仙台、ふたたび・3
※ この話は、「仙台、ふたたび・2」のつづきとなります。
鈴木は、車高のひくい車から、まだ水の含んでいる靴でもって降りた。
目のまえにあるのは、自分の家だという。
一方通行の狭い道が、細かく碁盤の目のように交差している一角に建つ、真新しい家につれてこられてもなお、おのれの記憶が揺さぶられないことに、鈴木は、ますます不安をつのらせていた。
住宅の密集した地域である。
交通の便がいいので人気があり、最近になって、目だってマンション建築が増えた一角でもある。
かつてはここに、陶芸職人の窯おおくがあったというのだが、その面影は、表通りからはすっかりなくなってしまっている。
かつての職人たちの製作物は、市立博物館にて見ることが可能だ。
緑の少ない土地だというのが、最初の印象であった。
そして、目のまえにある家というのが、まるで新品の洒落たデザインのオーディオ機器を思わせるような、無機質なデザインである。
これが自分の好みだったろうか。
家とおなじくローンを組んで買ったという、派手なフェアレディZは、平塚八兵衛がハンドルをにぎっている。
鈴木の家のある堤雨宮町界隈にやってくるまでは、平塚は、運転席で、ずっとぶつぶつと、贅沢のおろかさについて、独り言とも、説教ともつかないことばを口にしていた。
鈴木は状況がつかめないなかで、適当にその話を聞いていたのだが、平塚には、かなり年下の妹がいるらしい。
それがたいそう口うるさいうえに倫理観のしっかりした少女だとかで、平塚もずいぶん影響されて、人はシンプルがいちばんだという結論にたどり着いたのだという。
それまでは、勝手気ままに、なにを深く考えることもなく、やりたいことだけをやって生きていたのだとか。
だが、それを反省し、いまは真面目に生きていると、平塚は言った。
ずいぶん自分を語りたがるやつだなとぼんやり思いながら、鈴木は、自分を刺激してくれる光景がどこかにないかと、ずっと車窓のそとをながめていたのだが、結局、なにも目にすることはできなかった。
自宅に帰ればちがうのではないかと思っていたが、期待は外れて、やはりなにも感じることができない。
腕に抱えた茶色いモップのようなシェットランドシープドックは、ゆるり、ゆるりと尻尾を振って、ときどき鈴木の顔を見上げる。
自分を見上げてくるつぶらな瞳が、記憶が蘇ることを期待しているように見えるのは、気のせいだろうか。
新築の家は、家の地下の部分に車庫があるつくりになっている。
平塚は、まだコンクリートの内部が、乾ききっていないのではないかというほどに、新しさを感じさせる車庫のなかに、鈴木の車を丁寧におさめた。
そうして、平塚もまた、車から出てくる。
海のなかから、混乱のまま這い上がってきた鈴木であるが、だんだんと冷静になってきて観察すれば、平塚と言う男は、ずいぶんと大きな男である。
ただ背が高いというわけではなく、相当に鍛えているらしく、肩から腹筋にかけての立派な筋肉が、スーツの上からも見てとれた。
刑事というからには、いろいろと捕り物に参加することもあるのだろうが、こんな巨漢に押さえつけられたら、どんな犯人もたまったものではないだろうなと、鈴木は思う。
昭和の混乱期から高度経済成長期に活躍した、本物(?)の平塚八兵衛という刑事は、もうすこし小柄な男で、いかにも職人といったふうの、頑固そうな顔をした男であったが、この平成版ともいうべき平塚は、だいぶ印象がやわらかく感じられる。
たしかにいかついのだが、どこか愛嬌があるのだ。
とはいえ、変わり者であることにはちがいない。
平塚は、この家にやってくるまでも、信号で車が停止するたびに、自分の携帯電話の着信を気にしていた。
そして、いまも、車から降りるなり、携帯電話の着信履歴を確認していた。
どうやら、何件か着信履歴が入っていたらしく、平塚は顔を大きくしかめている。
さて、俺はこれからどうすればよいのだろう。
鈴木は家の鍵を持っていなかった。
海に飛び込んだときに、波に揉まれて、ポケットなどに入っていたものは流されてしまったのか、携帯電話も財布も、免許証も持っていなかった。
つまり、自分が『鈴木剛志』である、という証明をするものを、なにひとつもっていないということになる。
そして、自分が『鈴木剛志』であると言っているのは、刑事と名乗る自称・平塚八兵衛だけなのだ。
そういえば、俺は、平塚が本物の刑事か、確認しただろうか。
ずっと抱えたままの、手触りのここちよいシェットランドシープドックのポニーはというと、鈴木の手のなかで、飽きたのか、身体をもぞりとうごかした。
人懐っこい犬だと、鈴木は思う。
家族だと平塚は言ったが、しかし、やはり鈴木は、なにも思い出せないでいた。
多少なりと愛情のようなものが抱ければよいのだが、いまの鈴木には、居心地のわるさばかりが先に立つ。
そう、居心地がわるいのだ。
自分のものだという自家用車の助手席に座っていても、自分の家族だという犬をかかえていても、自分の家だという立派な一軒家をまえにしても、デジャヴどころか、まったくなにも感じない。
なにもかもが新しいものに見えるのに、しかし平塚は、おまえのものだという。
平塚によれば、自分は地方新聞社の記者だということであるが、それにしても立派にすぎる一軒家に、鈴木はうろたえていた。
坪80はあるだろう敷地に、長方形のコンクリートの打ちっぱなしの壁の家が、敷地ぎりぎりまで建っている。
門は、車庫からつづく玄関と、たたみ一帖ほどしかない、芝生だけが植えられているちいさな庭につけられたそれと、ふたつだけだ。
「お、そうだ」
と、携帯電話の画面から顔を上げた平塚が、ポケットをさぐると、取り残されたようになっていた鈴木に、鍵を投げた。
車のキーかと思えば、そうではない。
家の鍵であるらしく、鍵には、二羽のうさぎの人形のキーホルダーがついていた。
うさぎの人形は手作りであるらしく、一緒についているネームプレートには、こうあった。
『もなかとくっきー』。
うさぎの名前にしては、あまり一般的なものではない。自分はうさぎを飼っていたのだろうか。
けれど、思い出せない。
鍵とキーホルダーをまじまじと観察していた鈴木に、平塚が言った。
「ついでに茶でも馳走になりたいところだが、ちょいと時間がないようだ。あんたも塩辛い身体を洗いたいだろうし、ひとまず退散するわ。
なにかあったら、俺の携帯に連絡をくれ」
と、平塚はポケットから、慣れたふうに名刺を取り出し、鈴木に渡した。
戸惑い気味の鈴木に、平塚は、すこしばかり気の毒そうな表情を浮かべて、言った。
「ま、焦るな、と言いたいところだが、ゲームは現在進行形でどんどん前に進んでいる。なるべくなら早いところ前線復帰をたのむわ」
「だから、そのゲームというのは、なんなんだ? なにかの隠語なのか」
「隠語といっちゃあ、まあ、そうなるのかな。いまのあんたにゃ、あんまり詳しくは話せないんだが、俺が港で言ったことをおぼえているか」
「当山孔真君を探せ?」
鈴木が言うと、平塚は、そのとおり、というふうにうなずいた。
「いまは記憶なんぞなくてもいい。ともかくそれだけは覚えていてくれ。なにせ、俺のほうもいっぱいいっぱいだからな、今回の基本は『自分のことは自分で』だ」
「『今回は』?」
鈴木が訝しそうにたずねると、平塚は、もうだめ、というふうに手のひらを見せた。
「あんまりあれこれ気にすんな。なるようになる、ケ・セラ・セラ。というわけで俺は消える。じゃあな、鈴木剛志」
なにがなにやらわからず、戸惑っている鈴木をあとに、平塚八兵衛は、複雑な路地の一角を曲がり、消えた。
よくわからない男ではあったが、いなくなってみると、とつぜんに心細くなった。これで、ポニーがいなければ、鈴木の不安はもっと強いものになっていただろう。
平塚が立ち去ったあとも、しばらく立ち尽くしていた鈴木であったが、腕のなかのポニーが、うながすように首をあげて、顎を舐めてきたので、鈴木は我にかえった。
と、同時に、十二月の冷たい風が、海水に浸かって冷えた体を、さらにいじめてくる。
車の滅多に入ってくることのない界隈で、通行人もいないからいいが、このずぶぬれの姿はあまりに不自然だ。
ともかく中に入ろうと、鈴木はポニーを抱え、うさぎのキーホルダーのついた鍵でもって、家のなかに入った。
家に入って、最初に抱いた感想は、モデルハウスみたいだ、ということである。
玄関にはサンダルやつっかけもなければ、傘などもない。
それらはすべてきれいに靴箱に収納されているのだが、みな、几帳面に整頓されており、出番を待っていた。
一階はリビングを中心にした作りで、玄関脇にバスとトイレがある。
脱衣所に洗濯機とランドリーボックスがあったので中をのぞいてみたのだが、空だった。
とりあえず、いちばん心地が悪かった濡れたソックスを脱いで、洗濯機の中に放り込む。
そのまま風呂場に入ってもよかったのだが、まるで他人の家に勝手に入り込んで入るような居心地のわるさは消えない。
ポニーのほうはというと、これは律儀に鈴木の足元で待機しており、その行動を見つめている。
「俺の家なんだよな」
と、つぶやいてみるものの、もちろんポニーは犬だから、言葉を返してくるはずもない。
鈴木は、裸足のまま、ちいさな廊下から、リビングに入ってみた。
全体の色調は、すべて白で統一されている。
壁も白ならば、ランプシェード、カーテンから絨毯も白である。壁には、ミロのリトグラフがかかっており、その下にあるおなじく白いラックの上にある銀色のデジタル時計とともに、存在感をかもしだしていた。
テレビはなく、かわりにパソコンが置いてある。
パソコンのとなりには一輪挿しがあって、そこにはカラーが飾られていた。
リビングと台所との仕切りがないため、建物全体に開放感がある。
南に面した壁は、すべて窓ガラスになっており、その代わり、隣家や道路に密接している北や東西の壁には、ちいさな擦りガラスしかない。
白を基調としたカフェスタイルのリビングから階段をあがると、すぐに廊下になっており、南側はテラスになっている。
一階の庭が、庭とも呼べないほど小さいかわりに、二階のベランダは、洗濯物を干すためのスペースとして、十分な広さがとられていた。
ベランダにおおきくスペースをとられているため、ひと部屋しかないのだが、そこは書斎兼ベッドルームになっていた。
新聞記者という職業柄か、蔵書の数はたいしたものであり、壁にすえつけられた本棚には、すき間がほとんどなく本が並べられている。
やはりここでも白が基調になっており、多くある本のほとんどが、一冊ずつ、ていねいに白いブックカバーがかけられていた。
几帳面にすぎると、鈴木は違和感とともにおもった。
自分は新聞記者だということだが、ふつうのサラリーマンとはちがい、その仕事はハードで、休みなども不定期なのがあたりまえだろう。
プライベートにほとんど余裕がないはずの自分に、こんな丁寧な『余暇をつかう仕事』ができるだろうか。
だれかが一緒に住んでいた?
あるいは、だれかが定期的に通ってくる?
自分は独身であるようだから、可能性があるとしたら恋人がいる、ということであるが、さて、これまた厄介なことに思い出せない。
当山孔真君という謎めいた名前が、なにか関わっているのだろうか。
そうして、ひととおり家のなかをまわった鈴木は、風呂に入ろうと一階に降りようとしたのであるが、そのとき、ベッドのうえに、黒いラップトップ型のパソコンがあったことに気づいた。
黒いから目立ったというだけではなく、さまざまな家具のなかで、このパソコンは妙に古びていた。
なんとなく惹かれるものがあり、鈴木はパソコンの電源を入れてみた。
とたん、画面に、メール受信を報せるメッセージが出てくる。
確認すべくメールボックスを見れば、一件だけ、送信先は『カラス』とあり、こんな内容のメールが入っていた。
『留守録に入れた』
それだけである。
どうやら携帯電話から発信されたものらしい。
海に流されてしまった携帯電話に入れたのだろうか。
『カラス』なる、やはり謎めいた名前をうすきみわるく思いつつ、鈴木は、一階のリビングに、電話機があったことを思い出した。
パソコンをかかえたまま、一階に下りて確かめてみれば、メッセージありとランプが表示されている。
再生ボタンを押すと、利き覚えのない少年の声がメッセージを語りだした。
『前回の流れは破棄されたようだな。もしあんたが生きていたら、きっとこれを聞くだろうね。
生きているのなら、ラッキーだったね。花とか何にも用意してないけれど、ともかくおめでとうとだけ言っておくよ。ともかくよかった……これは本音。
けれど、そう喜んでもいられなさそうだ。俺もすぐに動かなくちゃいけない。今回は、傍観者ではいられないようだよ。
あんたもじきに目にするだろうが、町が虫食いだらけになっている。
藤原の意向は『関わるな。しかし危機あれば戦え』だった。あんたはどうする……いや、あんたがどうしようと、俺のやることは決まっているけど。
これからは、メッセージを送るたびに、これが最後だと思ったほうが良さそうだな。
そうだ、あんたの役に立ちそうなことを最後に言っておく。
怪談を探れ。あんたがいつも情報収集に使っている『仙台せんちゃんねる』に、おかしなスレが立っている。
前回はそんなものなかった。たぶんそれが、この異常の原因を示す鍵になるだろう。スレの名前は『仙台のほんとうにあった怖い話を検証するスレ』だ』
少年の声がそこまで進むと、とつぜん、その背後で、大きなサイレンの音が聞こえた。
耳慣れない、人の不安を煽るような音である。
空襲警報のようだと、鈴木はその音を聞いて思った。
少年は屋外で携帯電話を片手にどこかへ移動しているらしく、サイレンの音を聞くと、おおきく舌打ちをした。
『出て行かなくちゃいけなくなったようだよ。それじゃあ、また、次があったら。さようなら、鈴木さん」』
そして、メッセージは切れた。
さようならという言葉を、ひさしぶりに聞いたと、見当違いのことをぼんやりと考えながら、鈴木はしばらく電話機をまえに、立ちすくんでいた。
聞いたことのない少年の声。
これが『カラス』?
いや、当山孔真君ではないのか?
鈴木は、メッセージにしたがって、パソコンでインターネットを立ち上げると、『仙台せんちゃんねる』なるサイトを探した。
着信履歴に残された件数は四件。
わずか一時間のあいだに、この件数。
俺ってば、なかなかの人気者じゃねえの。
すこしもうれしくなかったが、そんなつまらない冗談で気持ちを紛らせながら、ラ・イールは、だれからの着信履歴なのかを確認していった。
先着順に、仙台中央警察署の千葉(これは単独行動をしている平塚八兵衛が不満で、所在確認の電話をしてきたものである)、K北新報の浅野、署長のメグちゃんこと、藤田恵、つづいてジャンヌである。
まっ先にジャンヌに架けたいところであるが、彼女には、ちゃんとした情報を多く与えてやりたい。
となると、まずは浅野に連絡するのが妥当だろうと、ラ・イールは考えた。
地面に突き刺さった短剣のように見えるNTTドコモ東北ビルの目立つ愛宕上杉通りを、仙台駅方面にむかって歩きながら、ラ・イールは浅野に向かって発信する。
すると、コール音が三回を越えないうちに、浅野が出てきた。
どうやらラ・イールからの電話を待っていたようである。
その速さに、ラ・イールは緊張した。
千台潮、あるいはレティクルの動きが、なにかあったのか。
『すまない、気になることがあったので架けてみたんだが、いま大丈夫か』
気遣いの人である浅野は、そんなふうに切り出してきた。
いじわるを言う理由もなかったので、ラ・イールは大丈夫だと答えた。
『ふつうに交通課に問い合わせもしてみたし、交通情報センターのほうにも確認してみたんだが、異常がないそうなんだが、ほんとうだろうか』
「どういうことだい」
状況が読めずに、ラ・イールがたずねると、浅野は答えた。
『こちらに情報提供者がいるという話をしたことはなかったかな。学生ということだけはわかっているんだが、会ったことのない男で、もともとは鈴木剛志君の情報屋だった。ああ、鈴木君はどうしてる』
「どうもこうも元気だよ」
この言葉の重みがどれほどか、浅野は気づいていないだろうなと思いつつ、ラ・イールは答えた。
『鈴木君のほうにも連絡しているかもしれない。わたしのほうにも連絡をくれるんだ。名前を『カラス』というんだが』
ラ・イールの脳裏に浮かんだのは、どんな町にもかならずいる黒い鳥・カラスではなくて、マリア・カラスのほうであった。
そういえば、前回のループで、最上一樹が仙台のホテルに仲間と集っているとかいう話をしたときに、浅野がそんなことを言っていたと、ラ・イールは遅れて思い出した。
「そのカラスがなんだって」
『カラスの情報は精度が高い。いままでいい加減なことを言うやつじゃなかったんだが、さっき、留守番電話におかしなことを吹き込んでいた。
町が消えているとかなんとか。広瀬川から向こう側がないとか。しかし、そんなことがあったら、大事だろう』
「そりゃそうだ。カラスってのは、ジャンキーと言う可能性は」
『どうだろう、会ったことがないのでわからない』
と、生真面目な浅野は返してきた。
ラ・イールは、ビルを含めた仙台の空を見上げた。
青空はすでに闇を含んだ濃さに変化している。
じき、一番星が輝くだろう。
そして、四車線道路の愛宕上杉通りの往来に目を転じれば、いつもどおりに車両は流れており、なんら変わった気配はない。
「俺がいま見た限りじゃ、なにも変わっていないように見えるが、ちょっと待て。いま法華クラブの前だ。そろそろ署に戻る。なにかおかしなことが起こっていないか、調べてから連絡する。
と、それと、カラスとかいったか、そいつ、なにか事件に巻き込まれた可能性はないだろうな」
『さあ、電話の声はすこし緊張していたようだった。それと、サイレンが聞こえたな。なんだか懐かしい音だったよ。むかしは正午になると鳴ったもんだ』
「サイレン? なんだってまた。空襲でもあるのかね」
と、言ってから、ラ・イールはぞっとした。
この街は、いま、ふつうの街ではない。
ゲームの盤、つまりは戦いの場なのである。
サイレンの音は、レティクルの襲撃の合図ではないかと思い、周囲につよい霊力を発するものがないかどうかを確かめたが、なにも見つからなかった。
そうして、ゆるやかな坂を、仙台駅にむかって下っていく途中で、専門学校と高級家具店があつまっている、その一角だけは奇妙に仙台らしさのない瀟洒な街の方角へ曲がっていく。
そこを突っ切ると、中央警察署に近いのだ。
ラ・イールは、ひとまず電話を切って、中央警察署に帰還した。
入り口にいる巡査に挨拶をし、それから、古びた階段をのぼっていく。
途中、署長室にいるだろう藤田のところへ行って、なんのために連絡してきたのかを尋ねようか、ラ・イールは迷ったが、まずは順番に浅野の件から片付けようと、刑事一課のある階に向かった。
情報提供者のカラスが信用できるやつかどうかはわからないが、この世界の礎になっている浅野家の要が、奇妙さを受け止めているのである。
おそらくなんらかの異変が、この世界に起こっているのだろう。
広瀬川から向こう側がなくなっている?
もしそんなことになっていたら、いまごろ警察はパニックだ。
そうして、刑事部屋にもどってくると、相棒の千葉が、自席でパソコンをまえに、なにやらしきりに首をひねっている。
さて、なにを見ていやがるのかなと覗いてみれば、仙台に関する話をウェブ上でするという、ラ・イールからすれば、なにがおもしろいのかよくわからないホームページをひらいている。
「サボリか、おまえ」
ラ・イールが挨拶代わりに千葉の頭をぽかりと殴ると、あばた面の若い千葉は、迷惑そうに顔をしかめた。
「そりゃ、こっちのセリフっすけど。いままでどこにいたんですか」
「おまわりさんらしく、人助けだ」
嘘ではない。
鈴木剛志を仙台港から助け上げ、自宅へ連れて帰ったのだから。
そして、刑事部屋をぐるりと見回すが、だれも慌てている様子はない。
浅野が心配したような異変は起こっていないようだ。
「どんな人助けなんだか。あ、そうだ、メグちゃんから、平塚さんに伝言ですよ」
ラ・イールは、ふたたび千葉の頭をぽかりとなぐった。
「メグちゃんってなんだ、署長といえ、ばか」
「メグちゃんで十分に通用するじゃないですか。伝言いいますよ。『ウッシー失踪』だそうです。ウッシーって、エッセイ漫画の犬ですか」
藤田からの伝言に、ラ・イールは顔をしかめた。
ウッシーとは、千台潮のことである。
千台潮が失踪した? 浅野の話とどう繋がってくる?
「なあ、メグちゃんの伝言のほかに、なにかおかしな話は来てねぇか。たとえば、広瀬川から向こうがなくなっているとか、町が消えているとか」
しかし千葉は、真顔でそんなことを尋ねてくる、強面のラ・イールを気味悪そうに見上げながら、答えた。
「平和なもんですよ。ま、異常といったら」
「あるのか」
「いえ、平塚先輩には『くだらねぇ』ってところで落ち着くかもしれないんスけど、『せんちゃんねる』の怪談が、さっきまで六つだったのに、七つに増えたってことっすかね」
「なんだ、その怪談ってのは」
「仙台にほんとうにあるっていう怪談ですよ。火のないところに煙は立たないっていうじゃないですか。なにか未解決事件のヒントがないかなと思ってチェックしていたんですけど、見ます?」
千葉が見せたパソコンのモニター画面には、こんな言葉がならんでいた。
なんだか増えてんじゃん。
いままでの流れをまとめてみる。
○ 青葉山に向かって橋を渡ると、空襲警報が聞こえてくる。警報が鳴っているあいだに隠れないと、命を落とす
○ 国分町に、幽霊高級クラブがある。そこで殺された少年の怨霊がいる
○ 私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る
○ 五橋のジェイソン。遭遇した時に質問にYESと答えると殺される
○ 仙台アエラの幽霊エレベーター。乗ると異世界に連れて行かれる
○ 青葉城の周辺で深夜になると日本兵の幽霊が行軍練習をする
○ いろは横丁の呪われたパワーストーンショップ。封印された霊がいる。
空襲警報。これか。
ラ・イールはさきほどの浅野の言ったサイレンのことを思い出し、ちいさく舌打ちをした。
どうやらゲームは容赦なく進行をつづけているようだ。
※ この話は、「仙台、ふたたび・4」につづきます。