Lost Sunshine・1

※ この話は、「ループ3、二日目の朝・4」のつづきとなります。

私立千台栄華学院には、立派な図書室があるのが、売りのひとつである。
書籍のほか、DVD鑑賞やCD鑑賞もできる施設もある。
閲覧できる部屋はべつになっていて、メディア鑑賞室は、備え付けてある機械が高価だったりすることから、司書が常駐して管理を行っている。
その一方で、昔ながらの図書室は冷遇されており、ここに出入りする生徒は、極端にすくない。
図書室。
別名・処女の園。
ヨーコの先輩か、それとももしかしたら仲間が命名したのか、そのあたりは定かではないが、人があまり出入りしないことをいいことに、一子のようなオタク趣味をもつ少女たちの溜まり場になっているのだ。
それを揶揄して、
「現実の男に相手にされない女が集る場所」
という意味での処女の園。
かなり馬鹿にした名称である。
とはいえ、ヨーコも、あまり深く考えずに、図書室のことをそう呼んでいた。
だからこそ、一子たちのグループとの溝が、もっとも深かったりするのだが。

『本を読もうだなんて思うの、すっげー、久しぶりだよな。昔は好きだったんだけど』
と思い返しながら、ヨーコは放課後になると、すぐに図書室へと向かった。メアリ・スチュワートについて調べるためだ。
校舎の窓から、外をながめる。
いつもどおりの学校だ。
一日、いつもどおりに過ごしてみたが、ネットで騒ぎになっているというのが嘘のように、だれも怪談のことを口にしない。
『デマだから、ってことなのかな。ジャンヌもどっか行っちゃったきりだしなー』

十二月の夕暮れは早い。まさにつるべ落とし。
校舎のクリーム色の壁に反射する陽光は、すでにオレンジ色に変化しつつある。
『こうしてると、夢の世界とか、なんだとか、そういうことを全部忘れちゃうけどね』
柄にもなく感傷的になりつつ、ヨーコは図書室の扉を開く。
一子のグループがいるかもな、と想像していたが、ひろい図書室はがらんとしていて、ワックスのきついにおいだけが鼻につく。
どういう理由かは知らないが、図書室は、いつでもワックスのにおいがきつい。

メディア鑑賞室のほうには、人が多くいるらしい。
図書室とメディア鑑賞室のあいだには、図書準備室と、司書室がある。準備室と司書室の差が、ヨーコにはわからなかったが、ともかく、この二部屋を挟んで、メディア鑑賞室と図書室は並んでいる。
準備室のほうは、司書室と扉で繋がっているのだが、扉にある擦りガラスには、ポスターが貼ってあるため、メディア鑑賞室がどうなっているか、見ることはできない。
それはメディア鑑賞室からも同じことで、図書室の様子を、その擦りガラスから見ることはできない。
「そういや、一子のやつ、結局学校に来なかったな」
つぶやいたあと、あとで、一子の家に寄ってみようかなと、ヨーコは考えた。
一子に、前回のループの記憶があるのか否か。
それを確かめなければ、落ち着かない。
もし記憶があるならば、一緒にアコを探すのだ。アコと一子は気があっていたようだし。

ずらりと棚のならぶ、読み手を待つ本をまえに、どこから探せばいいのかなと逡巡していたヨーコであるが、ふと、図書準備室のほうで、がさごそと音が聞こえてきた。
なんだ、図書委員がいるのかなと振り返ってみると、がさごそと音がするだけではなく、だれかがひそひそと話し合っている声も聞こえてくる。
その声も、妙だ。
声だけを聞くかぎり、男と女の声なのである。
『なんだ? だれかが男を連れ込んでるのか? でなくちゃ、教師のだれか?』
好奇心に動かされて、ヨーコが足音を忍ばせて近づいていくと、不意に、図書準備室と図書室をつなぐカウンターの影から、にょきっと人があらわれた。
思わず、ヨーコは、踏み潰されたカエルにも似た声をあげる。
あらわれた顔を見て、ヨーコはぽかんと口を開けた。

教室に来ていなかった一子である。
一子のほうも、まず図書室にはいないだろうはずの顔を目の前に見て、唖然としている様子であった。
ヨーコから見れば、浅野一子は、駅の土産物屋にならんでいる、こけしそっくりだ。
顔が丸くて、白くて、目が細くて、鼻が低くて、唇がおちょぼ口。
ねんねこを着せて、おんぶひもで赤ん坊をくくりつけて、あやさせたら似合いそうである。

「うわ、びっくりした」
と、一子は素朴な感想を述べた。
が、ヨーコはすぐさま反応する。
「びっくりしたのは、こっちだよ。あんた、教室に来ないで、こんなトコでなにやってんの?」
ヨーコ基準でいけば、ふつう、サボリというのは、町に繰り出して遊んだり、屋上でタバコをすって暇をつぶしたり、というふうにして過ごすものだ。
決して、図書室で本を読んで過ごしてはならない。こんなサボりは変である。
が、ヨーコは、自分が聞いた、男の声を思い出した。
一子と、その背後にある、図書カードが集められている棚を交互に見る。
声は、そのあたりから聞こえてきた。図書準備室は、そうひろい部屋ではない。

『マジ? こいつってば、男を連れ込んでたのかよ』
ヨーコは、すくなからず反感をおぼえた。
ヨーコ自身、その生活ぶりを全体からながめれば、とてものではないが品行法正ではないが、それなりに、けじめをつけてはいた。
ヨーコはヨーコなりに、遊びと学生生活の線を引いていた。いくら母親の経営する学校だからだろうと、むやみやたらに遊び友達を学校に招きいれたりしない。それをやる者は不真面目なのである。
「だれかいんの?」
ヨーコがずばり尋ねると、一子の顔が、わかりやすいことに強ばった。
なんとか平静を装うと、笑顔を浮かべようとしているが、しかし正直な性格が裏目に出て、目が泳いでいる。
「そのうしろに、なんか隠しているでしょ? あたし聞いたよ、男の声」
「となりの部屋から聞こえたんじゃない?」
と、一子は、司書室のほうを指差した。
「いや、ちがうと思う。あたし、耳だけはミョーにいいんだよ。つーか、そっち行っていい?」
「だめ」
と、一子は言った。
これは逆に、なにか隠していると自白したようなものである。
「なんで行っちゃだめなの」
「だって、ほら、図書委員じゃないから」
「うっさい。ここの学校の理事長、だれだかわかってる?」
「あ、権威主義。そういうのには屈さないよ」
「うわ、あんたって、一家そろって」
頑固なんだね、といいかけて、ヨーコは、羅貫中犬と見た、『基本社会』の現実の光景を思い出した。
一方的な加害者である千台家の、その一員なんだ、あたしは。

そう思ったら、急に気持ちが萎えてきて、図書準備室にだれがいようと、一子が男を連れ込んでいようと、どうでもよくなってきた。
「いいよ、もう」
ヨーコは一子に背を向けて、メアリの本を探して、さっさと出ようと考えた。
男のことはともかくとして、こいつに落ち度はなんにもないわけで、冷たくする理由もないはずだけど、一緒にいると、こちらがみじめでたまらない。

メアリはどこにいるんだ、ちくしょー、世界史の棚か? などと悪態をつきつつ棚を回っていると、図書準備室のカウンターで、じっと立ち尽くしている一子が声をかけてきた。
「ねえ」
「なに? 話たい気分じゃないんだけど」
「うわ、勝手なヤツ」
うるせーな、と思いつつも、一方で、ヨーコは、一子のやつ、前からこんなふうにあたしに堂々と悪態をつく度胸のあるやつだったっけ? と考える。
一子は用があって話しかけてきただろうが、そこは無視して、尋ねてみた。
「あんたさ、一応図書委員でしょ? メアリ・スチュアートの本ってない?」
「は? メアリ?」
「そ。メアリ・スチュワート。イギリスの女王だったっけ。そいつの伝記」

なかったら、エリザベスの伝記でもいいわけだ。
ライバルだったというのなら、メアリのことが書いてあるはずである。
世界の伝記シリーズ。この中にあるかな。
ヨーコはずらりと並んだ名前のなかに、諸葛孔明やジャンヌ・ダルクの名前を探す(目つきのわるい中国人の名前は失念した)。
ジュリアス・シーザー、ナポレオン、マザー・テレサといった名前のなかに、しっかりとエリザベスの名前はあった。だが、メアリの名前はない。
『おお、すげえ、さすが女王。ジャンヌはなんでないんだー? 庶民だからか?』
などと考えていると、また一子が声をかけてきた。
「ねえ、なんでメアリ・スチュワートの本を探してるの?」
「ちょっと気になってさ。知らない?」
「世界の文学の棚の、ステファン・シュバイク全集のなかにひとつあるよ。ちなみに、イギリスの女王じゃないから」
「どこの女王?」
「スコットランド」
「イギリスじゃん」
「ビミョーにちがうんだけど。でもさ、メアリ・スチュワートって、メジャーじゃないよね。なんで興味あるの」
「女王にもメジャーなのと、そうでないのといるのか。ってかさ、あんた詳しいの? メアリ・スチュワートって、具体的になにやった人?」
「ヒトの質問に答えないなー。まあいいけどさ。
なにをやったって言うか、エリザベス女王のライバルで、イングランドとスコットランドとで分かれて戦ったんだけど、結局、メアリ側は自分で起こしたスキャンダルで、家臣たちに総スカンをくらって、国を追放されたんだよ。
そのあとにエリザベスを頼ってイングランドに来たんだけど、何度もエリザベスに対してクーデターを起こそうとして、失敗して、でもって最後は処刑されたんだよ」
「スキャンダルって、どんなものだったの?」
「本を読めばいいじゃん」

言われて、ヨーコはふと思い出した。
「そういやあ、ここって漫画ないの? 中学のときの図書室にはあったよね、世界漫画人物全集とかいうやつ。あれがいいや」
「高校の図書室に、そんな愉快なものがあるわけないでしょ」
「えー、使えね~。歴史なんて勉強したことないし、読んでもわかんねーよ。
つか、歴史って、要するに文系の点取り教科じゃん? 歴史を知ってたからってさ、社会で役にたたねーよ」
とか言いながら、歴史を調べようとしている自分がいるわけだ。
自分で自分のことばの矛盾に気づいているのだが、ヨーコは、まず口が動いてしまう、悪いところがある。
しかもその口は惰性で動く癖がついており、本当は心にないことでも、勝手にしゃべってしまうのだ。

この癖、直らないかな。
ジャンヌが癒し手だとかいうのなら、これも直してくれないかな。
病気じゃないから、だめなのかな。
そんなことを考えながら、ワックスのにおいが充満している図書室を、気だるそうに歩く。
ほんとうは気だるいのではなくて、落ち込んでいるのだ。

そして、一子の言った、世界の文学の棚へ移動しようとしたそのとき、図書準備室のカウンターから、見慣れない、白いものが、一子のとなりに現れた。
そして、それは、どう聞いても年寄りの声で、言った。
「なーにが点取り教科だ、このたわけモノめ! 歴史は、すなわち人類の軌跡。数学も物理も言語学、哲学、すべての学問は、人類が生み出したもの。
そして生み出された背景を、それぞれが持っているものなのだ!」
その白いものは、口をぽかんとあけているヨーコと目があうと、三白眼の目を、さらに尖らせた。
「学問というものは、理系も文系も、等しく、歴史という大樹を中心に成り立っているものなのだ。
歴史を知っておれば、ほかの学問が苦手でも、だいたいの理解はできるものよ。それをおろそかにすると、キーワードのように無味乾燥な知識ばかりが豊富で、その本質をつかめないたわけモノに成り下がる。
おまえも、そのたわけモノのひとりと見た!」

犬。
真っ白い毛をもつ、片方の耳だけが寝て、もう片方だけがぴんと立っている犬である。
ビーグルの雑種らしく、目のまわりと耳のまわりだけに、茶色の模様が入っている。
固く閉ざされたカーテンのなかで眠りつづける少年の、そのかたわらで、寄り添うように眠っていた黒い犬とは、似ても似つかぬ、ふてぶてしい面構え。

『浅野家を守っているアトラ・ハシース。クロに成り代わって、犬の姿になって、この世界の成り立ちを支えている』

ジャンヌや女王がしてくれた説明が、ヨーコの脳裏をよぎった。
名前はたしか。
「陳寿、だっけ?」
すると、陳寿犬は、ほほう、というふうに、立っている耳のほうを、ぴくぴくと動かして見せた。
「なるほど、オレ様を知るか。となると、おまえも姉ちゃんとおなじで、前回のループを覚えているのだな」

浅野一子が、前回のループの記憶を持っている。
だからこその、らしからぬ直言だったわけか。
ヨーコは理解したが、同時に、一子の目を見るのがおそろしくて、できなかった。
記憶があるというのは、いいことかもしれないが、基本世界の現実に対する知識は、どれくらいあるのだろうか。

「目が覚めたら、カレンダーが元に戻ってて、びっくりしたよ。あんたがうちにいて、弟とゲームしてたのまでは覚えているんだけどさ」
と、一子が、ぶっきらぼうに言った。面倒くさいのではなくて、照れくさいのだ。
その口調と様子から、ヨーコは、基本世界の現実を、一子が知らないのだと気づいた。
思わず陳寿犬を見ると、犬のほうは、なにもかも知っている、というふうに、目を細めた。
「敵を知ればおのずと百戦あやうからず。かといって、すべてを知ることが勝利の道ではない。
知らなくてもよいことがあれば、知らないままでいいと、オレ様は思ったりする。おまえはどうだ」
「ああ、そうだね、そう思う」
ヨーコがうなずくと、陳寿犬も、そうだ、というふうに、こくりとうなずいた。
「よろしい。ちょっと心配だったが、おまえは、まるっきり莫迦ではないな。一人か?」
つまり、一人で行動しているのか、と聞いているのだろう。
隠すことはない。ヨーコは率直に答えた。
「ジャンヌが一緒だよ。あの子はいま、怪談を探るっていって、学校のどこかにいるはずだけど」
とたん、一子の眼鏡の奥が、文字通り、きらりと光った。
「ジャンヌって、マジでジャンヌ・ダルク? すごい! 合流できたんだね! どんな感じ? 美人?」
「だと思う」
「ハリウッド女優でいったら、だれに似てる?」
「おまえ、わけのわかんない質問すんなよ。すくなくとも、ミラ・ジョヴォビッチではない」
「えー? そうなんだ」
不満顔の一子に、カウンターに両手をかけて、立ち上がっている状態になっている陳寿犬は、言った。
「ほーら、オレ様の言うとおりじゃん。姉ちゃんの脳内ビジュアル、どうなってんのさ」
「うるさいなー、いろいろ想像できるところが歴史の面白さでしょ。でもって、それがほんとうにあったこと、ってことが、またたまらないんじゃん。
つーか、うわー、どうしよう。やっぱ、最初のあいさつはボン・ジュール?」
「ふつうに、初めまして、でいいんじゃないのかな。姉ちゃん、あんまり緊張すんなよ、オレ様まで緊張してきた」

「あんたたちは、ほかのアトラ・ハシースが、いまどこにるか、知らないの?」
ヨーコがたずねると、一子は陳寿犬を見、陳寿犬のほうはヨーコを見て、それから答えた。
「知らん。ていうか、オレ様、丞相さまとの再会を、はげしく希望。丞相さまはどちらさま?」
「こいつ、丞相さま丞相さま、ってそればっかりなんだよね。十あるうち、九が丞相さま、一が趙虎威将軍。朝からずーっと、うるさい、うるさい。
学校で呑気に授業なんか受けてないで、一緒にさがせ、かならずK杉山小学校にあらわれるはずだー、とかいうから、いまのいままで、ずっと小学校に隠れていたんだよ。
でも、ぜんぜん現われないんだよね」
と、横から、一子が頬をふくらませて、言った。
「それじゃあ、あんたたち、五橋がどうなってるか、知らないんだ?」

ヨーコがたずねると、一子も陳寿犬も、ぽかんとした表情になる。
どうやら、二人とも、前回のループにて孔明と趙雲が現われた小学校のほうばかりに気をとられ、仙台市全体がどうなっているのかは、まだ把握していないようであった。
ヨーコは、今回のループのはじまりから、五橋のこと、アコの行方がわからないことなどを説明した。
すると、一子のほうも陳寿犬のほうも、見る見るうちに、表情が曇っていく。

「なにそれ、寒天みたいになってるって」
「結界だ、ってジャンヌは言ってたみたいだけど」
ヨーコの答えに、陳寿犬は、ふむ、と首をひねる。
「なんとなくわかった」
「え、教えてよ」
ヨーコがうながすと、しかし、陳寿犬は、困ったように、顔をしかめた。
「あくまで『なんとなく』だからなー。はっきりそうだとわかってないことは、あんまり言いたくない。だから、黙秘権を行使」
「あんたもジャンヌといっしょか」
ちぇっ、と舌打ちしながらヨーコが言う。

ヨーコとしては、アコがどうなったのか、ともかくそれが知りたいのである。
無事なのか、そうでないのか。
諸葛孔明という、前回のループで、アコの命をつなぎとめているやつが、いまも五橋の、あの靄のかかったような世界のなかで、アコを守るためにがんばっているのか。

そんなことを考えていると、陳寿犬は、ようやくカウンターから降りて、図書準備室から出てきた。
「われわれは、つねに真実を追い求めつづけている。それは、もはや容易に死には至らない存在となったわれわれの、『人生』の目標となっているのだ。
だからこそ、適当な憶測を述べて、実際とズレが生じることを恐れる。
些細なズレだと見過ごしてしまいがちだからこそ、それがのちのち、われらの行く手の障害となる可能性も高まるのだ」
「ふうん?」
「おまえらにはわからん感覚だろうな。ま、それはいいや。
ところで、千台ヨーコ、おまえは、なぜ、メアリ・スチュアートのことを知りたがっているんだ?」
「なぜって、気になるからだよ。前回で、こっちが騙されていたかもしれないけど、一時期は友だちだったんだし、ほんとうは、どんなやつだったのかなって気になってさ」

率直に答えると、陳寿犬は、わかった、というふうにうなずいて、それから答えた。
「ならば、オレ様が、簡単に説明しよう」
「犬が?」
「むか。姉ちゃん、こいつ噛んでいい?」
「だめ。っていうか、ヨーコは霊具を持っているんだから、返り討ちにされるよ」
一子が、なかなかするどいところを言う。
すると、陳寿犬は、いかにも不満そうにしながらも、ふたたびヨーコを見た。
「ちゃんと聞けよ?」
「聞くよ。メアリはどんな人生を送ったの」
「ひと言でいうと、『いつ見ても波瀾万丈』。メアリ・スチュワートは、男運がまるでない女王だった。
というより、オレ様が見るに、男をダメにしてしまう女だったのだと評価しちょる」
「へえ? なんていうか、魔性の女とか?」
「魔性の女というよりは、無防備な女、だな。育ちがよすぎたこと、成人するまで、その人生は恵まれすぎて、苦労をほとんどしてこなかったことなどが、エリザベスとは対照的だ。
なにせ、メアリは、生まれてすぐに父親のあとをついでスコットランド女王となり、一度目の結婚ではフランスの王太子の妻として、幸福を享受した。ロマンティックの女王。それが当時のあだ名だ。
エリザベスのほうは、母親を幼少期に実父に処刑され、長じては、義理の姉によってロンドン塔に閉じ込められ、いつ殺されてもおかしくない状況に置かれるという、苦労と表現するには、あまりに重い過去を背負っている」
「そうだったんだ」

ヨーコは、身体を共有しながら、あれこれと口うるさく指示をしてきた女王のことを思い出していた。
ただの威張った女じゃなかった。
実の父親に母親を殺されたなんて、最悪じゃないか。あたしより、もしかしたら最悪かもしんない。
すくなくとも、うちのクソ親父は、お袋を殺すことはないだろう。

「メアリのほうは、フランスで、蝶よ花よとちやほやされて過ごしていたが、夫が夭折したあと、帰国して、二度目の結婚をしてから人生が狂う。
二度目の結婚相手は、かつてのエリザベスの恋人だった男で、こいつがロクデナシの能無し。とりえは王位継承権を持っている、というところだけ。エリザベスに捨てられたので、メアリに行ったという男だったのだ。
メアリとしては、二人で結婚することで、エリザベスが死ねば、イングランドの王位も手に入れられるということから、最初はこの男とうまくやっていたが、次第に、この男のつまらなさがわかってくると、愛想をつかした。
そして、イタリア人秘書と、プラトニックな恋愛に陥るようになった。だが、嫉妬に狂った二度目の旦那は、この秘書を、メアリの目の前で殺してしまうのだ」
「うわ、えぐい」
「まったく、この当時のヨーロッパなんてのは、オレ様たち東洋人からしたら、野蛮そのものよ? ちなみに、この頃、日本では、織田信長がぶいぶい言ってました」
「同時代人なんだ」
「そ。中国でいうところの明。西遊記が本としてまとまった時代の頃さ。でもあえて日本を中心に説明してみせる、親切なオレ様。
ま、それはともかく、メアリに戻るが、ほどなく、この夫が、ナゾの死を遂げる。この犯人はいまだ、闇の中なのだよ。諸説あるが、いまだに決め手はない。当時も大騒ぎになったらしい。
最有力容疑者だった、スコットランドの名門の出自で、武将のボスウェルなる、孤高の狼のような貴族と、その事件の前後に、メアリは、関係を持つ。
まー、そのきっかけがどういうものだったかは、これも諸説あって不明だが、ボスウェルがかなり強引に迫って関係を結び、メアリは当初は、政治的なこともあって仕方なく付き合っていたのだが、いつしかその強引さにメロメロになって、そのうち二人は、切っても切れない仲になってしまったのだな」
「なんか、どっかで聞いたような…」
「んがー、そこに立ちはだかるは宗教! ボスウェルは、メアリを拉致したうえで、むりやり結婚しようという暴挙に出るのだが、ボスウェルはじつは妻帯者。しかもカトリック。簡単に離婚できません! 
しかもこの男、すっごくいい加減で、メアリの愛情を悪利用しようとしていた。そして、本来なら離婚できないところを、前妻とむりやり離婚して、メアリと結婚してしまうのだな」

「サイテー!」
と、これは一子と、ヨーコが同時に言った。
ヨーコは、ふと、メアリが連れていたシグルトを思い出した。
シグルト。シグルト=ウェルズング。ヴァルキューレのブリュンヒルデの夫。
なんか、メアリって、もしかして掠奪愛とか、そういうシチュエーションに陥らないと、燃えないタイプだったのか?

「そ。サイテーなのだ。肉欲に負けた女王という、とんでもなく堕落したイメージがメアリについてしまったのは、これが原因なのだ。
ま、メアリに敵対する貴族たちが、ここぞとばかりにネガティブキャンペーンを張りまくって、さらに女王のダメさ加減を誇張して宣伝したものだから、後世にのこるメアリの印象は、かなり歪められているのは事実。
んがー、公私混同しまくって、国を混乱させた、という罪も、事実なのだな。
ある歴史家によれば、メアリはともかく無防備で、しかも美人であったから、ボスウェル伯のようにブランド嗜好のつよい男に『こいつは、じつはオレに気があるんじゃないか』と勘ちがいさせるところがあったそうなのだよ。
んで、思い込んだボスウェルが、女王と無理やり関係を結ぶという暴挙に出た。が、結果としては、メアリのほうがボスウェルに夢中になったのだ。
ボスウェルと結婚したあと、メアリはすぐさま、さまざまな地位をあたらしい夫に贈っている。
ともかく、こんなグダグダなメロドラマを目の前にして、本格的にブチ切れたのがスコットランド貴族のみなさん。
女王、なにやっとんじゃ! ということになり、結婚直後、とうとう叛乱が起こった。
戦上手という評判の高かったボスウェルは、勝つ自信はあったらしい。が、どうにも人気がなかった。
この人物、実力はあったし、現場での人気も高かったが、上下関係はともかく、横の連携がうまく作れないという、なんだか、オレ様のよく知る魏文長さまのようなお方だった。
で、叛乱軍をまえに、メアリとともに後退につぐ後退。最後は降伏したのだが、ここがさらにサイアク。
この男は、別れたくないと泣き崩れるメアリをほっぽって、自分だけさっさと大陸へ渡って生き延びたのだ。まー、メアリをすこしは助けようとしたらしいが、結果として逃げたことに変わりはない。
もっとも、最後は、捕まって狂い死にしたのだがな。
メアリのほうも、貴族たちの追撃をのがれ、イングランドへ亡命して、エリザベスの保護下に入ったが、迂闊な性分はどうにも直らず、ほとんどその気もないのに、何度もカトリックの叛乱の首謀者に仕立て上げられた。本人も勘ちがいを起こしていたのだな。
思うに、やはり、あまりに恵まれすぎた青春期のあいだに、女性としてのメアリは磨かれたが、女王としては磨かれることはなかったのだろう。苦労だけが、人間の肥やしとなるのだ。『若いころの苦労は、買ってでもしろ』というありがたーい言葉の意味がわかるだろ。
一方のエリザベスは、さすが苦労人だけあって、立派に女王として成長し、当時は、すでにその地位をがっしりと確立しつつあった。
そんななかで、メアリが足元でちょこまかと悪さをするわけだが、エリザベスとしては、それでも従妹を殺したくなかった。身内殺しという大きな罪を背負いたくなかったのだろう。そのあたりは、聞けるもんなら、本人に聞いてみ?」
「いや、さすがに気がひけて、聞けないや」
「だろうな。エリザベスは迷いに迷っていたが、メアリが王位継承権を持っていることを警戒した側近たちが、このままでは御身があやういと何度も進言し、エリザベスはとうとう決断して、仕方なくこれを処刑した。すごかろう」

「それがスキャンダル…すげえ、あたし、メアリを舐めてた。てっきり未成年の喫煙がばれた程度のものかと」
「そんなわけないじゃーん。まあ、あんまりドラマチックなんで、宗教問題とからめて、ヨーロッパじゃあ、何度かメアリを題材にした物語も作られたようだ。
歴史の研究が進んだいまでは、あんまり人気はなくなっているようだな。
まー、仕方ないといっちゃ、仕方ない。女王といっても、その治世のあいだに国内を安定させ、多くの傑出した人物を生む土壌をつくったエリザベスに比べれば、メアリはなんもしとらん」
「まあ、たしかに。ありがとう、犬。すごくよくわかったよ」
「犬、言うな。オレ様は陳承祚。承祚さまと呼べい!」
「言いにくいな~」

そんなやりとりをしていたなかで、ふと、一子が図書室の入り口のほうを向いた。
つられて、ヨーコも入り口のほうを向く。
校内を探っていたジャンヌが戻ってきたのかと思ったのだ。
「そういや、あんたたちって、もちろん怪談のことは知ってるよね?」
ヨーコがたずねると、一子は、不安そうに、うなずいた。
「何なの、アレ? 前回では、噂の欠片もなかったよね」
「わかんない。けど、ジャンヌがいうに、あの怪談には意図があるものにはちがいないって」

話しながら、ヨーコは、図書室の入り口の擦りガラスに映っている人影を気にする。
入ってくるかと思ったら、人影は、なかなかなかに入ろうとしない。
鍵でもかけちゃったっけ? 
と思いながら、ヨーコが鍵をあけようとすると、とたん、陳寿犬が、四肢をふんばって、入り口のほうをむいて、叫んだ。
「ダメだ、開けるな! 敵の気配がするぞ!」

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※ この話は、「Lost Sunshine・2」につづきます。