仙台、ふたたび・2
※ この話は、「仙台、ふたたび・1」のつづきとなります。
この海の汚れは、昨日の海よりまだマシだ。油膜が浮いたり、死んだ魚が浮いたり、どこにでも落ちてやがるコンビニの袋が浮いていたりするが、はるかにいい。
なにせ土座衛門が浮いていないからな。
平塚八兵衛は海面をじっとみつめていた。
ヘドロの色というわけでもあるまいが、濃碧色の海の奥底に、ゆらゆらと揺らめく白いものがある。
それがだんだんと海面に近づいてきているのだ。
なにやら馬の出産に立ち会ったときのような気分だ。
がんばれ、もうすこしで生者の世界だぞ。
「たぶんまちがいない。合流する必要はないだろうよ。ま、どんな状態かは、見てみないことにはわからねぇけど、弾かれなくて運がよかったというべきじゃないかな。
こっちも任せてくれ。アトラ・ハシースを補佐するのがアストラルだろ。そのための、俺なんだからな。
ま、心配無用ってとこだ。俺の勘だが、今度はいい方向に動くだろうよ」
電話口の向こうのジャンヌは、なにかいいことがあったらしく、屈託なく笑いながら、答えた。
「そうね、あなたのほうが、そういう勘はいいわね。従うわ」
「あんたがいつもそう素直だと、俺としてもうれしいんだがね」
すると、ジャンヌはまたも声をたてて笑った。
そうした澄んだ笑い声を聞くと、ほんとうにまだまだ子どもなのだと思う。神に選ばれてしまったばかりに、大人に翻弄されて、暗い運命を突き進むしかなかった子ども。
「あら、わたしはいつだって素直なよい子だったでしょう?」
「それはどうだかな。ところで、千台家のお嬢ちゃんはどうだい」
「ヨーコのほうはまかせて。ほかの仲間たちも見つけるわ」
「なにかあったらすぐに呼んでくれ。きっとだぜ」
素直なくせして、妙に忍耐強い娘なので、ぎりぎりにならないと助けを求めてこないのがジャンヌである。
ほかのだれかの命がかかわることではないかぎり、自分のことだけで人を動かすことを嫌うのだ。
遠慮深いというと聞こえがいいが、守護する役目からすれば、はらはらして仕方がない。
携帯電話を切って、コートのポケットにしまいながら、平塚八兵衛こと、ラ・イールは心のなかでつぶやく。
ともかく、前回のループよりはいい状態だ。
アスカロンは、ジャンヌを封印しなかった。ジャンヌが覚醒してくれているので、話が早い。
ほかの連中がどうなったかはまだわからないが、前回の、あっちこっちに封印された状況でないことを祈るばかりだ。
波間の白いものは、どんどん海面に近づいてくる。
わざわざ手を差し伸べてやるほど、ラ・イールはやさしい男ではない。
これが可愛い女の子というのなら、だいぶ話はかわるが。
さあ、大将、あんたはどうなっている。
白いものは、近づいてくるにつれ色を濃くして、はっきりとその肌の色がわかるまでになった。
懸命に腕を動かして、なんとか海面にあがろうとしている。
息が出来ないわけだから、苦しいだろうなと思うが、しかしそれでも助けようとしない。
ガスコーニュ人はスパルタ式なのだ(いま決めた)。
埠頭にのりつけた青の乗用車のなかから、ガタゴトと音がする。
なんだかいいたいことがいろいろあるようだが、いまは俺が主体で動かせてもらう。
どちらにしろ、こいつがそう簡単にくたばるやつじゃないということはわかっているのだから、そう目くじらたてることもあるまい。
気泡が波間にはげしく立つ。
そして、その気泡を突き破るようにして、ざばっと顔が浮き上がってきた。
写真でしか見たことのない男だった。
へえ、写真で見るのと、だいぶ印象が変わるな。
それとも、中身のせいか?
ラ・イールは目をほそめて、男の顔を見る。
男のほうは男のほうで、くわえタバコのまま、両手をコートのポケットに突っ込み、沈黙したままこちらを見ている男の存在に、ぎくりとしたようだ。
そのまま波間にふたたび隠れようとするのを、ラ・イールはタバコを地面に吐き出して(ジャンヌの目がないために、行儀の悪さがもとに戻っているのである)呼びかけた。
「待ちな。あんたを殺そうなんて思ってねぇよ。寒中水泳が趣味ってんなら邪魔しねぇが、そうじゃないなら、上がってきな。
焚き火の用意はしてないが、バスタオルとホッカイロくらいならあるぜ」
男は器用に波間にぷかりと浮いたまま、何度も口から海水を吐き出して咽ている。
だが、海から上がろうとはしない。
もしかしたら、海の中のほうが温かいかもしれないなと考えながら、ラ・イールは、海から吹きつける冷たい風に、軽く震えた。
五感をコントロールできるのがアストラルではあるが、こうして只人の肉体に封印されている状態では、そう簡単にはいかない。
召喚者であるアトラ・ハシースの負担をいかに軽くするかもアストラルの手腕の見せ所だ。
なるべく霊力を使わないようにするのがラ・イールのやり方である。
何度か海水を吐き出したあと、男は言った。
「あんたはだれだ」
ま、妥当な問いだわな。
というか、わかりやすいことに、こいつが封印されたことはわかった。
「俺は仙台中央警察署の刑事一課の平塚八兵衛ってもんだ」
「平塚、八兵衛? 冗談だろう」
さすが、オリジナルの平塚八兵衛を知っているわけか。
ラ・イールは、本物の平塚八兵衛もよく口にしていた、名前に関する由来を説明した。
「俺の親父も警察官でな、名刑事といわれた大先輩・平塚八兵衛と同姓だったことから、息子の俺にも刑事の道を歩ませるつもりで、八兵衛と名付けたってわけだ」
「刑事なら、ふつうは二人一組で行動しているはずだろう」
「相棒なら、ほれ、そこの車にいるんだよ」
タイミングよく、青い国産車のなかで、ガタゴトと音がした。
暴れているらしい。
土座衛門になりそこねた男は、そろそろ体力も限界だろうに立ち泳ぎをつづけながら、怪訝そうに車のほうに首をむけた。
「なにがいるんだ」
「相棒さ。あんたも知っているやつだよ」
「俺を知っているのか」
「まあな。ただ、泳ぎが得意だというのは知らなかった」
「俺も知らなかった。というより、聞きたいんだが」
「なんだ」
「俺はだれだ」
ラ・イールは素直に目をむいた。
素直に『復活させた』わけじゃないらしい。
アスカロン、性格の悪すぎる剣である。
いや、ヴァルキューレかサブラ姫の意志かもしれない。
だったら悪口はひかえよう。あとが怖い。
「なんにも覚えてないのか」
「取引があるといわれて、ここに」
と、男は鉄鋼の施設のたちならぶ、潮風に吹きさらされた仙台埠頭を見回した。
あたりに人通りはない。
無人のように感じるがそうではない。
人はこの施設のなかに、人間の内臓よりも複雑な機構をもつ機械に囲まれて仕事をしているのだが、表に出てこないだけである。
「呼び出されたんだが、そのあとのことがわからない。というより、取引がなんだったのかもわからない。
あんたは俺のことを知っているんだろう? あんたが俺を呼び出したのか」
「あいにくとちがうんだな。俺は、まあ、あれだ。匿名の電話で、ここに土座衛門候補がいるから見に行けといわれてやってきた、親切なおまわりさんだ」
「匿名の電話で、俺のことを言っていたのか」
「まあな。詳しい話をしてやるから、上がれ」
ラ・イールが安心と判断したのか、それとも体力の限界を感じたためか、男はゆっくりと近づいてきて、コンクリートで固められた埠頭に上がってくるが、とたんに膝を折って、おのれの体をかかえるようにしてガタガタと震えはじめた。
寒いようである。
ラ・イールは、車の助手席からバスタオルを取り出したが、同時に、車の中にいた『それ』と目が合った。
あきらかに非難している。
「これが俺なんだよ」
言い訳とも開き直りともつかぬことばをそれに向けて、ふたたびドアを閉めると、ラ・イールは男にバスタオルと、そしてさきほどからポケットの中で揉んで温めていたホッカイロを与えた。
男はそれを引っつかむようにして受けとると、両手で、冷え切って思うようにならない指を動かしながら揉んでいる。
これが只人であったなら、病院に連れて行ってやるとか、霊力で火を用意してやるとかするのであるが、いまのラ・イールは省エネモードに入っているため、そういったことはしない。
目の前の男がたとえ只人に近いとはいっても、風邪ごときで死ぬことはないとわかっているからである。
東洋人の美醜は、じつのところ、いまいちわからない。
みんな目が細くて、のっぺりしているように見える。
まあ、この男はいいほうなのだろう。
目鼻立ちもはっきりしており、ガタイもいい。
「とりあえず、命拾いをしたな、おめでとうといいたいところだが、本物のことを考えると、ちと微妙だな」
謎めいたラ・イールのことばに、男はガタガタと震えながら、バスタオルでもって水滴をぬぐいつつ、たずねた。
「本物ってなんだ」
「気にするな。そのうちわかるだろうよ。あんたの名前は鈴木剛志。K北新報の新聞記者だ」
「すずき、ごうし」
噛んで含むようにして鈴木はラ・イールのことばをくりかえすが、やはり何も思い出せないらしく、その表情は怪訝そうなままである。
おのれの名前にぴんとこないためか、心地わるそうに首をひねりつつ、鈴木はラ・イールにたずねた。
「俺が新聞記者?」
「そうさ。K北新報なら俺も、とってる。あのキャラクターのうさぎは可愛いよな。かっぽれぴょんだったっけ」
「ぜんぜんちがう。『かほピョン』だ」
「あるじゃねぇの、記憶」
指摘されて、鈴木はふしぎそうに、目をきょろりと回して、しばし考えたあと、やはり首を振った。
「自分のことはなにもわからない」
「そいつは難儀だな。それじゃあ、親切な俺が教えてやろう。あんたは鈴木剛志。東北大経済学部を卒業後、K北新報に入社。今年で三十二歳の熱血記者。局長の浅野の直属の部下。
最近じゃ、暴力団がらみの警察の汚職事件を追っていた。人間の家族は……ナシだ。残念ながら」
前回のループで目にした調書の内容が浮かぶ。
そのなかには、鈴木一家の仲むつまじい写真も複数あった。
かれらは、今回のループでは『なかったこと』にされるらしい。
戦略とはいえ、いささか無情な気がしなくもない。
ま、俺はただの兵隊。指揮官の指示には忠実な犬だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
どこぞの中国人みたいに、そんなことはまちがっていると頭に血をのぼらせることもない。
「住まいは堤雨宮通町の一軒家。若いのに頑張ったと誉めてやりてぇが、おかげで収入の半分はローンの支払いに飛ぶ。しかも高級車まで買っちまった無計画ぶり。
ローンを組ませるほうもどうかしていると思うが、なんとあと三十年はローンの下僕。がんばれ」
「誉められてもな」
震えがおさまってきたらしく、鈴木はラ・イールと、青い車を見比べた。
公用車とはとても思えない青のフェアレディZ。
ルーフの自動開閉ができる車であるが、いまはふつうにルーフが閉じられている。
そのぴかぴかの車体に、鈴木は目をほそめた。
「もしかして、俺の車なのか」
高級品に対して、はなから抵抗があるらしく、嫌悪感すら浮かべて、鈴木は言った。
「そうだ。いい車だよな。あんまり潮風にさらすとよくないから、さっさと家に帰ることを勧めるぜ。
ついでに、俺を仙台中央警察署まで送ってくれるとうれしい」
「そのまえに、あんた、さっき、人間の家族は、って言ったな。それと、車のなかに、なにかいないか」
「質問の多いやつだな。まあいいや。あんたの今回の唯一の家族を連れてきているんだ。ま、会ってやってくれ」
「今回の?」
「揚げ足を取るやつは禿げるぞ」
言いながら、ラ・イールは車の扉をひらいた。
と、同時に、待ってましたといわんばかりに茶色いモップが飛び出してきて、鈴木のほうに飛び出していった。
長く優美な毛をもつシェットランドシープドックは、尻尾をぶんぶんと振って鈴木を歓迎するのであるが、しかし鈴木のほうは無情にも、やはりピンと来ないようで、尖った鼻をこすりつけてくる犬に迷惑顔である。
「こいつが俺の家族か」
ほとんど義理で、その頭を撫でながら鈴木がたずねる。
「名前はポニーだと」
「ポニー(子馬)? シェットランドシープドックはコリーの子犬のことを言うんだったか?」
「んなわけあるか。シェットランドシープドックはシェットランドシープドック、コリーはコリーだ」
「俺のセンスはどうなっている」
「それは俺に聞かれてもわからん。ともかく、あんたが無事で『鈴木剛志』である以上は、しばらくそいつと組んでもらう」
またも謎めいたことばに、鈴木は、うれしそうに舌をぺろりとだしているポニーの頭を撫でつつ、眉をしかめた。
「組むってなんだ」
「記憶をなくしているなら、かえって好都合かもしれないから、これだけは説明しておく。
あんたは物騒な話に首をつっこんで、殺されかけたが、助かった。あんたの敵は巨大権力というやつだ。
俺は警察のなかでも、あんたの味方。不正を摘発しようとする一派の兵隊だ。俺のボスの名前は、いまは言えない。
あんたは一人でゲームに首を突っ込んだが、参加資格はないですと跳ねられて、いきなり消された。ところが奇跡の力というやつで、蘇ったわけだ」
「あんたの物言いは独特すぎる。もうすこし、わかりやすくしゃべってくれないか」
「これが限度だ。わからなくていい。あんたはゲームの参加資格を得たのだが、このゲームは、ただ駒を進めればいいというわけじゃなくて、課題がある。
その課題をうまくこなさなければ、命を落とす、物騒なゲームだ。
課題はみな同じじゃなくて、それぞれにちがう。俺は親切なアンジェ(天使)なので、あんたの課題を教えてやる」
「ごついエンジェルだな」
「揚げ足とりは禿げるって言っただろ。
いいか、よく聞け。あんたへの課題は『当山孔真君を探しだし、ゲームに復帰させろ』だ」
鈴木は、おおいに眉をひそめた。
耳慣れない名前に戸惑っているのか、それとも記憶が刺激されたのか。
後者であったら、なかなかロマンティックであるが、しかし予想通り、鈴木は首をひねってたずねてきた。
「なんだ、その当山孔真君というのは。とうざんこうしん、君? どこからが姓でどこから名前だ。当山孝心くん? 坊さんのような名前だな」
するとポニーが尻尾を振るのをやめて、抗議するように鈴木に向かってちいさく唸った。
鈴木は眉をひそめてポニーを見る。
「おまえ、ちゃんと躾けられているんだろうな。噛み癖がある犬とは暮らせないぞ」
「課題は伝えたぜ。ともかく、まずは家に帰って、ゆっくりやすめや。
あんたが自分のことを忘れているのは、おそらくは海に突き落とされたショックによるものだろう、とか言ってみる俺」
「ほんとうだろうな」
「一時的なものにはちがいない。もしかしたら、ひと寝入りしたら記憶も戻るかもしれないぜ」
「だったら、とりあえず自宅に戻るが、家の場所がわからん」
「そいつは俺が知ってる。あんたは助手席で犬を抱えていてくれ。
まったく、こんなに人数が乗れない車をどうして買ったのやらだ。
走りがいいにしたって、一方通行の多い街中じゃあ、宝の持ち腐れってもんだ」
「それは俺も、昔の俺に聞きたい」
言いながら、吹きつける潮風で、とりあえずぽたぽたと雫が落ちないまでには体の乾いた鈴木は、ポニーをかかえて助手席に乗り込んだ。
それを見届けてから、ラ・イールは運転席に乗る。
そうして、ミラーを調整しながら、一瞬だけ映った仙台埠頭の波頭を見た。
こいつを海に突き飛ばした連中は、どこを探してもいなかった。
すぐに逃げちまったのならいいが、そうじゃなくて、ほんとうにアスカロンか世界樹が、鈴木を海から再生させたのかもしれない。
だとしたら、暴力団関係は、今回はもしかしたら、絡んでこないのかもしれない。
それは同時に、千台の影響力が、前回よりも弱いのだと読み取れないか。
希望的観測というやつかもしれないが、千台家の娘がこちら側についたことが、そうした影響をもたらしている可能性もあるわけだ。
全体の動きは、まだ見えない。
だが、前回よりマシだ、はるかにマシだ。
今度こそ、勝利する。ついでに吸血鬼も退治して。
エリザベスは不満の塊であった。
最初は、これだけ表に人がいるのだし、だれかが入ってくるだろう、などと楽観的に考えていた。
もっと具体的に言ってしまえば、一番町の片隅にある、昔ながらの面影を色濃くのこす、いろは横丁にならぶ老舗に足をはこぶ、仙台通のだれかではなくて、見知ったアトラ・ハシースのだれか、である。
目が醒めた時、エリザベスは、それまで来たことのない、ちいさくて、商品の展示方法にしても、看板にしても、いかにも素人くさい、じつに庶民的なパワーストーンショップに、ひとり、ぽつんといた。
店の広さは、六畳ほど。
カーテンで仕切られた一畳ほどのちいさな従業員用のスペースが奥にあり、そのとなりには、すぐレジと、店の売り上げの管理をするためか、ラップトップ型のパソコンが置いてある。
レジのまえには、折りたたみができる長テーブルがふたつほどあって、そのうえには、白いカーテン生地のあまり布のようなテーブルクロスがかけられている。
テーブルクロスの上には、100円ショップで購入したものとおぼしきプラスティックの箱のなかに、同じく安っぽいプラスティックの仕切りがあって、それぞれに、きらきらと星のように光る、色とりどりの石が詰められていた。
値段札にしてもテプラでせっせと打ち込んだのがわかる、手作り感のあふれる店である。
が、エリザベスが確かめたところ、そこに並んでいる石の質だけは一級品であった。
もともと、地上から汲みだした『霊力』を、石に貯めこんで、チームを組んだアトラ・ハシースやアストラルたちに分け与えるのがエリザベスの役目であるから、目のまえに差し出されたかのように置いてある石を見て、これは素直に、わらわへの貢物であろうと思った。
そして、とくに質のよいものをいくつか失敬し、もしものときに備えておくことにした。
しかしわからないのは、ここがいろは横丁である、ということは理解できるのであるが(エリザベスは前回のループにおいて、趙雲と会うまえに、仙台の町を彷徨いつづけたため、街の構造をすっかり頭に入れていたのである)、さて、なんだってこの店に自分がいるのか、そして、どうして、この場所に、ほかにだれもいないのか、ということである。
横にスライドするタイプの、古いガラス戸の外では、いろは横丁にならぶ老舗や、すこし毛色のかわった趣味の店などを目当てにやってくる客の往来があるのだが、エリザベスのいるパワーストーンショップには、だれも目もくれない。
これだけ素人くさい店であるし、そのうえ、店番がだれもいないのだから(霊体のエリザベスは、ふつうの人間には見えないのだ)入ってきにくいのだろうとエリザベスは思っていたのだが、やがて、だれも現れないため、飽きてきて、外の様子を確かめようとして、気づいた。
店の外に出ている看板の灯りが消されており、しかもその看板に『開店準備中』と、ダンボールを切り取って、そのうえにマジックで手書きした、お粗末な札がかけられていたのである。
これならば、だれも入ってこないのは道理である。
扉には鍵もかけられているのだ。
看板に描かれた店の名前は真っ白になっており、いかにも出来たてほやほやの店であることがわかる。
『さて、そういえば、千台家がパワーストーンショップを経営しておったな。わらわが当山孔真君らと泊まった部屋の一階が、たしかそうであったが』
と、記憶をたどりつつ、エリザベスは、ここが千台家の持ち物なのか、たしかめようと周囲をみまわした。
開店準備用として、手書きのチラシの原稿が、書きかけのまま置いてある。
この店の主はどこへ行ったのかと、ますますいぶかしみながら、エリザベスはチラシを手にとって読んだ。
『仙台にあたらしいパワーストーンショップ登場! だれも手に取ったことのない良質な石をお届けします。クリスロードの、あの店より安い(採掘場より直送のため)!
………ふむ、クリスロードのあの店とは、ヨーコの一族が経営している店のことであろう』
そうして読み進んでいくと、途中には、店の場所を示す地図があり、さらに下には、連絡先電話番号が書かれている。
しかし、その番号は携帯電話になっていた。
『店の代表番号が携帯電話の番号というのは、いただけないのう。怪しげな詐欺や悪徳金融のようではないか。
この店の雰囲気といい、経営者は、気の毒ではあるが、商才があまりないようじゃな』
そして、電話番号の下に、ちいさく、こう書いてあるのがわかった。
(牛タン専門店 たんたかタン提携)
『む? たんたかタンとは、たしか、ラ・ピュセルが身を寄せている店。
それでは、ここで待っておれば、ラ・ピュセルがやってくるかもしれぬのか。ならば待つか』
さらにエリザベスは、時間がどれほど巻き戻ったのか気になったため、パソコンを立ち上げて時間を確認することにした。
ついでにニュースをたしかめて、千台家や浅野家の人間が無事かどうかを見るのである。
時間は、十二月四日に戻っており、仙台のニュースにしても、特に目を引くものはない。
今夜、最上アキラ子はエスパルのゆべし店にバイトへ行く。
その帰りに、酔って、おかしな悪巧みを考えているバカ娘・ヨーコに青葉山へ連れて行かれてしまうのだが……
『あのバカ娘に、ちゃんとだれかがついているとよいがな。じき日も暮れる。わらわが行って、止めてやりたいところだが』
エリザベスは店の外の様子をたしかめる。
町を行く人のなかに、仕事帰りとおぼしきサラリーマンが増えてきた。
『どうしてだれも来ぬのじゃ。フランスの娘は礼儀を知らぬとみえる。
わらわは忍耐強いが、あまり待たされるのは好まぬ』
不本意ではあるが、外に出てみようかと扉に手をかけて、ふと、違和感をおぼえた。
指先に、ぴりりと刺すような痛みをおぼえたのである。
嫌な予感をおぼえて、窓ガラスをすり抜けようとして、エリザベスは、咄嗟に大きく後ろへ飛びのいた。
一瞬ではあるが、目のまえに、こちらに向かってくる異形の神の姿が見えたのである。
もし、それでもかまわずエリザベスが窓ガラスを進もうとしていたなら、異形の神は、容赦なく霊体のエリザベスを粉砕していたことだろう。
『なんじゃ? いまのは不動明王? なにゆえアトラ・ハシースたるわらわに、不動明王が襲ってくる?』
乱れた呼吸をととのえ、エリザベスは、ふわふわと店を飛んで、そっと窓ガラスに触れないように、外を覗いてみた。
そして、愕然とする。
いったい、だれがしたものか、おそらく商売繁盛のためであろうが、魔除けの札が、扉をちょうど封印するようなかたちで貼られていたのであるが、その向きが、天地逆になっていたのである。
『なんという罰当たりな! だれだか知らぬが、この店は絶対に繁盛せぬぞえ! というより、わらわが繁盛させぬ!』
魔除けが逆になっていたため意味が逆転し、善き霊であるエリザベスが弾かれる結果になっているのだ。
『どうする。あの札があるかぎり、結界に閉じ込められたも同然。
このまま、だれかがここにやってくるのを待つしかないのか。
電話が使えればよいのだがのう』
店には電話がまだ取り付けられていない。
チラシにあるとおり、携帯電話が連絡先なのだろう。
そして、エリザベスは携帯電話をもっていないのだった。
『座して待つわけにいかぬ。とはいえ、ほかに手段があるのか』
と、エリザベスの視界に入ってきたのは、さきほどのパソコンである。
ふたたび立ち上げて、このPCの持ち主を探ろうとするが、どうやら使い始めて間もないらしく、メールも開通されていない。
仕方なく、インターネットに接続すると、お気に入り登録を確認した。
このパソコンの持ち主が、どこかの掲示板に出入りしていないか、あるいはオンラインゲームなどに参加していないかを確かめるためであった。
『仙台掲示板センちゃんねる。ふむ、ここの常連であったのだな。だれでもよい、あの札は、外から扉を開けば、破れるはず。
もっとも人目につきやすい掲示板にSOSを書き込めばよいのじゃ』
そうしてエリザベスは、グルメや健康といったカテゴリーにわかれている仙台情報をあつめた掲示板を確認していったのだが、そのなかに、特に人の出入りの多いものを見つけた。
『仙台のほんとうにあった怖い話を検証するスレ。ふん、いかにも物見高い連中が集りそうなところ。おあつらえむきじゃな。
なになに、仙台の六つの怪談を検証せよ、とな?』
掲示板には、怪談として、六つの話が挙げられていた。
○ 青葉山に向かって橋を渡ると、空襲警報が聞こえてくる。警報が鳴っているあいだに隠れないと、命を落とす
○ 国分町に、幽霊高級クラブがある。そこで殺された少年の怨霊がいる
○ 私立千台栄華学院の女子トイレの鏡に、少女の霊が映る
○ 五橋のジェイソン。遭遇した時に質問にYESと答えると殺される
○ 仙台アエラの幽霊エレベーター。乗ると異世界に連れて行かれる
○ 青葉城の周辺で深夜になると日本兵の幽霊が行軍練習をする
かなり反響があるらしく、掲示板には、ほぼ1分刻みでさまざまな情報が連ねられていた。
友だちのだれそれが、似たような体験をした、あるいは、この怪談について、こんな因縁話を知っている…等々。
エリザベスはというと、それらに眉をひそめつつ、キーボードを叩いた。
『どこぞで聞いたような話ばかりではないか。前回のループがこの世界に多少なりとも影響を与えている証左かのう。
どちらにしろ、くだらぬわ。せいぜい利用させてもらうことにしよう』
そうして、エリザベスは、怪談にひとつ、話をくわえて、立ち上げた。
○ いろは横丁の呪われたパワーストーンショップ。封印された霊がいる。
事実である。
これで誰かが来るだろう……たぶん。
※ この話は、「仙台、ふたたび・3」につづきます。