真ずんだの章 1
※ この話は、「新ずんだの章11」のつづきとなります。
そのころ、青葉区の木町通りにある牛タン専門店の『たんたかタン』の扉には、臨時休業の札がかかっていた。
「遅いね、おじさん」
店では、先ほどから携帯電話を片手に、じっとコール音に耳を傾けている亮の叔母と、客のいなくなったテーブルに座って、連絡を待つ亮、こと、ラ・ピュセルがいる。
陳寿犬は、いろは横丁の事故のあとに連絡が取れなくなった関根と叔父を探しに外へでかけたきりだ。
ケマルはどこにいるかというと、店の天井から吊り下げられている棚にあるTVの前で、ニュースをながめている。
ニュースでは、仙台に集中して起こっている事件の続報をしている。
どの局をまわしてもニュース特番だらけだ。
報道の中心は、いまだ瓦礫の除去作業中の、いろは横丁のビルの爆発事件の続報である。
TVから発せられる目撃者の証言からすれば、ビルの爆発の原因は、ガスによるものではないかというところで落ち着いているようだ。
とはいえ、昼時で、人がにぎわっていたときに起こった事件だけに、いまだに行方不明者の数が明らかになっていない、ということが問題になっている。
目撃者は、爆発のほうに気をとられており、銀のヘンテコや、氷の巨人たちと戦っていたラ・ピュセルや陳寿犬を見ていなかったらしい。
しかも、あの混乱で、老婆に変わり果てたメアリと、付き添うシグルトの姿を目撃する者もいなかったようだ。
TVでは、レポーターが、しきりに、瓦礫の下に埋まったままの行方不明者がいるのではないかと訴えているが、ラ・ピュセルが知る限りでは、あの爆破事件での犠牲者はない。
もしも犠牲者がいたのなら、アスカロンは、レティクルや氷の巨人たちもそっちのけで、犠牲者の救出に力を向けたであろう。
アスカロンの存在意義は、『犠牲者の救済』にあるといっても過言ではないのだ。
ラ・ピュセルは、TVの画面を気にしながら、いろは横丁に向かった叔父のことを心配し、何度もその携帯に電話している叔母のほうを見た。
あの爆発のとき、叔父は、たしかに関根と一緒に逃げて行った。
無事なのはまちがいない。
しかし、連絡が取れないというのは、不安である。
『わたしに対する人質に取られたのかしら? でも、わたしがここにいることは、まだわかっていないはずだけれど』
とはいえ、油断はできない。
残念ながら、ラ・ピュセルは、アトラ・ハシースの中でも『癒し手』というタイプに属するため、遠隔透視の能力があるにはあるが、それは対象が霊力の強い者に限られてしまう。
孔明の場合は、低級使い魔である蜻蛉をあちこちに配して透視を可能にしているのだが、ラ・ピュセルは、便利ではあるが、霊力を多く必要とするその方法を好まない。
叔父は、もしかしたら、ひょっこり帰ってくるかもしれないが、もしもこのまま連絡が取れないようであったら、ラ・イールに頼んで、叔父を探してもらうしかないだろう。
TVでは、仙台連続重大事件という、大仰な毛筆の文字が映し出され、昨日の私立千台学院の屋上の崩壊事故から、地下鉄での奇妙な人身事故、ビルのガス(?)爆発、くわえて、少年連続殺傷事件などが紹介され、仙台は、いまや日本でいちばん悪夢のつづく町だ、などと、感情を煽る音楽とともに紹介されている。
テーブルに頬杖をつきながら画面を見つめるラ・ピュセルは、ふと、扉を、かつんと叩く音で振り返った。
見れば、『臨時休業』の札のかけられたガラス戸の向こうに、陳寿犬が二本足で伸び上がって、扉を叩いているのである。
何度目かのコールをはじめる叔母を気にしつつ、ラ・ピュセルは外に出た。
「おかえりなさい、どうだった?」
犬は全速力で走ってきたらしく、長い舌をだらりと下げたまま、はあはあと荒く息をつく。
「ダメだったよ。あれだけ人がいたから、匂いも追えなかった。こっちに連絡はなかったの?」
「なかったわ。叔母さんが携帯に何度も連絡しているのに、ぜんぜん応答がないの」
それを聞くと、陳寿犬は、ふうっと大きく息を吐いた。
「マズイかなあ。よくわからないけれど。あ、TVでさっきの事故のことやっているね。今日はアーケードのほうも、事故現場を見ようとする野次馬がすごかったよ。オレ様が目立たなかったから助かったけどさ。ところで、そっちは?」
「よくないわ」
「なぜさ」
「前回のループと、だいぶ状況が変わってしまっているの。千台学院の屋上の崩落事故も、いろは横丁のビルの爆発も、地下鉄の事故も、前回のループにはなかったことよ」
「ループって、ええと、この世界は、同じ日付を何度も繰り返しているって話だっけ。つまりそれって、前よりも揉め事が多く増えているってこと?」
「そうなの。これだけ大きな事故のことが、三つもちがっているとなると、前回のループで起こった事件の日付も、合わなくなってくるのではないかしら」
「へ? どういうこと?」
「今日までは、前回のループと、日付がぴったり合っていたわ。つまり、前回のループを知っていれば、それをもとにつぎの手を打つことが可能だったのよ。けれど、今日でいろいろと変わってしまったわ。たぶん、孔明が動いているのね。この店にも、彼の気配を感じる」
とたん、へばっていた陳寿犬は、四本の足で、しゃきん、と立って、プロペラのように尻尾を張った。
「なんと、丞相さまがこちらに?」
「かれではなく、アストラルの趙子龍のほうみたい。いつも組んでいるアトラ・ハシースとアストラルって、頻繁に霊力のやりとりをするわけだから、匂いみたいに、アストラルにアトラ・ハシースの気配が沁みこむのよ。かれはその典型ね」
「ではでは! 合流すべきでしょ! ねえ、そうしよう!」
「そうね。急いだほうがいいみたい。たぶん、今日を境に、前回のループがまったく参考にならなくなると思うわ。これはどうしたら防げるかしら」
「防ぐって、どういうこと? 事態が変わったほうがいいんじゃないの?」
陳寿犬の問いに、ラ・ピュセルはむずかしそうな顔をして、口に手を当てた。
「わたしたち…正確には、亮とあなたが青葉山で見た、仙台駅の爆破。前回のループが参考にならないとなると、これが、思ったより早く起こる可能性があるのよ。
未来は常に不確定よ。前回のループは、いまのわたしたちにとっては、もう参考にならないの。前回のループの知識は、不確定な未来のつづられた予言書のようになってしまった。
下手すると、『最悪の日』も繰り上がって早めにやってくる可能性が出てきたわ」
「マズイじゃん! って、あれ? なにがマズイのか、いまいちよくわからないけれど。最悪の日って、もしやハルマゲドン!」
「『最悪の日』は、基本世界の未来を決定づけた日よ。天変地異が起こる日ではないわ。
けれど、世界を大きく変えることになるきっかけを作る事件が起こる。これは、なんとしても止めねばならないわ。けれど、だれにも未来は読めなくなった。でも、よいこともあるわね」
「よいこと? こんなに事件が起こりまくっているのに?」
「すべの事件を回避できなかったのは残念だけれど、よいことというのはね、つまり、レティクルにとっても、これはマズイ状況のはずだということよ。彼らも、前回のループ…つまりは基本世界での『歴史』を参考に動いていたはずですもの」
「では、もしや、連中のかれらの総攻撃が、早まるかもしれないと? って、それじゃあ、よいことじゃないか」
自分で自分のことばにつっこみを入れて、ハテと首をかしげる陳寿犬に、ラ・ピュセルは優しい声で言った。
「総攻撃の心配は、当面のところ、しなくてもいいのではないかしら。総攻撃をするにしろ、かれらにだって準備が必要でしょう?
それに、かれらがなんらかの計画に沿って行動していたというのなら、それはきっと、前回のループに沿ったものだったはず。いまごろ、計画が狂ってしまったので、練り直しに躍起になっているのじゃないかしら」
「しかし、それは、オレ様たちも同じじゃないの?」
「まったく同じではないわ。状況的には、むしろ有利かもしれない。数では、あいかわらず劣勢だけれど、孔明の意志が状況を好転させているわ。シグルトのアストラルは、消滅したようね」
「へ? シグルトのアストラルと申しますと、われらを追いかけてきた、んでもって、わたくしめを襲った、あの恐ろしく臭い氷の巨人が? おおー、さすが丞相さま!」
感嘆の声をあげる陳寿犬であるが、ラ・ピュセルの顔色は冴えない。
その薄茶色の双眸は、店の壁ではなく、どこか彼方を見据えているようである。
そうして、じっと虚空を睨みつけたまま、低くつぶやいた。
「莫迦ね、ラ・イール。あとで叱ってあげなくては」
「へ? ラ…?」
戸惑う陳寿犬に、ラ・ピュセルは笑って答えた。
「いいの。あとで説明するわ。当面の敵は三つよ。レティクル、女王陛下とシグルト、そして、ジル……まずどこから手をつけるか、ね。
厄介なのは、レティクルを落せば、陛下も消滅する、という状況ではないことだわ。レティクルは、この世界の消滅が目的よ。けれど、陛下は逆なの。この世界を支配したいと考えているのよ」
「では、シグルトたちをわざと残し、まずレティクルと……ええと、ジル? 何者かは存じませぬが、それを倒す、とういのはどうでしょう」
「レティクルとわたしたちがぶつかった場合、陛下が漁夫の利を狙う可能性があるのよ。つまり、わたしたちは背後を気にしながら戦わなくてはいけないの。あまりいい状況ではないわね。前に集中できないのですもの。
それに、ジルはわたしをあきらめることはないでしょう。みんなに、ジルのことで気を遣ってもらいたくないわ」
「ジルというのは?」
「ジル・ド・レイ。わたしの昔の友達だった人よ」
西洋史を語るもので、ジル・ド・レイの名を知らぬ者はないといってよいだろう。
青髭としてその名を轟かせた、勇猛なフランス元帥にして、中世という時代を背景に、数百という少年を殺害した、快楽殺人者の祖ともいうべき人物だ。
ペルーの童話『青髭』のモデルとして、そのまがまがしいイメージは、数世紀にわたり、多くの文学に影響を与えつづけている。
ぞぞ、と白い毛を逆立てて、陳寿犬は震えた。
「なぜに、そのような恐ろしい男が!」
「知っているの?」
「もちろん、面識はないけれど、浅野家の姉ちゃんの本棚に、ジル・ド・レイの本があったような。趣味悪いんだ、姉ちゃん。
あ、ラ・ピュセルの本もいっぱいあったっけ。こっちは趣味がいい」
「うれしいわね。友達になれるかもしれないわ」
「うーん、いまごろ、なにしているかなあ……というか、あれ? ジルというのは、アトラ・ハシースとか言うものではないの? レティクルではないのに、この世界に入り込んでいる敵ってこと? おや?」
「ジルは吸血鬼なのよ。悪魔たちと協力関係にあって、自分は人から霊力だけを搾り取り、魂は悪魔にあげてしまうの。悪魔たちはジルから魂をもらえるので、わざといろいろな世界を渡り歩かせて、協力しているのよ」
「吸血鬼! あ、もしや、仙台の少年連続殺傷事件は!」
「シグルトではないわ。かれは、あのビルで、はじめて霊力を絞ろうとしていたの。陛下もそう言っていたでしょう? 犯人はジルよ。どこかに『棺』を隠して行動しているのだわ。いままで、わたしは躊躇ってしまって、どうしても退治することができなかったの。けれど」
と、ラ・ピュセルが厳しい眼差しを注ぐさきには、たんたかタンのガラス扉越しに見える、仙台少年連続殺傷事件の被害者の名が、ずらりとあげられたTV画面がある。
そして、少年たちの名前を挙げながら、生中継だという、被害者の少年のための通夜のようすに画面が転じた。
家族のものか、あるいは被害者の学友のものなのか、喪服に身をつつんだ人々が、うつむいて、涙を流しているのが見えた。
「わたしも、やるべきことを急がなくてはいけないようね」
「お、お手伝いいたします。それが丞相さまの御為にもなるのですし!」
陳寿犬が言うと、ラ・ピュセルは、翳りのある顔を、にっこりと笑わせた。
「ありがとう。わたしも、一人じゃないと思うと、うれしいわ」
陳寿犬は、微笑まれて喜び、のほ、のほ、と言語不明瞭なことばを口にしていたが、ふと、TVの前で、おなじく厳しい目線をそそいだまま、微動だにしない金髪男に目を向ける。
「その前に、まずは味方を増やさねばなりますまい」
「そうね。さて、どうやって切り出したものかしら。あなたは忘れているけれどアトラ・ハシースという存在で、わたしたちの味方となって、レティクルと戦ってほしいって。単刀直入に切り出すべきか、それともかれの記憶が戻るまで、ゆっくり状況に馴染んでもらうほうがいいのか、いま考えているの」
言いながら、ラ・ピュセルは、店のTVの前で、むずかしい顔をして腕を組んで画面をにらみつけているケマルを、振りかえった。
「ずっと、ああして画面をにらんでいるわ。正義感のつよい人だから、罪の無い人が傷つくのが許せないのよ。わかるわ」
「どうだろう、オレ様に説明してくれたときみたいに、アスカロンを、ぱあっと抜いてみせて、おどろいているところに畳みかけて説得、というのは」
「そうね。かれのように誇り高い人には、下手な小細工はせずに、素直にぶつかったほうがいいかもしれない。
でも、『完全なる者』って、とっても気難しいのよ。機嫌がころころ変わるの。かれはあくまで、わたしの上の者として扱わなくちゃいけないわ。慎重にね」
「慎重にかあ…オレ様、なにがなにやら判らないことだらけなのに、頭のどこか奥のほうで、言葉のひとつひとつにしっくり馴染んでいる、この不可解な状況が、とても微妙」
そうして、一人と一匹で、ケマルの姿をガラス越しに見つめていたが、ふと、ラ・ピュセルは周囲を見まわして、陳寿犬にたずねた。
「ねえ、聞こえた?」
「なにが?」
「だれかが呼んでいるわ」
「へ? 犬の耳にも、なんにも聞こえなかったよ」
「いいえ、聞こえた。公園のほうだわ」
そう聞いて、陳寿犬の脳裏に浮かんだのは、浅野一子所蔵のジャンヌ・ダルクの伝記本である。
ジャンヌが聞いたという、『声』のことを思い出したのだ。
「おお、すごい! 『声』を聞いた瞬間に立ち会ってしまった! なんとなくいいことが起こりそうな予感!」
興奮する陳寿犬に、ラ・ピュセルは困ったように笑った。
「残念だけど、その声とは違うみたい。わたし、ちょっと行ってくる。あなたはここで、叔母さんたちを守っていてね」
「いいけど、一人で外へ出て大丈夫?」
陳寿犬が心配そうに言うと、ラ・ピュセルはにっこりと明るく笑った。
「ええ、大丈夫よ。だって、わたしにはアスカロンがあるもの。なにか、危ないことが起こったら呼んでね。心で強く願うだけでいいから。
あなたの声が聞こえたら、わたしは戻ってくるわ」
そうして、ラ・ピュセルは、白い犬の頭をぐりぐりと撫でると、たんたかタンを離れ、自分を呼びかける者の気配のするほうへと、歩いて行った。
十二月の陽が落ちるのは早い。
いまだ黄金色の葉を枝につけたままの銀杏並木のむこうがわで、太陽が、西の空にゆっくりとかたむきつつあるのが見えた。
ラ・ピュセルは、『たんたかタン』からほど近い、匂当台公園にやってきていた。
見晴らしの良いうつくしい公園で、観光地である仙台の要所のひとつだ。
匂当台公園は道路を挟んで二つに分かれており、県庁と市役所のそれぞれ目と鼻の先にある公園だ。県庁側の公園には大きな野外ステージがあり、TVなどのイベントも、たいがいここを使って行われる。
反対側の市役所前の公園は、だだっ広い広場になっており、ここは、特設ステージが設置され、よさこい祭などの会場ともなる。
ラ・ピュセルが足を運んだのは、木々の生いしげる、野外ステージのうらにあたる雑木林であった。
林のあいだに、枯葉に埋もれるように、古いカサを連ねてテントのように利用した、ホームレスの家がある。
繁華街からほど近く、水の調達も簡易な立地でありながら、その数はさほどではないのは、警察署から近いためかもしれない。
ラ・ピュセルは、周囲を注意ぶかく、探った。
空をおおう木々の上では、ヘリコプターがけたたましい羽音をひびかせて飛んでいる。報道局のヘリコプターであろう。
市内で、事件がたてつづけに起こった影響であろうか。
平日や休日の関係なく、つねに往来のある匂当台公園であるが、その日は、妙に閑散としていた。
ラ・ピュセルは五感を研ぎ澄まし、気配にそなえる。
近い。ここから呼ばれた。
「やあ、ラ・ピュセル。久しぶりだね」
その声に、ラ・ピュセルは一瞬、なつかしさに流されそうになるが、しかし、すぐさまおのれを叱りつけた。
自制して、慎重に振りかえる。
彼女を呼んだモノはいた。
以前の姿を完全にとりもどし、夕陽に照り映えて、まるで黄金の冠のように輝く豪奢な髪をなびかせた吸血鬼は、あきれるほどやさしい、おだやかな目をして、林の中に立っていた。
戦場ではじめて引き合わされたとき、美しい白銀の甲冑をまとった青年将軍の姿を見て、これほど凛々しい、ロマンスから抜け出してきたような騎士らしい騎士が、まだ残っていたのだとうれしくなったものである。
ラ・ピュセルといるあいだのジルは、すくなくとも、立派な騎士であった。
だれより熱心に彼女に心をかたむけ、忠実にしたがった。
だが、ラ・ピュセルとともにいるなかでも、かれは、ゆっくりと蝕まれていたのである。
立派な騎士でありながら、近親婚の結果、つよくなりすぎた狂気の血に勝てなかった。
いや、狂気に流されるままだった。
かれは、おのれの良心と一度もまともに向き合うことをせず、あっさりとそれを捨てて、欲望のままに命を刈り取った。
神がラ・ピュセルの命を救わなかった。
そのことを理由に、かれは神と敵対する者になったのだ。
もしも、自分が死ぬことがなかったなら、みなから止められたとき、故郷の村に帰っていれば、ジルの転落と、何百といわれる子供たちの死はなかったかもしれない。
狂気の所業の原因が自分であると知っているだけに、ラ・ピュセルはどこかでジルに負い目を感じていた。
こうして二人になっていれば、アトラ・ハシースと吸血鬼という、まったく相容れない存在として対面しているのに、幼なじみに……いや、もっというならば、兄と再会したときのように、どこか気を許している自分がいる。
ラ・ピュセルは、ジルのほんとうの目的を見抜いているが、かれがそれを為すために、ラ・ピュセルの望まない暴力をふるうことはできないという、矛盾した心のありようもわかっていた。
だからこそ、安心している。甘えているといっていい。
吸血鬼として存在しながらも、ラ・ピュセルを守る騎士としてその力を発揮するジルは、このうえなく強力な味方であった。
ひたすら忠誠を尽くしてくれる、だれよりも残酷で、だれよりもやさしい騎士。
自分の見えないところで、ジルがどれほどひどい行いをしているのか、ラ・ピュセルは知っていたが、それでもなお、ジルを前にすると、かれを退治することができなくなってしまう。
やはり、いまもおなじ気持ちで、夕映えの雑木林のなかに立つジルを見る。
その姿を見て、ラ・ピュセルは顔を曇らせる。
ジルの様子が変わったことに気づいたのだ。
『器』に憑依しているのではない。これは『棺』……つまり本体そのものだ。
ジルの肉体は、完全に修復されていた。
ラ・ピュセルの顔色を見て、なにを考えたのか、だいたい見当をつけたのか、ジルは口元に笑みを浮かべたまま、はずんだ調子で言った。
「よろこんでくれないのかい。君のジル・ド・レイが戻ってきたのだ」
「残念だけれど、喜べないわ、ジル。そこまで霊力を回復させるのに、どれだけの命を使ったの」
「殺していないよ」
ジルは上機嫌で、歌うように言った。
人間の命を奪ったものではないと知れば、ラ・ピュセルが喜ぶであろうと、期待しているのである。
しかし、ラ・ピュセルは慎重に問いをつづける。
「じゃあ、どうして、あなたの身体は、それほどまで回復しているの? 『棺』のまま動けるなんて、相当の霊力を集めたはずでしょう。いったい、何人を殺めたの」
問うと同時に、腕輪として、その右手で沈黙しているアスカロンが、にぶく光を放ちはじめた。
美しい、奇妙なほど澄んだ瞳をした吸血鬼は、剣の形をとろうとしているアスカロンを見ると、苦笑いをしてみせる。
「信用がないものだな。石だよ、ラ・ピュセル。濃密な霊力が籠められた石をもらったので、おかげでここまで回復することが出来た。
やはり、自分の身体はいいね。五十年ともたないだろうが、それでも、憑依した『器』よりも、身体が軽い気がするよ」
「器より、棺のほうが軽い……そういうものなの?」
素直にラ・ピュセルが不思議そうにたずねると、ジルは少年のように声をたてて笑った。
「そうさ。いまならば、空だって飛べるだろう。君が命じてくれるならば、どこへなりと」
気障なことばを繰り出しながら、ジルは跳躍すると、軽やかな羽根のようにゆっくりと、ラ・ピュセルの前に下りてきた。
身をかがめ、ちょうどラ・ピュセルの前に、顔をよせるような格好となる。
しかし、ラ・ピュセルは怖じず、ジルに真摯な眼差しを向けて、たずねた。
「わたしに協力するというの? あなた、石をもらったと言ったわね。だれに? レティクルに?」
「わたしがレティクルと繋がっているのじゃないかと聞くのかい。ひどいことを聞くね。わたしが君を裏切るなんてことはないよ。よろしい、君にならば、正直に答えよう。千台家の人間にさ」
ラ・ピュセルは、ジルの言葉に、しばし唖然とし、まじまじと、目の前の吸血鬼の、美と狂気が、奇妙に同居している相貌をながめる。
ジルのほうは、ラ・ピュセルの顔におどろきが浮かんでいるのを、楽しそうに観察している。
「千台家の人間って? あなたは、千台家と繋がっているの?」
「そうさ。役に立つ情報だったかな」
無邪気に言うジルに、思わずラ・ピュセルもうなずいた。
「そうね。役に立つわ。わたし、てっきり、あなたは女王陛下か、レティクルのどちらかに雇われているのだと思っていたもの」
「面白いことを言うね。このわたしが、スコットランドなんていう『田舎の』女王に膝を折るとでも思ったのかい? ましてや、産廃からたまたま生まれたような、レティクルなんかと協力するものか。
わたしが従うのは、つねに君だけだ。君は、だれがなんと言おうと、唯一無二の存在なのだからね」
ジルが、貴族らしく優美に歩を進め、そして、踊りにさそうように、自分の手を取ろうとするのを、ラ・ピュセルは、一歩、後退することで、跳ねのけた。
「女王陛下にも、レティクルにもしたがわないのに、千台家にはしたがったの?」
「したがったのではない。契約を結んだだけだ。持ちつ持たれつ、利用し、利用される。
わたしはかれらに雇われて、かれらが始末したい人間を狩り、そして、かれらはわたしのために、石や武器を用意する」
「始末したい人間というのは、あなたが殺してまわった、少年たちのことなの?」
ラ・ピュセルの顔に、怒りが浮かぶのを、ジルはすぐに察して、両手をひろげて、ゆるしを請うような仕草を見せた。
「最後まで聞いてくれないか。いいかい、千台家というのは、ここ数年で急激に力をつけた家なんだ。当主は宮城県の警視監で、その弟は実業家。かれらはのしあがるために、とある風俗業者と手を結び、ライバルを籠絡し、あるいは脅迫するために、娼婦、あるいは男娼をつかって、丸め込んできた。
いまの世の中、いろいろな趣向の人間がいるからね。女だけじゃ足りなかったというわけさ」
「なんて汚らわしい!」
「そうだ。正当な手段ではない。しかし、かれらの使い方も上手かったのだろう。しばらくは、風俗業者とかれらの関係は良好だった。
しかし、千台家が大きくなるにつれ、今度は風俗業者が、千台家を脅かすようになっていた。
自分たちの存在を世間に知られたくなければ、儲けをよこせと言ってきた。千台家の事業は、すでに十分に軌道に乗っていて、もううす汚い手を使う必要がないところにまで成長していた。用済みの連中に脅迫されるなど、冗談ではない」
「わかったわ。だから、いままで利用していた風俗業者の関係者を、あなたに始末させたというわけね」
「ご明察。当初は、レティクルたちから頼まれて、メアリたちに霊力を与えるためにシグルトに狩らせていたのさ。
ところが、どうもこの二人は信用ならない。シグルトは、真顔で平気に嘘をつける男だからね。メアリには霊力を渡さず、自分ばかりが霊力を蓄えていることを千台家が気づき、狩人を変えることにした。
もちろん、シグルトは、自分の利害には聡い男だ。千台家は、賢明にも、すぐに狩人を交代させたら、自分たちがシグルトを疑っていることを、逆に気づかれると判断し、すぐにはシグルトと手は切らなかった。
つまり、ほんの短い時間ではあったが、仙台には二人の狩人がいた、というわけさ。二人の狩人がいたわけだから、犠牲者の数も、異常に多い。逆に、やつが狩りすぎて、わたしが空腹になるときがあったので、千台家の指示以外の人間も襲わざるをえなくなった」
「なんて身勝手なことを! 人の命をなんだと思っているの?」
「知っているだろう、わたしにとって、君以外の生き物には、何の意味もないのだよ」
平然と言ってのけるジルに、ラ・ピュセルはしばし、言葉を失った。
ジルにとって、ラ・ピュセルは、ガリアの伝説から生まれ出た、女神そのものであった。
偉大な魔法使いメルランが予言した『フランスを救うロレーヌの乙女』そのものであり、神から選ばれた特別な娘であったのだ。
それまでのジルの人生は、強欲で偏執的な性格の持ち主である祖父に支配された、血と金と、鬱屈に囲まれたものであった。
ラ・ピュセルの登場で、ジルの生活は、一気に特別なものとなった。
白銀の甲冑に身を纏い、少年のようにしかみえない姿で戦場を駆け回る聖なる少女に従って、聖なる戦いに参加する。
騎士として、これほど名誉なことはないだろう。
若き元帥ジル・ド・レイは、夢中になってラ・ピュセルにしたがい、戦場ではおおいに名を馳せたのであるが、栄光のときは、長くはつづかなかった。
ジャンヌ・ダルク処刑後、聖なる少女であった彼女が、火あぶりという屈辱的な方法で死んだという事実をどうしても認めることができず、ありとあらゆる迷信・俗信に従って、彼女の魂をとりもどそうとした。
もしも、ジルがラ・ピュセルという、かれの生涯を大きく揺さぶった少女と出会わなければ、かれは鬱屈した生活のなかで生涯をすごしたであろう。
悪魔崇拝にのめりこみ、何十、何百ともいわれる少年を、玩具のようにあつかって、つぎつぎに屠った世紀の猟奇殺人者は、おとぎ話のなかだけで語られるに留まったはずだ。
おぞましき青髭公は、幻想のなかだけの存在であったはずなのだ。
「わたしの所為なのね」
声を落とし、つぶやくラ・ピュセルであるが、嘆いたところではじまらないことは判っていた。
これまでにも、ジルを退治する機会は何度もあった。
ジルは、ラ・ピュセルの前では、完全に無防備であった。
棺の場所を尋ねれば、たやすく答えたし、どころか、その日の『食事』として狙っている人間のことすらも、平気で口にした。
もしも、すこしでもジルが邪心を彼女に向けたなら、それを跳ね除けるという名目のもと、おのれを誤魔化し、あるいははげまして、ラ・ピュセルはジルを退治したであろう。
しかし、ラ・ピュセルの前でのジルは、心の底にあるものを、おくびにも出さなかった。
そのうえ、ほかのアトラ・ハシースがジルを、退治できていないのは、最高府の指示によるものでもあった。
最高府は、ジルを囮に、悪霊たちのなかでも大物を捕らえようとしているらしい。
そのために、ジルは野放しになっており、結果、多くの人命が失われているのである。
最高府にはしたがいたいが、しかし、最悪の場合は、最高府の指示を無視しても、ジルを退治しなくてはいけないかもしれない。
考えるだけで、気の滅入る話である。
ちらりと目の前にある顔を見れば、やはりジルは、優しい目をこちらに向けているのである。
ジルは愚かではない。むしろ聡明な男だ。
だから、いざとなれば、退治されることもあるだろうと判っている。
わかっていて、こうして格別な愛情と信頼を捧げてくれるのだ。
こうなると、ラ・ピュセルも、なかなか思い切れなくなってしまう。
そして、自分の考えていたこととは、別のことをたずねた。
「でも千台家だって、只人のはずでしょう。どうして、あなたと接触することができたの」
ラ・ピュセルの問いに、ジルはにんまりと笑ってみせた。
「わたしから、かれらに近づいたからさ」
「あなたから」
ラ・ピュセルは、しばしジルを真正面から睨みつけて、沈黙をしていたが、やがて口を開いた。
「理解したわ。あなたが霊力を得るために、自分から、かれらに近づいたのね。そうでしょう」
ラ・ピュセルの答えが気に入ったのか、ジルは手を打って喜んだ。
「そうさ。だって、霊力がなければ、動くことができない。君を助けられないじゃないか」
ラ・ピュセルは、たちまち顔を朱にして声を荒げた。
「勝手なことを! わたしは、前回のループで、あなたに話したはずよ。かれらが、どれほど残酷な人たちか! それなのに、あなたは、かれらの悪事の片棒を担いだというわけ!」
ラ・ピュセルの剣幕にも、ジルはまったく怖じることなく、笑みを浮かべたまま言う。
「そう興奮しないで。前回のループでも、やはり少年たちは殺されていた。わたしが殺したか、只人が口封じのために殺したか、下手人がちがうだけで、結果は同じだ。だったら、君のために動けるように、わたしが殺して霊力を集めたほうがいいだろう」
「だまされないわ。霊力はあなたのものになり、魂は悪魔に渡される。そんなことを、黙って見過ごせると思う?」
「見過ごせやしないだろうね。それが君だから。では、わたしを退治するかい?」
たずねられ、ラ・ピュセルは、ぐっと言葉に詰まった。
「いまは出来ないわ」
「だろう。君は、わたしから、すべての情報を引き出していない。それに、これほどアトラ・ハシース側が劣勢の状況で、たとえ吸血鬼であろうと、味方は一人でも多いほうがいいと思っているはずだよ」
「いいえ、そうではないわ。ジル、あなたのことは、わたしに責任があるの。あなたの罪は、わたしが一緒に背負っていくのよ。
あなたを退治するのはたやすい。けれど、あなたはひとつも贖罪を果たしていない。それでは意味がないわ」
「わたしが自分のしたことに後悔をする日が来るとでも? いままでに、一度だって後悔なんてしたことがない。君のことを除いてだが」
ジルはそう言いながら、ラ・ピュセルの顎から頬にかけての線を、指先でゆっくりとなぞるようにして撫でた。
「君がブルゴーニュ派にとらえられ、そしてイギリス側に連行されたとき、わたしはトレモイユに唆され、きみのために動こうとしなかった。わたしはそのことだけを、ずっと懺悔し続けているのだよ」
「終わったことだわ。そのことについて、あなたを恨んだことなんてない。あなたが、そのことだけしか後悔していないのだとしらたら、あなたの苦しみも、永遠につづくということでしょうね。わたしは、決して、あなたのものにはならないのよ、ジル」
ジルは何かをいおうと唇を開いたが、その前に、ラ・ピュセルは、ジルから離れて、背を向けた。
言葉を聞きつづけていると、情にながされそうになる。
人を思うままにあやつる力、カリスマ性を、やはりこの吸血鬼もそなえていた。
ラ・ピュセルの背中に、ジルの声が追いかけてくる。
「戻るのかい」
「ええ。情報ありがとう、ジル。でも、やっぱり、あなたはわたしの味方ではないわ」
「情報は、まだ続きがあるのだよ。君が憑依している巫女の叔父さん、捕まっているよ」
「なんですって?」
ラ・ピュセルが振り返ると、ジルは嬉しそうに笑った。
「君をおびき寄せるための餌にするのだそうだ。正確には、君というより、その巫女をね。行動に出るのであれば、いますぐ動きたまえ。
連中は、わたしの棺をたやすく完全に修復できるほどの石を持っている。それも大量に。どういう意味かわかるね?」
「千台家だけが動いているわけじゃない、ということね。わかったわ。ありがとう、ジル」
「どういたしまして。ご武運を、ラ・ピュセル。君のことは、ずっと見守っているよ。たとえ世界中が敵にまわっても、わたしだけは味方だということを忘れないでいておくれ」
「いいえ、それはちがうわ」
ラ・ピュセルはきっぱりと答えると、『たんたかタン』へと急いで足を向けた。
※ この話は、「真ずんだの章2」につづきます。