うさぎが観察日記Ⅱ・1
くっきー紛争

※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」「うさぎが観察日記・3 後編」「うさぎが観察日記・4」「うさぎが観察日記・5前編」「うさぎが観察日記・5後編」「うさぎが観察日記・6前編」「うさぎが観察日記・7後編」の続きとなります。
●月○日

……わたしの平穏は打ち破られた。
ほのほのと窓から朝陽がこぼれる時間になった。ああ、朝だなあ、それでは絨毯のうえでもういちど、ひと寝入り、というのがわたしの日課であったのに、いまでは、朝日が昇ってくると同時に、がしがしとケージを揺らす音がひとつ。
がしがし、がしがし、と、あー五月蠅い。まだすこし眠らせてくれ、というか、まだ五時ではないか!

「おおーい、諸葛亮! 諸葛亮! 朝である! 起きるがよい! というか、起きぬか!」
朝から元気な司馬仲達、あらためロップイヤーラビットの『くっきー』。
トイ・プードルにも似た、もこもことした毛皮をもつこのうさぎ、わたしが噛み付いたせいで獣化の呪詛がうつってしまった仲達なのであるが、主公のお言葉により、これも子龍が飼っているのである。
ちなみにふたりとも、くっきー=仲達、もなか=孔明である、ということを知らないままだ。
いい加減、鈍すぎるとわたしも思うのであるが。

さて、当然、わたしと仲達は共同生活というわけだ。
子龍は、『うさぎとあなたの夢の暮らしガイド』、略して『うさ夢ガイド』を片手に、雄のうさぎ同士は縄張りを主張しあうために喧嘩になりやすい、ということを学習し、仲達のケージを、客間に、わたしのケージをリビングにと、分けて置いてくれたのであるが、仲達め、指だけは、普通のうさぎとはちがって五本指であることをいいことに、ちょくちょくケージの扉を自分で開けては、わたしのところへやってくるのである。
ただでさえ、うさぎの身に変化しているという我慢のならぬ状況のうえ、さらに仲達がこれに加わり、わたしのストレスは最高潮に高まっていた。
それにしても、あー、やかましい。うさぎは夜行性なのだぞ。
これは森に住むか弱いうさぎは、キツネや鷹などの外敵が多いために昼に行動せず、夜になってからエサを求めて移動する習性があったためなのである。
おかげでわたしも、一日を寝たり起きたりして過ごしていたのであるが、仲達は頑固に、人であったころの生活を守ろうとしている。

人であったころの仲達の生活は、五時起床、運動や読書などをして、つづいて朝食、散歩や読書をして、つづいて昼食。午睡したあと、知り合いと歓談したり、供給所へ足を運んだりし、つづいて夕食し、入浴後、九時に睡眠というものであった。
わたしなんぞより、仲達のほうが、よほど健康的な生活をしていると思うところであるが、しかし、塔の一階にあるロビーにて、知り合いを見つけて歓談する、ということができなくなっている仲達は、代理としてわたしを選び、なにかと話しかけてくる。
仲達の人付き合いというのも、これまたわたしとは対照的で、コンセプトは『浅く広く』。
だれとでもうまくやっていけるのが仲達なのだが、代わりに特別な存在もない、というわけだ。
野球チームにだれからも誘ってもらえなかったのも、きらわれているから、というのではなく、みんなして、
「あー、仲達は、顔が広いから、きっと他の奴が誘っているだろう。俺がわざわざ声をかけることもないか」
と、タイミング悪く思い込んでしまった結果なのだ。
仲達はそれをわかっているくせに、落ち込んでおる。ややこしい男よ。
まあ、わたしとしても、正当防衛とはいえ、こやつに噛み付いたことで、いまの現状があるという責任を感じているので、とりあえずは話しに応じている。
だが、こやつはもともと、わたしの宿敵であった男だ。
一つ屋根のした、四六時中、その気配を感じるというのも、落ち着かないものだよ。
しかも仲達めは、なかなかねばり強い男なので、わたしが居留守を使ってケージの中に籠もっていても、しつこくケージを揺らし続ける。

さて、このケージであるが、ふつうの、ちいさな檻のようなものを想像してはいけない。
子龍は、わたしのために、『デラックスマンション・田舎の庵風』なる、なにやら長閑な名前の、魔法のケージを用意してくれた。
小さな子供向けのかくれんぼハウスのようなものを想像していただければと思う。
小型犬の犬小屋ほどの大きさなのであるが、中に入ると、そこは魔法の空間となっており、見た目とはまったくちがう広さをもつ、立派な住居になっているのだ。
人間だって、余裕で暮らせよう。
なにせ魔法がかかっているから、ドアノブに手をかけた人間の大きさに反応し、内部の空間の大きさだけを変化させるのである。
このケージ、バストイレはもちろんのこと、キッチンまでついているすぐれもの。
もともと、これはドワーフの子供向け商品であったようなのだが、五本指で冒険好きのわたしのために、供給所より、子龍がもらってきてくれたものなのだ。
ちなみに、仲達のほうは、『インペリアルマンション・ベルサイユ風』だとか。
ロココ風味の豪華な内装が自慢らしい。細部にわたって、『ルイ王朝時代のベルサイユ宮殿らしさ』を追及した、シリーズ中のヒット作ということであるが、ルイ王朝時代を追及したというのなら、問題がひとつ。
ベルサイユ宮殿って、たしか、トイレがなかったよな…………
ちなみにわたしの『田舎の庵』、隆中のころに住んでいた屋敷に似た、土の匂いのする建物だ。
しかし水回りは超近代風。掃除も楽だというすぐれもので、部屋数も適度に抑えられているから、わたしは気に入っている。
五本の指を生かして、掃除くらいは自分でしているのだよ。
食事は子龍が作るほうがうまいから、そちらに頼りきりになっているけれどね。

それはともかく、この『ドワーフのお子さま向けふしぎマンションシリーズ』は、ほかにも『宦官付き紫禁城』や、『どこかに隠し扉が! クフ王のピラミッド』、『うっかりすると生贄に! 恐怖の神官付きテオティワカンの月のピラミッド』、『グレはじめたお子さま向け・しつけ用 アルカトラズ刑務所』などなど、多彩な顔ぶれが揃っている。
最近は『四六時中かまってもらいたいお子さま向け・SSつきホワイトハウス』も発売が決まったらしい。
わたしのイチオシは『引きこもりたいお子さま向け・ルーブル美術館』。
一ヶ月は外界の刺激を必要とせずに暮らせよう。

さてはて、わたしが隠れ家たるケージの扉を開けて、寝ぼけ眼をしたまま顔を出せば、はりきりうさぎは、呆れ顔をして、首から手ぬぐい(穴の開いたタオルから出たハギレを子龍からもらったものである)を下げた仲達は、仁王立ちして言った
「なんとまあ、だらしのない顔をしておるか。顔を洗ってくるがいい!」
「また眠るので洗顔は必要ない。あのな、何度も説明しているように、うさぎというのは夜行性なのだ。わたしは貴殿よりもうさぎ歴が長いので、うさぎの習性に抗えなくなっているのだよ。というわけで、もう一回、おやすみ」
「弱気なことを言う。そのような心構えで、この苦境を乗り越えられようか! これ! 扉に寄りかかったまま眠るな! これでも読んで目を覚ませ、ほれ、新聞!」
「新聞?」
わたしは、まだぼんやりした頭で、仲達が言う『新聞』を受け取った。
それは、どう見ても、子龍が愛用しているメモ用紙を、丁寧に折りたたんだものだ。
そこにはミミズののたくったような線が、五つの塊になって踊っている。
それが『新聞』であった。
獣化の呪詛を受けているために、わたしも仲達も、文字を、文字とすら認識することも出来ず、書くこともできないのであるが。
「なんだ、この線。なんと書いたつもりだ」
わたしが尋ねると、仲達は得意そうに、自分の長く垂れ下がった耳の先をつまんで、ぱたぱたと揺らしながら答えた。
「これぞ運命への挑戦の第一歩である。貴様がうさぎという運命を甘受しているあいだに、わたしは必死に、おのれから文字を取り戻そうと戦っていたのだ。そこには、『しんぶんし』と書いてあるのだよ」
得意げな仲達を横目に、わたしは、メモをひろげて、その線のつらなりを見つめる。
「ふーん、書いてあるのか」
どちらにしろ、読めぬ。
ちなみに書かれているであろう文字は、アトラ・ハシースの文字だ。

わたしがあっさりと感心がなさそうに言うと、仲達は苛立って足をだんだんと踏み鳴らしながら、言った。
「まったく、本当に覇気がないな、貴様は! いまはこの五文字が限界であるが、そのうちに、『助けて』『わたしは仲達』という言葉も取り戻してみせる! そうすれば、あの鈍感アストラルたる趙子龍も、真実に近づくであろう」
「がんばってくれ」
「また、貴様は他人事だな! たしかに、趙子龍の世話は行き届いておる。ここの暮らしはたいへん心地よい。しかしだ、この心地よさに慣れてしまい、うさぎでありつづけるなど、わたしはごめん蒙る! 
よいか、人と獣の差はなんだ? それは文化を創造し、築くことである! 獣は、生きるための技術は持っているが、文化は持たない! 生活をもっと向上させようとか、もっと暮らしやすく生きようとか、そういうことは考えない。考えるのは人だけだ! 
聞け。かの強制収容所に送られたユダヤ人は、ありとあらゆる文化的生活と引き離され、狭い収容所で、ひたすら恐怖のなかで過ごすしかなかった。
ところが、そのなかでも、ある女性が、希望を失わないようにするために、覚えているかぎりのベートーベンの第九の合唱の歌詞を壁に書きつけ、仲間たちと合唱をすることで過酷な生活に耐えた。
この合唱に参加したグループと、そうではなかったグループとでは、生還率がぜんぜんちがったという。すなわち、合唱に参加したグループのほうが、生還率が高かったのだ。
このことは、なにを意味するか? つまり、人間とは文化と密接に結びついた動物であり、衣食住に並んで、文化は人生に欠くことのできないものであるのだ。
つまり、文化なくしては人であることは不可能であり、文化のなくなった人というのは、人であることもむずかしくなってしまうということだ。いかな原始的な生活を送る民族のなかにも、必ず歌や踊りといった『文化』があるように、うさぎになったとはいえ、我らは人である以上、文化を忘れてはいけないのであーる! 
って、こんな良い話をしているのに、なぜに寝ておるか、貴様は!」
扉に寄りかかって、うつらうつらとしていたわたしは、苛立ちの含まれた仲達の声で目が覚めた。
「たしかにそれは、良い話だ。わたしが聞いた、貴殿の話のなかでも、好きな類いのものだ。
だがな、仲達。わたしは、これも何度も貴殿に言っていると思うのだが、その話はもういままでに何百回と聞いた。
この長い両耳が、うんざりしてあさっての方向へ向きかねないくらいの頻度で聞いた。どんなに良い話であろうと、あまりにくどいと効果は薄れる」
「むむ」
「わかったところで、寝かせてくれい。ああ、新聞ごくろうさま」
「待てい!」
仲達は、ケージに引っ込もうとするわたしの尾っぽを、その両手でぐっと引っ張った。
「イテテテ! なにをするか、無礼者めが!」
「寝るなと言っているだろうが! これからラジオ体操をするのだ。貴様も一緒にするといい」
「ヤダ」
「人間は、夜明けとともに起き、日没とともに眠る! わたしはこれをきっちり守ったからこそ、前世において長寿を得ることができたのだ。
諸葛亮、貴様は思うに、前世において、書を読みふけったり、解決策がすぐに浮かばぬような問題にあれこれ頭を悩ませたりして夜更かしをし、ろくに眠らず、朝も寝ぼけているのに、むりやり体を動かして、毎日疲労を溜めていたクチであろう。わたしには目に見えるようだ」
と、仲達は目を閉じて、瞼の下にいるであろう、わたしの知らないわたしを想像するのであった。

嗚呼、ウンザリ。毎朝こんなふうなのだよ。
どうしてこんなことになってしまったかということを、簡単に説明するとこうだ↓
馬超→わたし(もなか)→仲達(くっきー)
簡単に過ぎるとな? うむ、ではすこしばかり詳しく説明すると、とある事情で獣化の呪詛を受けた馬超であるが、その解除に失敗してしまい、うさぎと人とを行き来する、世にもめずらしいワー・ラビットになってしまったのだ。
この馬超の耳で遊んでいたわたし、こと諸葛孔明は、凶悪な馬超に噛みつかれてしまったことで、獣化の呪詛をうつされてしまい、うさぎの身に転じてしまった。
しかもややこしいことに、この呪詛、馬超からわたしへ移る時点で、内容がウィルスのように変化してしまったらしく、馬超はうさぎでありながら、べらべらとしゃべることもでき、文字を普通に読むこともできたのであるが、わたしの場合は、文字を文字とすら認識できず、言葉をしゃべることもできない。
運良く、子龍に拾われて、うさぎ=諸葛亮と気づいてもらえぬまま共同生活をしていたのであるが、そこへ天下無敵のお邪魔虫、仲達があらわれたのだ。

仲達は、一度目の訪問では、わたしをおそるべき殺虫剤『ごきぶりでバルさん』の煙のなかに置き去りにしたばかりか、ふたたびうさぎの姿に変えてくれた。
怒りと恨みをふつふつと滾らせていたわたしに、ふたたび、仲達はわたしに会いに来た。
そしてなんやかやと揉め事が発生し(いつものことであるが)、仲達は腹いせに、わたしに無理やり、恐ろしいダンスをするように迫ったのだ。
わたしはこれを断固拒否したものの、仲達は力付くでわたしに言うことをきかせようとした。
そのため、わたしは戦うしかなかったのだ。この鋭い前歯で、ガブリとね。
正当防衛だったのだよ、そうだとも。
そうして、仲達に獣化の呪詛がうつり、やつも、うさぎに変化したわけである。

しかし、だ。
うさぎとなった仲達ことくっきー(なに? センスがおかしいだと? 主公と子龍に言ってくれたまえ)も、わたし同様、文字を文字とすら認識できず、人と会話することも不可能なのであるが、なぜだか、うさぎであるわたしとの会話はできるのだ。
つまり、うさぎ同士であれば、会話は可能なのだ。
と、すれば、もしかしたら馬超とわたしの会話は可能かもしれぬ。
それは、事情がさっぱりわからぬほかのアトラ・ハシースに事情をうまく説明して呪詛を解いてもらうよりも、ずっと解決率の高い方法だと思う。
馬超に事情を説明し、馬超より、ほかのアトラ・ハシースに事情を説明して、呪詛を解いてもらえばよいのだからな。
しかし馬超は、姜維とともに特別区域とやらに派遣されてしまい、しばらく下宿先に帰還する予定がないというのだ。
それまで大人しく待っているしかないのだろうか。

仲達は、うさぎになってまだ日が浅いので、うさぎから人に戻ろうと、懸命に試行錯誤をしているのである。
肩までお下げのようにぶらりと垂れ下がった耳をもつ、グレーのロップイヤーラビットである仲達は、薄気味悪くも、立ったまま瞑想しつつ、うふふ、などと笑っておる。いったい、なにを想像しているのだか。
わたしは、仲達が夢の世界に浸っている隙に、そおっとケージの中に入ろうとする。
しかし勘の良い仲達は、ぱっと目を開くと、扉の中に入ろうとしていたわたしの尻尾を、またまたぎゅっと掴んできた。
だーかーら! 痛いのだよ!
「待てと言っておるだろうが! どうして言うことを聞かぬか、諸葛亮よ!」
「やかましい! 貴様の言うことを、なぜ聞かねばならぬ!」
「わたしのほうが年長だからだ」
「アトラ・ハシースとしては、わたしのほうが先輩であるし、うさぎとしても、わたしのほうが先輩だ。先輩は立てるものだぞ、仲達」
「立てるに値する器であればな」
「そうか、その論理で、おまえは主家に背いて天下を横取りしたわけであるな」
むむ、と仲達はうめき、そしてわたしたちは、激しく視線を戦わせた。
こう書くと緊迫した雰囲気があるかもしれないが、しかし窓から差し込む朝日によって床に投じる影は、長い耳のうさぎだったりするわけであるから、さまにならない。

しかし、毎朝毎朝、どうしてこうなる。
もうほとんど、こいつと喧嘩するのが、儀式のようになっているといってもよい。
うんざりして、わたしは肩から力を抜くと、言った。
「あのな、かなり正直に打ち明けさせてもらうが、わたしはもともと朝に弱いのだよ」
「む?」
「それでだな、いま春に向かって毛が生え変わっておるだろう? しかし、うさぎとして、抜け毛を体験するのは初めてであったから、量を調節できずに、毛を抜きすぎてしまったようなのだ。そのために、いま、すこしばかり寒い思いをしているのだ」
「ふむ、どこが冷えるのだ?」
「肩を中心に、ぞくぞくと」
「そうか、肩か…」
「そういうわけで、もうすこし気温が高くなるまで、ケージにいたいのだ。すまぬが、ラジオ体操は一人でしてくれぬか。ああ、それと、新聞はありがたく拝見させていただく」
仲達は、それを聞くと、最初は納得したのか、えーと、などと言いながら、次の言葉を探しているようである。
やれやれ、これで毎朝の喧嘩も、もうなくなるかな、と安堵したわたしであるが、甘かった。
「うむ、それならば、なおさらラジオ体操をするがいい。体の冷えは、運動不足からもきているのだからな。ささ、こちらへ来い!」
なんというか、わたしは、人を説得するのに自信があるのだが、仲達だけは駄目だ。どうしても駄目なのだ。
仲達は、部屋の、いちばん日当りの良い絨毯の上に、わたしを引っ張ってこようとした。
わたしは説得に失敗したから、いささか苛立っていた。それは認めよう。
わたしの手を引こうとする仲達の手を払いのけたのであるが、思いもかけず、それが強い仕草になってしまった。
仲達は、つぶらな(しかし睫毛がばさばさの)瞳を、びっくりと見開いていたが、やがて大いに不快そうに顔をゆがめた。
「なんと強情な! これは許せぬぞ、諸葛亮! せっかくわたしが、貴様のために毎朝、ラジオ体操に誘い、新聞も、貴様が読んでくれると思うからこそ、呪詛の強烈な圧力と戦いながら、懸命に作っているのに、この仕打ち!」
そういわれると、なんだか悪い気がしてきくるが………いかん、わたしが説得されてどうする。
仲達は、ここで言葉を畳み掛けてくるかと思ったが、そうではなく、首に手ぬぐいをかけたまま、
「ほあああー」
と、ナゾの声をあげつつ、ゆっくりとわたしにむけて拳法の構えをしてみせる。
「一度、貴様とは、言葉ではなく、この拳で戦わねばと思っていたのだ」
む。そちらがそのつもりならば、わたしも受けて立つしかあるまい。
売られた喧嘩は買う。それが諸葛亮と知れ。
そうして、わたしがゆっくりと、かまきり拳の構えを見せると、仲達は、わたしよりもずっと運動神経がないくせして、なにやらわたしを小馬鹿にするように、鼻を鳴らす。
「かまきり拳か……ふん、ならば、わたしも秘伝の奥義を披露するまで! 聞いておどろけ、その名も司馬拳!」
「柴犬? 日本の犬がどうした」
「しばけんではない! 司馬拳! 司馬真拳だ! 我が伝統をほこる司馬家にのみ伝わる、古代中国の知恵の結晶! ちなみに考案者はわたしだ! 貴様にその奥義を見せてくれよう! テーマソングもあるのだ!
♪ YOUはショォーック! あいで空が落ちてくゥーるゥー♪」

甲高い声で、首を横に振りつつ、きんきらと歌いだす仲達。
その拳、やたらと歴史が浅いと見た。
そういえば、日本でこいつと仕事で一緒になったとき、時間が余ったので、仕方ないからコンビニエンスストアで時間を潰したことがあったな。
わたしはコンビニエンスの豊富すぎるほど豊富な品揃えが大好きなので、店の端から端までくまなく商品を見て回ったのであるが、仲達のほうは、なにやら店の隅っこの、廉価版の漫画本を熱心に立ち読みしていた。
そのときに、ふと遠い目をして、
「たわば」
と、なぞの呟きをこぼしておったな。
自分に運動神経がないからあこがれるのか、仲達は格闘ものや、スポーツ観戦が好きなのだ。そして、やたらとのめりこむのである。

「♪おーれとの愛をまもるためぇー おーまえは旅ぃだーちぃー♪」
まだ歌っていたのか。もういいよ。えい。
わたしが歌に酔いしれる仲達に足払いをかけると、仲達はころりと引っくり返り、わたしに抗議の声をあげた。
「なにをするか、この礼儀知らずめが! 司馬真拳では、最初に唄う歌の邪魔をしてはならぬということになっているのだぞ!」
「やかましい、その拳、おまえが始祖なのだろう! 勝手なマナーを作るな!」
「むむぅ、返す返すも腹の立つ。こうなれば、前置き無しで行くぞ!」 
「くるがいい!」
「後悔するな! くらえ、司馬真拳! ほあああああ! ちょんわ、ちょんわ、ちょんわ、ちょんわ!」
奇妙な掛け声と共に、両耳を跳ね飛ばしつつ、回転しながら拳を繰り出す仲達。
わたしはかまきり拳でもって、司馬真拳をなんとかガードする。
正直に言えば、司馬真拳、スピードはそうでもないのだが、奇妙な掛け声で、こちらのやる気がへろーん、と、へたれてくるのである。おそるべし、司馬真拳。
「ちょんわ、ちょんわ、ちょんわ! ほあたあ!」
「やめろ、変な掛け声! ちょんわ、ってなんだ!」
「特に意味無し。ふふふ、司馬真拳の前では、さすがの貴様も手も足も出まい! 胸に七つの傷をもつこのわたしに敵う者はおらぬ。ちなみに胸と書いて、『ココロ』と読む!」
「これだけ長いことアトラ・ハシースをやっていて、胸(ココロ)の傷(トラウマ)が七つで済んでいるのなら、かなりよいほうだと思うが」
「むむ?」
そうだろうかと考え込む仲達。わたしはその隙を逃さなかった。
「破れたり、司馬真拳! そいや!」
と、わたしは仲達の、毛がもこもこと密生する胸倉を掴みあげると、そのまま無防備になっている片足を跳ね上げて、床に叩きつけた。
仲達は、絨毯の上にしたたかに叩きつけられ、仰向けになって、うー、と呻いている。
わたしは仲達のそばに立つと、言った。
「うさぎの道は、けもの道……甘かったな、仲達」
「だって、うさぎはけものだから、うさぎの道はけもの道って、あたりまえじゃん……ガクリ」
当たり前のことを、さも真理のように語るのも、政治家の特技の一つさ。

さて、朝の平和を乱す悪は去った。
もう一回、寝なおそうかな、とケージに戻ろうとしたとき、背中の毛をぐいっとうしろから掴みあげられた。
そうして、そのまま、ケージから引き離される。うわあ、クレーンに引っかかって空中にぶら下がったら、こんな感覚だろうか。
「もなか、また、くっきーをいじめたのか」
と、目の前には、この家の主である子龍の顔があった。その手には、大判の庭園の写真が表紙になっている本がある。
起きていたのか。そういう時間になっていたのだね。
おはよう、子龍。仲達はいじめてないよ。
そこに引っくり返っているのは、成り行きでそうなったのであってだな。
「困った奴らだな。うさぎの雄同士は、縄張り争いをするから、一緒に飼うのはむずかしいというのは本当だな。どうして仲良くできないのだ」
出来るわけ無いだろうが。あなただって、そこの絨毯の上で引っくり返っている黒の毛玉の正体を知ったら、こんなに手厚く保護はできないと思うぞ。こやつは、仲達だぞ、仲達!
「しかし、いじめられているくっきーも、なにやら嬉しそうなのが気にかかる」
子龍に片手でつまみあげられた体勢で見下ろせば、絨毯の上で気絶中の仲達は、どんな夢を見ているのか、また、うふふ、と言いながら笑っているようである。
「どんなにケージを離して置いても、くっきーはおまえのところに行ってしまうし。好きなら好きで、喧嘩をしないでくれ。おまえの態度によって、喧嘩はだいぶ減ると思うのだがな」
すまぬが、その提案は却下させてもらうよ。
子龍は、わたしを床に下ろしつつ、自嘲めいた笑みをこぼした。
「うさぎに説教しても仕方ないか」
なんだか元気がないな。目もすこし充血しているみたいだし、大丈夫か?
わたしが顔をのぞきこむようにすると、子龍は笑いながら、答えた。
「なんだ、俺の顔がそんなにひどいか。昨日はこいつに夢中になっていて」
と、子龍は、わたしがよく見えるように、その大判の本をぱっと広げて見せる。

そこには、鮮やかな緑に囲まれた、アーリーアメリカンスタイルの家や、あるいは薔薇に囲まれたチューダー朝式の屋敷など、世界各国のさまざまな庭園の写真があった。
「いろいろあるだろう。住むのなら、どれがよいかと考えていた」
ふむ、よい趣味だな。
中華式の庭園というのも、やはり一番なじみがあるから目に訴えるものが大きいし、フランス式庭園というのも、シンメントリーのおもしろさがあるけれど、美しさだけでいったら、やはり英国式庭園がいちばんだろうな。
自然の野原に限りなく近く、一見して雑然としているけれど、実際は計算された美しさが潜んでいるというのは、英国式庭園の魅力だろうね。

いや、待て。
子龍は、なぜこんなものに夢中になっていたのだろう。
写真を覗きこんでいたわたしであるが、なぜ、と問いかけるように顔を上げて、首をかしげると、子龍は笑いながらわたしの頭を撫でて、言った。
「気になるか。俺もおまえのために、いろいろ考えているのだ。楽しみにしておれ」
へえ、どんなこと?
「おまえたちがいるので、ここも手狭に感じられるようになってきた。近々、引っ越そうと思っているのだ」
引越し! その言葉に、わたしが両の耳をぴんと立てて反応すると、子龍は声をたてて笑った。
「よくここに遊びに来るやつは、アトラ・ハシースなのだが、籠のなかの鳥のようにひとつの塔に閉じ込められていて、たまにここで息抜きをすることだけが、下宿先での唯一の楽しみだと言っていた。
おまえたちのためでもあり、そいつのためでもある。そいつがいつか言っていたように、見渡す限りの地平線に緑があふれていて、明るい太陽が降り注ぎ、風がいつもやさしく吹くような草原に住めればいいな」

ああ、そういえば、そんなところに住んでみたいと言ったな。言ったことがあるな。
ちょっとした冗談のつもりだったけれど、覚えていてくれたのか。
たとえ国や家がすべて無くなってしまっても、なぜだろう、これは確信に近いのであるが、きっとこの男は、わたしの言葉だけではなく、心までもずっと守ってもち続けてくれる気がするよ。
だから、わたしには不安がないのだ。
わたしは子龍の腕を、両腕でそっと巻き込むようにして抱きついて、言葉で伝えられないことを、こうしていることで伝えられればよいなと思いながら、頬ずりをした。
どんな苦境にあろうと、いつも耐えていられるのは、それはあなたがいるからだ。
たとえこの身がうさぎのままであろうとも、わたしはわたしでいられる限り、ずっと側から離れないだろう。
そうして、わたしたちは、しばらく黙ったまま、窓から差し込む朝日を受けて、じっとしていた。

が。
その静寂を破る無粋な音が。
ぐううう、と音がして、振り返れば、気絶したままの仲達の腹が盛大に鳴ったのであった。
子龍はわたしから離れると、立ち上がって言った。
「さて、もなか、いまから朝ごはんをつくるから、気絶しているくっきーを起こしてやってくれ」
子龍は本をパソコン用の椅子の上に投げるようにして置くと、台所へ行ってしまった。
渋々とわたしは子龍の言いつけどおり、白い絨毯のうえで、燦々と朝陽をあびて、気絶している……というよりは、気持ち良さそうに眠っている仲達の、グレーの毛の密集した腹を足で揺さぶった。
しかし、毎朝こんな調子なわけであるが、思うに、わたしは寝不足気味であるが、こやつの場合、気絶にかこつけて眠っているから、体調がよいのではないか?
まったく、以前の平穏な生活に戻りたい。
いやいや、人に戻ることが一番であるが。
※くっきーの努力は身を結ぶのか? そしてうさぎに順応しすぎなもなかの明日はどこへ?まだまだつづくうさ・ルート。どうなることやら(?_?)

うさぎが観察日記 つづく

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