![]()
※このお話は「牛タンの章2」か「仙台ゴールデンポークスの章1」のつづきとなります。
2004年12月4日
言え、
「黎明の主にご加護を乞い願う。
かれが創られるものの悪から、
深まる夜の闇の悪から、
結び目に息を吹きかける妖術使いの女たちの悪から、
また、嫉妬する者の嫉妬の悪から。」 (コーラン・黎明章)
「わたしって、きれいかしら?」
「すまぬが、余は君の魔法の鏡ではない」
基本的に美人は好きであるが、言葉ではもてはやしておきながら、実際は女を軽視しているタイプのバカな男にちやほやされてよろこんでいる、バカな美人は好きではない。
バカのバカたるゆえんは、客観視ができない、ということにある。
人様から、情欲から発する中身のない賞賛を受けつづけ、得意になってばかりいると、容姿ばかりを磨くことに専念して、もっとも脳のやわらかい貴重な日々を、人の賞賛の言葉を追いかけることだけについやしてしまう。
その容色があせたとき、中身のない高飛車な中年が、無残にもできあがる、という寸法だ。
やはりバカというものは罪が深い。バカバカバカ…
「わたしって、きれいかしら?」
きれい、あるいはそれに類する言葉をかえさないかぎり、彼女はしつこくおなじ質問をくりかえすつもりだろう。
そのイングランドの澄んだ湖(行ったことないが)のごとき蒼い双眸が、じっとこちらを見ている。
身震いするほどの美しさだが、かといって、その色仕掛けにひっかかるほど、こちらも不自由してない。
が、となりにいるイスメトがグラグラきている様子であったので、ケマルは正気づかせるために、イスメトの足を思い切り踏んづけた。
「ムスタファ君、なにをするのだい!」
抗議をするイスメトを無視し、ケマルは答えた。
「涙が出るほどきれいだ。現にイスメトはもう泣き出しているぞ」
「それはあなたが蹴飛ばしたからじゃないの。まったく、ほかの女には、ちょっと気に入ったというだけで、たとえ十人並みの容姿でも、ほいほい口説くくせして、どうしてわたしはほったらかしなのかしら」
「きみの気品に気圧されて、恐れ多く、て安っぽい言葉が出てこないからさ」
すると、目の前の、十代にして、すでに成熟した女の色香をたたえたおそるべき少女は、ふん、と鼻を鳴らした。
ガーリースタイルを身にまとい、すんなり伸びた細い足がミニスカートから伸びている。
純白のニーソックスが、蜂蜜のような腰までとどく、波打つ金髪によく似合う。
手にはピンク色の携帯電話が握られており、ストラップには、銀色のキューピーもどきがぶら下がっている。
胸は大きく、腰は細く、足首はあくまで針金のように細く。咲き誇る薔薇。
男にとって、堪えられない魅力をもつ少女だ。
彼女の名はメアリ。才色兼備の少女である。
ヨーロッパでも古い血筋をほこる大貴族の娘である。教養の高さや美貌もさることながら、誇りの高さも半端ではない。
「ストラップの売れ行きはよいようだね。最近、きみの考案した、その銀の小人のストラップをあちらこちらでみかけるよ」
商売の話になると、それまで物憂げにしていた少女が、とつぜんしゃっきりとなった。
「そうでしょう。やっぱり物を売りたければ、女子高生にサンプルを配って流行らせるのが一番よ。とくに仙台の子は、東京で流行っている、っていうだけで、ありがたがるから、チョロかったわ」
「チョロかった、などとはいい日本語とはいえないな」
「あら、ごめんなさい、ムシュー。悪いことばほど覚えやすいというのはほんとうね。お詫びにあなたにだけ、わたしの話をきかせてあげるわ。この銀のストラップ、仙台ゴールデンポークスのフルキャストスタジアムの売店で売ってもいいことになったの」
「すごいじゃないか」
「売店、といってもスタジアム内じゃないのよ。外の掘っ立て小屋よ。わたしのお店が、庶民が残飯をあさっていたときに、たまたま食べて美味しかった牛タンや、貧乏臭い笹かまと並べられる、というのは屈辱だわ」
牛タンがひろく食べられるようになったのは、戦後の食糧難の時代である。
食料はない。しかし、どうしても肉を食べたい、という一料理人が、それまで捨てられるばかりであった牛タンを焼いて食べて見たところ、これがなかなかいける、というのでそれが改良に改良をかさね、今日の定番メニューができあがったのである。
メアリのような、餓えたことのない一族から見れば、牛タンは残飯から生じた料理に見えるのかもしれない。
飢えれば、革靴だって煮て食べるさ、とケマルは思いつつ、メアリに尋ねる。
「きみは、余にその自慢話をするために、わざわざ国際交流センターによびつけたわけかね」
「あら、そうじゃないわ。ちゃんとした仕事よ。それよりも、あなたのほうこそ、便利屋は廃業していないわよね?」
「していないとも。大切な収入源さ」
なら結構、とメアリは威厳たっぷりにうなずくと、寝そべっていたソファから立ち上がり、フロアのほうに首を向ける。
来日したばかりのメアリであるが、その圧倒的な存在感から、仙台在住の外国人の中心のようになっている。
「ジギー、あなたの相談を聞いてくださる方が来たわよ」
メアリの言葉に、フロアの窓から、外をながめていた長身の男が振り向いた。
これまた、太陽の陽射しのように輝く金髪を王冠のように戴く、アーリア民族の理想を具現化したような容姿をした青年であった。
品の良い顔立ち、力強い顎と鼻梁、バランスの良い長い手足。
ミケランジェロの作るところの彫像のような肉体が、服の下に隠されていることが見てとれる。
男らしい卓越した美貌を持っているそのジギーという青年であるが、ケマルは目線をあわせたときに、がっかりした。
メアリの知り合いなのである、バカはバカを呼ぶ。
この青年も、脳みそが梅干のようになっている、バカの一人だ。
健全な肉体に、健全な精神が宿ることは稀なのか?
ケマルという男の人物判定基準は、バカか、バカでないか、の二つである。
身分も性別も国籍も年齢も関係なく、知性に重きを置く。
彼はトルコの貧しい官吏の家に生まれ、幼い頃から、八人いる兄弟たちとともに、世の辛酸を舐めてきた。
バカな連中が、身に過ぎた利権をバカな思いつきのままに使って、貧しいものを虐げる、そういう世界を見て育った。
バカ、といってもその内容はさまざまであるが、特にケマルが嫌うのは、おのれをバカだと思えないバカである。
自分を賢く美しく選ばれた人間だと思っている、選民主義にどっぷりつかった愚か者たちだ。こういう人間は、反省もしなければ思いやりももたないので、平気で人を苦しめる。
ジギーは、じっとケマルを見ていた。
とはいえ、観察しているふうではない。ぼんやりと、ただ見ている。
「ジギー、あなたからちゃんと御挨拶をして」
と、メアリに促され、ようやくジギーはああ、と物憂げに答えて、手を差し出してきた。
「シグルト・ヴェルズング」
「ムスタファ・華丸だ。こちらは助手のイスメト・猪新。話を聞こう」
「はんぱに日本語なんですね」
と、ジギーことシグルト・ヴェルズングは、美しい顔に、ぼんやり霞がかかったような表情で、突っ込んでくる。
「そうしたほうが、日本人にとっつきやすいのでね。君のことはジギーと呼ぶべきなのだろうか」
「どちらでも。ジギーだろうと、シグルトだろうと、僕にはおなじですから」
曖昧なことばに、ケマルが眉をひそめると、シグルトは、肩をすくめてみせた。
「痴呆に見えますか? 僕は病気なんですよ。ひどく物忘れがはげしくなってしまう。原因はわかりません。この建物を出たら、あなたのことだって、忘れてしまうかもしれない」
「若年性の健忘症かね?」
「医者に行っていないので正式名称はわかりませんが、メアリの家にお世話になっているので、なんとか生活はしていけています」
ケマルは、鼻を鳴らしたくなるのをなんとか抑えた。
メアリは世話好きな性格ではない。
シグルトなる、なんらかの病を患っている青年を、医者にも行かせず家に置いているのは、つまり、彼を愛人にしている、ということではないか。
「で、余に話というのは?」
「妻を捜していただきたいのです」
意外な言葉に、ケマルは力強い雄牛のような顔を開いた。
「ほう。失踪したのですか」
「と、思います。申し訳ありません、じつを言うと、たぶんそうだろう、という曖昧な話なのです。妻の名前すら、思い出せません」
「失礼だが、細君がはじめからいない、という可能性は?」
ケマルの言葉に、シグルトは大きく身震いした。
「とんでもない。戸籍には、ちゃんと名前があったのは覚えています」
「その戸籍は?」
「それが、なくしてしまったのです。どこでなくしたのかすら覚えていません」
「では、母国から取り寄せればよろしいでしょう」
「できないのよ」
と、メアリが口を挟んだ。淡いピンク色のカーディガンを羽織った彼女は、苦しげな顔をする美しい愛人に寄り添う。
「彼、不法滞在しているの」
「密入国者か。しかし、なぜ日本に?」
「覚えておりません。自分の国がどこかすら、わからないのです」
なんと哀れな放浪者。あきらかに母国ではない異国のなかで、心のよりどころもなしに、ぼやけた記憶を抱えて生きていかねばならぬのは、苦しかろう。
だが、不法滞在となると、彼がなんらかの諜報活動をするために来日した可能性がある、ということではないのか。
きな臭い話はごめんだ。
「興信所はみんなダメだったわ。日本人は優秀だけれど、やっぱり、言葉の壁は厚いのよ。英語が話せるだけじゃだめ。フランス語とドイツ語を、母国語並みにあやつれる人がいいわ」
メアリの家の財力をもってすれば、フランスにいる優秀なオプを呼び寄せることも可能なはずだ。
しかしそうしないのは、メアリがシグルトの存在を、フランスの実家に知られたくないからにちがいない。
「事情はわかったが、名前もわからない奥さんをどうやって捜すのだ。だいたい、仙台にいるのかね」
「それはまちがいないわ。見て」
と、メアリは一枚のはがきをケマルに見せた。
『しばらく距離を置いて、お互いのことを考えましょう あなたの妻 B』
「消印は仙台中央郵便局よ。まだこの街にいるんだわ」
「仙台にいて、イニシャルがB。おそらくドイツ系。ふむ、まあ、仙台は大都市とはいえ、イスタンブールほど外人が多いわけではない。やれないこともないが」
「そう、ありがたいわ。だけど、話はそれだけじゃないのよ。もし、奥さんを見つけることができたら、シグルトは離婚したいと思っていると、伝えてくれない?」
ケマルは敬虔なムスリムではないが、やはり不倫の話には、つよい抵抗感がある。
返事をしぶっていると、メアリは察したらしく、言った。
「勘違いしないでほしいわ。わたしが彼の面倒を見ているのは、彼を友だちにプレゼントするためよ」
「プレゼント? コレを?」
本人の前でコレ呼ばわりしてしまったが、当の本人はまるで気にしていないのか、聞こえていないのか、それとも何も考えていないのか、あいかわらずぼんやりした顔をしている。
ケマルの驚きを平然と受け止め、メアリは言った。
「そうよ。友だちの千台ヨーコが、ジギーに熱中しているのよ。だから、あげようと思って。でもさすがに、不倫は気の毒じゃない? だから、彼の身元をきれいにしてから、プレゼントしたいのよ」
「君は、人間をなんだと思っているのかね」
「人間だと思っているわよ。つまらないことを聞かないで」
もしそうだとしたら、彼女は自身を、女神か天使のように思っているにちがいない。
なんという、あきれるほどの傲慢さ。
「もし奥さんを見つけることができて、別れ話をまとめることができたら、一千万あげるわ。ユーロじゃなくて、円で」
「一千万円!」
メアリは見事な輝きを見せる金色の髪を、得意そうにかきあげてみせる。
「そう。銀色のストラップの売り上げが好調なので、蓄えがたっぷりあるの。これで友情が示せるなら、一千万円なんて、たいした金額じゃないわ」
世間の猛反発をまちがいなく喰らうであろうその言葉に、ケマルはくらくらした。
人種があまりに違いすぎる。あきれるしかほかにない。
そうして思った。
もしもこの話を蹴ったとして、ほかの男が欲望に目をぎらつかせて、シグルトの妻を探し出す。
そうして無情な離婚通告をするであろう。
気の毒ではないか。あまりに気の毒だ。
ケマルは、中世の騎士のように、無償の気高い行為に、人生の最上の価値を見い出す男であった。
人を金で買おうとする少女と、そんな少女に唯々諾々と従う男。
そんなやつらに蹂躙させる女性を、黙ってみているわけにはいかない。
「話を引き受けよう」
ケマルが答えると、メアリは満足そうにうなずいた。
そうして、前金だ、といってポケットから、小切手大の紙を差し出す。
期待してそれを受け取ったケマルであるが、それはただの、仙台ゴールデンポークスの観戦チケットであった。
「それね、出店記念にってもらったの。連敗続きの野球チームの観戦チケットなんて、貧乏神が寄ってきそうだから、あげるわ」
えてして金持ちほど、細かいところには、びっくりするほどケチなものである…
このつづきは「ずんだの章 真プロローグ」です。