ずんだ×三国志

第一話

高校生・青葉リョウ、電脳世界に突入す。

きのうの4月11日にまたおこった大きな余震のことと、春海小学校跡地での怪事件のことは、TVだけではなくラジオでも報道されていた。
余震のせいで、小学校跡地内にまだ残っていたがれきが燃えて大火事になった、というあいまいな話に納得したものはいなかった。
いくらいまいましいプレートでも、火の手のなかった小学校跡地を燃やす力なんてないのは、わかりきったことだし、あの悲しい思い出のつまった小学校跡地で、火遊びをするような悪辣な者は地元にいないだろうということも、だれもが確信していたからだ。
しかも、発電所でもない小学校跡地から天まで届くような光の柱が出現したことも不思議である。
じっさいになにがおこったのかは、だれもうまく説明ができないでいた。

青葉リョウは、地蔵尊のまわりの草むしりにも飽きて、麦わら帽子の下から、姉のナルミを見る。
ナルミはもくもくと、雑草をむしっていた。
かつて自宅のあったところには、いまは基礎のコンクリートしか残っていない。
木々もほとんど流されてしまったので、虫の声すらしない。
青空は無情にひろがり、そのなかを、ソフトクリームのような雲が浮かんでいる。
ゆるい風に揺れているのは、自分の麦わら帽子のリボンと、たった一か月でびっくりするほど伸びた雑草ばかりだ。

リョウがかぶっているのは、亡き母の形見となった麦わら帽子である。
3月11日の8か月前の夏の日、なぜかそれを、母は長兄のキンヤが一人暮らししているアパートに忘れて行った。
キンヤは、母を亡くして涙も流せないでいる弟のため、麦わら帽子をくれたようである。
母は、とくにその麦わら帽子を愛用していた。
これをかぶっていると、日焼けしないといっていたが、ほんとうかどうかは、もうわからない。
色が変色しかけているその麦わら帽子をかぶっていると、母が頭を撫でてくれているような、なつかしい気分を味わえる。

麦わら帽子のリボンが揺れる。
ゆるい風と、雑草がところどころ顔を出しているアスファルト、地蔵尊の草むしりをつづける、姉のナルミ。
ほかに人影はない。
日曜日だったので、街を片付けるためのショベルカーやダンプもやってこない。
ボランティアの人たちは、もっともっと被害のひどかった沿岸部におおく集まっているらしい。
かつてはごくごくふつうの住宅地だった街。
ところがいまは、なにもない。
ここにくると、リョウは「がんらんどう」ということばを思い出す。
青葉家をはじめとする、住宅地の一街区が、すべて津波にながされてしまった。
あとにはコンクリートの基礎だけが残り、かつて家があったことを示しているだけだ。
角のおばあさんの家なんて、柱も建具も壁も屋根も、すべて失われてしまったのに、和式便器だけがしっかりそのまま残っていて、リョウにはそれが、なんだか間抜けにおもわれた。

「アイスが食べたいなあ」
リョウはまるまると太った羊のような白い雲を見上げながらいった。
アイスを食べたいけれど、店ではなかなか手に入らない。
あいかわらず、スーパーには長時間かけて並ばないと、ろくな食糧が手に入らない状態だ。
一時間かけて並んだのに、店にはこんにゃくだのじゃがいもだのばかりしかなかった、ということもあった。
しかしわるいことばかりでもない。
並んでいたら、スーパーの店長さんが、どこからか仕入れてくれた菓子パンを無料で配ってくれたこともある。
行列の前後のお客さんと、どれだけ被害をこうむったか情報交換ができたこともあった。

リョウの手が止まっていることを、ナルミはとがめない。
その代わりリョウのことばを無視して、せっせと、地蔵尊のまわりの草むしりをつづけている。
ナルミが持ってきたポータブルラジオが、春海小学校跡地の怪事件のニュースを終えた。
つづいて、天気予報。
アナウンサーが、陽気のよい日がつづくでしょう、というのを真似して、リョウは、ナルミの背中にいう。
「しばらくお天気だってさ」
「聞こえているわよ」
不愛想にいって、ナルミは立ち上がった。
女性にしては背が高いナルミは、首に巻いたタオルで額の汗をぬぐう。
「そろそろ切り上げましょうか」

ほっとしてリョウはうなずいた。
このがらんどうの土地に長くいると、からだじゅうが、ひたすら寂しさだけで満たされてしまうような気がする。
あたりまえにくるとおもっていた明日はこなかった。
両親は波にのまれ、近所の人たちも大勢が消えてしまった。
かつてのにぎわいが、むしろまぼろしのようである。
いまは春風がむなしく空っぽの土地の上を吹いていくだけ。
その風の声が、死者の声を伝えてくれるものでもなし。

遠くに、倒壊をまぬかれた家々が点在する。
もうそこに住んでいる家族はいない。
海水でいじめられ、家具や思い出の品々のすべてを流された家は、ぽつねんと南をむいて建っている。
置いてきぼりになってしまっているようで、かわいそうだと、リョウはおもう。
補修して、またおなじ土地に住む、と言っている人もいるそうだ。
青葉家跡地は、区画整理ののち、道路になってしまうことが決まっていた。

ナルミは、遺跡のように残っている、コンクリートの基礎のひとつをベンチ代わりにして、大きく息を吐いた。
「ほんとうに、なんにもなくなっちゃったわねえ」
「お墓、ここに建てちゃいけなかったの」
「お墓は、どこにでも建てていいってものじゃないのよ。そりゃあ、お父さんもお母さんも、住み慣れた土地にいられたら、うれしかったでしょうね」
ナルミは汗を拭きつつ、スポーツドリンクを飲んだ。
「どうして、お地蔵さんの草むしりなんかするの」
言外に、自分たちを守ってくれなかったじゃないかという不満をにじませる。
しかし、ナルミは小首をかしげてから、答えた。
「だって、お母さんはお地蔵さんを大切にしていたじゃない。毎日、花を供えて、お茶をあげたり、お菓子をあげたり。住めなくなったからといって、お供えを絶やすのはおかしいでしょう。わたしたち姉弟がたすかったのも、お母さんのお地蔵さんのおかげかもしれないしね」
「そういうものかなあ」
「そういうものよ。手伝わせて、悪かったわね」
いいんだよ、とリョウは答えた。
ナルミは離婚を決める前は気が立っていて、まるで野犬のようにだれにでも噛みついた。
しかしいまはすっかり落ち着いて、やさしい姉にもどっている。
ナルミとしても、自分の振る舞いが、まだ幼い弟たちにつよい影響をあたえることを気にしているのだろう。

「土地のお金はどうするの」
リョウは言ってから、子供のくせに、口出しするな、といわれるかなと構えた。
以前のナルミだったら、怒っていたかもしれない。
が、ナルミは軽く眉を上げただけで、怒りやいらだちの表情をみせなかった。
「そうね、キンヤ兄さんとも話したんだけど、災害公営住宅に入ったあとの生活費にするわ」
「いつ災害公営住宅は建つの」
「さあ。復興次第ね。待ちましょう」
「チヒロ姉さんは帰ってこないのかな」
「チヒロは、あのまま、彼氏の家で暮らすんじゃないかしら」
そうかあ、とリョウは返事をした。
チヒロはナルミたちの避難している、みなし仮設のアパートに、しょっちゅう風呂を借りにきていた。
晩ごはんを共にすることも多かったので、リョウはチヒロが嫁に行こうとしているということをいっとき忘れられていた。

チヒロはナルミより大人しく、おっとりした性格の姉である。
だが、ナルミより料理がうまく、そのうえ、ナルミの気が立っていると、うまくいなしてくれるところがあった。
チヒロの料理が食べられなくなる、そして、テーブルの回りが一人分空く、ナルミと自分たちのあいだのクッションがなくなるというのは、これまた寂しいことである。
時は流れていく、ということをリョウは実感した。
みんなが少しずつ、3月11日の出来事から遠ざかっている。

「あら」
一声あげて、ナルミが腰を浮かせた。
なんだろうとリョウがつられて振り返ると、陽炎のなかを突っ切るように、一台の車が、音もなくやってくるところだった。
ハイブリッド車で、走行音がほとんどしないタイプのものである。
「高森さんだわ。アヤちゃんもいるみたいよ」
ナルミのいうとおりで、後部座席にいるアヤが、窓を開けて、リョウに手を振っているのが見えた。
高森夫妻は車から降りると、まっすぐナルミのところへやってきた。
いつも不愛想なアヤの父の手には、仏花がある。
ナルミとおなじく地蔵尊に供えるために持参したのだろう。
アヤの父は、ナルミとリョウがきていることにおどろいた素振りもみせず、やはり不愛想に、どうも、と言った。
機嫌が悪いのではなく、いつも、だれにでも、こういう態度なのがアヤの父である。
車から降りてきたアヤが、甘えるようにアヤの母の腕にからもうとするが、アヤの母はナルミに顔を向けたまま、アヤに剣突をくわせた。
「暑いのよ、べたべたしない」
あいかわらずドライなお母さんだなあ、とリョウは子ども心におもう。
母親に甘えることを拒まれたアヤは、顔をあからめて、ひとり、くちびるを尖らせた。

「ナルミさん、お久しぶり。お元気そうでなによりねえ」
「おかげさまです。そちらは、お祖母ちゃんの家での暮らし、いかがですか」
「まずまずってところかしら。そちらはどうなの、いま街のみなし仮設で暮らしているんでしょう」
アヤの母が愛想よく、ナルミの手を取っていう。
アヤの母はむかしから、しっかり者のナルミを気に入っていた。
ナルミは今年で二十五になる。
若いが、独特の貫禄と迫力をそなえていた。
看護師の仕事をしていることと、貫禄があることは、無関係ではあるまい。
ナルミもアヤの母のことばに、うれしそうに挨拶を返している。
おとなしいアヤの父は、となりで、気がないように、たまに相槌を打って頷くだけ。
もっぱらしゃべっているのは、アヤの母のほうだった。

高森家は、青葉家の三軒となりに住んでいた。
津波が発生したときには、運よく夫婦とも山臺市内で働いていたので、難を逃れた。
おそろしい波も、内陸部にある山臺市街中心部にまではおよばなかったのである。
かれらは家を流されたあと、一か月ほど避難所暮らしをしていたが、その後、父方の祖母の家で暮らすことを選択した。
高森家の祖母の家、つまり、アヤのおばあちゃんの家は、リョウが仮住まいをしているアパートから、二駅ほど遠いところにあった。

「おばあちゃんの家はどう?」
リョウがアヤにたずねると、きれいな黒髪を二つに分け、耳のうしろで留めているアヤは、すまし顔で答えた。
「まあまあね」
「学校はたのしい?」
「友達ができたわよ。でも、勉強をとりかえすのが大変。不利よね、わたしたち、一か月もぜんぜん勉強ができなかったんだもん。リョウのほうはどう?」
おねえさん風を吹かせて、アヤは言う。
しかし、リョウもアヤも同じ学年で同じ八月生まれ。
年の差はほとんどないと言っていい。
「ボランティアのお兄さんたちが塾をひらいてくれたんだ。そこに通ってから、成績がよくなってきたよ」
へえ、とアヤはうらやましそうな声をあげた。
「中学はどこへ行くことになるの?」
「まだわからないなあ。姉さんが、しばらくみなし仮設から動けないっていってたから、ぼくもそこから駅の近くの中学に通うことになるんじゃないかな」
「ああそう。そうね。中学は、離れ離れになるのね。だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ。たぶん」
「たぶんだなんて、情けないわね。なにかあったら言うのよ。わたしがすぐに飛んで行って、いじめっ子を吹き飛ばしてやるから」

アヤは、大人し気な外見をうらぎって、かなり気の強い少女である。
実力もたしかにあって、男子と喧嘩しても負けたことがない。
そのうえ、学業優秀、食欲・体力ともに旺盛、運動神経抜群、さらに、下級生の面倒見もよく、媚びるところがないので、同性からも好かれている。
じつに頼もしい幼なじみなのである。
「アヤに心配されないように、がんばるよ、ありがとう」
感謝のことばに、アヤはくすぐったそうに笑った。
アヤの背後では、アヤの父が、ナルミとアヤの母の会話からはずれて、波の衝撃にも耐えた地蔵尊に、仏花をささげて、祈っているところだった。

「そうそう、きのうの余震、こわかったわね。あなたのところはどうだった?」
「かなり揺れたよ、でも3月のときよりはマシかな。家具、しっかり補強しておいたから倒れてこなかったし」
「よかったわね。うちもおばあちゃん家は地盤が固いところにあるから、だいじょうぶだったわ。それと、春海小学校の事件、聞いた?」
「うん、さっきニュースで。TVでもやっていたし。あれ、なんだろうね? 天使の梯子かな」
リョウはおやつ目当てに通っていた教会で読んだ、聖書のエピソードであるヤコブの梯子を思い出してそう言ったのだが、アヤにはぴんと来なかったようで、怪訝そうな顔をされた。
「天使の梯子ってなによ」
「この世と天国をつなぐ梯子だよ。それが架かって、震災で亡くなった人が、天国に昇っていったのかな、って」
「小学校の校舎に大火事を起こして?」
「うーん、ちがうのかな」
「ちがうでしょ、『真実の尋ね人』さんは、あれは人為的なものだっていっていたわ」

『真実の尋ね人』とは、アヤの大好きな、山臺市のディープな情報を発信しているブロガーである。
アヤは親のPCを借りて、毎日そのブログをチェックしているのだ。
「人為的?」
「そうよ、それが証拠に、光の柱がおさまったあと、何者かが小学校跡地から逃げて行くところを目撃したひとがいるんですって」
あの大きな余震のさなかに? とふしぎにおもったが、アヤのキラキラした目を見て、反論するのをやめた。

「ところでリョウ」
急にアヤはあらたまった。
真面目な顔をして、リョウをじっと見る。
「リョウは頭がいいから、きっと高校は山臺壱番高校に行くわよね」
「そうしたいのは、やまやまだけど」

山臺壱番高校は、山臺市内でも屈指の県立の進学校で、リョウの兄キンヤの母校でもある。
キンヤから、いい学校だということは聞いていたので、将来は通ってみたいとおもっていた。
が、問題は、果たして、こんなに勉強が遅れてしまっているのに、だいじょうぶだろうかということだ。

切実なリョウのこころを知らず、アヤがはしゃいだように言う。
「わたしもきっと山臺壱番高校を目指すわ。だから、受かったら、一緒に通いましょうね、中学は別々になっちゃうけれど、高校が一緒なら、きっと楽しいわ。ね、約束よ」
リョウは、これまたあいまいにうなずいた。
自分ではどうにもならない要素があることに、約束をしてしまってよいのか、という気持ちがあったからである。
煮え切らない態度に、アヤはふてくされる。
「なによ、受かる自信がないの?」
「だって、先のことだし。あと六年もあるんだよ? ほんとうに、先のことなんてわからないよ」
「おじいちゃんみたいなことを言うのね。だいじょうぶよ、千年に一度っていわれる大地震も終わっちゃったのよ。これ以上、悪いことなんて起こりっこないわ」
「そうかなあ」
でも、3月11日があったのに、たった一か月後に大きな余震があって、さらに春海小学校跡地の奇妙な出来事はおこったじゃないか、とリョウはこころの内で反駁する。
とはいえ、アヤとは喧嘩別れしたくなかったので、これまた口には出さなかった。
「自信を持ちなさいよ。リョウはきっと山臺壱番高校に受かる、わたしも一緒にそこに通う。それでいいじゃない、ね? 約束よ?」
「わかったよ、がんばる」
「わたしもがんばる! あ、そうだ、自分の携帯を買ってもらったら言ってね。やりとりしましょうよ。ちゃんとわたしのメッセージは読んでよ。無視したら、それこそ地球半周ぶん、ぶっとばしてやるから」
脅し文句をさらりといって、アヤは向日葵のように晴れやかに笑う。

アヤにはかなわない。
リョウは苦笑しつつ、アヤの差し出してきた小指に、自身の、小学五年生の少年のものにしては華奢な小指をからませ、指切りげんまんをした。
アヤはおおいに満足したらしく、
「よし!」
とうなずいて、気合いをいれていた。

アヤは意志が固い少女だ、きっと願いをかなえるだろう。
いまから六年年後、自分は十五になっているわけだ。
高校生になって、壱番高校のブレザーを身にまとう自分を想像してみようとするが、まったく像が浮かばなかった。
いまのリョウには、六年後なんていうのは、弥勒菩薩が出現するという56億7000万年くらい先にすらおもえる。
時間が流れ、人が変わっていっているのはわかっているが、果たして、自分は変わっていけるのだろうかと。

ゆるい風がながれて、リョウの麦わら帽子のリボンをはためかせた。
かつて、自分を守ってくれた街、守ってくれていた両親はもういない。
アヤのように、がんばって、前に進むときがきているのだ。
がんばれるかな、とリョウは心細くなったが、アヤの笑顔を目の前にして、なんとかなるかな、と思い直した。
アヤはいつだって、リョウを引っ張る役目だった。
これからだって、きっと、かの女はリョウのけん引役を務めてくれるのだろう。
そこにやっと安堵感を見つけ、リョウはすこし、ほほ笑んだ。

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Ⓒはさみのなかま 2017/3/1