仙台、ふたたび・5
※ この話は、「仙台、ふたたび・4」のつづきとなります。
「時代は、日々着実に進んでいる、ということでしょうか。銃を霊具として利用しているアトラ・ハシースに関するデータは、目にしたことがございませんでした」
動じることなく、クロウが言うと、中年女は、にやりと笑った。
「これはなかなか使い勝手がいいのだが、昔かたぎのアトラ・ハシースやアストラルにはウケが悪くてね、やはり、剣がいちばんよかろうというのが、たいがいの意見だな。
銃であろうと剣であろうと、おなじく職人の手で錬成されたものにはちがいないのに、飛び道具は卑怯だと、そういう理屈だ」
「しかし、あなたがたは五元素を自在にあつかう。あたくしたちにとっては、それは飛び道具以上に脅威です」
「そのとおり。君にはぜひがんばって、ご先祖とおなじようにアトラ・ハシースやアストラルになり、頭の固い連中にそう言ってやってほしい。きみら奥州藤原の意見は、そうであると」
「あたくしたちの意見、というわけではなく、これはあなたがたの存在を知る者たちすべての、共通した意見ですわ。
あたしの名はクロウ。ご尊名をお聞かせくださいませ、アストラルさま」
クロウの呼びかけに、古い拳銃を肩に背負った中年女は、すこしばかり意地悪く目をほそめた。
女は四十代後半といったところか。
肌つやはよいのだが、いささか太りすぎである。
染めた髪をきれいにウェーブさせているのだが、もともとの人相がそうなのか、眼鏡の下の双眸の表情は、尊大そうに見える。
「たいしたものだ。よくアストラルとわかったもんだ。初見でわが霊力を測るかね」
クロウは動じずに答える。
「それくらいの訓練は積んでおります」
「さもありなん。日本という国は、驚かされることの多い国だよ。吹けば飛びそうな小さな国のくせに、住んでいる人間の奥深さはどうだね。
あのロシアさえ倒してみせた日本の底力というのは、僕が生きていたあの当時でも、君のような気概をもつ人間ひとりひとりに支えられていたのだろうか」
「まだお若いのですね」
女のことばから、だいたいを察したのか、そんなことをクロウはつぶやいた。
とはいえ、白百合には、女は、小太りの中年女にしかみえない。
さきほどから怪異が立てつづけに起こっているから、すっかり感覚が麻痺している白百合であったが、危機が去ったらしいいまも、まだ混乱のなかにいた。
「お国はトルコ、ですの」
クロウが問うと、女は尊大そうな目を、今度は大げさに開いてみせた。
「当たりだ。たいした洞察力だ。どうしてわかったのだい」
「勘ですわ。いえ、訂正いたします。ほかに思いつかなかっただけです。
貴方様は、日露戦争から第二次世界大戦のあいだに活躍なさった、トルコの方」
「そのとおり。そこまで特定できたのなら、名乗ろう。イスメトという。姓はイノニュだ」
クロウは、その名前を聞いて、納得したようだ。
「ああ、2代目の」
白百合は、その名にまるで聞き覚えがなかった。
どころか、髪は染めてはいるけれど、どう見ても日本人である。
それがなんだってトルコ人だと名乗るのか、その理由がわからない。
わからないものの、白百合は、勘の良さを発揮して、この中年女も、『かつての自分』のように、だれかを降ろしているのではないかと想像した。
すると、この女も巫女なのか。
とはいえ、祖母のような厳粛さを、この女はもっていない。
どちらかというと、俗っぽさをむりやりブランドや高級品でごまかしている図々しさのほうが目につく。
そんなことを考えていると、女のほうが、ちろりと白百合のほうに目線を送ってくる。
「連れの子は、状況がよくわかっていないようだね。助けたけれど、よかったかな」
女のことばに、クロウは白百合のかわりにうなずいた。
「ええ。遅くなってしまいましたが、ありがとうございました。あたくしの弓では、やはりレティクルどもは退けることができませんでした」
「それでも傷を負わせることは出来ているわけだから、たいしたものだ。何代目になるんだい」
「あたくしで三十四代になります」
「そうかい。君のご先祖のことはよく知っている。君は知っているだろうが、僕がよく行動をともにするアトラ・ハシースは、戦術を勉強するのが大好きでね、そのうえ日本びいきでもあるから、君のご先祖のことも勉強していたよ。だから他人のような気がしない」
「光栄ですわ。ときに、あなたさまのアトラ・ハシースは、この近くにいらっしゃいますの」
クロウのことばに、女は銃をかついだまま、肩をすくめてみせた。
その仕草は堂に入っていて、日本人ばなれしている。
「いない。こういうときには薄情なんだ。ともかく思いついたら、まず一人でなんでもテキパキ動いてしまうやつなんだよ。
僕のことを、探してもいないにちがいない」
「それは、もしや、初代の?」
「また当たり。僕のように封印されていなかったら、あの顔だから、きっとすぐにわかるだろう。会ったなら、僕がここにいると、教えてやってくれないか」
女のことばに、クロウは真剣そのものの眼差しでうなずいた。
「お引き受けしますわ。けれどイスメトさま、貴方様は、ずっとここでレティクルどもを見張るおつもりですか」
「ま、ほかのアストラルやアトラ・ハシースが、まちがってこの橋を渡ろうとしたら、面倒が起こるからね。うまく合流できるかもしれないし、ここで暫くやつらを見張る。
なにせ今回の僕には、角笛を吹いた責任があるからな。ただし、この体のほうが、もつかどうかが怪しい」
「宿を気にしておられるのなら、あたくしどもでご用意させていただきますが」
「いいや、この女もこの近くにマンションを持っているから、そこで過ごすよ。この女の仕事のほうは、まあ、なんとかなるだろう。
基本世界への影響が多少はあるかもしれないが、それならそれで、ささやかながら千台家の勢いを殺ぐ手伝いになるかもしれないし」
と、女は、すこしばかり薄笑いを浮かべながら、自分の髪をいじってみせる。
「たしか学校経営をしているのでしたわね」
「そう。千台ナミ。ヨーコの母親だ。錦町の様子も気になるんだ。あの子はどうしたろうね」
「陽呼のことは、あたしが調べてまいりますわ。けれど、そのまえに、サユリ様を、無事なところへ匿わなくてはなりません。お時間をくださいますか」
「それはまったくかまわない。ところで、彼女はどこへ連れて行くつもりだい」
女はふたたび白百合を見るのだが、白百合は、女の目線が気になって仕方なかった。
というのも、女は自分を人としてではなく、なにか、心のない人形かなにかを見るような目で、見ているからである。
ふっと白百合の視界がぶれて、やはり同じ銃を持った男の姿が、一瞬だけ、千台ナミの小太りな姿に重なったような気がした。
男はまだ若く、金色の髪をしていた。
そしてやはり同じように、自分を、人形を見るような目で見下ろしているのである。
あんまりこのひとのそばにいたくないと、白百合は思った。
人当たりはよいのだが、この人物は目の表情が、ほがらかな口許の表情や、やさしげな口調を、すべて裏切っているのである。
これで精神の惰弱さがどこかに感じられるというのなら、こうも怖がらずにすむのであるが、困ったことに、この人物からは、強固な意志が感じ取れる。
つまり、自分の意思や哲学、あるいは宗教観念を守るためならば、親兄弟であろうと容赦なく敵にまわせる人物だということが、なんとなくわかるのだ。
同じ気性をもっている、兄の一樹と似た気配を、この人物は持っていた。
だから白百合は怖く思ったのである。
「サユリ様には、あたくしどもの持つ家のどれかに潜伏していただく予定です」
クロウが答えると、千台ナミの中にいるイスメトは、しばし考え、それから、タータンチェックの柄のスーツのポケットから、一本の鍵を取り出し、クロウに差し出した。
「大町にある千台ナミ名義のマンションのひとつだ。この奥さんはなかなか頭がいい。
怖い夫の目を盗んで、いざ離婚されたときのために、自分用の財産を不動産として作っていた。そのうちのひとつだ」
「大町といいますと、家具の街のある、あの一角ですね」
と、ナミことイスメトから鍵を受け取りながら、クロウは言った。
「あの一角はすこし変わっている。細い路地が入り組んでいて、大通りに面したビルに囲まれるようにして、階数の低い建物が密集している。人工の巨大な窪地みたいなところだ。
学生のための専門学校や予備校も密集しているところだから、若い子がいても目立たない。
それに、まさか最上一樹にしても、自分から逃げている妹が、共闘しているはずの千台家の不動産に隠れているとは思わないだろう」
「兄を知っているのですか」
はじめて、白百合は、ナミにむかってことばをかけたのだが、やはり、あの物を見るような目線にぶつかって、言葉がつづかなくなってしまった。
それを察したのか、クロウが白百合に説明した。
「アトラ・ハシースやアストラルのみなさまは、みな、サユリ様のお味方ですから、ご安心くださいませ。
それよりも、ここはイスメト様のご厚意に甘えてしまいましょう。さっそく大町にむかわなくてはなりません。
レティクルたちは、こうしているあいだも、大橋の向こうに潜んでいるのですからね」
「いまは安心していいよ。結界をつくって、僕らの会話もあちらに聞こえないようにしているから。それに、どうも今回は、世界の構築がうまく行っていないようだ」
ナミことイスメトは、青葉山方面にひろがる、白い世界のほうを見て言った。
「三つの気配が入り混じっている。ヴァルキューレの作った世界と、レティクルが自分たちのために作った世界。
もうひとつはわからないが、おそらくは五橋だ」
「世界が虫食いになっている。だからこそ、藤原は、今回、あたくしを派遣したのです」
クロウのことばに、さもありなん、とイスメトはうなずく。
その表情は、さきほどよりも、ずっと強ばっている。
「いいことではないな。ふとした衝撃で、世界は瓦解するということだ。
これは推測なのだが、世界が再構築された際、レティクルは時空船そのものを世界にぶつけてきたのだ。おそらくその衝突ポイントが、青葉山だったのだろう。
だから、青葉山や、仙台のほかの地域のあちこちが虫食いになってしまった。
レティクルどもは、今回はそこから現われる」
「木町もそうでした。五橋もでしょうか」
「五橋はわからない。そこだけ気配がちがうんだが、僕の霊力で探れるのはそこまでだ。
アトラ・ハシースなら、世界の現状を、もうすこし正確に読めるかもしれないな」
「では、アトラ・ハシースを探すこと。それがあたくしたちの使命ということになりますわね。
街のどこかにいらっしゃるみなさま方を、ここに連れてまいります」
「そうしてくれるとありがたい。僕はここでレティクルたちを見張る。
だが、忘れないでくれ。この世界は、前回にも増して不安定だ。さらに慎重に動かなければ、あっというまにゲームオーバー。君も、元の世界に戻れなくなるよ」
イスメトのことばに、クロウは、もともと凛々しいその表情を、さらに引締めた。
「心得ております」
クロウの表情が好ましいものであったらしく、イスメトは微笑すると、よろしいというふうにうなずいた。
「では、そろそろ行きなさい。レティクルたちから見えないように張っていた結界を解く。そのあいだに、一気に北ヘ戻るんだ。
ほら、あそこにタクシーがいる。
そうそう、交通機関には気をつけるんだよ。うっかり木町や五橋、青葉山方面に足を踏み入れたら、レティクルたちがやってくるからね」
「ご助言、痛み入ります。さあ、サユリ様、参りましょう」
クロウは白百合の手を引いて、イスメトの言ったタクシーに乗ろうとする。
タクシーは、ちょうど小休止を取ろうとしているらしく、西公園の脇で停車し、なかの運転手は、窓を開けて新聞をひろげているのが見えた。
白百合は、クロウにしたがって動こうとしたが、しかし気になって、振りかえった。
「あの、教えてください。叔父や叔母はどうなったのでしょう」
問うと、イスメトは怪訝そうに眉を上げた。
目線の冷たさにひるみながらも、おのれを励まして、じっと目線に耐えた。
「ええと、君の叔父さんと叔母さんは、木町にいたのだったかな」
「そうです。あの二人はどうしたのですか。捕まってしまったのでしょうか」
「捕まった可能性は高い。けれど、安心しなさい。かれらを捕まえた者があるとしたら、それはきっとレティクルだろう。
今回のこの世界が、前回のループがまったく参考にならないという点では、僕らもそうだが、レティクルも振り出しに戻ったのだ。
だから、迂闊な真似はできないから、レティクルたちは、君の叔父さんや叔母さんに手を出せないはず」
「ほんとうに?」
念を押しながら、白百合は泣きたくなってきた。
それまで混乱し、気を張っていたものが、不意にゆるんできたのである。
それを見て、イスメトは、はっきりと迷惑そうに顔をしかめた。
「憶測だよ。そうではないかもしれない。泣くのは、君が確実に生き延びられる道を探しあてたあとにしたまえ。さあ、お行き」
イスメトに追い立てられるようにして、クロウと白百合は、大橋から走って離れて、止まっていたタクシーに乗り込んだ。
「お金、ないけど」
こぼれた涙を手の甲でぬぐいながら、白百合がいうと、クロウが答えた。
「ご心配なく、当面の金銭に関しましては、すべてあたしが面倒をみさせていただきます。サユリ様は、なにもお気になさることはございません」
白百合は、あらためて、隣の座席にすわっているセーラー服の少女を見た。
すべてを当たりまえのように語る少女であるが、その言葉の意味は、とんでもないものばかりである。
「初対面なのに、どうしてそこまでよくしてくれるのか、わからないな。助けてくれて、泊まるところも決めてくれて、お金も用意してくれるなんて」
白百合が正直にいうと、クロウは、さきほどのイスメトと同じように、やはり訳知り顔でうなずいた。
「そうでございましょうとも。けれど、サユリ様にあえてお願いしたいのでございますが、こまごまとしたことでお悩みくださいますな。
いま、サユリ様が考えるべきことは、ただひとつ。兄君より逃げ延び、生きること。これでございます。
ほかの問題は、すべてこのクロウにお任せくださいませ」
クロウの決然とした表情に気圧されそうになるが、白百合もなかなかに頑固者だったので、そこでそうなの、そうするね、と答えることができない。
「悩むなといわれても無理だよ。あなたは何者なの」
「奥州藤原家より派遣されてきた者。いまはそれだけしか申し上げられませんが、古よりトフツ山を守ってこられた最上家を、祖先の誓いを守るべく藤原と同等に守る役目をおおせつかってございます。
あたしはサユリ様の味方。それだけではいけないでしょうか」
「いけなくはないけど、でも」
「信用していただくしかございません。イスメトさまから与りました、この鍵は、サユリ様にお預けいたします。
今日は大町の千台ナミの家にてお休みくださいませ。重々承知のこととは思いますが、戸締りには気をつけて」
「あなたはどうするの?」
「錦町の千台家を探ってまいります。ほかにも、いくつか気になることがございますので、今夜は戻れないかと思いますが、ご心配なさらずに。
明日の朝、九時に、大町とは愛宕上杉通りを挟んで向かいにございます、元寺小路カトリック教会にて待ち合わせいたしましょう。
あそこは清められた場所でございますれば、レティクルはもとより、悪しきものたちも寄ってこられません」
「九時、ね」
「はい」
白百合は、まだまだクロウに尋ねたいことがあった。
味方だというが、いくつなの、とか、あの弓はなんだったの、とか、わたしはどうして一人で公園に立っていたか知っているの、とか、アトラ・ハシースだのアストラルだのとはなにか、などなど。
けれど、クロウに尋ねようとすると、とたんに言葉がしぼんで、なにも唇から出てこなくなる。
この自分よりすこし小柄な年下の(たぶん)少女の醸し出す雰囲気が、只ごとではないほどにいかめしいものであるからなのだが、今日はどうもこういうタイプに会うな、と白百合は、関係ないところで感心をしていた。
過度に落ち込んだり、怒り出したりしないところが、やはり白百合も肝が据わっているのである。
クロウのことばには嘘がかんじられないし、そのうえ、クロウの言うこと以上に、ほかにいい過ごし方も思いつかなかったから、言うとおりにしようと白百合は思った。
そんなふたりを、タクシーの運転手は、バックミラーごしに観察しながら、
「お嬢ちゃんたち、最近はそういう時代劇っぽいしゃべり方、流行っているの。それとも演劇の練習?」
などと話しかけてきた。
○ 青葉山に向かって橋を渡ると、空襲警報が聞こえてくる。警報が鳴っているあいだに隠れないと、命を落とす
○ 国分町に、幽霊高級クラブがある。そこで殺された少年の怨霊がいる
○ 私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る
○ 五橋のジェイソン。遭遇した時に質問にYESと答えると殺される
○ 仙台アエラの幽霊エレベーター。乗ると異世界に連れて行かれる
○ 青葉城の周辺で深夜になると日本兵の幽霊が行軍練習をする
○ いろは横丁の呪われたパワーストーンショップ。封印された霊がいる。
「おもしろいわ!」
「おもしろくねぇよ!」
いつものことながらかみ合わない会話をかわして、ふたりは、錦町にある仙台家の台所にて、ラップトップ型のパソコンのモニターをまえにしている。
千台家は、通いの家政婦がすべて家事を取り仕切っているのであるが、なかなか有能であるらしく、台所はどこもかしこもきれいに整理整頓されており、二人が向かい合っているテーブルにしても、その上には、千台家の者たちのための料理が、小分けにされたうえ、ラップをかけられて、あとは温めればいいだけの状態になって、置かれている。
ラ・イールがすっかり呆れたことには、ジャンヌは千台家にあっというまに慣れて、溶け込んだことであった。
といっても、家族に溶け込んだのではなく、家に、である。
ジャンヌはヨーコから借りたタートルネックのセーターとチェックのミニスカートという服装のうえに、どこからか見つけてきたエプロンをして、さらには、どこからか見つけてきたらしい三角巾を頭にかぶり、モップと雑巾を、かたわらにおいていた。
エプロンの汚れ具合からして、ジャンヌが家政婦につづき、ひととおり家の掃除をしたことは見てとれた。
ふたりがいる台所のコンロには、圧力鍋が置いてある。
ラ・イールが、ジャンヌの様子をみるべく、仙台中央警察署よりやってきて、千台家のお勝手口から台所に回って、顔を出すなり、ジャンヌは言ったものである。
「見て! すごいでしょう、火を使わなくてもポトフができるのよ!」
そうかい、そいつはすごい、というほかに、ラ・イールは答えることができなかった。
ジャンヌは元気溌剌に見えるのだが、しかし、近しい者だけが察知できる微妙な変化なのであるが、いつもの元気ではなくて、どこかから元気のように見えたのである。
「でかい家なのに、静かで気持ち悪いな。ほかに人はいないのかよ」
人がいたら、台所の家政婦が休むために置かれている椅子のうえで、くつろいではいられないのだが、あえてラ・イールは口にしてみた。
千台家には潮とナミの夫婦、娘のヨーコ、潮の弟夫婦と息子のタケシ、この六人が住んでいたはずである。
家政婦は通いで、月・水・金と、火・木とで交代し、午後三時には帰宅する。
パソコンのモニターを食い入るように見ながら、ジャンヌが答えた。
「ヨーコが自分の部屋で寝ているわ。まだ起きないみたい」
「寝ているというより、寝かせたんだろ」
「タケシの両親は、向こうの離れにいるわ。すごい大邸宅でしょ? 部屋が十以上もあるの」
「大邸宅ってな。たしかに日本じゃ珍しいお屋敷だが、大邸宅は言い過ぎだろう。ほんものの大邸宅が怒るぜ。
あんたの『大邸宅』の基準は、部屋数が十以上なのかい」
「そうよ。十以上よ。大邸宅じゃない。うちより広いもの」
「うちって?」
「ドンレミの家よ」
「あんたの基準は、ドンレミの自分の家か」
「そうよ」
と、ジャンヌは、当然だといわんばかりにうなずいた。
フランス中を旅した少女である。
あちこちの城や修道院を泊まっているから、千台家がそれらから比べるとちっぽけであることはわかりそうなものだが、あくまで彼女の基準は、両親や兄弟たちと暮らしたドンレミの自分の家であり、宮殿や城、ましてや中央都市にある『塔』ではないのであった。
そのあたりを糺すのは不毛だということを経験でわかっていたので、ラ・イールは話題を替えることにした。
「俺も見てきたけれど、五橋はすごいな。あのあたり一帯が、『欠けて』るんだ。けれど、気配はある」
「これでいくと、ジェイソンの仕業かもしれないわよ。ところでジェイソンってだあれ?」
「ジェイソンってのは、湖の畔に住んでいる覆面のヤンキーだよ」
「プロレスラー?」
「戦うという意味じゃ、似たようなもんだ。あんた、なんか気がついたんじゃないのか」
「思い出したのだけれど、ヴァルキューレの世界再生を、経験のあるアトラ・ハシースが真似ると、あんなふうに不完全になることがあるわね」
「ほら、やっぱり知っているんじゃねぇか」
「まちがいなくそうだという確信はないのよ。ほかにも虫食いになっている土地はあった?」
「車で遠くから見ただけだが、青葉山に向かう途中の大橋、それからたんたかタンのあった木町だな。最上白百合や樽宮玄は、どうなっちまったのかな」
「白百合の気配は感じるわ。千里眼はわたしにはないから、どうなっているのかはわからないけれど、無事だと思う」
「そいつはよかった」
ラ・イールが心から言うと、ジャンヌはうれしそうに、にっこりと笑った。
「白百合には早く会いたいわね。きっとすぐに会えるわ。やっぱり少しでも身体を借りていたから、気配を感じ取りやすくなっているみたいなの。
まあ! まちがってちがうところをクリックしたら、『この画像を閲覧したので下記の口座に金を振り込んでください』ですって。どうしましょう」
「どうもこうもあるか。そいつはクリック詐欺だぞ。無視だ、無視! で、樽宮玄のほうは?」
「わからない。木町のほうは、街の気配は感じたの?」
「いいや」
「大橋のほうは?」
「これもだ。木町や大橋と、五橋は、種類がちがうって感じがする」
「見てみたいわ。そうしたら、かれらがどうなったのか霊査できる。
でも、今夜はだめね。ヨーコが目を覚ますかもしれないし、それにほかの千台家の人に、わたしが今日から一緒に住むことを、覚えてもらわなくちゃいけないもの」
「つーか、覚えさせる、だろうが」
「憎まれ口を言わないの。ほかにヨーコを守れる方法がないわ。嫌われたって、牡蠣のようにへばりついていなくっちゃ」
冗談めかして言うジャンヌであるが、正直者であるから、その目に翳りが見えるのに、すぐにラ・イールは気がついた。
そして、千台家に顔を出してからつづいている、ジャンヌがハイテンションである理由もわかった。
ラ・イールも、ジャンヌとはまたちがった正直者なので、そのあたり、通じるものがあるのだ。
「なんだい、ヨーコに嫌われたのかい」
図星であったらしく、ジャンヌはすこし迷った素振りを見せたが、やがて顔をあげて、笑った。
しかし、その笑顔も、から元気のまま浮かべた笑顔なのだった。
「いつものことなのだけれど、またやっちゃったみたい。口がうますぎて信用できないのですって」
「あー」
相槌をうちながら、ラ・イールは、耳の穴を指先で掻きつつ、ジャンヌを励ますのにぴったりなことばを、けんめいに考えた。
「それは、あれだ。日本人特有の本音とタテマエの論理。そういうのがふつうだと思っている、極東の小島住まいのお嬢ちゃんには、あんたの率直過ぎることばが、かえって怪しく聞こえたとか、そういう話じゃないのかな」
「そうかしら。だったら、ちょっとした文化摩擦よね。誤解は解けると思う?」
「解けるだろ。あんたがいままでできなかったことが、ひとつでもあるかい?」
「ひとつどころじゃない。いっぱいあるわ」
「俺には、あんたはぜんぶ思い通りにしてきたように見えるよ。大丈夫、今回だってうまくやれるさ。
もうひとつ言うなら、これはあんたの宿命でもあるかもな。いつでも正しいから、かえって疎まれる。
人は完全でありたいと、だれでも願う。けれど、そうではない。だが、あんたの場合は、そうじゃないのさ。
生きていたころから、さらに経験を積んで、ますます間違えなくなっている。だから自然と妬みを買いやすい。
そこは仕方ないさ。あんたを許せないという、人間の弱さを許してやってくれ」
ラ・イールのことばに、ジャンヌはうつむき加減に、ぽつりとこぼした。
「わたし、怖いわ。アトラ・ハシースとしての経験を積めば積むほど、人間らしくなくなっているみたい。
むかしは天使さまのようになれるって、喜んでいたけれど、いまはちがうわ。人の喜びも悲しみも、ときどき全部、ただの現象に見えてしまうの。
空が晴れたり曇ったり、そういうものを当然と思うのと同じように、無感動に見つめている自分がいることに、気づくことがあるわ。喜びも悲しみも分かち合えない者が、力ばかり強くなったところで、意味があるのかしら」
「思いつめることはないさ。そうやって悩めているあいだは、あんたはまともなんだよ。
もし、あんたが怖がっているように、まともじゃなくなったら、そのときは俺が気づく。あんたにきっと教えてやれるよ」
「そうしてくれる?」
「ああ。約束するよ」
そうして、昔は守れなかった約束を、今度は守ってやろうと、胸のうちで、そっと付け加えるラ・イールであった。
※ この話は、「仙台、ふたたび・6」につづきます。