ずんだ×三国志

序話

関羽、みちのくに仲間たちを召喚すること

「逃げよっ」
関羽の声にはじかれるように、むすめは走り出した。
泥とがれきの巣となっている、春海小学校跡地。
むすめはけんめいに走っていく。
この暗闇、この足もとのわるさ。
津波の傷跡もまだ生々しい春海小学校跡地のなかをたったひとり逃げるのは、さぞかし心細かろう。
しかも、さきほど大きな余震があったばかりだ。
むすめの胸に、3月11日の恐怖がまたよみがえったにちがいない。

むすめが何かに足を取られて転んだ。
つい、むすめのほうに駆け寄りたくなる。
だが、関羽はもう娘についていってやれない。
生きよ、たのむ。
つよく念じると、やがて闇の向こうからパタパタと、ふたたび走り出したむすめの足音が聞こえてきた。
そうだ、それでいい。
関羽はほっとして、今度は真正面にいる敵をみる。
関羽の胸に穿たれた槍の穂先。
これ以上、からだの奥に進ませまいとしてみるが、敵は、ぐっ、ぐっ、と力をこめて、とどめを刺そうとしてくる。

敵の顔は見えない。
奇妙な兜をかぶっているのだ。
まるで西洋の騎士のかぶるような、あたまをすっぽりとかくす兜で、側面からはバファローのような大きな角がそれぞれ伸びている。
こんな兜をかぶっているのでは、さぞかし視界もわるかろうとおもうのだが、敵はおもいのほか俊敏だった。
関羽のくり出す偃月刀の切っ先をことごとくかわし、それどころか、ぎゃくにいまは、関羽の胸にとどめの一撃を与えようとすらしている。

ぬぅ、と短くうめいてから、関羽はこれから身に走るだろう衝撃に耐えた。
一気に力を籠めると、槍の柄に全体重をかける。
穿たれた傷がはげしく悲鳴をあげる。
傷が内部でかきまぜられる。
肉と血管が切れて、その音さえ聞こえそうな気がした。
が、かれは、自分がこれ以上「死なない」ことを知っている。
いまの肉体は借り物にすぎない。
たとえここで使い物にならなくなったとしても、ふたたび眠りにつけば、また復活できる。
関帝聖君の称号をあたえられ、かれは神として戦いつづける。
目の前にいる怨敵、蚩尤と。

ぎり、ぎり、と音をたてて槍の柄がきしむ。
関羽の意図に気付いた蚩尤が、させまじと、さらに関羽の心臓を穿つ。
痛みどころの話ではない。
心臓が破裂し、傷口からすさまじい量の血が噴き出す。
からだじゅうのあらゆる神経が、傷口を中心にはげしくのたうちまわる。
それでもなお耐えたのは、関羽には意地もあったからだ。
軍神としてとくべつに強靭なからだを天帝から与えられている自分が、この程度で引けない。
だいたい、あのむすめを遠くに逃がすまでは、ここで倒れるわけにはいかない。

ばきっ、と待ちに待った音がした。
槍の柄が折れたのである。
蚩尤がその反動で、わずかにうしろにつんのめる。
すでに手に力は入らない。
それでもなお、関羽はおのれをはげまし、空いた手にちからをこめた。
渾身のちからでもって、関羽は自身の得物である青龍偃月刀を振りかざし、蚩尤の胴を薙ぎ払った。

ごぉおん、と銅鑼を叩いたような音がした。
いっしゅん、この甲冑の中身は空なのではないかとすら、関羽はおもった。
それほど、うつろな音であった。
蚩尤は、糸の切れたあやつり人形のように、無言のまま、その場に両肘をつく。

大きな角が校舎に差し込む月光に怪しくかがやいている。
関羽は兜の中身をたしかめたい気持ちになった。
そして、自身のうがたれた心臓の傷に手を当て、神通力で傷口をゆっくりふさいでいく。
蚩尤はぴくりともうごかない。

おもえば、この敵との戦いは、ながかった。
時空を超え、何度、対決してきたことだろう。
対決の結果は、いつも引き分け。
どうあっても関羽は蚩尤に勝てなかった。
もちろん、蚩尤も関羽には勝てない。
たがいに、ただ追い払うことはできるので、人々は、この災厄の神を祓うモノとして、関羽を地上に召喚しつづけた。
そしていま、この島国ニホンの地方都市サンダイにて、決着がつこうとしている。

いままで自分を苦しめてきた者は、どんな顔なのか?
みにくいか、うつくしいか、若いか、老いているのか?
そも、男なのか、女なのか?

関羽は、かれにしてはめずらしく、おそるおそるといった手つきで、蚩尤の兜に手を伸ばした。
蚩尤はぴくりとも動かない。
あたりには静寂がもどり、逃げ去ったむすめの気配も遠くなっている。
生臭い血のにおいにまじって、汚泥のにおいがした。

3月11日に、この春海小学校は津波におそわれた。
教室という教室にうずもれた泥や、波によって運ばれてきた小舟や車やドラム缶が、それぞれしずかに惨事を物語る。
ここで尊いいのちを落としたものも、数知れず。
行方不明者の捜索がおわったあとは、この小学校跡地は当時のまま放置されている。
あれからまだ一か月。
山臺市民は、自分たちの生活を立て直すのにけんめいで、まだ、この小学校の片づけまで手が回せていない。

しんと、耳の痛くなるような静寂がつづく。
ありとあらゆるものが、息をひそめて二者の対決を見守っているかのようだ。
これで終わりなどということがあるだろうか。
何百年とつづいてきた怨敵との戦いが、こんなに呆気なく終わることなど?
しかも、中国大陸での戦いではなく、極東の島国で対決が終わろうなどということが。

不意に背筋をつめたいものが走った。
蚩尤の兜のなかから、突如としてぼわっと炎が噴き出てきたのだ。
しまった、とおもうひまもなかった。
まさに炎龍。
炎は、ヤマタノオロチの如く鎌首をもたげ、あっというまに空間いっぱいにひろがった。
そこにあった黒板も、机も椅子も、ひっくり返った自動車も、ドラム缶も、すべてが炎に包まれていく。

炎をから逃れようと関羽は足を動かそうとするが、足がなにかに絡めとられて、動かない。
見ると、足首を、蚩尤ががっちりと抑え込んでいるのだった。
おれと心中しようというのか。
関羽が低くうめくと、蚩尤の首が、笑ったかのように、カタカタと揺れた。
炎は音もなく、空間を埋め尽くし、踊り、舞う。
関羽は何度となくもがいたが、足に絡みついた蚩尤は頑として手をはなそうとしない。
どころか、自身の熱で甲冑は溶け、からだも溶け、正体不明のタールのような液体に変じていく。
関羽はありったけの呪いのことばを蚩尤にぶつけるが、敵はおかまいなしで関羽をからだをからめとる。
そのうちに炎は、関羽のからだを焦がしはじめた。

またか。
関羽は無念におもった。
また眠りにつかねばならぬのか。

劫火のなか、関羽は大きく両手を押し上げた。
同時に、かれの巨体が、青白いうつくしい光につつまれはじめた。
光はぼおっとした蛍光灯のような光から、だんだん強くなっていき、やがて関羽の頭上からとびぬける柱となって小学校の天井を突き抜け、曇天を白竜のようにまっすぐ、まっすぐと立ち昇っていき、やがて、天に届いた。
自身の力が光の放出とともに、すうっと抜けて行くのがわかる。
狂えるごとく踊り舞う炎と火の粉の向こうには、床に倒れ伏し、ゆっくり気化していく敵の姿が見えた。
かれもまた、眠りにつくのだろう。
そしてまた、見るのだろう、禍々しい夢を。
この夢を打ち破るために、おれもまた、力を蓄えねばならない。
やがてくる、真の決戦のときまで。

関羽は、ふたたび渾身の力をつかって、両手を天へ突きあげる。

仲間たちよ、来よ、来よ、来よ!
来たれ、極東のまちに、おれを助けるため。
この光の柱が見えたなら、ともにおれと戦え!

光の柱は曇天に突き刺さり、そして暗雲は、大きな渦となって天をかきまぜた。
関羽みずからが天の柱となって、崑崙とこの世界をつないでいく。
ざわざわと聞こえてくるさざめき。
魂たちが崑崙から降りてきたのだ。
巨漢の関羽のまわりを野球ボール大の光たちが舞う。
ちらちらと不規則に揺れうごく。
まるで関羽とのわかれを惜しんでいるかのように。

散れ、仲間たち。
いまはまだ、戦いの刻ではない、
力を蓄え、その感応する肉体にやどれ。
刻がきたなら、おれはまたおまえたちのために目覚めよう。
それまで、戦いの刻を待て、仲間たち。
ゆめゆめ、敵に取り込まれるでないぞ。

蛍火のような無数の光が乱舞する。
消えていく関羽のまわりを、名残惜しそうに飛び回る。
それを愛おしくながめながら、関羽はだんだん意識がうすれはじめていることに気づいた。

「あとはお任せください」
耳朶にやさしいまろやかな声がした。
いっしゅん、むすめが戻ってきたのかとおもったが、ちがった。
見れば、いつのまにあらわれたのか、羽衣をまとった仙女が光の中に浮いていたのである。
襁褓のなかでみあげた慈母をおもわせるやさしい顔をして、仙女は言った。
「おやすみなさい、聖君。あとはわたしが、世界を守って見せますわ」
仙女は深々と頭を下げる。
この惨事のなかでも、おもわず見とれてしまうような、品のある優雅な動作であった。
かの女自身、目の前の凄惨な光景を見ても、動じていないようである。

頼んだ、と関羽は小さくうなずき、そして目を閉じた。
それが合図。
かれの意識は混濁し、そして無明の闇に沈んでいった。
おなじく眠りについただろう、かれの宿敵のことをおもいながら。
つぎは。
つぎはきっと、滅してくれようぞ、蚩尤よ。

炎の中に崩れ果てたはずの敵に、答えは、ない。

つぎへすすむ
もくじへもどる
TOPページへもどる

Ⓒはさみのなかま 2017/3/1