Lost Sunshine・2

※ この話は、「Lost Sunshine・1」のつづきとなります。

陳寿犬が唸り声をあげて、図書室の扉のそとの人影に威嚇をつづける。
犬で、しかも、なんだか頼りない雰囲気をかもし出してはいるものの、メアリのような化け物と互角に戦ったアトラ・ハシースの仲間である。
すごい力を持っているやつだ、というのはまちがいない。
そいつが、これほどまでに警戒しているということは、やっぱり敵か?

ヨーコは、自分もまた、いつでも霊具を取り出せるように準備した。
準備と行っても、おのれのなかに取り込まれている霊具を、はっきり頭の中でイメージするだけである。
そのイメージに向かって、出て来い、と願うだけで、霊具はあらわれる。
便利は便利であるが、なんの修行も積んでいない、アトラ・ハシースたちの言うところの『只人』のヨーコが霊具をあつかうと、それだけ多くのダメージがあるという。
メアリと対峙したときは、そう感じなかったが、連続して使用するのは危険で、下手をすれば霊具にすべてを吸収されて、廃人になることもありうると、女王もジャンヌも言っていた。

『意識すると、よけいに怖くなるじゃんか。でも、最初に使ったときは、けっこうなんともなかったし、なんとかなるかも』
とヨーコは、四肢を雄々しく図書室の床に踏ん張らせて唸る白い犬と、その隣にいる、こけしそっくりな一子を見る。
基本世界の自分とやらが、どれだけ『いまの自分』に似ているかはわからない。けれど、基本世界の自分が、最上アキラ子を死においやった娘であり、そして、浅野家を不幸のどん底に叩き落した男の娘である、という事実は動かない。
『あたしってば、やな役回りだな、ちくしょー』
自分という人間は、好きになれるところが少なすぎる、とヨーコは思う。
父親の暴力にあらがえない、自分が嫌いだ。
調子に乗りやすい、あさはかな自分が嫌いだ。
でもって、本音をうまく言えずに、嘘ばっかり口にして、人を傷つけてばかりいる自分が、なにより大嫌いだ。

『たとえばさ、同じ死ぬんだったら、せめてもうちょっとマシな女になって死にたいよな』
と、ヨーコは思う。
自分のいるこの世界は、なんどもまちがいを修正するために、同じ時間を繰り返しているという。
地球にいる何十億という人間のなかで、おのれの過去のやり直しができるという、最高のチャンスに、いま、恵まれている。
『そうだよ、そのことをまずラッキーと思おうぜ。自分のやったことをひっくり返せるなら、やるだけやったろうじゃんか』
そのあとに、どんな結末が待っているかはわからない。
わからないけれど、ともかく、ヨーコはいまの自分がいやなのだ。だから変えたい。いや、変えずにはいられない。
あとは野となれ、山となれ。
たとえ、アトラ・ハシースたちが回避しようとしている悲劇が覆った結果、自分たちが不幸になってしまったとしても、それはそれで、もう仕方がないだろうと思う。
たとえば、世界を握れるほどの権力者になるはずだったのが、全財産を失って、貧乏のきわみに突き落とされるだとか、最悪、みんな死んでしまうとか。
それでも、それは因果応報というわけでもないが、自分たちの行動の結果なのである。

『レティクルだなんだと知らないよ。あたしの子孫なら、黙って言うことを聞けっての。あたしはあたしの思うように動く。
その結果がどうなったって、あたしは泣いたりしないんだ。敵が来るなら、ぶん殴る!』

覚悟を決めると、ヨーコは、図書室のそとにいる人影に、声をかけた。
「おい、そこにいるやつ、あたしたちになんか用? 用があるなら、入ってこれば!」
ヨーコの声に、すりガラスの向こうの影が反応して、動いたのが見えた。
背丈はヨーコと同じくらいの影だ。
すくなくとも、レティクルの銀の小人ではないだろう。
だれが来るのか。
緊張して、扉が開くのを待つ。

やがて、立て付けのわるい図書室の引き戸が、ゆっくりと横にスライドした。
そして、目のまえにあらわれた『敵』に、ヨーコは唖然とする。
シマノであった。

「なにやってんの、あんた」
思わずヨーコは尋ねるが、シマノは口許に微笑を浮かべるだけで、答えない。
シマノは制服を着ていなかった。
きつい三白眼をした、高校生らしからぬ大人びた風貌をしているのがシマノだ。
ボアのついたセーターに、ツイードのミニスカート、ブーツ、ドクロのついたエナメルの救急箱のような形をした立法形のバックを持っている。
ヨーコたちのあいだで言うところの『遊びモード全開』の格好をしており、これで校内をうろうろしているところを生活指導の教師に見つかったなら、たちまち進路指導室へ呼び出されることはまちがいなかった。

こいつが敵のわけないな、と思って、気をゆるめたヨーコであるが、陳寿犬のほうは、シマノが現れると、ますます毛を逆立てて、牙をむき出しにして唸っている。
それを見て、ヨーコも、あわててゆるみかけた気を、いまひとたび引締めなおした。
そうして、あらためてシマノを見れば、おかしなところがあった。
なにが面白いのか、ずっとにやにやと笑っているのだが、その口許に比較して、目がうつろである。
開いているのに閉じているような、矛盾した印象がある。そう、死んだ魚の目にそっくりだ。
そして、シマノは一子のほうばかりを、じっと見つめている。
シマノが、これまで一子に注目することはなかった。
ヨーコ以上に、シマノは一子たちのグループを嫌っていた。
朝に仲間から聞いた話からすれば、シマノが一子たちを嫌うのは、嫉妬からなのだろうと想像はつく。
生活に脅かされることもなく、しあわせに平凡な毎日を、穏やかに過ごしている彼女たちへの嫉妬だ。

ともかく、シマノが一子を凝視する理由がわからない。
だいたい、私服で、何をしにきたというのだろう。
「シマノ?」
声をかけても、シマノはまったくヨーコを見ない。
一子のとなりで、自分に向かって唸り声をあげている白い犬のことも、目に入っていない様子だ。
これはおかしい。
「おい」
あらためてヨーコが声をかけると、不意にシマノが口を開いた。
あいかわらず、目は一子を見つめつづけている。
「花火に行かない?」
「はあ?」
と、これは、一子とヨーコ、その両方からもれた声である。
打ち上げ花火ならば季節に関係なく楽しめるが、個人で楽しむ花火といったら、それはどうしたって、地面に向かってぱちぱちと火花を放って楽しむ花火である。
この寒いなか、なんだってそんなものをしなくちゃならないのか。
『風邪ひくだろーが。こいつ、ばか?』
呆れたヨーコであるが、はっとして気づく。
そのばかな提案をしたやつを、もうひとり知っている。
前回のループでの自分だ。
アコに花火をしないかともちかけた。
まさか、前回でのヨーコの役回りをシマノが、そしてアコの役回りを一子がすることにでもなっているのか?

「なに考えてんだ、てめー」
凄みながら、ヨーコは、シマノの目線から一子を庇うようにして立った。
それにあわせるようにして、陳寿もヨーコのとなりに並んで、一子の前に移動して、さらに牙をむき出しにして威嚇する。
「おい、犬、こいつが敵って、なんでわかるのさ」
シマノに視線を置いたまま、ヨーコがたずねると、陳寿もまた、シマノを注視したまま、答えた。
「気配だ。こいつ、おまえの友人の嶋野祐子だな。只人のはずなのに、強い霊力をこいつから感じる」
「どういうこと。霊具を持たされているとか、それとも、アコのときみたいに、だれかアトラ・ハシースが憑いているとか? 
でもアトラ・ハシースだったら、あたしたちの味方じゃないの?」

「あとらはしーす」

それまで、にやにやと、人形のように当てのない笑みを浮かべていたシマノの顔から、潮が引くように笑みが消えていった。
双眸の焦点はますます定まらなくなり、どこを見ているのか、いや見えているのかすらわからなくなる。
『こいつ、生きてるのかな』
そんなことを、つい思わせる異様さである。
魂が抜けて、肉体だけがここにあるような。

そのシマノの両手が、ゆっくりと、なにかを受け取るためかのように、恭しく差し出される。
とたん、陳寿犬が叫んだ。
「あっ、かなりマズイ! 退避!」
シマノの両手のその先端が光るのが目に入ったとたん、ヨーコは反射的に横に飛び退って、そのままごろごろと芋虫のように床に転がった。
すぐに、一子のことを思い出して確認すれば、これは陳寿犬のほうが庇って、図書準備室側の床に伏せさせている。
『あー、こういうとき、あたしがあの役目をしなくちゃいけないんじゃない?』

そんなことを考えているなか、シマノの両手から放たれた光の矢が、ヨーコの頭上、図書室のなかを突き抜けていった。
突き抜けた光は、図書室の窓を突き破り、派手にガラスを割って、中庭に面してある校舎の壁にぶち当たる。
ガラスの破片が中庭に降り注いだ音が、遅れて聞こえてくる。
つづけて、生徒たちの悲鳴と、教師たちの声。
ほとんどの生徒は帰宅しているが、部活動で校舎に残っている生徒がいるのだ。

「なにこれ! かなりヤバくない?」
ヨーコが半身を起き上がらせて、一子とともにいる陳寿に聞くと、陳寿のほうは、へたりこんでいる一子を、その鼻先でぐいぐいとうながして、図書準備室のなかに退避させながら、叫んだ。
「とってもヤバイ! こいつ、霊具を持っているぞ!」
「やっぱり!」
見れば、シマノのほうは、最初の一撃が不発だったことが、すぐにはわからない様子で、図書室の入り口に立って、なかをきょろきょろと見回している。
まるで灯台、というよりも、遠隔操作されているロボットのようだ。
ヨーコは、シマノの視界に入らないように注意しながら、図書室の机と椅子の間を、這って移動する。
相手がふつうの状態なら、すぐに見つけられたはずであるが、どうやらシマノ(というより、シマノを操作している者)は、まだ上手に操りきれていないようだ。
「おい、犬、聞こえてる? この霊具に見覚えがあるんだけど!」
這いながら言うヨーコの耳元に、陳寿犬の声が聞こえてくる。
「マジか! 対策が立てられるかもしれない、教えてくれ!」
「メアリのフラガラッハだよ。前回のループで、メアリがうちの学校の屋上で暴れたときに、使ってたやつ!」
言いつつ、ヨーコがそっと起き上がって、机の下から様子を見れば、図書準備室のカウンターのほうからも、陳寿が顔だけを出して、ヨーコのほうを気にしている。
が、運のわるいことに、それが、ゆっくりと室内を探っているシマノの目線に入ってしまった。

ぴたりとシマノの動作が止まり、つづいて、ふたたび腕がゆっくりと持ち上がる。
「シマッタ! オレ様、大失態!」
などと言っている陳寿犬に、ヨーコはたずねた。
「前回のループで戦った時は、諸葛孔明とかいうアコに取り憑いたのが、光の盾みたいなの作って攻撃を防いでたよ。
あんたもアトラ・ハシースなら、そういうのできないの!」
すると、情けないことに、いまにも泣き出しそうな、情けない声が聞こえてきた。
「さすが丞相さまー。オレ様は攻撃型じゃないから、そんな芸当できないよー」
「マジで! あんたができることって、なに!」
「せめてこの攻撃が、あんまり痛くないことを祈ることだけ」
「使えねぇ!」
「さようなら、まだ会ってないほかのアトラ・ハシース。姉ちゃんだけは気合と根性で守ります。墓碑銘には『巴蜀魂ここにあり』と刻んでくれい」
「余裕あるじゃないのさ! なんとか考えな!」
「ムリ」

そんな問答をしているあいだにも、ゆっくりとシマノの指先が光につつまれていく。
メアリのときもそうであったが、この霊具は、連射することができない。
装填にかなりの時間を要するのである。
強力であるが、一撃目を外してしまうと、つぎの攻撃までのあいだの反撃に備えなければならない。
この武器を生かすためには、この長い装填時間をカバーする、援護のための武器がもうひとつ必要だ。

『一子がここで消えたら、そして陳寿犬が消えたら、まちがいなくダメダメだろ! でもあたしが消えても、問題はない。どっちかっつーとあたしは敵側! 
ていうか、あたしがレティクルの先祖なわけだから、攻撃やめるかも!』
向こう見ずなのが、ヨーコの短所であり、しかし長所でもある。
ヨーコは机の海のなかから、ぱっと立ち上がると、陳寿たちの隠れている図書準備室のカウンターに向けて攻撃をしようとしているシマノに、声をかけた。
「おいこら、シマノ! というか、シマノを操っているやつ! あたしが相手になってやるよ、こっち向きな!」
その声に、シマノは、さきほどまでの人形のような素振りではなく、ごく自然にヨーコのほうを向いた。
シマノの表情が、無表情なものから、からくりのように、ぱっと笑顔に変わる。とはいえ、この場合の笑顔も、かなり不自然ではある。

「久しぶりね、ヨーコ」
シマノの口を借りて出てきたその声は、柔らか味のある独特の甘い声で、聞き覚えのあるものだった。
「メアリ?」
尋ねると、シマノの顔に、さらに喜色が浮かぶ。
その笑顔にしても、品のよい笑い方で、シマノの表情ではない。

ヨーコが思ったことは、死んだはずのアコが諸葛孔明というアトラ・ハシースの力を補填されて生きていたように、シマノもまた、メアリに取り憑かれたのだろうか、ということであった。
しかしアコの場合とちがって、これは悪意による憑依だろう。
メアリはヨーコの霊具によって正体を暴かれて、女王たちに攻撃され、逃げたのだ。それきり現われなかった。
あの攻撃をしていたとき、メアリは相当の霊力を使ったのだと聞いている。
もともと、正統なアトラ・ハシースではないので、自然界から霊力を集めることができない。
どうやって復活すればよいかといえば、無理にでも霊力を集めるか、そうでなければ、だれかに憑依するかだ。

「なんでシマノなんだよ」
思わず、そんな言葉が飛び出した。
メアリがレティクル側の人間であると、ヨーコは思っている。
メアリがロンドン塔にさまよう悪霊の状態でいたところを、アトラ・ハシースとして力を与えたのが、レティクルだ。
レティクルは、ヨーコにとっては未来の人間である。
自分たちの世界を守るため、ヨーコには、基本世界どおりの人生を歩ませようと思っている。
アコは死に、浅野家も悲劇のうちに沈黙し、そのまま千台家は栄えなければならない。
シマノはまったく関係ないはずだ。
すくなくとも、いまのいままで、未来を、そして基本世界での出来事を知るアトラ・ハシースたちから、シマノの名前が出てきたことなど、一度もない。
とすれば、なぜメアリがシマノを選んだのか、その理由は明らかだ。
ヨーコの友人だったからである。
前回のループにおいて、メアリはヨーコを介してシマノに会っている。だから利用したのだ。

「どうしてって、それこそ、どうしてなの、ヨーコ。あなた、なにか思い違いをしているのではなくて?」
と、甘い、優しげな声で、シマノの向こうのメアリは、歌うようにいう。
「思い違いって、なんだよ。あんたはレティクル側の人間だろ。あたしをこっち側から引き離すために、シマノを人質にするつもりじゃねーの? 汚いやつ!」
悔しさをにじませてヨーコが言うと、メアリは、とたん、弾かれたように笑い声をたてた。
場違いなその明るい声は、不愉快に図書室のなかに響きわたる。
「なにがおかしいわけ?」
「だって、おかしいわよ。人質? どうしてそんな発想になるのかしら。だって、あなたにとって、この子は人質にすらならない存在でしょう。
あなたって、ほんとう、朱にまじわれば、なんとやら、ね。急にいい子になったのが、おかしいわ。
そして、もうひとつの思い違いは、レティクルのことよ。
わたしね、もう彼らのことは、どうでもいいの。むしろ、いなくなってくれたらと思っているのよ。この世界を自分のものにするために」
「は?」
「つまり、レティクルの先祖になるあなたには、消えてもらったほうがいいと思っているってこと。
そしてね、わたくしとこの子は、その点で、とっても気が合うみたいなの」

言いながら、シマノは、その光る指先を、陳寿犬たちのほうから、ヨーコのほうへと向ける。
「友だちを選ぶべきだったわね、ヨーコ。あなた、とても憎まれているみたい」
なにを言っているんだろう。
シマノの口から出てくるメアリの言葉は、すぐにヨーコの頭に入ってくることはなかった。
いなくなってくれたらとか、憎まれているとか。だれが、だれを? 
でもって、光る指先。
こいつが、なんだってあたしに向けられているの。

ヤバイ。
そのことだけはわかる。
さっきまで近くで聞こえてきた陳寿犬の声が、ずいぶん遠くのほうから聞こえてくる気がする。
霊具とかなんとか。

霊具、そうだ、鏡!

とっさに、鏡を取り出そうとするが、頭のなかで上手くイメージがまとまらない。
焦っているうちに、どんどんメアリの指先の光が大きさを増していく。
この至近距離だ。
いや、遠くにいてもかなりマズイことはわかるが、まちがいなく木っ端微塵。ミンチ肉は確実。
冗談じゃない。

鏡、鏡!

そうして、必死に霊具・卑弥呼の鏡のことを思い出そうとするヨーコであるが、この場に及んで思いついた鏡の姿は、いつも使っている自分のコンパクトミラーだった。
だめだ、こいつじゃ役にたたねぇ!

光がシマノをつつむ。
いや、そうじゃない。
フラガラッハが放たれて、その光がこちらに向かってくるのだ。

「どうして呼ばないの!」
「このたわけ、なにをしておるのじゃ!」

それは、おそろしく短い時間のことであったはずである。
が、ヨーコはいつまでたっても、衝撃を感じることはなかった。
身体が吹き飛ばされることもない。
光のあいだに、なにかがいる。
一瞬、前回のループのことを思い出し、ヨーコはアコが現れたことを期待した。
が、そうではなかった。

そこにいたのは、白銀の甲冑に身を固めた少女だった。
手にしている剣を盾のようにして光にかざし、それを真っ二つに裂いて、衝撃を回避しているのだ。
衝撃波は、図書室のなかのすべてを溶かし、そして書棚や本を吹き飛ばすのであるが、窓の外へは、その破片が飛び出すことはない。
第一撃目で砕け散った窓ガラスのかわりに、見えない膜が貼られていて、それが、衝撃が外に行かないように防いでいるのだ。
そしてヨーコは、図書室の窓のところに立ち、メアリの攻撃を防ぐ、時代がかったラインのドレスを身に纏った、白いホロコーストの姿をはっきりと見た。

光の勢いが徐々に弱まる。
その瞬間を待っていたかのように、甲冑の少女は、残りの光を薙ぎ払うようにして、剣を大きく横に動かす。
同時に、目の前にいるシマノを斬ろうとしたのであるが、シマノのほうは、獣のような見事な動きで持って、背後に飛び退ると、そのまま舌打ちをして、図書室の廊下にまで出た。

「アトラ・ハシースが三人とはね。いまのは挨拶がわりということにしておくわ。いずれまた会いましょう」
言って、逃げようとするメアリに、剣を持って追おうとするジャンヌが叫んだ。
「お待ちなさい、逃げられやしないわ! あきらめて、この世界から消えるのよ!」
「いや、追っても無駄じゃ、その者の本体は、いまこの世界にはない。そうであろう、メアリ」
窓辺に立って、きびしい表情で腕を組み、シマノを睨みつけるエリザベスに、シマノは、あらわれてはじめて、悔しそうな表情を浮かべた。
「お久しぶりね、お姉さま。そして、あなたは、あいかわらず、なにもかもご存知なのだわ」
「なにもかもではないが、血であろうかの。そなたの考えることの、たいがいは想像がつくのじゃ。
そしてそれは悲しいことに、当たっているようじゃの」
そう言いながら、身体の透けている白いアトラ・ハシースは、質感のないドレスの裾を翻しつつ、悠然とメアリのほうに歩を進める。
「この世界は、完全に閉ざされた世界というわけではない。入ることは不可能であるが、出て行くことは可能なのじゃ。
そのことに目をつけて、たった一人を生かすために、すべての力を使って、さらにもうひとつの世界を作り上げた、とんでもない輩がおる。
この輩の作った世界を、そなたたちは隠れ蓑に利用しているのじゃ。
メアリ、従姉として忠告させてもらうぞよ。そなたは、いつまで利用される存在に甘んじておるのじゃ。おのが愚かさに気づくがよい。
ちょうどそこに癒し手がおる。そやつの手で、浄化されることが、そなたにとっての最高の平穏ではなかろうかの」
「わたくしの平穏は、女王であることですわ。でも、ご忠告ありがとう、お姉さま。けれど、わたくしも学習はしておりますのよ。利用されていることもわかっていますわ。
わたくしからもご忠告してさし上げます。いつまでそんなみっともない姿で、この世界にしがみついてらっしゃいますの。
いいかげんに、あなたの世界に帰られたら如何かしら。この試合、わたくしが勝ちますわ。今度こそね」
「いいや、そなたは負ける。わらわがこの世にいるかぎりは」
「ならば、いずれまた会うことになりましょう。それまではさようなら」
言うと、シマノの姿は、煙のように掻き消えた。



消えたシマノのいたあたりを、ヨーコも、図書準備室のカウンターから、おそるおそるのぞいていた一子と陳寿犬も、しばらく無言で見つめていた。
一方で、剣をおさめて、いかにもヨーロッパらしい、凝りに凝った装飾のほどこされた、うつくしい優美なラインをみせる白銀の甲冑をまとった金髪の少女と、そして、シンプルな装飾のないドレスを身にまとった金色の豪奢な巻き毛を持つ女王は、ゆっくりと、たがいを探り合うように、目線を合わせた。

「女王エリザベス?」
「ジャンヌ・ラ・ピュセル・ドルレアン、じゃな?」

そうして互いを確認しあう二人であるが、そこには、ただならぬ緊張も感じられる。
『おいおい、なんだよ、いきなり。このふたり、喧嘩でもしてんのか?』
と、ぴりぴりした空気のなか、ヨーコは思った。


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※ この話は、Give Birth to Heaven・5につづきます。