ずんだ×三国志

第一話

高校生・青葉リョウ、ずんだの指環を手に入れる

13

遠くでナルミの声がする。
リョウは、うっすらとまぶたを開き、手足の感覚が、慣れた自分の布団をとらえていることを知ると、またまぶたを閉じた。
眠い。
ただの眠さではない、猛烈に眠いのだ。
四肢が溶けた泥にかわってしまって、布団にへばりついているみたいだ。
このまま、泥に溺れるように、眠りにもどってしまいたい。
意識が遠のきかけるところで、ナルミの声が、さきほどよりずっと間近にせまってきている。
「リョウ、起きなさいってば。いつもの時間は過ぎているのよ、遅刻するでしょ」
ナルミがドアをはさんで声をあげている。
返事をしないと部屋に入ってくることは経験済みだ。
部屋にやましいものはなかったが、年頃の少年としては、妙齢の姉に勝手に部屋に入られることに抵抗がある。
なので、起きているよ、と返事をしようとしたが、
「んー」
という、自分でも情けないほど弱弱しい声しか口から洩れなかった。

そのうち、ナルミが容赦なく部屋に入ってきて、リョウの部屋のカーテンを一気に引いた。
ベッドのなかに朝陽が入ってくる。
朝陽って、こんなにまぶしかったかな、とおもいつつ、リョウはまた、情けない声をあげた。
抗議の声のつもりだったが、ナルミには伝わらなかったようだ。
「制服だって、畳まないで、ほったらかしね。しわになっちゃうじゃないの。アイロンをかけてから行きなさいね。いいわね」
ナルミの威勢のいい声に、リョウはうっすらと目をひらいた。
すでに出勤するだけの格好になっている姉が、椅子の周辺に脱ぎ散らかした制服をていねいに畳み直している。
リョウとてだらしないほうではなかったが、ゆうべは疲れてしまって、パジャマに着替えただけでも合格点、というくらいであった。

「起きなさいよ、どうしたの、だるいの? 昨日だって、晩ごはんを食べていないじゃない」
最初こそ険があったナルミの声が、途中から心配するものに変わった。
ナルミはベッドサイドにきて、リョウの額の熱をはかったり、脈をとりはじめたりした。
「熱はないようね、貧血もしていないようだし、脈もふつうだわ」
いいつつ、ナルミは、以前に亡くなった母がそうしてくれたように、リョウの髪を撫でた。
「どうしたの、リョウ。なにか学校でいやなことでもあったの?」
「ちがうよ、学校でいやなことなんてないよ」
あたまを撫でられると気持ちがいいなあとおもう。
亡き母も、繊細な性格のリョウを落ち着けるため、こうしてよく頭を撫でてくれたものだった。
姉は果たして、その姿を見ていて真似ているのか、それとも無意識に真似ているのか。
どちらにしろ、肉親の情というのは、ありがたいものだ。

リョウは、「諸葛孔明」としての過去を思い出している。
見なくてもいい人間の暗部を目にしてしまった子供時代。
でもつらいばかりではなかった。
前世のナルミも、こうしてリョウを気遣って、優しくしてくれた。
父を亡くし、兄と別れ、叔母を失い、叔父すら目の前で死んでしまった、その傷ついた自分をけんめいに支えてくれたのは姉だった。
いまだってそうだ、精神的にも支えてくれているし、経済的にも支えてくれている。
ナルミがいなかったなら、いまごろ、親戚の家で肩身の狭いおもいをしながら、汲汲と暮らすことになっていたかもしれない。
「ありがとう、ナルミ姉さん」
リョウが言うと、ナルミはおどろいた顔をして、手を止めた。
「なによ、急に」
「いや、いうべきことはいうべき時にいっておかなくちゃ、っておもって。後悔してからじゃ遅いから」
ナルミはリョウとともに母親似であるが、強い性格が顔にあらわれていて、手放しで美人とほめることを人にためらわせる棘のようなものを持っている。
だが、その棘は、今朝になって引っ込んだようである。
泣きそうな顔をして、変な子ねえ、というと、つづけていった。
「きのう、アヤちゃんの家にお見舞いにいったんですって? なにかアヤちゃんのお母さんにいわれたの?」
「なんにもいわれないよ。どうして?」
「きのう、仕事帰りにアヤちゃんのお母さんとばったり会ったのよ。リョウがお見舞いに来てくれたって、お礼をいわれたの。そのときに、いろいろ話をしてね、アヤちゃんの家、いま大変みたいね」
「アヤがPCの前から動かなくなっていること?」
「それもあるけれど。そうねえ、あんたにはいっておいた方がいいかな。ほかの口の悪いご近所さんから聞くよりはいいものね」

それまで寝ぼけ眼だったリョウは、今度は目をぱっちりひらいて、ナルミを見上げた。
「なにかあったの?」
「アヤちゃんのお父さん、家に帰らなくなっちゃっているんですって。ううん、正確には、アヤちゃんのお母さんが追い出したかたちかな」
寝ている場合ではなかった。
だるさも吹っ飛ばせ、リョウは起き上がる。
「追い出したって、なにがあったの?」
「浮気したっていうのよ、アヤちゃんのお母さんがいうんだから、ほんとうなんでしょう。あのひと、あけっぴろげなひとだから。派手に夫婦喧嘩して、出て行く、出て行かないになっちゃったようなのね。いまの家は、アヤちゃんのお母さんがお金を出してくれて建てた家でもあるのよ。だから、アヤちゃんのお父さんが出て行かざるを得なかったみたいなの」
リョウは高森家の調度品が減っていたこと、ガレージに段ボールやゴルフバッグが山のようにつまれていた光景などを思い出していた。
「離婚協議中なんですって。あんた、それをアヤちゃんから聞いていた?」
「ううん、知らなかった。それって、いつ頃の話なんだろう」
「すくなくとも、アヤちゃんが学校を休むようになる前ね」

リョウは愕然とした。
アヤの家庭の事情にもおどろいたが、なにより、それを察することのできなかった自分に。
そもそも、しっかり者のアヤが、「みちのく救済道」なんて怪しげな宗教団体にすがってしまったこと自体、おかしなことだった。
気丈だとはいえ、まだまだ十五歳の少女なのである。
両親の不和のことで悩んでいたからなのかもしれない。
そのうえで、いいことをしたとおもったはずのことで、幼なじみの自分にも叱られて、ますます落ち込んでいたのだとしたら。

リョウは自分が情けなくなった。
同時に、どうしてアヤは両親のことを打ち明けてくれなかったのだろうとかんがえた。
いや、プライドが高く潔癖なアヤのことだから、父親の浮気なんていうみっともない話はどうしても口にできなかったのかもしれない。
でも、それでも話してほしかった、ぼくたちは親友じゃないか、とリョウは心のなかのアヤにいう。
心のなかのアヤは、思い詰めた顔をしたまま、黙して語らない。

「アヤちゃんが学校に戻れるように、あんたが居場所を作りつづけてあげなきゃだめよ。だから、学校は休んだりしたらだめ。行ける? きついんだったら、今日はあとから学校へ行ってもいいわよ」
「いや、だいじょうぶ、ちゃんと定時に行くよ」
リョウは答えたが、胸には苦いものがいっぱいにひろがっていた。
アヤはあまりに身近にい過ぎた存在だった。
だからこそ、かの女の抱えているものの重さに気づくのが遅くなってしまったのだ。

しわくちゃになった制服にアイロンをかけながら、昨日の記憶をふりかえる。
『三国志竜血録』から抜け出たあと、目覚めると定禅寺通りの空っぽのビルの中にいた。
時間は意外なほどたっていなかった。
『三国志竜血録』では3時間はたっていたはずなのに、現実は15分くらいたっただけである。
謎の美少女・文君の姿はすでになく、ただ一枚のメモが置いてあるきりだった。
メモには「お呼ばれしたから行かなくちゃいけないの。ごめんね、リョウくん。加油!」とあった。
中国語は面白い、油を加える、で「がんばれ」の意味なのだから。
文君が、どうして姿を消したのか、なにに呼ばれたのかは、よくわからなかった。

メモを読んでから、自宅で眠りにつくまでの記憶が飛んでいる。
それというのも、リョウはいままでに経験したことのない疲れとだるさに襲われていたからだった。
背中におんぶお化けでもしょっているかのようだった。
地下鉄とバスを乗り継いで自宅へ帰ったのはおぼろげながらおぼえているが、家に帰って、それから、風呂も入らず、晩ごはんも食べず、ベッドに倒れ込んだ。
ナルミや弟のヒトシといくらか会話をしたはずなのに、それもおぼえていないのだ。

『これが偉度の言っていた『ダメージ』というやつか』
軽いめまいをおぼえて、リョウは頭を左右に振った。
しっかりしなくては、アヤを助けるのだ。
その一心で、リョウはなんとか朝食を平らげ、学校へと向かった。
ともかくいまは、近しい人間が一堂に会する宴の支度が終わるのを待つしかない。




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Ⓒはさみのなかま 2017/4/23