仙台、ふたたび・8
※ この話は、「仙台、ふたたび・7」のつづきとなります。
「偉大なる祖国の名を冠せし我にて革めよ、光に命ずる、邪なる影よりわれらを守れ!」
マナブの背後にいた男が叫ぶのと、目のまえにいる奇妙な影が手を伸ばしてくるのは、ほぼ同時であった。
マナブは、ひたすら立ちすくんでいたのだが、そのとき、はっきりと、まるで濃い黒のスライドような影の向こうに透けて見える光景が、目に飛び込んできた。
だだっ広いフロアのなかに寄せ集められているデスクのまえにいる父が、おどろいたようにこちらを見た。
「お父さん!」
マナブはもういちど叫んだ。
とっさに、正体のわからない影への恐怖よりも、家でじっと父を待ち続けている母のことが頭に浮かんだ。
父を家に連れ戻したい。
母の望みをかなえてあげたい。
マナブの心はそれだけであった。
はっと気づけば、影が目のまえに大きく立ちはだかり、いまにもマナブを捕らえようとしている。
その野太い輪郭をもつ腕がマナブを捕らえようとしたそのとき、マナブのまえに、ぱっと大きな光の壁が出来た。
影は、マナブを捕らえようとしたのであるが、光の壁に触れると、とたんに弾かれたように、大きく後退した。
相当な力であったらしく、影のかかとは、後退すると同時に、敷き詰められていた絨毯をいっしょにアコーディオン状にめくってしまっている。
目のまえに障害がなくなって、はっきりフロアが見渡せた。
広い窓のないフロアのなかに、煌々と明かりを灯した一角にいる父のまわりには、同じ年代の男たちと、少数だが女も含まれていた。
子ども心にも、かれらがごくふつうのサラリーマンなどではないことは、見てわかった。
どれもこれも、一攫千金のためには手段をえらばない、山師の顔をしている。
かれらの驚きの表情のなか、父の一樹だけが、早くも立ち直りをみせた。
マナブの姿をみると、最初はおどろいていたのだが、やがて顔をはっきりと嫌悪にゆがめて見せた。
父からのあからさまな拒絶の反応に、まえに進もうとしていたマナブの足はすくむ。
しかし、それでもまえに進もうと思ったのは、やはり母のためである。
お父さんを連れ戻す。
その一心でエレベーターから飛び出そうとしたマナブであるが、背後より、ランドセルごとがっしりと肩をつかまれて、動けなくなってしまった。
振り返れば、あの金髪の男である。
その腕力は、男の細身の身体から想像するに、思いもかけず強いものであった。批難をこめて顔を上げて男を見るが、男のほうは、眉を片方だけ吊り上げて、いう。
「気持ちはわかるが、いまは引きたまえ。影は一体だけではない」
男がいうのと同時に、となりにいたタケシが、甲高い声で悲鳴をあげた。
ふたたびフロアを見れば、驚いたことに、一樹のいるデスクを中心に、さきほどと同じく、たくさんの影が、ゆっくりとこちらに向かってゆらめいている。
さきほど、男によって弾き飛ばされた(?)影も、衝撃からたちなおって、ゆっくりと、ふたたびエレベーターへ向かってきているのだ。
マナブのランドセルを掴んでいる男は、舌打ちして言った。
「光の盾は防護のみならず、浄化の力ももっているのだ。これでたいがいの邪霊は浄化できるのであるが、これはただの霊ではないな」
「霊って? 霊って? これって、これが、幽霊なの?」
すっかり混乱しているなかでも、霊ということばに反応して、ふるえた声でタケシが男に問うと、男はそうだ、とうなずいた。
「この影の正体がわからぬ以上は、むやみに戦うわけにはいかん。
ここでデウカリオンの牙をつかってもよいのであるが、場所が悪すぎる。
このフロアがアエラの一部であることはまちがいない。派手に兵士たちに戦わせたなら、おそらくはほかのフロアにも影響がでる。どころか、ビルが倒壊してしまうかもしれない。
911のテロのような状況になるのは避けたいものだ。さて、どうしたものかな」
そして金髪の男は、マナブだけではなく、いつのまにかタケシのランドセルもがっしりと掴んで、最上一樹をまっすぐとにらんだ。
「どうやら、こちらが仕掛けぬかぎりは、向こうから仕掛けるつもりはないようだな。
罠が張っている可能性もある、というわけか」
「あのさ、幽霊、つかまえよう!」
「お父さんと話をさせてください!」
男がよくしゃべるので、ゆらゆらと揺らめくたくさんの影をまえにしても、マナブとタケシの緊張は、ほぐれてきた。
ふたりして男に言うと、男は、なにをいうか、といわんばかりに唇をゆがめた。
「大胆な子どもたちだな。状況がわかっておらん。君、あの男を父と言ったが、夏目マナブか?」
ずばり自分の名を言われて、マナブは仰天しながらもうなずいた。
「うん。どうして知っているの?」
問うと、男は誇らしげに、むん、と胸を張った。
「それは、余が完全なる者であるからだ。初日から関係者と再会するとは、運がよい。では、そちらの少年の名は?」
「千台タケシ」
「重畳である。いいではないか。これは幸先がよいぞ。
そして、いま目のまえにいる男は、最上一樹か。これで四人目であるな」
「四人目?」
ふしぎそうにマナブが問うと、男は意味ありげに、にやりと笑ってみせた。
「この世界の重要人物との再会が四人目ということだ。
これまでのループでは、われらが近づくことができなかった最上一樹が、いよいよ最前線に出てきたな。そうでなくてはならぬ」
「お父さんの知り合いなんですか? だったら、お父さんに家に帰ろうって、一緒に言ってください!」
マナブのことばに、しかし男はいたわしそうな目を向けてきた。
「健気なことを言う。けれど、あの影が見えるだろう。あの男が影を操っているのだ。
おそろしく知恵がまわる分、千台潮よりもなお厄介な敵が、あやつだ」
「敵って、うちのお父さんは、お化けなんか操れません!」
マナブは男から目線をはずして、父の一樹のほうを見た。
一樹のほうは椅子から立ち上がり、やはりむずかしい顔をして、こちらを見ているのであるが、その目は、マナブではなく、背後にいる金髪の男に向けられていた。
「完全なる者?」
一樹の声に、マナブははげしく動揺した。
やはり父だ、まちがいない。
「お父さん、家に帰ろうよ!」
マナブのことばに、しかし、一樹はうるさそうに顔をゆがめると、一喝した。
「うるさい、マナブ、黙っていろ! よけいなやつを連れてきやがって、前回のラ・ピュセルといい、おまえは俺に不利なことばかりしやがる!」
一樹のことばの意味はわからないものの、叱られているということだけはわかり、マナブが答えられずにいると、背後の男は、さきほどよりも、声を強ばらせて、言った。
「それがわが子に対する口の利き方か! なんという薄情な男だ。おのれの息子の健気さに感動することもないのか!」
男は怒気を吐くと、ひと呼吸おいて、さらに言った。
「おまえが、われらと同じく記憶を引き継いでいるとはな」
「さあて、やっぱり俺はヒヒイロカネに選ばれたんだろう。白百合じゃなく、俺が、だ」
「ヒヒイロカネは、ただの物質だ」
「そう思うかい。あんたたちが持っている霊具にだって、意志をもつものがあるだろう。
ヒヒイロカネは、霊具とまったく同じ性質があるんだぜ。だったら、意志を持つものがあっても、おかしくないじゃないか」
「意志をもつ? つまりはなにかの声が、おまえに聞こえているのか」
「ここから出せという、怨嗟の声が聞こえるよ。だから俺はそれに従うのさ」
「声の主は?」
「知るか。だれであろうと、俺に力を貸してくれるのなら大歓迎だ。
俺が起業に失敗したとき、世間のやつらは冷たかったよ。大学の同期だって、やっぱりコネのすくない地方出身者は駄目だ、なんていいやがって、ちっとも助けてくれやしなかった」
「人の手助けを頭に含めて起業するものがあるか、たわけもの」
「あんたは生来の一匹狼だったな。あいにくと、俺はあんたほどに強くはない。これは誉めているんだぜ。
あんたの国は遊牧民の国だから、蒼き狼をいつでも待ち望んでいる。
けれど、日本と言う国は、英雄を好まない。成功者は足を引きずられて、凡者と並ぶように強要される。
俺も同じ目に遭った。だまされて、利用されて、踏みつけにされた。
地方の人間だから、東京じゃ、影響力がすくないだろうから、自分たちが痛い目にあわせられることもないだろうという計算もあっただろうな」
「どこの時代、どこの国でも、地方出身者への差別は存在する。
この国はそれが少ないほうだろう。おまえのその恨みは、あまり的を得ているものではないぞ」
「あんたみたいな成功者には、俺の気持ちはわからんだろう」
「余とて、生粋のトルコ人ではなかろうとか、なにやら輪になじまぬ変わり者だとか言われて、ずいぶんと挫折を味わったのだが、そういうところを、何故におまえは見ないかな」
と、男はうんざりしたように一樹に言った。
「ところで、その影は、おまえが作ったのか。よく出来ているな」
男が感心したように、徐々にエレベーターの入り口にあつまってきている影を見て言うと、デスクに両手をついて立ったままの一樹は、得意そうに、にやりと笑った。
「よく出来ているだろう。ヒヒイロカネから俺が作ったんだ」
「うむ、独創性はある。これは、なんだね」
「うまく情報を引き出して、戦略を組み立てようとしているのが見え見えなんだが」
「仕方あるまい。情報を知りたいのだから。で、いまのやりとりからするに、おまえのこの影は、ずいぶんと性能がよいようだな」
「どうしてわかる」
「おまえは慎重な男だ。だからこそ、いままで前面に出ず、千台家を表に出してきた。
それがこうして余と対峙してもなお、堂々としていられるということは、ハッタリでもなんでもなく、この影の性能に自信があるからだろう」
「そのとおりだ。あんたは、頭の回転が早い。で、どうするね」
「帰る」
いいざま、男は、タケシのランドセルを掴んでいた手を、ぴっとエレベーターの「閉」ボタンに伸ばした。
ぽん、と音がして、あっさりとエレベーターは閉じられた。
「幽霊!」
「お父さん!」
無情に閉ざされた扉にひとしきり叫んだあと、マナブとタケシは、それぞれの恨みをこめて、背後にいる男をふり返った。
子どもふたりの剣呑な目線に、男は、謝罪の意をこめてか、片手の手のひらを向けて見せる。
「余は男に嫌きらわれるのはすこしもかまわぬが、子どもと女に嫌われるのは好まぬ」
「元の階に戻ろうよ!」
マナブが抗議も含めて訴えると、しかし男は首を左右に振って、親指でもって、くいっとエレベーターのボタンを示した。
「あの階が何階だったか覚えているのかね」
「う、それは」
口ごもりながらタケシのほうを見ると、タケシは、なにも見ずに適当にボタンを押した動作を再現している。
そして指を伸ばした先を見て、言った。
「14階!」
「いいや。14階は専門学校だ。ためしに行ってみるかい」
勢い混んで二人がうなずくと、男は14Fのボタンを押した。
エレベーターはほどなく14Fに到着したのであるが、目のまえには、向かい同士になっているエレベーターのある、ふつうのフロアで、降りてみると、たしかに専門学校の入り口があるだけであった。
「じゃあ、15階か、13階かも!」
食い下がるタケシに対して、男は悠然と、エレベーター乗り場の青い絨毯を踏みながら、答えた。
「いいや、どちらもふつうのフロアだよ。エレベーターではなくて、階段で行ってみたらわかる」
「階段じゃだめだよ。だって、幽霊エレベーターでないと、あのフロアには行けないはずなんだ」
「ああ、さっき言っていた、怪談のことだな。
たしかにその怪談は真実を含んでいるかもしれないが、しかし全部があたっているわけではない」
意味ありげな男のことばに、タケシとマナブは顔を見合わせた。
「おじさん、怪談の意味がわかるの?」
「わかるというか、推理であるが、君たちは子どもではあるが部外者ではないから、ある程度は教えてもかまわぬだろう。
おそらくは、さきほどのフロアは、このビルの次元をゆがめて霊力で生成した結界のひとつだ。
あの結界に向かうためには、特定のエレベーターで、なにか特別な操作をしなければ、たどり着けないようになっている」
と、そこまで口にして、男は尖ったあごをさすりながら、一人合点した。
「そうか、おそらくその操作というのは、そうむずかしくないものにちがいない。だからこそ、只人があやまってあのフロアに入ってしまうことがあるのかもしれない。
さきほどの影が、ヒヒイロカネの力によって姿を変えられた、怨念の塊であったとしたら、どうだ?」
「このおっさん、なにを言っているんだろう」
と、タケシがぼそりとつぶやく横で、マナブは父が口にしていた言葉のひとつひとつを思い返していた。
ヒヒイロカネとか、怨嗟の声とか、いったい、父はなにをしようとしているのか。
せっかくお父さんに会えたのに、こんなこと、お母さんに教えられない。
マナブが落ち込んでいると、ふと、男のコートの片方のポケットのなかで、なにかがもぞもぞと動いているのが見えた。
なんだろうと思って見つめていると、ポケットのなかから、妙に目つきのわるいハムスターが、ひょこりと顔を出してきた。
「あ、ここはペットの持ち込みは禁止なんだぞ!」
自分はよく規則を破るが、ひとが規則を破ることはゆるせないタケシが指摘すると、男は思い出したようにハムスターを見下ろした。
「ああ、すっかり忘れていた。こら、逃げるな。逃げるとひどいぞ。どうひどいかというと、無力なハムスターに世間は容赦がないからだ。
猫に食われてしまうかもしれぬし、車に引かれてしまうかもしれぬし、ドブネズミにいじめ殺されてしまうかもしれない。
それでもよければどこへなりといけ。言っておくが、おまえにかけた呪詛は、余かヴァルキューレでなければ解除できぬぞ」
ハムスターは男のことばの意味がわかっているのか、ポケットのなかで、身も世もない、というふうに暴れている。
一方で、マナブは思い出すことがあった。
すっかり忘れていたが、千台潮のことである。
たしかに千台潮はこの男と連れ立って歩いていた。
そして言い争っていたようである。
言い争いの声のなかで、この男は、はっきりと言わなかったか。
ハムスターになってしまえ、と。
もしや、これが千台潮ではないだろうか。
蒼ざめてハムスターを見るマナブであるが、横をちらりと見れば、タケシも同じことを思い出したらしくやはり血の気の引いた顔をして、じっとハムスターを見ている。
「あのさ、おじさん、何者なの?」
ハムスターを見つめたまま、タケシが言った。
すると、ポケットの蓋をして、簡単にハムスターが逃げられないようにしながら、男は答えた。
「ムスタファ・ケマルと言う。トルコ人だ。知っているかね」
問われて、マナブもタケシも、素直に首を横に振った。
すると、男は、おお作りの顔を不満げにしかめてみせる。
「なんと、最近の小学生は、わが名を知らぬか。
ちなみに問うが、エリザベス一世は知っているかね」
「うん。イギリスの女王」
「では、ジャンヌ・ダルクは」
「フランスの女騎士だったっけ。えらい人」
「ジークフリート」
「知ってる。北のどっかの英雄」
「ゲオルギウス」
「ドラゴンを退治した人だよね。ファンタジー小説で読んだ」
「む。それでは諸葛孔明は」
「それ、いちばん知っているよ。PSの『三国ウヒョー』にキャラで出てたもん。弱いんだぜ」
タケシがいうと、ケマルは、『余もゲームとやらに参加すべきであろうか』などとぶつぶつ言っている。
そのコートの片方のポケットのなかでは、相変わらずハムスターが暴れているのだった。
ハムスターの存在に気をとられつつも、タケシはたずねる。
「あのさ、ケマル、さんってさ、もしかして、霊媒師とか、エクソシスターとか、そういう人なの?」
「いいや、それよりも、もっとえらい人だ」
きっぱりと言ってのけたケマルに、タケシは気圧されるかたちで口をつぐんでしまった。
それを引き継ぐかたちで、マナブはたずねた。
「どうしてお父さんを知っていたんですか? お父さんは、何をしているんですか」
「それは余が、アトラ・ハシースであるからだ。君は覚えていないのか」
なにやら激しく心が波立つのであるが、しかし記憶に思い当たるものがない。
咽喉に何かがつっかえているような違和感をおぼえながらも、マナブは首を横に振った。
「君のお父さんは、われらが思っていた以上に、よくないことに首を突っ込んでいるようだな」
いやな予感がして、マナブはたずねた。
「あのう、もしかして、お父さんを倒すんですか。敵なんでしょう」
「敵ではあるが、殺すつもりはない。そうだな、救いに来た、というとわかるかな。
安心したまえ、われらの目的は、かれらの心を救うことにあって、殲滅することではない。レティクルは別だがね」
「そうだ、マナブのお父さんなんだろ、あれ! だったら、幽霊を分けてもらってこいよ!」
と、タケシが唐突に突拍子もないことを言い出した。
あきれていると、ケマルのほうが興味をしめして、タケシに事情を問うてきた。
タケシはというと、おしゃべりで説明好きであるから、学校での出来事を(かなり自分が都合のよいように)話してみせた。
タケシは、話はうまいよな、とマナブは素直に感心した。
タケシの話だけ聞いていると、まるでタケシがクラスメイトから、いじめられているようにさえ聞こえてくる。逆なのだが。
ケマルは騙されたかな、とちらりとマナブが見上げると、ケマルは同情するようにしてタケシを見下ろしている。
ダメな大人だな、この人も先生と一緒なのか、とがっかりしていると、ケマルは言った。
「君はあれだ。どこか余に似ている。その弁舌の才能はたしかに君の役に立つであろうが、しかしそこに『我執』が含まれているかぎりは、君の首をしめる、両刃の剣となるであろうよ」
思った反応を得られなかったタケシは、ケマルのことばの意味がわからずに、首をかしげた。
「なに言ってんの?」
「むずかしすぎたかね。つまり、君はイヤミな子どもではあるが、まだまだ純粋さを心に持っている。
幽霊を捕まえようと言ったあと、なんとでも口で誤魔化すこともできただろうに、実際に努力して幽霊を捕まえようとするところなどは、評価してよい面だ。
だが、その純粋さが成長とともに薄れてきたとき、君はエゴのためだけにおのれの才能を使うようになる。
そうなったら、目も当てられないだろうということだ。
賢い子どもを得ると大人は喜ぶが、それは手間がかからぬということも含めての喜びであろう。
しかしそうではなく、育てるのが大変だと悩むべきなのだ。
賢いがゆえに、多くのものがその目に映る。目に映ったものを心がどう処理するか、それを見守る大人が必要だ」
「よくわかんないんだけど」
「わからずともよい。ともかく話はわかった。幽霊を捕まえねば、君は学校に行けないというのだな。
で、そちらのマナブ少年は、ムリにそれに付き合わされてうんざりしているが、思いもかけず父親と再会したので、これからどうしようか困っている」
そのとおりであったから、二人の子どもはうなずいた。
「よろしい、余が協力してやってもよい。しかし、それには君らの協力も必要だ。
幽霊と簡単にいうが、さきほど君たちが見た影は、単純に霊魂などではなく、光の盾でも浄化できないほどの危険なものだ。
あれに只人がつかまったなら、おそらくは、同じように影とされてしまうのだろう。
そう、吸血鬼に血を吸われたものが、おなじく吸血鬼になるようにな」
「えっ、それじゃあ、にんにくとか、十字架とか、いるのかな」
タケシが言うと、ケマルは軽く肩をすくめて言った。
「さて、正体がはっきりとわからないので、なんとも答えられないが、協力してもらう以上は、君たちを鍛えなければならない」
「は? 鍛える? って、それって今日中に終わる?」
タケシとしては、今日中に幽霊を調達して、明日には登校したいのである。
が、ケマルは容赦なく言った。
「甘い考えは捨てたまえ。余の言う『鍛える』とは、付け焼刃ではあるが、君たちを一時的に霊具を身につけられるようにする、ということだ」
「どれくらいかかるの?」
「君たち次第だ」
「なにそれ! 学校に行けないじゃん!」
「君が自分で蒔いた種だ。明日は素直に学校へ行って、そのタカナシとやらに謝ってきたまえ」
「やだよ! なんだってオレが!」
「だったら、学校に行かないことだな。そう宣言してしまったのだから。で、どうする。余の話に乗るか?」
マナブは、ケマルの話に乗るつもりだった。
父の敵だと、はっきりとケマルは言ったのだが、しかしその心を救うためにやってきたとも、ケマルは言った。
父は、マナブが想像もつかないことをはじめようとしている。
あの影を見てしまった以上は、マナブはここで逃げるつもりはなかった。
お父さんを、この人といっしょに救おう。
そして、家に帰ってもらおう。
だが、タケシはここでぐずった。
「今日中に幽霊を見つけられなかったら、オレは協力しない!」
「それは困った」
ケマルはいうと、その金髪を軽くかきあげた。
「そうなると、君もアレだ、アレにしなければならん」
「アレ?」
怪訝そうなタケシに、ケマルはあっさりと答えた。
「ハムスター」
「は?」
「余は変化の呪詛をかけたのは、今日がはじめてであったのだが、じつに効率よくかけることができた。
このループが終わるまで、最上一樹と出会ってしまった君には、大人しくしてもらうほかはないのだよ。というわけで、一緒にハムスターに」
「は? 一緒にって? ハムスター?」
うろたえるタケシに、ケマルはこくりとうなずきつつ、まだもぞもぞとハムスターが動きをみせている、コートのポケットを、上から軽くたたいた。
「うむ、このハムスターは、千台潮だ」
「はあ?」
「伯父と甥で仲良くハムスター。
さあて、ダイエーに寄って、ハムスター用のケージを買ってこなくては。いくらくらいだろう。ローンはきくだろうか。
ちなみに五橋がどこぞへ吹っ飛んでしまっているので、余は今日は公園でねむる。
錦町公園のベンチのどこかにいるので、明日、学校がおわったら、錦町公園に来るがいい」
「ちょっと待ってよ。おじさんが、ハムスター?」
「そう」
「人間を、ハムスター?」
「うむ」
「って、はあ? おじさん、エイリアンかなにか? ありえねえんだけど!」
「それがありえるのだな。詳しい話をしてやってもよいが、前提として、協力することが条件だ。
ハムスターになるか、それとも協力するか」
タケシの子どもながらに神経質そうな顔は、いまやすっかり蒼ざめて、背の高いケマルを見上げていた。
ここでハムスターになることを選ぶ者は、なかなかいないだろう。
タケシは最後はほとんど泣かんばかりになって、ケマルに協力することを約束すると、逃げるようにして、アエラから走り去った。
走ることによって、冷静さを取り戻すためだったのであるが、しかし、安全なはずのわが家に帰ってみたなら、またまた金髪がいたということで、部屋に閉じこもってしまったのである。
「どうしちゃったのかしら。わたし、ちゃんと挨拶できなかったわ」
と、タケシが駆け去ってしまったあと、ざんねんそうに、タケシの部屋のある二階を見上げていうジャンヌに、ラ・イールは言った。
「年頃だから、いろいろあるんだろう」
「年頃のせいかしら」
「面倒だから、そういうことにしておこうぜ」
「面倒だなんて!」
「だって、いまは俺たちだけで想像したって、答えは出ないだろう。俺たちはたしかに只人よりはすぐれているかもしれないが、読心術を心得ていたりするわけじゃねえんだし。
それより、俺はポトフをもらう。まだ仕事が残っているんだ」
いいつつ、ラ・イールは、台所の圧力鍋を好きなようにあけて、そこからポトフを皿にあけて、がつがつと食べ始めた。
赤ワインが効いたポトフは、肉もしっかり煮込まれており、すばらしく美味であった。
ポトフをがっつくラ・イールのまえに座って、ジャンヌはたずねてきた。
「ねえ、わたし、この家でうまくやれると思う?」
ジャンヌが、二階に行くべきかどうか迷っている素振りを見せているので、ラ・イールは、スプーンでポトフのスープをすすりながら、答えた。
「さっきと同じだよ。焦ることはない。あんたの為すことに間違いはないんだ。でんと構えていりゃいいんだよ。
連中だって、腹を空かせりゃ、下に降りてくる。そのときに話をすればいい。
相手のペースに合わせるってのも、ひとつの方法だぜ」
ラ・イールのアドバイスを受けて、ジャンヌは、そうね、と笑顔をみせた。
そして、それからあとは、千台家とはあまり関係のない、とりとめのない話をお互いしたのであるが、ラ・イールは、なにより、こういう時間がとても好きである。
○ 青葉山に向かって橋を渡ると、空襲警報が聞こえてくる。警報が鳴っているあいだに隠れないと、命を落とす
○ 国分町に、幽霊高級クラブがある。そこで殺された少年の怨霊がいる
○ 私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る
○ 五橋のジェイソン。遭遇した時に質問にYESと答えると殺される
○ 仙台アエラの幽霊エレベーター。乗ると異世界に連れて行かれる
○ 青葉城の周辺で深夜になると日本兵の幽霊が行軍練習をする
○ いろは横丁の呪われたパワーストーンショップ。封印された霊がいる。
クロウ、と名乗った謎めいたメッセージの主が言っていたとおり、『せんちゃんねる』なる掲示板では、この怪談をめぐって、さまざまな情報がとびかっていた。
鈴木剛志はベットの上に腰かけながら、パソコンの画面を見入っている。
足元には、ぴったりと身を寄せるようにして、茶色の優雅な毛をもつシェットランドシープドックが身体を伸ばしている。
書き込まれた情報には、とくに目を引くものはなかったのだが、怪談そのものには、なぜか心を揺さぶられる。
それに、あのメッセージは、なぜあんなにも、こちらを祝福していたのだろう。
自分はK新報の新聞記者。平塚八兵衛のことばによれば、巨悪に立ち向かいすぎて殺されかけたのだという。
そのときの衝撃で、記憶がなくなったのだと、平塚は言っていたが、ほんとうにそうなのか。
記憶がないからこそなのか、家に帰って落ち着いてきてから、鈴木の心のなかには、抑え切れないほどの焦りと、矛盾するようではあるが空虚感、喪失感がこみあげてきていた。
なにか、大事なものが自分には欠けている気がする。
記憶なのだろうか。
記憶をとりもどせば、それは思い出せる?
モニター画面を指でなぞりつつ、鈴木は、とくに気になる怪談を見つめた。
○ 私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る
ほかの怪談のほとんどが、仙台駅中心のものなのに対して、この怪談だけが場所が離れている。
たしか荒巻のほうにある女子高だったな、と思い出しながら、鈴木はつぶやいた。
「明日、行ってみるか」
「そうね、それがいいわね。今日は早く寝たほうがいいわよ」
「そうだな」
考えても仕方ない。
身体を動かせば、なにか思い出すだろうと、パソコンの電源を閉じた鈴木であるが…………ふと気づいた。
いま、犬がしゃべらなかったか?
※ この話は、「仙台、ふたたび・9」につづきます。