ループ3、二日目の朝・1

※ この話は、「Give Birth  to Heaven・3」のつづきとなります。

平日の、出勤途中のOLやサラリーマンを横目に、師走の仙台の街を走る、街の光景にまったくそぐわない日産フェアレディZ。
悪目立ちするその高級車を運転するのは、大きく目を剥いて、いまにも奇声を発しそうな形相の若い男。
助手席には、悠然と、栗色と白と黒のまざった、優美な長毛をなびかせているシェットランドシープドック。

渋滞しがちな朝の仙台の街を行く高級車のなか、助手席のシェットランドシープドックは、こちらを見るバスのなかの乗客や、眠そうな顔を向けてくる乗用車の運転手などを尻目に、運転手たる鈴木剛志に声をかけた。
「ねえ、仙台駅にきちゃってどうするのよ。怪談を調べるんでしょう? 女子高に行くんじゃないの? 千台栄華学院は、県知事公舎のあるほうでしょう?」
しかし鈴木は、まるで患部を麻酔なしに歯医者に削られているような顔をして、寒風を真正面から受けて、叫んだ。
「幻がしゃべるな!」
「いやあねぇ。幻じゃないわよ。ちゃんといるわよ。朝ごはんもちゃんと食べてないから、まともに物も考えられなくなっているのじゃないの? 
ちょうどいいわよ、あそこのサンクスで、なにか買いましょう」
「いらん! 幻が朝ごはんを勧めるな!」
「朝ごはんは、一日のパワーの源よ」
「うるさい!」

鈴木は、まさにそれが正気の命綱であるかのように、ハンドルを必死になって握りながら、一路、街中にある心療内科へ向かっていた。

犬がしゃべるはずがないのだ。
きっと、昨日の事故(?)で打ち所がわるくて、こんな幻を見ているにちがいない。
でもって、こんな派手な車も、俺の趣味じゃない!

混乱の中、三回目のループにおける、鈴木剛志の二日目の朝がはじまった。



千台家の敷地はともかく広い。
ジャンヌは朝の五時に目を覚ますと、顔をあらって、ヨーコからもらった服の上にエプロンを羽織ると、まずは朝食のしたくをはじめた。
もともと家事はおてのものなので、ものの30分もしないうちに、家族全員の食事の支度ができあがった。
リビングにあるアンティークの柱時計を見れば、まだ六時になっていない。
レースのカーテン越しに外を見ると、かえでの木から落ちた葉が、だいぶ芝生の邪魔をしていたので、それを片付けることにした。

一箇所にじっとしていることができない性分なのである。
基本的に働くのが大好きで、しかも熱中しやすいたちだから、なにかをしていないと、逆に安らげないのであった。

十二月の東北の朝は、肌にぴりりと痛みすら感じさせたが、それでも、故郷の村より、仙台は南にあったので、寒さをきつく思うことはなかった。
軍手をはめて、竹箒をうごかし、芝生の上につもったかえでの葉をあつめて、軽く雑草をむしり、ひとだんらくしたら、新聞をとりにいき、仙台の変化をたしかめるべく、庭の瀟洒な東屋にて、紙面をたしかめる。

『やはり、前回のループとちがっているわね。警察本部の不正を追及した記事がない。
鈴木剛志が事故に遭ったことをうけて、逆に記事を控えている、とみるべきかしら。前回じゃ、毎日のように特集を組んでいたもの』
そうした、鈴木剛志の死からはじまる、最上アキラ子につづく千台家のかかわる凶事を追及しつづけたために、浅野家の悲劇が起きるのであるが、新聞紙だけから見れば、悲劇の原因は、なにもなくなっているように見える。
『昨夜が最上アキラ子の最悪の日だったわけだけれど、ヨーコはずっとこの家にいたし、そも、最上アキラ子が当山孔真君の結界に守られている。
これも前回と大きくちがうところだわ。この変化は大きいわよ。さて、レティクルと最上一樹は、どう出るかしらね』
かれらの動向の痕跡が、どこかにないだろうかと、くまなく新聞紙面を追うジャンヌであるが、とくに際立って目立つものはなかった。
『今日はヨーコの学校へ行く。前回のループでは陰もかたちもなかった季節外れの怪談。
これが、果たしてどうわたしたちと関係があるのか、まずはたしかめなくっちゃね』

ふと視線をかんじて顔をあげると、二階の窓のクリーム色のカーテンが、ほんのすこしだけ開いている。
見れば、千台タケシで、早起きね、と感心しながらジャンヌが手を振ると、タケシは、あわてて窓のなかに引っ込んでしまった。

千台家は、某ファミリーレストランに似た外観を持っているのであるが、建物は大きくわけてふたつあり、母屋のほうが千台潮とナミ、そしてヨーコが住んでおり、別棟のほうに潮の弟夫婦と、タケシが住んでいる。
母屋と別棟をつないでいるのは二階にある渡り廊下だけで、建物にはそれぞれ別に玄関があり、いざとなれば、同じ敷地内に住みながら、没交渉のまま生活することも可能なつくりになっていた。
『あんまり好きな建て方じゃないわね。わざわざ人と人のあいだに距離をつくるような建物だわ』
見た目に清清しい印象をあたえる白樺の木に囲まれた屋敷で、壁の色も屋根の色も明るい黄色でまとめられ、おなじくカーテンもクリーム色と、軽妙さを出そうとしているのだが、しかし、意図に反して、全体に漂う印象は、寂しげで生活感がない、というものである。
『こんなに立派な家なのに、まるで倉庫みたい』
人と人のかもしだす、活気や熱気というものが、どうも感じられない。
とてもではないが、六人もの家族があつまって住んでいるようには見えないのだ。
『家って、人の感情を封じ込める重石みたいなところがあるわね。器ばかりが立派じゃいけないんだわ。
この家は、家族を守る器をつくる大人がだれもいない』

そして、ジャンヌは、大きく深呼吸する。
肺のなかいっぱいに、朝の冷気が入り込んでくるのが心地よい。
『なら、わたしが作るしかない。仮の器だけれど、無防備なままよりはいいでしょう』
少女は、太陽の昇ってきた方向にむけて手を組んで、静かに祈り始めた。
家をやさしく抱き込むイメージを頭に浮かべて、静かに、熱心に祈る。
すると、それまで沈黙を守ってきた庭木たちが、祈りに応じて、さやさやと揺れた。
風は吹いていない。
「ありがとう、助けてくれるのね」
ジャンヌが言うと、まさにそれに答えるように、庭のあちこちから、草木の青々とした、すがすがしい芳香がただよってきた。
『さあて、これでよし。タケシも起きたようだし、ヨーコを起こそうかしら』

ジャンヌは新聞を丁寧に折りたたむと、それを脇にかかえて、竹箒や枯葉の片づけをして、台所の裏口から、母屋のほうに入った。
すると、おどろいたことに、台所の、通いの家政婦向けに置いてあるダイニングテーブルで、ヨーコがすでに制服に着替えて、ジャンヌが用意した朝食をすでに食べていた。
まだ顔を洗っていないらしく、髪もセットされていない。
ちなみに、朝のメニューはフランスパンとクランベリージャム、コーヒーと、スクランブルエッグにベーコン、付け合せにアスパラガス、ポテトと人参のサラダ、デザートにキウイである。

ジャンヌが台所に入るや、ヨーコは、ほとんど牛が唸るような低い声で、言った。
「おはよ。先に食べていたから。タケシのやつはいらないってさ」
ヨーコは片方の肘をついたまま、いかにも義務、といったふうに、フランスパンを食べている。
TVで朝のニュースを見ているのだが、あまり熱心に見ている様子はない。
五橋で暴れたヨーコを、ジャンヌはむりやり眠らせて連れて帰ってきている。
そのことで怒っているのかもしれない。

「おはよう。いつも台所で食べるの? 食堂が別にあるから、そっちで食べているのだと思っていたわ」
「いつもは自分の部屋だけどさ」
無愛想ながらも、返答するヨーコ。
しかし目は、決してジャンヌとあわせようとしない。

ジャンヌはちいさくため息をつくと、ヨーコの向かい側に座って、新聞を置くと、コーヒーメーカーからカップにコーヒーをついで、自分も朝食を食べ始めた。
「一人で食べても美味しくないでしょう? 明日からは、一緒に食べましょうよ。声をかけてくれたら、すぐに行くわよ」
ジャンヌの提案には答えず、ヨーコは目をTVに向けたまま、たずねてきた。
「庭でなにしてたの」
「この家を守るための結界を張っていたの。応急処置的なものだけれど、銀の小人くらいなら、弾くことができるわ」
「親父が帰ってこないのも、もしかしてそれ?」
「お母さんも帰っていないようよ」
「おふくろは、会社をあちこち持ってるから、週の半分は外泊なんだよ。
町中にマンション持ってるんだぜ。ぜっったい、離婚対策だよ。
って、それはともかく、親父はもしかして、家に入れないでいるの?」
「ちがうわ。ラ・イールから聞いたのだけれど、行方不明になったようよ」

あっさりと答えるジャンヌに、さすがのヨーコも、食べかけのフランスパンを皿に置いて、今朝、はじめてジャンヌと真正面から顔をあわせた。
「は? 行方不明? あんたたちが拉致ったとか?」
「拉致なんてしないわよ。だいたい、どこに閉じ込めておくの」
「だって、うちの親父のやつが、浅野の親父や新聞記者を殺した黒幕なわけでしょ? 
あんたたちからすれば、ちょー敵じゃん。親父が死ねば、未来もだいぶ変わらね?」
「それはそうしたほうが早いでしょうけれど、わたしたちアトラ・ハシースは、よほどでないかぎり、そんな荒っぽい方法は使わないわよ。
いくら目的が正義のためと定義してみせても、人の命をひとつ奪えば、その分だけ希望も失われるの。
すべては対価なのよ。光があり、闇がある。どちらかだけ、ということはないわ」
「なんか、よくわかんねーんだけど」
「たぶん、あなたのお父さんは、だれかに匿われているのじゃないかしら。
レティクルか、あるいは最上一樹かもしれないけれど。死んではいないはずよ」
「アトラ・ハシースは親父を殺したりしないし、レティクルと最上一樹にとっちゃ、大事な駒だから、殺されないだろう、ってこと?」
「そうよ。ポテトサラダ、まだあるわよ。食べる?」
「いらない。もともと朝メシは食べないんだよ」
「よくないわ。食べなくちゃ、頭が働かないでしょう。ベーコン冷めたんじゃない? 温めるけれど。
レンジって便利よね。むかしはあたたかい料理なんて、ほんとうに贅沢だったのよ」
「レンジはどうでもいいよ。ベーコンもあっためなくていい。つーか、あんた、さっきから見てると、ちっともじっとしてなくない? もしかして多動性ってやつ?」
ヨーコが言うと、ジャンヌは大いに顔をしかめた。
「そうなのかしら? たしかに落ち着きがないって、よく言われる」
「あー、ええと、それはともかくとして、なんだっけ。そう、親父だよ。どうするの?」
「どうするのって?」
「助けたりしなくていいわけ?」

ヨーコの言葉に、やはりひどい目にあわされても、父娘の情があるのかしらと、うれしく思ったジャンヌであるが、しかしヨーコは、銀のデザートスプーン片手に、キウイをつつきながら、言った。
「どうせなら見殺しにしたいくらいだけどさ」
「なんてことを言うの、あなたのお父さんのことなのに!」

言いつつ、ジャンヌは、キウイの皿を、さっとヨーコの前から取り除けた。
デザートスプーンは、むなしくテーブルの板をつつく。

「あ、なにすんだよ、ビタミンCよこせよ!」
「朝ごはんは食べないんじゃなかったの? お父さんのことを、そんなふうに言う人に、デザートなんてあげません」
「ここんところ、ストレスで肌荒れがひどいから、ビタミンCだけは取りたいんだよ!」
「ストレスじゃなくて、夜遊びのせいじゃないの」
「あんた、けっこう毒舌だよね。それに強引だしさ! 
あたしが昨日のこと、忘れたと思ってない?しっかり覚えてるからな! あんたって、聖女っぽくない!」
すると、ジャンヌはにっこりと、まさにラファエロ描くところの聖母のように、優しげな笑みを浮かべた。
「いつもニコニコわらって、なにされても、いいですよ、許してあげますよ、お好きにおやりなさい、っていうのが、あなたのイメージする聖女かしら?」
「そうかも」
とたん、ジャンヌは笑みを引っ込める。
「残念でした。厳しいのが聖女なの! まず先に昨日の件から言うけれど、あれは、わたしが正しかったと思っているわ。
もしあなたの思うとおりにさせていたら、いまこうして、ゆっくり朝食を食べていられなかったでしょうね!」
キッパリいうジャンヌに、気圧されるかたちで、ヨーコは顔をしかめた。
「うわ、直球だなー」
「回りくどいのはきらいなの! それと、ここもはっきりさせておくわね! 
お父さんのことだけじゃない、だれのことだって、そんなふうに小馬鹿にしたふうに言うものじゃないわ。
たとえ、あなたのほうに、相手を罵倒するきちんとした理由があってもね」
「なんでさ。それじゃあ、こっちはやられっぱなしで、悔しいじゃんか」
「やられたらやり返すという発想は、問題ね」
「聖書にだって、目には目を、歯には歯を、ってあるんだろ」
「実際にその言葉を実践して、幸せになった人は見たことがないわ。汝の敵を愛せよ」
「無理! つーか、あんた、それなら自分を否定してなくない? 汝の敵を愛せよなら、どうしてイギリスだっけ? そいつらと戦ったのさ」
「だって、声がそうしろと言ったのだもの」

この問答は、ジャンヌ・ダルクという少女をめぐって、それこそ生前からくりかえされてきたものである。
その問いの答えに対しては、もはや、明確な答えはない。
『神が命令したのだ。その命令に含まれる深遠な意味を、人間が知ることはむずかしい』。

「声ってなに?」
「声は声よ」
「なんかわかってきた。あんたって、わけわかんないやつなんだ」
「それもよく言われる。困ったわね」

ジャンヌは真剣に困っている。
自分が当たりまえに出来ることだから、当たりまえの感覚を他者に説明するのがむずかしいのだ。
たとえば人間が、呼吸をしなくても生きていける人間(もし存在するとして)に、どうして呼吸なんてするのだと問われたとき、やはり同じように困惑することだろう。
そうしないと窒息して死ぬからだとけんめいに答えたとしても、相手は、自分と同じ体験をできないのだ。
そうなると、もはや相手の想像力や理解力に頼るしかなくなり、増すのは苛立ちと孤独感ばかり、という結果になる。
生前から、同じ体験をくりかえして、これに慣れているかと問われれば、やはり答えは否である。
自分が人とあきらかにちがうということの孤独感は、信仰の力をもってしても、なかなかぬぐいがたいのである。

「困られてもさー。つーか、もういい。あとで考える。
で、なに、今日って、どうすんの? アコとか、親父のこととか、いっぱいあるじゃんか」
大昔のしつこい神学者とちがい、ヨーコは気持ちの切り換えが早いのか、それとも飽きっぽいのか、すぐに議論を打ち切りにした。
ジャンヌは、ヨーコの単純さに安堵して、自分も気持ちを切り替えることにした。
「お父さんのことは、ラ・イールが調べるわ。わたしたちは、最上アキラ子のことを調べたほうがいいでしょうね」

そして、ジャンヌは、ラ・イールから聞いた怪談のことを説明した。

「へえ、じゃあ、前回のループで、なにか大きな事件があった場所が、ぜんぶ『怪談』になっているってこと? 面白いじゃん」
「面白がってばかりもいられないわ。レティクルが、わたしたちをおびき寄せるために流しているものかもしれないのよ。慎重にならなくっちゃいけないわ」
「でもさ」
と、ヨーコは、ふと頬杖をついて、気むずかしい顔になる。
「うちの学校の怪談? なんか、嫌な感じしねぇ? 
『私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る』ってさ、アコ、生きているよね?」
「たぶん、大丈夫だとは思うけれど、気になることは確かね。
わたしはその場にいなかったからわからないのだけれど、処女王と諸葛孔明と、そしてあなたとで組んでメアリさまと戦ったとき、だれか犠牲になった子はいなかったの?」
「うちらのほうは、だーれも。浅野も無事だったし、目つきのわるい中国人もそうだし。
ま、あえて言うなら、メアリ……そうか、メアリのことかもね」

ヨーコのことばに、ジャンヌは、なるほど、と納得した。
「そうなら、罠の可能性が高くなるわね。
ラ・イールが言うに、怪談のひとつ『青葉山に向かって橋を渡ると、空襲警報が聞こえてくる。警報が鳴っているあいだに隠れないと、命を落とす』は、まさに青葉山に籠もっているレティクルのことを指すらしいの。うっかり近づいたら、警報のサイレンが鳴るらしいわ」
「マジかよ。展望台にいけねー。仙台の観光の目玉がピンチじゃんか」
「一般の人なら平気よ。わたしたちのように、霊具を持っていると、だめみたい。
どうする? あなたの意思にあわせるけれど、学校に行ってみる? それとも、ほかの作戦を考える?」
「五橋は、相変わらず真っ白けなんだろ?」
「そうね。ラ・イールがずっと仙台市内をまわっているはずだけれど、変化があったという連絡はないわ」
「なら、学校に行こうぜ。ほかになんも思いつかないし。
それに、あたしの鏡の力があれば、逆に鏡に映っている少女の霊とやらの正体も暴けるんじゃねーの?」
「ああ、そうね、そうしましょう。それじゃあ、さっそくお弁当をつくらなくちゃ」
「弁当って……あんた、購買で買えばいいじゃん」
「冷蔵庫、見た? こんなにたくさん食材があるのに、外に出てあらためて買うなんて、勿体ないじゃない。お昼もパンになるけれど、いい?」
「いや、いいけどさ。作ってもらえるなら」
「工場でつくったものより、わたしの作ったほうが、ずっと美味しいわよ」
「たしかに美味しかったけどさ、あんた、ケンソンって言葉、知ってる?」

呆れるヨーコを後ろに、ジャンヌは自分たちの使用済みの食器をてきぱきと食器洗い器に入れて、そして冷蔵庫から食材を取り出すと、これまた手際よくサンドイッチをつくりはじめた。
なんだかんだと台所のテーブルから離れず、椅子についたまま化粧をはじめたヨーコは、ジャンヌの思わぬ手腕に、おどろいて見物している。

「すげえ。うちに通ってきている家政婦さんより早いよ」
「そうなの? あら、ピクルスがないのね。いまのうちに作っておこうかな。
それと、にんにくもないみたい。帰りに買ってこなくちゃ。ここの最寄の八百屋さんって、どこになるの?」
「家政婦さんにメモをしておけば、ほかの買い物のついでに買ってきてくれるよ。
っていうか、にんにくないの、まずくね? 24時間営業のスーパーで買ってから学校に行こうぜ」

玉ねぎをみじん切りにしていたジャンヌは、ふしぎに思ってヨーコを振り返った。
「どうして? 今日は家庭科で調理実習でもあるの?」
「あんた、よく調理実習なんて知ってるじゃん」
「だって、アトラ・ハシースだもの」
「ああそう……って、それはいいよ。女王たちから教えてもらったんだけどさ、あんたは吸血鬼にも狙われてるんでしょ? 対策に持ってなくちゃ、だめじゃん。
にんにく持ってりゃ、吸血鬼は寄ってこないんだろ?」
「ああ、それ、意味ないわ」

あっさりと答えて、ジャンヌはふたたびサンドイッチづくりに入る。
耳を切った食パンにマスタードとバターを塗っていると、絶句していたヨーコが復活して、たずねてきた。
「吸血鬼を退治するにはにんにくって、デマってこと? ちくしょー、いままで信じてたのに。だまされた」
「そうじゃなくって、スラヴ地方のヴァンパイアには効果があるのよ。
わたしを狙っているジルは、吸血鬼とはいっても、死人から蘇って血を吸うヴァンパイアとは別のものよ。
かれは、一般の吸血鬼とちがって、一度も死んだことのない、不老不死の身なの。太陽の光も平気だし、にんにくだって怖くない。十字架にだって耐性があるわ」
「は? それじゃあさ、なにが弱点なの? ふつう、なんかあるじゃん。狼男には銀の銃弾、とかさ」
「ラ・イールが試したことがあったけど、死滅させることはできなかったって。
ジルはね、生前に、黒魔術にふけって、金にあかせて、ありとあらゆる儀式をみずから行ったのよ。
儀式の大半は、詐欺師にたぶらかされて行った、まったく意味のないものだったようだけれど、かれは古文書を読んで研究もしていたから、もしかしたら、そのなかに、本物の効果を引き寄せる術があったのかもしれない」
「なに、もしかして、呪詛って、自分で自分に呪詛をかけたかもしれない、ってこと?」
「只人の呪詛っていうのはね、やはりこれも対価なのよ。相手に与えるダメージと同じぶんだけ、自分に戻ってくる。
呪詛を行う人間は、跳ね返るリスクも知っていたから、それを回避するすべを持っていた。
ジルに呪詛をかけたのは、当時の司祭だというけれど、名前が残っていないのよ。
ジルは当時のフランス元帥で、大貴族の当主だった。逮捕されてからも、詳細な記録が残されているのに、呪詛云々に関しては、伝承としても消え去っている。不自然だと思わない? 
でも、ジルは実際に吸血鬼として存在しているわ」

「うわー、ホラーだなー」
と、ヨーコは、自分のほうが、よほどおそろしげな、けばけばしい色を基調としたメイクをしながら、顔をゆがめた。
「怖がることないわ。わたしがいるもの。きっと守ってあげるわよ。
それに、呪詛というからには、なんらかの解除の方法があるはずなの」
「へえ、その解除の方法が、つまり、退治する方法、ってこと?」
「おそらくね。その方法さえ見つかれば、ジルを解放してあげることができるの。それとね、ヨーコ」
「なにさ」

アイラインを引こうとしていたヨーコは、ジャンヌに呼びかけられて振り向いた。
ジャンヌは、手でせっせと、洗ったレタスの水を切りながら、真剣そのものの顔で言った。
「そのメイク、似合ってないわ」
「う、うるせー! 自分がスッピンで勝負できる顔だからって、いばるなよー!」

ちょうどそのとき、ジャンヌのエプロンのポケットのなかの携帯電話が鳴った。
急いで手を洗って、エプロンの裾で水気を拭いて電話に出れば、ラ・イールである。
どうやら、どこか路上から架けているらしく、風の音と、早くも街に流れているドラッグストアのCMソングが背景から流れてきた。
『いまブンチョウ(国分町)にいるんだが、とりあえず報告だ。
鈴木剛志はどうやら、例の中国の大作家さまのワン公とおしゃべりしたらしいな。いまパニくって、心療内科に駆け込んだ。
自慢のフェアレディZをエンジンふかしたまんま、路上に放置しやがって、盗まれるっての。ったく、ここから動けねえじゃねぇか』
「そんな言い方をするものじゃないわ。記憶はまったく戻っていないのね?」
『だろうよ。でなくちゃ、あんなふうに、うっかり地雷を踏んじまったような顔をしてないだろうな。
ま、ともかく様子を見て、俺はこれから、国分町の怪談を洗ってみるつもりだ』
「わたしたちは、学校へ行くわ」
『千台家のお嬢さんとはうまく仲直りしたのかい』
「ええ、大丈夫よ」

そんなやりとりをする二人に、ヨーコは立ち上がって、携帯電話に耳を寄せる。
「だれ? あんたのパシリのラ・セーヌとかいうやつ?」
『いま聞こえたぞ! パシリってなんだ! そして俺はラ・セーヌじゃねぇ!』
「ラ・セーヌじゃなくて、ラ・イールよ。ところで、パシリってなに?」
怪訝そうにするジャンヌに、ヨーコのほうがあきれて、言った。
「なんで調理実習を知ってて、パシリをしらねぇんだよ。それとも、そいつ、あんたのカレシかなんか?」
『お』
みじかい言葉のなかに、ラ・イールの多大なる期待が籠められる。
が、ジャンヌは即答した。
「ちがうわ。たぶん、パシリとかいうほうだと思う」
『ラ・ピュセル……』
「パシリがなんだって?」
「国分町のほうを、探ってくれるって。そうだ、念のため、今日の五橋の様子がどうか、見てもらいましょう……って、あら? 切れているわ。なぜかしら?」

首をひねるジャンヌであるが、その携帯電話の電波の向こうでは、大男が朝の繁華街で、しょんぼりと肩を落としていることを知らない。

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※ この話は、「ループ3・二日目の朝・2」につづきます。