春のなごりに

ちいさな町が祭りの準備におわれているあいだじゅう、わたしは自宅に籠もっていた。
だれに命令されたわけではなく、停学処分を受けたわけでもない。

父と学校のあいだでどんな話し合いがされたのかは知らないが、引きこもって過ごすわたしに、どちらからもコンタクトはなかった。
わたしはというと、一日のたいはんを自室ですごし、そのあいだ、ネットで大学検定のことを調べてみたり、高校中退をして一人暮らしをはじめたというひとのブログなどを読んだりしてすごした。
どこかで現実逃避だとわかっていたが、ほかにすることがない。
学校に行く、塾に行く。この二つを放棄したとたんに、自分の毎日が、これだけつまらないものになるとは思ってもいなかった。

中学のときの友だちにも、わたしの噂は届いているだろうに、だれからもメールや電話はこなかった。
ただ、まかないのおばさんは、自分の娘からわたしのことを聞いたらしく、このところほとんど毎日、わたしの好物ばかりが三食つづいている。
もうひとりの家政婦さんも、いつもはそんなことをしないのに、わたしの部屋の廊下のすぐそばに、庭の花を飾ってくれた。
ありがたいと思いながらも、うざったいと感じてしまう自分がいやだ。
おばさんの食事も、町を出て行ったら、食べられなくなってしまうのだろう。
と、同時に、いままで完全にひとまかせにしていた、炊事洗濯掃除といったことも、ひとり暮らしになったら、自分でこなさなければならない。
ハンカチひとつ、自分でアイロンをかけたことがないのに、ほんとうに一人暮らしなんてできるのだろうかと不安になる一方で、東京にさえいったら、なにもかもがうまくいく、と根拠のない自信が頭にある。

東京には、母がいる。
わたしはどこかで、二人の家政婦さんたちがしてくれていることを、東京にいっても、母がしてくれるだろうと、根拠もなく、漠然と考えていた。
つまりは、ここでの生活とほとんど変わらないペースで、わたしを取り巻く周囲だけが変わる。
あたらしい生活は、かならずよいものになる。
そんな夢を持っていた。

毎日、ネットを見るのに飽きると、わたしは母の残したノートを読んだ。
町の人間のさまざまな干渉……ファッション、言動、子育てから、食生活、ゴミの出し方に至るまで……に耐え切れず、窒息しそうだといって逃げた母の気持ちが、いまでは痛いほどわかる。
いや、ノートに書かれた母の気持ちは、そのままわたしの気持ちだった。
そうしたことからも、ますますわたしは記憶にない母親に自分を重ねて、会いたいと恋焦がれた。
母なら、きっと説明しなくても、なにもかもわかってくれる気がした。


学校に行かなくなってから二週間が経ったが、それでも土日がくるとホッとした。
土日はみなが休んでいるから、自分だけが部屋に籠もって楽をしているのではないと思えるからである。
勉強の遅れが二週間分出来てしまったわけだが、やはり学校はなにも言ってくることはない。
ふつうならば、授業でつかったプリントをもってきてくれたり、あるいはだれかを様子を見にこさせたりしないだろうか。
学校への怒りを抱きながらも、だれかが家のまえに車を停めると、思わずカーテンをひらいて、だれが来たのかをたしかめる。
たいがいは父に用事のある人間か、そうでなければ宅配業者だった。
だれかが来ないと腹が立つが、しかしもしだれかが来たとしても、その人が物見遊山で来たのではと、誠意を疑ったことだろう。
ちぐはぐな気持ちは、そのまま、自分を含めたありとあらゆるものへの不満と重なって、わたしの胸のうちに怒りは溜まりつづけた。
嫌がらせをした彼女たちがどうなったかは知らないが、わたしとはちがって、停学とはいえ、学校には行っているのだろうと思うと、腹が立って仕方がない。
塾のほうは、しばらく休むと父が電話をしているのを聞いた。
てっきりもうやめろといわれるかと思ったが、父はなにもいわない。
いや、父は、今回のことがあきらかになってから、祭りのことも含めて、なにも言おうとしない。
顔をあわせても、わたしは黙っているし、父も黙っている。
家は奇妙に静かで平穏であった。

わたしの運転手は、わたしが出かけないので、暇そうにして、車の洗車がおわると、庭掃除までするようになった。
都わすれのうすむらさき色の花が庭に咲いたといって、よろこんで写真を撮っていたこともある。
あの写真は、家に待っているという『かれ』にでも見せるのだろうかと、わたしはぼんやり考えた。
ぴりぴりした気配のただよう家のなかで、運転手だけがマイペースを保ち、どこにいてもなにをしても、周囲との際立った違和感を醸し出していた。
ふしぎな人で、本人はそれをちゃんと承知していて、自分と周囲の差を楽しんでいるようにさえ見える。
ゲイだということだから(本人は否定したが)人から偏見の目で見られることにも慣れっこになっていて、いまさら多少なにをいわれても、気にならないのかもしれない。
そんな高僧のような境地に立っているかれを、わたしはうらやましく思った。
もしかしたらちがうのかもしれないけれど、すくなくともそう見えるし、相手からどんなふうに見られようと、穏やかな顔をしていられるのがうらやましい。
かれは、わたしが庭をのぞいていると、かならず気がついて、手を振ってくるのだが、わたしのほうはこたえなかった。
かれは穏やかそうにみえて、なかなか押しが強いし、ずばり核心をつく容赦のないところがあるので、話をすれば、どうしたって今回のことが出てくる。
それはつらかった。

ひとりで籠城をつづけながら、カーテンのなかで、わたしはなんとなく、だれかがくる、いや、はっきり言うなら、阿部がやってくるような予感を持っていた。
阿部は養護教員であるし、わたしのサボリを見て見ぬフリをしていたのだから、担任は来なくても、阿部がくるような気がしていたのである。
しかし、阿部は祭りの日までやってくることはなく、わたしを放置していたことについての処分がどうおりたのかも、わたしは知らずに過ごしていた。



祭りはわたしが引きこもりをはじめてから二週間目の日曜日に、予定通りにはじまった。
祭りは、この小さな町にとっては特別なもので、この日のためにわざわざ帰郷するものもいるほどだ。
今年はとくに、町が観光としてPRしたこともあり、普段は見知った顔しか通りを歩いていない小さな街が、いつもの倍の人間であふれかえっていた。
神社の前にはたくさんの屋台も出て、地味な港町のにぎわいに、海鳥も遠慮がちに羽ばたいているように見える。

二週間ものあいだ、屋外に出ず、しかもほとんどだれとも口を利いていなかったせいか、わたしの肌は人形のように血の気のないものになっていて、家政婦さんやおばさんはもちろん、坂戸神社の宮司の奥さんやアルバイトの巫女さんたち、旧家の奥さんたちにも、口々に、(理由はなんであれ)ほんとうにお籠もりをしていたみたいだ、と言われた。
それは悪い意味ではなく、本格的だ、ということを言いたかったらしい。
宮司の奥さんがいうのには、むかしは巫女役の娘は、籠り屋に籠もって、だれとも顔をあわせず、口も利かずに何日も過ごしたのだという。
わたしのばあいは、たしかに生身の人間に触れてはいないものの、ネットを介してあれこれと情報交換をしていたから、完全に孤独だったのとはちがう気がする。
それでも、雛人形のように肌の白いわたしの巫女姿は、ほかの血色のよいアルバイトの巫女たちにくらべて、はるかに鬼気迫るものがあったようだ。

そして、運転手は、わたしをまるで春紫苑の花のようだと表現したのだが、春紫苑とはなんだと問われて、草叢に生えている、ガーゼのようなよわよわしい花をかれが指すと、それはびんぼう草というのだ、とおばさんたちに、きつくやりこめられていた。
ほかの知識は学者のようにあるのに、女の子へのお世辞がまるでなっていない、あのひとはやっぱりあやしいのではないかとも言われて、さすがにしょんぼりしていたようだ。

旧家の奥さんたちはみんな口がうるさいから、きっと面と向かって遠慮なく、あれこれと今回のことについて言ってくるだろうと覚悟していたのだが、意外にもみななにも言わなかった。
が、言わない理由があきれたもので、
「由香利さんのときのようになったら困る」
というものだったらしい。
由香利とは、わたしの母の名である。
母が町を出た当時、祭りのとき、奥さんたちから手伝いに来ていた若い人に、カレーを出すか、おむすびを出すかで喧嘩をしたのだそうだ。
そのときに、ひとりでカレーを主張していた母を、奥さんたちがみなして責めたのが、町を出た原因のひとつではないかとずいぶん言われたので、いま、娘のわたしにも言いたいことが山ほどあるのだが、また家出されたら困るから、黙っているという計算があったのだった。

祭りの興奮に呼応するように、わたしの周囲の空気もぴりぴり感が増したように思えた。
誉めことばなのかよくわからないが、みなが口々に『人形のようだ』というので、わたしは自分が人形になったものと思い込むようにした。
なるべくひとと目を合わせず、口を利かず、ひたすら祭りの一日が終わるのを待つことにしたのである。

巫女役といっても、そうむずかしくはないもので、段取りはわかっている。
旧社殿のまえに設けられた、前夜祭で奉納の能がおさめられたばかりの舞台のうえで、今度は宮司の奥さんや巫女さんたちが、舞いを披露する。
そのあとに宮司と旧家の籤であたった当主、つまり、今年は父が田楽を披露するのであるが、この田楽は、運転手が調べてきたとおり、天岩戸の神話を演じているものだ。
わたしが天照大神の役を兼ねて、旧社殿に閉じこもる。
すると、その前で、滑稽な田楽が演じられる。
むかしは裸踊りをおどったそうであるが、いまは形だけ着物を片肌脱ぐものだ。
田楽が終わると、旧社殿の扉がひらかれ、天照大神の役も兼ねたわたしの登場となる。
そのあと、わたしは神社の巫女にもどり、教えられた祝詞をとなえたあと、籤引きを見守り、つぎの家の巫女役の娘に、旧社殿の鍵を渡す。それだけだ。
ここでも、ご神宝は登場しない。

祭りは、巫女たちの舞をピークに盛り上がる。
どういうコンセプトかはわからないが、今年は、去年の夏祭りのさいにミスコンで優勝した少女たちが巫女に選ばれており、ネットで大々的にPRしたようである。
そのせいか、今年はいつになく町の外からやってきた男性客が多いようだった。
しかも巫女たちの登場を盛り上げる、という意図で、国道からこの坂戸神社に入るまでの田んぼの1キロほどの道を、時代装束でパレードをする、ということまでしていた。
とはいえ、時代考証もなにもあったものではなく、紋付袴もいれば、十二単もいるし、鎧武者もいるというもので、なかにはまったく祭りに関係のない、アニメや漫画のキャラクターに扮している者すらいた。
そのなかでも巫女たちはアイドル状態で、彼女たちもその役割をよくわかっているのか、観光客に愛想を振りまいているので、焚かれるフラッシュが昼間の星のようになって、水の張られた田んぼに反射していた。

けれど、わたしなどはいい迷惑で、おなじ巫女装束だからといってレンズを向けてくるものがいたのだが、とてもではないが愛想を振りまける気分ではなかった。
だれの声にも応じないでいると、ありがたいことに、人は減った。
おそらくわたしに気を遣ったのだろうが、宮司の奥さんは、自分も踊りの準備があるのに、ぎりぎりまでわたしと一緒にいてくれた。
奥さんたちが舞台に上がるのと同時に、わたしは旧社殿に入る手筈となっていた。
緊張しているでしょう、と声をかけられたが、ただ出て行って、暗記した祝詞を唱えるだけの役目であるから、まったく緊張しなかった。

それでもてきとうに話を合わせていると、おおぜいの見物人のなかで、じっとわたしだけを特に見つめている女性と目があった。
わたしは、どんなに注目を浴びようと無視を決め込んでいたのであるが、あまりにその視線がしつこいので顔をあげた。
最初は、それがだれであるかがわからなかった。
祭りの屋台と、時代装束と、あかるい春色の服を着ている観光客たちのなかで、そのショッキングピンクの長袖Tシャツの女性は、とくに目を惹いた。
母だった。
写真とまったく変わらない。若やいだ雰囲気の華やかな女性。
すぐにわかった。
わたしを迎えにきてくれたのだ。

わたしは母のもとへと駆けた。
いきなり走り出したわたしを捕まえようと、宮司の奥さんが手を伸ばしてきたが、振りほどいて、走った。
途中で父の声が聞こえた気がしたが、これも無視して、母のもとへと向かった。
だが、母は、わたしが向かってきていることがわかっているだろうに、写真とおなじく、親しみはあるけれども、どこか八方美人的な笑顔を向けて、背を向けて、杉林のほうへと行ってしまう。
わたしに気づかなかったのだろうか。
けれど、母が町を出てからもう十四年も経っているのだし、母もわたしがわからなかったのかもしれない。
ただ、巫女装束がなつかしかったから、わたしのほうを見ていただけなのかもしれない。
だったら、なおのこと、追いかけなければ。
わたしは人ごみをかきわけて、母を追った。
母のショッキングピンクのうしろ姿は、屋台が売る、刺激的であやしげな食べ物のにおいのあふれる雑踏のなかでも、とても目立った。
途中、写真を、という声が何度かかかったが、これも振り払うようにして前進し、母が向かった杉林へとはいった。
本道からはずれると、ほとんどひと気がなくなった。
わたしは一瞬、母を見失ったのだが、しかし、杉林の向こうに、ショッキングピンクの影が見えた。
どうやら坂戸山の裏道を下っていっているらしい。
防空壕のあるあたりだ。

母は、この町から逃げた人間だから、きっとだれとも顔をあわせたくないのだろうと、わたしは推理しながら、母が通ったであろう裏道を、ともに下った。
そして、防空壕のあたりまでやってきたのであるが、たしかにそこにいたはずの母は、どこにもいなくなっていた。
裏道をすぎて、もう山を出てしまったのだろうかと裏道の門扉まで行ってみたが、これはしっかりと錠がかかっている。
門扉を避けて山を出ることもできるが、しかしそのばあい、ぬかるんだ起伏のはげしい茂みを越えて、2メートルほどの崖を滑るようにして降りなければならない。
母はハイヒールだった。
無理である。

別なところへ行ってしまったのだろうかと辺りを見回していると、宮司と父とが、わたしのあとを追いかけてきた。
すでに巫女たちの舞がはじまっているのに、わたしが飛び出してしまったので、おどろいて追いかけてきたのである。
宮司も父も浦島太郎のような格好をしていた。田楽の衣裳なのだ。
けれど、漁師には似つかわしくないことに、父の腰には、偽ものだが、日本刀がある。
血相を変えてやってきた二人の顔を見ながら、父が腰に差している偽物の刀を見て、そういえば、本来なら、籤にあたった人間は、首を跳ねられる決まりだった、などと頭の隅で考えた。
父が、どうして最後までみなさんにご迷惑をかけるような真似ばかりする、祭りを壊す気か、としかってきたが、わたしは沈黙で返した。
母のことは口にしなかった。
した時点で、巫女であろうとなんだろうと、家に連れ戻されるかもしれないと考えたからである。
ここを離れてしまったら、母を捜せなくなる。
それに、祭に騒ぎがあったと知ったら、母がだれかに見つかることをおそれて、帰ってしまうかもしれない。
ふと、そこで違和感をおぼえたが、わたしはそれをすぐに頭の隅に追いやった。
と、同時に、そういえば、父はいままで、わたしの前で母のことを口にしたことがなかったことに気がついた。

祭りの段取りが狂うことをおそれて、やはり追いかけてきた旧家の当主たちや奥さんたちは、わたしと、そしてなぜか防空壕のほうを交互に見ると、みな一律に、不吉なものを目の当たりにしたような、渋い顔をしてみせた。
父は、最初は、戸惑いと怒りの半ばするような、すこし悲しそうにも見える表情を浮かべていたのであるが、かれらがやってくると、はっきりと顔をゆがめながらも、きっぱりと、
「この子は大丈夫ですから」
と、言った。
しかし、旧家の当主たちや奥さんたちの反応は思わしくなく、
「情緒不安定な子が、おおぜいのまえで巫女なんてつとまるの。大事な神事が壊れたら、たいへんだよ。
この子は、このために町に残ってもらったようなものなのに」
と不満を口にした。

呆気にとられた。
いままで、父の体面のために、進路を変更させられたのだとばかり思っていた。
ところが、そうではなく、こんな古臭い祭りのためだった?

父を振りかえると、気まずそうにわたしから目をそらした。
顔がこわばる。
と同時に、この人たちは、いつもは父にぺこぺこしているくせに、実際はすこしも父やわたしを信頼していないのだという怒りと、親切面した大人に裏切られたという悔しさが押し寄せてきた。

かれらはここぞとばかりに、ことばをぶつけてきた。
「巫女役は、処女でないと神様の怒りに触れる。噂のこともある。
二週間も登校していなかったのは、中絶手術を受けていたっていう話も出ている。この子でだいじょうぶなのか」
「益田の家は、十四年前も祭りをダメにしているんだし、さいごの籤引きは、代理を立てたほうがいいのじゃないか」
「タタリがあってからじゃおそい。ここの神様はひとを隠す」
「やっぱり、由香利さんの子だから、役に立たないのは同じだね」
となりにいた父が、めずらしく激昂して、なにか怒鳴ろうとしているのが、気配でわかった。
れを感じながら、わたしも怒りがおさまらなくなっていた。
「いいえ、わたしは巫女をやります!」
自分でもあきれたことに、出てきたことばはそれだった。
しかし、かれらの理屈に真っ向から対決するには、巫女をやるしかないのだ。

夫と子どもを捨てて去った女の娘だから、噂どおりのだらしのない子だというかれらの、じつに短時間で形成された思い込み(つまりは、わたしにたいする信用というのは、それほど低かった、ということにもなる)を砕くためには、最後まで巫女をつとめてみせるしかない。
タタリなんてものがほんとうにあるかどうかわからないが、首を落とすというのなら、落とせばいいし、隠すというなら、隠せばいい。

そのときの気分をひとことであらわすなら、自暴自棄。それである。
どうせ学校にも行けない身の上で、祭りのために、町を出て行くことも許されず、さらには薄汚い中傷にさらされる。
たった一日のために、高校の三年間を潰された。
三年間に得られたはずのものが、祭りのために得られなかった。

そしてわたしは悟った。
わたしの進路を変えさせた理由を父が黙っていたのは、わたしが祭を嫌がって、逃げることを恐れていたからだ。
いままで、長い年月のなかで、籤引きにあたった一族は、失踪者をかならず出す、という理由も、案外、こんなところにあるのではないか。

舞台のうえでは、巫女の踊りはほとんど終わっていた。
わたしは白木の階段を、観光客が呆気にとられているなか、駆けのぼるようにしてあがっていき、男性客に、にこにこと愛想を振りまいている巫女たちを押しのけるようにして、旧社殿に閉じこもった。

旧社殿に入ったとたん、おかしなことではあるが、『帰ってきた』と思った。
二週間ほどおとずれていなかった場所は、祭りのためにきれいに掃き清められて、あきらかに人の気配が残っていたのだが、それでも、ここは、わたしだけの場所なのだと思った。
扉のすぐ外にある喧騒が、木の扉ひとつを隔てただけで、ほとんど聞こえてこない。
黒壇の床のうえを歩いていると、あれほど猛りくるっていた心がおさまってきて、なんだかすべてがどうでもよくなってきた。
たいして動いてもいないのに、ニ週間の運動不足がたたったか、わたしは疲れて、その場に膝をかかえてしゃがみこんだ。
扉から入る明かりがちょうどいい。
まるで木漏れ日のなかにいるように思える。
扉のすき間から見える、白と赤の巫女装束がきれいだ。
色とりどりの観光客の群れが、意味の読み取れない抽象画のように見えてきた。

ねむい。

思わずかかえた両膝のうえに額をあずけると、ふと、社殿の奥に、なにかの気配を感じる。
だれか、ほかに先に入り込んでいるひとがいるのだろうか。
おどろきはしなかった。
なにせ不審者がそこにいようと、わたしが声さえあげれば、助けてくれそうな人は、木の扉を隔てて向こうにたくさんいるのだし、怖がることはなにもなかったからだ。

立ち上がって、みれば、そこに、ショッキングピンクの影が浮かんでいる。
母だ。
裏道から、どこか別の道をまわって、旧社殿に戻ってきたのか。
「お母さんでしょう?」

十四年前、母は益田の家の巫女役の少女から、旧社殿の鍵をうけとっていた。
そのときに、合鍵をつくっていたらしいと、だれかが言っていた。

ほんとうに、そういうことは、知恵のはたらく人だったと。

わたしは母親を知らない。
どんな性格だったのか、父はなにも語らないし、写真だけでしかその顔も見たことがない。
物陰で、わたしたちに隠れてかわされる会話のほとんどが悪口ばかりだ。
父親がしっかりしているから、あの子はもっている、とだれかが言っていた。
母親があれだから、うまく育てないと、とも。
かれらの口にする母という人は、目立ちたがりやで、わがままで、偽善者で、自分勝手で、人の手柄も平気で横取りする、夫と幼い娘を捨てて省みないような、
「お母さん!」
返事をしない影に、わたしは手を伸ばした。
だが、指先に触れるはずの繊維の感触が、ない。

ノートに綴られた母は、いつもだれかの目を気にして、愛想笑いをけんめいに浮かべて気を張って、けれどなにをしても都会かぶれと莫迦にされ、気を遣えば遣うほどに裏目にでる、不器用な、理解者をえられずに困惑している、孤独な女性だった。
写真に写っている派手な原色の服に身をつつんで、レンズに向かって屈託のない笑顔をうかべているのは、あれは仮面だ。きっとそうだ。
こっそり忍んできたはずの人が、ショッピングピンクなんて派手な色の服を着ているはずがないなんてこと、ただの思い込みだ。きっとそうだ。

わたしを捨てなくちゃいけない理由はあった。
この町がいけなかったんだ。
わたしからお母さんをとりあげ、未来をとりあげた、この町から出なくちゃいけない。
東京? 
どこでもいい。
この町ではないどこかへ行かなくちゃ、窒息をしてしまう。

4へつづく
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