仙台、ふたたび・7
※ この話は、「仙台、ふたたび・6」のつづきとなります。
仙台アエラは、仙台市のなかでもいちばんの高さをほこるビルである。
しかし内側から見ても、外見にしても、威圧感がないのは、一本の青い硝子の芯のような姿は、晴れた日にもなれば青空を窓に映してうつくしく、内部にしても、採光を意識して、どのフロアも大きな窓を持っているため開放感がつよいからであろう。
居心地がよいこともあり、駅から五分ほど歩かねばならない距離に立ちながら、このビルの人出は絶えたことがない。
二階の商業フロアから、青葉区花京院方面に伸びるスロープの手前はギャラリーになっており、そこには児童の防災をテーマにしたポスター展がおこなわれている。
また、全国展開している有名珈琲ショップからの、鼻孔にここちよい焼きたてのパンと珈琲のにおいが、フロアにはただよっている。
そんななか、マナブはしぶしぶと、張り切っているタケシのあとにつづいていた。
マナブは、学校では冴えない、いかにもいじめられっ子な少年であったけれど、家庭環境ゆえに苦労している分、すくなくともタケシよりは物事をさとっていた。
幽霊を見つける、いや、見つけねばならないと息巻いているタケシであるが、幽霊なんぞ、そうそう見つかるものではないとわかっている。
もし幽霊が、なんの用意もない自分たちにあっさりつかまるような、まぬけなものならば、巷のオカルト番組が、とうの昔に発表しているはずである。
というより、幽霊というとキワモノの感がまぬがれないが、実際にそれがいるということが証明されたなら、もっと複雑で深遠な問題に、触れるような気がする。
よくわからないが、宗教とか、生物科学とか、そういうものに。
そしてマナブは父のことを思い出す。
父もオカルトが好きな人だった。
父は三十代にして起業し、アンティークを中心にした宝飾品をあきなう会社の社長として、一時はたいそうな羽振りをみせていた。
石を研磨する技術に関しては相当なものだったそうで、自身がデザインしたジュエリーも、安定した顧客を得て、収益はよかったのだと聞いた。
東京都心の高層マンションに一家は住んで、なに不自由なく暮らしていた。
けれど、マナブは、その暮らしに戻りたいとはあまりおもっていない。
子供心にも、母の趣味でばら模様の家具に埋もれていた、やわらかい色調を中心としたロココの世界のひろがる家は、たしかに見た目は豪奢だったけれど、その家の主である父と母の仲があまりよくないことは、子供心になんとなくわかっていた。
子どものことに関しては、夫婦は会話をするのだが、それ以外の話はめったにしない。
母は家庭的な女性で、そうした状況をさびしがり、みずから話題をさがして、父に話しかけていたのだが、父の答えは冷たいものだった。
『生活費は十分に入れているだろう。あまり俺に関わるな』
父の口にすることはたいがい金に関することで、『けち』というものがどうして世間からきらわれるのか、マナブは父の姿を見て学んだ。
母はもともと、父の取引先の事務員をしていたそうで、地方から出てきて、学歴も高くなく、内気なたちで、東京に知り合いなどほとんどいなかった。
そうした母が、父の歓心を引こうと努力する姿は、子供のマナブからすれば、痛々しいものに見えた。
母は、マナブから見れば十分に魅力的な女性だった。
同級生の母親よりもずっと若くて、少女のようだった。
無口で、けれど陰気というわけではなく、善良で、だれを責めることもしない。
そんな母が、悲しそうな顔をして、父のために自分の教材として用意したビジネス雑誌をビニールひもでくくって、廃品回収に出す姿を、マナブはいまだに覚えている。
父は幽霊だのUFOにはくわしく、ときに子供心におもしろい話をたくさんしてくれたが、いまとなっては思う。
お母さんを大切にしないお父さんなんか、大嫌いだ。
けれど、お母さんは、あんなに無視されても、お父さんを待っているんだ。
お母さんのために、お父さんに帰ってきてほしい。
東京での友だちは、父の事業がとつぜんに失敗して以来、連絡がとれなくなった。
手紙を書いてみたけれど、返事がきたことは一度もない。
どうしてだろうと母に聞いたら、
「きっと、あの子たちのお母さんがね」
とだけ言った。
マナブは、母がすまなさそうな顔をするから、もう友だちに関しては口にしないことにした。
仙台に引っ越してきたとき、公立の小学校と、私立の小学校、どちらを選ぶこともできた。
ただ、経済的に考えれば、公立の小学校を選んだほうが、ずっといいに決まっていた。
けれど、母は、あえて私立の小学校にマナブを進学させた。
万が一、父が戻ってきたときに、体面を気にするひとが、自分の子どもが公立の学校に通っていると知ったら、きっと怒るだろうと判断してのことだった。
そんな事情を知らない世間は、東京から来たあのひとは、ブランド志向がつよくて、借金までして子供を私立に通わせていると陰口をたたく。
マナブは、なにも考えずに小学校にかよっていた東京のころよりも、仙台に越してきてからのほうが、勉強するようになった。
けれど、なかなか成績はあがらない。
体育の成績も、もともとよくないし、タカナシのような無邪気な明るさも持っていないから、すぐにかっこうのいじめの対象になってしまった。
クラスの子供たちが読んでいる漫画雑誌の主人公のように、強くなりたいと切に思う。
強くなって、お母さんを守りたいし、いじめからも逃げたい。
なにも悪いことをしていないのに、世の中には、自分たちの規格とすこしちがう人間を見つけると、ここぞとばかりに叩いて楽しがる、悪い癖があるようだ。
そんな『悪いやつら』を徹底的に叩き潰してやりたい。
こちらが悪いことをしてないのであれば、悪いことをしていない者をいやな目に遭わせるのは、悪者ではなかろうか。
映画でも漫画でも、悪者は退治されている。おとぎ話だってそうだ。
なら、悪者を退治するための力がほしい。
漫画だと、最初からヒーローである主人公はすくなくて、みなどこかドジだけれど、じつは秘めた才能があるけれど、それに気づいていないということになっている。
そうでなければ、あるとき、それこそ唐突に、主人公のまえに『なにか』があらわれて、おまえが選ばれた者だと告げる。
否応なしにトラブルに巻き込まれつつも、選ばれる存在である主人公に、憧憬を見ないものはないだろう。
いつだったか先生が言っていたが、すべての物事には裏と表があるという。
ひとつの力にたいしては、かならず反動する同等の力が発生する。
その理屈に合わせていうのなら、これだけ毎日を鬱屈した思いで過ごしているのだから、いつか自分にもヒーローのような運命が与えられてもいいのではないか。
そんなことを考えていたマナブであるが、タケシの声で現実に引き戻された。
いま、かれらの前には、二基のエレベーターがある。
このエレベーターは駅からつづく道路に面した、八階までのエレベーターである。
商業スペースからこちらに移動してくる客のため、扉には、カバンやワンピースなどのイラストが描かれている。
扉の上にある電光掲示板は、二基ともに稼動中であった。
二階には、スロープを移動するビジネスマンのほか、買い物客などもおり、とても幽霊という、陰惨なものが現われやすい環境には見えない。
もし、ネットでの書き込みが事実だとしても、この八階までのエレベーターのほうには、幽霊は出ないように思えた。
となれば、9階から30階のあいだのオフィスフロアを移動する、10基のエレベーターのほうが、幽霊がいる可能性が高くなるはずだ。
学校の成績は、タケシのほうがずっと上なのだが、こんなことにも気づかないなんて、よっぽど頭に血がのぼっているのかなと、マナブは思った。
ここで多少知恵があれば、マナブは学校での勉強と、実社会で生活するために必要な知恵や知識は、ちがうものであり、それを両方備えている者こそ賢いと評価されるべき者だということに考えが至るのであろうが、もともと母に似て、性格がおっとりしているので、そこまでするどい観察力は、世間ズレしていないということもあり、はたらかない。
八階から降りてきたかれらであるが、タケシはとりあえず、エレベーターに片っ端から乗って、幽霊の痕跡(どんなものかは不明)を探す計画であるらしい。
片方はもう乗ったから、あとはもう片方というわけだ。
そして、タケシがエレベーターの上がりのボタンを押そうとしたときである。
マナブは、ふとなにかに呼ばれたような気がした。
振り向けば、珈琲ショップのテーブルの横を、何度かタケシが学校にもってきた新聞の切り抜き写真で目にしたことのある、タケシの伯父こと、潮が、背のひょろりと高い外国人と、十基のエレベーターのあるほうへ、言い争いながら向かって行く。
なぜアエラにいるのかわからないが、マナブは単純に考えた。
マナブの伯父さんは、警察の偉いひとである=警察の捜査。
「ねえ、伯父さんが来ているみたいだよ」
マナブがいうと、普段はあれだけ『警察の偉い人のおじさん』を自慢しているタケシの顔が、はっきりと恐怖でこわばった。
「マジで? 冗談だろ」
「冗談じゃないよ。さっき、あっちのエレベーターのほうに行ったよ」
「なんでだよ。伯父さんはえらいんだぞ」
「うん。だから捜査に来たんじゃないの」
「ばーか! 伯父さんはとってもえらいから、よっぽど大事件でないかぎり、ゲンバには出ないんだ。こんなところにいるものか」
「それじゃあ、伯父さんって、何をしているの?」
マナブは、警察の人間は、すべて、いつも犯罪を追いかけているものだと思い込んでいる。
それはタケシも似たりよったりであったらしく、一瞬だが、言葉に詰まった。
だが、ふと、なにか思いついたらしく、うん、と自分を納得させるようにしてうなずくと、言った。
「校長先生みたいなもんだよ! 校長先生は、俺らに勉強を教えないだろ。それとおなじ!」
ああ、と納得したマナブであるが、ふとふしぎに思った。
「校長先生は、なにをしているのかな?」
「知るか、ばか!」
言いつつ、タケシは、ぽかりとマナブを叩いた。
タケシの攻撃方法は、いつもは言葉によるものが多いのだが、タケシの知識外のことにマナブが触れると、暴力で応酬する癖がある。
マナブの頭を叩いたあと、タケシは顔をくもらせて、つぶやいた。
「伯父さん、何をしにきたんだろう」
「わからないけど、もしかして、幽霊を逮捕しに来たんじゃないの?」
マナブが言うと、タケシは顔をゆがめて、またまた頭をぺしりとはたいた。
だが、あまり痛くない。
「おじさんがそんなに暇なわけないだろ。えらいんだから!」
「だって、さっき、おじさんに逮捕してもらうって言ったよね?」
「あれは、なんつーの、ことばのアヤってやつ! 知っているか、アヤって言っても、小川アヤじゃないぞ!」
「わかっているよ」
タケシとしては、想いを寄せている小川アヤの名前を、口にすることすら、気恥ずかしいらしい。
顔を真っ赤にしながらいう。
「マナブ、おまえちょっと、マナブのくせして、さっきから生意気だぞ」
「そうかな」
頭をなんとなくさすりつつも、マナブはすなおに口にした。
たしかに、いつもだったら、心で思うばかりで、口には出していないかもしれない。
タケシは、さきほどの興奮した様子を一変させ、顔をしかめつつ、エレベーターの前から離れた。
「おい、おじさんがほんとうに来ているかどうか、たしかめるぞ」
「幽霊のことを聞くの」
「ばか。おじさんがいるかどうかを確かめるだけだ。声なんてかけないからな!」
いつもは、いかにして自分の身を守るか、そればかりを考えていたマナブは、今日はすこしだけ余裕があったので、初めて、タケシが『警察のえらい人のおじさん』を尊敬していると同じくらい、恐れているということに気づいた。
「あっちのエレベーターほうだよな」
と、つぶやきながら、タケシはランドセルの紐を両手でそれぞれぐっと握って、足音を殺して廊下を行く。
黒い小学校の制服を着ているということもあり、なにやら忍者のようだとマナブは思った。
マナブとしては、千台潮がどういう人物なのか知らないから、すこしも怖くないので、ちょっとした冒険気分である。
頭をはたかれたり、タケシは嫌なやつだけれど、こういう付き合いなら、まだ耐えられるのにな、と考えた。
そして、二人して足を止めて、廊下の角から様子をさぐる。
すると、なにかはっきり聞こえないのだが、男ふたりの言い争っている声が聞こえてきた。
その剣幕はすさまじく、両者一歩も譲らない、といったふうで、まるでかみ合わないラップ音楽を、一斉に流しているように聞こえた。
片方が聞き手に回るということが、まったくないのである。
そのガミガミとつづく声の調子に、かたわらにいるタケシが顔を歪めていることに、マナブは気づいた。
マナブも、もともと感受性のつよい子供だったので、人の言い争う声を聞くのが好きではない。
いったい、なにを喧嘩しているのだろう。
さらに耳を傾けていると、男の、こんな声が聞こえてきた。
「ええい、埒が明かぬわ! 貴様のようにゆがんだ男は、こうしてくれよう! ハムスターになってしまえ!」
ハムスター?
緊迫した言い争いの末に登場した小動物に、マナブとタケシは顔を見合わせた。
と、同時に、ぴたりと言い争いの声が止んだ。
あまりに静かになったので、不安になったマナブが先陣をきって様子を見に行こうとすると、それにタケシもついてきた。
しっかりとマナブのランドセルの蓋をつかんでいる。
そうして、角を曲がって見れば、窓のそばで、金色の髪をした背のひょろりとした男が、まさにやってきたエレベーターに乗り込もうとしているところであった。
「追いかけるぞ!」
タケシが叫んだ。
短い距離をあわてて走りながら、マナブは揺れるランドセルの重さを気にしながら、タケシにたずねた。
「金髪だよ。不良かも!」
「いや、あれはNOVAだ!」
タケシは、外国人はすべて駅前留学の関係者だと思っているのである。
閉じる直前にエレベーターにふたりして飛び込むと、個室には男のほかはだれもおらず、鏡貼られた正面の壁に、男は背をもたれて、ベージュのコートに両手を突っ込み、足を投げるようにして立っていた。
千台潮の姿はどこにもない。
タケシもマナブも、おたがいに顔を見合わせることなく、だまって男に背を向けて、開閉扉のほうに回れ右した。
マナブは、莫迦なことをしたと後悔した。
それというのも、男の顔をみたとたん、これは関わってよいものではないと、直感でわかったからである。
いつであったか母とともに訪れた寺の、そこにあった不動明王像が、マナブの脳裏に浮かんだ。
憤怒の表情をうかべ、いまにも大音声で怒りの声を発しそうなその木像の、燃えるような目と同じ目を、この金髪の男もしていた。
そもそも外国人というものに生で接触したことのないマナブであったが、それでも、この男が、外国人だからそういう目をしているのではなくて、この男だからこその双眸なのだということはわかった。
TVニュースを見たって、こんなに怖い目をしている男を見たことがない。
同じことは、となりにいるタケシも感じているらしく、ちらりと見れば、その横顔は強ばっている。
マナブも緊張したが、同時に、気づいた。
自分たちがエレベーターに飛び込んだとき、ほかに四基あったエレベーターは、二階に到着していなかった。
エレベーターは行き止まりになっており、乗り場から向こうは、もう窓である。そしてその窓は開閉しない。
千台潮の声は、はっきりと聞こえていた。
だが、いまここに、千台潮の姿はない。
もしもエレベーター乗り場から移動したのなら、エレベーターに乗ろうと走った自分たちとすれちがったはずである。
そして、ほかのエレベーターに乗った気配はまったくなかった。
と、すれば、千台潮はどこへ消えてしまったのか?
ぞおっ、と、マナブの背筋に冷たいものが走った。
幽霊。
ほんとうにそんなものがいるのか。
もしも千台潮が幽霊だとしたら、死んでいるということにならないか。
そして、いま背後にいる外国人は、幽霊と会話をしていたというのだろうか。
恐ろしいものと密閉された空間にいるのだということに気づき、マナブはますます恐怖におそわれた。
手が震えてきて仕方なかった。
やはりとなりのタケシもおなじであるらしく、蒼ざめた顔をしながら、小声で言った。
「降りる」
「何階で?」
「何階でもいい!」
乱暴に言い捨てて、タケシは、ろくに字を見もしないで手を伸ばすと、適当にボタンを押した。
先にうしろにいる男が階数を指定していたはずであるが、何階に行こうとしていたのか、確認する勇気は、マナブにはなかった。
おそらく数字にしたら、何十秒か、といったところであったろうが、マナブには、長い時間のように思われた。
エレベーターが止まり、扉がひらく。
顔をあげて、外に出ようとしたマナブであるが、すぐにおかしなことに気がついた。
エレベーター乗り場は、3基と2基のエレベーターが互いに向かい合っているので、開閉扉がひらくと、そこには向かいにあるエレベーターが目に入るはずなのであるが、目のまえには、うすぐらい空間が広がっていた。
窓はなく、アエラの床に敷かれた青い絨毯と、ぼんやりと灯る蛍光灯だけが目に映る。
アエラはどの階も、契約期間切れ待ちでいっぱいなほどに人気のテナントビルであるから、このようにがらんとしているフロアはないはずである。
というよりも、建物の構造上、扉が開いたら、そこにフロアがひろがっている、ということはないのである。
そして、明かりが灯っているのに、どうして薄暗いのかがわからない。
タケシは背後の男こわさに、まえに進もうとしているが、マナブの足は動かなかった。
いや、動かせなかった。
わからないが、怖かった。
背後にいる男のほうが、目のまえにある空間より怖くない。
それこそほんの数秒ではあっただろうが、マナブは、目のまえのがらんどうの空間に、なにか動いているものがあるのに気がついた。
動いている、その輪郭だけは見ることができる。
だが、その姿をはっきり見ることができない。
「ほら!」
タケシにむりやりうながされるようにして、ランドセルの紐をぐっとつかまれたマナブであるが、それでもなかなか足が進まない。
足が進まない理由を、なんとタケシに説明したものかと考えていると、背後から、はじめて男が声をかけてきた。
「このフロアに降りてはならない」
流暢な日本語である。
訛りや、たどたどしさは、いっさいない。
そして、その双眸の印象とおなじく、どすんと音節のひとつひとつが腹にひびくような声だ。
その声に釣られるようにして、はじめて二人は男を振り返った。
「なんで」
思わず口について出たことばである。
しかし、男は、ふたりの肩越しに、薄暗いフロアをじっとにらみつけている。
「なるほど、レティクルもそう愚かではない、ということか。銀の小人たちでは戦力不足だと判断して、あらたな兵器を投入してきたと。
ふむ、前回のループで、どこの企業がこのフロアにテナントとして入っていたのか、調べてみる価値はあるな」
意味のわからないことばに、タケシは目を白黒させているが、マナブには、妙にすんなりと言葉のひとつひとつが理解できていた。
このひとは、味方だ。
「知能は低そうだな」
男のことばに、知能とか知識とかいうことばに敏感に反応するタケシが反駁した。
「なんだよ、子供だからって莫迦にするなよ!」
いきりたつタケシに、男は首をゆっくりと横に振った。
「君のことを言ったのではない。門番のことだ」
門番、と聞いて、マナブとタケシは首をフロアのほうに向けたのだが、やはりそこにはっきりと、なにかを見ることはできなかった。
そんなふたりに、男はゆっくりと言う。
「ゆっくり、こちらに戻ってきたまえ。門番に気づかれないように」
「門番って、なんだよ」
「門番は門番だ。おそらくは、このフロアに誤ってやってきた者を捕らえる役目を担っているのだろう。
フロアに足を踏み出さなければ、門番は動かない。
人工物ゆえの四角四面さではあるが、われらにはありがたいことだ」
マナブは、せんちゃんねるに掲示されていた、仙台アエラの怪談を思い出していた。
「仙台アエラの幽霊エレベーター。乗ると異世界に連れて行かれる」
マナブのつぶやき、男は器用に片方の眉をあげてみせた。
「ほう、なんだね、それは」
「いま、仙台で流行っている怪談です」
「ふん、見事にこの状況を説明しているな。とすると、人の口にのぼるほどに、このフロアの存在によって運命を変えられた只人が多いということなのか?
それとも、くりかえされるループによる歪みが、怪談という噂話として残っているのか。
どちらにしろ、君らが関わってよいことではない。さあ、こちらへ」
マナブは男のことばにしたがって、エレベーターの内部に入ろうとするのであるが、ふと、振り返って見ると、それまでなにも見えなかったフロアに、はっきりと、人影が動いているのが見えた。
人影だけではなく、広いフロアには机がいくつか寄せておかれており、その周囲で、だれかが仕事をしている。
そのなかに、マナブは、はっきりと父の姿を見た。
「お父さん!」
マナブが飛び出そうとするのと、エレベーターの前にいたなにかがゆらりと動き、こちらに向かってくるのとは、ほぼ同時であった。
それが動くと同時に、それまで薄暗いと思っていた視界が晴れて、クリアになった。
透明で黒い、大人の男ほどの大きさの人影が、エレベーターのまえに立ちふさがっていたのである。
そしてそれは、エレベーターを飛び出したマナブのほうに、手をにゅっと伸ばしてきた。
※ この話は、「仙台、ふたたび・8」につづきます。