ループ3、二日目の朝・4
※ この話は、「Give Birth to Heaven・4」のつづきとなります。
学校にきて、まずヨーコが確かめたのは、アコが来ているかどうかであった。
靴箱をたしかめる。
名札はあるが、上履きしかない。
朝のHRが始まるのが九時十五分。いまは八時五十分。
あと二十五分ある。そのあいだに、登校してくるかもしれない。
「結界だっけ? バリアーみたいな。それをアコについているアトラ・ハシースかアストラルのだれかが張っていて、だから五橋の周辺が寒天につつまれたみたいになってる、ってことは、ないの?」
隣をあるくジャンヌに聞くと、校内や、登校してきた少女たちを興味深そうに見ながら、ジャンヌは答えた。
「あれは、単なる壁じゃないわ。あそこだけが異質な別の何かに変わっているの。わたしたちアトラ・ハシースでも、容易に踏み込めないくらいのレベルでね」
「入ったらどうなるだろ」
「まったく保証はできないわね。敵が作ったものなのか、味方が作ったものなのかもわからない。霊査のすべてが弾かれてしまった。
正体がわからないうちは、近づかないほうが無難よ。ただでさえ、こちらは数で不利なのだから」
「それって、すごくヤバイこと?」
「いいことではないわね」
「でもさ、下駄箱に、アコの名前、あったじゃん? つまり、アコが死んだり消えたりしてない、ってことだよね?」
でなくちゃ、あたしは前回のループで、なんのために自殺までしたのかわからない、とヨーコは思う。
損得勘定で物事を考えるヨーコとしては、あれだけ痛い目をみたのに、なんにも変わっていないということが嫌なのである。
「いまはなんとも言えないわね。何度も言うけれど、アトラ・ハシースは万能じゃないのよ。
もしかしたら、あたしがなんでもハッキリと断言することを期待しているのかもしれないけれど、それはできないわ。わたしが言えるのは、『そうじゃないかな』ってことだけなの」
「まー、それでもいいけどさ」
夢の世界。
夢の世界ということばから思うに、理想の世界を想像しがちだが、しかし、ヨーコからしてみれば、いつもと何の変哲もない、つもの学校の、いつもの顔ぶれである。
私立千台栄華学院は、建ってまだあたらしい学校で、床や壁の配色も、カラーセラピーを考慮して塗り分けられている。
ほぼすべての教室に、最新の冷暖房施設があり、教育環境はよい。
ヨーコの母のナミは、この千台栄華学院を、仙台市でも有数の、仏教思想を基盤とした、名門女子高にしようと考えていた。
だから、門構えから校舎のデザインなども、かなり特徴的なものとなっている。
が、せっかく環境を整えたにも関わらず、その思惑通りに千台栄華学院の進学率、平均偏差値、ともに高くはない。
やはり保守的な仙台市民のあいだでは、進学校といえば、男子ならば公立の一高、女子ならば同じく公立の一女、というわけで、私立の新興学校の人気は、いまひとつなのだ。
「日本はどこへ行っても、たいがいきれいにしているけれど、ここもそうね。勉強がはかどるんじゃない?」
と、隣を歩くジャンヌが言った。
この短髪の、天使の髪(というより、本物の天使か?)のように柔らかそうな金色の髪をもつ少女は、悪い冗談のように、学校のなかで、とびきり浮き上がって見えている。
が、校内の少女たちは、ジャンヌのほうをちらりと見ても、とくに反応するということがない。
ジャンヌが暗示をかけて、自分をふつうの日本の女子高生に見せているのである。
そのうえ、不審に思われないように、見る者の知っている顔に見えるように、さらにひねった暗示をかけているのだった。
「もしかして、一緒に授業を受けようとか、そういうこと考えてる?」
警戒してヨーコが尋ねると、ジャンヌは声を立てて笑った。
「そこまではしないわよ。わたしがいると、気が散るでしょう? 教室の外で待っているわ。でも、なにかおかしなことがあったら、すぐに呼んでね」
「それはありがたいんだけど、退屈じゃない?」
するとジャンヌは、ヨーコがうらやましくなるほど、健康的で愛らしい顔に、ほほ笑みをうかべた。
こういうのを、天使のほほ笑みというのだろう。
美術にはとんと疎いのでわからないが、父の書斎にあったヨーロッパの油絵の天使そっくりだ。
『ジャンヌ・ダルクって、男どもを引き連れて馬に跨って、侵略者を追い出した女だったっけ? なんかそれじゃ暴走族か。
まーしかし、こういうカワイイのに、男は騙されるんだろーなー』
ちょっぴりひねたことを考えつつ、ヨーコは教室の扉をひらいた。
いつものとおり、なにも変わらないはずの教室である。
『ん?』
教室に入ろうとしたとたん、ヨーコは強烈な違和感をおぼえた。
教室のなかにすでに入っていた少女たちが、こちらに一斉に目線を向けて、話を止めたように感じられたのである。
だが、それは一瞬のことで、少女たちは、入ってきたのがヨーコだとわかると、それならばよし、といわんばかりに、顔を戻して、それぞれの仲間との会話を再開させた。
『なんだ、いまの? こいつのせい、かな?』
と、ちらりと、廊下から、教室のなかをのぞきこんでいるジャンヌのほうを見る。
けれど、少女たちは、まちがいなく、自分のほうを向いていた。
「ね」
「なに?」
小声で話しかけると、ジャンヌは不思議そうに、金色の髪を揺らせて首をかしげた。
「あんたにあたしが話しかけても、ほかの連中には、なにもないところに話しかけてる、ヤバイ女っていうふうに見えたりしないよね?」
「それはないわ。ほかの子たちには、あなたが『自分が知っているだれか』と話をしているように見えているはずよ」
「便利だね、っつーか、そうじゃなくて、なんかいま、おかしくなかった? ほかのやつら」
「特になにも感じなかったわよ。みんな、あなたのほうを見ただけじゃない」
「いや、そこだよ。あのさ、今日のあたし、どっか変なところあるかな?」
と、ヨーコは制服を着た自分を、ジャンヌに見せる。
自分だけ、有名ブランドに特注した、ほかの少女たちと、デザインは一緒だが、微妙に仕立てがちがう制服である。
とはいえ、この制服のことは自慢の種だったので、クラス中に自慢しまくったから、いまさら注目を浴びるいわれがない。
となると、学校指定のだっさいカバンの代わりに持っているピンクのルイ・ヴィトンか?
これも苦労して手に入れたものなので、いっつも見せびらかしている。同じく、いまさら注目されるものではない。
「ふつうよ、ちょっと派手ってだけ。でも、いつものことでしょう?」
「いつも……まあ、否定はしないけどさ」
言いつつ、ヨーコは教室に入った。
教室の様子はいつもどおりで、映画雑誌や漫画雑誌をいくつも机のうえでひらいて、オタク全開な話をして盛り上がっている一子たちのグループ、携帯電話を片手に、バイトのことや彼氏のことなどを話しているグループ、おなじく携帯電話を手にしているものの、夜遊びしたあとで眠くてかったるいから、二時間目の体育をどうやってサボろうかという算段を話し合っている、ヨーコのグループがいる。
クラスでは、グループの区分けは、はっきりしており、それぞれのグループ同士の交流は、ほとんどない。
クラス行事などは悲惨なもので、責任感がいちばんつよい一子のグループが中心として動くことになるのだが、ほかのグループはほとんど協力しないため、盛り上がったためしがない。
「おはよ」
なんとなく、クラスメイトに声をかけてみるが、返事はない。
いつものことなのだが。
『暗い、よな?』
と、ヨーコは思わず天井と、それから締め切られた窓の向こうの空を見る。
もちろん、空調のせいではない。
それぞれのグループで盛り上がっているから、にぎやかではあるのだが、漂っている空気は、重苦しい。そして、暗い。
『このクラスって、こんなにぴりぴりした空気だったっけ?』
そんなことを考えながら、ヨーコは自分の席につく。
一方、ジャンヌは、大胆にも、彼女たちの背後にまわって、それぞれ雑誌を覗き込んだり、携帯電話の画面を見たりしていたが、覗き込まれているほうは、嫌がる素振りを見せることもない。
それぞれに、自分を仲間だと錯覚させる暗示でもかけているのかもしれない。
『忍者かよ』
呆れるヨーコであるが、ふと気づいた。
アコもいないが、一子もいない。
一子は、運動神経はゼロだが健康優良児で、朝もクラスで一番早く来ている。それが、今日に限ってはまだきていない。
『そうだ、すっかり忘れてたけど、一子。あいつもどうなっているんだろう。
ジャンヌは『浅野家は守られているから大丈夫』とか言ってたけど、そういう意味じゃなくて、あいつも前回のループの記憶、持ってるのかな?』
しゃべるシェットランドシープドックと見た、『基本世界』での浅野家の悲劇が脳裏に浮かぶ。
千台潮のスキャンダルを深追いしすぎて、暴力団によって殺された父親、その巻き添えを食らって、昏睡状態に陥った、一子の弟の史朗。
この二人の悲劇に耐えられず、世界を救ってほしいと嘆いた犬。それがクロで、クロの声に答えてあらわれたのが、ジャンヌと、陳寿だった。
『んで、いまあたしがいるのは夢の世界。基本世界での時間は、もうだいぶまえに進んでいるけれど、この世界は、何回も2003年の12月をくりかえしている。
この世界が、ほかの世界に影響をおよぼすようになって、連鎖して基本世界に影響を与え始めたから、あたしたちの子孫にあたるレティクルとかゆー星に移住した子孫が、タイムワープして攻撃を仕掛けてきた。
うん、そこまではわかってるな、あたし』
問題は、だ。
浅野一子は、おそらく、基本世界では現実にあった、自分たち家族の悲劇を知らないはずである。
だから、一子が前回の記憶を持っていても、そうそうびくつくことはないはずなのだが、千台潮の娘としては、やはりうしろめたい。
『クソ親父。どこまで人を苦しめるんだよ、ちくしょー』
心の中で悪態をつきつつ、ムスッとしていると、仲間のひとりが声をかけてきた。
「なあに、ヨーコ。ちょっと元気なくない? 二日目?」
「あのなー、あたしに元気がないときは、生理のときだけとか思ってない?」
むっとして答えると、仲間たちは冗談だと思ったらしく、がはがはと、声を大きくたてて笑った。
教室に男がいないと、そんなものである。
仲間の少女たちは、うまく巻けていないカールを指先で矯正したり、ファッション雑誌を開いて、あれやこれやと話をしたり、それなりに楽しそうである。
が、ヨーコは気づいた。シマノまでいない。
「ね、シマノは休み?」
仲間に聞くと、指先で矯正したカールがどうなったかを、手鏡で確認しながら、仲間のひとりが答えた。
「わかんねー。メール来てないもん。あいつまた、遅刻じゃねーの?」
そのとなりで、携帯電話でメールを打っていた仲間が、顔を上げて、苦笑いしつつ、言った。
「シマノさ、そろそろマジで単位、ヤバくね? ヨーコより学校、来てないよな」
「あたしのほうが来てなくない?」
とヨーコがたずねると、少女たちは、どうだろう、と考えるそぶりをみせて、それから、言った。
「日数の正確なトコロってのはわかんないけど、シマノって、いないときのほうが印象に強いから、そう思うのかもしんない」
一人がいうと、もう一人が、手を打って大笑いしながら言った。
「あ、それわかるー! ヨーコが休みだと、またか、って思うだけなんだけどさー、シマノが休みだと、ラッキー、って思うからかもしんないよね?」
仲間の口から出た意外なことばに、ヨーコはおどろいて、さらにたずねた。
「あんたたち、シマノのこと、きらいなの?」
「きらい、っつーかさー」
と、少女たちは、互いに互いの顔を見合すが、その表情には、はっきりと『なんだよ、ヨーコはそうじゃないのか』という失望が浮かんでいる。
シマノ。
嶋野祐子が本名だ。
本人は、ありきたりな名前を嫌って、苗字で呼ばれることのほうを好んでいる。
「ぶっちゃけ、シマノってむずかしーじゃん? あいつ地雷が多すぎるんだよ。ちょっと気に入らないことをうちらが口にしただけで、顔とか態度に出してさ、すっげえ八つ当たりしまくるし。
んでもって、あいつって、あたしらのこと、友だちって思ってないよね」
一人のことばに、ほかの少女たちも、そうだ、そうだ、とうなずいた。
「たとえばさ、ここにいる一人が、トイレとかで居なくなったとするじゃん? すると、とたんにそいつの悪口言い始めるの。あれ、やめてほしー。
ヨーコの前でも言ってんでしょ? あいつが悪く言わないやつって、逆にいないんじゃない?」
言われて、ヨーコは、シマノと一緒にいたときのことを考える。
なるほど、たしかにシマノはいつでも、だれかのことを批判したり、こき下ろしていたりしていた記憶がある。
が、じつをいうと、ヨーコはシマノの話を、BGMほどにも真剣に聞いていなかった。
ヨーコは、自分が一人ではなかったら(ただしくは、一人でいるように見えなかったなら)、まわりにどんな誰がいようと、頓着しなかったのである。
「でもさ、そう言いながら、うちらもシマノのこと悪く言ったら、結局、シマノと同じになんない?」
ヨーコが言うと、少女たちは、あからさまにむっとして、髪をととのえたり、携帯電話をいじったりする手を止めて、ヨーコを見た。
「なに、ヨーコ、いまさら庇うわけ? あんただって、陰でなんて言われてたか知れば、いい子ぶってなんかいられなくなるよ」
「なんて言われてたのさ」
「『サイフ』」
「財布? なにそれ」
「言葉のままだよ。あんたってさ、シマノから遊びに誘われたことってある?」
「あるよ。つーか、いつものことじゃん」
「最初っから呼ばれたことってある? つまり、いまからカラオケ行くから一緒に行こうとか、いまから飲みに行くから、どっかに集ろう、とかさ」
指摘されてみて、ヨーコは、おや、と思った。
たしかに言われたとおりで、シマノからの誘いのメールはいつも来るが、それは最初からではなかった。
『いま盛り上がっているから来ない?』が、目に慣れたシマノからのメールの文言である。
誘われて、行ってみる。
歓迎されて、嬉しくなって、いっしょにはしゃぎ回る。
で、女王様気分になって、親の名義のクレジットカードで全部支払いをすませる。
また遊ぼうね、と言葉を交わしつつ、別れる。
で、次もまた呼ばれる。
同じように、やはり『いま盛り上がっているから、○○に来ない?』。
と、途中からである。
なるほど、最初から、『○○に行くから、一緒に行こうよ』という誘いは、いままで、ほとんどなかった。
ヨーコは気づいた。
盛り上げるのがうまいからと、呼ばれていたわけではなかった?
ということは、やっぱり、シマノが言っていたという言葉がほんとうなら、歩く財布として呼ばれていた?
「あいつ、あんたのこと、ちょー便利な『サイフ』って呼んでたよ。遊んでて金が足りなくなると、アンタを呼べば、たいがいなんでも解決するから、ほかの友だちにも喜ばれて重宝するってさー。
あんたのほうはどうだか知らないけど、あいつのほうは、ぜったい、あんたに友情を感じてないよ。それは保証するわ」
「マジかよ」
あいつ、許さねー。つーか、マジ、ぜってー、ボコる!
怒りのあまり、体が震えるほどであったヨーコであるが、そのうしろから、そっとジャンヌが近づいてきた。
「だめよ、怒りをおさめなさい。まだ本人の口からなにも聞いていないのだから、頭からなにもかも信じてはだめよ」
「けどさ!」
ヨーコは目を三角にして、ジャンヌのほうを振り返る。
ほかの少女たちは、ジャンヌの暗示にかかっているので、彼女が口を出してきても、不審に思わないでいる。
「落ち着くのよ。あなたは単純すぎる。純粋と言い換えてもいいけれどね。
よく目を凝らしてごらんなさい。彼女たちがあなたにこの話をするのは、裏があるのよ」
「ウラ?」
そう、とジャンヌはこくりとうなずいて、主にシマノのことを口にしていた、髪を気にしている少女のほうに、真っすぐ人差し指を向けた。
「ラ・ピュセルが命ず、良心に従いて語れ、汝の心のありのまま」
とたん、ジャンヌの青い瞳が、金色に転じたかと思うと、指を向けられた少女は、雷に打たれたように、びくりと身を震わせた。
そして、ジャンヌとヨーコを、交互に、おびえたように見る。
「あなたの心の内にある怒りを解き放っておしまいなさい、咎めだてはしません。恐れずに、正直に語るのよ」
僧侶のようにおごそかにジャンヌが言うと、少女は、命令されるまま、ゆっくりと、口を開いた。
「だって、あいつ、最近、カレシと別れたとかで、すっげー、機嫌わるくて、ヨーコがいないときとか、嫌味とか悪口とか言ってきて、ウザくってさ」
シマノが彼氏と別れた、という話に、ヨーコはおどろいた。
別れたことに驚いたという以前に、彼氏がいた、ということに驚いていた。
「マジかよ。あたし知らねー。いつ彼氏ができてたんだよ」
「もう結構前だよ。ヨーコには内緒にしてるって言ってた」
「なんでさ」
「ヨーコに紹介したら、そっちに行っちゃうような男だったみたい」
「なに、あたしの美貌に惹かれて?」
「いや、あんたの財布に惹かれて」
「あっそ。サイテー、殺す」
ヨーコの言葉に、ジャンヌは手を伸ばして軽く頭をこづくと、少女のほうにふたたびたずねた。
「あなたは、それをやめてほしいと頼んだり、悪口を言っちゃいけないと注意はしたの?」
「できないよ。あいつ、キレたらヨーコより始末が悪いもん。ヨーコは一日経ったら忘れてくれるけどさ、シマノは絶対に忘れないんだよね。
あたしたちじゃ言えないけど、シマノは、ヨーコのことだったら、聞くから」
「なんで。自慢じゃないけど、あたしだって、あんたたち以上にシマノとゆーじょーを育んでたってわけじゃないよ?」
ヨーコが口を尖らせると、少女は困ったように言った。
「そりゃ見ててわかったけどさ、シマノって、ヨーコにすっごくコンプレックス持ってるじゃん?」
「そうなの?」
「そうだよ。シマノってさ、あいつ、中学校のころ、親が夜逃げしてんだよ」
「は? なにそれ、夜逃げ? マジ?」
「マジだって。あんたは中学がちがったから知らないだろうけど、シマノって、中学の時はちょー優等生で、でもって、TVで紹介されてもおかしくないようなお嬢さまだったんだよ。
けど、三年のときに親が事業に失敗して、で、夜逃げしたんだよ。シマノも一緒でさ。もう二度と会わないだろうね、なんて思ってたら、高校で一緒になったから、笑ったよ。
夜逃げっていっても、逃げた先がとなり町ってオチなんだもん。もちろん本人の前では笑えなかったけどさ」
「そりゃそうだろ」
「いまも一家で借家暮らしだって。親戚に援助してもらって、なんとか借金は半分返せたけど、まだかなり残ってて、だからシマノも進学をあきらめなくっちゃいけなくなって、そっからじゃないの、いまみたいに遊んでばかりになったのって。
ヨーコみたいに、なーんも勉強しなくても、親の金で進学できそうなやつが、許せないし、なんつーの、こんなやつもいるのに、あたしっていったいなに? みたいな葛藤つーの? だからシマノはあんたに弱いんだよ」
知らなかった。
ショックを受けているヨーコをちらりと見て、ジャンヌは、ぱちりと、自分の指先を鳴らした。
とたん、それまでシマノについて、ぺらぺらとしゃべっていた少女の身体が、ぐらりと揺れた。
すこし眩暈を起こしたようすで、かるく首を振っている。
「あれ? なんだろ、あたしたち、何の話をしてたっけ?」
と、少女たちが訝しそうに互いに顔を見合わせているのを、ジャンヌが口を添えた。
「今日はみんなでどこでお弁当を食べようかっていう相談よ」
「え、そんなことだっけ? まあいっか。なんだろ、急に心が軽くなったね。昨日はすこし早めに寝たからかな?」
「早めって何時だよ。どうせ二時とかだろ?」
「しょうがないじゃん、10時までバイトするとさ、あとで目が冴えて眠れなくなるんだよー」
そんな話をして、盛り上がっている少女たちをまえに、ヨーコはとなりのジャンヌを見る。
「なに、いまの。もしかして、癒し手の力ってやつ? こいつら、いま話したことは、忘れちゃってるの?」
「そうよ。心のなかの怒りや恐怖といった負の部分を、吐き出してもらったの。これであなたたちの友情が高まるというわけではないけれど、わだかまりは減るでしょう?」
「つまりさ、こいつらってば、あたしを焚きつけて、シマノと対決させようとかいう魂胆があったってことじゃん。なんか釈然としないよ、それ。こっちはもやもやしてるのに、あっちはさっぱりしちゃってさー」
「でも、あなたがさっき感じていた怒りは、だいぶ薄まったでしょう? みんな怖いのよ。それがわかれば、許せることもできるんじゃない?」
「怖いって、あたしが?」
「あなたではなくて、そうね、自分の心を脅かすものが怖いのよ。
彼女たちは、シマノという子が、中傷や暴言で自分たちを傷つけるから怖がっていて、シマノは、自分がかつて失った物をすべて持っているあなたが妬ましくて、その感情に脅えている。
それを理解すれば、シマノとつぎに顔をあわせたときも、気まずくならないでしょう」
「あ、そうか。なるほど。頭いい」
ヨーコが思わず言うと、ジャンヌは声をたてて、嬉しそうに笑った。
「やっとふつうに誉めてもらったわね。そろそろ予鈴が鳴るようだから、わたしは教室を出るわ。
あなたが授業を受けているあいだ、怪談で言っている鏡がどこにあるのか、あちこち調べてみるているわね。この学校のなかで鏡がある場所は、だいたい、どことどこになるの?」
「更衣室にも鏡があるよ。更衣室は教室棟にひとつと、部室棟、プールにひとつずつ。職員用ってあるのかな。ちょっとそれはわからないから、あとで確かめてよ。
トイレは女子トイレが教室棟に三つ、体育館にひとつ、管理棟に四つ、プールにひとつ、それから部室棟のそばにひとつ。男子トイレは教員用と来賓用が管理棟にふたつ、体育館にもひとつあったよ」
「そう。それじゃあ、ゆっくり回ってみてくるから、なにかあったらすぐに呼んでね。すぐに駆けつけるから」
そう言って、ジャンヌは教室を出て行った。
『一緒に教室にいてもいいよ、って言うべきだったかなー。つーか、あたし授業受けなくてもいいんだけど』
そう思いながらも予鈴が鳴ったが、しかし、それでも、アコも一子もシマノも姿をあらわさなかった。
あたしは、だれのことも、何にも知らない。
シマノのこともよく知らないって気がついたし。
考えてみりゃ、うちの家族以外で、あたしがよく知ってるのって、やっぱ、アコと、そうか、メアリだけじゃない?
授業もうわの空で思い出されるのは、前回のループで友人となったメアリ=サンクレールと名乗っていた美少女のことである。
それこそ天使の紡いだ金の糸のような、うつくしい髪をした、甘い愛くるしい顔立ちの美少女メアリ。
白薔薇のような、富貴の香りのする、上品な少女だった。
実際は悪霊であったわけだが、そうだと判るまでは、いい友だちだったように思える。
メアリは聞き上手で、ヨーコはメアリには、だれにも言えないようなことも言えた。
華奢な姿かたちをしているのに、母親のような包容力を持つ少女だった。
が、それもそのとおりで、何百年と意識を持っていたのだったら、包容力も出るだろう。
まして女王という地位にいた女性なのだからして。
『メアリって、ほんとうは、メアリ=スチュアートって名前だっけか。世界史で、ちらっと聞いたことあるな、と思うんだけど、なにをした人なのか、じつはあんまり知らないんだよね。
女王……エリザベスのほうが言うには、男好きの破廉恥女とかなんとかって』
たしかに、メアリは優しかったが、嘘つきでもあった。
童話に登場する王子さまそのままに美しい青年だったシグルト=ウェルズングを、ただの友人としてヨーコに紹介した。
ほんとうは友人なんかではなくて、愛人関係になっていたということは、あとから知った。
優しさも嘘も、すべては、ゲームを有利に進めるために、自分という駒をいいように操るための手段だったのである。
実際に戦ったこと、そして騙されていたこと、そのふたつがあっても、ヨーコの中では、ふしぎとメアリに対する怒りや恨みは強いものではない。
ヨーコの持つ霊具『卑弥呼の鏡』によって、その正体暴かれたメアリの姿が、ひどく醜いものだったから、同情した、というだけではないだろう。
『そっか。アコや、一子やシマノのことなんかは、噂とか、本人の口からとかしかわからないけれど、メアリに関しちゃ、本を調べればいいんじゃん。
昼休みにでも、図書室に行ってみようかな』
ショートホームルームにおける、担任の朝の連絡事項をBGMに、ヨーコはそんなことを考えていた。
※ この話は、「Lost Sunshine・1」につづきます。