うさぎが観察日記Ⅱ・8
サッポロ一番、そして戻れない、ひとり
※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」「うさぎが観察日記・3 後編」「うさぎが観察日記・4」「うさぎが観察日記・5前編」「うさぎが観察日記・5後編」「うさぎが観察日記・6前編」「うさぎが観察日記・7後編」「うさぎが観察日記Ⅱ・1」「うさぎが観察日記Ⅱ・2」「うさぎが観察日記Ⅱ・3「うさぎが観察日記Ⅱ・4」「うさぎが観察日記Ⅱ・5」「うさぎが観察日記Ⅱ・6」「うさぎが観察日記Ⅱ・7」の続きとなります。
プールであそぶ人魚、あるいはマーマンたちは、その素肌に七色の鱗を輝かせているが、どれもがおもわず足をとめてしげしげと眺めてしまいたくなるほどにうつくしい容姿をもったものばかりである。男女問わず、みんなそうなのだ。
かれらの鱗といっても、どちらかといえば、キラキラ光る装飾品のようで、不気味さはない。
鱗を輝かせているのは、天上にある、六つの足をもつ巨大なシャンデリアで、これが、等間隔にならび、シリウスのようなうつくしい光でもって、鱗を輝かせているのである。
広いプールには、彼らとはまた別の、黒いうなぎのようなどうぶつが動いていて、かれらは絶え間なく、これと戯れているようなのだ。
プールのまわりには、古今東西の珍味、ごちそうがずらりとならべられており、そのどれもができたてなのか、おいしそうな匂いを放っている。
この部屋に入ったとたんに、寒気はなくなり、わたしたちは料理のあまりのうまそうな匂いに、反射的に腹をぐう、と鳴らした。
部屋の一面には、複雑怪奇きわまりない文様がすきまなく彫りこまれており……と思ったが、よくよく見れば、それは木の根が複雑にからみあったものであり、木の根はどこへ繋がっているかというと、やはりプールにつながっていて、そこから壁をつたって、大きな部屋の中央をぐるりと囲むようにして生い茂っている濃い緑色をもつ木々につながっている。
その木には、ちょうど椰子の実くらいのおおきさの実が無数になっているのだが、かえるの卵のように透明で、中央になにか丸いものがあるのだが、それはわたしたちからは、はっきりと確認できない。
その木々中央には玉座があり、そこには、カツラではないかとうたがうほどに、うつくしく長い黒髪をもった、少女のようなおもざしの女神が座っていた。
彫りの深い顔立ちからしてスラブ系か。
髪の長さは、ただ長いなどというものではなく、伸びに伸びて、床にずーっと伸びて、なんと先端はプールに入り込んでしまっているほどであった。木の枝と絡んだりしないのか心配だ。
もしかして、人魚やマーマンが遊んでいるのは、遊んでいるのではなくて、あの女神の髪を洗っているのではないだろうな。
少女のような女神は、わたしたちを見ても、なんら驚く様子をみせない。
少女の両側には、うつくしいけれど小太りの、なにやら艶めいた雰囲気の女が、気だるそうにカウチに寝そべっている。ギリシャ系の女神だろうか。
一方では、全身をそれこそ防護服のようなもので固め、目だけを出している女が、ソファに座ってこちらを向いている。
彼女らにぺこりと頭を下げて、鬼子母神は言った。
「心配したとおり、やっぱり、ウトナピシュテムの餓鬼がやらかしたようです」
「あらあ、いい男だけれど、その、ボロボロの格好の中国人はだれよ。みたところ、ヘルメスタイプに改造されているみたいだけれど」
と、言ったのは、派手なショッキングピンクの扇をひらひらとさせている、ギリシャ系の女神である。
その女神に、鬼子母神は、かしこまった様子でこたえた。
「蜀漢の将軍であった馬孟起です。どうやら捕獲されて、取り込まれてしまったようなのですが、力がつよかったので、『ヘルメス号』にされたみたいで」
鬼子母神がこたえると、ギリシャ系の女神は、もう関心がなくなったらしく、ふーん、とだけ言った。
「そのうしろの二羽のうさぎは」
と、たずねてきたのは、全身、防護服、という奇妙な出で立ちの女神である。
むねのふくらみで、ようやく女とわかるくらいだ。人種は特定できないが、その目の細さからして、アジア系であることはちがいない。
彼女は背中に清浄機のようなものを背負っていて、それが絶えず、ちいさな虫の羽音のような音をたてていた。
「こいつらが、例の呪詛の連鎖でうさぎになった、まぬけなアトラ・ハシースたちですよ。雑種なのが諸葛孔明で、耳が垂れているほうが司馬仲達」
ぞんざいな紹介をされるわれら。
しかしそれだけで、女神たちには通じたらしい。
「まあ、それでは、元に戻して差し上げなくてはならないわね」
と、不意に、少女のような面差しをした女神が言った。
おお! なんとおやさしい!
期待の声をあげるわれらであるが、しかし、女神は、無情に言ったのだった。
「けれど、期待しないでちょうだい。完全に元に戻せるかどうかは、わたくしでも自信がないわ。みたところ、ウトナピシュテムの呪詛は、移行した時点で、一段階進化してしまう成長系の呪詛であったようね。
つまり、呪詛が移行するたびに、強化され進化するという、めずらしい状況になってしまっているの。それでも、いまのままよりはよいでしょう。さあ、二羽ともわたくしのそばへ」
と、少女のような面差しをした女神は、鈴のようにやさしい声で言う。
完全には元に戻れないかもしれない、ということばに、うろたえるわれらに、鬼子母神が、苛立って、うながした。
「さあ、早く行きな! エレキシュ・ギ・ガル姐さんがお待ちだろ! プロセルピナ姐さんも、イザナミ姐さんも待っているんだ。さっさと言うことをききやがれ!」
乱暴な声に押されるようにして、われらは気が進まないながらも、冥界の女王たる女神たちの前に進み出た。
エレキシュ・ギ・ガル、プロセルピナ、イザナミ。すべて冥府の女王たちばかりではないか。
ということは、ここは冥府か。あの長―いエレベーターは、冥府へつづくものだったのか。
われらはたがいに、そろそろと大理石の床の上をいく。
背後では、そんなわれらの緊張をまったく無視して、薔薇だの、ブーゲンビリアだのが浮かべられたプールで、人魚やマーマンたちが、うなぎだかうつぼだか、よくわからない黒い海洋生物に見える、エレキシュ・ギ・ガル女神の髪と、楽しそうに遊んでいた。
馬超はどうなるのかと思っていると、鬼子母神は、
「こいつは回復させないといけないね。おい、アラクネ姐さん、たのむよ」
と、天井に向かっていう。
すると、おどろいたことに、天井にいた、それまでシャンデリアだとばかり思っていたものが動き出し、その顔をゆっくりともたげた。
なんと、光る巨大な蜘蛛であったのだ。
その顔には、おどろいたことに、蜘蛛の不気味な顔はなく、うつくしい乙女の顔がある。
しかしその顔は、石の仮面をかぶっているような、まるで表情の感じられないものだ。
アラクネといえば、機織を、よせばよいのにアテネ女神と競い、その不遜さによって蜘蛛にされた女ではなかっただろうか。
ほかにもアラクネに似たシャンデリアか蜘蛛かわからぬものが、照明のかわりになって、天井にある。
これがもし、のろいで蜘蛛になったものだったら…そんな想像をして、わたしはぞぞっと震えた。
わたしとて呪詛を賭けられ、うさぎに成り代わっている身であるが、うさぎだから可愛がってもらえるのであって、蜘蛛となったら、それこそ子龍はスリッパで容赦なく叩き潰しにかかるであろう。
あやつ、芥川龍之介は読んでいないはずだから。
アラクネ蜘蛛は、ぷかりと宙に浮かぶ馬超にむかって、すぐさま口から糸を吐き、みるみる、そのからだを真っ白い糸で覆って、巨大な繭のようにしていく。
馬超は、そのあいだも、身動きのひとつもしなければ、声を発することもしない。
生きているのだろうか。もしや、消滅寸前なのでは?
心配のあまり、おろおろするわたしに、エレイシュ・ギ・ガル女神は言った。
「安心なさい、アラクネの繭は、癒し手によってつねに霊力を注がれているのとおなじくらいの力を持つ、回復用のベッドのようなものです。
たしかにその者は重体のようですが、そのベッドに眠っていれば、通常は百年かかるところを、短縮して五十年で回復させることができるでしょう」
ありがたい話であるが、それでも五十年もかかるのか…
みるみる繭につつまれていく馬超を見るわたしに、仲達が、先を促すように、わたしの腕を引いた。
そうだ、われらも呪詛を解除してもらわねばならぬのだ。
われらは、冥界の女王エレキシュ・ギ・ガルの前にたった。
エレキシュ・ギ・ガルの横には、カウチに横たわり、退屈そうなプロセルピナと、防護服に身をつつんだイザナミがいる。
生い茂る葉影で、三人の女神の顔は、どれも気のせいか憂いに満ちているようだ。
思うに、イザナミはなんらかの病原菌に侵されているか、あるいは外界の雑菌に触れると体が腐ってしまうかという、厄介な体質になってしまっており、防護服を身につけているのかも知れぬ。
一方のプロセルピナといえば、これは、もともとは地上に暮らしていたものを、冥界の王ハデスに見込まれて拉致されてしまい、むりやり妻にされてしまった悲劇の女王である。
そのせいで不貞腐れたような顔をしているのだろうか。
と、いうより、旦那はどうしたのだろうとふと見れば、カウチには黄金の鎖がつながれていて、その先には、でっかいイグアナがいる。
そのイグアナ、不思議なことにまっ黒でもじゃもじゃの髭が生えているのだ。
そうしてその首には、アトラ・ハシースにも読めるようになにか書いてあるが、いまのわたしにはなにも読めない。
どうやら、事情がある様子だ。
とにもかくにも、わたしは女神の前に立った。
エレキシュ・ギ・ガルはわたしたちを見据える。
とたん、前置きもなしに、その両眼が、ぴかっとすさまじい光を放った。
その光の強さに、思わず尻餅をつく、わたしと仲達であるが、気がつけば、大理石に触れる手の感触が、うさぎのそれとちがう。
はっとして目を開いておのれの手を見れば、わたしの手は、うさぎのものではなく、元の諸葛孔明のものに戻っていた。
ほんの一瞬であった。
いままでがなんであったのか、というくらいの、呆気なさであった。
呪詛が解けたのだ。もう『もなか』ではなくなった!
おなじ喜びを分かち合おうと、隣の仲達を見れば、しかし、仲達は垂れ耳のうさぎのままであった。
光に目をぱちぱちとさせ、ぼう然と床に尻餅をついている。
「な、なんで」
わたしの声に気づいたか、仲達は、はっとして自分の手を見、腕を触れ、足を見、垂れ耳を確かめ、そうして大理石にうつる小さな影を見て、それから、元に戻っているわたしの姿を見た。
そのご、ようやくして、おのれの呪詛が解けていないことに、はげしいショックを受けた様子で、
「ほんぐとぁ!」
と、わけのわからぬ奇声を発し、それからエレキシュ・ギ・ガルに訴えた。
「戻っておりませぬ! なぜでございますか!」
「呪詛は解きましたよ」
女神はあっさりと言った。
しかし現に、仲達は、ロップイヤーラビットのままなのである。
わたわたと慌てている仲達に、女神は淡々と言った。
「言ったでしょう。呪詛を完全にとくのはむずかしい、と。あなたの場合は、呪詛が進化してしまっていたので、元の身に戻れず『完全にうさぎ』になっているのです」
「そんぬぁ!」
またも奇声を発し、頭をかかえる仲達。
「けれど、以前とちがって、いまのあなたは霊力も使えるし、わたしたち以外との会話もできますし、文字だってしっかり読めるはずですよ。ためしてごらんなさい」
ためせ、といわれて、仲達はしばらくきょろきょろしたあと、プロセルピナのカウチの横のイグアナの看板を読んだようだが、顔色をかえて、これは避け、人魚やマーマンたちのほうに近づいていく。
マーマンや人魚たちは、この緊迫した状況にまるで気づいていない様子で、なにやら、ぬめぬめいした、黒いなまずか海蛇かうつぼかと思われるほど、豊かすぎるエレキシュ・ギ・ガルの髪と遊んでいるのであるが、水辺に仲達がかがんで、
「あのう」
と、おそるおそる声を掛けると、人魚のひとりが、奇声をあげて、仲達をむんずとつかみあげ、プールの中に入れようとした。
とたん、水の中に一杯にいた黒い髪が、ばっと跳ね上がり、仲達を捕まえようとした人魚をぐるりとその体でつかみ上げ、プールから、まるで巨大な手でもってつかみ挙げたようにして、宙にさらした。
そうして怒声を吐いたのは、それまでの楚々とした印象が嘘のように恐ろしい鬼のような顔をした、エレキシュ・ギ・ガルであった。
「いたずら者よ! この者は、わたくしの客人であるぞ! 客人に無礼をはたらくとはゆるせぬ、そなたは、むこう百年、めだかとなれい!」
ふたたびぱっと女神の双眸が光ったかと思うと、黒い蛇、あるいはうつぼにつかまれたようになっていた人魚はみるみる小さくなり、わたしの指先ほどしかない、ちいさなちいさな、めだかに変化してしまった。
その力の巨大さに、わたしは思わずぞっとする。
たとえ霊力が満タン状態で、聖剣を帯びていたとしても、何者かを、これほどすぐに変化させることはできぬからだ。
人魚がめだかに変化してしまうと、女神の髪は、ふたたび、ざばりと水しぶきをあげてプールの中に戻っていく。
仲間がそれほど恐ろしい目に会ったというのに、人魚もマーマンもどこ吹く風で、楽しそうに水遊びをつづけている。
だんだんかれらが不気味に見えてきた。
仲達もかれらに接触するのをあきらめたようで、プールのそばにある大量のごちそうに目をやる。
わたしも大理石の階段をおりて、仲達のところへむかったわけであるが、プロセルピナのカウチの足元に、金の鎖でつながれているイグアナの札に目をやると、そこには、こうあった。
『ほっといてください。夫婦喧嘩に負けてこうなりました。甘んじて負けを受けいれます ハデス』
その文言どおり、見なかったことにしよう。
わたしが満漢全席もまっさお、古今東西の珍味やグルメのずらりとならぶ、そしてどれもができたてほやほやの温かさ、あるいは冷たさをもつそれを、おどろいて見ていると、ふと、見知った袋がちかくにある。
そうだ、これだ、と思い立ち、わたしは足元の仲達にたずねた。
「仲達よ、この文字は読めるか」
「『サッポロ一番』! うむ、インスタントラーメンのパッケージだな。『サッポロ一番』ではないか。なにやらなつかしいのう……なぜこのごちそうのなかに、『サッポロ一番』が……! というより、本当に文字が読める、ということは」
仲達の呪詛の解除は、たしかにエレキシュ女神がいうとおり、成功したのである。
成功したのであるが、仲達はうさぎのままである、ということだ。
その事実に、完全にきづいた仲達は、ぶるぶると小刻みに震えている。
完全に元に戻れたわたしとしては、かける言葉もない。
なにせ、女神に呪詛解除できなかったものを、一介のアトラ・ハシースがそれをしようとしても、なおさら無理な話だからだ。
「やっぱり、うさぎ……うさぎのまま……」
震える仲達に、リコピン顔の鬼子母神が、やさしいところをみせてはげました。
「まあまあ、いいじゃねぇか。いろんなアトラ・ハシースがいるけれどよ、うさぎの姿をアトラ・ハシースってのは、おまえくらいなものだぜ。
霊力だって、あれは霊格に比例して使えるものだから、身がちいさくなったからって、なにもできなくなるってわけじゃねえしよー。ほら、諸葛亮、友達だろうが、おまえからもなんかいってやれ」
なんか、といわれて仕方ない。わたしはとりあえず手にしていた『サッポロ一番』をみせ、言った。
「まずは落ち着け、仲達。『サッポロ一番』を食べてから、すこし休んで、頭を働かせたほうがよいのではないか」
「さ、サッポロ一番なんて…サッポロ一番なんて…」
ぶるぶる震えながら仲達はその場に突っ伏して泣き出した。
「サッポロ一番がなんだあ! わたしは元に戻りたいのだ! うさぎなんていやだよ! ずっとこのままなんてひどすぎる! うさぎはやだー!」
おそらく、つもり積もったものがあったのだろう。
これでわたしも、うさぎのままだというのならばともかく、自分だけがうさぎなのだからな…
「嘆くばかりいてはいけませんよ、仲達。こうなったのは、仕組んだことでは無いとはいえ、わたしたちにとっては好機なのですから」
と、淡々というのは、エレキシュ女神である。
少女のような清楚な面差しをした女神は、わたしのほうに顔をむけてきた。
「諸葛亮や、おまえは変化の術をつかえたね。もとのうさぎに戻ることはできるだろうね」
「はい。お望みであれば」
そのことばを証明するために、わたしは意識を集中し、ぽん、と元の『もなか』に戻ってみせ、そうしてまた孔明の姿になる。
行きつ戻りつするとなおさら思うのだが、やはりうさぎとは小さなものだな。
となりでは、仲達が、うらやましそうに、そしてうらみがましく、じっとりとわたしを見つめている。
それはたしかにだな、呪詛を移したのはわたしだし、悪かったよ、けどな、ええと、うまく言えぬが、ともかく、ごめんね。
エレキシュ・ギ・ガルは、よろしい、というふうにうなずくと、ベソをかいている仲達に言った。
「おまえたち二人には、わたくしから勅命を与えます。まず、わたくしの勅命は、最高府のそれよりも効力が高く、重大であることをまず知りなさい。これを破り、最高府につく素振りをみせた時点で、おまえたちも冥府に永久に閉じ込めます」
淡々と紡がれることばであるが、意味はとんでもなく重い。
つまりはこの女神の立場は最高府より上で、これから発せられる命令は最高府の命令に逆らうものであること、それをおそれて最高府側についた場合、女神の怒りに触れ、冥界に永久に封じ込められてしまう……
冥界。やはり、ここのことか?
わたしの脳裏には、ここにたどり着くまでに無数にあった、レリーフ上になっていた英雄たちの姿があった。
もしや、命令に逆らった時点で、あんなふうに石に封印されてしまうのだろうか。
「われらと対立するいたずら者が、アトラ・ハシースをつぎつぎと堕天させ、世界のひとつを滅ぼしました。最高府はこの影響が汎世界におよぶことをおそれ、この世界を永久隔離しましたが、このいたずら者は、なおも最高府との対立をやめようとしません」
「ありゃ、おもしろがってるとしか、思えねぇな」
と、鬼子母神が訳知り顔で口をはさむ。
おもしろがっているとは? 永久隔離だと?
馬超や姜維が向かった先は、それほどにおそろしいところであったのか?
「聞きなさい、諸葛孔明、そして司馬仲達。おまえの仲間である馬孟起は、その争いに巻き込まれ、最高府によって『ヘルメス号』に改造されてしまいました。
おそらく、ほかに派遣されたアトラ・ハシースやアストラルも、おなじような目に遭わされてしまったことでしょう。もしかしたら、おまえが退治した者、あるいはコロッセウムで四散した者のなかに、そういった者たちが含まれていたかもしれない」
「なんですと?」
思いもかけないことばに、私の声がひっくり返る。
だってそうであろう。
警吏用ゴーレムは、最高府が人工的につくった生命体のはずで、アトラ・ハシースやアストラルとどんな関係が。
と、そこまでかんがえて、わたしはある可能性にいきつき、ぞっと身を震わせる。
警吏用ゴーレムの『ケルビムタイプ』の血は赤かった。
あの赤い血は、すなわち、ゴーレムとは名ばかりで、じつは、堕天したアトラ・ハシースやアストラルを捕縛し、改造したものであったとしたら、どうだろう。
それが『煉獄』の意味ではないのか。
わたしと仲達は、その可能性にいきついたとき、おもわず顔を見合わせた。
われらは、思った以上に根深いひみつにかかわってしまったのだ。
わたしたちの顔色で察したのであろう。女神はつづける。
「だいたいのところは分かってきたでしょう。それが、最高府がおこなってきた『煉獄』の意味です。姿を醜く変え、霊力を封じ込め、唇を奪い、自分たちとおなじアトラ・ハシース、あるいはアストラルと対立させる。
そうして功績をつんだものだけが『贖罪を果たした』という名目のもと、もとにもどることができますが、それとて、何百年とかかる作業です。
堕天したもののうち、悪霊として取り込まれなかったもの、あるいは悪霊として一度は取り込まれたものを再逮捕し、最高府はかれらを製造してきたのです」
「それでは、馬孟起は、悪霊として取り込まれたかなにかして、最高府にとらわれて、改造されてしまったというのですか?」
わたしの頭の中には姜維のことがある。
姜維。
まさか、わたしが子龍の家で切りまくったケルビムタイプのなかに、その姿があったのではないだろうな。
「馬孟起は力が強いアストラルであったから、最高府はこれを惜しんで『ヘルメス号』に改造したのでしょう」
「では姜維は?」
と、たずねるわたしのとなりで、突如として仲達が、
「ほんどぐぁ!」
と、またも奇声を発した。
こやつ、あたまの調子は大丈夫であろうな。
危ぶんでいると、仲達は、とつじょとして、うさぎの姿のまま、がばりとわたしに平伏する。
「すまぬ、諸葛亮! 呪詛をかけられていたとはいえ、わたしはとても大事な記憶を消されていた! 姜維は、アストラルからアトラ・ハシースになることを夢見ておった。
そこを突かれて、ウトナピシュテムに聖剣『勝邪』をあたえられ、暫定的にアトラ・ハシースとなり、馬超とともに危険区域に派遣されたのだ。
それも、ただの馬超の守護という意味ではない。姜維をわざと敵にちかづけさせて、相手の出方をさぐるための作戦に利用されたのだ。つまり、姜維は猫に鈴をつける役を押し付けられたのだ!」
「なんだと!」
かっと瞬間的に、わたしの血が沸騰する。
わたしの周囲で、いかりのあまり、風が湧き上がるが、それをそよ風のようにうけとって、ショッキングピンクの扇の女神プロセルピナがのんびりと言った。
「ウトナピシュテムも『勝邪』とは考えたわねぇ。あの剣ってば、正義がすべてで融通がきかないうえに、最初の命令を絶対に忠実に守るやつだから、もしも最高府の最初の命令が『姜維を犠牲にしてでも敵の出方を探れ』だったら、実行したでしょうよ」
「なんという仕打ち! それが最高府のすることでしょうか!」
わたしが非難の声をにじませていうと、プロセルピナとちょうど差し向かいの位置にいるイザナミが大きくうなずいた。
「許せるものではありません。そも、あのいたずら者を抑えられなかったのは、われらの責任。
すべてをわれらに任せておけばよかったものを、ウトナピシュテムは、自分たちの力の高さを証明したいがために、みずから危地に乗り込んでいったのでしょう。貴重なアストラルと聖剣を犠牲にしてまでね」
「そのとおり。許せるものではない」
とエレキシュ・ギ・ガルもまた、同調してうなずいた。
「おまえたちに命令するのは、ウトナピシュテムとたいこうする、このいたずら者を封じ、ウトナピシュテムたちによって改造されてしまったアトラ・ハシース、そしてアストラルを解放することです。
あのいたずら者は、とある城に籠もって、毎日遊びまくっているとか。おそらく、これを封じることのほうがたやすいでしょう。その潜入のためにも、うさぎの小さな身は役に立つのです。
いたずら者はすっかり勝利に酔いつぶれており、城で飲んだくってばかりいるとか。城にはロキの手下の巨人たちがいますが、通風孔から忍び込み、中にはいることはたやすい。
おまえたちならば、簡単に潜入できるはずです。いたずら者を簡単に封じ込めることができる武器も与えましょう」
「なるほど。おしゃることはわかりましたが、しかし、いたずら者とは?」
「ロキです」
「ロキ!」
ロキ神とは、北欧神話に登場する悪知恵のはたらく恐ろしい神であるが、この神は世界の原初の混沌をそのまま受継いだといわれ、その心のなかに、善悪の区別がない神なのである。
なにかとトラブルを起こしては、みんなに迷惑をかけまくるので、たいがいは封印された状態でいたようだが、なにかのはずみで解放されたらしい。
そうして、解放されたあとに、またろくでもない事件を起こしている、というわけだ。
「ロキは長いあいだ石に繋いでいたのですが、しばらく殊勝な様子をみせていたので、われら神々が集って話し合いをし、解放してやったのです。
ところが、よほど退屈していたものと見えて、今回は片っ端からアトラ・ハシースやアストラルを誘惑してまわって、堕天させ、世界のひとつを滅ぼしてしまった。
神々は、ロキ討伐を全世界に命じましたが、神になることを狙うウトナピシュテムが、よからぬ欲のために対抗しようとしたので、わけがわからなくなってしまったというのが、この事態の真実です。ほら、おまえたちにこれを」
と、女神が片手を挙げると、ちょうど丸い天使の光輪のようなものがあらわれた。
「これは魔封のいばらの冠です。これをかぶせれば、ロキとてただの巨人。なにもできなくなるでしょう。ロキの周囲にいる巨人たちをかわし、これを封じるのです。
問題は、これと戦うために城に集められているウトナピシュテムの軍勢たちです。
ウトナピシュテムは、『勝邪』によって得た情報をもとに、大量のアトラ・ハシース、そしてアストラルたちを召喚しましたが、巨人たちに阻まれ、みな城内にすらはいれないでいます。
どころか、逆に堕天するものが相次ぎ、ウトナピシュテムたちはこれを回収して、煉獄に送り込み、あらたに『警吏用ゴーレム』あるいは『ヘルメス号』として改造して、軍勢をつくっているのです」
「なんと非人道的な! そんなやり口が、最高府のすることだとおっしゃるのですか!」
怒りにとらわれて身をふるわせるわたしに、エレキシュ・ギ・ガル女神は、真摯なまなざしを向けて、言った。
「落ち着いて聞きなさい、諸葛亮。いまロキと戦っている『ヘルメス号』を中心とした軍団。その彼らの首領が、おまえの弟子である姜維なのです」
わたしがそのとき、どれだけ深い絶望の闇にたたきおとされたことか、おそらくどんな文章をもっても言い表すことはできまい。
女神のことばも、もはや耳に入ってくることはなかった。