ずんだ×三国志

第一話

高校生・青葉リョウ、ずんだの指環を手に入れる

14

その日の学課に体育がなかったのはさいわいだった。
おかげで、リョウは激しく消耗することなく昼休みまで過ごすことができた。
学食で友人たちと食事をとったあと、ひとり、まっすぐ図書館に入った。
図書館で「体力のつけ方」という本を調べたのである。
本の教えはごくシンプルで、無理のない運動を継続すること、栄養のバランスのとれた食事をすること、質の高い睡眠をとること、この三つを守れば結果はついてくる、というものだった。

リョウはいままで自宅から地下鉄を乗り継いで高校に通っていた。
だが、これからは自転車で通うか、あるいは、ちょっとがんばって徒歩で通うかに変えようかなとかんがえた。
ふらふらとまではいかなかったが、からだは重く、呼吸をするのさえ妙に意識された。
筋肉痛もふしぶしにある。
まるで、熱が出たあとのような、からだ。
授業中に突っ伏して眠らずにすんだのは、アヤのことをけんめいにかんがえて我慢していたからである。
リョウは、かの女がいつ学校にもどってきても困らないように、アヤの分もノートをとっていたのだ。

ひととおり、体力のつけ方について学んだあと、正史三国志の蜀書を読もうとかんがえた。
記憶はほぼ戻ってきてはいるが、さて、天仙界での記憶がブロックされているため、細かな予備知識となるとあやしい。
それに、仲間たちが、後進からどんな評価を得ているのかも気になった。
もちろん、自分の評価も。
『これってエゴサーチってやつかな』
なんとなく気恥ずかしい気持ちになりつつ、リョウが本を手に取ろうとすると、ふと、図書室の入り口で、リョウに向かって手招きをしている女子が目に入った。
リョウのクラスメイトで、アヤと特に親しくしていた少女たちである。
アヤになにかあったのか、とおもい、リョウは本を書棚にもどすと、かの女たちのところへ向かった。

「どうしたの、アヤになにかあった?」
単刀直入にたずねると、少女たちは不安そうに互いの顔を見合わせた。
「アヤのことではあるんだけど。青葉くんなら知っているかなって」
「なにを?」
少女たちは、また互いに探り合うように顔を見合わせ、それからおずおず、といったふうに切り出した。
「あの、ね。アヤって停学処分を受けていて、学校に来ていないってほんとう?」
「停学処分? ちがうよ、具合が悪くて休んでいるんだよ。きみたちだって、アヤが貧血を起こして倒れたところ、みただろう?」
「うん、そうなんだけれど、アヤが停学処分を受けたから、わたしたちとは別の部屋で授業を受けているって噂が、いま流れているの。それ、ウソだよね?」
「ウソさ。昨日、ぼくはアヤの家に見舞いに行ったんだ、アヤの調子は戻っていないって、アヤのお母さんが言っていた。アヤのお母さんがぼくに嘘をつくとはおもえないし」
「だよね、それならよかった」
ほっと安心したように、少女たちは自分の胸に手を当てる。
「アヤが涌田さんを殴ったのが原因で停学処分になったんだ、って、けっこう具体的な内容の噂だったから、わたしたちもびっくりしちゃって」
「その噂、だれから聞いたの?」
「ええと、C組の子。知っているかな、眉の太い子で……」

すべてを聞く必要はなかった。
リョウは怒りにかられ、弓から放たれた矢のようにC組の教室まで向かった。
すると途中で、女子トイレの前の蛇口において、固まっているC組女子たちの姿をみつけた。
そのなかには、太い眉の少女もいたし、涌田メイの姿もあった。
涌田メイは、リョウをみると、うれしそうに顔をほころばせた。
だが、それも一瞬のこと、リョウの剣幕に気づくや、うっかり蛇の死体を道路に見つけたときのように顔をこわばらせた。

リョウは怖じることなくかの女たちに近づくと、言った。
「ずばり聞いていいかな、なんでアヤのことで、でたらめな噂を流しているんだい」
リョウがあまりにもはっきりと切り出したので、少女たちは面食らったようだった。
しばらくだれも返事をせず、気圧された少女たちの戸惑いだけがふわふわと空気のうえに流れていた。
「きみなのか、アヤの噂を流したのは」
太い眉の少女を問い詰めると、かの女は、ほんの一瞬、ずるそうな表情を見せた。
が、すぐに両方の太い眉をハの字にして、同情を誘う顔に変わった。
「仕方ないじゃない、高森さん、怖かったんだもん」

いまさら、ぶりっこか、と頭に血が上りかけたが、リョウはなんとか自制する。
悪いことをしても開き直る人間が、リョウはなによりきらいなのだが。
メイは太い眉の少女のとなりで、長い睫毛のついたまぶたをぱちぱちさせている。
リョウは自分に、落ち着け、と言い聞かせながら、つづけた。
「怖い相手には、なにをしてもいいっていうの? アヤが涌田さんにしたことをまだ根に持っているのなら、ぼくが代わりに謝る、ほんとうにごめんね、涌田さん」
リョウは率直にいうと、メイに向かって深々と頭を下げた。

昼休みも終わりに近づき、生徒たちが自分の教室に戻っていこうとするタイミングで、リョウが女の子たちに頭を下げているのは、かなり目立った。
だが、恥ずかしいとか、みっともないとか、そういったことはリョウのあたまにはぜんぜん浮かばなかった。
アヤのため、いわれのない噂を払拭しなければ、という思いが先行していたのだ。
リョウは顔を上げると、涌田メイのほうをまっすぐに向いた。
「たしかにアヤのしたことはいけないことだ。でも、だからといって、でたらめな噂を流して、アヤの名誉を傷つけていいというものじゃないよ」
メイはそのトイプードルのようなつぶらな瞳をうるませて、困ったようにいった。
「あ、あの、でも、困る、かな、そういうの」
「困る? どうして、きみは間違った噂を流すことがよいことだとでもいうの?」
容赦のないリョウの詰問に、メイはますます表情をこわばらせ、そして震える声でいった。
「青葉くん、高森さんのことが好きなの?」
どうしてそういうことを、いまいいだすのかな、この子は、とリョウは呆れた。
いまはアヤの名誉のことが問題になっているのであって、リョウがアヤのことを好きかどうかは問題ではない。
だが、はっきりさせておくべきだろう。
「アヤのことは好きに決まっているじゃないか」
と、ここまできっぱりいうと、C組の女子以外の廊下にたむろしていたギャラリーたちから、おお、と歓声があがった。
リョウは構わず、つづける。
「大事な幼なじみをきらうやつなんて、いないだろう。涌田さん、きみの気持ちはありがたい。ぼくのことが原因で、トラブルが起こったことも、申し訳ないとおもっている。でも、それとこれとは別なんだ。きみたちにアヤの名誉を傷つける権利はない。仕返ししてやるんだ、なんていじましいことを、きみたちがかんがえているなんて、おもいたくないけれど」

リョウはここでことばを切り、涌田メイと太い眉の少女と、その周辺を見た。
ひとりひとりの目をまっすぐ見て、意志を確かめるようにすると、不意に、メイが震える声で太い眉の少女にいった。
「アユちゃん、高森さんの噂、ほんとうに流したの?」
太い眉の少女は、ぎょっとした顔をしてメイにいった。
「はあ? だって、あんたがいい出したんでしょ? 高森アヤが停学処分を受けたってことにしてやればいいって」
「そんなこと言ってないもん。たしかに、高森さんが停学処分を受けたかもしれないなあとは言ったけど、それ以上のことはいってないよ。いいふらしたのはアユちゃんじゃない」
「ちょっと、どういうつもりよ? 信じられない、ぜんぶ、あたしのせいにするつもり?」
「だって、実際にそうだから……」
メイはそれらのことばを、いかにも消え入りそうにいう。
外見の愛らしさにうつつを抜かしている男子なら、メイのことばをうっかり信用したかもしれない。
追い詰められたとたん、友人を切り捨てる、すさまじき保身の術。
か弱そうに見える涌田メイだが、狡猾さでは、太い眉の少女を上回っているようである。
さすがのリョウも、唖然としていると、太い眉の少女が、声を荒げた。
「あんた、あたしを切るつもりっ? あんたのために、いろいろやってやったのに!」
しかしメイは、無情に、小さなもごもごした声で、いった。
「頼んでいないし…」

それをいってはだめだろうと、リョウがたしなめようとするより早く、太い眉の少女がうごいた。
かの女は利き手をさっと振り上げると、問答無用で涌田メイの頬をぶった。
さすがに、ほかの取り巻き少女と、ギャラリーと化していた生徒たちから、あっ、と、みじかい悲鳴があがった。
涌田メイの華奢な体が揺れて、木の葉のように廊下に倒れ込んでいた。
いくらなんでも、平手打ちひとつで、倒れ伏すなんてことがあるだろうか。
大げさな子だなあと、またも呆れつつ、リョウはメイが立ち上がるのを助けるべく、身をかがめた。
だが、近くでその倒れた顔を見て、ぎょっとした。
異様に青白い。血の気がないのだ。
貧血を起こしているらしい。
アヤのときとまったく一緒である。

「だれか、保健の先生を呼んできて! それから、担架と!」
リョウが指示すると、ギャラリーのなかの男子生徒たちが、すぐさま保健室へ走っていった。
太い眉の少女は動揺して、頬を両手でおおって、
「どうしよう、わたしのせい? ちがうよね、ちがう、そうじゃないもん」
と繰り返している。
かの女の声を頭上に聞きながら、リョウは信じられないものを見ていた。
涌田メイの白磁のような指先にも、あの、真っ赤な指環がはまっていたのである。
竜血の指環。
涌田メイも『三国志竜血録』の住人だったのだ。


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Ⓒはさみのなかま 2017/4/30