うさぎが観察日記・5
~逆転うさぎのバッド・ラック事件・後編~

※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」「うさぎが観察日記・3 後編」「うさぎが観察日記・4」「うさぎが観察日記・5前編」の続きとなります。
霊力で錬成した短剣であるが、特別な霊具ではない。
子龍はカンダタの実力を測ろうとしているのだ。
それが懸命だろう。鬼子母神の説明によれば、こちらの霊的攻撃はことごとく無効化されてしまい、逆にカンダタの攻撃はつよくなるという。
この話からすれば、カンダタは、敵の霊力を瞬時にして盗み取る、特殊な霊具を持っていると考えてよいのではないか。
つまり、こちらの武器が強くなればなるほど、カンダタ側で盗み取れる武器も強くなるわけである。
只人が霊具を長時間使用するのは、肉体を酷使することでもあり、まず不可能なのであるが、カンダタの持っている霊具は、盗み取るのは、『霊具に秘められた力』だけで、しかも『盗用が可能なのは短時間だけ』という制限がついているのかもしれない。
だとすれば、カンダタの肉体も酷使せず、短時間でアトラ・ハシースやアストラルを無力化させ、退治することが可能ではないか。
となると、カンダタに霊的攻撃を仕掛けてはいけない、ということになる。敵に力を与えるだけになってしまうからだ。

子龍、拳で行け、拳で!
わたしの声が伝わったのか、子龍は短剣をしまうと、問答無用でカンダタに向けて鉄の拳をお見舞いした。
それいけ、武術の達人!
子龍は大軍を率いるのも得意であるが、なにがほかの将と違うかといえば、まるで舞踊のようにきわめられた武術のすばらしさであろう。
手足の捌き方、流れるように繰り出される攻撃の数々。
肉体はこれほどまでに錬成することができるのかと、感動すらしてしまう。
わたしはチアーうさぎとなって、洞窟の隅っこで応援する。ガンバレー。

そうして、子龍は戦いをはじめたのであるが、異変に気づくのに、そう時間はかからなかった。
子龍の拳は、どれも外れることなく、みごとにカンダタに的中する。的中するのであるが、肝心のカンダタの反応が鈍い。
いや、鈍いどころの話ではないな。
子龍は、あまりの手ごたえのなさに首をかしげている。
一方のカンダタはといえば、どうみても、最近はパソコンの電源を入れる以外の運動は、していなさそうな体つきであるのに、その一撃一撃が、致命傷になってもおかしくない子龍の攻撃を、平然と受け止めている。
しかも、あまり鍛えられていない体には、かすり傷一つないのである。

「貴様、肉体までも、霊具の加護下にあるのか?」
子龍の問いを、余裕のなさと受け取ったか、カンダタは小憎らしくも、にやりと笑って答えた。
「この洞窟内において、俺は無敵だ。攻撃を繰り出せば繰り出すほどに、不利になるのは貴様のほうだぞ」
「小癪な、ろくに修行も積んでおらぬ只人に、俺を撃退できるはずがなかろう!」
子龍が言うと、カンダタは、さらに得意そうに笑って、向けられた子龍の渾身の一撃を、あっさりと片手で受け止めると、不敵な笑みもそのままに、手のひらで受け止めた拳をそのままぐっと力を入れて、子龍のほうに押し返し、体勢を崩した子龍に、空いた手でもって攻撃を浴びせかけた。
まったくもって信じられないことに、子龍は、カンダタの神速ともいうべきはやさで繰り出された拳を、避けることができず、まともに攻撃を喰らって、衝撃で洞窟の壁に叩きつけられ、そのまま地に崩れ落ちてしまった。
子龍、しっかりせい!
わたしはあわてて子龍に近寄るが、子龍は完全に気絶してしまっている。
そんな子龍を見下ろして、カンダタは、高らかに耳障りな笑い声をたてて、勝利を叫んだ。
「わーはは、また勝った! この洞窟にさえいれば、俺は無敵だー! 俺は格闘王カンダタさまだぞ! 人生最高!」
そりゃ目出度いな。しかし、こんな鍛えられていない肉体を持つこの男を、外貌をまったく変えることなく、強くする霊具とは、いったい、なんであろう? 
見たところ、カンダタが特別なものを身につけているといったことはない。
腰巻とサンダルくらいなものだ。

わたしが首をひねっていると、カンダタはパソコンの隣にあるスチール製の棚から、この場にそぐわぬ、ドリームキャッチャーを取り出した。
手のひらサイズのそれは、蜘蛛の巣を模したネットに、鳥の羽の飾られた、毎度おなじみの形態を持っている。
インドでインディアンのお守り…いささかくどくなかろうか。
そんなことを思いながら眺めていると、ドリームキャッチャーの網の部分が、きらきらと虹のように輝きはじめた。
そうか、これが霊具だ。
使用法はわからぬが、あれがあるために、只人には圧倒的な強さをほこるはずのアストラルが、霊具のみならず、肉弾戦でも撃退されてしまったのだ。

うぬ、あれをカンダタの手から奪うことができたら。
わたしは、カンダタが勝利に酔いしれているのを幸い、こっそり足元に忍び寄り、ドリームキャッチャーを奪う機会をうかがう。
カンダタは、うっとりと、勝利をもたらす奇跡の宝飾品をながめやっていたが、そのとき、パソコンがメールの到着を告げた。
「お、通販で頼んでいたパソゲー、そろそろ到着かな?」
なんとも平和なIT生活を楽しんでいるようだな。
ちらりと見れば、奥のほうに地元民からの貢物が積まれているが、それは包装すら解かれない状態で並べられている。
どうやらこの男、外に権威を示すことに興味はまるでなく、自分が好きなように暮らせれば、それでよいようであった。
カンダタがパソコンを確認するために、スチール製の棚のうえに、ドリームキャッチャーを置いた。
チャンス到来。
わたしは、木登りの要領で、スチール製の棚をよじよじと登ると、てっぺんに無造作に置かれた、ドリームキャッチャーを手に取った。
ドリームキャッチャーの丸い輪には、虹の雫で織り上げたものと思われる、世にもめずらしい七色の糸が、ダリアの花のように綺麗に織り込まれており、糸の一本一本が、きらきらと夢のように輝いていた。
輪の下にぶら下がる羽根は、これが本物であったら大変なものであるが、智天使ケルビムの鷹の頭から、引っこ抜いたものではなかろうか。
なんでこんな凄いものを、こんな凡庸きわまりない、インド人のカンダタが持っているのだろう。

「あっ、ぬすっとうさぎ!」
わたしがしげしげとドリームキャッチャーを眺めていると、カンダタがこちらに気づいてしまった。
あわててドリームキャッチャーを抱えて逃げるが、なにせ薄暗い洞窟のうえ、足場も悪く、か弱いうさぎの身、人間にすぐに追いつかれてしまう。
霊具を発動させようとしたが、そもそもの使い方がわからないため、迷っているあいだにカンダタに捕まり、ドリームキャッチャーを取り上げられてしまった。
「油断も隙もない! おまえは、さっき俺の最終面クリアを邪魔したうさぎだろう! おまえは、今日の鍋の具にしてやるからな!」
と言って、カンダタは、わたしの耳を掴み上げた。
イテイテイテ! 
わたしは宙ぶらりんになった足を、懸命にばたつかせ抵抗するものの、カンダタの力は思いのほか強い。
気絶したままの子龍をちらりと振り返る。
子龍―、助けてくれいー。
しかし子龍はぴくりとも動かぬ。
ええい、渾身の一撃!
わたしは耳の痛さを懸命に我慢して、掴まれた耳を軸に、足を大きくブランコのように反動をつけさせると、カンダタの顎と鼻めがけて、蹴りを入れてみた。
とたん、カンダタは小さく呻き、わたしを掴む手を離す。
見れば、驚いたことに、子龍の攻撃では、まったく打撃を受けていなかったカンダタであるが、わたしの一撃で鼻血をたらして、蹲っているのだ。
「は、鼻が折れたかも」
言いながら、あわてて、近くにあるティッシュボックスから、ティッシュを抜いて、血を受け止めようとしている。
「くそっ、そんなに体力がないのか、俺は! いや、待て、いまの攻撃を受けたことで、この洞窟内の最弱は俺になったはず! 霊具をもう一度発動させよう。そうすれば、このうさぎと俺の立場は逆転するはずだ」
なんと、霊具は、霊力云々に関係なく、この場にいる者の、力関係を逆転させるものであったのか。
カンダタは、ドリームキャッチャーを高々と掲げて、叫んだ。
「逆転のドリームキャッチャーよ、この生意気なうさぎに力を示せ! 最弱は最強に、平凡は非凡に、病人は健康に、呪われし者に祝福を、そして俺に力を!」

らっきー。

洞窟に風が巻き起こり、わたしの身を中心に、光の束が激しく青白い光を放ちつつ放電される。
洞窟内に伸びる、見慣れた、痩せぎすの人の影。
まぎれもなく、わたし自身のものだ。
久しぶりに戻った人の身の具合を確かめつつ、わたしは、あわあわと言葉をなくしているカンダタの前に立った。
「わざわざ、呪詛を解いていただいてありがとう」
わたしがあえてにっこりと愛想よく笑うと、カンダタは、空気を欲しがる金魚のように口をぱくぱくさせて、わたしを見上げた。
「う、うさぎが人になった! て、いうか、なにゆえ?」
「逆転のドリームキャッチャー。つまりは、最弱であることが武器となる、夢の霊具というわけだ。おまえは、この洞窟内の最弱は自分だと思ったようであるが、ドリームキャッチャーは、呪詛を受けたわたしのほうが最弱だと判断したらしいな」
「ええ! 裏切りものー!」
と、カンダタはドリームキャッチャーに文句を言うが、ドリームキャッチャーのほうはといえば、沈黙している。それはそうである。
わたしは右手をさっと掲げると、いちばんの武器である、聖剣を取り出す体勢をとった。
これほどの小物に出現させる武器でもないのだが、はたして呪詛を受けたばかりで、剣を振るうことが可能なのかどうか、試してみたかったのだ。
ちょっとしたリハビリである。
とはいえ、聖剣の威力はすさまじい。
その姿を現すだけで、霧が発生し、風が巻き起こる。このときもそうで、洞窟内はもはや洗濯機の中身ぐらいの大騒ぎ。

パソコンはわたし自身から放たれる磁気によってショートし、フィギュアの棚も壊れて人形は四散し、あちこちにぺたぺたと貼られていたポスターもはがれ、空中にリボンのように舞っていた。
「ぎゃあー、パソコンが、フィギュアが、ポ、ポスターがぁ! せっかく集めたのに! やめてくれー!」
「黙れ、ポスターごとき、もういっぺんアキバに行って買い集めて来い!」
「非売品もあるんですー! マジでやめてください、もう降伏いたします、降伏いたしますからぁ!」
呆れたことに、聖剣を出すまでもなく、カンダタは地にひれ伏して、わたしに許しを請い、もう二度と洞窟で騒ぎを起こさないと、天地神明に誓った。
逆転のドリームキャッチャーは、わたしが没収することになり、ほとんど手を付けていなかった貢物は、一軒ずつ回って、返してくることで話が決まった。

しかし、なにゆえ、平凡なひきこもり傾向のカンダタの手に、これほどの霊具が渡ったのだろうか。
その問いに、カンダタは答えた。
「寺での修行が本当に嫌になりまして、いっそ死んでしまおうかとも思ったのですが、どうせ死ぬのならば、一度は行ってみたかった日本の秋葉原で死のうと思ったのです。
秋葉原のメイドカフェで死ぬ算段をたてておりましたら、隣にいるミョーな格好をした男のポケットに、これがありまして、その男、どこぞの修道院から逃げてきたよう時代がかった格好をしているくせに、金払いがとてもよくて、店中のメイドを集めて、ゲームなんぞに興じていたのです。
ここでも社会格差があるのだと、悲しいやら、むしゃくしゃするやらで、わたしは思い余って男のポケットからこれを盗んでやったのです。そうして店を出たのですが、ふしぎなことに、これを盗んだとたん、死のうなんて考えは、どこかへ消えてしまいまして、もっと好きなことに、人生を使ってやろうと思ったのです。
で、手始めにアキバ中のパソゲー…あ、同人ソフト込みですよ…を買って帰ろうとしたのですが、そこで金もないのにふざけるなと喧嘩になりました。
ところが、このドリームキャッチャーのおかげで、わたしは大勝利をおさめ、無事にパソゲーやフィギュアやポスターなどと共に、帰国することが出来たのです。
あとはご存知のとおり、わたしは洞窟にひそみ、思い切り趣味の世界に浸ることにしました。
ところが、近所のものはわたしをキモイといって苛めるので、こちらもつい意地になり、ドリームキャッチャーを使って撃退したところ、だんだんみんながわたしを恐れるようになり、普通にパソゲーをしているだけなのに、退治してやるとか因縁つけられて、変な人たちが毎日のように洞窟にやってくるものですから、もうこっちもわけがわからない。
仕方なく戦いに応じつづけて、今日に至るわけでございます」
「その、修道院から逃亡した僧侶のような出で立ちの男は、何人のようであったかわかるか?」
「格好はヘンテコでしたが、プロレスラーのような体格でした。スラブ系だったように思えます」
修道院のような格好をしたスラブ系の男。
出で立ちが詳しくわからないが、『塔』の役員の格好に似ているかもしれぬ。
これほどの霊具を携帯できるとなれば、自身にそれなりの霊力があるということだから、アトラ・ハシースなのはまちがいなかろう。

カンダタは、しくしくと泣きながら、セロハンテープで千切れたポスターを補修しつつ、もう二度といたしませんと言った。
「ドリームキャッチャーの有効範囲は決められているのか?」
「半径五メートルが限度、そして有効時間は十分のようです、子桓さま」
「…………もう一度」
わたしのこめかみが、ぴくりと不吉な動きを見せたので、カンダタはうろたえているようだ。
「え、あの、半径五メートルが限度のようです。そして、力の有効な時間も十分ほどのようです。その、子桓さま」
「だれが子桓だ、だれが! 我が名は子桓などではないわ!」
わたしがグーでもってカンダタを殴り飛ばすと、あまたのアトラ・ハシース、そしてアストラルを撃退した男は、紙人形のようにあっさりと弾き飛ばされた。
「ほんぐわー! す、すみませーん、でも、頬にー!」
「頬?」
「はい、頬に、子桓とありますよね? ですからてっきり、お名前が子桓なのかと」
わたしがあわてて、持っていた手鏡でもって顔を覗きみれば、なんと、さきほどうさぎの身であったときに、カレーうどん屋で曹丕によって耳に書かれたサイン、あれが頬に来ているのだ。
返す返すも曹丕め! ふつうの洗顔料で取れるだろうな、これ。
「わたしは子桓ではない! 二度とその名を言うな!」
「はい、すみません! もうグーは止してください!」

そんなこんなでカンダタをとっちめていると、子龍が呻いているのに気づいた。
どうやら目が覚めたらしい。
わたしが駆け寄ると、子龍は薄目を開いてわたしを見て、安堵したように笑った。
「しばらくぶりだな、どこにいたのだ」
「どこにも行っていないよ。わたしが黙って、いなくはるはずがないではないか。怪我はないか?」
「すこし打っただけだ」
「そうか。積もる話もあるのだが、ともかく洞窟を出よう。腕を貸す。立てるか?」
わたしは腕を貸して子龍を起き上がらせると、カンダタに、ついて来るように目で訴えた。
カンダタは、しぶしぶ後についてくる。
子龍は、カンダタに受けた攻撃が相当に効いているのか、弱弱しい声で言う。
「ずいぶん探したぞ。おまえこそ、なにか異常はないだろうな」
「いろいろあったのだけれどね。いまはもう大丈夫だ。詳しい話は、あとでするよ。とりあえず、ここから出て、あなたの怪我の治癒をしなければ」
「聞くのが怖いな」
「涙が出るほど楽しい話だよ。さあ、もう外だ」
洞窟の外に出て、久しぶりに人の身の状態で、大気を吸い込む。半身におぼえる子龍の体温が、ずっと共にいたにもかかわらず、なぜだか懐かしく思える。

さあ、子龍の怪我を治癒しようと、わたしが洞窟から一歩、外に出たときである。
ふっと、全身から力が抜けていく。
と、同時に、横にいる子龍の重さが、どっとのしかかってきて、わたしは思わず地面につんのめった。
こてんと引っくり返って自分の足元を見れば……なんだってまた、白い毛皮に覆われた、短い足が視界にあるのであろうか。
って、ええ? またうさぎか!
そうか、ドリームキャッチャーの力が途切れたのだ。
あれの有効時間は十分だと、カンダタが言っていなかっただろうか。
ふと、不吉な予感に捕らわれて、カンダタのほうを見れば、カンダタは、なんとも邪な笑みを浮かべて、わたしのほうを見下ろしている。
しまった、ドリームキャッチャーの力が無効化すれば、いまや形勢逆転、人の身であるカンダタのほうが、うさぎのわたしより強いのは必定。
さっきわたしが殴った頬を、嫌味のようにさすりつつ、カンダタはわたしに迫ってくる。
「仕返しだ、このうさぎめが!」
あわてて逃げようとしたものの、足がもつれて動かぬ。
ちらりと見れば、カンダタがこぶしを握り締めて、わたしに襲い掛かってくる。

ぎゃあ、痛いの嫌だ!

と、カンダタのこぶしがわたしに落ちる寸前、隣で倒れていた子龍が、ぱっと起き上がると、カンダタの顔面を、真正面から打ち据えた。
その一撃は鼻にのめりこみ、カンダタはぐうの音も出せずに、そのまま昏倒した。
子龍は、カンダタを打ち倒すと、そのまま、周囲をきょろきょろと見回している。
「孔明? どこにいるのだ!」
おおい、わたしを探しているのか、ここだ、ここ!
「孔明、どこだ、返事をしてくれ!」
うおーい、ここだというのに! 
わたしは、子龍の衣の裾をつんつんと引っ張って、注意を引いた。
そして、ぐっと自分で自分を指指して見せる。
ほら、わたしはここだよ!
「なんだ、もなか、自分をゆび差して…そうか、痒いのか」
と、子龍はわたしの顔を、ごりごりと爪で掻いてくれた…けれど、痒くもないのに、ぽりぽりと掻かれると、逆に痛かったりするのだよ。イテテテ。
わたしがもがいて逃げると、子龍は顔をしかめて、
「気難しいヤツだな」
と言った。
あえてなにも言うまい…

カンダタの意識がもどれば、うさぎ=孔明ということが明らかになるであろうと思ったのだが、なんともタイミングの悪いことに、鬼子母神が、気絶したままのカンダタを連れて行ってしまい、子龍がカンダタの話を聞くことはなかった。
あーあ、運が悪いな。
でも、鬼子母神は、子龍にわたしのことを調べておくと、約束したわけであるし、そのうち、事情があきらかになって、子龍の耳にわたしのことが届くだろうか。
そのまえに、この耳の、このサイン、なんとか洗い落とさないと。
なんだかドッと疲れた…




さて、汎世界のひとつ。
大盛況の『踊る! うさぎショー』であるが、馬超の呪詛が不完全であるため、ショーの最中だというのに、人間に戻ってしまうときがある。
ステージの上でそれが発生する場合は、あたらしいイリュージョンだと説明して、おおいに拍手喝さいをさらうところであるが、舞台の袖で出番待ちをしているときに、それになってしまったなら、メリットはなにもない。むしろデメリットだらけである。
なにせ、馬超は、自分では、うさぎの身に戻れないのであるから、場を繕うにも、いつまでそうしていればよいのか、わからない。
舞台裏は大騒ぎとなってしまうのだ。

その場合、どうするかというと、ほかの芸人たちが場を収めるべく舞台に上がるわけだが、その中でも、もともと芸人ではない司馬仲達改め『司馬☆仲達』は、おもしろいトークを披露するわけでもなし、べっとりと濃い顔で、ただ百八十度うしろに振り返るだけであるから、客の引きっぷりといったらなかった。
今日も冷たい沈黙のなかに、ひとりぽつんと立たされて(ブーイングがあれば、まだマシというものである)、慰めてくれる者もなく、舞台裏で、頑丈なダンボールに腰かけて、ションボリしていると、どうやら、馬超がうさぎに戻れたらしく、にぎやかな中華風の音楽とともに、『踊る! うさぎショー』が再開されたのがわかった。
特に、今日がラストステージに当たるため、本人も気合が入っているのだろう。
舞台の袖にとどく観客の拍手も、いつになく熱がこもっているようだ。

うさ馬超の人気に目をつけた最高府が、最重要地域の慰問を命じてより、最高府は、踊りのためのオリジナルのダンス曲まで提供するなどして、さまざまなバックアップをしている。
いま流れてくる中華風の曲も、どうやら新曲らしい。
歌詞が、なんだかどこかの誰かが好みそうなフレーズが多用されているが、気のせいだろう。
馬超が、曹家の作った曲で踊るはずがないのだから。

そうして仲達がひとりでぼんやりしていると、ぱたぱたと、軽い足音が近づいてきた。

見れば、裸足の巻き毛の子どもが、満面に笑みを浮かべつつ、近づいてきた。
粗末な麻の服をまとった、一見すると遊牧民ふうのスラブ系の子供であるが、仲達は、その全身から発せられる、ただならぬ霊力に、思わず腰を浮かせる。
見た目で判断してはならない。アトラ・ハシースである。
それも、かなり高位の者であるとわかった。
子どもの後ろには、がっちりした体格の、これまたスラブ系の男が控えており、長い赤毛を後ろでひとつに縛っているのであるが、格好は子どもよりもさらに奇妙で、どこぞの修道会の修道僧のように、体のほとんどを、ゆったりとしたラインで隠した、賑やかな場にそぐわぬ服装であった。
顔つきは、この男の生来の人の好さをあらわして、柔和で、軽薄さすらおぼえるほどの印象なのであるが、表情は神妙そのもの、いや、叱られた子供のようにしょんぼりとしている。
この男自身からも霊力を感じるのであるが、圧倒的な霊力の大きさを見せ付ける子どもの前では、影が薄かった。

「馬超は、やっぱりうさぎにして正解だったんじゃないのー? 怪我の功名ってやつかな? そう思わない、仲達」
呼び捨てにされても、仲達は苛立ちを覚えず、ただ素直に頭を垂れ、拱手してみせた。
「たいそうな人気でございます」
「ふうん、君は僕が測れるのだね。ならば話が早い。最高府のウトナピシュテムだ。後ろに控えているのは、僕のボディーガードだから気にしないで。姜維はいるだろうか」
「貴方様が、我らすべてのアトラ・ハシースの、始祖さまでいらっしゃいましたか。姜維、でございますか?」
「うん、ちょっと用事があってね。君も聞いているだろうけれど、今夜のステージが終わり次第、馬超と姜維には、最重要地域に向かってもらう。その前に、伝えなくちゃいけないことができたんだ。探してきてくれないか」

ふと、嫌な予感が、ふたたび胸の中でざわざわと蠢いたが、ほかでもない、生命の始めの名を持つ、最古にして最強といわれるアトラ・ハシースの申し出である。
実力にしても地位にしても、桁外れにちがう相手に、何の用事かを問うのも無粋に思われて、仲達は、馬超のステージを見守る姜維を連れてきた。
姜維は、最高府がやってきたと聞いても、意外なほど冷静で、いつもの華やかな笑みを浮かべると、では、いま参りますと言って、仲達と一緒に、ウトナピシュテムの前に出た。

「馬超にも挨拶しようかと思ったけれど、あいつのことだから、またがあがあ噛み付いてくるだろうし、用事があるのは、君のほうだからね。僕が来たことは内緒にしておいてくれないか」
畏まる姜維に、ウトナピシュテムは言うと、片手を前に突き出し、短く呪文を唱えた。
すると、その手のひらの上に、一振りの剣が浮かび上がった。
武骨な風合いの、装飾のなにもない剣であるが、その出現とともに、まるであらたなアトラ・ハシースが出現したのかと思えるほどの、つよい霊力を感じ取ることができた。
聖剣である。
「最高府の名において、この聖剣を預ける。そして、君を仮のアトラ・ハシースとする」
「なんと」
思わず声をあげたのは、仲達である。

アストラルがアトラ・ハシースになることは、稀にだがあるけれども、それは、汎世界を救うための仕事を多くこなし、霊格をみずから上げた場合である。
仮とはいえ、アストラルがアトラ・ハシースとなれることがある、ということを、仲達は初めて知ったのだ。

驚く仲達に、巻き毛のウトナピシュテムは、人懐っこい顔を、にっ、と笑わせて言った。
「最重要地域に派遣する人員は限られていてね、やたらと強い奴を集めればいいって話でもないんだ。詳しくは話せないけれど、例外的に、最重要地域に派遣しているアストラルを、派遣期間中はアトラ・ハシースとする場合があるんだよ。
特に、今回は、馬超がう、さぎと人間のあいだを彷徨っているような状態だからねぇ。僕の所為なんだけれどさ」
ウトナピシュテムは、そう言うと、無邪気に笑った。
しかし仲達は笑うことができず、問う。
「つまり、姜維を仮のアトラ・ハシースとし、馬超を、そのアトラ・ハシースに召喚されたアストラルとして扱う、ということでございますか?」
「形式上はね。とはいえ、アストラルの霊格を、仮とはいえ、一気に引き上げ、そのあとすぐに元に戻す、というのは大変なんだよ。そこで、この剣が登場する」
「この剣は、どこか懐かしい感じがいたしますが」
と、あくまで冷静を装いながらも、感情を押さえつけているのが、ありありとわかる声で、姜維が言うと、ウトナピシュテムは頷いた。
「そうだろうね。この剣は、呉王扶瑳が鍛えさせた剣、『勝邪』だ。籠められた霊力はさほどではないけれど、切れ味抜群、直接攻撃に向いている。この聖剣は、所持者の霊力を増幅させる力を持っているんだ。
そうだね、この剣一本で、アストラルの中でも古強者ばかりあつめた、一個師団並みの経験と攻撃力を持つことができるって説明したら、すごさがわかるかな。
この剣があれば、アストラルをアトラ・ハシースに転じることができるんだ。
とはいえ、所持していないと、また元に戻っちゃうからね。判っているとは思うけれど、アトラ・ハシースとアストラルの決定的な違いは、世界から直接霊力を供与できるかどうかなんだから、剣がなくなれば、霊力が切れて大変なことになるから、注意して」

姜維は、小刻みに指を震わせながら、ウトナピシュテムから剣を受け取った。
少年のように頬を紅潮させ、興奮した目で、剣を凝視している。
その、なんとも強すぎる眼差しを見て、仲達は、またも背筋を震わせた。
ちらりと見れば、ウトナピシュテムも、その背後の赤毛の大男も、姜維のことに気づいてないのか、子どもの風貌には似合わぬ、大人びた穏やかな微笑を浮かべている。
これは、生前に姜維と対峙したことのある者だけが感じ取れる、微妙な変化なのだろうか。

剣に魅入られたように、そこから目を離さない姜維を見つつ、ウトナピシュテムは嘆息をする。
「あーあ、しかし、諸葛亮はどこへ行っちゃったんだろうねぇ」
「は?」
思いもかけない名が唐突にあらわれたため、仲達はどきりとするが、姜維のほうもまた、違う意味で驚いたらしく、剣から顔を上げた。
「その剣ってばさ、もともと琅邪にあったんだよ。琅邪といえば諸葛亮の生地。相性でいったら、あいつのほうが、その剣と相性いいんだよ。
あいつ、職人気質のあるものに、やたら好かれるヤツだしさ。もしあいつがいたら、馬超に付けたんだけれどな」
どこへ行っちゃったかねぇ、とぼやくウトナピシュテムに、仲達はしどろもどろになり、姜維は、華のある顔を、おおいにしかめて言った。
「わたくしとて、諸葛孔明の弟子ともいえる者。立派に任務をつとめて見せまする」
「そーお? ならいいけどさ。あいつが見つかり次第、交替ってことも考えているから、そんなに気張らないでいいよ」
姜維は、まだ何か言いたそうにしたが、相手が相手だけに、不服そうながらも口を閉ざした。

馬超のステージが終わりかけているため、姜維はふたたび舞台の袖に戻り、場には、ウトナピシュテムと赤毛の男、そして仲達だけが残される形となった。
姜維の去って行ったほうを見つつ、ウトナピシュテムは、両手を頭のうしろで組みながら、アトラ・ハシースとも思えぬ、なんとも邪な笑みを浮かべた。
「あの気の強さが彼をアストラルにしたわけだけれど、しかし野心が強すぎるので、どんなに仕事をこなしても、霊格がなかなか上がらない。
そんな単純なことに、なぜだか気づかないんだから、悲劇といえば、悲劇かな」
その言葉に、今度こそ仲達は仰天した。
「もしや、ウトナピシュテムさまは、姜維が堕天しかけていることに、気づかれておいでなのですか?」
「おやおや、君は優秀だね。それにも気づいていたわけだ。なら、すこし教えてあげようかな。今回の姜維の最重要地域への派遣は、だからこそ決まったんだよ。毒を以て毒を制す、といったところかな」

ほら、やはり最高府直々の命令なんぞ、ろくなものではないのだ、と思いつつ、仲達は、これは姜維に教えるべきであろうと決めた。
が、そんな心を見越してか、ウトナピシュテムは、にっこりと笑うと、不意に、仲達に手をかざし、呪文を唱えた。
「すべての火と言葉を司る生命の始め、ウトナピシュテムが命ず、口チャック!」
「はい?」
ぱっと閃光が仲達を包んだかと思うと、ジーッ、という、実に聞き覚えのある金属音が、耳のすぐそばでした。
あわてて、鼻から下を手で探るが、唇は、いままでどおりの柔らかな感触を手に伝える。
どういうことかとウトナピシュテムを見れば、巻き毛の子供は、あいかわらず邪な笑みを浮かべつつ、言った。
「いま、僕が言ったことを誰かに喋ろうとしても、無駄だよ。口チャックの呪文をかけたから、とたんに唇が閉ざされて何もいえなくなる。あ、紙に書いてもダメだし、コンピューターに残そうとしてもダメだからね。
ああ、これじゃ可哀想だから、ついでに教えてあげるけれど、最重要地域で人類を滅亡させようとしている者たちは、堕天したアストラルなんだよ」
「なんですと?」
「彼らと来たら、イナゴのように、隣接する世界も滅ぼそうとしている。彼ら堕天した魂の目的といったら、世界の破壊、これだけだからね。これは是が非にでも食い止めなければいけないんだ。重要性がわかるだろう?
最高府によって人類の一部は滅びずに、抵抗運動を続けているわけだけれど、いままで送ったアトラ・ハシースやアストラルは、敗退してしまった。
敵の動きはいまだつかめない状態で、このままでは世界は滅び、被害は拡大する。
敵の動きがわからなければ、作戦も立てられない。だれかが、猫に鈴をつける役目をしなければならない。
それは、とんでもなく勇猛で向こう見ずな者か、でなければ、まったくこちらの思惑通りに動いてくれる者のどちらかだ」
「後者が姜維、というわけでございますな」
「そうさ。猫に近づくためには、怖じずに攻撃を繰り出して敵に近づき、鈴を括りつけてくることのできる猛者が必要だけれど、あいにくと、そんな幸運に恵まれた猛者なんてものは、そういやしない。僕たちがそうだと見込んだ者も、結局ダメだった」
と言いながら、ウトナピシュテムは、ちらりと背後の赤毛の男を見る。
すると、赤毛の男は、恥入っているのか、顔を赤らめ、首を亀のように縮ませてしまった。
どうやら、最高府認定の『猛者』であるようだ。
素性はしかし、わからない。

「ならば、発想を変えればいいのさ。彼らに取り込まれ易い野心のつよい者に、鈴を鈴と知らせずに、持たせて派遣すればいい」
「鈴というのは、さきほど姜維に渡した、『勝邪』のことでございますな」
「そう。あの剣は、ほかの聖剣同様、意思があるんだよ。特に、『勝邪』は、名前の通り、使命感と正義感に燃えた勇者でね。作戦のためならば、使用者を騙すことすら辞さないほどなんだ。
『勝邪』が敵に潜入し、僕らに情報を発信する、という手筈になっているんだよ。さすがに敵も、聖剣を折ったりしないだろうしさ。
それに聖剣は使用者に忠実だと、普通は思うから、まさか『勝邪』みたいな剣があるなんて、普通は思わないよね」
「高潔で公正であることを要求される、アトラ・ハシースの始祖とも思えぬ作戦ではありませぬか。これは、批判は免れませぬぞ」
「批判ったってさー、それじゃあ、批判する人に言いたいよ。ほかにいい作戦があるのか、って。
だいたい、仕方ないじゃん、緊急事態なんだからさ。サイアクの場合には、『下宿先』に残っている全アトラ・ハシース、アストラルで総攻撃になるよ。そこまで切迫しているってこと、わかって欲しいなあ。
最高府だって辛いんだよー。とはいえ、姜維は放っておいても、強すぎる野心のために堕天しただろうし、アトラ・ハシースになりたくてなりたくて、仕方なかったんだから、ちょうどいいんじゃない?」
「なんと冷酷な」
仲達が言うと、ウトナピシュテムは、己の巻き毛を指先でもてあそびつつ、言った。
「姜維って、君の生前の敵なわけでしょ? 君って、噂より、ずっと優しいんだなあ。僕も鬼じゃないからさ、諸葛亮になら、このことを教えてもいいよ。
でも、こっちの作戦がうまくいってからの話だけれどね。とはいえ、うさぎになっている諸葛亮には、なんにも出来ないだろうけれど」
「そこまでご存知か」
「あったり前じゃん。最高府を舐めたらいけないよー。君も今日で『下宿先』に帰るわけだし、帰ったら諸葛亮に相談しようとか、考えていなかった? ああー、とすると、ちょっと失敗したなー。あいつのことだから、姜維を助ける方向で勝手に動き出しかねないし、あいつの幸運スキルの高さを考えると、君にかけた口チャックの呪文だけじゃ危ういかも。ついでに、記憶封印の呪文もかけておこうかな」
そう言うと、無邪気な笑みを見せながら、ウトナピシュテムは、仲達が抗弁をはじめる前に、ふたたび仲達に手をかざした。



しばらくして、仲達は、だれもいない舞台の袖で、ぽつんと立っている自分に気付いた。
『うぬ、わたしは、なぜここにいるのであろうか』
気づけば、ステージは終了し、観客も帰ってしまい、あちこちで片づけが始まっている様子である。
とおくから、きんきんとした伎芸天の、
「片づけが終わったら打ち上げやりまーす!」
という呑気な声が聞こえてきた。
そうだ、今日で『下宿先』に帰れるのであった。
帰ったら、趙子龍のところにいる諸葛亮に会って、うさぎから元に戻してやらねばならぬ。
うさぎの身では、囲碁はできぬからな。

そうして……………………………………………………………………………?

なにかとても重要なことがあった気がしたが、思い出そうとすると、とたん、仲達の頭はぼんやりとして、なにも思い出せなくなる。
その代わりに、こんな声が聞こえてきた。
『なにもなかった。何も思い出すことはない。たいせつなことであれば、おぼえているはずだ。おぼえていないということは、たいせつではなかったのだ』
そうであろうと、自分で自分を納得させつつ、仲達は、ステージの後片付けに参加すべく、歩きはじめた。
※次回、衝撃の?「うさぎが観察日記・6」につづきます。請うご期待。でもって、このお話の時間は、基本世界(我々の世界です)でいうところの2003年ごろとなります。

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