Give Birth to Heaven・1

※ この話は、「仙台、ふたたび・9」のつづきとなります。

いつものように午前六時に目を覚まし、あらかたの家事をすませてしまったあと、学校に行くまでの、十五分間が、最上アキラ子にとっての、くつろぎの時間である。
ドラッグストアの店頭で特売していたグミキャンディーを、二個ばかりをおつまみに、ちょっとだけ贅沢をして、平均よりすこし高めの果汁百パーセントのオレンジジュースを飲みながら、斉藤さんの天気予報を見る。
八時までの時間帯のニュースは、どれも天気予報をしているが、ふしぎと斉藤さんの天気予報は当たりやすい。
そして斉藤さん、今日も元気である。

あー、今日は晴れか。
バイトがなければ屋上に洗濯物を干してから学校に行くのにな、と思いながら、アコは画面の右隅にある時計をちらりと気にする。
昨日の『隣人』からの電話によれば、七時に預かり物を届けてくれる、ということであったが、もう八時になりつつある。
『こっちから行ったほうがいいのかな』
八時を過ぎたら、バスの時間もあるから、もう家を出なくてはならない。
黙ったまま行ってしまうのも悪いから、すこしあいさつをしていくほうがいい? 
それとも、もしかして、まだ寝ているかもしれないから、メモを玄関に残しておいたほうがいいのかな。

それにしても、いつからお隣は、空き家じゃなくなったのだろうと、アコはふしぎに思う。
アコのマンションは戸建マンションで、賃貸マンションではない。
しかし、アコの隣家は、所有者はいるのだが、本人はそこに住まず、ほかの者に又貸しをして、家賃を得ているらしい。
マンションの規約違反なのであるが、築年数が古く、管理会社の管理も甘いことから、同じように又貸しをしているオーナーは、ほかにもいるようだった。
いまのところ、目だったトラブルもないので、みな、それを黙認している、というふうである。

前の住人は、昼夜逆転生活をしているらしく、アコが一度も顔を合わせないうちに引っ越してしまった。
いまの住人は、宅配便を代わりに預かってくれるくらいの人だから(しかもアコに遠慮して、夜ではなく朝に来ると配慮できるくらいの人である)だらしのない人ではないようだ。
けど、早く来て欲しいな、とアコは思った。
預かってもらって勝手かもしれないけれど、バスに間に合わなくなっちゃうよ。

アコの通う、私立千台栄華学院は、仙台駅のバスプールから朝と夕方、スクールバスを出している。
SHRが九時からはじまるので、それに間に合うためには、最悪でも八時半のバスに乗らなくてはならない。
このバスに乗り遅れたら、あとは自主的に市営バスで移動しなくてはならなくなる。
お金が勿体ない、ということもあるが、市営バスでの登校は、時間がうまく合わないため、まず遅刻となる。
ヨーコのように金のある生徒は、贅沢にもタクシーを使って登校する、ということもしているようだが、赤貧生活をしているアコに、そんな余裕があるわけがない。
仙台駅から学校まで、タクシーで1500円、信号にひっかかりまくると、1800円もかかるということを、アコはヨーコから聞いて知っていた。
いったい何日分の食費なのだと思うところである。

アコの五橋のマンションから、仙台駅までは歩いて15分弱。
だから、八時になったら、すぐに家を出ないといけない。

時計は、七時五十五分に表示が変わった。
斉藤さんの天気予報の裏番組では、占いがはじまっている。
余裕がないときは、この占いを見ると、焦るのであるが、その朝のアコもおなじく、焦りつつあった。
どうしよう、メモを残すなら、もう書いておかないと間に合わないかも。
黄色い付箋があったよね、と文房具入れをのぞいていたとき、待ちかねていたチャイムが、ぴんぽんと鳴った。
すぐに玄関に向かうと、両手で百科事典を二つ横にして重ねたくらいの大きさのダンボールを手にした、痩せぎすの、逆三角形の顔をした男が立っていた。
無精ひげが口のまわりに生えており、頬がこけていて、髪もあまり整えられていないが、ふしぎと不潔な雰囲気がないのは、顔立ちに気品があるからだろう。
美形、とまでは言い切れないが、整った顔をしている。
しかし貧血をしているのか、浅黒い肌のなかで、眼球だけが陶器のように白い。

男は、くたびれたカーキー色のコートをゾロッと着て、ボタンのないシャツに、チャコールグレーのジーンズ、という出で立ちである。
中国か、韓国の人かな、とアコは見当をつけた。
男は、ダンボールを抱えたまま、無表情に、じっとアコを見ている。
「最上、アキラ子さん、です、か」
とつとつとした喋り方で、イントネーションもすこしずつ怪しかったが、聞き取れないことはない。
アコがそうです、と答えると、男は軽く頭をさげて、言った。
「となりに、住んでいる者、です、よろ、しく」
「はい、よろしくお願いします。いつから住んでいるんですか」
アコの問いに、男は、なにかを言いかけて、口を開いたまま、しばらく黙った。
なんだ、なにを言おうとしているのかな?
アコが待っていると、男は、肩の力を急に抜いて、答えた。
「となりに、住んでいます」
「はい」
「最近、です。いつかとは、正確には、わかりません」
「はあ」
日本語でうまく言えないのかな、と首をひねりつつ、アコはたずねた。
「日本の方ではないですよね。どちらの国の方ですか」
「もうなくなった、国、です」
う。亡命した人なのかな。悪いことを聞いちゃったな、とアコが決まり悪く思っていると、男は、手にしていたダンボールを差し出した。
「預かり、もの、です」
「あ、そうでした。すみません、助かりました、ありがとうございます」

さて、だれから来た、なんだろう、と宅急便の伝票を見れば、それは聞いたことのない宅急便の伝票が貼り付けてあった。
宛先はアコのマンションにちがいはないのだが、差出人が空欄で、荷物の内容の欄には『なまもの』とだけあった。
怪しい。
なんだろう、これ。

「バイト、してる、とか」
アコが怪しんでいると、男が唐突に言った。
だれから聞いたのかな、管理人さんだろうか、とアコは首をひねる。
アコが両親を事故でなくしたこと、奨学金を受けていること、生活のためにエスパルのゆべし屋でアルバイトをしていることは、マンションの人間はみんな知っている。
いまさら隠すこともないので、アコがそうです、と答えると、男は、感心したように、何度かうんうん、とうなずいた。
「わたしも、仕事、します」
「お仕事、なんですか」
会話の流れにのってアコがたずねると、男は答えた。
「詩人」
「えっ、食べていけるんですか!」
思わず口にしてから、アコはおのれの失言に気づき、うろたえた。
詩人という職業の人間をはじめて見て、思ったことがつい口について出たのだ。詩人=びんぼう、という、石川啄木などを代表とする一部の古いイメージが、文学少女アコの頭のなかに刷り込まれているのである。じっと手を見る。

「食べて、いけません、か」
男はアコのことばを反芻して、困ったように顔をしかめている。
ダンボールをかかえたまま、アコはあわてて手を振った。
「いえいえ、ごめんなさい、いまの、わたしの失言です! 気にしないでください。
えーと、詩人だって、いろいろありますもんね。作詞家とか」
「ハローワーク、行って、きます」
「いや、あの、ほんと、何も知らないのに、変なこと言ってごめんなさい」
「いえ、日々、発見です、心を入れ替えて、働くのも、運命と」
「運命だなんて、そんな」
詩人だけあって、ことばの選び方が、なんだか大げさな感じだなあと思いながら、アコは、はっとなって腕時計を見た。
すでに八時を十分も過ぎている。
TVでは、八時からのワイドショーの音楽が流れてきていた。
「いけない、ごめんなさい、もう学校に行かなくちゃ! 
あのう、今日はバイトが終わって帰ってこられるのが、十時ごろだと思うんですけれど、またあらためてお礼に行きますね!」
「夜は、寝なさい。また、朝に」

あ、気を使ってくれているみたい。
悪い人じゃないんだな、とアコはほっとして、それから、ダンボールを玄関先に置いたまま、TVを消して、それから、家を出て、バスプールへと向かった。



なんとかバスは間に合った。
八時半の最後のバスは、いつもぎゅうぎゅう詰めで、息苦しいので、アコはいつも二本前のバスを狙って乗っているのだが、今日はうまくいかなかった。
そうしてもみくちゃになったアコは、学校につくと、すぐに制服の乱れを直し、教室にむかう。
教室について、最初にやることは、ヨーコたちがいるか、いないかだ。
ヨーコは学校をさぼりがちなので、朝はいないことが多い。
ヨーコに合わせて、ほかのクラスメイトも休んでいるときがあり、そうなると、アコにとっては『ラッキーデー』となる。

入り口から、そっと中をのぞけば、ヨーコの机は空いたままである。
が、残念なことに、ヨーコの取りまきである、シマノたちは登校しているようだ。
ヨーコを中心にしているグループであるが、実際は、ヨーコよりもシマノたちのほうが、性質がわるい。
いやだなあ、と思って、ぎりぎりまで廊下にいることにして、予鈴が鳴るのを待っていると、背後より背中を叩かれた。
「おっはよー、最上さん、どうして教室に入らないの?」
一瞬、ヨーコの取りまきの一人が嫌味を言ってきているのか、と身構えたアコであったが、振り返って、おどろいた。
そうではなく、ヨーコたちのグループとは別のグループに入っている、浅野一子だったのである。

アコのクラスは、クラスメイトが小さなグループを作って、それががっちりと固まっており、自分たちのグループが、ほかのグループと交流するのをきらう。
ほかのグループにあいさつをしただけでも、締め上げの対象になるほど、閉鎖的な関係を、それぞれで築いているのだ。
それを、堂々と一子は、朝から崩して見せたのだ。
しかも、浅野一子はいくつかあるグループのなかでも、大人しい少女たちがあつまっているグループのひとりであった。

マズイ、ほかの子たちがどう見るか、とすばやく周囲の反応をうかがうが、まったく変化はない。だれもこちらのことを見ていないようだ。
うれしいけれど、大胆な、とアコがうろたえていると、一子はにこにこと、こけしのような顔に笑みを浮かべて、言う。
「このあいだ言ってた、エビータの伝記、お父さんの書斎にあったから、持って来たよ」
と、浅野は、自分のスクールバックから、読み込まれたものらしい、一冊の文庫本を取り出した。
ありがとう、と受け取りかけて、アコはさらにうろたえる。
ちょっと待て。『このあいだ』って、いつのこと? 
浅野さんと、これまで話をしたことって、数えるほどしか、ないよね? 
でもって、エビータ? なんでエビータ?

うろたえているアコの顔色に、一子は怪訝そうに首をかしげた。
「どうしたの? もしかして、具合がわるいとか? 
このあいだ、ブロードキャスト版のCDを貸してくれたじゃない? そのお返しに文庫を貸すって話だったよね?」
いつそんな話が? だいたい、家にブロードキャスト版の『エビータ』のCD、あったっけ? 
ミュージカルや映画が、アコは大好きである。
ほしいなあとは思ったけれど、二枚組みで高かったから、あきらめたのだ。
なにかがおかしい。

とりあえず文庫を受け取ったところで、予鈴が鳴った。
すぐに担任がやってきて、朝の点呼をはじめる。
ヨーコの席は空いたままで、どうやら今日はサボるらしい。
うわあ、また三時間目が終わったあたりに、『やきそばパン、買っといて!』とかメールが来るかな、と思いながら、アコは点呼に応じる。
そうして、すぐにSHRはおわり、一時間目が始まったのであるが、ふと、気づいた。
ヨーコの名前、呼ばれていないよね?

私立千台栄華学院というのは、ヨーコの母親のナミが理事長をつとめている学校で、そうした関係から、ヨーコは特別待遇でいる。
もしかして、今日は休みなのかな、だったら、『ノートとっといて!』というメールがきそうなものなのに、まったく何も来ない。
とりあえず、三時間目の終わりまで待ってみようと、アコはメールを待った。
だが、三時間目の休憩時間が過ぎても、さらには昼休みになっても、ヨーコからのメールはこなかった。

気まぐれなヨーコの所在を、だれに聞くべきか。
取りまきではあるものの、同じクラスメイトであるシマノたちに対し、ヨーコがうまく距離を置いていることを、アコは見抜いていた。
だから、パシリ、と莫迦にした呼び方をしてはいるが、プライベートにかかわる雑事のいっさいは、ヨーコはアコに頼んでいるのだ。

『メールしてみようかな。薮蛇かもしれないけれど、気になるし』
と、アコは購買部へ向かいながら、ヨーコにメールを送信した。
曰く、
『今日はバイトだから、用があるなら五時間目までにね!』
と。
なにか反応があるだろうと待っていると、やがてメールが戻ってきた。
が、それは送信エラーを告げるメールであった。

『アドレスを変えたのかな。とすると、シマノたちに聞かなくちゃいけないし、イヤだな、絶対に教えてくれないだろうな』
困りながら、また教室にもどってきて、ふと、教壇の座席表に目を落とす。
そして、アコは首をひねった。
ヨーコの名前のあるべきところに、名前がなく、そこは空欄になっていた。
『変なの。ヨーコは理事長の娘だから、逆に目立つだろうってことで、空欄なの? 
いままでもそうだったっけ? 書き忘れかな』
書き忘れだったら、ひどい話だ。
ヨーコが不機嫌になるだろうことは想像できたので、アコはボールペンでもって、空欄に『千台』と書き入れた。


放課後になっても、ヨーコからのメールはこなかった。
そうじ当番ではなかったから、このまま、バイト先のエスパルに行こうと支度をはじめたアコであるが、ふと気になって、教壇の座席表を確認した。
『あれ?』
おどろいたことに、アコがたしかに書き入れた『千台』の文字が消えている。
修正テープで消した、という消え方ではない。
もともとなにも書かれていなかったかのように、紙はそこだけが無傷で白かった。
『先生ごとに座席表を持っている、っていうわけじゃなかったよね。これ一枚だけだったはず。
どうして文字が消えちゃったの? もしかして、差し替えられたのかな』
しかし理屈に合わない。
席替えなどしていないわけだし、アコが昼休みに見たとき、紙は汚れてもいなかった。
差し替える理由がないのだ。
『なんか変だな』
アコはだんだん気味悪く思いだしながら、ヨーコの席を見た。
そういえば、朝から、だれか、ヨーコの話をしただろうか。
休みだから、たまたま、だれもヨーコのことを口にしなかったのだろうか。

正面玄関の下駄箱は、そのつど名前を差し替える手間がかかる、ということで、下駄箱の扉に名前はない。
それでも、上履きがあるかなと、ヨーコの下駄箱をのぞいて見たアコであるが、下駄箱は空であった。

ふと、なにも言わずに退学したんじゃ、と考えたが、そうであったなら、今朝のSHRで、担任教師から話があるはずである。
『昨日は、いたよね』
昨日のヨーコは、いつもと変わらず、元気だった。
退学するとなったら、それこそ大騒ぎして、自分のためのお別れパーティーでもしかねないのがヨーコである。
何も言わずに消える、ということが、ヨーコらしくない。

もういちど、ヨーコにメールをしようと携帯電話を見て、アコは、もう学校を出ないと、バイトに間に合わないことに気づいた。
バイトがなければ、担任教師に、ヨーコのことを聞くなど、できたはずなのだが…
『エスパルに行きがてら、メールしてみよう。もし、それでダメだったら……うわあ、メルアドは知っているけど、電話番号知らない。家に行くしかないかな』


ヨーコのことを気にしながらも、アコはエスパルに向かい、アルバイトをはじめた。
アルバイト中のアコは、とくに何事もなく、いつものように売り子を勤め上げた。
エスパルの営業が終了し、アコも更衣室で着替えて、帰路についた。
エスパルから出ると、12月の夜風が、ひんやりとアコの頬を撫でた。
暖房がききすぎているほど暑い室内から出てきたので、外の冷たさが、かえって心地よい。
エスパルの周辺にある、外資系のホテルの植え込みの、クリスマスを意識したイルミネーションに、しばし疲れを癒す。そういえば、そろそろ光のペーシェントがはじまるんだっけ。
白い息を吐きながら、アコは家に向かって歩き出したのだが、ふと、そうだ、ポケットの中、と思い立った。
なぜだかわからないが、ポケットに、なにか入っているかもしれないと思ったのだ。
そしてコートのポケットを探るアコであるが、ポケットにはなにもなく、ただ、隅っこにたまっていた、ほこりと毛玉の塊が出てきただけであった。

なんなんだろ、と自分で自分の行動に首をかしげながら、アコが五橋に向かって歩き出していると、待ち受けていたように、茂みから、会いたくない顔があらわれた。
シマノであった。
シマノもエスパルでバイトしていたんだっけ? と、露出の多い、寒そうな格好をしたシマノを見て、アコは思い返していた。
いや、シマノはうまくヨーコからお金を出させて、自分はぜったいに苦労しないことを自慢にしている少女だ。
バイトという地道な作業はしないのが、シマノの、シマノなりのポリシーなのである。

シマノはヨーコより派手である。
黒地にピンクのハートがたくさんついたバックに、大きなシャネルのアクセサリーで身を飾り、ショートパンツの下には、黒のエナメルの派手なブーツをはいている。
ヨーコとシマノが並ぶと、ほとんど『寒さ比べがまん大会』のようだと、アコはつねづね思っていた。
とはいえ、ヨーコは、流行をがんばって追いかけているけれど、センスはいまひとつで、シマノのほうがスタイルもよく、洗練されている。

「あんたさ、ヨーコ知らない」
と、唐突にシマノはアコにたずねてきた。

驚きもしたが、アコは同時に安堵していた。
ヨーコは『いる』らしい……ん? いるって、なんだか変なの。

「連絡とれないんだよね。あいつ、メルアド変えたのかな。あんただったら知ってるでしょ」
「ごめん、しらない」
「うそ」
なにを根拠に嘘だというかな、と呆れつつ、アコはきっぱりと言った。
「うそなんかついてないよ。わたしも、ずっとヨーコのメールを待ってたけど、今日はぜんぜんだもん。
シマノこそ、電話番号知らないの? 架けてみれば?」
「架けたけど、現在使われておりませんだった」
ふと、アコの脳裏に、事件、の二文字が浮かんだ。
少女になにが起こったか? 
不穏な気持ちにとらわれているアコをよそに、シマノは、ハンドバックをぶんぶんと乱暴に回して、呻くように言った。
「ちっくしょー、マズイな」
「なにがマズイの?」
反射的にたずねたアコであるが、シマノは、白を基調にした派手なメイクのほどこされた顔を、きつくゆがめて、にらみつけてきた。
「てめーに関係ない。もういい。話しかけんな」
シマノはいつもこうなのだ。

話しかけてきたのはそっちじゃない、とむくれながら、アコは、高いヒールのブーツで、夜道を、いかにも腹を立てています、というふうに歩き去っていくシマノを見送った。
その行く手に、あまり係わり合いになりたくない類の、ガラの悪そうな少年たちが街灯の下でたむろっている。
大丈夫かな、とアコは思ったが、ヨーコやシマノの、放課後の交友関係を、アコはよく知らない。
なんだか変なことになっていないといいな、と思いながら、アコはふたたび家に向かって歩き始めた。

そうして、夜は人気のすくない、ビル群に囲まれた歩道を、残業帰りで仙台駅にむかうサラリーマンとすれちがいながら、歩いていたアコであるが、ふと、目のまえに、なにかが横切った。
『ん?』
それは気のせいだったのかもしれない。
だが、アコは、目のまえを、だれかが、風のようないきおいで、横切ったように見えた。
その誰かの姿は、男であったか、女であったかもわからないのだが、たしかにだれかが横切った。

なんだろう、とふとビルの路地と路地のあいだを見て、アコは凍りついた。
男が立っている。
小柄で華奢な男だ。なにをしているのかわからない。
こちらに背を向けている。
が、アコは、その足元に倒れているものを見て、動けなくなった。
人が倒れている。
若い女だ。OLらしい。
OLだろうとわかるのはその畏まった格好からなのであるが、ひと目で、はっきりとわかった。
死んでいる。

アコが動けないでいると、男のほうがアコに気が付いて、振り返った。
心臓が飛び跳ねるかと思うほどに、おどろくほど美しい顔をした青年だった。
大きな憂いを含んだ瞳をして、こちらをまっすぐ見ている。
一瞬、アコは、その足元にある死体のことも忘れ、青年の姿に見入った。
人の心を奪う美貌というのは、こういうものをいうのにちがいない。
ただ美しいというだけではなく、青年の表情はなにかを語りかけていた。
黙っているけれど、なにかをこちらに訴えている。

なんだろう、とアコが考えていると、唐突に、その青年の、赤い唇が笑みを浮かべた。
その変化に、アコがハッとしていると、つぎの瞬間、青年の姿は消えて、あとには死体だけが残された。



その後、アコは警察にさんざん事情を聞かれたが、その青年がどうやって路地からいなくなったのか、きちんと答えることはできなかった。
警察は、アコの気が動顚して、青年がどちらへ逃げたのか、わからなくなってしまったのだろうと、勝手に判断した。
現場に行きかう捜査員の話から、死んでいたのは、この近辺に勤めているOLで、死因は不明。
外傷はなく、着衣の乱れもなければ、所持品を盗まれてもいないようだという。
もしかしたら、心不全じゃないのか、と捜査員のひとりがこぼしているのが聞こえたが、若いOLが心不全、というのは、もともと持病がある、というのなら別だが、不自然であるし、だとしたら、あの青年は何者なのか。

アコは捜査員に住所と電話番号を聞かれ、そしてマンションまで送ってもらった。
家に帰ってすぐ、怖かったので、つけられるだけの明かりをすべてつけた。
そしてTVをつけると、地方ニュースで、さっそく事件のことが伝えられていた。所持品が残っていたので、すぐに身元もわかったらしい。
被害者の年齢が二十七、ということを知って、ますますアコは、心不全じゃないだろうな、と思った。

頭が妙に冴えて、眠れない。
それよりも、怖かった。
あの青年と対峙しているときは、その美貌に気をとられて、恐怖も感じなかったが、いまは怖い。
はっきりとお互いに顔を見た。
もし、これが殺人事件だったら、犯人はどうするだろう。

こういうとき、頼れる人間がいない、ということに、アコはどうしようもない孤独を覚える。
そして、一人で生きるということの大変さを、十七にしてつくづく感じる。
警察は、しばらくマンション周辺をパトロールしてあげる、といったが、大丈夫だろうか。

『でも、一人で生きていくしかないんだもん。頭を使わなくっちゃ。
そうだ、玄関をすぐに破られないように、バリケードを作っておこう』
バリケード、といっても、廃品回収にまわすためにためてある新聞紙の束を玄関に積むだけである。
そうして、バリケードを作ろうとして、アコは、今朝から置きっぱなしになっていたダンボールを思い出した。
まだ開封していなかったのだ。
差出人が無記名の、あやしい宅急便である。
貼り付けてあるガムテープをはがすとき、一瞬、ためらったが、運が悪い日は、なにをしても運が悪い、どうせならもう、とことん悪くていいや、と半ばヤケになって、一気にガムテープをはがした。

蓋を開けてみると、なかに、なにか黒っぽいものが入っている。
なんだろうと覗き込むと、箱の中のそれは、ぱっと動き出すと、ダンボールから顔を出して、アコを見るなり、怒鳴った。
「受けとったら、すぐ開いて中身を確認する、そして礼状を送るのがふつうであるぞ! 
一日待ったぞ、い・ち・に・ち! わたしがアトラ・ハシースでなかったら、死んでおるわい。
まったく、箱の中身は『いきもの』だと書いてあっただろうが!」
と、ぷりぷり怒っているグレーの子犬のような、垂れた長い耳をもつ、しゃべる生きものは、箱に貼り付けてあった伝票を見て、悲痛な声をあげた。
「ああ! 『いきもの』ではなく『なまもの』になっておる! なんたるイージーミス! しかもクール宅急便でないから、『なまもの』とあっても、開けなかったのだな。
いやあ、すまぬすまぬ、いきなり怒鳴ってしまったのう。安心するがよいぞ、わたしは、そなたを守りに来た正義のうさぎで……って、なぜに倒れたのだ! おーい、最上アキラ子やーい! おーい!」

その日の終わり、さすがにアコは気絶した。

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※ この話は、「Give Birth to Heaven・2」につづきます。