うさ・ルート番外編

みらくるけーき

雑多な緑のなかに身をまぎらせて、つかの間の眠りをむさぼる獰猛な獣のような。
丘の家は、一年中咲き誇るひまわり畑に囲まれており、ざわざわと青空の下吹き抜ける風を受けているのだが、その庭にひとり、趙雲はまるで手負いの獣のように身をまるめて、庭の片隅の茂みのなかで、昼寝をとっていた。
近づいても起きる気配がない。
孔明は足を止めると、眠る男の顔を覗き込むようにして身をかがめる。
外敵がいない世界だからこその、この油断しきた姿だろう。
生前は、こんなふうに安らかなまどろみのなかにある姿を見ることはできなかった。
しかし。
相変わらず、腹の立つほどの美丈夫ぶり。
なぜ腹が立つのかといえば、趙雲には孔明の持っていない美しさをすべて持ち合わせているからだ。
男らしい硬質な線も、凛々しく整った目鼻立ちも、無駄な肉のどこにもない長いしなやかな手足も。
かれは生まれながらの武人である。
本来の眠りは浅く、触れようとしただけで跳ね起きる。
つねに危険のなかに身を置いている獣のように、寝ている間でも感覚をとがらせているのである。

「子龍」
すこし離れたところから呼びかけても返事はない。
昨日は眠るのが遅かったのだろうか。
趙雲は腹に分厚い本を抱えて眠っていた。
どうやらそれを読んでいるうちに眠くなってしまったようである。
本のタイトルは『ガーデニングのプロに学ぶ美しい庭造り』。
眠ったまま握っている手にはシャベル。
シャツとズボンというラフな格好のうえにガーデニング用エプロンを着用。
眠っている芝生のうえには、卵のようになめらかな曲線をもつ球根がいくつか転がっている。
どうやら球根を植えようとしたときに、南風にさそわれて、つい眠くなってそのまま寝入ってしまったようだった。

「子龍、冷えてしまうよ」
声をかけても、趙雲はまったく起きる気配がない。
察するに、昨日は遅くまで本を読みながら、庭をああしよう、こうしよう、と考えていたのだろう。
趙雲はガーデニングや家具作りに心血を注いでいるのである。
なにせ、寿命のないアストラル。
時間だけは無限にある。
おのれの趣味を多方面に向けるアトラ・ハシース、そしてアストラルは多いが、趙雲の場合の趣味は、はっきりとだれの目にもわかる成果、そしてセンスとマメさと計画性が物をいうガーデニングと家具作りであった。

「子龍」
三度呼びかけるも、応答はない。
孔明は、手にした小箱を庭に置かれている木製のテーブルのうえに置くと、軽くぴょんと飛び跳ね、そのまま趙雲の腹にダイブした。
うさぎに変化して。
「とう!」
勇ましい掛け声とともに、ぼすり、と鍛えられた腹筋がうさぎの身を受け止める音がする。
と同時に、趙雲の咽喉から、カエルのような声が漏れた。
何事かと、趙雲が起き上がる。
孔明は腹の上にトランポリンのうえで跳ねるように留まりながら、起き上がった趙雲に手を振って見せた。
「おはよう、子龍、綺麗に晴れて、よい一日だな! 映画館にの帰りなのだが、散歩がてらに寄ってみたよ。
それに今日はとてもいいことがあってね、それをあなたに知らせたくてやってきたのだ」
孔明が一気にしゃべると、趙雲は眠気がまだ振り払えないのか、頭を何度も振りながら、上半身を起こし、そして、いまは自分の膝に移動している雑種のうさぎを、信じられない、といふうに見下ろした。
「いま、鉄球が腹に落ちたかと思った」
「鉄球とは失礼な。わたしだ、わたし」
「孔明、だな?」
「そうだとも。こんなに愛らしいうさぎに変化できるのは、わたしのほかに誰がいる」

自分で言っていたなら世話がない。
しかしうさぎに変化した孔明の姿は、たしかに愛らしいものであった。
孔明が変化したのは体重が2KGにも満たないちいさなうさぎである。
白地にパンダ模様のぶちのあるダッチという種類に似ているが、目には太く濃いアイラインが引かれており、ドワーフホトという種類の特徴も有している。
要するに、人気のうさぎのいいところを集めたようなうさぎなのである。
昔、ひょんなとこからうさぎに変化してしまい、戻れなくなった、という事件があり、そのとき孔明は何も知らない趙雲に飼育されていた。
いまはやっと元に戻れるようになったのだが、うさぎであったときの名残で、ときどきこうして、うさぎに変身するのが癖になっている。
アトラ・ハシースたる孔明は、その気になればライオンにもなれるし、龍にも変身できるのだが、やはり変身となるとうさぎ。
もはや定番である。

「声をかけても起きないのだから心配したぞ。昨日は徹夜か」
「ああ」
と生返事をしながら趙雲は、胸にかかえていた本をよく手入れされている芝生のうえに置いた。
「春に向けてヒヤシンスとチューリップを庭に植えようと思ったのだが、配置に迷ってな。どうするかと悩んでいるうちに、いつの間にか朝だった。
植えてから寝ようとしたのだが、今日は陽気がいいので、ついつい眠ってしまったようだな」
「へえ、ヒヤシンス。何色にするの」
「定番の青紫だな。チューリップは赤いものにして、赤と青紫を交互に」
「きれいじゃないか。春が楽しみだね」
「遊びに来い。といっても、おまえは年がら年中遊びに来ているか」
言いながら、趙雲は大きく伸びをすると、孔明を膝から下ろして、立ち上がった。
「いつまでうさぎになっているのだ。俺も起きたことだし、元に戻れ」
「この目線も久しぶりだな。ところで子龍」
ぴょんぴょんと趙雲のあとについて行きながら孔明はうさぎの身のままテーブルのうえを指差す。
ちなみにうさぎの身に変化したとはいっても、孔明の場合特殊で、指が五本ある。
人間のように物をつかむことも可能だ。
「テーブルの上にある小箱を開けてごらんよ。ここに来る途中で拾ったものなのだけれど、あなたも気に入ると思って」
「拾った?」
孔明のことばに、反射的に警戒心をつよめつつ、趙雲は小箱をひらく。
その小箱、取っ手つきの紙の箱で、月とかぼちゃの型押しの模様が入っている。
趙雲が中をあけてみると、なかにはオレンジ色のケーキが二個、入っていた。
「おまえ、これ、拾ったと言わなかったか」
「うむ、拾ったのだよ。散歩をしていたなら、辻にカフェが出来ていてね、だれがはじめたのだろうと覗いたのだけれど、客も店員も、だれもいないのだ。
だがショーウィンドにケーキがあって、そこに『試作品なので無料でお持ちください。ご感想お待ちしております』とあったのだよ」

基本世界と汎世界を守るアトラ・ハシースとアストラルの休息場におけるこの世界において、貨幣経済というものは存在しない。
基本的に、商品という概念はなく、アトラ・ハシースとアストラルを統括する最高府によって必要な品物が供給されるというシステムだ。
とはいえ、最高府も嗜好品をすべて供給できるわけではない。
最高府から与えられた品物をさらに加工して、無人のカフェのように、ほかのアトラ・ハシースやアストラルに無償提供するといったことは、よくあることであった。

「それは拾ったとはいわずに、持ってきた、というのだ。まあ、いい。綺麗なケーキだな」
にんじんとかぼちゃを練りこんだらしいそのオレンジ生地のケーキには、やはりオレンジ色の生クリームがホイップされており、月をかたどったチョコレートがトッピングされていた。
「うまかったぞ」
「もう食べたのか」
「持ってくるにも、あなたの好みの味かどうか知らなくてはならぬ。だからその場で一個食べてみて、うまかったので、あなたと一緒に食べる用に二個持ってきたのだ。感謝すべし」
「体型を思うように変えられるアトラ・ハシースならではの贅沢だな。只人だったら太る」
「だがアトラ・ハシースだ。こういうときに、なってよかったとしみじみ思うな。さて、お茶の用意をしてくれないか。わたしも手伝おう」
「手伝ってくれるのはいいが、どうしてうさぎから元に戻らない」
「戻らないわけではないよ。このうさぎの身のまま、ケーキを食べるのだ」
「どうして」
「どうして、って。ほら、うさぎの身から見れば、ケーキが人間の姿のときよりも大きいだろう。一度、自分の身丈ほどあるケーキにかぶりつく、というのをやってみたかったのだよ」
「で、体中を生クリームだらけにするというのか。あとが大変だぞ」
「風呂を貸してくれ」
「貸してもいいが、べとべとになったおまえに家をうろつかれるのもな」
「む、思ったより反応が悪いな。仕方ない、夢はあきらめるとして、いま戻る……って、あれ?」
孔明は首をひねり、それから頭をきりかえ、身体をほぐすための柔軟体操をすると、集中した。
「えいっ」
気合をいれた一言。
だが、元に戻らない。
孔明は手足をじたばたとさせてみるが、やはりうさぎの身に変化はない。
「あれあれ?」
「おい、どうした。遊んでいるのか」
「遊んではいないよ。子龍、困ったことになったかも」
「なんだって」
「待て、もう一度チャレンジしてみる。人間に、もどーれ!」
気合を入れて念じてみるが、なんの変化もない。
孔明はうさぎの身のままである。
「まずいぞ、子龍! なんてことだ。呪詛ふたたび!」
「莫迦! なにをしているのだ! なにが原因だ?」

孔明はちらりとテーブルの上のケーキを見た。
オレンジ色のうまそうなケーキ。
以前にうさぎに変身したときは、ふつうに元に戻れた。
今回と以前との差は、ケーキを食べたか食べなかったかだ。

趙雲も同じことを考えたらしく、うさぎになった孔明と、ケーキを交互に見下ろし、言った。
「これか! こいつが原因なのか!」
「困ったね」
「困ったどころではない。また同じことのくりかえしか! おまえはこの間のことで変身の術を使うのはだいぶ懲りていたはずだろう。なのに、どうしてまたうさぎになんぞ変化したのだ!」
孔明は小首をかしげて、質問に答える。
「ええと、可愛いから?」
「可愛いから、ではない! それにこのケーキにしても、どうしてちゃんと呪詛がかけられているかどうかを確認せずにほいほい口に入れたのだ。おまえは迂闊すぎるぞ。脇が甘い。甘すぎる!」
「まさか似たようなことが何度も起こるとは普通思わないだろう。それに、この下宿先で、悪意のある呪詛をかけたケーキを食べることになるとは、夢にも思わないわけで」
ごにょごにょと言い訳する孔明に、趙雲はぴしゃりと言った。
「だいたいおまえは、いつもいつも……」
趙雲の長い説教がはじまる。
これまでの二千年近い付き合いで、趙雲の正論すぎる、反論を許さない説教がはじまると察した孔明は、
「秘技! 説教封じ!」
と心のなかでつぶやくと、両の耳を器用にぱたりと倒すと、耳の穴を塞いだ。
こうすると、趙雲の声はなにも聞こえなくなる。
「…………! ……………………………………………………!!」(趙雲は説教をしている)。
「…………………………………………? ……………………! ……………………」(趙雲の説教はまだつづいている)。
「……………………………………………………!」(趙雲の説教は終わる気配がない)

そういえば、さっき映画村で見てきた映画もサイレント映画であった。
映画村、というのは映画業界からアトラ・ハシース、アストラルになった者たちが集ってできた巨大映画館と映画の撮影所が一緒になった村で、そこでは生前に諸事情のため作成することのできなかった映画や、現代の映画に刺激を受けて作られた映画などがいつでも上映されている。
演劇村、オペラ村、バレエ村と並んで人の出入りの多い、人気スポットである。
なにせ、登場する俳優は主役級の名優ばかり。
その名優も、アトラ・ハシースやアストラルであるから、自身の外見上の年齢を好きなように操作できるので、役に幅がある。
この映画村での素晴らしい映画に慣れてしまうと、基本世界や汎世界の映画が見劣りするほどだ。
もちろん名優ばかりではかえって作品にまとまりがない。
エキストラも必要だ。
エキストラは随時募集されており、思いもかけない人と、画面で再会することもままある。
ちなみに孔明が見てきた映画は淀川長治の解説つきのチャップリンの最新作。
同時上映は『シベリア超特急 下宿先バージョン』という濃いラインナップであった。

そろそろ良い頃合かな、とそっと耳を上げてみる。
「ともかく! このケーキは処分するぞ」
ちょうど終わったようだ。
ホッとして、孔明はそっと耳を元に戻す。
うさぎの身は便利である。
「そうだね、まったくだね、あなたの言うとおりだよ。心から反省しているとも」
「本当か? どうもそういうふうには見えないぞ!」
「見てくれたまえよ。そうでなければ、ここから逃げ出しているさ。わたしの逃げ足の速さは知っているだろう」
「まあ、たしかにな」
人の良い趙雲は、孔明のことばに説得される。
もし孔明がピノキオであったなら、鼻がキロメートル単位で伸びていたにちがいない。
「それと、おまえを元に戻せるアトラ・ハシースを探しにいこう。まずは、このケーキの置いてあった無人のカフェへ行くぞ。もしかしたら、このケーキを作ったやつが、引っかかった者がいないかどうか、確かめに戻って来ているかもしれない」
「よっ、名推理」
茶化された趙雲は孔明の背中の皮をひっぱると、そのまま自分の目線にまで持ち上げた。
「どうもおまえは切迫感がないな。またうさぎ暮らしでは不便だろう。そうは思わぬか」
「でもうさぎになったなら、あなたがこまめに世話をしてくれる」
趙雲は、そこを喜ぶべきか、それとも叱るべきかわからなくなったらしく、顔をゆがめると、孔明を自分のガーデニング用エプロンのポケットに放り込んだ。
「善は急げだ。カフェに行くぞ」





「♪ひとりーのちいさな手― なにもーできないけどー♪」
趙雲が歩くたびに受ける風に耳をゆらして、ポケットから顔を出して唄う孔明に、趙雲は言った。
「また一人ミュージカルか。おまえは本当にのん気だな」
「歌でも唄っていないと正気を保てぬ」
「なんだ、やはり焦っているのではないか」
「だって、思ったよりあなたが怒っているみたいだし」
「俺が怒っていなければ、うさぎのままでいいと思うわけか」
「ほーら、またそんな棘のある言い方をする。わたしはじつに快適なのだがねえ」
「俺はおまえが元に戻らなくなったら、きっとパニックに陥るだろうと思うからこそ、真剣に心配しているのだ。おまえはどうも楽天的に構えているようだがな」
「悲観的に考えることも楽天的に考えることも正しい。要はどちらを選ぶかなのだ。わたしたちの場合、わたしが楽天的に考える、あなたが悲観的に考える。ちょうどよいバランスだな。
しかし子龍、きっとなんとかなるよ。心配してくれるのはうれしいけれど、これまでもなんとかなってきたではないか。心を気楽に持ちたまえよ」
「おまえは基本的に能天気だよな」
「そう能天気さ。今日の青空に輝く太陽のように、いつも明るいことしか考えていない」
「自分で言うかね」

そうして、てくてく歩いていると、やがて中央都市へ向かう道の途上に、パラソルと椅子を並べただけのカフェにたどりついた。
だれもいない。
ベージュの裾に茶色のラインの入ったパラソルの下には、スチール製のテーブルに対になった椅子が並んでいる。
だれもいないものの、だれか通りがかった気配はあり、ショーウィンドにあるケーキの数はだいぶ減っていた。
「犠牲者がほかにもいるようだな。だれだ、こんなカフェ作ったの」
「なにかヒントらしいものはないか」
「うーむ、なにもないな」
孔明は趙雲のポケットから飛び出ると、ショーウィンドになにかないか確かめた。だが、ショーウィンドにはケーキが並んでいるだけである。
その種類はショコラケーキ、チーズケーキ、フルーツタルト、シフォンケーキなど、スタンダードなものが置いてある。
「仕方ない。このカフェを設置したやつが、きっと様子を見に戻ってくるであろうから、このまま待ってみるか」
趙雲は言うと、椅子のひとつに腰をかけた。
孔明も合わせて、テーブルの上にぴょこんと飛び乗る。

パラソルから見上げると、白い雲の流れ行く、澄んだ青空が見える。
ときおり鳥の影が青空を横切っていく。
遠くに見える派手な気球は、モンゴルフィエ兄弟による観光サービス『世界ゆっくり気球旅行社』の気球だろう。

「子龍、このままわたしがうさぎだったなら、あなたは以前のように、わたしの世話をしてくれるかな」
「するしかあるまい。俺のほかに、だれがおまえの面倒を見るという」
「その言葉があるから、わたしも平静でいられるのさ」
「とはいえ、あまり悠長にもしていられぬぞ。こういうときに、名探偵が欲しいな。この無人のカフェを見て、なにがどうなっているのか推理できる名探偵。
そうだ、塔にいるコナン・ドイルを呼んで来るか」
「だめだ、かれは。身体は大人、心は子供。信じられないほど信じやすいからな。きっとこの状況も、『妖精のいたずらだ』とか言い出すに決まっているよ。わたしが推理するに」
「推理するに?」
「犯人は、アトラ・ハシースのだれかだ!」
「……根拠は」
「勘。というか、名探偵になりきらぬと、いまひとつ頭が働かぬ。子龍、わたしが十津川警部になるから、カメさんやってくれ」
「いまだって十分、似たようなものだろう。で、なにか浮かんだか、名探偵?」
「いいや、なーんにも。あーあ、滅多に会えぬキャラメル探偵でも出てこないかなー」
「キャラ…? だれだ、それは」
「子龍、いつどこに派遣されるともかぎらないのだから、ネットの流行り廃りにも気をつけていないと、って、おや?」
と、なにかに気づき、孔明は耳と鼻をひくひくと動かす。
「どうした」
「いや…なんというか、嗅ぎおぼえのある臭いがこっち側から」
「なんだ」

舗装されていない道路の両手には、なにもない草原がひろがっている。
土色のまっすぐつづく道を、片手になにか持ったまま、ていん、ていんと跳ねるゴム鞠のように懸命に駆けて来る灰色の毛もじゃが一匹。
長い耳をぱたぱたと揺らしている。
それも、とても見覚えのある姿ではないか。

懸命に駆けて来る灰色の毛もじゃは、こちらに気づいたらしく、一度足を止めると、つづいて、今度は叫びながらこちらへやってきた。
「おお、お客さんとして来てくれたのか、すまぬのう! 看板が風に吹かれて飛んでいってしまったので、いま追いかけていたのだよー!」
そう言って、垂れ耳うさぎのくっきーこと仲達は、息を切らし、手にした手書きポップを持って二人に近づいてきた。
すかさず孔明はテーブルから飛び降りると、近づいてきた仲達に、回し蹴りをお見舞いした。
「でいや!」
「いたあ! いきなりなにをするのだー!」
驚き、蹴られた箇所をさすりつつ、仲達は叫ぶ。
「なぜに突然の暴挙、ありえない! も、もしや偽者? 偽者のもなかさん!」
「たわけ、そのまま本物だ!なにをするのだよ、ではない! またおまえか! それは何の看板だ、見せろ!」
孔明がひったくった手書きポップには、こうあった。

『ろっぷいやーらびっと くっきーのミラクルケーキ屋さん 変身がいろいろ楽しめます。使用法は店員にお確かめの上、慎重にお食べください』

「ミラクルケーキ屋さん、って……なんだこれ」
手書きポップを見て孔明が思わず言うと、パティシエを気取ったものか、それなりの格好をしている仲達は、得意そうに笑って言った。
「いやなに、この姿になってから、『うさぎってかわいー。変身してみたーい』と声をかけられることが増えてのう。
人間の姿をしばらくやめて、動物になってみる、というのも、アイデンティティを再確認するのに有効ではないかということで、いま変身ブームが起こっているのだよ」
「どれだけ一部のブームなのだ。聞いたことがないぞ」
孔明が言うと、仲達は、わかってないな、というふうにふふんと鼻で笑った。
「おまえたち働きすぎのアトラ・ハシース、アストラルにはわかるまい。あまり仕事を受けず、のんびりかまえているアトラ・ハシース、アストラルのあいだでブームなのだ」
「働け!」
「働いたら負けだと思っている」
「なにと勝負しているのだ、おまえは。で、このカフェとどうつながりが」
「うむ、変身するにしても、止めたくなったらすぐに変身が解ける、というのでは緊張感がないという意見があがってな、それならば、呪具がなければ変身の解除をすることができない呪詛にしたほうがよかろう、その呪詛も、なるべくならおどろおどろしくない方向で、と話を詰めていき、結果として、呪具としての、こんなにかわいらしくて、こんなにおいしいケーキが誕生したのだよ」
「なんだと、おまえ、おのれの呪いを他者にも振り分けようとしたのではないのだろうな!」
孔明が指摘すると、仲達は傷ついたような顔になり、言った。
「そのような心の狭い真似をするはずもない。単純に、変身ライフを楽しむためのケーキなのだよ。
しかしこのポップめ、風が吹くたびにどこかへ飛んでいってしまうのだ。わたしがいないあいだに、試作品ケーキはだいぶなくなったようだのう」
「たわけ! 無人のケーキ屋に『持っていってください』みたいな文言しか書かれてない貼紙しか残っていなかったなら、たいがいは普通に持って帰るわ! きっとあちこちで、ケーキの呪詛が広がっておるぞ」
「安心なのだ。呪詛解除のタルトは大量に作ってあるぞ」
「安心がどうとかいう問題ではない。仲達、おまえに店の経営は向いていないな」
「これからいろいろ学んでいくのだよ。そういうそなたもわたしのケーキを食べたクチであろう。素直に美味かったといえ」
「美味かったが、迷惑かけられた」
「ふん、意地汚くなんでも簡単にほいほい口に入れるのが悪いのだ」
「……だから貼紙が」
「趙子龍、そなたはどう思う。悪いのはどちらだ」

仲達に水を向けられて、趙雲は首をひねると、うむ、と検討し、それから言った。
「迂闊になんでも口にした孔明だな」
とたん、仲達は、お墨付きをもらった、というふうにむん、と胸を張る。
「ほーら、やっぱり。わたしは悪くない」
「どうしてそういう流れになる! こんな迷惑なケーキを作ったほうが悪いのではないか!」
「すべては自己責任なのだ」
「自己責任……都合のよい言葉だよな、自己責任って」
すねる孔明を見かねたのか、趙雲が口を挟んだ。
「ともかく、呪詛解除のタルトを分けてくれ。こいつがうさぎのままだと、俺も落ち着かない」
仲達は、仕方ない、趙子龍の頼みだから、と言いながら、呪詛解除のためのタルトを孔明に持ってきた。
一見、なんの変哲もないりんごのタルトであったが、それを食べた瞬間、孔明はふたたびうさぎからふつうの人間に戻っていた。
「よかった、呪詛解除、無事に完了。しかし人の身に戻ってみると、なにか物足りないような」
「おいおい」
「あなたのポケットに入ってちいさな旅を楽しむこともできないし、世話をしてもらえないし」
「世話ならふつうにしているだろう。こんなにマメに他人の世話をしているアストラルはほかにいないぞ。でもまあ、おまえが元に戻ってよかった」
「まあねえ。しかしこんな変な趣旨のカフェ、人が来ないだろうと思ったら、だんだん客が増えてきたな」

事実、さきほどまで仲達と孔明そして趙雲しかいなかった小さなカフェには、幻想魔族や神族もふくめて、だんだんと顧客が集まってきていた。
仲達はケーキの注文を受けて、忙しく立ち回っている。
風で吹き飛びやすいポップは、いまはガムテープでしっかりとショーウィンドに貼り付けてあった。
ケーキを食べて、さっそく動物に変化している者もいる。
その身は犬になったり猫になったり、小鳥になったりカエルになったりとさまざまだ。

「こんなに物好きがいるとは……やれやれ、また仲達に振り回されたな。なんだか疲れてしまったよ。
子龍、あなたの家に戻って、あらためてお茶でもしないか。ぼーっと海を眺めながら、なにも考えず過ごしたい」
「ケーキはないが」
「もうしばらくケーキはいらないよ。今日は陽の沈むまで、あなたの家で過ごそう。それから夕餉も食べていって、のんびり星空でもながめながら塔に帰るのだ。さあ、行こうか」
「そうだな、作りおきのジャムならあるから、スコーンにでも塗って食べればよかろう」
「そうだねえ。ああ、本当に今日はいい天気だな」
二人はそうしてカフェから離れて、海の見えるひまわり畑に囲まれた家へと戻っていった。

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(C)Hasamino Nakama 2009 01 10