うさぎが観察日記Ⅱ・2
くっきーの卒業

※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」「うさぎが観察日記・3 後編」「うさぎが観察日記・4」「うさぎが観察日記・5前編」「うさぎが観察日記・5後編」「うさぎが観察日記・6前編」「うさぎが観察日記・7後編」「うさぎが観察日記Ⅱ・1」「うさぎが観察日記Ⅱ・2」の続きとなります。
孤独をもっともつよく覚える場所は、群集のなかである、と誰かが言っていなかったか。
まさにそんな感じだ。こんなにたくさんの人がいるのに、だれもわたしに気づいてくれぬ。
仲達以外に言葉が通じないという、この状況になってはじめて気づいたぞ。
ことばとは、なんと大切なものなのだろう。道具の一つにしか過ぎないかもしれないが、この道具は、心のありようを、他者につたえてくれる、とてもすばらしいものだった。
こうしてたったひとり、うさぎの姿のまま、もどらなくなったら、どうしたらよいのだろう。

なにやら悲しくなって、ひとりでしょんぼりうなだれていると、往来の向こう側から、なんだか見覚えのあるグレーの毛玉が、両手で、サーフボードのようになにかを掲げて、だばだばと、いかにもとろそうな足運びで、向こう側からやってくる。
その姿を見て、わたしが心の底から、ほっと安堵したということは、ここだけの秘密の話である。

なにやら興奮した様子の仲達は、息を切らせつつ、能天気に言った。
「お待たせー。いやはや、よく来る場所であったが、このサイズになると、勝手が違うので、いささか迷ってしまった」
べつに、待ってなんぞおらぬわい……うん。
わたしは、ちいさく首をふると、眦をけわしくして言った。
「いったい、どこへ行っていたのだ。一緒に行動するという約束であっただろうが! 黙って勝手に消えおってからに」
「いやあ、うさ袋のなかで名案が浮かんだのでな。いてもたってもいられず、つい身体が動いてしまった。お? もしや、一人になったので、心細かったとかいうのではあるまいな」
と、仲達は、なにやら、いやらしく目を細める。
わたしは大きくぶんぶんと首を振った。
「いーや。それはない。マジでない。久しぶりに孤独を満喫していたところだ」
「そうか? そのわりには、なんだって、わたしを迎えにきたのだ」
「貴様を迎えに来たわけではない。ちょっとした散歩だ。さ・ん・ぽ!」

主張するも、仲達は、小癪な、にまにまとした笑いを止めようとしない。ええい、いまいましいヤツ。
まさか、わたしがすこしばかり涙ぐんでいたのを、見ていたのではあるまいな?

「ところで、いったいなにを運んできたのだ」
話題をそらすべくたずねると、仲達は手にしていたものをわたしに見せた。
それは、小さな、うさぎの身にもぴったりな、小さな、しかし、じつに精巧に作られているエレキギターとアンプであった。
「以前に供給所に来たときに、これがあったのを思い出したのだ。月兎の子供用エレキギターだ」
「エレキギターはわかるが、それをどうするのだ? ケルビムの羽根を探しに行く約束だったではないか」
「ケルビムの羽根な、入荷していなかったぞ」
「なに?」
わたしがたずねると、仲達は、えへんと偉そうに咳払いをして、答えた。
「わたしは供給所に来るのが趣味といっていい。どんなに模様替えをしても、コーナーの担当者が変わらぬかぎりは、たとえ売り場自体の位置が変わったとしても、外観だけでそれと判断できるのだ。
売り場単位でみれば、棚のレイアウトや商品の陳列方法などは、陳列者の趣味や習慣が反映されるので、そう変わらぬからな。
自慢ではないが、たとえ売り場の配置が変わってしまったといっても、担当者が変わらぬかぎりは、目をつぶっていても、売り場の位置さえ覚えていたら、迷うことなんぞ絶対にないぞ」
「ある意味、特技だな。もしや、エレキギターを貰いついでに、ケルビムの羽根の有無も見てきたのか」
「うむ。ついでであったからな。入荷未定の青い札が、陳列棚にかかっていたから、供給所には在庫がないことはまちがいない。文字が読めぬので、いつ入荷するかまでは、わからなかったが」
「そうか、ケルビムの羽根はないのか」
となると、逆転のドリームキャッチャーの復活は、しばらく遠い、ということか。

「ところで、なぜギター?」
わたしがたずねると、仲達は、得意そうに胸をそらせて笑った。
「霊具の復活が駄目となると、やはり最初の『どこかのアトラ・ハシースに呪詛を解いてもらう』というところに目標を変えるべきだろう。そのための、我が策の一環なのだ。
お、DIYコーナーの犬小屋の現物展示場、あそこがよいな。手伝ってくれい」
そう言うと、仲達は、わたしの手を借りて、DIYコーナーのログハウス風の犬小屋が、みどりの牧場を模したジオラマのうえに飾られている展示場にのぼり、そこでギターのセッティングをはじめた。
そして、準備がととのうと、エレキギターを担ぎなおし、じゃらーん、と弦をかきならす。
すると、あちこちのコーナーで陳列品を手にとって眺めていたアストラルや幻想魔族が、突然のギターの音色に、なにごとかといっせいにこちらを向いた。

仲達のしようとしていることがわかった。
つまり、ギターパフォーマンスでもって衆目をあつめ、そのなかから顔見知りのアトラ・ハシースを探しだし、呪詛を解いてもらおうというのである。
悪くないアイデアではある。
二本足で立ち、器用にギターをじゃかじゃかと弾き鳴らすうさぎなんぞは、なんでもありの感のある、この下宿先でもなかなかいないからな。

注目をあつめたことで、仲達は、満足そうに、にまりと笑い、わたしを振りかえった。
「諸葛亮―、わたしが歌うから、おまえが踊る、というのはどうだ」
「ヤダ」
断ると、フン、ノリの悪い、と悪態をついて、仲達は、ギターをスローテンポにじゃかじゃかと鳴らす。
最初は調整だけであったのだが、それがだんだんメロディになっていった。
やがて、仲達は、だれの耳にも、一度は届いたことがあるであろう、世界でもポピュラーな歌を、高らかに唄いはじめた。
このスローテンポの曲調は、災害やテロ、戦争がはじまると、やたらとFMラジオを中心に流れてくる………ジョン・レノンの『イマジン』!

イマジン、ってな。
仲達よ、衆目をあつめたい、という動機はよくわかる。
でもって、ギターを手にした者ならば、『禁じられた遊び』といっしょで、かならず一度は弾いてみちゃったりする曲だよな。
だが、だがな。体制のど真ん中にいた、というよりも、戦争ばりばりこなしていた男が、ジョン・レノンってどうだ。
というか、あまたあるジョン・レノンの曲のなかでも、われらがいちばん歌ったらいけない歌ではないのか、これは。
ほら、わたしが『さとうきび畑』を歌ったら、なんとなく顰蹙を買うのと一緒だぞ。
ああー、塔にいる、へんくつな作曲者が、仲達を蹴飛ばしに飛んでくるかもしれない。
でも、それはそれで、効果ありか。
しかし事情を説明したところで、呪詛を解除してくれるかどうかは、ちと疑問であるが。

「♪ 想像してごらん、国家なんて無いことを 難しいことじゃないさ
そのために、殺したり死んだりしなければならないものなんて、何もないんだ
宗教だってない  みんな平和に暮らしているんだ」
言われたとおりに想像してみたけれど、蜀(うち)を滅ぼした男の歌声が邪魔をして、まぶたの下の想像の王国は、仲達のクローンだらけの、恐怖の統制国家であった。
うなされそうだ。住みたくない…
しかしだな、あれだけ戦争をこなして、策謀を張り巡らせていたやつが、イマジンを好むというのも矛盾したありようだな、おそろしい子!
しかし仲達は、どこ吹く風。
ギターを器用に五本指でじゃかじゃかと演奏しつつ、しぶく歌い上げているのであるが、悲しいかな、その歌声は、あつまっているアストラルたちには聞き分けられず、わたしにしか届かない。
おそらく周囲には、うさぎがギターを器用にかき鳴らしつつ、ぴすぴす言っているだけに聞こえるだろう。
なんだか虚しい。
やはりうさぎは、こういうところがつまらぬ。

またも気分が凹んできたわたしは、ログハウスの後ろの物陰より、そっと耳だけ出して、体育座りの姿勢になって、様子をうかがった。
みな、五本指のうさぎがめずらしいのか、それともうさぎが、エレキギターで『イマジン』を演奏するのが珍しいのか、その両方からか、立ち去るものはなく、熱心に仲達の演奏に聞き入っている。
すっかり喜んで、なかにはカメラをまわして、仲達を撮影している者もいるほどだ。
供給所でおこなっている、あたらしいサービスだと思われている様子である。
しかし残念ながら、あつまっている顔は、みなアストラルばかりである。

やはり、アトラ・ハシースは数が少ないうえに、供給所にはあまり来ないから、会うこともむずかしいかな。
いまごろ、みなは、どうしているのだろう。すこしばかり、気が咎める。

『イマジン』を歌いおわった仲達は、あつまった観客の盛大な拍手に気を良くして、曲調をあらためて、さらにジャカジャカとギターをかき鳴らしはじめた。
そして、わたし以外の、だあれにも聞こえないというのに、律儀にMCをはじめた。
「つぎの曲は、わたしが親友のZさんが亡くなったあと、人生の転機をむかえたときに、励みにした歌です。
Zさんが亡くなったのは五丈原という場所でしたが、いまもかれを思い出すたびに、あのときの鬱屈した気持ちと、このメロディを思い出します。
時代がぜんぜんちがうだろうというツッコミは、この際、しない方向でおねがいします。
聞いてください。尾崎豊『卒業』……の、パクリ」

なんで?
素朴であるが強い疑問をよそに、仲達は、ぼろんぼろんとギターを悲しげにかき鳴らしはじめる。
というか、親友のZさん、ってだれだ。
いや、それよりも、ツッコミはよせ、というが、やはりつっこませてもらうぞ。なんで尾崎豊!

やはり、こやつの思考回路はさっぱりわからぬ。
首をひねるわたしを他所に、仲達はしっとりと歌いだした。
たしかに、こやつは、歌だけはうまい。それは認めよう。
「♪公舎の影 司馬家の上 すいこまれる空ぁー 幻とリアルな気持ち 感じていた♪」
大丈夫か、なんだかちがう意味でドキドキしてきたぞ。
「♪チャイムが鳴り 執務室のいつもの席に座り 何に従い 従うべきか考えていた♪」
おとなしく曹家に従っておれ! おまえは家臣だろう。悩みが生まれるところからして、なんというか、もう、おそろしい子!
「♪ざわめく心 いま 俺のこころにあるもの 無理に思えて とまどっていた♪」
悩みはだれしも抱えるものであるが、なにやら不吉な意味をはらんでいる言葉だな…
「♪行儀よーぉく まじめなんて できやしなかった 夜の公舎 窓ガラス壊してまわった♪」
クーデター! さっそくクーデターを起こしよった! 
「♪反逆し続け あがき続けた はやく自由になりたかったぁー♪」
叛意をあらわにしたな。実権はがっちり握っていたくせに、自由もなにもなかろう。いちばんおまえが伸び伸びしていたはずだぞ。贅沢者め。
「♪信じられぬ大人との 争いのなかで だましあい いったいなにわかりあえただろう♪」
騙しあいのなかに真実を見つけようという、そもそものスタンスが、無謀じゃないかね。
「♪うんざりしながら それでも太傅だ ひとつだけわかってたことぉー この支配からの卒業♪」
それだけ高位にありながら、うんざりって、本当に権勢欲が強いな、この男は。
「♪卒業していったい何わかるというのか 想い出のほかに国、残るというのか♪」
国が残れば十分だろうが。
「♪人はだれも縛られた かよわき子兎ならば 諸葛亮、あなたはか弱き大人の代弁者なのか♪」
いきなり、すごいところの代表に選出されたな。言いたいことは山ほどあるわい。弁論大会催してくれ。
「♪仕組んだ自由に だれも気づかずに うまいこと曹家の日々が 終わる♪」
仕組んだんだ、そして、終わらせちゃったんだ…
「♪この支配からの卒業 闘いからの卒業 …………西暦251年、カッコイイ反逆者・司馬仲達、73歳で卒業。いまも青春まっさかり♪」
なんだ、その蛇足っぽい、最後のヘンな歌詞。
青春まっさかりか。
たしかにこやつ、うさぎになっても、なんだか生き生き、のびのび暮らしているよな。
五丈原で対峙しているときは、まさかこんなことになろうとは、夢にも思わなかったぞ。
というか、思えというほうが無理だろう。

それにしても、五丈原か。地上にて、こやつと対峙した最後の場所であるが、姜維と別れた場所でもあるな。
姜維はどうしているかな。特別区域でうまくやっているだろうか。なにせ情報不足でいかん。
あれのことだから、まわりのヴァルキューレやアストラルたちとも、そつなく上手くやっているだろうが、なぜだろう、こうも胸騒ぎがするのは。
人間に戻ったなら、まっ先に姜維のことをしらべよう。
そうして、もしも危機にあるのならば、ヴァルキューレにお願いして、手伝いとして召喚してもらうのだ。

渡航禁止命令が出ていないかぎり、ヴァルキューレを通じておねがいすれば、その世界に召喚してもらえるのである。
お願いする方法であるが、下宿先に『当直窓口』として、塔のどこか(その場所は、毎日のように移動するという)にいる当番のヴァルキューレに連絡をとってもらい、お願いして召喚してもらうのだ。

そうしてわたしが姜維のことに思いを馳せつつ、ログハウスの壁に背をあずけ、体育座りでじっと演奏が終わるまで、おとなしくしていると、ふと、ギターの音がぴたりと止んだ。
どうしたのかとログハウスの物陰からのぞいてみれば、あつまっていたアストラルたちの中から、ミントグリーンのエプロンをまとった女が、にゅっとあらわれた。

その女の威圧するような空気に、周囲に楽しげにあつまっていたアストラルや幻想魔族たちの顔が強ばり、ぴたりと静まりかえる。
仲達もまた、女から発せられる圧倒的な霊力に気圧されて、女が近づいてくるのを、あわあわと見上げるばかりである。
女は、つかつかと近づいてくると、こわばっている仲達の背中の皮を、ぎゅっと掴んで、持ち上げた。
「ゴルァ! 供給所内では許可なく勝手なライブ活動は禁止だ! どこのたわけだ、この垂れ耳うさぎ! 食ってやる!」
その逆三角形の小さな顔に、真っ赤な顔。
いつかのリコピン! いや、アプラサスの鬼子母神ではないか!
鬼子母神は、前歯のぜんぶが犬歯という、特殊な口をくわっと開き、いまにも仲達を呑みこもうとする。
逃げればよいものを、仲達は、すっかりすくんでしまっている。
そして、片足が、鋭い前歯にガブリと食われそうになってはじめて、仲達は我にかえり、悲鳴をあげはじめた。
「ぎゃあ! 食われる! なにゆえ! 助けてくれい、諸葛亮―!」

鬼子母神は、食うといったら、食う。
いかん! 待っておれ、いま行くぞ!

わたしはログハウスの物陰より飛び出すと、片足をすでに飲み込まれつつある仲達の体めがけて、ぴょんと飛び上がった。
そして、いまにも片足を呑みこまれそうな仲達の、もう一方の外に出ている足にしがみついて、全体重をかける。
わたしが仲達の身体の半分に力を入れたことで、犬歯に噛みくだかれようとしていた仲達の片足が、ぎりぎりにずれて、鬼子母神の唇をかすめて外に出た。よしよし。
しかし仲達のほうは、無事であるはずの片足に強い力がかかったうえ、身体が空中でひし形のように捻られてしまっているため、すっかりパニックを起こしてしまった。
「ええ? ちょっと! 左足が重いの、なんでですかー? だれかがわたしの足にぶら下がっているぅー! やめてくださいー! 痛いよー!」
ええい、ちょっと我慢をせんか。
ともかくは、鬼子母神をあきらめさせねばならぬ。
なおも仲達の片足を食おうとする鬼子母神。
わたしは、仲達の左足をロープのようにして揺らし、反動をつけると、全体重を両足にこめて、上下に足をそろえて漕ぎ出した。
そして、反動の力を利用して、右足を噛みくだこうとしている、鬼子母神のとがった顎めがけて、ガツンと、両足キックをお見舞いした。
とたん、鬼子母神は、うぐ、と呻き、仲達をそのまま放り出す。

わたしたちは、宙に放り投げられたわけだが、うまい具合に、犬小屋の周囲に配されたジオラマの一部である木が、わたしたちのクッションとなってくれたため、たいして身体を打つことはなかった。
「痛ってぇ! この野郎!」
赤い顔を、さらに黒く見えるほどに赤くして、顔をあげた鬼子母神は、わたしを見つけると、言った。
「あっ、この野郎! このナイス・ファイトなキックには、どこか覚えがあると思ったら、いつだったか、あたしにパンチを食らわせた、うさぎじゃねぇか!」
お、やるか!
わたしが、さっと拳をかまえて迎撃の準備にはいると、DIYコーナーの奥のほうから、子龍が、なぜだかボロボロなうえに、ところどころ傷を負った状態であらわれた。
なんだ、なにに襲われた?
その姿に唖然とする一堂を意に介さず、あくまでマイペースなこの男は、ジオラマの上で拳をかまえる姿勢のまま、呆然としているわたしの背をつまみ、そして、いまだニセの林檎の木の上で、裂けそうになった股をおさえて、はぐはぐ言っている顔をしている仲達を、素早くうさ袋に回収した。

素早いのはよいが、乱暴だぞ。しかもわれらとも、同じ袋に入れるとは。
頭からつっこんだので、耳がねじれてしまったではないか!

「あっ、おやつが!」
と、袋ごしに、鬼子母神が抗議の声をあげたのが聞こえた。
「おやつにするな! このうさぎは、それがしのうさぎで、くっきーともなかだ」
「やっぱり、おやつじゃねぇか」
「おやつではない! アプラサスのあんたが、なぜここに?」
まったくだ。
わたしは、耳を元に戻し、それから袋をよじのぼり、顔だけ出して、外の様子を見た。
子龍に問われると、ミントグリーンのエプロンをつけたアプサラスの鬼子母神は、おおきく細い眉をしかめた。
「いちゃ悪いかよ。見ての通り、仕事をしているんだよ」
アプサラスが供給所で仕事? なにやら珍しいこともあるものだ。だから、エプロンなんぞをつけているわけか。

仲達はというと、あいかわらず、袋の最下部のほうで、はぐはぐと呻いている。
この女神、相当におそれられているらしく、周囲にあれだけあつまっていたアストラルたちが、恐怖に顔をこわばらせつつ、一気に四散するのがわかった。
「仕事だと。供給所は、ドワーフの管轄下にあって、アプサラスのあんたは無関係だろう」
趙雲に問われると、鬼子母神は、困ったように、うしろにひとつにまとめた黒髪をかきながら、言った。
「ちょいと事情があってね。そういうおまえこそ、ひでぇ格好じゃんか」
「うちのうさぎどもが、暇を持てあましているのか、いたずらばかりするので困っているのだ。あたらしいケージを買ってやろうと思ったのだが、その新作を試したところ、このありさまだ」
「あたらしいケージって、なんだよ、もしかして、一個も捌けねぇだろうといまからささやかれている、ドワーフのお子様向けデラックスマンションの新作『ローマのコロッセウム・スーパーリアルバージョン』を試したのか」
どうやら図星だったらしく、子龍の顔が曇った。
「ああ、デラックスマンションシリーズの最高傑作との噂にたがわぬ、リアルな出来であったが、リアルすぎる。
なかに入ったとたんに、問答無用で闘技場に連れ出されて、ライオンと戦うはめになった。勝ったがな!」
得意そうに笑う子龍。さすがの女神も呆れている。
「勝ったのはいいけどよ、血だらけだぜ、おまえ」
指摘され、子龍は、ああ、そのようだ、とおのれの姿を見下ろした。
そして、顔をしかめる。
「あのマンションはダメだな。あんなものに、もなかとくっきーを入れたら、すぐに、なめされてしまうだろう。
すでに闘技場には、俺が入る以前に、うっかりコロッセウムに足を踏み入れた犠牲者の、変わり果てたあわれな姿が、皇帝の観覧席の前に」
観覧席の前に? 前に、なにがあったんだ?
「いや、だから、自分の格好をなんとかしろよ。ところで、そっちの、ぶち模様のうさぎは、このあいだ、おまえが連れていたうさぎだな。元気そうじゃんか」

あー、話が途切れてしまったか。
観覧席の前になにがあったのか気になるが、知ってしまったら眠れなくなりそうだから、これでよしとしよう。
元気ですよ、お陰さまで。
しゃべれないので、礼をこめて手を振るわたしの足元で、鬼子母神の口に呑みこまれそうになった仲達は、股間をおさえて、のたうちまわっている。
「股がぁー! 裂けたかもしれぬぅー! 血が、血がちょっぴりでていませんかー!」
見れば、おそらくは鬼子母神のするどい歯にひっかかったのだろう、仲達の足の付け根が、すこしばかり傷になっていた。
「いたいよー。至急、衛生兵の派遣を要する! そしてオロナインをー! 
オロナインは、おかあさんの手で塗ってあげてください。でも、おかあさんがいないので、諸葛亮さん、塗ってくださいー!」
「安心せい、裂けてはおらぬ。それに、なぜになにがかなしくて、おまえの股にオロナインをわたしが塗らねばならぬのだ」
「絶対零度のつめたさー! 友達だろうが、と・も・だ・ち!」
はぐはぐ言いながら、仲達は、コマネチのようなポーズをとって、股間節をおさえて苦しんでいる。
気休めにしかならぬかもしれぬが、わたしがその背中をさすってやっていると、うさ袋の外では、鬼子母神と子龍の会話はつづいいていた。
「ともかくよ、供給所内で、勝手にライブされたりしちゃ困るわけだよ。そいつらがおまえのうさぎなら、ちゃんと管理をしておきな」
わたしは、その声に応えるべく、またうさ袋から外に顔を出した。鬼子母神はわたしを見つけると、言った。
「おい、うさ公。あたしがこのあいだやった、霊具のなれのはて、ちゃんと持っているだろうね」
それはもちろん。わたしがこくりとうなずくと、鬼子母神はよろしい、というふうに深くうなずいて、また言った。
「見せてみな」

なぜであろう。
霊力が残っているかどうかの点検なのかな。
たまたまではあるが、こういう展開になるのであれば、やはりドリームキャッチャーをうさ袋に詰めてきて、正解であったな。
「おい、仲達、おまえのいるあたりに、ドリームキャッチャーがあるだろう。取ってくれぬか」
仲達は、股関節を押さえながら、まだサイレンのようにうーうーと唸っていたが、それでも、なんとかドリームキャッチャーを取り出して、わたしのほうに差し出してくれたのである。

が。

とたん、わたしたちの中間に位置するドリームキャッチャーの虹の雫の糸で織り上げたネット部分が、きらきらと輝きはじめた。
霊力が残っていたのか?
仲達が、それに驚いて手を離すと、ドリームキャッチャーは、ふたたび光を失い、沈黙した。
なんだこれは。目の錯覚ではない、よな?
仲達も、傷の痛みを忘れて、目を見開いて、ドリームキャッチャーを見る。
「仲達、もう一度、ドリームキャッチャーに触ってみろ」
「むむ」
仲達はドリームキャッチャーをつかむが、しかし、残念なことに、光がよみがえることはなかった。
「なんであったのだろう、いまのは」
「わからぬ。よし、鬼子母神に見てもらおう。なにか判るかも知れぬからな」

わたしが鬼子母神に見てもらうべく、意気込んでドリームキャッチャーをうさ袋から取り出して、差し出すと、鬼子母神は満足そうにそれを受け取った。
そうして、すみずみまで、ドリームキャッチャーをながめる。
「うん、いいようだな」
おや、変化ナシだな。あれはなんだったのだろう。
「霊力が空になっているからと、もなかに、おもちゃとしてくれたのではないのか?」
子龍がたずねると、鬼子母神は、なにやら意味ありげに笑うと、子龍に言った。
「ま、そうなのだけれどね。そのぶちのうさぎに、大事にするように言っておきな。これは、かならず、あんたたちの役に立つだろう」
「どういう意味だ?」
本当だ。意味ありげだな。

鬼子母神がなにかいおうとすると、背後より、ひとりのドワーフが猛牛のような勢いでやってきた。
赤い帽子をかぶっているので、これは供給所の従業員である。
「ちょっと! 鬼子母神さん、勝手にレジを離れてもらっちゃこまりますよ! しかも、レジがこんなに混んでいる時間に、サボリですか!」
「ああ、悪かったよ。ちょいとフロアで、おいたをしているやつらがいたものだから」

供給所はアストラルやアトラ・ハシース、そして幻想魔族のための生活必需品や嗜好品を提供するところであるが、商品管理のためにPOPレジがあって、品物を外に持ち出す場合は、最高府より支給されるIDカードといっしょに、持ち出した品物をレジに通さねばならないのだ。

「言い訳はいりませんよ! まったく、女神ってのは、わがままで困る!」
と、ブツブツと口を尖らせるドワーフの後について、鬼子母神は、ふたたびわたしにドリームキャッチャーをあずけると、去っていく。
なんだったのだろう。うーむ、気になるな。
「ああいわれたのだから、大切にしなければな、もなか」
と、子龍はわたしの頭をぐりぐりと撫でてくれた。
仲達はというと、なにやらつまらなさそうな顔をして、わたしたちを見ていた。
※次回、物語は急展開をみせる……? こうご期待(^^ゞ

うさぎが観察日記 つづく

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