ずんだ×三国志

第一話

高校生・青葉リョウ、ずんだの指環を手に入れる

10

風が吹いている。
だが、その風は、殺風景で、悲しみさえたたえていた平原に吹いていた風とはちがい、さわやかな、といった表現がぴったりくる、初夏の風だった。
そういえば、わたしは春の山臺からこの世界に来たのだったなと思い出す。
高校生になるまでは、アヤとは、ゴールデンウィークの予定を話し合って、かならずひまをみつけては会ったものだった。
高校にはいってからは、毎日顔を合わせることもあったし、互いに周りの目を気にするようにもなってもいたので、いっしょにふたりだけで会うなんてことをほとんどしなくなっていた。
『もっと気にかけておけばよかった』
苦い後悔が胸をよぎる。
それは、かつて津波で両親を亡くしたときに感じた後悔と、まったく同種のものだった。
両親がいなくなってしまうとわかっていたなら、青葉リョウは、きっと自分がどれだけふたりのことが大好きだったか、伝えていたことだろう。
だが、災禍は、永遠にその機会を奪ってしまった。
明日がふつうに来るとはかぎらない、明日、またおなじように会えるとはかぎらない。
そのことを痛感していたはずなのに。
『きっと助けるぞ』
胸の内でつよく誓う孔明は、丘に立っていた。

入り口の平原とはまったくちがう、動植物にあふれた、うつくしい場所だった。
つつじの低木が丘の斜面にひろがっていて、赤い花がところどころ咲き誇り、それらの蜜をもとめて蝶や蜂がとびまわる。
遠くからきこえるのは、ほととぎすの声だろうか。
ぱっと鳥が飛び立ったのを見上げると、とんびが枝から枝へと飛び移ったところだった。
これほど穏やかで豊かな空間を作り出せるのに、夢の主がおそろしい怨霊神、蚩尤だということが、孔明にはなかなかぴんと来なかった。
うつくしさは見せかけで、あくまで竜血の指環の持ち主をおびきよせるためのものということなのだろうか。

「ようこそ『三国志竜血録』にいらっしゃいました、わがあるじ」
孔明は、振り向かなくても、そのなつかしい声がだれのものか、すぐにわかった。
瞳に涙がにじむ。
さきほど見た、まぼろしの五丈原の風景のなかにも、かれは混じっていたはずだが、孔明のこころのなかでは、中年になったかれより、やはり少年であったころのかれが、もっともなつかしいのだった。
涙もぬぐわず振り返り、慇懃に礼をとっている少年の手を取る。
「偉度、胡偉度! おまえが『ナビ』なのか」
少年は名をよびかけられると、あでやかに破顔した。
あいかわらず、まばゆい少年である。
前世において、だれよりも忠実に孔明に仕えた主簿(書記)、のちに武官として活躍した胡済、字を偉度である。
孔明自身も、その外見の良さからずいぶんもてはやされたものだが、偉度のうつくしさというのは、孔明のそれとはまた種類がちがい、なんともいえぬつややかさをたたえている。
だが、本人にはそれを誇る気はないようで、衣はいつもシジミのような色あい、佩玉も小ぶりで安物、佩びている剣も無骨、いつも見栄えを気にせず、地味な格好ばかりしている。
そのため、ほんとうは胡偉度がうつくしいということを知る人はかぎられているのだった。

「なんとまあ、おまえに会えるとはな。五丈原でさいごにことばを交わしたのが、今生の別れだとおもっていたのに」
喜びのあまり孔明が偉度の両手を、おのれの手で包む。
偉度は照れくさいような表情を浮かべたが、すぐに、つんとして、真顔をつくった。
が、いつものことで、唇のはしに、消しきれなかった笑みが残っている。
「あなたもほんとうに物好きですね、わざわざ蚩尤に立ち向かうためにこの世界にやってくるとは」
「なんの、おまえがそばにいてくれるのなら、百人力だ。うれしいぞ、偉度」
孔明が、握った手にさらに力をこめると、偉度は唇をへの字にしつつも頬を赤く染めて、いった。
「あいかわらず、人たらしなお方だ。でも偉度は、うれしくありませんよ。あなたが覚醒せず、一山臺市民として、生涯を送ってくださったならよかった。そうしたら、わたしは面倒な役目をせずにすみましたし、はらはらしないでもすみますからね」
「そう言うな、協力してくれ、事情はどこまで知っている? わたしは、わたしの幼なじみの高森アヤを助けたい」
偉度は、山猫のように大きな目をきらりと光らせた。
「おおまかは文君より聞いております。その幼なじみが、この世界で何者になっているかはおわかりか」
「わからぬ、おまえにはわかるのか」
「いいえ、残念ながら、偉度は『ナビ』であって、全知全能ではありませぬ」
「天仙界から来たのであろう」
「おっしゃるとおり。文君に泣きつかれて、あなたの『ナビ』をすることになりました」
「文君とわたしは、さっき会ったばかりだが?」
「天仙界と現世と、それから『三国志竜血録』は、時間の流れが、それぞれちがいますゆえ」
「なんだかわからぬが、まあいいとしよう、おまえに会えたからな。おまえも魂が天仙界に昇ったとすると、天仙界で、わたしはおまえと会っていたのか」
「しょっちゅう、顔を合わせておりましたよ。ほかの方々も一緒にね。でも、それを思い出されてどうするのです。文君から、現世での脳の容量は、天仙界のそれとくらべて大きくないから、わざと天仙界での思い出はブロックされていると聞きませんでしたか」
「ああ、そんな話をしていたな。では、天仙界でのことをおまえに聞くのはよそう。それより偉度、ここはどこだ」
「見覚えがありませぬか、成都の郊外です。ここから一里ほど丘をくだれば、成都にたどりつきますよ」

孔明は、文君と一緒に見た五丈原での光景をおもいだし、眉根をひそめた。
「もしや、わたしが死んだあとの成都か」
「いいえ、ちがいます。いま、あなたがずんだの指環で介入しているのは、高森アヤがプレイしているステージです」
「蚩尤の夢ではなく?」
「ああ、これは言葉が足りず、申し訳ありません。蚩尤の夢にとりこまれている高森アヤが前世でのこころのこりを解消するため前世にもどってステージクリアを目指している世界、といったほうが正しいですね。ちなみに、時代でいうと建安二十四年の夏、西暦219年です。われらの主公が、めでたく漢中王に即位される直前です」
そうか、と相槌を打ちつつ、孔明は、偉度の細く長い指に、やはり自分と同じく、ずんだの指環がはめられているのを見た。
「おまえもわたしと同じように、この世界に介入している、ということか?」
「そうです。ついでにご質問を先取りさせていただきますと、偉度はあなたとはちがい、現世には行っておりませぬ」
「なぜだ」
「天仙界の居心地がよいのがひとつ、それから、わたくしは前世で、いただいた命を燃焼しつくしたとおもっておりますので、だれかに宿ってまた人生をはじめる、ということに気乗りしなかったことがもうひとつ」
「つまり、おまえと会えるのは、この『三国志竜血録』のみ、ということか」
「そういうことになりますね。話のつづきをさせていただきますと、ずんだの指環には、『三国志竜血録』にアクセスしている者たちのそれぞれの世界に強制的に介入できる力があります。ただ、介入時に摩擦を起こさないよう、あなたにも、この時代に沿った役割が振られています。役目をうまくこなしてください。
たとえば未来のことを語ったりしてはいけません。また、キャラクターのプレイ状況に応じて、この世界内の過去もちがっていますが、それに異議申し立てをしてもなりませんよ。ちなみに、あなたはいま、蜀漢の軍師将軍兼左将軍府事として、いそがしく働いていらっしゃいます」
「おまえは、わたしの主簿、というわけか」
「左様でございます。それともうひとつ、ずんだの指環を持っている者はあなたの味方、竜血の指環を持っている者は、敵です」
「敵だと? 文君の話からすれば、蚩尤の犠牲になっている被害者ではないのか」
「たしかに救うべき対象ですが、同時に敵でもあるのです。なぜかというと、かれらは基本的に前世では果しえなかった自己の欲望をかなえるために動いています。それを叶えるためなら、かれらはどんな危険な行動も辞さないでしょう。だから気をつけていただきたい」
「アヤも?」
「そうです。高森アヤは、この世界にいるかぎりは、わたしたちの知るだれかに成り代わって、前世で果たせなかった望みを果たそうとしているはずです。かの女がいま、だれになっているかで状況は変わります。ここは、われわれの知る史実どおりの世界ではないのです」
「プレイヤーにあわせて、歴史が都合の良いように変化しているというわけか。よくできたシミュレーションゲームそのままだな」

「ああ、それと、とても大事なことをもうひとつ。さきほど、われらにとって、竜血の指環を持っている者が敵だと申し上げましたが、もちろん例外もございます。といいますのも、『みちのく救済道』にそそのかされて竜血の指環をもたされ、この世界にアクセスしている一般のトウホクの人々も多くいるからです。ちなみに『三国志竜血録』はトウホク限定で配信されている『みちのく救済道』のオリジナルゲームですので、プレイヤーもトウホク在住者しかおりません」
孔明は素直におどろいて、なんとまあ、とうめいた。
「ユーザー同士で争ったり、共闘したり、ということをくりかえしているのか」
「いまは乱世でございますゆえ、かれらが所属する勢力の動向によって、たがいに争うか否かは、かわります。トウホクの人々のおおくは、一般の兵士や役人、商売人や農夫などになって、自由にこの世界を満喫しているようでございます。これらトウホクの人々から蚩尤が吸い取れるエネルギーと、英霊たちから吸い取れるエネルギーは、月と太陽くらいの差がございます。つまり、トウホクの人々は、蚩尤にとってはあくまで補助食のあつかいなのです。
また、白い指環のトウホクの人々が、われらの時代の著名人に成り代わることはありませぬ。かれらはあくまでオリジナルキャラクターとしてこの世界に存在します。出世も努力次第です。なかには優秀な白い指環のユーザーもいるようですが、やはり、元の能力がすぐれている竜血の指環のユーザーには劣るようです」
「そのこと自体を知るトウホクの人々はいるのだろうか」
偉度は首を横に振った。
「かれらに真実を告げても無駄です。かれらは、『三国志竜血録』にアクセスするたび、実生活では味わえない多幸感をあじわっています。それこそが罠なのですが、罠を解除するには、蚩尤を倒す以外の道は、いまのところみつかっておりませぬ。いまの軍師の状態では、蚩尤を倒すことなど、まったくの不可能。蚩尤がかれらから徴収するエネルギーは、じつに微々たるものですし、いまは放置しておく以外、手がございませぬ。これから成都へご案内いたしますが、街は、かれらがいないと回らないくらいになっております」
「そんなにトウホクの人々がこの世界に入ってきているのかい」
「つねに出入りをくりかえしているので、正確な人数は不明ですが、各県からの流入は、すでに万は超えていることでしょう」
「多幸感を味わうために、か。やれやれ、みんなそれほど現世で不幸なのかねえ」

あきれる孔明を尻目に、偉度が丘をくだりはじめた。
孔明もそのまま、足の速い偉度のあとを追いかけていく。
「歩きながら話しましょう。トウホクの人々とわれら英霊たちを見分けるのはかんたんです。かれらも指環を配られているのですが、その色はずんだ色でもピンク色でも赤でもなく、白です。かれらの指環にも竜血…つまりヒヒイロカネのまがいものが混ざっているようですが、これまた微々たるものの様子です。ちなみに、この指環を英霊がはめると、赤く変化します」
「なるほど、所有者の霊格によって色が変化するのか」
「ご名答。さいしょは白い指環も、霊格がうえの者がエネルギーを喰われていくごとに色を変化させ、ピンクから赤に変わります。色がピンクになりますと、指環は常人には見えなくなります」
孔明は、アヤの赤い指環を周りの人間が見えていない様子なことを思い出し、合点した。
「そうか、見えていなかったのか」
「霊格が上の竜血の指環のユーザー同士ですと見えるようです。そこがややこしいところですが」
「でも偉度や、ほんとうに指環のユーザーたちを放っておいてよいのだろうかねえ? 危険にさらされる者だっているだろうに。たとえば、かれらにこの世界の仕組みを教えて、アクセスをやめさせるくらいのことはできないのだろうか」
「それは偉度も試したことがあります。が、だめですね、この世界にアクセスすると得られる多幸感というのは、ほとんど麻薬で得られる快感に近いようです。かれらに、徐々に蚩尤に喰われている事実を説いたところで、かれらのほとんどが、だからどうした、喰われるといっても、生命維持に問題ない程度だろう、という態度ですよ。それほどに、楽しいのです、この世界にいることが」
「みな度胸がいいものだな。わたしだったらぞっとして、この世界に浸ることから撤退するが。しかし偉度よ、気になることがある」
「なんでございましょう」
「この世界の大本の主である蚩尤の夢に、アヤがからめとられて夢を見ていることはなんとなくわかる。つまり、この世界は蚩尤の夢であり、アヤの夢である。では、ほかのトウホクの人々や英霊たちは夢をみていないのか」
「夢を見ておりますよ。シミュレーションゲームとおなじで、この疑似ゲームの世界にも無数ステージがあるのです。各人は各ステージに介入して世界を形成しています。おそらく高森アヤは自身の心のこりをもっとも晴らしやすいステージでプレイしているのです。そのあたりから、高森アヤがゲーム内で何者になっているか探れるかもしれませぬ」

孔明は、なにごとにも全力投球の性格のアヤを思い出して、いやな予感をおぼえた。
アヤのことだから、前世でなにか「未練」があれば、それを着実に晴らそうとうごいていることだろう。
アヤの思い詰めたような瞳が、またも思い出される。
アヤはいま、どこのだれになっているのだろう。

「あ、ほら」
と、偉度があごをぐっとあげて、片手で空を指さした。
見れば、昼間だというのに、その蒼天を流れ星が落ちている。
「やや、これは不吉の予兆か」
「ご安心を、そうではありませぬ。この世界の探索者がアクセスしてきた証拠です。ユーザーが入ってくるたびに、空には、それとわかるよう、流れ星が出るようになっております」
「へえ、なかなかわかりやすいシステムだな。蚩尤というやつに、わたしはおそらく会ったことがないが、意外と神経の細かいやつかもしれぬ。これほどに細かく世界をつくりあげられるとは」
「でも、敵は敵でございますからね、お忘れなきよう。この世界にまぎれこんでいるトウホクの人々も、英霊たちも、みなエサです。小さく喰われるか、大きく喰われるかだけの差の、ね。かれらをまとめて救うには、個別に説得して世界へのアクセスをやめさせるより、蚩尤を倒してしまったほうが早い」
「そこだ。偉度よ、アヤを助けたいのであれば、蚩尤を倒しに行ったほうがいいのではないか。蚩尤はどこにいる、この世界に常駐するおまえなら知っているだろう」
しかし、偉度は、何を言いだしたのやら、とでも言いたげな、侮蔑のこもった目をきょろりと向けてきた。
「倒すもなにも、軍師、あなたは文官で、武術の心得はほとんどないも同然なのですよ。もっとわかりやすくいいますと、いまのあなたは、レベル1の主人公、スライムすら倒すのがおぼつかない、しかも装備がこんぼうのみ、という状態です」
「偉度よ、おまえもゲームをするのか」
生真面目な偉度が、画面に向かってぴこぴことボタン操作しているところを想像するのはむずかしかった。
だが、偉度はまたもしれっと答える。
「偉度は、ひととおりのことはできまする」

「ふむ、さきほどの話に戻るが、つまり、いまのわたしのレベルでは、とうてい蚩尤に勝てないということだな。では、どうしたらレベルとやらは上がるのだ」
「この世界は、実力は数値化されておりませぬ。なので、地道にコツコツ自分を鍛えるしかないでしょう。とはいえ、あなたのその細いからだを鍛えて、一人前の戦士にするのには時間がかかりすぎます。それより、あなた自身の得意分野を磨いたほうが早いかと」
「わたしの得意分野か、なんであろう、人をまとめて鼓舞するのは得意だが」
「では、その能力を磨かれたらいかが。ほかにも、ずんだの指環のひみつのちからがあるやもしれませぬ」
「ひみつ?」
「ひみつだけに、偉度にはわかりませぬ。使っていくうちに、おいおいわかるでしょう」
「悠長にしておられぬ、けっきょく、強い仲間をあつめて、作戦をたてて、戦ったほうがいい、ということだな。なるほど。お前も戦ってくれるだろうね?」
「わたくしはあくまで、この世界の『ナビ』に過ぎませぬから、戦力からは外してください」
「戦えぬのか、おまえはあれほど強かったのに」
偉度はおのれの実力を秘するところがあったが、将軍職をつとめられるくらいに武道にも長けていたのだ。

「申し訳ありませぬ。それと、ずんだの指環は竜血の指環のユーザーからは見えませんので、そこは頭に入れておいてください。あと、先ほどのご質問についでに答えさせていただきますが、蚩尤の眠る場所がどこなのかは、この世界のトップシークレットで、だれも知らないでおります。
さらに言わせていただきますと、この世界は昔と同様で、IT化などまったく進んでおりませぬから、情報は貴重で、それなりの対価をはらわねば得ることができませぬ。あなたの場合は、情報収集は偉度と仲間がおこないますので、ご安心ください」
「偉度、ほかに仲間がいるのか」
「おりますとも、ただし、仲間といっても、ずんだの指環をつかってこの世界に介入している者たちではなく、ずんだの指環でわたくしが『作った』細作です」
「器用なことができるものだな。ずんだの指環のひみつのちからというやつか。そういえば昔も、情報収集には気を遣ったものだ。スマホもPCもないのだから、あたりまえだな。さっそくたずねるが、魏や呉のほうも、われら同じ状況に陥っているのだろうか。この大地の先に、かれらも同じように仮想の国のなかで、あいかわらず、すったもんだしている?」
「この地の向こうに、魏と呉、ついでにいうなら公孫氏の国があるのは確認済みでございます。おそらく、そこでも英霊たちがいて、ほかと同じように、ゆるやかに蚩尤に喰われていることでしょう」
「ぞっとせんな、ほんとうに、なんとかならぬのか」
「いますぐはムリでしょう。この世界が、前世で果たせなかった夢を果たせるところ、という誘惑は、ほかの探索者たちからすると、相当に魅力的なものに映るようです。それほど、人というものは満足しきって死ねることが少ないのでしょうね。ちなみに、あなたはこの夢の世界に取り込まれずにすみそうですよ」
「なぜだ。わたしだって、ここがおのれの願望どおりになりやすい世の中だとしれば、案外、この世界から抜け出せなくなるかもしれぬ」
「それはございますまい、あなたがこの世界に取り込まれる危険がないのは、前世において、人生を燃焼しつくしたと心からおもっているからですよ。つまり、過去に未練がない、いまにしか興味がないのです。それが証拠に、この世界に介入した理由が自分のためではなく、ひとのためじゃありませんか」
「そうなのかな」
「心もとない、しっかりなさってください。一度、夢に取り込まれてしまうと、抜け出すのは大変なのですよ。ずんだの指環を持っているからといって不死身になれるわけでもありません。指環はあくまでこの世界にはいるパスポートのようなもので、プラスして特殊な力が付与されている、というイメージでおつかいください」
「なるほど」

いつの間にかふたりは街道に出ていた。
街道まで出ると、そこかしこに人がいて、行商人ふうの人物、旅芸人ふうの人物、近隣の農民ふうの人物、移動する傭兵ふう、馬車にしても粗末な鹿車から、なかなか立派なかまぼこのような幌の女性用の車まであり、老若男女が街道をうろうろしている。
人が移動しているということが、この夢の世界の大地の広大さを物語っていて、孔明はなにやら落ち着かないきもちにもなった。
かれらは孔明と偉度のふたりを見ると、ちらり、ちらりと目線をおくってきた。
なかには、ぶしつけにじろじろ見てくる者、馬車のなかにいるのに、わざわざ幌をかきあげてまでこちらをうかがう者までいる。
孔明が見返すと、たいがいの者は、びくっとして、一礼してその場を立ち去っていく。
「なんであろう、わたしは変な顔をしているか」
「ちがいますよ、ご自分の恰好をよく見下ろしてごらんなさい、蜀錦をふんだんにつかった豪華な衣装を着ているでしょう」
たしかに、黒を口調とした美々しい衣装を自分は身にまとっていた。
歩くたびに、心地よいほどの衣擦れの音がする。
着心地が好すぎるので、着ていることに意識が行かないほどであった。
「周りの者たちは、あなたのような貴人が、なぜ供をひとりだけつれて、こんな郊外にいるのだろうとふしぎにおもっているのですよ。われらの時代には散歩という概念はありませんでしたからね」
「ああ、そうだった。散歩という意味も、麻薬の五石散の効用をなくすため、毒抜きのために歩くことからきていたな。待て、偉度、まわりはわたしを五石散の使用者と見ていないだろうか」
「単に、あなたがあいかわらず煌びやかなので目立つということと、なんで貴人が馬車に乗っていないのだろうということで目線を集めているだけでございますよ。ああ、それと、いいづらいので、白い指環のトウホクの人々のことを、これからは白の民と呼びます、ご了承を」
「わかった」

街道ですれ違う者たちの指のたいがいには、白い指環が認められた。
よほどこの世界はリアルに作ってあるらしく、旅人のほとんどが長旅で外見もほこりっぽく汚れている。
近隣の農民にしても、いかにも泥臭い感じで、かれらが手にしている農具なども、泥がたっぷりついていた。
たまに、おや、とおもうほどに、身ぎれいで、面貌も整った者ともすれ違う。
トウホクの人間は、男性を中心に、顔だちが整っている者が多い傾向にある。
かなり大多数のトウホク人が『三国志竜血録』にまぎれこんでいるのかなと、孔明が早合点していると、かたわらの偉度が言った。
「お気づきになりましたか」
「なにがだい」
「たまに、顔のきれいなのとすれ違うでしょう。かれらの指には、指環がはまっておりませぬ」
「そうだったのか、風貌に気を取られてしまっていた」
「指環をはめていないのは、この世界を回していくため、『三国志竜血録』が自動生成した『キャラクター』です。ゲームでよくいうNPC(ノンプレイヤーキャラクター)というやつですね」
「くわしいな、偉度。さすがは『ナビ』だ」
「おほめにあずかり光栄です。話を進めさせていただきますと、かれらNPCは、世界の雑用を一手に引き受けてくれる便利な存在であると同時に、その風貌のうつくしさから、白の民を夢現の世界に引き留めるエサともなっています。まれにですが、白の民とNPCが恋愛関係におちいり、NPCが子を産む、ということもあるそうです」
「なんとまあ。生まれた子は、白の民なのか、NPCなのか」
「もちろん、生まれた子はまぼろし。この世界でしか生きられないNPCです。偉度は、正確には把握しておりませぬが、けっこうな数のNPCが白の民の生活を支えているようですよ。かれらのあいだに交流がないほうが不思議でしょう。ここからがややこしくなりますが、高森アヤの世界には、昨日まではNPCである『諸葛孔明』が存在していました。今日から、ずんだの指環で世界に介入した『諸葛孔明』が存在しています」
「言わんとすることはわかる。NPCのわたしと、実際のわたしは、現実のわたしがこの『三国志竜血録』に介入したことで入れ替わった。なので、以前のわたしと今のわたしとの差に、周りが戸惑うこともあるだろう、というのだな」
「おっしゃるとおり。でも、NPCのあなたも、いまのあなたとあまりちがいはありませんでしたよ。この世界に入ってきている竜血の指環のユーザーの思い出で、この世界はかなりの影響を受けているのです。かれらはあなたのことも強烈に記憶していたので、再現性が高かったようです。とはいえ、あくまでNPCはNPCで、本物は本物。なるべく、違和感が原因で周囲と軋轢を生まないよう、偉度も尽力させていただきますので、ご安心ください」
「おまえが仕切ってくれるなら、なんの心配もないよ」
孔明が感心してほめるも、偉度は、一瞬、ほんのすこし唇をみみずのように波打たせただけで、あとはきれいな顔を崩さないでいた。
偉度はこうみても照れ屋で、なおかつそれと悟られることをきらう。
そのことを思い出し、孔明はそっとしておくことにした。

しばらく整備された道をまっすぐ歩いていくと、天を突くようにそびえたつ松柏の木立の向こうに、大きな城門が見えてきた。
なつかしい、成都の入り口である。
額編には「下西門」とあり、入り口の手前には、大きな川を渡るための橋がわたされていた。
遠目からでも、複数の武装した門番がいるのが見える。

「さて」
偉度が足を止める。
「ごらんのとおり、あれが成都です。あそこをくぐったら、あなたは完全に『諸葛孔明』として振る舞わなくてはなりません。そうしないと、『三国志竜血録』が破たんする危険があるからです。あなた自身が破たんの原因、つまり、バグになってしまった場合、世界はあなたを排除する方向にうごきます。そうなったら、わたしにも止められませんのでご注意ください」
「つまり、求められる役割をうまくこなし、上手に振る舞ったうえでアヤをひそかに助け出せ、ということだな」
「そうです。繰り返しになりますが、高森アヤは、この時代の、どこのだれになっているかは不明です。おそらく、性別も面貌も、すべて変わってしまっているはず。一目見てもわからない可能性がございます」
「では、どうしたら見分けられる?」
「竜血の指環の所有者をかたっぱしから疑うほかありませぬ。ただ、高森アヤがあなたに近しい人間であることにまちがいはございませぬ。関羽さまに軍師たちが召喚され、現世の人間に宿ったさいに、あなたの近くにいることを選択した者、というわけでもありますから」
「前世で深いえにしがあった者、というわけだな」

孔明はいったん考え込み、脳に残された記憶をフル稼働して、アヤに似ただれかを探してみるが、どうもあやふやだった。
生真面目なアヤ、頑張り屋のアヤ、そして、ずけずけと物を言うアヤ。わかりづらいアヤ。
孔明は、そんな一生懸命な人間が、むかしからきらいではなかった。
むしろ世間では偏屈者と言われるようなタイプが好きだったといっていい。
なので、前世の自分の回りにも、似たようなタイプが、身分の上下にかかわらず、また、男女の別にかかわらず、何人かそんざいしていたはずである。
かといって、絶対にアヤでまちがいない、という該当者もなかなかいないのだった。

「ああ、それと、大事なことをひとつ。高森アヤは、自主的にこの世界にアクセスしているのです。無理にこの世界から出そうとすれば、いままで大きな多幸感を得ているだけあって、はげしく抵抗する可能性があります。戦いになる可能性も捨てきれません。その場合は、わたしがお守りしますが、さきほども申し上げたとおり、わたしはあくまで『ナビ』に特化された存在としてこの世界に介入しておりますので、前世と武術の腕がちがいます」
「つまり、あまりあてにならない、ということか」
「非常にざんねんながら、そのとおりです。この世界の仕組みがわかってきたら、どなたか信頼できる白の民、あるいはNPCを探すのですね。かれらが盾になってくれることでしょう」
「ふむ、協力者を探せというわけだな、しかし、白の民はともかくNPCは蚩尤の作ったキャラクターなのだろう、われらに協力してくれるものだろうか」
「偉度が観察いたしますに、NPCは世界の維持を最優先にうごいています。戦いは、いわばその目的を乱す行為。ですから、NPCに助けをもとめたら、こたえてくれるにちがいありませぬ。とはいえ、NPCにはそれぞれ個性があり、独自の意志もあるようですから、見極めが大事です」
「ずいぶん作りこまれた世界なのだな。これほど繊細にできている仮想世界に入るのははじめてだ」
「なにせ、相手が中華最高の怨霊神ですからねえ、なにもかもが大がかりなのですよ。ああ、それと」
偉度は孔明のほうを向きなおり、これまでより真剣な顔をして言った。
「非常に大事なことをお伝えするのを忘れておりました。この世界の戦闘で肉体にダメージを食らうと、現世においても、相当のダメージを受けますので、そこはご注意ください」
孔明はぎょっとして、おもわず偉度をまじまじと見た。
「では、やみくもに動くのは、ますます危険というわけではないか」
「そういうことになりますね、どうぞお気をつけあそばしてください」
偉度は、呆然とする孔明を置いて、すたすたと門へと向かう。
孔明は、なんとまあ、と呆然とつぶやいて、成都の街を守る大きな門を見た。
ここをくぐればアヤがいる。
だが、アヤはどこの何者なのかはわからない、ただ、蜀の人間であり、諸葛孔明たる自分の側にいる可能性は高い。
アヤ本人を見つけるまでは、相当なトラブルも想定しなくてはならないようだ。

いいや、それがなんだ、と孔明は気を強くして、足を前に出した。
アヤは、ほかの女の子とはちがう。
自分の人生の半分をともに過ごしてきた大事な幼なじみなのだ、なんとしても助けなければ。

門番は孔明と偉度の顔をおぼえていたらしく、おつかれさまでございます、といった類のかしこまったあいさつをして、すんなり門をあけて通してくれた。
門番たちの指にも、やはりそれぞれ白い指環が輝いている。
「いろんな職種の白の民がいるのだな」
「ちなみに申し上げますと、右の門を守っていた男は現世では株のトレーダーで、数千万という金をパソコンの前で動かしている小金持ちです。この世界では、地味だが大事で緊張感のある仕事をしたいと、門番を志願してきたと聞いております。生きがいはひとそれぞれということですね」
「白の民の数だけ、いろいろドラマがありそうだな」

門の中に入ると、古い街並みが孔明を出迎えた。
ちょうど門は坂の上のようになっていて、そこから、成都の街が一望できた。
黒くすすけた瓦屋根、あちこちから立ち昇る炊飯のけむり、ところどころに立つ楼閣、奥まったほうに行くと大きな屋敷がならんでいて、そのさらに奥に、宮城があった。
「主公はお元気であろうか」
胸に迫る万感を吐くように言うと、偉度は言った。
「おられます。が、残念ながら主公はNPCです」
「そうか、ご本人にお会いできないのはざんねんだが、しかしホッとしている。この妙な世界にかかわっておられないのだな」
「現世のいずこかにおわせられるのはまちがいありませんがね」
「そうなのか?」
「はい、あの関羽さまの義兄である主公ですよ、召喚されてこないわけがありませぬ」
「まあたしかにそうだ。でも、前世のことを忘れているのなら、それはそれでよい。あの方の晩年はつらいものであったからな。できれば、このまま『三国志竜血録』にもかかわらないようにすんでほしいものだ」
偉度は軽くうなずき、そうですね、とつぶやいた。

街のあちこちに植えられている柳や桃の葉が、春らしく新芽をつけて揺らいでいる。
忙しく空をつばめやひばりが飛び回り、つばめの素早いうごきを追いかけるようにして、子どもたちがはしゃぎまわっている。
足早に行く者、立ち止まってだれかのおしゃべりに興じている者、ゆっくり重そうな足取りの者、親子連れ、友人同士で熱い議論を交わしながら歩いている者、路傍に座って休みを取っている者、みんなみんな、蜀の民である。
そのなつかしい、猥雑ですらある街の光景に、孔明はしばし足を止めて、見入った。
喉の奥から熱いものがこみあげてきた。
熱い涙もそのままに、孔明は流れるままにしておいた。
そして、こころのなかでつぶやいた。
わたしの成都、帰ってきたぞ。


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Ⓒはさみのなかま 2017/4/2