仙台、ふたたび・1

※ この話は、「真ずんだの章15」のつづきとなります。

ヨーコはコアラの透かしのプリントがはいっているメモ用紙に、
○ 住むところ
○ 食事
○ 携帯電話(←超重要)
○ 服(サイズ、あわね~)靴、かばんもそうだ!
○ できれば学生やってほしい
と、書き出してみた。
食事や服、携帯電話などはなんとかなりそうであるが、住むところと最後の、学生をやってほしい、という要望は、なかなかとおりそうにない。
ヨーコのメモを見て、となりにいたジャンヌは耳にかかる金髪をかきあげつつ、すっかり楽しんでいるらしく、声をはずませて言った。
「コアラが好きなの?」
「好きだけどさ、注目してほしいのは、そこじゃないんだけれど」
「学生ってすてき! 学校に通っていいの?」
「いや、これは通って欲しいなという願望だね。だってさ、あたしが霊具を持っているってことは、レティクルに襲われる可能性がめっちゃある、ってことじゃん。あたしひとりじゃ、とてもじゃないけど戦えないし? あいつらに遭遇した時点で、バッドエンド確実っつーか。なんかえらい興奮しているみたいだけど、ちゃんと話を聞いてる、あんた?」
事実、ジャンヌはヨーコのメモを奪って、目をきらきらとかがやかせて、『学生』の文字を見つめている。
すっかり学生になれるつもりらしいが、しかし学籍をどう用意するかは、千台栄華学院の理事の娘であるヨーコにもわからない。

ババアに頼んで、納得してくれっかなー。
つーか、そもそもなんて説明するわけ? 
こいつが日本人、いや、せめて韓国人とか中国人だったらまだしも、思いっきり西洋人。ふつうの家に西洋人はいねえ。
くっそー、そういやあ、漫画とかゲームで不自然に外人(地球外生物含む)が家に同居することになるパターンって、たいがい『親が海外にいる』とかいう、都合のいい設定なんだよな。
どうしてそうなるのか、理由がわかったぜ。

「あんたさ、アトラ・ハシースなんでしょ? 日本人に変身できない?」
ヨーコがたずねると、ジャンヌは小鳥のようなしぐさで、ふしぎそうに小首をかしげた。
「できないわ。どうして変身する必要があるの?」
「アトラ・ハシースって、最高の賢者とかいう意味じゃなかったっけ。察してよ。あんたみたいに目立つやつと一緒にいたら、ド派手な看板かかげて『レティクルのみなさんへ。敵がここにいます』って教えているようなものじゃん」
「それはそうだけれど、あなたが『卑弥呼の鏡』を所持している時点で、レティクルはあなたの動向を把握していると見ていいでしょう。レティクルだって、あなたがわたしたちの側についた以上は、わたしたちのうちの誰かが守りに入ると予測するでしょうから、いまさら逃げ隠れする必要はないわ。堂々としましょう。あなたが最戦線よ!」
「堂々ってね。それに、なにそれ、最前線って。つまり、あたしが率先して戦わなくちゃだめってこと」
「そうよ。がんばりましょうね!」
目を輝かせているジャンヌに、いささか引きつつ、ヨーコは口をとがらせた。
「そうね、ってあっさりと言うなよ。ていうか、先に言っておくけど、ムリ! がんばれない。あたしはほら、あんたたちみたいにアトラ・ハシースとか言うのじゃないし、頭もよくないし!」
すると、ジャンヌは、じつに心をなごませる、ほがらかな笑顔を浮かべて言った。
「謙遜することないのに。あなたの頭は悪くないわよ」
「はい?」
思わずヨーコは聞き返した。
これまでの人生で、『ばか』だという評価は何度も受けてきたが、『頭は悪くない』という上向きの評価を受けたのは初めてだったのである。
『はしこい』や『目ざとい』は、何度かあったが、これはあまりいい意味ではない。

もしかして、こいつ、うちに世話になることを見越して、媚び売ろうとか考えてんのかなと、ヨーコは想像した。
なぜにそう考えたのかといえば、ヨーコのこれまで知っている友達というのは、そういう駆け引きや要領がうまい連中で、かれらと渡り合うためには、その真意を見抜きつつ、そ知らぬ顔をする必要があったので、自然とうがった見方をするのがヨーコの癖になっていたのである。

そうしたヨーコの心の動きを見抜いているのかいないのか、ジャンヌはにこにこと邪気のない笑顔をうかべて言った。
「あなたの考えている『頭がいい』とは、知識があるということでしょう? 知識なんて、あらかじめ詰め込まなくても、行動すればするほど必要に応じて、自然とあとからついてくるものよ。
あなたやあなたの周囲の賢さの判断基準は学歴やテストではないの? それはたしかに目安になるけれど、ほんとうの賢さを評価しているとは限らないわ。
わたしがあなたの頭が悪くないといったのは、現状を冷静に受け止めているからよ。只人で、霊具をムリに持たされている状況で、さらに基本世界での悲劇をわかっている。
それでもあなたは逃げずに、しっかり自分の力で立っているじゃない。
そうね、『頭がいい』は、この場合、ちがうかもしれないわね。こういうとわかりやすいかしら。 『あなたの思考は健康である』。自分のやるべきことがわかっているのよ。だから、あなたは信頼に足る戦友だと思うわ」
「健康、かな? よくわかんない。というか、あの、あたしのこと、ちょっと過大評価してないかな、とか思ったりするわけだけど、そのあたり大丈夫? あとで幻滅したりしない?」
ジャンヌのことばが、思いもかけずまばゆいものであったため、ヨーコはどもりつつ尋ねると、やはりジャンヌは笑顔のまま答えた。
「自分に戦いの知識がないから怖いの? 大丈夫よ、勝利に必要なのは、行動力と戦う意欲だけ。わたしだって、生きているあいだは、戦いの知識なんて、これっぽっちもなかったわ。けれど、鎧も着こなせたし、剣を振るうこともできたし、大砲を指揮することもできた。勝利を支えるのは、情熱と、意欲と、健全でバランスのよい感覚なのよ」
「あたし、バランス悪いよ」
「生活態度のことを言っているの? なら、いくらでも矯正できるじゃない。そうねえ、これを言ったら安心する? むかし、わたしは文字を読み書きすることができなかった。それでも、やるべきことをやり遂げたわ」
「うそ」
ヨーコがおどろいて言うと、ジャンヌは、その素の反応が面白かったのか、さらにわらってうなずいた。
「ほんとうよ」
「マジで? あんた、それじゃあ、文字とか読めなくてさ、王様の手紙とか、味方からの手紙とか、どうしてたわけ?」
「小姓たちが読んでくれたし、一緒に行動してくださったお坊さまが代筆してくださったりしたの」
「なんか信じらんないなー。中世フランスって、寺子屋とかなかったの? 勉強すりゃあよかったじゃん」
ヨーコが呆れまじりに言うと、毛足の長いホットカーペットのうえに座ったジャンヌは、膝を崩しつつ、笑った。
「ほら、やっぱりあなたは頭がいいわよ。寺子屋なんて知識はあるわけじゃない」
「いや、つーか、それって常識の範囲じゃないかな。浅野あたりに言わせりゃ、知ってて当然、知らなくちゃ生きる価値なし、みたいな」
「その考え方には賛成できないわね。知識は一種の測りだけれど、それを全てだと思ってはいけないわ。知識を得れば得るほどに、真理に近づけるとはかぎらない。
話は戻るけれど、わたしが文字を学ばなかったのは、必要がなかったからよ。わたしはドンレミ村の農夫の娘ですもの。貴族の位ももらったし、女騎士にも叙されたけれど、いつも、戦争が終わったなら、ドンレミ村に帰って、父さんや母さんの手伝いに戻るつもりだったわ」
ジャンヌのことばを聞きつつ、ヨーコは、それまでのイメージの『ジャンヌ・ダルク』と実物が、だいぶちがうことに戸惑っていた。

ジャンヌ・ダルクといえば、フェミニズムの象徴、男社会に敢然と立ち向かう、ちょっとばかりヒステリックな存在を想起していた。
しかし、本人は、たしかに生真面目そうで、これまであまり付き合いのないタイプであるが、特にとげとげしい気負いもなく、自然体である。
そういえば、名前はよく知っているのに、こいつがどんなことしたやつか知らないな、とヨーコは考えていた。
それを言うなら、エリザベスについても孔明についても目つきの悪い中国人についても、なにもしらない。
ジャンヌは、知識は後からついてくる、と言うが、しかし、知らなさすぎるのも問題だろう。
好奇心をもった無知と、無関心な無知とでは、内容がまったくちがうのだ。
浅野のやつに嫌がられるかもしれないけど、図書室で勉強してみるかな、と、ヨーコはおそらく思春期になってはじめて、みずから進んで読書をしてみようと思った。

そんなヨーコをまえに、ジャンヌは語る。
「アトラ・ハシースになってから、文字の読み書きをおぼえたわ。文字が読めなかったせいで、いやな目にも遭ったし」
「ふうん?」
「でも学校って、知らないのよ。わたしが生きているあいだは、女の子のための学校なんてなかったしね。だから、学校ってどんなものかな、って思うの。
同じくらいの歳の子たちと一緒に勉強したり、身体をうごかしたり、休み時間にはおしゃべりしたりするのでしょう? そのあいだは戦うことを考えなくていいのだから、きっと楽しいでしょうね」
学校が大嫌いなヨーコにしてみれば、ジャンヌの学校に対する憧れは理解できないものである。
いかにして学校をサボるかが、ヨーコの人生の重要課題のひとつなのだから。

ジャンヌが学校に通えるか云々より、まず問題は、ジャンヌの住むところと立場をどうするか、だ。
というより、女王とか、犬とか、どうしたかな。また会えるのかな。
考え込む横で、すっかりとご機嫌なジャンヌであるが、いまは白銀の甲冑ではなく、ヨーコがダイエットに成功する前に着ていたアンゴラ入りのラベンダー色のタートルネックのセーターに、赤いタータンチェックのAラインスカートという出で立ちである。
ウエストのサイズがゆるくなったので、捨ててもよかったのだが、そのスカートはブランドもので高かったこともあり、捨てるのがためらわれていたのである。
思わぬところで役に立ったというべきか。
自分がはいていたときより、ジャンヌが身に纏っているときのほうが似合っているのが、なんだかカチンとくるわけだが。

「そうだ、まずはここにいるって、ラ・イールに教えないといけないわね」
「は?」
「ちょっと待って。電話してみるわ」
「はい?」
おどろくヨーコをよそに、ジャンヌは甲冑のなかに隠し持っていたのだろうか。青と白の地に、金の百合のポイントの入った、見たことのない機種(もしかしたらアトラ・ハシースの携帯電話なのだろうかとヨーコは思った)の携帯電話を取り出すと、じつにふつうに話しはじめた。
「わたしよ。ええ、いま、錦町の千台家にいるわ。ヨーコも一緒。いまのところなにも問題はないわ。レティクルのほうの動きもないみたい。浅野家も無事よ。どうやら、前回のループの効果で、浅野家はレティクルのマークから離れたみたいね。マナブが史朗に会わなかったことが大きかったのよ。ね、これはわたしの手柄でしょう」
得意そうに言うジャンヌに、受話器の向こうの『ラ・イール』とやらはなにやら言ったようである。
ヨーコは前回のループでラ・イールと面識がないので、なにがなにやらわからないが、ともかくアトラ・ハシースの一人か、それに近いものだろうという見当だけはつけた。

それにしても、ラ・イールって? ラ・カンチュウの仲間? 
あの犬、おフランス人だったのか? 
あれ、中国人じゃなかったっけ? 
おかしいな。名前の書き方は羅飯流(ら・いいる)? 思いっきり日本語っぽいけど。 
あの、イケメンかもしれないけど目つきのわるい中国人は、ちょーしりゅーとかいう名前だったよな。
あれ、チョー・ヨンピルだったか? そりゃ歌手か。

首をひねるヨーコをよそに、ジャンヌはけらけらと笑って、答えた。
「わかっているわ。ええ、羽目をはずしすぎないようにするわよ、安心して。しばらくは、ここにご厄介になると思うの。だからわたしのことは、しばらく考えないで、あなたはあなたのやりたいようにやって。困ったことになったら、すぐに呼んでね。あなたのほうは」
と、ラ・イール(羅飯流かもしれない)がなにか気になることを言ったらしく、それまでじつによく笑ったジャンヌの顔が曇った。
「そう。それは、まだなんともいえないわね。いい方向に向かうことを祈るわ。一度、合流すべき?」
またなにかことばがあったようだ。
「そうね、あなたのほうが、そういう勘はいいわね。従うわ。あら、わたしはいつだって素直なよい子だったでしょう? 
ヨーコのほうはまかせて。ほかの仲間たちも見つけるわ。そうね、とりあえず、まずは五橋に行ってみようと思うの。霊査をかけたけれど、はじかれたから」

五橋。
そう聞いて、ヨーコはすぐさまアコのことを思い出し、同時に恐怖と後悔がないまぜになったような、いますぐどこかに隠れてしまいたいような気持ちにおそわれた。
時間が巻き戻っているのなら、アコも生きているはずなのだ。
そして、いま、自分は、アコにたいして、なんら悪さをしようとは考えていないわけだ。
アコが助かっているかもしれない。
それを、この目できちんとたしかめておきたい。
ヨーコは、知らず、自分が、親指の爪を手のひらに食い込ませていたことに気が付いた。
手をひろげてみると、手のひらには三日月のような青黒い痣ができていた。



「ラ・イールというのはわたしの戦友で、アストラルなの。ちょっと乱暴で短気で残忍で下品なところもあるけれど、根は素直でやさしい人なのよ」
「どうして根は素直なやつが残忍なんだよ」
ジャンヌの論理はよくわからん、と思いつつ、錦町の自邸から、徒歩で五橋に向かう。
行って行けない距離ではないが、ヨーコとしては気が逸っているのでタクシーを使いたかったのだが、ジャンヌのほうが乗り物が好きではないという理由から、歩くことになった。
馬があったらいいのに、というジャンヌのぼやきは、とりあえず黙殺した。

錦町は仙台駅からもほど近い昔ながらの地域であり、利便性が高いうえに商業価値も高いため、地価が仙台市のなかでも、もっとも高い。
表通りの喧騒からはなれると、お屋敷が点在する閑静な住宅地がひろがる。
隣町である上杉とならんで、かつては武家屋敷があった地域でもある。
仙台市のなかでも地盤が固いことから、住宅地としての人気も高い。
とはいえ、高級マンションと豪華な屋敷のあいだには、ごくごくふつうの住宅もあり、そのあたりは、さほどとっつきにくさがないのが、上杉と同様、この地域の特長でもある。
しかし住人の生活水準の高さをうかがわせるように、人通りのすくない住宅地に、アート志向で利潤を求めていない個人商店が点在しているのも、また特長である。

「かれは心配ないと思うわ。あれは天性のサバイバーね。そこは尊敬しているの」
自分のことばにうんうんとうなずくジャンヌと、すこし距離をおいて歩くヨーコ。
なぜかといえば、ヨーコは、コテコテと着飾ってはいるが、その実、自分の容姿に自身がないからである。
冬の吹雪の日であろうと、ブランド物のコートの下は露出の高い服にブーツ、という出で立ちのヨーコであるが、派手な格好をしているものの、それは周囲に合わせてのことであり、自分のスタイルは、ほんとうにここでよいのかという不安が、いつもぬぐえない。
服も小物も、ギャル系の雑誌を読んで、友だちが『これ、かわいくない?』と言ったものを優先して買いそろえた。だから、どこか一貫性がなくてちぐはぐなのだが、もちろん、本人は、そこに気づいている。
しかし、流行をなんとなく抑えていれば、とりあえずオッケーという友人たちは、ヨーコに『いいじゃん』と言うので、それならいいのかな、と自分を誤魔化してしまう。そのくりかえしであった。
そういうヨーコであるから、髪も染めておらず、メイクもしていないのに、やたらとキラキラした金髪美少女に、気後れしてしまう。
きっと、こいつは、女性雑誌を立ち読みすらしたことがないにちがいない、とヨーコは思う。
福音書曰く、『きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこんなに装ってくださるには、ましてあなたたちは(天の父に大切にされている人間なのだから)、なおさらのことではないか』。
要するに、着るものについて、あれこれ悩むなというわけである。
なぜヨーコがこれを知っているかというと、子供のころに近所の教会の日曜学校に参加すると配られるお菓子めあてに、すこしだけ通ったことがあるのだ。あとで父の潮に、そんな意味のないところに通うなら、塾に行け、とやめさせられたけれど。
ジャンヌの、磨かなくても映えるみずみずしい美しさのまえには、それぞれが相殺してしまって、派手ではあるけれどいまひとつ冴えないヨーコは、かすむしかない。
わかっちゃいるが、しかし、自分がだれかより劣るのだという事実を、きびしくつきつけられるというのは、いやな経験である。
だからこそ、ヨーコは目立つ黄金の美少女、ジャンヌの脇を、なるべく他人のような顔をして歩いていたのであるが、ふと気がついた。

錦町の通行人もそうだったが、仙台駅中心部に入ってからも、これほど目立つ金髪少女を見ても、だれも振り返りもしない。
むしろ、男の視線は、やはりヨーコのほうに向きがちだ。
ちょっぴりうれしい反面、違和感がある。
日本の男にすれば、マリリン・モンローを引き合いにだすまでもなく、金髪美人は永遠のロマンのはずである(と、ヨーコは信じている)。
それなのに、見向きもしないなんてことがあるだろうか。
そして、となりにいる金髪少女は、ただの金髪少女ではない。

「あんたさ」
と、ヨーコは、なにやら鼻歌でも飛び出しそうな雰囲気で、たのしそうに歩いているジャンヌにたずねた。
「変身はたしかにしてないみたいだけど、なんかやってる?」
すると、ジャンヌはすこしおどろいた顔をして、答えた。
「ああ、ごめんなさい、言ってなかったわね。アトラ・ハシースにも、いろいろ種類があるというのは聞いている? わたしは『癒し手』と呼ばれるアトラ・ハシースなの。主に傷ついた人の治療をするのだけれど、治療の対象は肉体的なものばかりではなくて、心も対象なの」
「精神科医みたいな?」
「精神科医ともちがうわね。カウンセリングはせずに、そのまま心に同調して、相手の望みを見つけて、そのとおりに治すことが多いわ。もちろん、人によっては、心のなかに踏み込まれたくない人もいるから、そういうときは、ふつうにカウンセリングするけれどね。
で、心を治療するときには、当然、心をコントロールする力が必要なの」
「睡眠術みたいだなもんかな」
「それのもっと強烈なものね。いま、わたしの容姿は、ここにいる人たちには、ふつうの日本人の女の子に見えているはずよ。霊力をつかって、わたしに目線を送ってきた人に、日本人に見えるように軽い暗示をかけているの。
よほど修行を積んだ人か、同じくアトラ・ハシースかアストラルでないかぎり、わたしのほんとうの姿を見ることはできないはずよ」
「あたしには、さっきと同じに見えるよ」
「あなたに暗示は必要ないじゃない。それに、あなたの霊具は、真実の姿を暴く力があるから、どちらにしろ、暗示は効かないわ」
「あ、そういうことか。って、それじゃあさ、あんたがあたしと一緒に学校に来ることも問題ないじゃん。教室の中まではムリかもしんないけどさ。
となると、あとは家だなー。アジトのどっかに寝泊りしてもらおうかなー」
考えるヨーコに、ジャンヌは、また青い目を丸くして言った。
「あら、わたしは錦町のさっきの家に一緒に住むわよ。わたしには遠見の力はないのよ。孔明みたいに使い魔がたくさんいるわけでもないし。離れていちゃ、あなたを守れないじゃない」
「ちょっと待て。そういやあ、さっき、ラ・イールとかいうやつとの電話で、しばらく厄介になるとかいう不吉ワードをこぼしてたけど、もしかして、そのこと?」
ジャンヌは、当然というふうに、こくりとうなずいた。
「そのこと」
「あっさり言うなよ。ムリだよ。あんた、うちの家族がどれだけろくでもないか、知ってんの?」
しかし、ジャンヌは、ヨーコの予想をうらぎって、またもあっさりと答えた。
「ろくでもないと切り捨てるほどの家じゃないわ。どんな家にだって、問題はあるものよ。あなたの家より、もっと深刻な問題をかかえている家だってあるわ。そういうところに、なんど召喚されたかわからないもの」
さほどひどくないと言われたのだから、喜ぶべきなのであろうが、いつでも特別がいいヨーコは、複雑な気持ちでたずねた。
「深刻って、どれくらいなの」
「だめ、ひみつ」
「どうしてさ。あー、個人情報保護とかいうやつ?」
ヨーコがいうと、ジャンヌは、また、面白そうに、けたけたと笑った。
「あなた面白いわね。そうじゃなくて、気を悪くしないでほしいのだけれど、わたしがいままで召喚された先の話をしたら、あなたはきっと、人間を嫌いになってしまうわ。
あなたの心はまだとても柔らかくて、土台ができあがっていない。そこへ人間のもっとも醜い部分を見せたら、土台が歪んでしまうわ」
「なにそれ。そんなにひどいんだ。むしろ好奇心が刺激されるんだけど」
「自分より不幸な人間を知って、まだマシだと安堵する人もいれば、同情しすぎて、一緒になって世の中に絶望してしまう人もいる。あなたは後者。だから、あなたはほんとうの悲しみを知ったとき、人を傷つけずに自分を傷つけたのよ。
いまのあなたは、ことばを覚えた子どものように、あれもこれもと知りたくなっているのでしょうけど、すこし抑えないとだめ。情報は、持っていれば持っているほどいいというものじゃなくて、うまく使いこなすには、やっぱり情報の良し悪しを見きわめる力がないとだめなの。
わたしには『声』があったから、迷うことは少なかったけれど、あなたはそうじゃないでしょう。少しずつでいいのよ。
あなたが休んでいるときには、わたしたちが動く。だからこそのアトラ・ハシースですもの。そこは頼りにしてほしいわ」
「なに、あたしが主役なの」
「そうよ。世界は只人たちのもの。わたしたちはあくまでゲストだわ。そして、この世界の要はあなたなのよ。あなたの一歩一歩が、世界を変えていくの。どう? ずいぶんとやりがいのあるゲームだと思わない?」
「やりがいっつーか、いますごいプレッシャー感じたんだけど、気のせいじゃないよね。つーか、話もどしていい? うちに住むの、むり。アジトが汚いからヤダとかいうならさ、ほら、そこのメトロポリタンホテル」
と、仙台駅をとおりすぎ、複合テナントビルのイービーンズの前をあるきながら、仙台駅に隣接するメトロポリタンホテルを指さした。
「あそこのフロント、知り合いなんだよね。たぶん値引きしてくれると思うから、金は出すからさ、そこ泊れば?」
「だから、言ったでしょ。離れちゃ意味ないの。ラ・イールは、ちょっとしばらく手が離せないからこっちに呼べないし、ほかの仲間はまだ見つかっていないのだから、あなたを守るのはわたししかいないのよ。
あなたの家って、日本の家にしてはめずらしい、ほんものの大邸宅じゃない。部屋だって十以上あるでしょう? わたし一人が増えたところで問題ないわよ」
「あるってば。さっきはババアたちも出かけてたし、タケシも帰ってきていなかったからいいけど、あいつら帰ってきたら、けっこう狭いぜ?」
すると、ジャンヌは、指折り、なにやら数えはじめた。
「ヨーコ、ヨーコのお母さん、千台潮、ヨーコのおじさんとおばさん、タケシ。六人だけじゃない」
「数でいったらそうだけどさ、ムリだよ。それともあんた、忍者かなにかみたいに、隠れて生活するつもり? ていうか、暗示でなんとでも出来るとかいう話なの?」
「暗示は使うつもりだったけれど、さすがに透明人間みたいに振る舞うのはムリよ。たしかにちがう姿に見せることはできるけれど、わたしの力では、存在そのものを感じさせないようにすることはできないわ。
それより、考えていることがあるの。ヨーコは心配しなくていいわよ。ちゃんとうまくいくようにするから」
「心配しなくてもいい、って言われてもなー」

ぼやくヨーコであるが、一歩、南の方向に足を向けたところで、それまでニコニコと笑みを絶やさなかったジャンヌの顔が引き締まり、先に進もうとするヨーコを押し止めた。
「待って。ここから先は進まないで」
どうして、と口にしかけて、ヨーコは五橋に向かうひらけた幹線道路をまえにして、口を閉ざした。
駅を中心にホテルや高層ビル、そしてマンションのならぶ、殺風景な風景が、通常ならば広がっているはずである。
そしてマンション群の一角には、アコの住む、古いマンションもあるはずだった。

ところが、ない。

建物がぽっかりとなくなって、空き地になっているなどという生易しいものではない。
五橋に向かう道路のその向こうから、まるでだれかがきれいに切り取ってしまったように、空間そのものがなくなって、寒天ミルクのように混じりけのない白い世界がひろがっていた。
そうして、なにもなくなった光景の向こうがわに、うっすらと、仙台市の南側の中心である長町の町並みが見える。
そうして、ちょうど仙台駅から東京行きの新幹線が飛び出していくのが見えたのだが、車両は、まず白い世界の手前に一旦飲み込まれると、一瞬で五橋の向こう側に移動しているのだ。
道路のほうも同様で、バスや車、バイクなども、まず白い世界に触れると、その瞬間に五橋の向こう側に移動している。
通行人たちも、立ち止まっているヨーコとジャンヌを邪魔そうにしながら、五橋のほうにふつうに向かっていき、そして飲み込まれると、その瞬間に五橋の向こう側に移動するのであるが、なかには、移動せずに、それきりになる者もあった。
「霊査ができないはずだわ。対象がないのだものね。完全なる者の結界、なんて生易しいものじゃなさそう。こんなの、はじめて見たわ」
「ってかさ、ほかの人はふつうに通ってるみたいじゃん? あたしたちも平気じゃね?」
言いながら、足を向けようとするヨーコを、ジャンヌはまた止めた。
「だめ。よく見て、向こう側に抜けられていない人がいるわ」
「五橋にもともと用があって、横道に入ったのかもしれないじゃん」
「そんな単純なものじゃない。この白い空間は、ここだけがループを再開するにあたって、再生されなかったものだと思う」
「なにそれ」
「たぶん、五橋の空白の世界は、この世界以外のどこかに通じてはいるのでしょう。けれど、そこに足を踏み入れたら、戻ってこられるかどうかの保証はない。レティクルに世界を構築する技術はないはずだから、なんらかの事故か、だれかがこの世界を作ったのか……わからないけれど、もともと、この世界は渡航禁止命令が出ているところよ。あなたは戻ってこられるかもしれないけれど、わたしは、ここから出てしまったら、二度と戻れない」
「ということは、つまり」
「あそこに入ったら、バッドエンド確実というわけ。五橋はあきらめましょう。ほかの仲間を捜すのよ」
ジャンヌにコートの腕をぐいっとつかまれたヨーコであるが、動かず、そのまま腕を振りほどいた。
「どうしたの?」
「どうもこうもねぇよ」
ヨーコは顔をゆがませて、怪訝そうにしているジャンヌをにらんだ。
「あきらめましょうって言われて、はいそうですねと素直に聞けるかっての! アコがあの中にいるかも知れないんでしょ? だったら行く」
ヨーコは、自分がにらめば、たいがいの人間が退くことを知っている。
だから、ジャンヌが戦っている姿を見たことがなかったことで、気安さがあったのと、明朗快活で素直な気性であることから、きっとこれも言うことを聞くだろうと判断したのであるが、そうではなかった。
ジャンヌは、ふりほどかれた手を伸ばすと、またヨーコのコートをがっしりとつかんで、決然と言った。
「だめよ。あの空間のなかに最上アキラ子がいるとはかぎらないのよ。もしかしたら、最上アキラ子が五橋ではなくて、ほかの場所にいたら、あなた、どうするつもりなの?」
「だから、どうもくもねぇって。あんたはだめだけど、あたしは戻れるかもしれないんじゃん? だったらさ、あたしだけでも入る価値あるんじゃねーの?」
「危険すぎるわ。『戻ってこられるかもしれない』よ。戻ってこられない可能性だってあるの。気持ちはわかるけれど、まずは落ち着きましょう」
「嘘つけ、わかってねーじゃん!」
と、ヨーコは、またまたジャンヌの手をふりほどこうとしたが、しかしジャンヌの手の力は存外につよく、ふりほどくことはできなかった。
それがさらに、家の外で、思うようにならない状況に陥ることに慣れていないヨーコの苛立ちを高めた。
「あんたってさ、さっきから思ってたけど、口がうますぎて信用できないよ! 気持ちがわかるって、そんなの嘘だろ。あたしの気持ちがわかるなら、『あきらめよう』なんて、ふつうは言わないっての!」
「五橋はあきらめよう、と言ったのよ。誤解させたのならあやまるわ。ともかく、あなたをあそこに行かせるわけにはいかない」
「もし、どうしても行くって言ったら?」
ヨーコが力のありったけをこめてジャンヌを真正面からにらみつけると、ジャンヌのほうもまた、なかなか気の強いところをみせて、まなざしをつよくして、それを受け止めた。
虚勢を張っているわけではなく、こうした小競り合いに慣れている態度である。

なにもかもが正しい、なにか敵うことがない大きな壁にぶつかったような気持ちが、さらにヨーコの気持ちをたかぶらせた。
正しくはないけれど、敵うことのない大きな壁なら、ほかにも知っている。
そこからうける理不尽な暴力のことも記憶しているから、見当違いだということを理解はしていたけれど、目のまえの『正しすぎる』少女に憎しみすらおぼえた。

「離せよ」
「だめ。どうしても行くというのなら、したくないけれど、力を使うことになるわ」
「じゃあ、あたしは鏡を使うだけだよ!」
コートが千切れても構わないというくらいのいきおいで、ヨーコははげしくジャンヌの手をふりほどき、そしてほとんど感覚だけで、自分の身のうちに隠されているという卑弥呼の鏡を呼び出そうとするが、そのまえに、ジャンヌの手が伸びて、その指先が、眉間に突きたてられた。
とたん、ヨーコの脳裏に、大きな火花が散った。
もし自分の身体に、血のかわりに電気が流れていて、からだの一部が不具合をおこしてショートしたら、そんな映像が実際に見えたかもしれない。
おそらくその火花は、ヨーコの体のなかにある霊具とヨーコ自身を直接つなげる回路であったのだろう。
それがむりやり外からの力で遮断されたのだ。
「眠りなさい!」
ジャンヌの声が、ぼやける頭のなかで聞こえてきた。
苦痛はなかったけれど、悔しかった。
なにをやっても、行き止まりに突き当たる気がする。

ちょっと仲良くなれたと思ったのに、まーた喧嘩だよ。

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※ この話は、「仙台、ふたたび・2」につづきます。