ずんだ×三国志

第一話

高校生・青葉リョウ、電脳世界に突入す。


「お父さん、お母さん、行ってきます。今日も頑張れますように、見守ってください」
それが、十五になった青葉リョウの朝のあいさつだ。
ちいさな箪笥のうえに、仏壇代わりにおいてある花とお菓子と、その奥の両親の写真。
こちらにほほ笑んでいる父と母、それぞれの写真にほほ笑み返して、リョウは大きく息を吐いて、気合いを入れた。
4月11日である。
春海小学校跡地のなぞの光柱事件からすでに六年がたった。
リョウも山臺壱番高校にぶじ入学でき、あこがれの紺のブレザーに袖を通している。
入学早々、ともだちもできて、クラスにも馴染めているし、担任の先生とも相性がよい。
順風満帆の学生生活のスタートだ。
きのうは、ちょっと感傷的になることがあったけれど、だいじょうぶ、今日は元気だ。

背中から、歯をみがいているナルミが声をかけてくる。
「ほら、そろそろ出かけないと、地下鉄のいつもの便に乗り遅れるわよ」
「わかった、行ってくるよ、姉さん、今日は夜勤だっけ?」
「夜勤は、あした」
ナルミはうがいをしながら、おっとりした動作で中学校指定のかばんを背負いかけている末弟のヒトシにいった。
「ちゃんと忘れ物がないかたしかめた? 消しゴムは? さっき机の上に置きっぱなしになってたわよ」
ヒトシは思い出したらしく、あー、とざんねんそうな声を上げて、中学校指定のかばんをまた下した。
ナルミはヒトシの部屋にいって、消しゴムを取りに行く途中で、足を止めた。
「リョウ、あんたは行きなさい」
「わかった、行ってくるね。ヒトシ、ぼくが帰ってくるまでにおやつ全部食べちゃうなよ」
ヒトシは頬をふくらませて、食べないよう、といった。

4月の朝は、まだすこし肌寒い。
災害公営住宅の802号室から出たリョウは、おもいきり伸びをして、朝の空気を胸に吸いこんだ。
よし、元気だ。
自分のコンディションの良さに満足しながら、リョウはエレベーターで下に降りる。
すると、駐車場のところで、301号室のおばあちゃんがゴミを運んでいるところに出くわした。
301号室のおばあちゃんは、リョウがもともと住んでいた沿岸部ではおとなりに住んでいた。
もちろん幼いときからの顔なじみで、おばあちゃんにはおむつを替えてもらったことすらある。

リョウがおはようございます、と声をかけると、おばあちゃんは、あら、とおどろいたような声をあげてふりかえった。
「元気ねえ、リョウちゃん」
「ごめんなさい、おどろかせましたか」
「いえいえ、そんなことないのよ、ちょっと考えごとをしていたから。いまから学校なの?」
301号室のおばあちゃんは出身が秋田。
美人の産地の出身であることを裏切らず、昔はかなりモテただろうなとおもわせる品の良いおばあちゃんである。
なんでも秋田で有数の女学校でも才媛でとおっていたとかなんとか。

「リョウちゃんが壱高に通うようになったなんて、早いわねえ。おばさん、びっくりしちゃうわ」
にこやかにいう301号室のおばあちゃんだが、リョウは気づいた。
いつもは肌艶のいいおばあちゃんなのに、目の下にクマができていることに
地下鉄のいつもの便に乗るには、いまからすぐに駅に向かわないと間に合わない。
だが、リョウは困っている者を見つけて、放っておけるタイプではなかった。
いいさ、地下鉄は次の便でもじゅうぶんに間に合うんだ。
自分にいいわけして、リョウはたずねた。
「すこし顔色がよくないようだけれど、なにかありましたか?」
リョウのことばに、301号室のおばあちゃんは、あら、わかる? といいつつ、ゴミを持っていないほうの手で目の下のクマを撫でた。
「ゆうべは娘の長電話に遅くまでつき合わされちゃってねえ。そうだ、リョウちゃんなら知っているかしら、さいきん、若い子のあいだで『三国志竜血録』っていうゲーム? それが流行っているらしいのよ。オン、なんとか、っていうので、パソコンでいろんなひとと遊べるものらしいんだけれど」
「オンラインゲーム、ですね。でも、『三国志竜血録』っていうのは」
聞いたことがないなあ、とリョウは記憶を掘り起こす。
三国志は昔からなぜか大好きで、オフラインのゲームのほとんどは小さいころにプレイした記憶がある。
だが、ナルミの教育方針で、中学一年の時に高校に合格するまでゲームはしてはならない、というお達しが出た。
以来、どんなゲームもプレイできていない。
とはいえ、気になるので、ネットでいまどんな三国志のゲームがあるのかくらいは調べていたのだが、『三国志竜血録』などという変な名前のゲームは初耳だった。

「うちの孫がそれにはまっちゃって、パソコンの前から一日じゅう動かなくなっちゃったっていうのよ。ゲーム依存症っていうのかしらねえ。パソコンを取り上げようとすると暴れるっていうし」
「大変ですね」
リョウは眉根をひそめた。
せっかく3月11日の災害で生き残ったのに、実生活を充実させずに、ゲームで人生が狂うなんて、悲劇だ。
とはいえ、リョウは301号室のおばあちゃんの孫のことをよく知らない。
その孫にも、孫なりの事情があって、ゲームにのめり込んでいるのかもしれないが。
すると、エレベーターの入り口から、かばんを背負ったヒトシの声がした。
「ああ、リョウ兄ちゃん、まだいる! 地下鉄に乗り遅れちゃうぞー」
301号室のおばあちゃんは、あら、と素っ頓狂な声をあげた。
「ごめんなさい、リョウちゃん、つきあわせちゃったわね、行って、行って。ほんとうに、ごめんね」
指示と謝罪を同時にするおばあちゃんに、だいじょうぶだという意味の微笑みを投げて、リョウは地下鉄の駅まで走りだした。

地下鉄はつぎの便になったが、じゅうぶんに間に合った。
山臺壱番高校は、山臺駅から一駅越したところにある古い進学校である。
高い進学率をほこる県立の高校で、山臺で壱高というと、全国的にも名が知られている。
部活動も活発で、全国大会などに出場する部もちらほらあり、それが生徒たちの誇りになっていた。
部活動への加入は強制ではない。
リョウもゆくゆくは部活に入りたいなとおもっている。
体力がないので、運動部ではなく、文化部がいいだろうとかんがえていた。
むかしながらのねずみ色の校舎は、山臺の学校らしく、ぐるりと四方をけやきとメタセコイア、銀杏に囲まれている。
裏手にはちいさな丘があり、桜が群生しているので桜の庭と呼ばれていた。
いまは桜もほとんど葉だけになっているが、遠目でそこを見ると、リョウの胸はちくりと痛んだ。

やれやれ、間に合ったなあとほっとしつつ、中央玄関で靴をはきかえる。
その耳に、一年C組の女生徒たちの会話が聞こえてきた。
曰く、
「入学早々、かわいそうだね、メイ。さっきLINE見たら、今日、学校休むって」
「だよねー、休むよねー、きのう、あんなことがあったあとだもん」
「マジ、許せないよね」
不穏な会話を聞いて、リョウは落ち着かない気持ちになった。
メイ、つまり涌田メイが学校を休んだ原因に心当たりがある。
まちがいなく、自分のせいだ。

涌田メイから呼び出しを受けたのは、きのうの放課後のことだった。
場所は桜の庭。
ちょうど桜は散ってしまっていたから、ロマンティックさにはやや欠けていたが、逆にそのおかげで、桜見物に来る生徒もなく、あたりは閑散としていた。
メイの小さな愛らしい顔が、緊張でこわばっていた。
栗毛色のふわふわの髪をした、どこか小型犬をおもわせる少女だった。
いかにもか弱げな雰囲気で、ふつうの男なら、彼女を守ってやりたくおもうのかもしれない。
だが残念なことに、かの女の愛らしい風貌は、リョウのこころを打たなかった。
そも、リョウはかの女がどんな性格の子なのかも知らない。
桜の庭で、初めて真正面から見たメイは、おとなしそうではある。
が、おたがい入学したばかりだというのに、すぐに告白に踏み切ったところからみると、かなり大胆な性格なのかもしれない。
メイは「来てくれなくても恨まない」という趣旨のことばをリョウへの手紙に書いていた。
なので無視することもできたのだが、律義なリョウは桜の庭へ出かけて行った。
かの女の告白をことわるために。

気持ちをうけとれないといったとき、メイは顔をサルのお尻のように真っ赤にさせて、泣きそうな顔をしていた。
うつむいたのを見た瞬間、泣かれるかな、とおもったが、気丈にも、メイはくちびるをぐっとかみしめて、顔を上げ、笑顔を見せてくれた。
そして、言った。
「ごめんなさい、だいじょうぶ」
声は動揺で震えていた。
けんめいに笑顔を見せようとするところもいじらしい。
「はっきり断ってくれて、ありがとう」
こちらこそ、ごめんね、としかリョウはいえなかった。
メイは、ぺこりと頭をさげると、豊かな栗毛色の髪を揺らめかせて、走り去った。
その背中に向かって、リョウはまた、「ごめんね」とつぶやいた。
メイはかわいい子だったから、彼女にするには申し分がなかった。
しかしリョウは、いまは恋愛厳禁だと自分にいい聞かせているのである。

長い家族会議のすえ、すでに家庭を持ち、只野家に婿養子にはいったキンヤと、つとめている病院で若くして看護師長となったナルミは、リョウを第一志望の山臺壱番高校に進学させることを決めてくれた。
それほどまでに、リョウの成績上がり方には、目をみはるものがあったのである。
震災の直後は落ち込んだものの、中学に入ってから一気に伸び、教師からも、合格の太鼓判を押してもらったのだ。
そして期待に添うように、リョウは受験も難なくクリアした。

「おれの代わりに青葉の姓をつぐことになるんだし」
と、キンヤは、おっとりとした、長者のような口調で言った。
「いい学歴をつけておけば、就職にも困らんだろうし、いい嫁さんももらいやすくなるだろう」
そうね、とナルミが賛同した。
「プレッシャーをかけるわけじゃないけれど、壱番高校に入るからには、しっかり勉強するのよ、リョウ。大学は、進学したければ国立大学を目指してね。さすがに学費が助かるから」
「リョウの成績で、大学へ行かないという選択肢はないだろうよ」
「わからないわよ、高校の三年間で、かんがえがガラッと変わる可能性もあるわ。世の中、なにが起こるかわからないんだし」
なにが起こるかわからない。
たしかにそのとおりで、兄姉はしんみりと、そうだね、と相槌を打った。
本来なら、リョウの進路の心配は、両親がするはずだったのに。
その二人は未曾有の大災害で命を落とした。

青葉家の会計はナルミが握っていて、保険金や自宅を行政に売った金がどうなっているのかは、リョウにはわからなかった。
が、震災前、あれほどお洒落だったナルミが、いまはかばんひとつ新調しないところからみるに、家計が苦しいだろうことは想像できる。
志望校に入れてもらったリョウは、ある決意を固めていた。
勉学第一、恋愛二の次。
色恋沙汰より、まず学生は学業に専念すべし。
いい成績を取りつづけ、国立大学に入学し、そのあとは安定の公務員を目指すのだ。
そしてナルミに以前のお洒落なお姉さんにもどってもらうのである。

ところが、皮肉なことに、自分に恋愛を禁じたとたん、モテ始めた。
原因のひとつは背の高さかもしれない。
リョウの背は中学に入るとぐんぐん伸びた。
面長だった父には似ず、町内一の美人妻として鳴らしていた母のほうに似て、いかにも女の子が好みそうな、優し気な甘い顔立ちになっていったのも大きいだろう。
さらには、生命力にあふれたきらきら輝く目が、人の気を惹きつけているのである。
とはいえ、リョウ自身は、自分の中性的な容姿がすきではない。
友人たちがよくいう、「ヒョロい」自分が、どうして女の子にモテるのか、そのあたりもリョウはよくわからないでいた。

リョウとしては、もっと、がっちりとした体格の、男らしい男になりたい。
さらには、漢気がそなわっていれば、完璧だ。
将来は漢気のある公務員、それもいい。
震災時、ボランティアのために遠方からやってきてくれたひとびとも、ひたすら働いてくれた自衛隊も警察官もアメリカ兵も、街をきれいに戻してくれたひとびとも、みな漢気にあふれていた。
だれかが困っていたら、それがたとえ面識のない人だとしても、助けるために駆けつける。
それがほんとうの「ひと」だというものだと、リョウはおもっている。

「ちょっと」
2年C組の少女が、おたがい小突き合って、A組の下駄箱にて上履きにはきかえているリョウを見るようにうながしている。
いやな流れだなあ、とおもいつつ、どうしたものかと思案する。
無視して行ってしまってもいいが、それをすると、メイの気持ちを無視するのと同じことになりそうな気がした。
そこで、あまり気が進まなかったが、わざとらしくないように笑みをつくり、おはよう、といってみる。
C組女子は、リョウのやわらかな笑みに圧倒され、呆気に取られているようだ。
こういうのも、先制したもの勝ちだよな、とおもいつつ、リョウはそのままさりげなく立ち去ろうとした。
すると、C組女子のひとりで、気の強そうな太い眉をした少女が、リョウを呼び止めた。
「ちょっと待ってくれる?」
「なんだい」
「なんだい、じゃないわよ。青葉くんに話があるの、わたしたち」
太い眉の少女は、ほかの少女たちに、ね、と同意を求めている。
ほかの少女たちも、慎重に、うん、うん、とうなずいている。
なんだろう、メイの告白をことわったことを叱られるんだろうか。
だとしたら、余計なお世話といわざるを得ないなと、リョウはおもう。
告白を受ける、受けないは、当事者同士の問題で、外野には関係のない話だ。
「ここじゃなんだから、放課後、家庭科教室にきて」
リョウはメイが手芸部の部員だったことを思い出した。
家庭科教室にこい、ということは、この少女たちも同じ部員なのだろうかと推理していたときであった。
「どうしたのリョウ、玄関先で突っ立っちゃって」
幼いころから耳慣れている声に、リョウは反射的に振り返った。
「ちょっとね。おはよう、アヤ」
リョウに挨拶されるたび、アヤは、いつも引き締めているくちびるをほころばす。
リョウとアヤは、離れ離れになった中学時代を経て、おなじ高校生になり、おなじクラスになった。

アヤはリョウとは別の中学校へ進んだが、そこでもかなりの成績をおさめたようである。
勉強ばかりではなく、運動部でもレギュラーを守り、部を県大会優勝に導いたほどだとか。
高森一家は、アヤの祖母の家を出て、リョウの住む山臺市夏木区の災害公営住宅のそばに一軒家をかまえた。
壱番高校に入学してからもアヤはおなじクラスの生徒たちとも、男女問わず、うまくやっているようである。
高森アヤの人生は、このうえなく順調なはずだ。
だが、リョウは、アヤのまなざしが、このところ思い詰めたようなものに変わり、くちびるも、いつもへの字に曲がっていることが気になっていた。
なにか悩みでもあるのかと聞いても、アヤは、なんでもないの、と繰り返すばかりである。

今朝も険しい顔つきのアヤは、リョウの肩越しに、C組女子を見た。
「あの子たちが、どうかした?」
「んー、放課後について話をしていたところなんだ。ね?」
と、リョウがC組女子に同意を求めて、ふたたび彼女たちのほうに向きなおる。
すると、C組女子たちは、いっせいに顔をこわばらせた。
なんだろう? 
訝しんでいると、彼女たちはリョウの呼びかけは無視して、そそくさと行ってしまった。
「失礼な人たちね」
アヤの口調には、ことば以上の険があった。
おどろいてアヤを見ると、思い詰めたような黒い瞳は、いまは去っていったC組女子をにらみつけている。
まるで討ちそこねた敵将の後ろ姿をにらんでいるかのようだった。
「あんな子たちと放課後、なんの用なの? もしかして、涌田メイがらみ?」
なんで涌田メイのことを知っているのかとリョウはぎょっとした。
アヤのほうは平然として、あたりまえじゃない、という目を向けてくる。
「なんで知っているの?」
「あの子、あなたに告白するんだっていって、女子トイレでぎゃあぎゃあとシミュレーションしていたから」
「涌田さんと知り合い?」
「同じ中学だったの。親の金にあかせて自称・友達にばらまいて、周りを囲っている、いやな女よ」
アヤのことばには、チクチクとした棘があった。
なぜアヤが、メイと、その友達を敵視しているのかは、よくわからない。

「放課後になんだっていうの?」
「用件は聞かなかったけど」
「けど? いい話じゃなさそうね。わたしも同行しましょうか?」
「いや、いいよ。女の子たちに呼び出されたのが怖くて、幼なじみを同行させました、なんて、ちょっと情けないだろう?」
「涌田メイの友だちなんて、ろくなものじゃないわ。あなたに何をいうかわかったものじゃないわよ」
リョウはアヤのことばを受け流そうとしたが、しかし、踏みとどまった。
「アヤ、人のことをろくなものじゃないなんて、簡単にいうものじゃないよ」
アヤは、ぐっと顎をあげて、いった。
「だって、ほんとうのことだもの。涌田メイは、男の子たちがおもっているような、『かわいい』女じゃないわ。男の前では、わたしはいい子です、って顔をしているけれど、とんだメギツネよ、あれは。男がいないところで、自分のライバルの悪口をいいふらしているのよ、あなた、知らないでしょう」
「知らなかったよ」

メイの、やや甲高い女の子らしい声が、早口で悪口をまくしたてているところは想像がむずかしかった。
だが、アヤは根拠なくひとのことを悪くいう少女ではない。
だとすると、メイのことは本当なのだろう。
リョウはクラスがちがうことから、メイを表面以上に知らなかった。
同性のアヤには、メイの真の評判が聞こえていたのかもしれない。
金持ちの子で、金の力で友達をはべらせていて、なおかつ人の悪口をいってばかりのタイプ?
たしかにひどい。
それが真実ならば。
それにしても。

「メギツネっていうのは、きつすぎ、やめなよ」
「事実を言って、なにが悪いのよ」
アヤは口をとがらせる。
不満があるとその小さな口をつんととがらせる癖は、幼いころから変わらなかった。
「あの子、すごく陰険で裏表があるんだから。わたしはなにもできません、って顔をしているけれど、裏でなにをやっているのか、わかったもんじゃないわ。あなたには、まったくふさわしくない。やめなさい、あんな子とかかわるのは」
アヤの眉間に、いつの間にか皺が寄せられている。
よほど涌田メイが気に入らないのだろう、前世での仇のことを語っているかのようだ。
実直なアヤがそこまで言うのなら、たしかに涌田メイは、あまりいい性格の子でないのかもしれない。
だが、リョウは、自分に好意をもってくれた少女が、アヤのいうように、裏表のはげしい少女だった、ということを、まだ信じかねていた。

「みんな、あなたを誤解しているわね」
アヤはリョウの戸惑いを見透かしたようにいった。
「あなたのこと、御しやすい男の子だと勘ちがいしているのよ。わがままでもなんでも素直にいうことを聞いてくれるように見えるんじゃない? そんなことないのにね。あなたはほかの男の子より、よっぽどしっかり意志があるのに」
「褒めてくれてありがとう。でも、アヤ、ほんとうにほどほどにしておきなよ。仮に涌田さんのことがほんとうだとしても、ぼく以外のやつにそんな悪口をいっちゃだめだよ」
「どうして、ほんとうのことじゃない」
「ほんとうのことだからこそ、あえていわないほうがいいこともあるんだよ」
「そんな不誠実なのは、わたし、好きじゃないわ」
「好き、きらいの問題じゃないよ。世渡りのうえで大切なんだって。人の悪口は倍になって自分にかえってくるものだよ」
「わたしのことを心配してくれているってわけ?」
「そうさ、もちろん。アヤは大事な幼なじみだからね」
とたん、アヤは顔をあからめた。
「あなたのその率直なところ、誤解をまねくとおもう」
「そう? 悪い誤解じゃないとおもうけどな。いわなくちゃいけないときにいわないと、あとで後悔するからね」
アヤは、さいごのことばに、3月11日の惨事を思い出したのだろう、そうね、と大人しく相槌を打った。

リョウは、靴をはきかえるアヤの指に、ピンク色の指環がはまっていることに気がついた。
山臺壱番高校は校風が自由なことで知られており、制服を着崩している生徒も多い。
しかし、だからといって、ピンク色の指環を堂々としているのは、さすがに目立つ。
うるさい教師に目をつけられたらかわいそうだ。
アヤに注意しないといけないな、と口をひらきかけたとき、予鈴が鳴った。
「急がないとね」
そういって、アヤは教室に向かって足を早める。
リョウはその背中に声をかけようとしたが、もう一度、アヤの指を見て、おや、と思った。
アヤの指にたしかにはめられていた、ピンク色の指環が、ないのだ。
『外したのかな、それにしては、そんな素振りも見せなかったけれど?』
ふしぎにおもったが、移動しているうちに本鈴が鳴りそうだったので、指環のことはそのままになった。

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Ⓒはさみのなかま 2017/3/1