それから、GAME本体の電源を落すと、TV番組に変えようとする。
「てか、犬さー、アサノの親父さんが帰ってきたってことは、そろそろ晩飯ってとこだよね? 匂いからして、ビーフシチューかハッシュ・ド・ビーフか、デミグラスハンバーグと思ったけど、あんたはどう思う? 
あ、犬って玉ねぎ、だめなんだっけ。おこぼれに預かれないねー」
「そんなことはいいわよ。アンタ、どうしてチャンネルを変えないの? 砂嵐ばっかり」
「は? あれ? ここの家、チャンネル設定、うちと違うのかな? フツー、1がTBCで、34がミヤギテレビ、32が東日本放送、12が仙台放送、3がNHKだよね」
「5の教育テレビが抜けているわよ」
「教育テレビなんざ見ないもん。いるんだよねー、東京モンの真似してさ、まぎらわしくチャンネルを1がNHK、4をミヤギテレビ(日テレ)、6をTBC(TBS)、8を仙台放送(フジ)10を東日本放送(テレ朝)にわざわざしているやつ。
郷に入りては郷に従えだっけ? わかりにくいから、やめろっつーのにさ」
「また教育テレビが抜けているわよ。もう、さっきから、ざあざあと。どうして変えないのよ」
「かえてるよ。ほら」
ヨーコが言うとおり、手にしているリモコンで34を押しても、画面の左端に34の表示が出るだけで、画面は、なにも映し出さない。
「変なの。さっきはちゃんと映ったのに。アンテナが倒れたのかな。つーか、困るよ。ムネさんの『OH!バンデス』(作者注・青葉城恋唄でおなじみさとう宗幸がホストをつとめる、仙台人ならだれでも知っている、地元密着型情報番組)が見れないじゃん」
「あんたって、けっこう地元に律儀よね」

そんな会話をしているヨーコと羅貫中の耳に、階下から、史朗と、浅野家の父の声が聞こえてきた。
「本当だ、なんでだろー。うちの目のまえにDoCoMoビルがあるのに、圏外なんてありえないよねぇ? お父さん、壊しちゃったんじゃないの?」
「そんなことないよー。フツーにポケットに入れていたんだぞ。おかしいな。一子のも見てみてくれる?」
年頃の娘に、いささか遠慮がちな中年男の声が聞こえてくる。
部屋の扉から、覗きこむような姿勢で、ヨーコと羅貫中犬は、階下の様子をうかがった。
「ありゃ、あたしのもダメだ。なんだろうね。DoCoMoに問い合わせてみる? お母さんのはどお?」
「あたしのも圏外よ。よし、それじゃあ、みんなで携帯もって、あっちこっちに散ろう。圏外じゃないところがあるかも」

母親の号令にしたがって、四人の家族は、携帯の画面とにらめっこしながら、四方に散っていく。
それを聞いて、ヨーコも自分の、やたらとシールがベタベタ貼られた、派手な携帯をひらいた。
「あたしauだけど、あれ、やっぱ圏外になってる。どおりで静かだと思ったー」
やがて、しばらくして、階下から、父親の、
「おい、固定電話も繋がらないぞ。NTTでなにかあったのか?」
という声が聞こえてきた。

とたん、羅貫中犬には、ひらめいたものがあった。
この家が閉鎖されている。
だれが、なんのためにそんなことを?
決まっている。ヴァルキューレだ。
オーディンの結界がその真の効力を発揮し、浅野家の面々を守るべく、その力を最大にして働いているのだ。

前回のループは、もはや参考にならない。
ここにいるヨーコがいい例だ。
今回のループと、前回のループ、状況が乖離したために…

ぞっと羅貫中犬は身をふるわせた。
『さっきの犬の遠吠え。そして、さっき見た、基本世界の様子。
最高府の封鎖が、どういうわけだかうまく行っていないんだわ!
だから、こちらの状況が、基本世界に影響を与えている。バタフライ効果で、こちらの変化は、ありとあらゆる汎世界に、影響をおよぼしつつあるとしたら?』

「あれ、どうしたの、震えちゃってさ」
呑気にたずねてくるヨーコに、羅貫中犬は顔をあげた。
「アンタ」
言いかけた言葉を、羅貫中は、ぐっと飲み込んだ。
自分のいましようとしていることは、正しいのだろうか。
この娘に対して、あまりにひどいことを告げようとしている。
だが、先ほどの犬の遠吠えが、『ラグナロク』のおとずれを告げるものだったら、一刻の猶予もならない。
『最悪の日』は、繰り上がって今日になったのだ。
そして、この日に犠牲になる者も、変更になったのだ。
浅野家、最上家、千台家、そして夏目家。
この四つの家が絡む悲劇から、浅野家が外されるとしたら、悲劇に見舞われるのは? 
いま、こちら側についている、ヨーコではないのか。

「なに? もしかして、具合が悪いの。ブルブル震えてるけど」
「そうね。震えているわ。しっかりしなくちゃいけないわね」
あたしはアトラ・ハシースなんだから。
只人を救うのがその存在意義。
そして、この世界への召喚に応じたのも、あまりに理不尽でかなしい現実に、あえて、そうではないと異議を唱えたかったから。
この娘にすっかり感情移入してしまっているおのれの弱さを、羅貫中犬は叱った。女王は、そのあたりは毅然としていた。
最上アキラ子にまつわる悲劇をきっちりと伝えた。
だからこそ、この娘は変わったのだ。
だが、まだ、十分ではない。

「相手を助けるということは、自分が傷つくことでもあるって、ほんとうね」
「は? どういう意味?」
羅貫中犬は、覚悟を決めるために、深呼吸をひとつすると、気合をいれて、怪訝そうにしているヨーコを見た。
「あんたには、教えておかなくちゃいけないことがあるわ」
「なに? あんた、さっきから、チョー思わせぶり」
「混ぜっ返さないで聞きなさい。いい? あんたはGAMEに夢中になっていたから気づかなかったかもしれないけれど、さっき、犬の遠吠えが聞こえたわ。
あの声は、時空をへだててひびいた、ケルベロスの声なのよ」
「べろべろす? なんだろ、新キャラ登場?」
混ぜっ返すヨーコを、羅貫中犬は、叱るように、眦をつよくして見上げる。
すると、ヨーコもひるんで、言った。
「ごめん、真面目に聞く」
「ええ、そうしなさい。この世界は、2004年の12月を繰り返しているの。
そもそもは、2004年12月24日のクリスマスイブの悲劇……『最悪の日』を止めるために、悲劇の起点となる12月1日から状況を変えるためのヴァルキューレの処置だった。
最初のループは悲惨なものだったわ。アトラ・ハシース同士で決裂し、だれひとり救うことができなかった。
この反省を踏まえて、ラ・ピュセルが聖剣アスカロンとともに、二番目のループをはじめたの。それが、いまなのよ。
二番目のループは、聖剣アスカロンの力が強すぎるために混乱もあったけど、最初のループよりもずっとうまくいったわ。けれども、状況があまりに変化しすぎて、物事の順序がすっかり狂ってしまっているの」
「よくわかんないけど、『最悪の日』を止めるのが目的ってんでしょ? いまのままだと、それはできるの、できないの?」
「答えは、半分はイエスで、半分はノーよ。完全に『最悪の日』を回避することができない。
浅野家の人間は守られるけれど、ほかのだれかが、今日、身代わりに犠牲になるのよ
。だからこそ、ケルベロスはこのループのやり直しを告げる声を発したのだわ。
『ラグナロク』がはじまる。つまり、二度目のループも失敗し、三度目が始まるということよ」
「らぐなろくって、なに?」
「アトラ・ハシースが使う隠喩で、『世界の終わり』よ。
わざと空間を閉鎖し、時間を遡らせて、悲劇を防ぐために起点となる事件を解決して、まったくちがう結果を導きだすという方法は、じつはそうめずらしい方法じゃないの。
ふつうは、ループは一度で解決するのだけど、今回のように、再度のやり直しが必要なときがある。
そのやり直しをするために、この世界がこのままの状態で継続することを破棄するの。だから『ラグナロク』。世界の終わり」
「あんたさ、ものすごいこと言ってない? 過去に遡る? そんなことが何度も出来るの? ん? 待てよ。そうしたら、おっ、それいいじゃん!」
ヨーコは、うれしそうにパン、と手を叩いた。
「あたしが男たちをたきつけて、アコを冗談のつもりで襲わせるってことを、しないようにできるってことじゃん! それいい、とってもいい! 早くもどろ!」
喜びに顔をかがやかせるヨーコであるが、しかし羅貫中犬は笑うことができなかった。その様子を見て、ヨーコも、すぐに顔を曇らせる。
「あれ? もしかしてダメなの? あ、あたしって只人ってやつだから、過去に戻ったら、いまの記憶がスッカラカンになくなっちゃうとか? 
でもさ、アトラ・ハシースのあんたなら、記憶を持ったまま戻れるんでしょ? そうしたらさ、あたしに、こういう事しちゃダメよ〜って、言いに来てくれればいいんだよ」
「そうするわ。きっとそうする。でもね、あんたがしなくちゃいけないこと、責任を負わなくちゃいけないことは、最上アキラ子のことだけじゃないのよ」
「は? あたし、まだなんかやってんの?」
「あんたには、ほんとうに同情するわ。じつをいうと、三度目のループが、どんな形ではじまるのか、あたしにもわからない。
二度目のループは、ユグドラシルがまだ残っていたから、まだ大丈夫だったけれど、いまの不利な状況では、もっとひどい条件での開始になるかもしれないわ。
それでも、あんたに頼らなくちゃいけないのよ。あんたが変われば、世界は変わるわ」
「どういうこと?」
「ついてきなさい」
羅貫中犬は、鉛のように重く思われる足を上げた。
そして、ヨーコに気づかれないように、心の中で、深いため息をついた。

この役回りを、あたしがしなくちゃならないなんてね。
陳寿のじいさん、なにをやっているのかしら。
恨むわよ。

そんなことを思いながら。



レティクル・クィーンに吹き飛ばされた趙雲であるが、そのまま、空中で身をひねり、体勢をととのえて着地した。
その身の軽さは、体操選手にも引けを取らない。
「無事か?」
孔明の声に、趙雲はうなずいた。そうして、目のまえのレティクル・クィーンを激しくにらみつける。
弾き飛ばすと同時に、霊的攻撃で、この体をぼろぼろにすることも可能だったはずだ。
そうしなかった。
どういうつもりだ。
こちらが圧倒的に有利なのだから、無益な殺生はしないとでもいいたいのか。

「おやおや、光る女とはめずらしい。はじめてみた。それは蛍光塗料かね」
とぼけたことを言って、怖じる様子もなく、かたわらのケマルはクィーンをじろじろと観察する。
次いで、公園のあちこちに姿をあらわした、銀の小人のほうにも目を向けた。
「白雪姫と一個中隊の小人、といったところかな。初対面だと思うのだが」
「前回で会ったと思うけど」
クィーンが答えると、おどろいたように、ケマルは眉をあげた。
「日本語が堪能なところをみると、アイボのように、どこぞの大手電気メーカーが作成したロボットかなにかかね」
「そうじゃなくてよ、ムスタファ・ケマル」
「ならば、自己紹介の手間が省けるが、君のようにド派手な女を忘れるとは、余の健忘症も、ずいぶんと磨きがかかったものだな」
そうして、ケマルは、厳しい顔をして身構えるアコの姿をした孔明と、酸欠状態から解放されて、咳き込んでいるひとびと、上空から苛立ちをおぼえるほどにプロペラの旋回音をひびかせているヘリコプターとをぐるりと見回したあと、ふたたびレティクル・クィーンのほうへと顔を向けた。
「余を助けにきたわけではなさそうだが」
「助けてあげてもいいわよ。あなたが味方になってくれるのなら」
「男の味方より、女の味方になるほうがいいが」
と、そのとき、ちょうどレティクル・クィーンが庇うようにしていたリムジンの扉がぱっとひらき、中から、息も絶え絶え、といったふうに、ネクタイをゆるめて、あぶら汗を大量に流している、千台潮があらわれた。
あらわれたというよりも、転がり落ちた、というほうが、ただしい。
「いいところへ来てくれた!」
千台は、ぜいぜいと息をしながらも、クィーンに言う。
ずれた眼鏡をなおし、あぶら汗を垂らした千台を見て、レティクル・クィーンは、ふぅ、とちいさなため息をついた。
「こんな男が、わたしたちのマスターの祖先だなんてね」
「そうだ! わたしがいなければ、おまえたちはいないのだぞ! 助けろ!」
「威張った男だな」
誇り高いケマルは、威張り散らす男がきらいだ。
息ができなくて苦しかったであろうことはわかるが、どう贔屓してみてやっても、潮の姿はあまりに無様にすぎた。
上に立つ者はどうあるべきかを常に意識し、理想の帝王、理想の父たれと思っているケマルとしては、潮は、いささか威厳が欠けているように思われた。

「クィーン、そこをどけ。その男を始末する」
凛とした声にケマルとクィーンが見れば、孔明が、その手に、いつの間に召喚したのか、自分の聖剣を取り出して、じっとクィーンをにらみつけている。
そのかたわらには、白いドレスをまとったホロ・コーストが控えているのだった。
「わたしに命令をするつもりなの」
クィーンのことばに、ふわふわと宙に漂っているホロ・コーストのエリザベスは、答えた。
「二度も命令せぬとわからぬかえ。おまえが自ら姿をあらわしたのなら、話が早い。おまえと、千台潮を、まとめて始末してくれようぞ」
言いながら、その掌に、ふわりと、色とりどりの、親指ほどの大きさの宝石が、いくつも浮かんだ。
「当山孔真君よ、わらわの準備はいつでもよいぞえ。そなたのバックアップは任せるがよい」
そのことばに、クィーンは、コロコロと鈴のような声で笑った。
「わたしが無尽蔵に霊力を補給できる『人間』だということを忘れたのかしら。それに千台潮を殺すですって? ここにラ・ピュセルがいたなら、なんて言ったかしら」
「さてね。ラ・ピュセルには怒られるかもしれないが、ケルベロスか千台か、やはりどちらかが死なねば、この世の中は変わらない。
ケルベロスではなく、死ぬべきは、やはり千台潮なのだ」
「それは、あなたが、その娘の体に魂を寄せることになったからなの? 取引をしない、当山孔真君、わたしたちの医学ならば、その娘はまだ助けられるわ」
しかし孔明は、クィーンの申し出をつっぱねた。
「体のほとんどを人工物に入れ替えて、ロボットのようにしてしまうことが『治療』か。もはや、この娘の魂はこの世に止まっておらぬ」
「だから復讐するというわけ」
「すべての悲劇の起点をつぶす。この娘のためにも、その男の血の分けた娘のためにも。千台潮からはじまるすべての系譜は、ここでこやつが死ぬところで終わるのだ。
いつか人類は宇宙へたどり着くであろうが、そのときに、レティクルにたどり着くのは千台の子孫ではなく、べつのだれかだ」
「そして平和をもたらすというわけ? わたしたちが『悪』だとおまえはいう。
けれど、ほんとうにそうかしら。
おまえは千台潮がその財閥を築き上げた手腕が、あまりにむごたらしいものなので、ヴァルキューレとラ・ピュセルの呼びかけに応じてmそれを否定するために、この世界にあらわれたのでしょう? 
けれど、この男からはじまる系譜のすべてが、おぞましく醜いものではない。
レティクルの本星では、みんな必死なのよ。この男が死んでしまえば、自分たちの存在も怪しくなるから。
おまえは、おまえの知らない未来に住む、何億というレティクルの人間の将来を消してしまうつもりなの?」

「大虐殺はいかんな」
と、ケマルは、またも呑気に異議を唱えた。
それに、噛みつくように女王が言う。
「さっきからなんなのじゃ、このいつまでたっても役に立たないトルコ人めが! そなたこそ、わらわの敵なのかえ、それとも味方なのかえ?」
女王の質問に、ケマルは大いに顔をしかめた。
「そちらも威張った女だな。何者だ、名乗れ」
すると、女王は、むん、と胸をはって答えた。
「聞いておどろけ。わらわの名は、日の沈まぬ帝国の女王、エリザベスなるぞ!」
「イギリスか! どうりで、なにやらカチンと来るわけだ!」
「む、しまった。逆効果であったようじゃの」
まったく、ととなりで顔をゆがめつつ、孔明はケマルに言う。
「ムスタファ・ケマル。君の記憶が回復するのを、残念ながらわたしたちは待っていられない。いますぐここで決めてくれないか。選択肢は、この場合、ふたつだ。わたしたちの味方になるか、敵になるか」
「WWUのときのように、中立でいきます、というのは通用せぬぞえ」
居丈高に言うエリザベスに、孔明もさすがに顔をしぶくして、注意した。
「女王、挑発しないでくれないか」
「まったくだ! ええい、事情もわからんのに、敵も味方もあるまい。しかも中立はダメという。
光る女と、脂汗を流している威張った中年。女子高生だが中身は男なやつと、威張ったホロ・コースト。どちらも選べるわけがなかろう!」
ひとたび言い出したら、頑としてきかないケマルに、エリザベスはとうとう苛立ちも最高潮になったのか、その手に浮かばせている宝石のひとつをつまむと、叫んだ。
「やかましい。いつまでもぐだぐだと! これでもくらって、目を覚ますがよいぞ!」
そうして、女王は宝石のひとつをケマルに向けて投げる。
すると、ちょうど小豆大のそれは、ケマルに向かうその途中で光を帯び、まるで彗星のようになって、その身にぶつかった。
その衝撃で、ケマルの体は後ろに大きくふっとび、リムジンの車体に体を打つ格好となる。
「なにをする!」
と、叫んだのは、ケマルではなくて孔明のほうであった。
女王のほうは、ふん、と鼻息を荒くして、悪びれず答えた。
「安心せい。あの程度では消滅せぬ。ちょっとした気付けぞ」
「なにがちょっとした、だ。あんなに吹っ飛んで。これでは味方になる者も、敵にまわってしまうぞ!」
「そなたは慎重にすぎるのじゃ。大丈夫だと言っておろう。いま、わらわが投げた石は」
と、女王が説明をしているその途中で、大地が、ぐらりとかしいだ。
地震であった。

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※ この話は、「真ずんだの章8」につづきます。