うさ・ルート PARTⅡ
うさぎとアナタの夢の暮らしガイド
1ページめ
おじいさんとうさぎ
基本世界では西暦2005年。
チャールズ皇太子が再婚したことが、下宿先でも話題になった、その年の春であった。
最高府の最長老であったウトナピシュテムの乱ともいうべき事件が落着して、だいぶたった。
最高府のメンバーは大幅に入れ替わり、その方針も大きく転換することになった。
そのひとつが、『戸別訪問制度』である。
その制度についてのおしらせメールが、塔のわたしのところにもやってきた。
最高府から派遣される係が聞き取り調査にくるらしい。
国勢調査のようなもの、と思っていただけるとわかりやすいか。
それはともかくとして、そのメール、追伸として、こんなことばが書き添えられていた。
『現在、アストラルの諸葛豊さんに戸別訪問に応じていただけないでおります。塔の役員をまかされている子孫の諸葛亮さんには、ぜひ対策をお願いしたいと思います。
つきましては、○月▲日までに、最高府に届出されている住所に戻るよう、諸葛豊さんをご説得いただけないでしょうか。ご協力よろしくお願いいたします。
なお、理由の如何にかかわらず、期日までに住所に戻られない場合は、最高府の規定にしたがって、諸葛豊さんにはペナルティが課せられる予定ですのでご注意ください』
おじいさんのピンチ。
このなんとなくやわらかい文面にだまされてはならぬ。
最高府は、要するに、戸別訪問に応じない場合は問答無用で罰するぞと言っているのである。
それにしてもおじいさん、仕事もせずに、またどこかへ行ってしまっているのか。
早いところ探しにいかないと面倒になるぞ。
さて、いったいどこから探そうかな。
諸葛豊とは、わたしのご先祖の名前である。
漢王朝につかえて司隷校尉、つまりは中央に仕える官吏を取り締まる監察官をつとめていた。
その姿は謹厳実直を絵に描いたようで、どころか愚直ともいえるものであったようである。
世間では、そのあまりの実直ぶりをからかって、しばらく顔を合わせていない友人と会うと、『長いあいだ会えなかったのは、諸葛に会っていたからさ』などと冗談をかわしあっていたとか。
人づてに聞いた話によると、職務熱心なあまりに融通がきかず、それで人のうらみを買うことも多かったようだ。
おじいさんは、おじいさんなりに必死に職務をつとめあげようとしたのであるが、要領がわるかったらしく、うまくいかなかったのだ。
史書にも載っている有名な話であるが、ここで紹介しておこう。
時の帝の外戚(帝の生母の一族だった)にあたる許章という男がいた。
その男が賓客として遇していたある人物が、罪を犯した。
おじいさんとしては、これを罰さなくてはならない。
意気込んでいたところへ、許章がたまたま外出しようとしていたのに行き当たった。
おじいさんはここぞとばかりに許章に詰め寄り、節(天子からたまわった旗印。要するに自分が天子の代理だと示すもの)を見せて、許章を下ろして逮捕しようとした。
ところが、許章は言うことをきかない。
どころか車に乗って逃げてしまった。
おじいさんは追いかけた。
ところが追いつくことができず、許章はそのあいだに宮殿に逃げ込んで、さらには帝にかくかくしかじか、と自分の都合のいいふうにことを訴えた。
おじいさんの行き過ぎの態度も問題になったのだろう。
おじいさんは誉められるどころか、節を取り上げられてしまったのである。
それでも、おじいさんはめげずに職務に励んだ。
だが、監察官というものは、真面目にやればやるほど恨みを買うものである。
おじいさんのことを悪く帝に訴える者が増えてきた。
おじいさんは、司隷校尉の役目から転任させられてしまったが、それでもなお、再起をめざしてがんばった。
ところが、あんまり評判は高まらず、どころか、ときの帝はおじいさんの言うことをまったく聞かなくなってしまった。
おじいさんは、とうとう官位を取り上げられ、失意のうちに亡くなった。
きびしい人生であったのだ。
そのこともあってか、おじいさんはアストラルとなってから、あまり仕事をしなくなってしまった。
もう人の恨みを買いたくない、と思っているらしい。
仕事もせず、霊格をあげることもなく、ただ、にこにこと日向ぼっこをして毎日を過ごしている。
そのおじいさんがピンチだ。
子孫としては、なんとかしなければ。
さて、『戸別訪問制度』とはなにか?
それを説明する前に、われらのことを忘れてしまった諸君に、あらためて説明をしておこう。
われら英霊は、死して神々によって選別され、エリュシオン、あるいはヴァルハラとも呼ばれる戦士の憩いの園である世界に住まう。
その世界は、ざっくりと『下宿先』と呼ばれている。
この『下宿先』とは、われらが生きた世界である『基本世界』の忠実なコピーであり、地理も天候も変わるところはなにひとつない。
ちがうことといえば、そこに住む顔ぶれが変わっている、ということだ。
さて、われら英霊には二つの種類がある。
ひとつは、アトラ・ハシース(最高の賢者)と呼ばれるもの。
自然界からくみ出される霊力と呼ばれるパワーを動力にする、進化した『人間』だ。
もうひとつが、アストラル。同じく進化した『人間』であるが、自ら霊力を自然界からくみ出すことができない。
アトラ・ハシースとアストラルには使命が課せられている。
すなわち、基本世界を中心に、さまざまな可能性の分岐から発展する汎世界(平行世界ともいう)を管理する女神たちに召喚され、世界を救う仕事に従事することである。
まず、女神が、その仕事に応じた能力をもつアトラ・ハシースを世界に召喚する。
アトラ・ハシースは仕事の内容を聞き、まずそれを受けるかどうかを決める。
受けると決まったら、ついで、自分の仕事を輔佐してくれるアストラルを選び、召喚する(召喚しないときもある)。
アトラ・ハシースは仕事を請けるさい、女神から霊力を供給される。
そして、その霊力をもとに、アトラ・ハシースは自らの力をふるいつつ、自力で霊力を確保できないアストラルに、霊力を分与する。
そうして仕事をこなしていき、みずからの霊格を高めていく。
霊格が高まっていくと、どんどん神々に近づいていくという仕組みだ。
もちろん、おのれの力を高めることに興味のない者は、仕事を請ける必要はないし、霊格を高める必要もない。
仕事を請けなかったからといって、罰則のたぐいはいっさいない。
さて、そんなわれらだが、『下宿先』においては、最高府なる機関によって統制されている。
この最高府、メンバーも人員数も所在もはっきりわからないナゾの機関だ。
かれらは全アトラ・ハシース、アストラルを管理している。
『下宿先』においては、アトラ・ハシースは、中央都市の中心にある『塔』に住むことを義務付けられている。
それ以外の土地には住めない。
理由は、アトラ・ハシースが、かぎりなく神に近い霊力を持っており、その自由を制限しないと危険だから、ということである。
一方で、アストラルは居住が自由である。
ひろい基本世界の、どこへ住むことも可能だ。
便宜上、中央都市に住んでいるアストラルのほうが圧倒的に多いが、子龍のように、中央都市から住み替えて、海辺のひまわり畑の家に住む者もいる。
変わり者になると、わざわざチョモランマの頂上に住んだりしている。
ちなみに居住者は、『そこに山があるから』と有名なことばを残した冒険家ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンである。
かれらはチョモランマと中央都市の両方に家をもって、季節ごとに行き来している。
いまでも、チョモランマ登頂にいどむ者が来ると、山小屋にて、幻想種族のイエティ(シェルパも請け負う気安い雪男である)と一緒にチャイを出して歓迎してくれるので、機会があったら行ってみるといい。
話を戻そう。
このように、アストラルは比較的自由に生活することができる。
ただし、放浪生活だけは許されていない。
最高府の取り決めによって、アストラルはかならず定住しなければならず、その申請もしなければならないことになっている。
しかし、こうした規制に抵抗する者はかならずいるもので、わたしのおじいさんもそのひとりだ。
おじいさんは、中央都市に仮の家を取得し、これを最高府に申請、その後、実際にはそこに住まずに、毎日、好きなところへ移動して暮らしている。
ちなみに、召喚されたくない(つまりは仕事をしたくない)アストラルは、申請した住所の玄関に、茅の輪をかけておくだけでいい。
そうすると、茅の輪の発揮する霊力が働いて、召喚されないようになるのだ。
おじいさんは、これも利用して、仮の家の玄関に、茅の輪をかけっぱなしにしているのである。
もうどれだけそうしているだろうか。
何十年、いいや、何百年、ではないだろうか。
わたしはおじいさんが働いたという話を聞いたことがない。
さて、『戸別訪問制度』とはなにか、というところへ戻ろう。
おじいさんのように、最高府が実態をつかみづらいアストラルは、じつはすくなくない。
最高府は、メンバーを刷新してから、『下宿先』を適正に管理するために、アストラルへの現状の聞き取り調査をするという名目で、定期的に聞き取り調査をおこなっている。
とはいえ、それすらいやだというアストラルもじつはいて、最高府の連絡をまったく無視してしまっている。
その場合、最高府はかれらに罰則を与えている。
制度の発足当時は煉獄行きだったが、いまではすこしゆるくなって、百年間のボランティア活動だそうだ。
なにはともあれ、罰は罰。
受けないほうがおじいさんのためである。
わたしはさっそく、使い魔としてつかっている蜻蛉たちを招集し、おじいさんのいそうなところを探させた。
おじいさんは水辺が好きなので、きっと水のある景勝地にいるにちがいない。
おじいさんの友人たちにも連絡をとって、その行方を捜すこと三日。
○月▲日の前日になって、おじいさんは、ウンディーネの湖に遊びに行っていることがわかった。
ウンディーネの湖とは、その名のとおり、水の精たちがすみかにしている美しい湖のことである。
湖の中央には小島があって、月夜の晩には、ウンディーネたちはそこにあつまって、歌ったり踊ったりして遊ぶ。
湖のほとりにはブドウ畑があって、ちかくのドワーフのシャトーではおいしいワインがつくられている。
春には金鳳花の咲き誇る草原のうえに、かわいらしい蝶が飛び交い、冬になると白鳥のすんだ鳴き声があたりにひびきわたるそうだ。
なぜおじいさんがウンディーネの湖に行っているのか。
蜻蛉は意外な報告を持ってきた。
どうやら、いま、ウンディーネの湖では、変化型アトラ・ハシースによる『メタモルフォーゼ大会』なるものがおこなわれているらしい。
この『メタモルフォーゼ大会』、変化型アトラ・ハシースが参加して、ウンディーネの湖を背景に、いかにうまく風景になじんで変身することができるかを競い合う大会であるらしい。
ちなみに変化型アトラ・ハシースとは、召喚先の何物かに変身して問題を解決することを得意とするアトラ・ハシースたちのことである。
憑依型アトラ・ハシースとちがって、その世界に存在しない者に変身して行動することも可能だ。
生き物になることもあれば、物体になることもある。
わたしの知り合いにも、変化型アトラ・ハシースがいる。
そういえば、このところ何年と顔を見ていないのだが、元気なのだろうか。
さっそくウンディーネの湖にいかなくては。
子龍も一緒にと思ったが、あいにくと召喚されているらしく留守だ。
そこで仕方なくひとりで行くことにした。
どうも相方がいないというのはさびしいものである。
現地にいくと、情緒もないもないことに、『第684回 メタモルフォーゼ大会』なる横断幕がでかでかと湖のほとりにかかげられていた。
人気の催しであるらしく、湖のほとりには、古今東西のアトラ・ハシース、アストラルがあつまっている。
うーむ、こんな大々的な催しがあったとは、いままで知らなかった。
世の中には知らないことがいっぱいある。
湖のほとりには、大会実行委員会のテントを中心に屋台が出ており、東西のB級グルメを楽しめるようになっている。
さまざまな香辛料のにおいに惹かれないでもなかったが、まずはおじいさんを探すことに専念した。
そうして、きょろきょろとあたりを見回していると、ふと、だれかに名前を呼ばれたようである。
だれか知り合いでもいるのかな?
声のする方向を見れば、見覚えのある灰色の毛もじゃが一匹、『参加者控え席』のテーブルのうえで、盛大に手を振っているではないか。
「諸葛亮―! 久しぶりだのう」
「これは変化型アトラ・ハシースの大会ではなかったのか」
近づいてたずねると、長い垂れ耳をした灰色のうさぎは、眉根をよせて、こう答えた。
「久しぶりに会ったというのにつれないのう。この大会は、変化型に参加を限定していないから人気なのだよ。今回は、わたしも参加するのだ。それを知って応援に来てくれたのではないのか」
「いや」
ちがう、と答えるまえに、このうさぎ…わけあってロップイヤーラビットになっているが、その正体は、かの司馬仲達である…は大きくうなずいて、言った。
「なになに、照れることはない。わたしとそなたは友達なのだからな!」
にっこり仲達はわらうと、つづいて、すこし悲しそうにつづけた。
「じつは、知り合いという知り合いに、この大会のことをメールしたのだが…応援にきてくれたのは、諸葛亮、そなただけなのだ。わが一族も、みな召喚されてしまって留守だしのう。ひとりぼっちで大会に出ることになるかと思っていたのだよ。だが、そなたが来てくれた。やはり、そなたはわたしの真の友だな!」
「え、うう、うん?」
そういえば、出がけにメールがきていたような。
急いでいたので中身を確認しなかったのだが、仲達からのものだったにちがいない。
この大会の内容を知らせるものであったはずだ。
それにしても、仲達はいつもいつも間が悪いというか、おそらく、ほかのアトラ・ハシース、アストラルにしても、悪気があって応援に来ないのではない。
仲達の交友関係は、浅く広くが基本で、どうも、ここぞというときになると、強力に味方になってくれる人物があらわれない。
それは仲達に魅力がないわけではなくて、単に、
『オレが(わたしが)かれの味方をしなくても、だれか、もっと仲のよいひとが味方をするだろう』
と、なぜか全員が全員、思ってしまうからであるようだ。
どうしてそうなってしまうのか、仲達はひそかに悩んでいる。
こうなると、わたしがここに来たのはよかった、ということ、だよな?
しかしおじいさんを探さないと、期日は明日だ。
明日には、おじいさんを中央都市の仮の家に戻さねばならない。
「見ていてくれ、がんばって優勝するぞ!」
ガッツポーズを見せて笑う仲達。
そして笑うに笑えないわたし。
困った。
おじいさんのことを切り出せなくなってしまった。
「しかし、おまえは変化できまい」
仲達は、呪詛の力でうさぎになってしまっているので、それ以外の姿になることはできないはずである。
すると、仲達は、フフフ、と意味ありげに笑った。
「メタモルフォーゼ大会と題されているが、最近は傾向が変わってきているのだよ。大会の趣旨は、いかに風景に溶け込んだ『モノ』を出せるか、というところにあるのだ。たしかにわたし自身は変化をすることができないが、風景に合ったモノを変化させることはできる」
「なにをするつもりなのだ」
「それは、いかに友であっても秘密なのだ。最後まで見ていくといい。今回は『水面に浮かぶ月』がテーマなのだよ。勝算はあるぞ。ちなみに賞品は、基本世界でしか入手できないという幻のロマネコンティだそうだ。どうだ、諸葛亮、わたしが優勝したら、一緒に一本あけようではないか。なにせ応援に来てもらったのだからのう。わたしも張りがあるぞ!」
ううむ、ますます、おじいさんを探しに来た、とは言えなくなってしまったな。
あまり時間もないので、ゆっくりしていられないのだが…
仲達はというと、頑張らなくちゃ、とうれしそうにしながら、うきうきと毛づくろいをしている。
なんとなく、この場から離れてはいけないような雰囲気。
湖のうえに輝いていた太陽は、すでに西に落ちようとしている。
おじいさんはどこだ?
なるべく仲達に気をつかいつつ、笑みをうかべて周囲に目を走らせていると、なんだかなれなれしい目つきをした黄色い鶴と目が合った。
この感じ、とっても記憶にある。
こいつ、もしや?
そんなことを考えていると、黄色い鶴のほうが、ばっさばっさと羽根を動かしながら近づいてきた。
そして、長細い首を動かしながら、テンションも高めに言う。
「ははは、お久しぶりでございます、丞相。相変わらずお美しい。おっと、これは禁句でしたかな、ついうっかり、いけない文偉でございます」
そう言って、文偉…そう、あの費禕、字を文偉は、自分のちいさな頭を、翼でぺしりと叩いた。
おどろくなかれ、費文偉は、延熙十六年の正月に暗殺されてしまったあと、すぐにアトラ・ハシースに昇格したのである。
張飛や子龍がアストラルであるにもかかわらず(張飛はあとになってアトラ・ハシースになったが)、なぜ文偉がアトラ・ハシースになったのかは、なぞだ。
そうした理由については、最高府はいっさい公示しないからである。
あいかわらずのお調子モノだが、職務熱心で、霊格もどんどん上がっている。
ただし、おっちょこちょいなのも変わっておらず、アトラ・ハシースとして仕事をはじめた当初、使い魔の黄色い鶴の背中に乗って飛んでいるところを人に見られてしまい、ちょっとした騒ぎを起こしたこともあった。
かの有名な黄鶴楼の名前のいわれは、文偉のドジによるものなのだ。
ちなみに文偉は変化型アトラ・ハシースとして、なかなかの働きをしている。
かの有名な日本の俳人・若山牧水の代表作
『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよふ』
の白鳥のモデルになったのも、白鳥に変身していた文偉だ。
さらにおどろくべきことには、ニュートンの前で落ちたりんご。
あれも文偉なのである!
やっていることが地味なわりには、人類に貢献しているということで、霊格もなかなかいい。
黄色い鶴となっている文偉は、何が楽しいのか陽気に笑っていたが、テーブルのうえにいる毛もじゃの仲達を見ると、さらに爆笑した。
「わははは、こりゃおかしい! ここ数年、ずっと召喚されていて、うわさでしか知らなかったのですが、あの仲達が、うさぎ、うさぎになっている! しかも耳が垂れていますよ、わはははは!」
言いつつ、文偉は手だけ人間になると、仲達の背中の毛を、にゅっ、とつかんで、からだ全体を持ち上げた。
「ちっこい! ちっこいですな! こういう仲達なら、わたしでも勝てそうです!」
「なにを、ふざけるな、このお調子モノめ、わたしを放せ!」
「しかもしゃべっていますよ、丞相、どうしましょう」
「どうもこうも。放してやれ、文偉」
文偉は笑いが収まらないらしく、うひゃうひゃ言いながら、仲達をテーブルのうえに戻した。
「うぬ、無礼者め、毛皮が伸びてしまったではないか」
怒って毛づくろいをやりなおす仲達に対し、文偉はふたたび手を羽根に戻して、わたしに向き直った。
「いやいや、しばらく『下宿先』に戻っていないと、いろんなことがありますなあ。丞相もうさぎになったと聞きましたが、人間に戻られたようで、安心、安心。しかし、姜維のことはほんとうでございますか」
姜維のことを言われると、わたしの心も暗くなる。
かわいそうな伯約。
かれはいま、模範囚として煉獄を支配する女神エレキシュ・ギ・ガルさまの使い魔として世界のあちこちを飛び回っているのだ。
活躍しているとはいえ、罪人としてなのだから、わたしの心は晴れない。
「伯約には、いろいろ土産話もありますのに、会えないのは残念でございますな」
「三日に一度は煉獄に会いに行っているのだよ。元気そうだったぞ。本来ならば、煉獄のレリーフと化して身動きもできずに生きねばならぬところを、使い魔として自由に行動できるのだから、まだましだと思わねばなるまい。もっとも、煉獄に落ちた理由とて、伯約が悪いわけではないのだ」
「悲しいことでございます」
さすがの文偉も、姜維のことになると、しょんぼりとしおれた。
生前は、伯約と組んでわたし亡きあとの蜀を支えていたのだから、わたしとはちがう感慨があるのだろう。
と、不意に思いついた。
そうだ、文偉にしばらく仲達の相手をしてもらって、そのあいだにおじいさんを探す、というのはどうだろう。
「文偉、そなたも大会に出るのか」
「わたしは大会運営ボランティアでございます」
「そうか。ならば、すこしわたしを助けてくれぬか」
わたしは、仲達に聞こえないように、仲達のこと、おじいさんのことを、手短に文偉に話して聞かせた。
文偉はそういう事情がおありでしたら、仲達のことはしばらく引き受けますので、おじいさまを探しに行ってくださいと言ってくれた。
文偉は話上手なので、仲達の気持ちをうまく惹き付けることができるだろう。
よしよし、このあいだにおじいさんだ。
夜に行われる大会ということで、日が落ちるにつれて、どんどん人も増えてきた。
幻想魔族たちも集まっているようで、会場はどこか仮装パーティーにも似たふしぎな雰囲気である。
ウンディーネの湖ということで、緑色の長く豊かな髪を、色とりどりの花で美しくよそおったウンディーネの姿が水辺に並んでいるさまは、壮観だ。
まるで水辺に花園ができたようである。
大会審査員席には、見覚えのある顔がずらりと並んでいるのだが、いちばんおどろいたのは、特別審査員の李白であった。
『水面に浮かぶ月』がテーマだという今回、まさにその『水面に浮かぶ月』をとろうとして溺死したという伝説をもつ李白にぴったりだ。
それにしても、おじいさんはどこか。
きょろきょろしていると、どこからともなく、こんな歌が聞こえてきた…
(おじいさんの古時計のメロディで)
♪大きなのっぽの諸葛亮 諸葛豊の孫子(まごこ)
漢朝 復活 めざしていた ご自慢の孫子さ
おじいさんの生まれたあとに やってきた孫子さ
いまは もう うやまわない その孫子
おじいさんに小言いう
チク チク チク チク
おじいさんが働かない
チク チク チク チク
いまは もう うろたえない 諸葛豊
失礼な! ちゃんとおじいさんを敬っておるぞ!
見れば、大会審査員席のそば、来賓用テントのなかで、ビールを飲んでいる一行がいる。
そのなかに、おじいさんの姿があるではないか。
その当のおじいさんが、さきほどの歌を唄っていたのだ。
おじいさん、あなたの孫子が迎えにきましたよ!
「おじいさん!」
声をかけると、酔っ払って、鼻まで赤くしているおじいさんは、わたしを振り返った。
おじいさんの顔は、子龍に言わせると、わたしに似ているらしい。
一徹そうな雰囲気が似ている、ということだ。
とはいえ、おじいさんは現役から遠ざかって久しいので、すこしばかり目がどんよりしている。
「おお、亮ではないか」
おじいさんはビールジョッキ片手に、にこにこと笑った。
そこに戸別訪問の期限がせまっている、という切迫感はまったくない。
「おじいさん、なんて歌を唄っているのですか! わたしはちゃんとおじいさんのことを敬っております!」
「そうだったかねえ」
と、笑いながらとぼけるおじいさん。
わたしの姿を見たまわりの者が、冗談混じりに、
「おじいさんは大切にしなくちゃ」
などと言ってくる。
だから大切にしているというのに。
「なんだってこんな誤解を招く歌を唄っているのですか! いや、それはかまいませぬ。それよりも、戸別訪問のことはご存知ですね、期日は明日までですぞ」
言うと、おじいさんはじつにチャーミングに、にっこりと笑った。
その笑顔を見れば、だれでも気持ちがほんわりとなるような笑顔だ。
おじいさんは笑っている。
だが、うんでもすんでもない。
この笑みは、要するに、おじいさんにとっての拒絶の顔なのだ。
わたしは、中央都市にあるおじいさんの家の壁にあったオリジナルの格言、
『にっこり笑って、従わず』
を思い出していた。
実践しているらしい。
「おじいさん、状況はわかっておられますか? 明日、中央都市の家に戻らなかったら、おじいさんは百年の間ボランティアをしなければならないのですよ。要するに、タダ働きです。どんなにがんばっても霊格のあがらない仕事を百年もしなければならないのですよ!」
「そんなこたぁ、わかっとるよ」
「なら、中央都市に帰りましょう。仮の家はわたしの使い魔たちにそうじをさせていますから」
「べつに汚くてもいっこうにかまわんがね、それより亮や、期日は明日まで、ということは、明日中に中央都市にいればいいのだろう。どうだい、それまで、ここでゆっくり大会の様子を眺めてもいいのではないか」
「明日には、かならず中央都市に帰ってくれますね」
「帰る、帰る」
「ぎりぎりになって、やっぱり帰りたくない、といって、逃げないでくださいよ」
「帰ると言っているだろうに。おまえは本当にチクチクと」
「チクチクじゃありませんよ、おじいさんのためを思って言っているんです!」
「まー、そうカリカリするもんじゃない。ほら、大会が始まったぞ。おまえもビールでも呑んでゆっくりしなさい。つまみはあったかな。ほら」
おじいさんはまわりの人に言って、わたしのための席を空けてもらった。
わたしはというと、恐縮しながらその席に座る。
ほどなく、ビールが手元に渡ってきたが、つまみはというと、乾き物のつまみが早くも品切れ。
その代わりなにが来たかというと、なぜなのか、クッピーラムネ。
「なぜ、クッピーラムネ…」
「柿ピーとまちがえて発注しちまったんだよ。ピーつながりで、こいつがきちまったんだな。まあ、それ食って、おとなしくしてなさい」
ビールとクッピーラムネ、まったく合わない。
とはいえ、出してもらったものなので、仕方なくぽりぽりとラムネを食べながら湖上を見る。
そういえば、仲達の出番はいつだろうか。
こうなったら、最後まで見て、仲達を応援しよう。
大会はおごそかに、滑るようにはじまった。
水面に神秘的な満月の影が映りこむ。
波がゆらゆらとゆれて、月光をさまざまなかたちに変えていく。
そのうえを、自分たちであわせた音楽に乗せて、変身したアトラ・ハシースたちがあらわれる。
サン=サーンスの『白鳥』にあわせて、大きな真っ白い白鳥があらわれたときには、あまりにその風情がぴったりなのでみんなで大喜び。
水上を白銀の馬が駆け抜けていくものもあったし、白い象が水浴びをする、という趣向のものもあった。
変わったもののなかでは、水面の月そのままそっくりに化ける、というものがあった。
白銀の月が二つになって、そのふしぎな風景に、みな惜しみない拍手を送った。
そんなこんなでさまざまな演目がおこなわれ、仲達の番がやってきた。
仲達は、司会の台に立つと、みなにぺこりと一礼して、それから、さっと両手を挙げた。
とたん、ドビュッシーの『月光』が会場に流れ出す。
それだけでも会場は沸いたが、おどろいたのはつぎである。
夜空に、なにかの群れが飛んでいる。
白いものである。
なんであろうか。
ざわめく会場のなかで、だれかが、
「あれはポリ袋だ」
と言った。
見れば、たしかにそのとおりで、空に、ポリ袋や紙などのごみが、まるで渡り鳥のように飛んでいるのである。
ほどなく、それはきらきらと輝き出して、白銀の大きな羽根をもつ、うつくしい蝶に変化した。
きらきらと輝く粉を撒き散らしながら、神秘的な蝶が水面をすべるように飛んでいく。
その幻想的な風景に、だれもが息を呑んで見つめた。
蝶の群れは、音楽にあわせて、まるで妖精のように空中を踊りながら、やがて、音楽が途切れると、ふたたびもとのごみに戻って、地上に設けられたゴミ箱のなかに飛び込んで、終わった。
「いつでもそこにあるもの。山や川をよごすごみに注目して、それらを変化させてみました。ごみをリサイクルしようという願いもこめたものです。この演目が、われらアトラ・ハシースのあいだでも問題になっている環境について、考える一助になったなら幸いです」
仲達はそう述べて、最後に深々と頭を下げた。
とたん、それまで座ってみていたアトラ・ハシース、アストラルたちが立ち上がり、仲達に惜しみない賞賛を与えた。
仲達はというと、うれしそうに何度もあちこちに頭を下げている。
わたしもそれに従って、拍手を送った。
仲達にこんな繊細なセンスがあったとは、正直、びっくりだ。
さて、結果である。
大会の優勝は、水面に浮かぶ月そっくりに化けたアトラ・ハシースがさらっていった。
仲達はというと、特別審査員賞を受賞し、副賞で星葡萄(星の降る夜にしか収穫することのできない、幻の葡萄。皮までとろけるほど甘い)をワンセット得た。
「今回も面白かったなあ」
と、おじいさん。
さー、おじいさん、帰りますよ。
そうして、ふたりで中央都市へ帰ろうとした、そのとき。
仲達が、星葡萄の箱をかかえて、跳ねるようにしてこちらにやってくるのが見えた。
「諸葛亮―! ロマネコンティではなかったが、賞品をゲットしたぞ! ふたりで食べようではない……か?」
おや、というふうに、仲達はおじいさんを見る。
「諸葛豊どのではないか。お、もしかして、一緒に応援に来てくれたのか?」
そうだ、と答えようとしたとき、おじいさんは、例の、とびきりチャーミングな笑顔を見せて、仲達に答えた。
「戸別訪問が明日だというので、この孫子がこんな辺鄙なところまで追いかけてきたのですよ。まったく、困った孫子です」
「え」
仲達の顔がこわばる。
いかん、おじいさん、ちょっと黙って。
「そうでなけりゃ、この芸術にまったく理解のないトーヘンボクがこんなところに来るわけがない。わたしは好きなんですけれどねえ」
芸術を解さないというのは誤解もいいところだ。
それはともかく、仲達は、目をぱちぱちさせて、おじいさんを見、それから、わたしのほうを見た。
「諸葛亮、そなた、わたしのためにきてくれたわけではなかったのか」
「え、いやあ、そんなことは」
「そうか、そうなのだな。たまたまだったのだな……だれも、わたしの応援には来てくれなかったのか」
仲達はしゅんとして、うなだれる。
仲達のからだを覆っているふわふわの毛も、一緒にしょんぼりと垂れ下がる。
「それを、応援に来てくれたのだと早合点して…そうか、ちがったのか」
いかん、仲達、泣きそうだ。
「いやいやいや、たしかに偶然だったのは事実だが。そうではなくて、仲達、わたしはおまえのメールを受け取る前に外出してしまったのだよ。もしきちんとメールを受け取っていたなら、応援に来たとも」
「そうか?」
「そうだとも! わたしとおまえは友人ではないか」
「そ、そうか。そうだな、友人だものな」
「そうだ。メールを確認できなかったことはすまぬ。だが、おまえの演目を見て感動したのも事実だぞ。ここに来てよかったと思う」
「そうか! よろこんでくれるか!」
仲達は、照れくさそうな笑みをつくって、わたしに向けた。
「そなたのことばを信じよう! 来てくれてうれしかったぞ、諸葛亮! 星葡萄を一緒に食べようではないか。趙子龍が戻ってきているのなら、ひまわり畑にかこまれたあの家で、海を眺めながらのんびり過ごす、というのもいいかもしれぬ」
「そうだな。子龍も戻っているかもしれない。おじいさんを届けてから、すぐに行く」
「待っているぞ。なにせ特別審査員賞だからのう。話したいことがいっぱいあるのだ」
よかった、いつものわれらになったぞ。
ほっとしつつ、わたしはおじいさんを中央都市に戻して、戸別訪問を受ける手はずを整えた。
子龍の家に行くと、かれは戻ってきていて、仲達といっしょに、よく手入れのされているハーブガーデンのなかでお茶の準備をしていた。
用意された席にすわって、お茶を片手に星葡萄をつまむ。
仲達の、大会での苦労話などを聞きながら、のんびりと潮騒のなかで過ごす。
風に揺れるひまわり畑の向こう、岬の白い灯台のうえで、かもめが鳴きながら飛んでいる。
なんとも贅沢な時間ではないか。
「平和だな」
わたしが言うと、仲達はうれしそうに笑って、言った。
「ほんとうにのう。こういう時間が、いちばんしあわせなのだ。友人がいるということは、いいのう」
うつくしい風景と、おいしいお茶と、気の置けない友人たちと。
こんなゆったりした時間が、いつまでもつづけばいい。
ところが、そうもいかない。
われらの運命は、また流転していくのである。
次回につづく…
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(C) Hasamino Nakama 2009 10 20