仙台、ふたたび・4
※ この話は、「仙台、ふたたび・3」のつづきとなります。
走っていた。
おなじように、おなじ道を、おなじところに向かって走った記憶がある。
最初は既視感かと思った最上白百合(さゆり)であるが、仙台メディアテークを抜けて仙台天文台のある西公園に近づいていくにつれ、記憶はどんどん確実なものになっていった。
まちがいない。自分は過去に、おなじ道を走ったことがある。
暖冬のせいで、12月に入っても、黄金色の葉を陽光に輝かせている銀杏並木の下を、定禅寺通りを、青葉城の方向にむかって、白百合は走っていた。
だれに追われているというわけでもない。
ただ、気が急いた。
短気な性格ではないのだが、どうしても気が逸ったのである。もともと、走ることが好きだったから、走っているうちに頭の中が整理できるかもしれないと考えたためもある。
いま、白百合の頭のなかでは、記憶が、時系列がぐちゃぐちゃになって、並んでいる。
整理したくても、どう並べてよいのかわからないので、途方に暮れているというのが現状だ。
その記憶のひとつ。
おなじように走った。
あれは、正体のよくわからない、銀色の小人たちから逃げるためだった。
いま、小人たちは追いかけてはこない。歩道ですれちがう人々の手にしているストラップをさりげなく確認してみるが、そこに銀の小人がぶら下がっていることもない。
それに、おかしいのだ。あの日は、『今日』だった。
日付をまちがえているのではない。
過去の出来事のように思えるが、たしかに今日だった。
なぜはっきりそういえるかといえば、青葉城の展望台で、あのしゃべる(?)白い犬と、仙台駅が爆発するのを見たとき、それがどうやら未来のできごとだといって会話をしたのを、おぼえているからだ。
そのときに、今日が12月の何日であったか、はっきり確認しあっている。
このまま真っすぐ駆けていけば、あの白い雑種の犬に、もういちど会えるかもしれない。
いや、会わなければならない。
白百合は、さきほど目にした光景を、いまだに理解できずにいた。
12月の仙台の空は、晴れてはいるけれど、どこか灰色を含んで、くすんでいる。
あたたかいといっても、それは昨年のデータと比べればの話で、2004年の十二月は、やはりそれなりに寒さのある月であった。
白百合はタートルネックのセーターに、ズボンの色とあわせたジャンバーという出で立ちであったが、走るたびに、首もとにあたる風が冷たく感じられた。
そういうところからも、冬なのだと実感する。
そう、靄が発生するような季節ではない。
白百合が、『この世界』において、はじめて気がついたとき、彼女はひとり、匂当台公園のなかに立っていた。
野外ステージには、ぽつぽつと学生らの姿があり、林のなかには、あいかわらず、ホームレスの姿が見える。
野外ステージから叔父の家である牛タン専門店『たんたかタン』に方向をかえたとたん、白百合は思った。
どうして、わたしはここにいるんだろう。
自分のなかに生まれた、遅すぎる疑問に、白百合はぞっとした。
もともと、血を分けた兄である一樹と、文字通りの骨肉の争いをしている身で、空白の時間が自分にある、というだけでおそろしい。
思わず、周囲に、一樹か、あるいはその仲間がいるのではと身構えたが、匂当台公園には、鳩と、通行人と、観光客と、そして会社の禁煙が進んだために、気分転換もかねて、灰皿のある喫煙スペースにやってきている会社員、あるいは公務員の姿がぽつぽつとあるだけだ。
いつものとおりのブロンズの彫刻、手入れのされた葉牡丹の花壇、車の途切れることのない四車線道路。
なにもかわらない。
自分が自分ではないような、奇妙な違和感がぬぐえないまま、白百合は、叔父の家に向かった。
市役所の前を通過し、仙台の主要の金融機関のATMがならぶ一角を左へ曲がる。
そして飲食店や印鑑の店の前を通り過ぎ、右へまがれば、たんたかタンのある木町通りなのである。
が。
白百合は、目のまえにある光景に、ぼう然とした。
目のまえの光景と同様に、頭が真っ白になった。
事態がよく呑み込めない。
本来ならばあるべき町が、まるですっぽりと、巨大なハンカチーフで空から覆われたように、なにもなくなっていた。
ただの白さではない。牛乳のように混じりけのない白さなのである。
向こう側が透けて見えるとか、濃霧が局地的に発生しているとか、そんな生易しいものではなかった。
立ち止まり、ひたすら唖然としている白百合の横を、ふつうに、サラリーマンやOLたちが通り過ぎて、白い世界に飲み込まれていく。
それは車もおなじで、普通自動車も、タクシーも、大学病院行きのバスさえも、ためらいもなく(と、白百合には見えた)白い世界のなかに入っていく。
しかし、飲み込まれたかれらが、どうなるのかは、白百合にはさっぱりわからない。
混乱しながらも、白百合は、別の路地から木町に入れないかと、道をさぐった。大回りをして、北四番丁のほうにまで足を伸ばし、仙台フォーラムの方角から迂回して木町通りに入ろうとしたが、やはり、木町だけはすっぽりと白い世界に覆われているのだった。
ほかの人間や車は、ふつうに白い世界に入っている。
そして、白い世界に足を踏み入れた人間の、悲鳴やなんらかの声が聞こえてくることもない。
目のまえの怪異をよそに、白百合をとりまく喧騒はいつもとまったく変わらず、それがいっそうの不安をかきたてた。
白百合は、もともと最上家の跡継ぎ娘として、幼少から、祖母に従って修行を積んできた。
祖母の話によれば、最上家というのは縄文の昔にまで歴史を遡ることができる、古い古い家系で、代々、山を守ってきたという。
きれいな三角錐をしている山は、むかしから地元の信仰をあつめており、最上家の当主は、山の神に仕えるならわしであった。
神道ともちがう、独自の宗教体系をもつ最上家は、二千年にちかい歴史のなか、たびたびの迫害の危機もうまくのりきって、ほそぼそとだが、信仰をまもってきた。
修行をしたといったところで、白百合に、超常の力が身についたわけではない。ただ、勘がするどくなり、忍耐力と体力がついただけである。
信者にいわせれば、祖母はすぐれた巫女だそうだが、その跡をつぐ白百合は、超常現象にはとんと縁がなく生きてきた。
だから、おそらくはなにか、人外のものが『ある』のだろうが、それは自分には見えない、つかめないものだと割り切っていた。
ところがどうだろう。
それまで見えない、見えないとばかり思っていた人外の怪異が、目のまえに展開しているではないか。
ここで途方にくれて、泣き出したり、あるいは狂ったように笑い出したりしなかったのは、白百合の、もともとバランスのよい精神がものを言ったおかげである。
叔父や叔母がどうしてしまったかも、もちろん心配であったが、混乱の中、とっさに頭に浮かんだのが、青葉城で会った白い犬のことである。
自分の記憶の時系列がおかしくなっていることを、その時点で白百合は知覚していた。
自分が自分ではないような違和感、なにかが足りないような奇妙な喪失感の理由も、おぼろげにだが理解していた。
理屈はさっぱりわからないのだが、どうやら怪異が起こったらしい。
叔父がパワーストーンショップをいろは横丁で開くと言い出して、その店の下見に向かったことまではおぼえている。
そのとき、一緒に同級生と、白い犬もいたように思う。
そのあと。
そこからが記憶がはじけ飛ぶのであるが、自分のなかに、だれかがいたのだという自覚はある。
もちろん、そんな経験をしたのは始めてのことであるが、それまで、祖母から、最上家の巫女としての儀式のひとつ、『神降し』がこれと似たような現象で、神の霊が巫女について、ことばを語るという説明を受けていたから、おそらくそれが、おのれの身に起こったのだろうと、白百合はかなり冷静に分析していた。
そのあとの記憶はないが、記憶がないあいだに、どういうわけだか時間が巻き戻ったのだ。
そして、一人だけ、匂当台公園に立っていた。
白い犬はどこへ行ってしまったのか。
いてほしくないけれど、銀の小人たちもどこへ消えたのか。
叔父や叔母はどうなってしまったのか。
いや、町に、今なにが起こっているのだろう。
もしも時間が、白い犬と出会う前の日に戻ったというのなら、犬に会うためには、青葉城に向かうしかない。
白百合のなかで、確信があった。
白い犬が、きっとすべてを知っている。
会えば、きっとこの怪異の理由がわかる。
そして『むかし』に自分の身になにが起こったのかも。
白百合は、ぐずぐずと迷っている少女ではなかった。
もともと逃亡生活をつづけており、フットワークはいい。
青葉城に行こうとおもったとたん、足はすでに、走り出していた。定禅寺通りを南へ。青葉城へ。
走りながら、白百合は、ほかに木町のように白くなっている世界はないかと、目を走らせた。
三越仙台店の脇を抜け、国分町を抜けると、とたんに街は高層ビルの数がすくなくなり、空が開けてくる。
銀杏並木の黄金の姿の向こうには、青葉城を有する山のつらなりが正面に見えていた。
ライトパネルをいくつも並べたような仙台メディアテークの建物を通り過ぎ、青葉城へむかう。
やがて、西公園と、道路に面したところにある、城の形を模した交番が見えてきた。
広大な広瀬川にかかる大橋を渡りきると、あとはひたすら青葉城に向かう上りの道に入る。
白百合は、息をきらしながら、ほんとうに青葉城に行けばなんとかなるのだろうかと、自分の勘を怪しみながら走りつづけた。
そして、大橋を渡ろうとした、そのときである。
まるで橋に足を踏み入れることが合図だったかのように、あたりに、耳慣れないサイレンの音がわんわんと響き渡った。
それは、TVドラマや映画などで聴き馴染んだ、空襲警報によく似た、ひとの生理を逆なでするような、甲高く不安な音であった。
かつて、正午になると、こんなサイレンが町に響いたことがある。
白百合は足を止めて、自分の腕時計で時間をたしかめたが、もちろん時間は正午などではなく、昼過ぎの中途半端な時間である。
いったい何事だろうと、時計から顔をあげたとたん、またまた白百合は唖然とすることになった。
それまで、姿を見せていた、広瀬川にかかる大橋が消えている。
かわりに、目のまえにあるのは、木町と同様に、真白い世界なのである。
まるでだれかが意地悪く、白百合のまえに、通せんぼをするために巨大なホワイトボードを立てかけたようであった。
「ありえない」
思わずつぶやくが、しかし、歩道に立ちすくむ白百合の横を、仙台市立博物館行きのバス、あるいは東北大にむかうバスなどは、悠然と白い世界に入っていく。
サイレンは、ずっと鳴り響いていたが、いまは尾を引いて、彼方の空に吸い込まれていった。
いちかばちか、足を入れてみようか。
白百合は、そっと、右足を動かして、白い世界と、自分の立っている通常の世界の際にむかって、つま先をつけようとした。
が、片足をすこし浮かせた状態のまま、白百合は強烈な悪寒におそわれた。
まるで常温の部屋から、絶対零度の吹雪のなかに放り込まれたような寒気が身体をふるわせる。
それでいて、こめかみからは、ひとすじの汗が流れてきた。
白い世界のなかに、なにかがいる。
白い世界に足を入れるのをやめて、白百合は身をこわばらせて、前方を見据えた。
いやな予感がした。と同時に、こういうときはありがたくない勘が、いつものように働いた。
この中にいるものの見当がついたのである。
頭のなかで、それをはっきり思い出してしまったら、現実になってしまうような気がして、白百合は必死で考えまい、考えまいとしたが、しかし目線の先は、容赦なく現実を浮かび上がらせた。
真っ白の世界のなかで、にぶく光る一群がいる。
それは、銀色の光を放っていた。ひとつひとつはとても小さい。
レティクル。
自然にそんな単語が浮かんできた。
広瀬川から向こうは、レティクルに占拠されている……
逃げなくては、殺される。
かれらは最上一樹、兄の仲間なのだ。
だが、白百合は、銀の小人たちの、妖しく光る目玉に見つめられて、すっかり足をすくませていた。
銀の小人たちは、見ているあいだにも、どんどんと数を増やしているようだ。
あのサイレンは、橋にやってきた人間をレティクルたち報せる合図だったのか?
小人たちは、ゆっくりと橋を渡ってくる。
その動きは、ぶきみなほどに一律で、乱れがない。かれらは無言で、無表情で、ただひたすら押し寄せてくる。
銀の波のようだと、身をすくませながらも、白百合は思った。
波に呑まれる。
覚悟を決めて、ぎゅっと目をつぶったその瞬間、なにかが、自分の身をかすめて、前方へ飛んでいったのがわかった。
その衝撃に、白百合は目をひらき、目のまえを見る。
すると、銀の小人たちの一部が、光の矢によって打ち倒されているのが目に映った。
そのひとつは、見事に小人の咽喉もとに突き刺さっている。
それを抜こうと小人はもがき、それに同調するかのように、それまで一律の動きをしていたほかの小人たちも、仲間の体から、矢を抜こうと動き始めた。
もはやかれらの目には、白百合の姿は映っていないようであった。
いったいなにが起こっているのか。
うろたえていると、ふたたび白百合の身を掠めて、二番目の矢が放たれた。
矢は、まだ白百合に向かおうとしていたグループにめがけて射られたようである。
二番目の矢のせいで、レティクルの隊列は、完全に乱れた。
「いまのうちに、早く橋から離れなさいませ。かれらは橋からこちらには、向かってこられないのでございます」
白百合は、その声が、どこから聞こえたのか、わからなかった。
声は少女のもののようにも聞こえたし、少年のもののようにも聞こえた。
すこし低めの、しかしよく通る声である。
「わたしをお探しならば、こちらですわ」
声に導かれるようにして、白百合が顔を上げると、ちょうど公園の黒い鉄柵のうえで、弓をつがえている、小柄な少女の姿があった。
どこの学生なのかはすぐにわからなかったが、古風なセーラー服を着ている。
髪は、すぐに印象につくほどに長く、高くポニーテールでまとめているのであるが、その先端は腰に届くほどであった。
少女は、白百合と目が合うと、にこりともせずに言った。
「お怪我はないようですわね」
足場の不安定な鉄柵のうえで、まるでそこが通常の地面であるかのように、揺れもせず、少女は弓をつがえている。
あどけない面差しをしているので、中学生だろうかと白百合は思ったが、しかしその馬鹿丁寧な口調や、場違いなほど落ち着いた振る舞いなどは、見た目より上なのかとも思わせる。
「だれ?」
思わずたずねると、少女は、やはり無表情のまま、白い世界の中でうごめく銀の小人に顔を向けると、ふたたび弓をかまえた。
その凛とした立ち姿は、黒柵の上という異常な足場のことを考えなければ、じつにうつくしいものであった。
白百合の問いに、少女は弓をきりきりと引き絞りながら、答えた。
「いましばしお待ちくださいませ。まずはこやつらを追い返してから、サユリ様の問いに答えさせていただきます」
「わたしのことを知っているの?」
「それもあとでお答えいたします」
答えと同時に、少女の手から矢が放たれた。
すると、レティクルの一団は、ますます混乱し、まるで絡まった糸のようになって、どんどん後退していく。
白百合は、すなおにすごいと感心したのだが、少女のほうは、あまり得心がいっていないようで、銀の小人たちがうごめく様子を睥睨し、大きく舌打ちをした。
「やはり、只人のあつかう弓ごときでは、かれらを退散させることはできないのか」
「タダビト?」
聞きなれない言葉に、白百合が首をかしげると、少女は、鉄柵のうえから、ひらりと白百合のまえに下りてきた。
身が相当に軽いらしく、地面に飛び降りても、どすんという重い音がしない。
身のこなしに細心の注意を払う癖が、身についているのだとわかる。
白百合は、少女の着ているセーラー服から、少女のことを、まるで紺色の蝶のようだと思った。
「アトラ・ハシースはわれわれ生きた人間のことを、総じてそう呼ぶのです。けれど、どこか傲慢さの感じられる響きだとは思いませんこと?
だって、自分たちだって、死ぬまでは、その『只人』だったでしょうに、死んだら、まるで天下を取ったみたいではありませんか」
「あとら・はしーす?」
「申し訳ありません、訂正いたします。アトラ・ハシースだけではなくて、アストラルもそう言いますわ。
さあ、レティクルどもも大人しくなったようですし、いまのうちに大橋を離れましょう」
弓を手にうながす少女に、白百合は、戸惑いながらも従おうとした。
とたん、背中にぞくりと悪寒が走る。
敵の気配とわかったときにはすでに遅く、振り向くと、白百合とほぼおなじ高さにまで飛び上がっている銀の小人が、いままさに襲いかかろうとしているところであった。
白百合は、驚愕のなかでも、間近ではじめて見た銀の小人に、じめじめした質感があるのだということに驚いていた。
やはり白い世界のなかは、靄が発生しているのだろうか。
小人のぷっくりとふくらんだ幼児のような身体には、水滴がついている。
銀の小人からは、生臭いにおいがした。
河童のようだと、一瞬、白百合は思った。
武器もなにももっていない銀の小人であるが、白百合は、なぜだか、かれらについて知っている自分を見つけた。
かれらは触れるだけで、相手の霊力を吸収できるのだ。
アトラ・ハシースでも消滅させられてしまうものを、只人ならば、ひとたまりもない。
今度こそ、だめなのか。
小さな銀色の手が、自分に向かって伸びてくる。
たん、たん、と拍子木を打ったような軽い音がした。
音が先であったのか、目のまえの光景が変わるのが先であったのか、白百合には判断できなかった。
空中で、白百合めがけて腕を伸ばしていた小人は、突如として、背後からやってきた銃弾によって後頭部を撃ちぬかれた、
ほかにも、弓矢におどろきうろたえる仲間たちとはべつに、白百合にむかって手を伸ばそうとしていた小人も、頭を撃たれた。
かれらは悲鳴をあげることもなく、そのまま地面にぼとりと落ちると、そのまましゅうしゅうと、蒸気を吐いて融けていく。
その蒸気が、たまらないほどひどいにおいであったので、白百合は思わずむせながら、小人たちから後ずさった。
ほかの小人たちが、こちらの仲間に気をとられて、むかってくるのではないかと白百合はかまえたが、しかし小人たちは、いくつも絡み合って、弓矢を自分たちの群れからはがそうと、もがきつづけている。
そして、かれらは弓矢を仲間の体からどうしても抜けないとわかると、白百合たちをもう見ることもなく、踵をかえすと、青葉城のほうへと集団で走り去っていった。
大橋から先の、ゆるやかなカーブをかれらがキレイに横一直線に並んで消えていくのを、白百合は沈黙のまま見送った。
しかしかれらが去ってもなお、白い世界はそのままである。
小人たちの襲撃があったにもかかわらず、小人そのものが、ほかのものから見えていないのか、道路を走る車は、そのまま白い世界に突入している。
そして、そのなかでもひときわ目立つ臙脂色の観光巡回バス・るーぷる仙台もまた、止まることなく、やはり青葉城のほうへと消えていった。
危機がさった安堵がいちばんであるが、この白い世界は、どうなっているのだろうという好奇心もある。
思わず白百合が、白い世界の際に立って、その先を、指でなぞろうとすると、すばやく、いつのまにか背後にまわりこんでいた少女がきつくたしなめた。
「白い世界に触れてはなりません。あたくしたちがそこに入ろうとすると、またあのサイレンが鳴って、レティクルどもがやってまいります」
「ほかの車や人は入って平気なのに、わたしたちはだめなの?」
白百合がたずねると、少女は平然と答えた。
「仕組みは詳しくは知りません。しかし、あたくしやサユリさま、そしてほかのアトラ・ハシースやアストラルなどが白い世界に触れると、サイレンが鳴って、レティクルたちが出動するようになっているのです。
サイレンは、文字通り警報なのです」
「レティクルたちは兄の仲間だから、わたしを警戒しているのはわかるけれど、あなたのことはどうして警戒しているの?
それに、どうしてあなたはわたしを知っているの?」
白百合が矢継ぎ早に質問すると、少女は、やはり表情をまったく動かさずに言った。
「まずはあたしの自己紹介からさせていただきます。あたしの名はクロウ。今後はクロウとお呼びくださいませ」
「クロウ…からす?」
たしかにカラスの濡れ羽のような光沢のある、うつくしい黒髪をしている少女である。
だからカラスなどと名乗っているのだろうかと、白百合は想像した。
少女の背丈は、白百合よりもまだ低い。
155センチくらいだろうか。
肩幅も狭く、なんら改造のなされていない既製のままのセーラー服から覗く手足は、びっくりするほど華奢であった。
「藤原より派遣されてまいりました、サユリ様のお味方でございます。
前回のループにおきましては、伊達の意向もありまして、静観するだけでございましたが、今回はいよいよ黙っておられぬと、このゲームに参加することになった次第でございます。
サユリ様の足を引っ張るようなまねは決していたしませんので、どうぞよろしくお願いいたします」
一気に言われて、白百合は、なにがなにやらさっぱりわからなかった。
まずは、この少女が何者なのかわからない。
それに、ゲームだというが、どのあたりがゲームだというのか。
そして、『前回のループ』とは?
白百合が、なにから聞くべきかと迷っていると、不意に、少女の眉がきつくしかめられた。
睨まれたのかと、どきりとした白百合であったが、そうではなく、クロウの目線は、白百合の肩を越して向けられていた。
まだ小人が残っていたのかと、あわてて白百合が振り向いてみれば、そうではなく、そこには、すこしばかり肥満の目立つ、眼鏡の中年女が立っていた。
腰まわりにでっぷりと脂肪がついているのが、その高級そうなタータンチェックのスーツの上からも見てとれる。
女は金満家であるらしく、スーツと同じく高そうな、手染めのシフォンスカーフを首に巻き、目の周辺の皺を隠すためか、色付きの眼鏡をかけ、指には目立つエメラルドの指輪、そして腕には高級時計をはめていたのだが、しかし、その肩に乗せているものは、異様である。
女は、素人目にも骨董品くらいに古いとわかる、拳銃を持っていた。
※ この話は、「仙台、ふたたび・5」につづきます。