真ずんだの章 2
※ この話は、「真ずんだの章1」のつづきとなります。
先祖伝来の土地のうえに、三階建ての家が建っている。それが浅野家である。
もともと、建築当時は存命していた祖母と同居するための三階建てであったのだが、建物ができあがると同時に、祖母はあっさりと逝ってしまった。
そのため、祖母のためのスペース、つまり、トイレと小さなキッチンと二つの部屋のある三階は、浅野家のふたりの子供たちが贅沢につかっている。
すこし素行が悪い子供に育っていたなら、水回りがそろっているために、かえって友達を呼び込んで入りびたりそうな間取りであったが、子供たちは、ふたりともおとなしい気性で、あまり友達を家に呼ばない。
まったく友達がいない、というわけではなかったが、とくに上の娘の一子のほうは、友達がすくないようであった。
多ければよいというものではない。問題は内容だが。
さきほど一子からメールがやってきて、めずらしくも、クラスメイトを泊めてもいいかと聞いてきた。
反対する理由はない。一子が親になにかをねだる、ということは滅多にない。
友達と絆を深めようと努力しているのであれば、やはり親としては、協力してやるべきであろう。
「浅野さん」
東北学院の横を抜けて、三越方面へ歩いていた浅野は、路地から聞きなれた男の声に呼び止められ、携帯画面から顔をあげた。
すでに闇と混じりあい、建物の輪郭すらあいまいになっている路地は、どこか昭和の気配がのこっている。
その電柱の片隅で、男がひとり、隠れるようにして立っていた。
その男が何者かを知って、温厚な浅野は、めずらしく不快感をあらわにした。
ひと目につく場所では、けっして連絡をとりあわないという約束ではなかったか。
「平塚さん」
なんの用ですか、とたずねようとした浅野であるが、すぐに、地方紙とはいえ、三十年ちかく第一線の記者としてはたらいて養った、するどい観察眼で、平塚八兵衛の様子が、尋常ではないことに気がついた。
広すぎるほど広い歩道に、こちらをうかがっている者がないことを確かめてから、平塚のところへと足を向ける。
「どうしたんです。怪我でもしているんですか」
質実剛健といった言葉がぴったりくる男であったのが、浅野がおどろくほどに、平塚八兵衛の顔色は蒼く、そして、どこかで喧嘩でもしたのかというくらいに、擦り傷だらけで、薄汚れていた。
「怪我というか、まあ、怪我をしちゃいますが、この肉体が滅びるほどじゃありませんよ」
平塚の独特の物言いに、浅野はどう答えたらよいものか困惑し、沈黙する。
すると、平塚のほうがたずねてきた。
「俺のことは大丈夫ですよ。あんたのほうで、なにか変わったことはないかと思ってね」
「こちらは、いまのところ何の動きもないよ」
「なら、いい。きっと連中は、あんたのほうにまで気がまわらないんだ。とはいえ、慎重にお願いしますぜ。俺のほうは、見たとおり、ちょっと厄介なことになっていてね、もしあんたが困ったことになっても、もしかしたら助けにいけないかもしれない」
「千台に、なにか動きが?」
「あるかもしれない。なにか情報は入っていませんか」
「情報というか、気になる話を耳にしたよ。千台の経営しているビジネスホテルに、長逗留している客がいるそうだ。そいつらは働いているふうでもないのだが、妙に金回りがいいそうだ。
たまに、若い男がやってきて、一室にこもって密談をしているらしい。ホテルの従業員から聞いたところによると、そいつらは、山形弁を話すそうだよ」
「山形」
そう聞いて、平塚はなにやらひらめいたらしい。
一瞬、目を遠くに転じ、それから浅野に目をもどした。
「その情報をくれたやつは、無事でしょうね」
「もちろん。情報屋というわけではないんだ。仙台の裏情報をコレクションするのが楽しいという、変わった趣味の男でね。学生だというほかは、わたしもよく知らない」
「そういう男なら、あんたは向こうを知らなくても、向こうはあんたのことを良く知っているだろう。そいつが調子にのってへまをしないように、釘を刺しておいてくださいよ」
平塚のことばに、浅野は顔をゆがめた。
「どういう意味だ。つまりそれは、かれも、鈴木君のようになる可能性がある、ということか」
鈴木の名を出すと、浅野の顔に、はっきりと怒りがあらわれた。義憤といっていいだろう。
平塚には、自分にとって他人であるはずの、部下のひとりにすぎなかった鈴木とやらに、まるで自分のことのように怒りをいだける浅野の心情がふしぎであった。
これは東洋人特有のものなのだろうか。
俺なら、部下を殺されたら、たしかに腹立ちもするが、もっと冷静だろう。
たしかに、鈴木の死に方は陰惨なものだった。浅野でなくても、怒りを抱いたにちがいない。
だが、ふつうならば、その事実に触れたなら、怖じて沈黙を守る。
しかし浅野は沈黙をしなかった。
新聞社の人間としての意識が、恐怖をはるかに上まわっているのだ。ラ・ピュセルの心情にも似た、正義を守らねばならないという、つよい想いが、この一見すると平凡な中年男を、たったひとりで巨悪に立ち向かわせた。
前回のループ、いや、基本世界では、この男の味方は現れなかった。
ヴァルキューレによって召喚されたアトラ・ハシースたち、そしてアストラルたちは、レティクルたちの猛攻のまえに、なにひとつ手を打てずに翻弄されるだけとなり、最悪の日をむざむざと迎えさせてしまった。
今回はちがう。
アスカロンによって封じ込められたこの刑事の肉体によって、警戒心をいだかせることもなく、首尾よく浅野に近づけた。浅野もこちらを信用している。
そして、基本世界では、おなじ思いを持ちながらも、つながりを作れなかった中央警察署の署長・藤田恵と、浅野とのあいだを取り持つ役目もこなすことができている。
前回のループにくらべれば、ほんの小さな変化かもしれない。
それでも、この変化が、やがては大きな変化となっていく。
それは、自分たちの祖先である千台家を守ろうとす、るレティクルへの打撃になることにはまちがいない。
連中をすこしでも弱めることができたなら、それは、ラ・ピュセルが動きやすくなる、ということだ。
彼女の栄光の名を、堕することは絶対にさせない。
助けられなかった。その代償に、いま、なにがあろうと、彼女の名は、世の、どんな高貴な血を引く女たちよりも、永遠に輝きつづけさせる。
それが、かれの唯一の理想であり、正義である。
「鈴木の死は気の毒でした」
平塚が無感情にいうと、浅野は、ますます不快そうに顔をしかめた。
「気の毒というのは軽いね。刑事から見れば、あの一家皆殺し事件は、気の毒という表現におちつくのかい」
「あんたは言葉を武器にする男だから、俺の言葉が気に入らないのだろうが、ひとつだけ言わせてもらいましょうか。鈴木はひとりで突出しすぎた。
新人ゆえの功名心だったのだろうが、自分がなにを追いかけているのか、あんたにしか打ち明けていなかったのは痛い。だから、一家心中にみせかけて殺されても、そこに異議を申し立てるものがいなかった。
鈴木は、いささか派手な生活を好む傾向があって、借金があったのも事実だったからね」
「百万程度の借金だぞ」
「ノイローゼ傾向にある人間にとっては、百万だろうと一万円だろうと、プレッシャーにはちがいない。たった三百円のために人を殺すやつだって存在するのが世の中だ。だから、だれも警察の発表を疑わなかった。あんた以外は」
「死者に容赦ないね」
「死者は死者だからな」
と、平塚は、暗く重たい口調でつぶやくように言った。
そう、世界は、生者のための世界。死者のための席は、そこにはない。
死んでしまったら終わりだ。その者とともに、理想も正義もともに死んでいく。
だが、その虚無をひっくり返そうとしたのが、ラ・ピュセルとアスカロンなのだ。
この夢の世界では、死者はふたたび目を覚まし、悲劇をひっくり返そうともがいている。
最高府が、ルール違反をするなと怒って、渡航禁止命令を出すのも無理はない。
でもラ・イールは、悪くない、と思っている。かつて果たせなかったことを、この世界で果たすのだ。
平塚の暗い双眸になにを見たか、浅野は気持ちをきりかえたらしく、ちがうことをたずねてきた。
「そのビジネスホテルにいる連中は、何者なんだ?」
「ヤバイ連中ですよ。欲望と信念をみごとに摩り替えて、血族さえ、手にかけることをためらわない。カルト的な連中といったら、あんたにわかりやすいかな。なにをするかわからない不気味さは、千台の比じゃねぇ。情報屋の学生とやらに、いますぐ雲隠れしろ、って言ってやってくださいよ」
「わかった。そうするが、もしかして、そいつらは」
「見当ついてるんでしょ。山形の、ちいさな神道系の宗教団体ですよ」
そう聞くと、勘のよい浅野の顔が、確信によって強ばった。
「やはり、あの、バス事故を起こした連中か」
「そう。霊山の売却に反対する親族たちを、バス事故にみせかけ、全員を殺害した、極端にカルト的な行動を好む連中です。ヤバさが判るでしょう。
千台といい、やつらといい、一家みなごろし、っていうパターンが連中は大好きなんだ。あんたも、いまから、どこにも寄らないで、まっすぐ家に帰ってくださいよ」
「うちも狙われているのか」
当然じゃねぇか、とラ・イールは胸のうちでつぶやいたが、言葉ではちがうことをつぶやいた。
「用心のためですよ」
「そうだな。用心をすることに越したことはない。ありがとう、真っすぐ帰るよ」
浅野は、軽く会釈をすると、路地を足早に抜けて、そのまままっすぐ、だだっぴろい歩道を、市役所方面へ向けて歩いていった。
その背後には、只人では目視できない霊的存在が宙に舞って、浅野を守護している。
孔明の使い魔である『飛廉』であった。
浅野のうしろ姿を見送りながら、平塚八兵衛ことラ・イールは、思わず笑みをうかべながらも、唇をゆがめる。
すべてにおいてぬかりなし、というわけか。
あの衝撃からすぐに醒めて、冷静に物事に対処する、コンピュータ並みの判断力。
敵にまわったら、厄介なやつだ。しかし、味方なるのならば、これほど心強い者はない。
味方。そうだ、気安い仲間ではない。あくまで、同一の目的を果たすために、一時的に手を組む相手。
信義だの友情だのという、あまったるい感情は、このさい、不要である。
それに、あいつは、一度はラ・ピュセルと剣を交えているのだ。簡単に信用できるわけがないだろう。
師走の夕暮れが、おのれのあちこちうす汚れた格好を、うまく隠してくれる。
ますます人気のすくなくなった歩道に、ラ・イールは足を運んだ。
いまラ・イールのいる新聞社前の道から、仙台中央警察署までは、歩いても十五分とかからない。
事態は、ゆっくりとだが、ふたたびひとつに向かいつつある。
浅野家と、千台家、そしてもうひとつの家が、前回のループでは、表に引きずり出すことができなかった連中が、動き出している。
未来のことはわからない。わかるのはただ、目の前にある仕事を片づけろ、ということである。
仕事。すなわち、ラ・ピュセルの心を守り、それを阻む者を始末すること。
邪魔をする者は許さない。
たとえ、相手が神であろうと、悪魔であろうと。
ヴァルキューレの張った結界にまもられ、宙にうきつづけている浅野家を見上げたとき、羅貫中犬は、心の底よりほっとした。
仮の宿りとはいえ、ここはやはり、帰るべき場所、家であった。
特に、ヨーコの無謀運転により、おそろしい目に遭ったあとだけに、安堵感はつよい。
ゴーカートの運転は得意だと豪語したヨーコを信頼した、自分が馬鹿だったのだ。
だいたい、ゴーカートって、車は車でも、遊園地のアレ?
子供が運転しても文句言われないやつ!
知らないわよ! 遊園地、行ったことないもの!
天下の大作家にしてアトラ・ハシースの羅貫中犬にも、知らないことがある。
趙雲と孔明のふたりと連絡がとれなくなったとき、エリザベスはすぐさまふたりを探しに、ヨーコの身体を脱け出して飛んだ。
そして趙雲が乗り捨てた車を、五橋付近で見つけたのであるが、さて、問題はそこからである。
エリザベスは、孔明たちを追うことにしたのであるが、さて、趙雲の運転する仙台GPPの、乗り捨てられたままの車を、そのままにしておくわけにはいかない。
とはいえ、エリザベスは補給型アトラ・ハシースであって、物を霊力でもって移動させる能力はもっていない。それは羅貫中犬も同じである。
そこで、エリザベスは、創造型アトラ・ハシースである羅貫中犬が、趙雲に化けて車を返しにいけばよい、と決定した。
が、さらに問題が登場。
羅貫中犬は、車の運転ができなかったのである。
羅貫中犬は、人間の模造を作り、その意志のままに動かす力を持っているのであるが、それは、あくまでオリジナルでなくてはならない。
つまり、趙雲という実在の人物のダミーを作って動かす、ということはできないのだ。
自分の書き溜めた小説のキャラクターをあれこれ思い出して、候補にあげてみるのであるが、羅貫中犬の創作小説の舞台は、車が登場して以降のものがなかった。
そのため、運転のできるキャラクターを呼び出すことができなかったのである。
困っていると、ヨーコが、自分が運転すると言い出した。
しかし、当然ながら、ヨーコは十七歳。
十七歳の少女は、運転免許の取得はできない。
そのあたりのわからぬエリザベスは、運転できるのなら、そなたがやれ、と命令し、一方のヨーコは、
「超おまかせって感じ。というか、あたし、無免許だけど、ゴーカートとか、すっげーうまいから、まず安心? みたいな」
羅貫中犬は、とりあえず趙雲に化け、助手席に座った。
運転席に座ったのはヨーコであったが、五橋から、若林区にある六丁の目の工業団地までの道のりは、羅貫中犬にとっては、三蔵法師が天竺にむかうまでの苦難の道のりにひとしかった。
ヨーコのいう『安全』とは、『事故らなければオッケー』という意味であったのだ。
信号無視はあたりまえ、通行人がいようとかまわず、見事なハンドル捌きで避けてガッツポーズ、車線変更時にウィンカーを出さない。速度の遅い車にはパッシングの嵐。
無謀運転にクラクションを鳴らされようものなら、窓から顔を出して、ガチョウのごとくわめきまくる。
よく通報されなかったものだと思う。
六丁の目の工業団地にたどりついたときに、羅貫中犬のこぼした第一声は、
「アタシ、生きているわ」
だった。
ヘロヘロになったまま仙台GPPに向かい、納品書を事務に渡してきて、それからタイムカードを押して終業である。
ヨーコはすっかり得意になっており、帰りも運転をしたい、などとおそろしいことを言ったが、これは止めることに成功した。
そして、工業団地から出ているバスに乗り、ヨーコとともに、青葉区の浅野家に戻ってきたのである。
ヨーコも連れて行ったのは、エリザベスより、ヨーコのアジトが、ろくでもないアジトで、暖房もない場所だと聞いたからだ。
手放すことができない霊具『卑弥呼の鏡』を持たされている状態のヨーコが、風邪にでもかかって、身体の自由が利かなくなったらどうなるか、だれにも予想ができなかった。
そこで、一子とも相談し、今夜は、ヨーコを浅野家に泊めることにしたのである。
家に帰って、最初に羅貫中犬がしたことは、用意されていた水をがぶ飲みすることだった。
水って、こんなに甘くて、おいしかったかしら。
そして、三階の子供部屋にいる、ヨーコはどうしただろうと足を向ける。
浅野家は、一子のほかは、自分たちが危険の渦中にいると知らない。
その一子とて、基本世界の自分たちが、最悪の悲劇に巻き込まれていることを知らないのだ。
一階のキッチンで、浅野家の母が夕飯の支度をしている、その音を聞きつつ、羅貫中犬は、三階につづく階段をあがった。
三階には、二つの部屋とトイレ、そして使われていない小さなキッチンがある。
二つの部屋は、それぞれ、一子と史朗のためのものとなっている。階段をあがりきると、ヨーコの甲高い声と、史朗の声とが聞こえた。二人の声の合い間には、聞きなれたコンピュータゲームの音楽が鳴っている。
「あー、もう、ばかじゃねぇの、ここでBダッシュしたら敵の中に突っ込んで死ぬってわかってんじゃん? わかってるのにやるのは、ばか。ウルトラばか。
つーか、マジで高校生? もう2PLAYすんのやだ! ねーちゃん、こいつ、うちからつまみ出してよ!」
「うわー、かわいくねー。一子ぉ、あんた、弟のしつけ、どうなってんだよ、年上のおねえさんを、こいつ呼ばわりするか、フツー?」
「年上でも、ばかは『こいつ』でじゅうぶん」
「気にくわねー! そういうやつはこうだ!」
開いた扉から見れば、ゲーム機のコントローラーを放り投げて、運転をするためにジャージになって、そのまま着替えずにいるヨーコが、史朗の頭に、ぐりぐりと梅干を仕かけているところであった。
「同じレベルね、あんたたち」
羅貫中犬はあきれて言うが、胸の奥からこみ上げてくるものがあり、むしろ悲しくなった。
部屋の隅では、弟と悪友の喧嘩を、一子がさめた目で見ている。
「あれ? 女王と丞相と将軍は?」
内気で照れ屋の一子らしく、名前で呼ぶことができずに、エリザベスや孔明を、生前の役職で呼んでいる。
羅貫中犬は、一子に答えた。
「三人は五橋にいると思うわ。なにかあったら、携帯に連絡が入ると思うんだけど」
史朗を楽しそうに羽交い絞めにしているヨーコが、そのままの姿勢で、羅貫中に言った。
「あー、ごめん、言うの遅れた。目つきの怖い中国人からメールがあって、これからラ・ピュセルのところに行ってくるから、遅くなるってさ」
さらりと言ってのけるヨーコに、羅貫中犬は仰天する。
「ラ・ピュセルですって? 居場所がわかったのね!」
「は? ラ・ピュセルって、飲み屋か、カフェとかじゃないの?」
呑気に問いかけるヨーコに、一子が言った。
「あのさ、あんた、このあいだの世界史のテスト範囲に、ちょうど百年戦争のところ、含まれていたのに、覚えてないの? ラ・ピュセルっていったら、ジャンヌ・ダルクの愛称だよ!」
「ジャンヌ・ダルクってバンドの? あれ、趣味じゃないんだよねー」
「…………あんた、世界史、赤点だったでしょ」
「テストのことをいつまでも覚えているのは、ばか。覚えてねー。というか、ラ・ピュセルがなんだっての?」
「ヨーコ、あんた、女王から何にも聞いてないの?」
一子とはべつに、羅貫中犬は警戒して答えた。
切り離すことのできない霊具『卑弥呼の鏡』。これに、レティクルたちに情報が漏れてしまうような盗聴器のような機能が秘められていたら厄介だ。
エリザベスや孔明が、これを危惧し、あえてヨーコに情報を与えていなかったとしたらいけないと、羅貫中は警戒したのであった。
そんなことも知らないヨーコは、
「ロープ、ロープ! ロープっつてんだろ! ヨーコ・ザ・デンジャラス!」
とわめいている史朗を、ようやく解放して、きょとんとして答えた。
「いや、聞いてたけどさ。なんだか味方がほかにもいるけど、記憶喪失になっているかなんかして、見つからないって話でしょ? で、そいつが見つかったんで、三人で迎えに行ってくるって話じゃん?
今夜、どうするわけ? 一子、ここの家、そんなに布団あるの? あたし、昨日みたいに床に寝るのやだなー。背中が痛くってさ」
「ウチの布団の心配より、ラ・ピュセルだわ。急展開ね。メールで、アタシたちに指示はあった?」
「指示っつーか、今夜は結界から出るな、みたいなことがつづいてたけど」
「そうね、そうすべきでしょうね」
納得しつつ、羅貫中犬は、窓辺に寄って、闇に沈みつつある仙台の町を見やる。
外から見れば空中に浮いているものの、内側から外をながめる分には、その風景は、地上にいるときと同じである。
「味方が増えるのね、よかったわ。夜が明けたら、また事態は変わるわよ」
窓ガラスには、スクリーンのように、ふたたび元気に喧嘩をはじめたヨーコと史朗の姿が映っている。
羅貫中犬は振りかえると、今度は史朗にパロスペシャルを仕掛けているヨーコに言った。
「ねえ」
「なに?」
「あんた、楽しい?」
問われて、ヨーコはすこしばかり照れくさそうにして、ちらりと部屋の片隅にいる一子のほうを見る。
一子には、ちゃんと自分の部屋がある。
ヨーコを心底きらっているのであれば、自分の部屋に閉じこもっていることだろう。
それはヨーコも判っているらしく、照れたように笑った。
「まあ、ね。うちにいるより楽しいかも」
「そう、よかったわ。なら、いいわね。この家のことを、覚えておきなさいよ。ぜったいに、忘れちゃだめよ」
「は? どういうこと?」
「どういうことでも。いいわね。今度は、あんたはこの家のことを知ったのよ。忘れちゃだめよ」
戦いなさいとは、羅貫中犬はいわなかった。それがどれほど酷なことか、よくわかっていたので、いうことができなかったのだ。
戦いが、ふたたびはじまろうとしている。今度は、失敗しないようにしなければ。
仙台中央警察署。
この、外観ばかりが近代的で、中身は昭和……いや、戦前の空気が濃厚にのこっているこの建物に足を踏みいれたとたん、平塚八兵衛ことラ・イールは、動物的な勘で、不吉なものを予感した。
玄関をはいるとすぐ右側に、窓口がある。
ガス爆発事故があった直後なので、ラ・イールのうすよごれた格好も、警察署ではめだたない。
行方不明者をさがす作業や現場検証のために、どの警官の服も、それ相応によごれていたからだ。
顔なじみの当直の警官と、かるく挨拶をかわし、ラ・イールは、胸にわきおこった恐怖にも似た感情をなだめつつ、床から壁から、すべてがセピア色に古ぼけた建物を見まわす。
そして、三階にある刑事課に向かおうとしたとたん、正面入り口の右手にある階段から、どやどやと、警官、そして刑事たちが降りてくるのが見えた。
刑事たちの中心にいる男を見て、ラ・イールは、心の中で舌打ちをした。
もう動き出しやがった。
前回のループとずれてやがる。いけねぇ、事態がつかめねぇ。
まわれ右をして、ラ・ピュセルと合流すべきか。
それとも、情報を得るために、なにくわぬ顔をして近づくか。
面倒な野郎だ。
だが、落ち着け。こいつには、霊査能力はない。
俺が、只人の肉体に封印されたアストラルだってことには、気づきやしねえ。
肝をすえると、ラ・イールは姿勢を正し、刑事たちの中心にいる男を、真正面から見た。
左胸に燦然とかがやく警視監のバッチが、じつに憎たらしい。
しかし、そこはそれ。
おつかれさまです、千台本部長、などと言いながら、きびきびした動作で挨拶をする。
刑事たちの中心にいた千台が、巨漢のラ・イールを見た。
やがて、宇宙規模に発展していく財閥の祖となる男。
その男の目線を、ラ・イールはしっかりと受け止めた。
つめたい、無感情な目をしている。
愛嬌なんてものがまるでない。嫌な目だ。
しかし千台は、ラ・イールをちらりと見ただけで、挨拶もくちにしないまま、そのまま玄関へと向かっていく。
本部長みずからが陣頭指揮なんてのは、よほどのことだ。
大事件が頻発し、混乱しきっているなか、かき集められるだけ、かき集めたという雰囲気の顔ぶれである。
なかには、休暇のはずの刑事や警官もおり、そして、平塚八兵衛の後輩刑事である千葉もいた。
ラ・イールは、平塚八兵衛としての顔をとりもどし、千葉を呼び止める。
千葉は、すこしばかり迷惑そうな顔をして、足をとめた。
「おいおい、千葉ちゃんよ。俺は戻ってきたばかりでなにも聞いてないんだが、いったい、なにがあったんだ? 本部長みずからお出ましってのは、またまた大事件発生か?」
「なーに、呑気なことを言っているんですか」
と、千葉は苛立ちまじりにたしなめてきた。
「少年連続殺傷事件のホシが割れたんですよ。ホシは自営業の親父で、未成年の少女を共犯にして、犯行を重ねていたらしいんです。本部長あてに、タレコミがあったらしいんですよ。いまから、容疑者の確保に向かうところです」
「なんだと」
ありえねぇ、と、ラ・イールは胸のうちでつぶやく。
変態元帥が、たかだか警察ごときに尻尾をつかまれるとは思えねぇ。
やつの『器』は諸葛孔明が破壊したのだ。
『棺』がみつかった? いやいや、これもありえねぇな。
万が一、『棺』がみつかったとして、あのミイラ状の肉体と、少年連続殺傷事件を結び付けられるほど想像力豊かで、神がかり的な推理力をもつやつが、只人のなかにいるとは思えねぇ。
だとしたら、でっちあげか? 千台のやつは、何処まで知っていやがる?
千葉は、もう行きますよ、遅れますから、といって、ラ・イールの腕をふりきって、本部長の一団を追おうとする。
ふたたび捕まえようとしたラ・イールの、胸ポケットにいれていた携帯電話が、振動をはじめた。
見れば、着信画面にこうある。
『メグちゃん』
メグちゃんとは、署長の藤田恵を、他人にはわからないように登録したものである。
厳格な縦社会の警察署において、だれが署長を『メグちゃん』などと名づけて登録しているだろうか……と、思っているのはじつは、ラ・イールだけで、署員は、署長をこっそり『メグちゃん』と呼んでいたりするのだが、ともかく、ラ・イールは、さりげないふうをよそおって、めだたぬよう、パキラの鉢の物陰に隠れて、携帯電話を開いた。
『平塚か。いま、どこだ』
「署内の一階ですよ。いま、本部長とすれちがいました」
『そうか。聞け。厄介なことになった』
藤田の声は、いつになく暗く、緊張している。
「少年連続殺傷事件のホシが割れたと千葉が言っていましたが、本当ですか」
『本部長あてにタレコミがあったということで、本部長みずからが陣頭指揮をとると言い出して、職員をぜんぶ連れて行ったのだ』
「なにが厄介なんです」
『ホシは樽宮玄だと』
驚きはなかった。動いたな、という感がある。
署内に入るなりおぼえた予感は、このことを指していたらしい。
前回のループと、様子がだいぶ変わっているのはまちがいない。
樽宮玄は、前回のループでは、ただの被害者のひとりだった。
それが、でかいヤマのホシにでっち上げられた。ある意味、出世である。
いや、待てよ。行きつく先は同じだったらどうだ。
ホシとして追いかけ、わざと追いつめて、前回のループと同じところに落ち着かせようとしているのだったら?
共犯は未成年の少女だと言っていたな。駒はそろっている。
どちらにしろ、未来は暗いままか。
「で、連中は、ぞろぞろと、どこに向かったんです」
前回のループで樽宮玄の死体が発見された、太白山か、とラ・イールは見当をつけたのであるが、藤田の返答は、意外なものだった。
『いいや。木町通の牛タン専門店『たんたかタン』だそうだ。聞きたまえ。樽宮玄は、姪を共犯に、犯行を繰り返していたらしいと』
姪。そう聞いたとたん、ぞくりとラ・イールの背筋が震えた。
相手がちがうだろう。
樽宮玄と同じく死ぬ少女は、樽宮玄の姪であるはずがない。駅前のラーメン屋の娘の関根という少女のはずだ。
畜生、前回のループ、まったく参考にならなくなっちまっている、ということか。
「そんなことはありえない。署長、本部長たちは、冤罪事件を起こそうとしています」
『なぜわかる』
「わかるから、言っているんです。うまく説明はできねぇが」
開けはなたれた正面入り口のほうから、パトカーや覆面パトカーが、つぎつぎと刑事や警察官を飲みこんで、眼と鼻のさきにある、木町通に向かうのが見えた。
出動を要請されたのか、千台たちが降りてきた階段を、おなじように、ばたばたと署員が駆け下りていくのが見える。
かれらはたがいに興奮した顔をして、正面玄関へと向かっていく。
仙台の犯罪史上、いや、日本の犯罪史上でも稀な、超凶悪殺人犯の逮捕に立ち会える興奮のためであろう。
かれらは、つぎつぎと出動する車の群を見て、玄関先で足をとめ、言った。
「あーあ、出遅れた。車、残ってねぇな。木町なら、走るか。車が信号待ちで引っかかっているあいだに、俺たちのほうが追い越すかもしれねぇぜ」
「しかし、マジかな。共犯の姪っての。漫画みたいじゃねぇ? そういうの、なかったっけ? じつは美少年は、男装の美少女だった、っつーの」
「美少女かどうか、わからねぇだろ。えらいごっつい女かもしれねぇし。けどよ、学校でばれねぇ、ってのがアンビリバボだよなー。体育とか、トイレとか、どうしてたんだ」
せまい門より木町にむけて出動しようとしているパトカーのせいで、ちょっとした渋滞になっている仙台中央警察署の正門をながめている刑事たちに、うしろから、いかにもベテランと言った雰囲気をただよわせた、初老の男がやってきて、口をはさんだ。
「呑気なもんだな、おまえら、油断するなよ。相手は、短期間に、何十人と人を殺しまくったやつだからな。
それに、猟奇殺人のホシってのは、単独犯よりも、複数犯のほうが、残酷で無茶をしやすい。ミヤザキのときみたいに、別件でうまく捕まえたってのとワケがちがう。抵抗される可能性があるぞ。
ったく、そう言って、出動させるのは、独身の若いヤツだけにしてくれって本部長に言ったんだがな、無視されちまった」
「なんスか、それ。独身男だけって、なんでですか」
「未亡人が増えなくていいだろ」
「ひでえなあ。若いやつに手柄を立てさせてやろうとかいう、先輩のあたたかい配慮とかじゃないんですか」
「ばかやろ、逆だろうが。むしろ、定年間近の俺たちに花をもたせろ、ってんだ」
「けど、ホシのやつ、武器を持ってる可能性アリってことっすか」
「武器もあるかもしれんし、なんだかわからねぇが、嫌な予感がするんだよ。共犯の姪、木町にいるってことは、ちゃんと確認取れてるんだろうな。名前は」
「樽宮亮」
刑事のひとりがそう答えると、横にいた刑事が、メモを取り出して、訂正した。
「おい、ちがう、ちがう。それは偽名のほうだろ」
「ああ、そっか。ホシが割り出せたって話が、あんまり唐突だったんで、呆けててメモとれなかったんだわ」
「本当に大丈夫か。ええと、男装の美少女で、ホシの姪っ子の本当の名前は、最上白百合(もがみさゆり)。山形の実家から家出して、兄貴から捜索願が出されているんですよ」
※ この話は、「真ずんだの章3」につづきます。