真ずんだの章 4

※ この話は、「真ずんだの章3」のつづきとなります。

「嫌な空の色じゃ」
言いながら、エリザベスは純白のドレスを風になびかせて、地下鉄匂当台公園駅からぞろぞろと出てくる人々の中空で、ぷかりと浮いて、西の空をにらんだ。
趙雲が見るかぎり、西の空はうつくしいラベンダー色をして、夜の闇のおとずれを待っている。
エリザベスがいうような、不吉さ、そして嫌悪感は抱かなかった。
アストラルから只人になってしまったから、そう思うのだろうか。
霊的なものがそこに存在しているのに気づかないのか。

アコの姿で階段をのぼる孔明の様子をうかがうべく、ふりかえり、たずねてみる。
地下鉄構内、それから五橋のマンション、さらには八木山でのラ・イールとの対峙とつづけて戦いがあったにもかかわらず、孔明の顔色は、それまでの数日間がうそだったかのように、健康そのものの色つやである。
そうして、地下鉄の構内の闇から、黄昏の空のしたにあらわれる相貌を見て、空の色うんぬんよりも、奇妙な印象をおぼえた。
最上アキラ子の面影がなくなっている。
それまでは、ふとした表情のうごきにも差があったし、そもそもの顔の形がちがっていた。
それが、まるで粘土細工のように、内側から奇妙な力……この場合、霊力……がはたらいて、孔明そのものに成り代わってしまっている。
もともと中性的な風貌をしていたために、背格好が多少代わったというていどで、強烈な違和感はおぼえない。
それは、ずっと長く側にいたからであろうか、こういう孔明もあるだろうなと、どこかでふつうに納得してしまっている自分がいる。
だが、奇妙であることにはちがいない。

ヨーコのアジトで今朝、顔をあわせたときは、こんなふうではなかった。
絶大な力をもつアトラ・ハシースが介入しているとはいえ、24時間も経たないうちに、こうもひとりの人間の外観が、変われるものなのだろうか。
趙雲の視線に気づいた孔明が、ふしぎそうにたずねてきた。
「どうした。なにかあったか」
趙雲は、唇をひらいた。
ひらいたが、急におそろしくなり、まったく別なこと、つまり、最初に聞こうと思っていた、空の気配に奇異をおぼえるかをたずねることにした。
「女王が、空の気配がおかしいと言っている。おまえもそう思うか」
「そうだな」
孔明は、階段を登りきると、エリザベスが浮かび、にらみつける空のほうの気配をさぐった。
「女王がいう嫌悪感はおぼえぬが、霊力の残滓をかんじる」
「ラ・ピュセルか?」

ラ・イールは、中空を飛んで、木町の方面にむかって逃げていった。
つまり、それは木町の牛タン屋にいるはずの、ラ・ピュセルに会いにいったとみてまちがいない。
趙雲としては、ラ・ピュセルの性格からして、すでに先回りをして、匂当台公園の入り口で、自分たちを待っていてもおかしくないのではとすら期待していたが、しかし、彼女には彼女の事情があるらしく、その姿は、いまは見えない。

ラ・イール、あるいはラ・ピュセルが、敵と接触し、霊力をしたのかと、周囲をさぐった趙雲であるが、やはり只人のかなしさ、なにも気づかない。
むしろ、一番町の方角から、けたたましいサイレンの音が、徐々に近づいてくることのほうが気になった。

「またなにか事件があったのかな。おまえのいう霊力の残滓は、事件の名残か」
「いや、この霊力には、なんというか、敵愾心が感じられない。これを使用したのは、きっと戦いのためではないだろう。うむ、たしかにすさまじいパトカーの量だな」
孔明がつぶやくとおり、木町に向けて、車線いっぱいに、まるでパレードのように大量のパトカーが大挙してやってくる。
日本人ならば、おそらく『西部警察』のEDの道を押し寄せるパトカーの映像を思い出したであろう。
事実、『大門、出動か?』とつぶやく仙台人が、ちらほらいたほどである。
ほかに匂当台公園駅、あるいは三越の周囲にいた帰宅中のひとびと、そして客待ちのタクシー運転手、国分町に出勤する水商売の女たちなども、足をとめ、なにごとかとパトカーに目を向けている。
パトカーばかりではない。
上空には、何事かが起こったことをすぐに察知したマスコミのヘリコプターが、バルバルと音を立てて木町に集結しつつあった。
夜の気配を吹き飛ばす、異様な空気である。

孔明と趙雲は、ほぼおなじ予感をいだき、顔をみあわせた。
上空のエリザベスが、きつく空を見つめたまま、言う。
「おこるはずのない『いろは横丁のビル爆破事件』、『地下鉄での人身事故』、そして、いまは『木町の事件』。どうやら、前回のループのことは、完全に忘れねばならぬようじゃな」
「たしか、木町の事件というのは、牛タン屋の主人と、駅前のラーメン屋の娘が、青葉山の配達用の車両のなかで無理心中をはかった事件であったはず。それで、これだけのパトカーが動くだろうか」
趙雲がいうのを、孔明が訂正した。
「ただの心中じゃないよ、子龍。表向きは無理心中であったが、真実はそうではない。かれらは共同でパワーストーンショップをいろは横丁で行う予定であったのだが、このパワーストーンの仕入れをめぐって、例の一族とトラブルになり、不倫関係がなかったにもかかわらず、心中にみせかけて殺されたのだ。
娘の日記に、男への想いがつづられた文章があったのが、かえってクローズアップされてしまったのさ。実際は、片思いだったのに」
趙雲の頭の中で、三つの言葉がむすびつき、さらに嫌な予感をあおる。
「牛タン屋、いろは横丁、そしてパワーストーン。ぜんぶ偶然かな」
「そんなわけはなかろう。すべてつながるのだよ。前回のループで死んだ、牛タン屋の主人。その男の名はなんだったかな」
「樽宮玄だ」
「あなたが昼に配達したという、チラシの伝票に記載のあった名をおぼえているか」
「たしか樽宮だ」
言いながら、趙雲は孔明の言わんとすることに気づき、顔をこわばらせた。

孔明のほうは、パトカーの群を、むしろ涼しげな顔をして見つめつつ、言う。
「樽宮玄は、牛タン専門店『たんたかタン』の主人であった。そして、ラ・ピュセルが『たんたかタン』にいる。これが偶然のわけがない」
「偶然でないにしても、ラ・ピュセルが、おまえと同じように、この世界の住人のなかに封じ込められてしまっているとして、あの娘は、樽宮玄の何者になっているのだ?」
「被害者の娘ではないのかえ」
と、女王が上空から口をはさんでくる。
しかし、趙雲はそれを否定した。
「いや、俺が『たんたかタン』で聞いた口調でいけば、樽宮家の人間を、おじさん、おばさんと呼んでいたぞ」

それを聞き、孔明は合点したらしく、深くうなずいた。
「そうか、やはり聖剣アスカロンは、すべてつながりのある人間関係のなかに、われらを配置しなおしたのだよ。
樽宮玄は、山形の実家から抜け出し、駆け落ちをして、仙台に流れ着いて牛タン専門店をひらいた。
しかしいま、2004年、ラーメン屋の娘と知り合いになり、パワーストーンショップを開くことになるのだが、そこで例の一族……あろうことか、かつての自分の実家と接触してしまうのだ。
本人としては、パワーストーンのことなら、一族から得た知識のこともあるから、サイドビジネスとして楽にできるものだと想像していたのだろう。ところが、そこで実家の人間とかちあってしまったのだ。皮肉なものだな」
「樽宮の一族とは、山形の?」
「そうだ。最上家だ。樽宮とは、玄の妻の姓だ。玄は、樽宮家の養子になっていたのさ。
最上家は、日本で最後にして唯一、ヒヒイロカネを産出する山を管理してきたアラバキの末裔。
アコの両親は、最上家の財産争いにまきこまれ、事故で死亡した。最上家に残されたのは当主であった老婦人と、長男夫婦の息子と、その妹。
しかし最上家には女子相続という掟がある。生きのこったのは三人。相続権を握っているのは老婦人。この老婦人が死ねば、もちろん、掟にのっとり相続権は妹へいく。
事故は、この息子が、自分が財産権をにぎるために仕組んだものだったのだが、いちばんに始末をしたかった妹が、難をのがれてしまった。老婦人は、痴呆のふりをして、勘当した息子のひとりである樽宮に、孫娘を託した」

孔明のことばに、エリザベスは空中で、ぷかりと浮きながら、あぐらを組み、言う。
「前回のループでは、その娘はどうなったのであったかな」
「やはり死んだのだよ。彼女は、仙台駅の爆破テロ事件に巻き込まれた。玄の死を知って、叔母とともに新幹線で仙台を離れようとしていた矢先のことだった。そこで最上家は、たった一人をのぞいて、絶えた」
それを聞き、趙雲は怒りをとおりこして、呆れのためにため息をついた。
「つまりなにか、最上家の連中というのは、ヒヒイロカネを産出する山ほしさに、たった一人を始末するため、仙台駅すら爆破したというのか」
「そうだ。しかし、ヒヒイロカネがどれほどのものかを理解すれば、そいつの行動も理解できるというものさ」
「ヒヒイロカネ……オリハルコンの一種で、ダイヤモンド以上の強度をほこる鉱石であったはずじゃが」
エリザベスが言うのを、孔明は付け加えた。
「そう。しかしヒヒイロカネはそれだけではない。ヒヒイロカネ、あるいはそれに近い鉱石というものは、じつは、世界中でかつては採れていた。ところが、もともと数がすくなかったために、有史に入る前には、すでに掘りつくされてしまっていたのだ。
現存する聖剣のほとんどは、このヒヒイロカネ、あるいはそれに類するもの、オリハルコンとも呼ばれているな。これで精製されているのだ。
わたしの聖剣もそうであるし、ジョワイユーズに埋め込まれているというロンギヌスの槍。これはもっとも純度の高いヒヒイロカネで出来ていたがために、剣の精度も高くなったといわれている。
この鉱石にはナゾがおおく、鉱石というのではなく、実は化石、あるいは生物なのではないかと言われているほどなのだ」
「なぜだ。おまえの持っている聖剣も、たしかそれでできていたな」
趙雲が言うと、孔明は肩をそびやかした。
「そのとおり。鎧と一式で。このヒヒイロカネが貴重なのは、強度がずば抜けて高いからという理由ではない。霊力の吸収力が異様に高いのだ。爪の先ほどの欠片だけで、ひとつの山の発する霊力と、ほぼ同等の霊力を蓄えることができる」
「ほんとうかや? ひとつの山と同等といえば、それこそ、四方の町を核兵器並みに爆破できるだけの力を持っている、ということであろう」
「ソドムとゴモラの壊滅、そしてアトランティスの滅亡は、神の罰だなどと噂があるが、あれはじつは、オリハルコンの扱い方をまちがえた事故だったという話もあるほどだ」
「つまりヒヒイロカネひとつで、完全調子となった、補給型アトラ・ハシース並みの力をもつ、ということではないかえ」

エリザベスは、孔明のもとへ、ぷかぷかと金魚のように降りてくる。
白いドレスの裾がひるがえるとその向こう側では、パトカーに搭乗できなかった制服警官たちまでもが、駆け足で木町のほうへ向かっていくのが見えた。
まさにパレードだ。警察以外の者たちは、この異常事態に、完全に足を止めて成り行きを見守っている。

「ヒヒイロカネには、霊力を保有するばかりではなく、使用者の記憶までをもその身にためる。そして、次の使用者に、その記憶を伝えるのだ。さらに、独自の意志までもつものもいる。
そのために、鉱石などではなく、生きものではないかと言われているのだが、これには欠点とも呼ぶべき、おおきな注意点があり、取り扱いには慎重に慎重を期する。
下手をすると、その石は、おのれの意志を完遂するため、周囲の人間を大きく巻き込み、起こさなくてもよいような戦をも起こしてしまう可能性があるからだ。
現に、いまの状態がそうだろう。アスカロンが暴走したからこそ、いまの混乱があるのだからな。
世に言われる聖剣と呼ばれるもののほとんどが、『武器』であるがゆえに血塗られた歴史を持っているため、これが禍をもたらすことがあるのだ。
だからこそ、最高府は、聖剣を使いこなせる人間が死んだときは、これを回収する方向にうごく」
そのことばに、エリザベスは、うんうんとうなずいた。
「なるほどのう。わが国につたわる伝説の騎士王アーサー王も、死ぬまえに湖の貴婦人に、聖剣エクスかリバーを返したとなっているが、湖の貴婦人とは、最高府のことであったのか」
「ラ・ピュセルの剣もそうだ。世に聖剣と呼ばれていたものが伝説ばかりで、実在して現代にのこっていないのは、そのためなのだよ。熱田神宮の草薙剣も、あれはレプリカだ。
つまり、乱世において『英雄』と呼ばれる者がふるえば、ただしく使用されるが、しかし俗物の手に渡った場合、危険きわまりない。
そのために最高府がうごいて回収にまわっているのだが、そこへ真っ向から対立するのが、最上家というわけだな。爪の欠片ほどの大きさでも、巨大な霊力を発揮するもの。そんなものが出回ってみろ。世界のパワーバランスは大きく変わる」
「そうか。ヒヒイロカネをつかって、2004年以降、最上家から石を供給された千台家を中心に、核を上回る力をもつ兵器が開発されたのだな。原料となるヒヒイロカネを最上家が提供し、千台家は、それをバックに、アメリカの財閥をもしのぐ大勢力に伸し上がっていったわけか」
「そう。この結びつきのために、多くの者が犠牲になった。それが、くりかえされる2004年12月の真実だ。
われらは、かれらを牽制し、ヒヒイロカネの産出を押さえ、あるいは回収しなければならないわけだが、そうはさせじと、未来世界より、千台家と最上家の子孫であるレティクルたちが襲ってきた。それが2004年12月の仙台の実情というわけだ」

「ちょっと待ってくれ。いま気づいたのだが」
と、趙雲は顔を曇らせて言った。
「千台ヨーコによって、アコが襲われるように仕向けられたのは、偶然か。アコが、最上家の人間で、生き残りのひとりであったから、ということはなかろうな」
すると、孔明は、困ったように顔をひそめた。
「ヨーコ自身は知らなかったと思うが、もしかしたら、そのようにそそのかした者がいたのかも知れぬな」

言いつつ、孔明は、匂当台公園にあつまりつつある、パトカーのほうに顔を向ける。
木町の界隈は道がせまく、駐車できるスペースがかぎられている。
しかも、帰宅ラッシュなうえ、国分町へむかう車の群れのために、路上駐車もむずかしいため、急遽、匂当台公園の広場に乗り入れているのである。

「急がねばならぬな。もはや、最上家にとって、最後の障壁は、おそらくラ・ピュセルが守っているであろう、娘ひとりになってしまった」
「なに?」
趙雲が顔をけわしくするのを、孔明はあえて無視して、掌を、そっと天に向けてかざし、ちいさく呪文をつぶやく。
すると、蒼白い、ちいさな龍を思わせる槍が、その掌のうえにあらわれた。
「先に武器をあげるよ。呪詛をかけてあるから、只人にこの武器は見えない。気にせず、存分につかってくれ」
差し出されるまま武器を受け取る趙雲であるが、しかし、沈黙する孔明の目を、怒りをもって凝視する。

ようやく事態が飲み込めた。
変幻の術がつかえたこと。
聖剣を使うことすら可能であったこと。
いま、こうして武器を出現できるほどに回復していること。

孔明は完全に自分を取り戻したのだ。
つまり、導き出せる結論は、ひとつ。

「最上アキラ子はどうなった」
怒りを懸命におさえたつもりであるが、それでも声は荒いものとなった。
たずねる趙雲に、孔明は、あえて視線をそらさず言う。
その目線は、癪にさわるほど静かである。
「わからぬか、子龍、わたしが自分の剣を抜けるまでに回復しているという意味が」
「意味だと?」
「ジョワイユーズのいう『復活』とは、『現状復帰』させることではない。いちど死…つまりはすべてをゼロにし、魂魄を昇天させずに繋ぎとめ、そこから命を『再構築』する。それがジョワイユーズによる『復活』なのだ」
「現状復帰ではない? それでは復活とはいえぬではないか!」
「そうだ。復活ではなく、再び命を授ける剣。『復命』の力を持つと言い換えたほうがよかろうな。つまり、ラ・イールは、聖剣でわたしを助けたように見えるが、実際は、そうではない。
わたしの霊力を使用して、最上アキラ子の肉体にあらたに別の命を授けてしまった。つまり、ラ・イールのジョワイユーズは、辛うじて繋ぎとめていた最上アキラ子の命を肉体から切り離し、消滅させたのだ」

趙雲は、ことばを出すことができなかった。
守ってやると約束した娘。
その娘を、みすみす、しかも、なにもしてやれずに死なせてしまった。
二度もだ。
許せない。怒りが沸きあがる。
なにより自分に対してもそうであるが、いままでそれを黙っていた孔明にもそうであるし、ラ・イールにも怒りがあった。
そして理解した。
なぜ、孔明が、いつまでも、自分の味方でいてくれるのかとたずねてきた、その理由が。

「わたしを恨むか」
孔明が、喧騒とはかけはなれた、静かで落ち着いた声でたずねてきた。
わかっている。そんなことはできないと、自分もわかっているし、孔明自身もわかっていて、尋ねてきているのだ。
残酷な問いだと、趙雲はいらだった。
たとえ、目のまえで苦しんでいる者がいたとしても、おなじように隣で孔明が苦しんでいたら、自分は、なにも迷うことなく孔明を助けて、その者を見捨てる。
自分は、そういう、いびつな愛情と、冷酷さをかかえたものであった。
それを思い知らされて、趙雲は深く瞑目する。

ひたすら、アコにすまないと思った。
助けてやりたいと思ったのは、本当だった。
嘘偽りなく、あの娘は助けて、しあわせにしてやりたかったのに。

「恨むのならば、わたしを恨め。そして、ラ・イールを責めるな。あれは戦闘員としては、最良の判断をしたのだ」
孔明は静かに言う。
たしかにそのとおりだとわかっているものの、孔明に対するのとは、またちがった、ラ・イールへの、腹の底からたぎるような怒りはおさまらない。
ラ・イールと自分は、きっとよく似ている。
似ているからこそ、その思考がなんとなく読めるからこそ、よけに腹が立つのである。

「ラ・イールは、最初から、わたしの状況を知っていたのだろう。最上アキラ子の魂に固執し、戦うかぎりでは、実力は発揮できない。
現に、わたしの霊力のほとんどは、最上アキラ子の維持に傾けられていた。それがなくなれば、わたしは解放され、ぞんぶんに戦うことが可能となる。
そう、わたしの戦力が増すということは、ラ・ピュセルの戦力が増すということでもある。すべてはラ・ピュセルのため、あの男はジョワイユーズをつかった。吸血鬼とはちがった意味での、危険な狂信者というわけだな」
孔明は、趙雲のための武器を出現させた手を、じっと見下ろして、それから、ぐっと握ってみせた。
「もはやこの身は最上アキラ子ではない。彼女はこの世から完全に去った。たとえヴァルキューレでも、彼女を呼び戻すことはもう出来まい」
「死んだのだな」
現実を自分に飲み込ませるべく、趙雲がつぶやくと、孔明は沈痛な面差しでうなずいた。
「そうだよ」
「おまえは、死体に取りついているというわけか」
すると、孔明はかぶりを振った。
「存在そのものは、まだここに『ある』。しかし、魂だけが消滅したのだ。えぐった穴に、ボールを埋めていくゲームがあるだろう。あれと同じだ。最上アキラ子の肉体と、地上での彼女の存在証明、戸籍やパスポートなどは、変わらず存在している。
つまり、社会のなかで、最上アキラ子は機能しているのだ。ところが、その中身は、最上アキラ子ではない」
「では、いま、おまえはだれだ?」
その問いに、孔明はうすく笑うと、首を振った。
「さてね、自分が何者なのか、いまほどあやふやに思ったことは無いよ。この肉体を離れることは可能だが、そうなると、汎世界にまだ存在している『最上アキラ子』に影響を与えてしまうだろう。
わかるか? 聖剣アスカロンは、わたしという存在を使って、死んだ少女を復活させた。
死んだ少女の復活を受け、基本世界をはじめとする汎世界でも、『最上アキラ子』は復活をはじめた。
ところが、復活の中心となっていた最上アキラ子は、聖剣ジョワイユーズによって二度目の死を迎えた。彼女はもう復活せず、彼女の存在の穴埋めに、『諸葛孔明』が使われた」

趙雲は、しばし頭を整理させつつ、どんどんと色を濃くしていく、群青色の空を見上げる。
牛タン屋に警察官があつまっている。それはわかっているのだが、アコのことを理解しきれないうちは、からだが言うことをきかなかった。
上空では、女王が焦れて、
「そなたら、なにをぺちゃくちゃとしゃべっておるのじゃ! ラ・ピュセルの危機なるぞ! 話し合いはあとにして、さっさと牛タン屋に向かわぬか! そなたらが行かぬというのであれば、わらわは先に行く!」
といって、ふたたび宙を、牛タン屋のほうに向けて飛んでいく。

その姿を見送るようなかたちで、趙雲はたずねた。
単純な……最上アキラ子が死んだ、というだけの話ではないことに、混乱していた。
「待て、つまりだ、最上アキラ子の肉体を基盤として、諸葛孔明が、234年に死んだ男が、2004年になって、最上アキラ子の代わりに、復活した、というのか?」
すでに頭の整理をしていたのだろう。
孔明は、決然とした力強いまなざしをむけてくる。
「そうだ。この肉体はすでに最上アキラ子のものではなく、ジョワイユーズが再構築した新しい肉体。そこに、わたしが復活した」
「馬鹿げている。そんなことがあるか。アトラ・ハシースは聖霊だろう。聖霊が、人の肉に復活? とんでもない奇跡ではないか」
奇跡のことばに、孔明は、つよくうなずいた。
「そうだな、まさに奇跡だ。前例がない。いま危惧されるのは、この世界の『最上アキラ子』の消滅により、せっかく復活した汎世界の『最上アキラ子』にも悪影響が出るのではないか、ということだ」
「まさか、全員が再び死を?」
「それくらいならば、かえってよいほうだ」
孔明の危惧する事態が、まったく頭に思い浮かばず、趙雲は、みずからの額を抱え込んだ。
「頭が働かぬ」
「それは同じだ」

混乱と憤りをまじえて、趙雲が言うのを、孔明は、すこし笑って言った。
「アストラルというものは、生前の想いを、アトラ・ハシースよりも強く残しているのかもしれないな。あなたもそうだし、アタチュルクのアストラルもそうであるし、ラ・イールも同じだ。
みな、命を賭けて守った相手を、いまも守りつづけている。それが、自分の心を守ることでもあるからだ」
「ラ・イールはやり過ぎだ。こちらの事情も知らず、一人の少女の魂を消し飛ばしてしまうなど」
「そうだろうか。地下鉄にのって、ずっと考えていたのだが、わたしの頭も冷えてきたよ。
つめたいことを言うようだがね、ラ・イールはひどく現実的に物事を見据えて、最良の判断をしたのだ。感情では許せぬが、司令官としては、その行動を高く評価せざるを得ないだろう。
子龍、わたしたちは、たぶんほかのアトラ・ハシースやアストラルより、すこし優秀なのだ。わたしたちは二人でずっとキャリアを積んで、力を蓄えてきた。聖剣だって扱えるし、大禁呪と呼ばれる呪術すら操る」
「それがどうした。一人の娘も救えずに、ただ、右往左往していただけではないか!」
「救えなかったと、そう思うか? たしかに、この世界のアコは死んだ。だが、もともと死んでいるものを、目先の情にとらわれて、生かしていたことは罪ではないのか。
そのせいで、わたしたちは常に後手後手になった。そのために築かれた屍があることを、忘れてはならなかったのだ」
「屍…吸血鬼による犠牲者か」
「そうだ。そもそも、東照宮で、わたしが完全に調子を取り戻していたら、あそこでヤツを逃し、被害者を増やすこともなかったのだ。
最上アキラ子には同情する。しかし、この娘が世界の全てではない。わたしたちは、この世界を救うために召喚されたのだ。最上アキラ子を救うことが目的ではない」
「おまえは冷たい」
「わたしを罵ることで気が済むなら、いくらでも。自分たちの能力が秀でていると過信し、脇にばかり目を向けていた、これは天誅だ。すくなくとも、わたしはそう思うよ」
「そんなふうに割り切れるか!」
「割り切れ。戦いは終わっていない。すくなくとも、最上アキラ子を完全に守りきりたいのならば、戦いを止めてはならぬ」
「どういうことだ」
「この世界の彼女は死んだ。だが、汎世界の彼女は、わたしがここに『最上アキラ子』としている以上、まだ残っているのだ。
つまり、わたしの今後の行動が、残されている汎世界の最上アキラ子の命運を左右するのだ。
わたしたちが、彼女に会うことは、もうなかろう。しかし、してやれることがゼロになったわけではない。彼女のためにも、彼女の代わりとなった『わたし』は、戦いを勝ち抜き、生き残らねばならぬ。
それが、『最上アキラ子』を助けるということだ。子龍、あなたが、あの娘に誓ったとおり、わたしを守りきれ」

そうして、孔明は、いまや星がまたたきはじめた、12月の仙台の街の向こうにある、あらたな戦場となるであろう牛タン屋のほうに目を向けた。
「行こう、子龍、戦いはまだ終わっていないのだ」
その背中に、趙雲は思った。
いつまでも味方かと、そうたずねてきた意味もわかった。
「ああ、そうだ」
短くこたえ、趙雲は、只人の目にはみえない槍を片手に、あらたな戦場へと足を運んでいった。

ずんだマップに戻る

※ この話は、「真ずんだの章5」につづきます。