ループ3、二日目の朝・3
※ この話は、「ループ3、二日目の朝・2」のつづきとなります。
兄の一樹たちから逃げ回るようになって、一年近くが経過しようとしている。
もともと身体が丈夫で、巫女としての修練も、祖母とともに積んできた白百合は、環境に慣れるのも早かった。
人間が活動するのに、もっとも重要になってくるのは睡眠と食事だ。
だから、どれほど気が急くことがあっても、それがいますぐどうにもならない類いだというときには、白百合は腹をくくって、食べたくなくてもきちんと食事をし、眠るようにしている。
心はたとえ休まらなくても、身体さえ休めておけば、なんとかなる。
いままでも、危うい場面に遭遇することは何度とあった。切り抜けてこられたのは、体がきちんと動いてくれたからだ。
セーラー服の小柄な少女・クロウと別れたあと、千台ナミという、散弾銃を手にした不思議な中年女性にわたされたマンションの鍵を利用し、白百合は、本町の一角にある隠れ家のような一部屋で休んだ。
まさにそこは、隠れ家と呼ぶのにふさわしい場所だった。
ナミのマンションは、ブランドもののマンションなのであるが、表から中の通路はいっさい見えないつくりになっていた。
マンションの戸数もすくなく、一度、中央玄関をくぐってしまえば、戸数のわりにはエレベーターが2基も揃っており、非常階段も二箇所あるため、工夫をすれば、部屋まで行き当たるのに、だれとも顔をあわせなくてすんだ。
管理人は常駐しているようだが、マジックミラーになっている管理室の扉から、顔を出すこともない。
鍵さえ持っている人間ならば、中央玄関をくぐれるようになっているのか、それとも、白百合が悪人に見えなかったから、顔を出さずにそのまま通したのか、そのあたりは判断がつかない。
マンションのある本町は、東北一の歓楽街に近く、北に向かって坂になっているという地形で、か、密集したビル群の中央には、窪地のようになっている街区がある。
そこには家具の町と呼ばれる、家具の店が軒をつらねている一角があるほか、狭い地区に、多くの専門学校も軒を並べている。
ほかにも、質屋や葬儀場、外資系のホテル、石油スタンドなどもあるが、雑多な印象もつよい町で、生活の場とするには、落ち着かない空気があるのも事実だ。
ただし、クロウが口にしていたとおり、たしかに白百合のような十代の少女が隠れるにはうってつけであった。
専門学校の多さゆえに、往来をいく若者の数が多く、昼間であろうと夜であろうと、よほど奇抜な姿でもしていないかぎりは、目立たないのである。
そして、マンションの内部は、ナミの几帳面な性格が出ているのか、どの部屋も、きちんと綺麗に片付いていた。
大きな家具のほかは、こまごまとしたものは一切入っていない家である。
部屋のインテリアは、ナミの趣味なのか、黒や金を基調とした、ガラスのテーブルに革張りのソファと毛足の長い絨毯、という、まるでどこかの飲食店のような、あえて生活感を排除したもので統一されている。
十七歳の白百合には、なじめない趣味であった。
小物がないのは寝室も同様で、クィーンサイズのベッドのほかは、ナミが使用しているガウンとコートだけしかない。
寝室はホテルよりも殺風景であったが、かえって、この部屋が『他人の部屋』だという感覚が薄れるので、白百合にはありがたかった。
もし、この部屋に、家族の写真や、旅行の土産物などが置いてあったら、きっとなかなか眠れなかったにちがいない。
目を覚ますと朝の7時で、TVのニュースでは、仙台の天気を伝えるほかは、とくになにも伝えなかった。
自分の身の回り以外では、仙台は平和を保っている。
だが、ほんとうは、そうではない。
真っ白な壁につつまれて消えていた町。
そして青葉山へと向かう広瀬橋の先の銀の小人たち。
この怪異を、どうしてだれも騒がず、自分と、クロウと、ナミだけが気づいているのか。
理由は、やはり『過去』にあるのだろうか。
昨日よりも、だいぶ記憶が鮮明になってきたようである。
匂当台公園で牛タンの屋台を出していたら、英語教師のジョージが近づいてきた。
銀杏の数のことを聞いてくるジョージから腕輪を渡されて、そのあと、銀の小人に襲われた。
腕輪のことを思い出して、白百合はすぐに身につけていないかを確かめたのだが、しかし腕にもポケットにも、それはなかった。
なくしてしまったのか、だれかにあげてしまったのか、思い出せないのだが、不思議と焦燥感はない。
なぜだかはわからない。
銀の小人に襲われたあと、青葉山に向かって、それからしゃべる犬と出会った。
その犬と一緒に、しばらく叔父さんの家で過ごし……思い出してきた。
仙台は、連続少年殺人事件で大騒ぎだったのだ。
銀杏の盗難事件もあったし、ともかくめちゃくちゃだった。
ところが、今朝は平和な仙台である。
『昔』は、毎日のように物騒な事件が報道されていたのに。
『この世界』は平和そのものだ。
『この世界』は、なんなのか。『昔』のわたしの記憶が消えているのは、なぜなのか。
むかし読んだことのある、ホラー小説が脳裏をよぎった。
ほんとうは、わたしは死んでいて、ここは、死ぬ間際の一瞬の夢の中なのかもしれない。
夢の中で、夢を夢だとたしかめるには、どうしたらよいのだろう。
考えすぎであってほしい。きっとわたしは疲れているんだ。
白百合は、冷蔵庫に入っていたカンヅメを朝食の代わりにすると、昨日の夜に洗濯しておいた服に着替えて、それから、TVを気にしながら、九時になるのを待った。
クロウが待ち合わせ場所に指定してきた『元寺小路カトリック教会』は、本町のナミのマンションからは、歩いても三分ほどの距離にある。
家具の町の瀟洒に赤く舗装された道を抜けて、愛宕上杉通りに出て、黄金の銀杏の並木道を横目に、横断歩道を渡ってしまえば、すぐだ。
八時五十分になると、白百合はマンションを出て、教会へと向かった。
パウロ書店という、信者のためのアクセサリーやクロス、CDや書籍、雑誌などが売っている店が敷地内にある、大きな教会である。
すぐにだれでも中に入れるようになっていて、昭和テイストの白いコンクリートの正面玄関をくぐると、大きな礼拝所となっている。
ちょっとした劇場並みの大きさだ。
正面にあるオルガンから、のびやかな音楽が聞こえており、見れば、女性信者がオルガンの練習をしているのだった。
ほかには、だれの姿も見えない。
高い天井に響き渡る、ぬくもりのあるオルガンの音を聞きながら、ずらりと放射線状にならぶ木のベンチの最後列で、しばし立ち尽くす。
早く着すぎただろうかと白百合は思いながら、硬い木のベンチに座ると、それを待っていたかのように、背後からクロウの声がした。
「おはようございます、サユリ様。よい朝ですわね」
白百合は、とっさに返事をすることができなかった。
というのも、声をかけられるまで、クロウの気配をまったく感じなかったからである。
今朝のクロウもまた、濃紺の地に白いスカーフという昔ながらのセーラー服で、長い髪も一糸の乱れもなく、きれいにポニーテールにまとまっている。
まったく隙がない。
うろたえている白百合は、クロウの、涼やかなまなざしに、ますますうろたえた。
これまでさまざまな人間を見てきたが、なにを考えているのか、どういう人間なのか、その内面を読むことができなかったのは、このクロウと、兄の一樹だけであった。
そういえば、胆のすわっている様子が、すこし似ていると、白百合は思った。
いやな連想だが、事実だから仕方ない。
「朝食は食べましたか? マンションでなにか不自由はございませんでしたか?」
白百合が返事をしないことにも気を悪くせず、クロウは、その日本人形のように端正な白い顔に、笑みを浮かべて尋ねてくる。
笑顔になると、大人びた雰囲気が崩れて、一気に年相応になる。
そのことに安堵して、白百合は答えた。
「ありがとう、不自由はなにもなかったよ」
「それはようございました。このような場所で申し訳ございません。ご不快がないといいのですけれど」
と、クロウは、相変わらず丁寧な言葉遣いで、すまなさそうに白百合に言う。
そして、白百合のとなりに座った。
白百合が感心したのは、クロウのその姿勢のよさであった。
弓をつがえていた凛とした様子が思い出される。
ぴんと伸びた背筋は、クロウ自身がつがえていた弓のようにうつくしい。
クロウは、白百合のほうを見ることはなく、その両手をきちんと膝の上に重ねて、祭壇の十字架を睨みつけるようにしながら、オルガンの音色に耳を傾ける様子もなく、言った。
「木の椅子は、すわり心地がいまひとつですわね。この心地の悪さが、かえって人の反省を促し、神の前で素直になれるのだという話を聞いたことがあるのですが、ほんとうでしょうか。
そんな話がある一方で、多額の寄進をした信者は、布張りの、よい席に座れるという特典を設けている教会もあるようですよ。
地獄の沙汰も金次第。洋の東西を問わず、これは、ほんとうのようですわね」
俗っぽさの感じられないクロウの口から、金の話が出たので、白百合は目をぱちくりとさせた。
クロウは、味方だと言ったが、じつのところ、何者で、どんな背景をもち、そしてどんな性格なのか、白百合は何も知らない。
金といえば、兄さんもなにかあると、考えの基準を金にしていたなと、白百合は思い出していた。
昨日は助けてくれたのだから、嫌いになりたくないのだが、なぜだか隣にいる少女は、兄の一樹との共通点を多く感じさせる。
「サユリ様は、神をどう思われます」
金から神である。
どうも唐突な子だな、と戸惑いながらも、白百合は答えた。
「正直なところ、よくわからない。いてほしいとは思うけれど」
「白百合さまのイメージする神は、善悪を裁く神、罰する神ではありませんか。限りなく西洋の神に近い」
「そうかもしれない。深く考えたこと、ないんだ」
あなたはどうなのと聞くべきだろうかと白百合が迷っていると、クロウは、やはり前を真っすぐ見たまま、言った。
「神というものが存在するのかは不明です。しかし、霊魂は存在する。矛盾しているようですけれど、霊魂を管理するものが、あたくしたちが想像するところの『神』とは限りません。
いままで一族が接触したアトラ・ハシースもアストラルも、だれも『神』を知らない、と答えました。どこにいるのか、どんな姿をしているのか、それすらもわからない、と」
「アストラルとか、アトラ・ハシースは、霊魂なの?」
白百合の脳裏には、古い銃を片手に、靄の中からあらわれた中年女、そしてしゃべる犬のことがある。
「厳密には霊魂ではないでしょう。あれは、選ばれて生れ変わった人々、です。
あたくしたちとは体の組成がちがうため、無限に近い命を生きるのだと聞きます。
けれど、死んでもなお、人のために働かなければならないなんて、それは安息ではないでしょうね。あたくしは、かれらを天使だといって尊敬する気持ちにはなれませんの。
あれは、奴隷です。人類の」
そういうクロウの表情は、なぜか怒りが籠もっているようである。
白百合が黙っていると、不意に、クロウの表情が明るいものに戻って、白百合のほうを向いた。
「なぜ、黙って聞いてくださいますの? つまらないでしょう、こんな話」
「つまらなくないよ。むずかしい話だな、と思うけれど、退屈はしないもの」
「お優しいのですね、サユリ様は。あたくしに気を使う必要はないのですよ? あたくしは、あなた方のための、パーツのひとつにすぎないのですから」
「昨日も言っていたよね。あなたの言う『あなた方』って、うちの最上家を含めた、藤原の一族って、ことでしょう?
でも、藤原の一族って、なあに? うちの親戚に、藤原って苗字はなかったと思うのだけれど」
「藤原の一族は、藤原の一族です。日本史に出てくる、アレです」
「道長とか?」
「いいえ、あちらではなく、清衡のほうです。平泉の、金色堂を建てた、あの一族です。
藤原秀郷の末裔なのですよ。大百足を退治し、平将門に致命打を与えた、伝説の武人の子孫。つまり、化け者退治はお家芸、というわけです」
白百合は、けんめいに日本史を思い出していた。
故郷の山形で、東北の歴史は別授業で習った記憶がある。たしか、隆盛をきわめた奥州藤原氏であるが、源義経を匿ったことから滅亡に追い込まれたはずである。
「滅んだはず、と思われているでしょう」
と、白百合の心を読むようにして、クロウが、いたずらっぽく笑いながら、指摘してきた。
「実際は滅んでおりません。そも、奥州藤原を滅ぼした鎌倉幕府とて、そう長く血脈を保てずにいた。すぐに世は乱れたのです。頼朝によって四散に追い込まれていた一族が、ふたたび故郷に戻ることは、十分可能でした。素性を隠して戻ってきたのです。
ただし、それは、平泉の復興を願うものではありませんでした。目的はひとつ。ヒヒイロカネの封印です」
「封印? どうして」
「ヒヒイロカネは、人間の怨念をも吸い取り、さらには人を誘惑し、闇に落とす、おそるべきモノ。これを背景にして巨万の富を築いた藤原氏は、いったんはこの世の栄華をほしいままにしたものの、ご存知のとおり、最後はむざんな死をむかえました。
おなじく、ヒヒイロカネを原動力にして再起しようとした義経は戦死、藤原を滅ぼし、ヒヒイロカネを手に入れようとした頼朝も、不審な死を遂げることとなった。ヒヒイロカネは、人と世に、災いしかもたらさないのです」
「そんなの、おかしくない? わたしは、山に眠っているのは、鉱物だって聞いていたよ。ダイヤモンド以上に固くて綺麗で高価だから、争いを招くので、封印しなくちゃいけないって、お祖母ちゃんが言っていたのに」
「それは、サユリ様が正式に巫女としてあとを継いでいらっしゃらないから、真実を教えられなかったのでしょう。
一樹様は、このことをご存知ですよ。ヒヒイロカネは、鉱物などではなく、意志をもつ、怨念の結晶なのだと」
「兄さんが」
兄の名前が出ると、白百合の身体は、自然と震える。
一樹は、じつの兄とは思えないほどに冷酷な男である。
血のつながりなど、かれにとっては、なんの意味もないのだろう。
そうでなければ、自分の意見に従わないというだけで、ほかの親族をバス事故に見せかけて殺すなどということができるはずがないのだ。
「地中から人を呼び、祟りを為す。魔物というよりは、日本古来の『神』のようなものかもしれません。そして武器なのです。人類のすべてに牙を剥く、無差別な殺人兵器。その前には善も悪もありません。
ヒヒイロカネは、怨念を吸い込んで力をつけていきます。ですから、藤原の一族は奥州一帯を霊的に防御し、最強の巫女を卑弥呼のようにあがめて、これに制御を任せることで、千年近くもこれを封じ込めることに成功したのです。
ときおり、どこからか噂を聞いて、ヒヒイロカネをダイアモンドのような鉱物と勘ちがいして探しに来る者もおりましたが、たいがいが、偽の情報に振り回されて、なにも得ずに帰って行ったそうです」
「それじゃあ、あなたも藤原の一族なの?」
すると、クロウの表情が、とたんに消えうせて、ひどくよそよそしいものに転じた。
「いいえ、あたくしは、あなた方のためのパーツ。一族などではありません」
「助けてくれたのは、どうして?」
「パーツだからですわ」
つまらないことを聞く、というふうに、クロウが冷たい目を向けてきた。
白百合は気づいた。
クロウはたしかに命の恩人であるし、親切なのはまちがいないようであったが、一方で、とても冷淡な部分を持っている。
本人は意識しているのかどうか知らないが、その性質は、他者が、あきらかに自分よりも劣っている部分を見せたときに、はっきりあらわれるものらしい。
「ヒヒイロカネは霊力のブースターの役割も果たします。うまく利用すれば、アトラ・ハシースのように、自然を自在にあやつるほどの力を得られます。
が、利用するためには、その誘惑を振り切るための強い意志がなくてはなりません」
「兄さんは、そのことも知っているの?」
「知識としては知っているようですが、実際に制御できるかとなると、怪しいでしょう。
たとえば、アトラ・ハシースとヒヒイロカネを持った人間が戦ったとします。アトラ・ハシースが霊力切れを起こしていないかぎり、勝つのは十中八九、アトラ・ハシースです」
「百パーセントじゃないんだね」
「アトラ・ハシースは万能の『神』ではない。これまでの歴史を紡いできた人類の魂のなかで、選ばれて進化した『人』です。
あたくしたちは、呼吸のメカニズムを詳しくしらないまま、こうしている間も息をしています。それと同じくらい自然に、アトラ・ハシースやアストラルは、霊力を使用して、力を行使します。
かれらを敵にまわすのは愚かなのです」
アトラ・ハシースを尊敬しているというよりも、怖がっているように聞こえるなと白百合が思っていると、クロウは、また冷たい目を向けてきた。
「奥州藤原が滅んだ戦、あれのほんとうの滅亡の原因は、ヒヒイロカネを使って鎌倉方を迎撃しようとしていた藤原に対して、アトラ・ハシースが介入したからです」
「そうなの?」
「もちろん、歴史書には、そんなことは一行も書かれておりません。かれらは決して歴史の表には出てこないのです。そうでなければ、ヒヒイロカネを持つ藤原のほうが、鎌倉方に圧勝していたことでしょう。
そういう経緯があるからこそ、奥州藤原の一族は、アトラ・ハシースやアストラルを、とても恐れているのです。いまもまた、同じ歴史がくりかえされようとしている。
藤原はこれまで静観しておりましたが、千台家の一部を切り崩してもなお、基本世界の行く末に、大きな変化はあらわれない。そこで、共に戦うことにしたのです」
「基本世界って?」
クロウの冷たい目線に、白百合も慣れてきた。
何度目かの冷たい目線を浴びながら、白百合は、基本世界と汎世界、この世界が『夢の世界』であること、基本世界がどういう状況であるか、そしてその世界において、自分がどうなるか、その全てを知った。
死ぬ、と聞いて、もちろん衝撃は衝撃であったが、いま、その話を聞いている白百合は、五体満足な少女である。
占いの悪い結果を聞いたときのような感覚だ。
山の相続権を持っているというだけで、命を狙われ続けているのである。
死は、いつでも頭の片隅にあった。
そうなるかもしれないという最悪の選択肢のひとつ。
白百合が、取り乱さず、平然としていることのほうが、クロウには意外だったようで、それまで、にこやかながらも、よそよそしさの感じられる態度であったのが、すこしだけ和らいだ。
「基本世界の結果を覆すために、あたくしはここに派遣されてきたのです。きっとお助けしますわ。アトラ・ハシースたちも、同じように動いてくれることでしょう」
「アトラ・ハシースとか、アストラルとか、そういう人たちが、みんな過去の英雄だというのはわかったけれど、この世界にいるのは、どんな人たちなの?」
「把握している限りでは、アトラ・ハシースとしてはジャンヌ・ダルク、諸葛孔明、陳承祚、アタチュルク。
ゲオルギウスの霊魂はこの世界から弾かれ、ヴァルハラに帰還したようなので、数には入れません」
「ジョージ先生のことだよね。死んだの?」
「いいえ、アトラ・ハシースというのは、肉体の組成がわれわれとまったくちがうのです。肉体にダメージを受けても、霊力さえあれば、かれらはすぐに復活できます。
ゲオルギウスの場合、肉体の再生もできないほどのダメージを受けた。銀の小人たちは産廃を再利用して生まれた生命体ですが、そのなかのなにかが、ゲオルギウスと相性が悪かったのでしょうね」
「でも、たとえば兄さんや、千台家の人たちがヒヒイロカネを持っていたとしても、アトラ・ハシースのほうが強いんでしょう。勝てるんじゃない?」
「そこが問題なのです。強いといっても、アトラ・ハシースにも向き不向きがあって、いまこの世界にいるアトラ・ハシースのうち、攻撃力の高い者は三人だけ」
「たったの三人?」
「そうです。アトラ・ハシースのほかにも、アストラルがおりますが、これも確認できたのは、イスメト・イノニュ、趙子龍、そしてエティエンヌ・ド・ヴィニヨルのみ。かれらを含めても六人だけの軍隊なのです。
アストラルというのは、アトラ・ハシースのアシスタントを務める者たちなのですが、かれらはアトラ・ハシースが倒れてしまえば、霊力の供給を断たれてしまうので、共倒れになってしまいます。強いと言っても、数のうえでは圧倒的に不利です」
「どうするの」
「ですから、あたくしが来たのですわ。もっと悪いお知らせなのですけれど、この六人だけの軍隊は、どういうわけだか、お互いが、お互いの居場所を知らないまま、べつべつに行動をしています」
「どうして? 仲が悪いの?」
「かもしれませんわね。ですから、かれらを見つけて、一箇所に集めることからはじめなくてはなりません」
「当てはあるの?」
「ありますわ。昨日の大橋のことでもわかるとおり、ある条件に合致した場所には、アトラ・ハシースかアストラルと遭遇できる率が高まるのです」
「どんな条件なの?」
「それは、いまは申し上げられません」
「秘密主義だね」
すこし皮肉をきかせて言うと、クロウはさらりとそれを交わした。
「こう見えても慎重な性質なものですから。
サユリ様は、これから如何なさいますの。本町のマンションにいてくださっても結構です。あとでご報告申し上げますわ」
待っているなど、考えるはずもない。
あきらかに年下の少女が危険な町を行くと言っているのに、自分ばかりが隠れているのもおかしい。
そしてなにより、白百合もまた、黙って滅びを受け入れることができない人間なのであった。
「一緒に行くよ。足手まといにはならないから」
白百合がいうと、クロウは、ただひと言、
「そうですか」
とだけ言って、うれしいとも迷惑だとも言わなかった。
○ 青葉山に向かって橋を渡ると、空襲警報が聞こえてくる。警報が鳴っているあいだに隠れないと、命を落とす
○ 国分町に、幽霊高級クラブがある。そこで殺された少年の怨霊がいる
○ 私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る
○ 五橋のジェイソン。遭遇した時に質問にYESと答えると殺される
○ 仙台アエラの幽霊エレベーター。乗ると異世界に連れて行かれる
○ 青葉城の周辺で深夜になると日本兵の幽霊が行軍練習をする
○ いろは横丁の呪われたパワーストーンショップ。封印された霊がいる。
噂を頼りに、ラ・イールはひとり、国分町をくまなく歩きまわり、二番目の噂にある『幽霊高級クラブ』を探した。
朝の国分町は静かである。
夜ともなると、東北中から人が集まって、ここで飲み食いを楽しみ、あるいは快楽を貪る。
わざわざ他県から、高速に乗って、国分町を目指す者も、めずらしくはない。
なにせ東北一の歓楽街である。大小あわせて3000軒あまりの店が集っている地域だ。
たまに暴力団の抗争事件が発生するが、最近では若い女性客を狙った洒落た店も増えて、闇の濃さは薄まってきた感がある。
夕方ともなれば、着飾った女たちがこの町にやってきて、夜闇に花を添えるのであるが、朝に道を行くのは、駐車場の管理人の親父くらいだ。
営業している場所といえば、コンビニエンスストアや、表通りに店をかまえる一部の飲食店だけ。
そんななかでも、ときどき、大学生らしい若者のグループが、携帯を片手にうろうろ歩きまわっているのが目につく。
朝っぱらから風俗店めぐりというわけではあるまい(営業していない)。
どうやら、目的はちがうが、ラ・イールと同じように、怪談の場所を特定しようと、遊び感覚で町をうろついているようであった。
『マズイな』
というのが、ラ・イールの率直なところである。
怪談の出所がわからない。
これが、敵の罠だったとして、そこに集ってくる人間を、敵…レティクルだか元帥だかわからんが…が、どうするか。
深く考えなくてもわかる。霊力の糧にする。つまりは食っちまうだろう。
署のパソコンで検索してみた結果、噂の広がりは予想以上に早いことがわかった。
若者のグループが探検きどりで何組も、町をうろうろしていることが象徴しているように、怪談を検証することを目的とした急造サイトがいくつも立ち上がっているのだ。
サイト同士で競り合っているところもあった。
『噂で町を混乱させるのが連中の目的だとしたらどうだ。俺たちが助けなくちゃいけない人間が、浅野や千台だけじゃなくなる事態にまで持っていく、つまり、この世界の破壊がやつらの狙いじゃないのか。
けれど、もしそこまで大胆に考えているのなら、この世界そのものをテロでもなんでもいい、ぶち壊してしまえばいいじゃないか。なぜこんなに回りくどい手をつかう?』
そんなことを考えながら、ラ・イールは国分町を歩いた。
入り組んだ路地や、けばけばしいネオンの余韻が残っている道、太陽のもとでは、おどろくほど地味な姿を見せている道、前時代的な、なつかしい風情をただよわせている道、さまざまな道を探したが、つよい霊力を発している場所はない。
罠を仕掛けているのなら、こうも探しにくくするはずはない。
『罠じゃない? じゃあ、この怪談は、なんなのだ?』
国分町の、ほとんどの道を行ったが、結局は、噂どおりの店は見つけることができなかった。
そこで一旦、頭と身体を休めることにして、国分町から離れて、インターネットカフェへと入る。
すでに昼を過ぎていた。
そして朝と同じようにネットで検索をしてみると、怪談検証サイトの一部では、廃業した飲み屋がそれではないかと、画像つきで伝えて盛り上がっていた。
ラ・イールがすぐに思ったのは、「これではない」ということである。
『噂の出所を考えずに動いたほうがいいのかもしれない。
隠してあるとなったら、俺みたいな攻撃型のアストラルじゃあ、なかなか見つけるのはむずかしいな。別な場所を当たるか?』
そして、ラ・イールの目についたのは、
○ いろは横丁の呪われたパワーストーンショップ。封印された霊がいる。
であった。
奇しくも、ラ・イールのいる店から、いろは横丁は目と鼻の先である。
国分町とはちがって、狭いながらも、高級珈琲店から鰻屋、アンティークショップまで、それこそごった煮のように一箇所に集っている場所だ。
低い天井を気にしながら行くと、ほどなく、じつにあっさりと、それらしき店が見つかった。
というのも、その店の近くに来たとたん、ラ・イールは回れ右をしたくなったのだ。
『なんだこりゃ。この気配。この嫌な感じ。でもなんだか帰っちゃいけない気がする』
ラ・イールは、らしくもなく、その店の前で逡巡した。
大人数で何度も行き来できるほどの広さがない場所なので、国分町にいた探検グループも、ここにはいない。
というより、いたとしても、この威圧的な雰囲気に負けて、逃げてしまったのではなかろうか。
『迷っていても仕方がねぇ! 突撃あるのみ!』
心を決めると、ラ・イールは、看板のみで、窓が締め切りになっているその店の扉を、ぐっと横に引いた。
あきれたことに、鍵がかかっていなかった。
開いた扉のすき間から、中を覗こうとしたラ・イールであるが、とたん、内側から、弾丸のように飛び出してきたものに煽られて、のけぞった。
それはあまりに勢いがすばらしく、ラ・イールの目をもってしても、何者なのか、見ることができなかった。
中にいたものは、扉から飛び出すと、ラ・イールには目もくれず、横丁を抜け、そして、どこかへと飛んで行った。
なにか叫んでいたようである。
とりあえず、自身の危険は去ったことだけを、ラ・イールは理解した。
※ この話は、「Give Birth to Heaven・4」につづきます。