ずんだ×三国志

第一話

高校生・青葉リョウ、ずんだの指環を手に入れる

人間関係はむずかしいなと、校舎の階段をのぼりながら、リョウはかんがえた。
密な人間関係は、うまくいっているときはいいが、つまずくと、とたんに傷つけたり、傷つけられたりの連続になる。
下手にドツボにはまれば、勉強どころの話ではなくなってくるだろう。
自分はだれより勉強して、いい学歴をつけて、安定した職業に就き、高収入をえて、ナルミたちを安心させたいのである。
それを望むことはわがままなのか?
いやちがう。
リョウは、あちらを立てればこちらが立たずになるのはしかたないのでは、とすぐに思い直した。
涌田メイの周りの環境は良くないことはわかった。
アヤのいうとおりで、メイが裏表のある女の子だという話も信憑性が高い。
じっさいは、自分の目で確かめてみるのがいちばんだろうが、そこまで踏み込む必要があるだろうか。
だいたい、彼女に情熱を持てるかというと、答えはノーだし、仮につきあったとして、かの女に誠実にふるまえるか、というと、これまた答えはノーだった。
リョウは自分が年頃の男子だということをよく自覚している。
一人前に欲望もあることも。
涌田メイにそれほどひかれていないのに、欲だけでつきあうというのも不誠実きわまりない。
だったら、つきあわないほうが、かの女のためだ、とリョウはかんがえる。
リョウは真面目なのである、とりあえず、つきあう、それから今後をかんがえる、という発想自体、浮かんでこない。

問題はアヤだ。
たしかにアヤは特別な存在だ。
しかし、それは幼なじみだからであって、異性として大事なのではない。
さらには、リョウはアヤに、自分の心中の代理をしてほしいと頼んだことはない。
アヤが勝手にリョウの代弁をしたというのは、リョウにとってはもやもやすることであったし、メイを平手打ちにした、というのなら、なおさら困ったことだった。
アヤが苛烈な性格なのはいまにはじまったことではないが。
リョウはむかし、自分をいじめた男子がアヤにボコボコにされて、不登校寸前までいったことを思い出していた。
アヤはやさしいが、やりすぎる。
さて、なんて切り出して注意しよう。

リョウは音楽室の前に立った。
中から、ピアノの流麗な音色が聞こえてくる。
クラシックにあまりくわしくないリョウでも、いま流れている美しい音色がショパンの楽曲だということは知っていた。
アヤはショパンを好んで弾く。
それにこの腕前。
素人の耳にも奏者がかなりの集中をしていることがわかる。
一音一音がていねいで正確だ。
『たしか、この曲は、ノクターン、じゃなかったかな?』
思い出してから、リョウは大きく息を吸い込み、作り笑いをつくって、音楽室の扉を開けた。

吹奏楽部の活動のない日には、アヤは教師の許可を得て、音楽室でピアノを弾いている。
アヤの両親が建てた、あたらしい街中の家は、防音設備がととのっていなかった。
ピアノを弾くと近所迷惑になるという理由から、アヤは学校でしかピアノを弾けなくなっているのである。
アヤはぴんと背筋をのばして、華麗に五指を鍵盤のうえでおどらせていた。
ピアノは剣道といっしょで、背筋が伸びるから好きなの、とアヤはいったことがある。
アヤは生真面目なのだ。
リョウも真面目だが、アヤはさらに上をいっている。
しかも、思い詰めやすい。
アヤはアヤなりに、自分を心配してくれたんだろうなと、そのぶれない音色を聞きながら、リョウはおもった。
だが、やり過ぎはいけない、平手打ちなんて、もってのほかだ。

リョウが音楽室にはいっても、アヤは演奏をやめなかった。
陶然とした顔をして、ピアノを弾きつづけている。
演奏が終わるのを待っていると、アヤが手を止めないまま、たずねてきた。
「なにかあったの? わざわざ、放課後、わたしのところにくるなんて」
「うん、話があるんだよ」
「あとで話すのじゃ間に合わないことなの?」
「そうだね。いま、アヤとじかに話をしたい」
「C組の子たちに、なにかいわれて来たんでしょう」
そのとおりだったので、素直にそうだ、と答えた。
すると、アヤは手をぴたりと止めて、振りかえると、いつものように、顎をぐっとあげて、いった。
「わたしは、まちがったことをしてないわよ。涌田メイにはあやまらない」
「アーヤっ」
「リョウはお人よしすぎるのよ。どうせC組の子は、一方的にわたしが悪いって吹き込んだんでしょう。いっておくけど、喧嘩を売ってきたのは向こうよ。あの子、リョウに告白するまえに、わたしにいったの。『もしわたしと青葉くんがつきあうようになったら、青葉くんには高森さんを無視してもらうから』って」
「そんなこと不可能に決まっているだろ、なんだって、涌田さんは勝手にぼくの人間関係をコントロールしようとしているんだ?」
「腹が立つでしょう? そうよ、涌田メイは、そうやって、人を支配することしかかんがえていないような子なの。あなたは舐められているのよ。彼女にとって、あなたはアクセサリー代わりになりそうな、なんでもわがままを聞いてくれる、都合のいい存在っておもわれていたってこと。もしそんな子と一度でもつきあってみなさいよ。ぜったいに依存されまくって、身もこころもへとへとになるわ。それに、別れようとしても、ああいうタイプは、ぜったいに自分がフラれることを認めない、ストーカーになるのに決まっているわよ」
ピアノの連弾のごとく、ことばの弾丸を打つアヤ。
その迫力に気圧されつつ、リョウは口をひらいた。
「でも、昨日の涌田さんは、ぼくがことわると、すぐに引っ込んだよ」
「それも演技。いじらしい、聞き分けのいい女を演じて、二度目、三度目のチャンスをねらう予定だったのよ」
「どうしてわかるの」
「あの子、女子トイレで仲間と告白のシミュレーションをしていたっていったでしょ。本人がそういっているのを聞いたからよ。わたしにいったんじゃないけどね。あの子、馬鹿だから、大きな声で、これからどうやってあなたを手中におさめるか、その計画もシミュレーションしていたの。それ聞いていたの、わたしだけじゃないとおもう。ほんとうかどうか疑いたいなら、ほかの子にも聞くといいわ」
たしかめるまでもなく、アヤの不器用なほど誠実な性格からして、それがほんとうだということは知れた。
なにごとも、丸く収めるとか、オブラートにくるむ、といったことができないのがアヤである。
だから信頼できるのだ。
アヤがいうとおり、涌田メイとつきあっていたら、かなり面倒なトラブルの連続になる可能性は高いのだろう。
それをいまのところは回避できているのだから、感謝すべきなのかもしれない。
しかし、アヤにはもうひとついわなくてはならないことがある。

「よし、じゃあ、アヤは正しい、涌田さんは問題児だということで、それはいい。でもアヤ、かの女を平手打ちにしたことはいけないよ。それは謝らなくちゃだめだ」
アヤの白い陶磁のような顔が、一瞬で、いちごミルクのようになった。
「なんでよ?」
「なんで、って、そりゃ決まっている。平手打ちなんて、たとえ相手がだれであろうと、やっちゃいけない。そこまでやったら、ただのイザコザじゃない、アヤが涌田さんをいじめたといわれても仕方ないよ」
「いじめたんじゃないわ。あなたに悪い虫がつかないようにしたのよ」
「ほら、そこだよ。親切なのはうれしいんだけど、ぼくだって、もう子供じゃない。自分の身に降りかかってきたことは、自分で解決するよ」
「涌田さんが、銀蠅なみにしつこくても、なんとかできるっていうの?」
「またー。銀蠅はいいすぎだって。どうしたんだよ、アヤ」
「許せないのよ、よりによって、あなたにまとわりつく彼女が」

アヤはそういって、うつむきかげんになる。
きつく組まれた両手の指は、青白くなっていた。
リョウは、その指に、今朝見かけたピンク色の指環がはまっていることに気づいた。
いや、いまは指環どころではない。

「アヤが涌田さんのことをきらいなのは、よーくわかった。その気持ちが正しいか、正しくないかは置いておき、尊重はする」
「でも、平手打ちはダメってことなのね」
「そういうこと」
「でも、ああでもしないと、彼女、あなたにまとわりつづけたわよ? きっと勉強の邪魔になった。ああいう子は、人の迷惑なんて、まるでかんがえずに、人のこころを引っ掻き回すの」
「涌田さん、泣いていたってよ」
「演出に決まっているじゃない。同情を引くためよ。一度フラれたからって、泣くようなタマじゃないわ。仮に泣いていたのがほんとうだとしても、それはわたしに打たれたことへの悔し泣きね」
「泣かせたのは事実じゃないか。アヤ、だめだよ、何をいっても。ともかく打ったことはあやまらなくちゃ」
「いやよ!」
「なんで? プライドが許さないから?」
激したアヤに対抗するようにずばりいってしまってから、リョウはしまった、と後悔した。
案の定、プライドがチョモランマ級のアヤは、傷ついた顔をする。
「そ、そんなの、リョウにいわれたくない」
「あー、ごめん、いい過ぎた。ほんとうにごめん」
「あなた、わかってない。あなたのためにやったことなのに、どうしてそこまで責められなくちゃいけないの? リョウはひとの気持ちがわからないのよ」
「だから、ごめんって」
「ごめんで済んだら、すべて解決するとおもう? ともかく、わたしはあやまらない。むしろ感謝されるはずのことよ、これは! 涌田メイなんて、放っておけばいい、あなたの人生から締め出しちゃえばいいのよ。それなのに、あなたときたら、ころりと騙されて、かわいそうだとかなんだとか。あの子、きっとちかい将来、トラブルのもとになるわよ、わたしにはわかるの。だから、あなたを守ってあげようとしたのに!」

すでに涌田メイは、トラブルの原因であった。
アヤの怒りで青くなっている表情に、ただならぬものを感じ取ったリョウは、ひたすら低姿勢でアヤをおさめようとしたが、まったく効果はなかった。
ごめんといっても、それじゃ足りないとアヤは返す。
平手打ちしたことを指摘しても、口でわからない相手には有効、とまでアヤはいう始末。
さいごには、アヤは怒りですっかり興奮し、震えながらいった。
「あなたは、幼なじみのわたしより、あんなぽっと出の、性格の悪い女のほうが大事なの? どうしてわたしの味方をしてくれないの?」
「敵とか味方の話じゃないよ。どうしてわかってくれないかなあ、平手打ちをしたことをあやまったほうがいい、ってだけの話なのに」
「あなたのためにしたの! だから、わたしはあやまらない、絶対にいやっ」
そういい捨てると、アヤは音楽教室を飛び出していった。

リョウはあわててその背中を追い、みずからも音楽教室を出るが、すでにそのときは、小鹿のようにすばやいアヤは、階段を駆け下りてしまっているところだった。
「アヤ!」
声をかけても、アヤはまったく無視である。
仕方なく、校内では使用禁止になっている携帯電話を取り出し、アヤにメッセージを打ち込む。
『もっとおたがい、冷静に話し合おうよ。アヤからの連絡を待ってる』
だが、返信はなかった。
読まれた形跡はあるものの。
リョウはアヤの頑なさに、あらためて困惑するとともに、音楽教室を飛び出した彼女の、その右手にはめられていたピンク色の指環が、いっしゅん、光ったように感じたのを思い出していた。
目の錯覚、にしては、はっきり見えた。
それこそ、信号を発したかのような不自然な光り方だったのだ。
気のせいかな、とつぶやきつつ、リョウは、ため息をついた。
なんだかこじれそうだ、と予感しながら。


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Ⓒはさみのなかま 2017/3/5