うさぎが観察日記・5
~逆転うさぎのバッド・ラック事件・前編~

※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」「うさぎが観察日記・3 後編」「うさぎが観察日記・4」の続きとなります。
汎世界のひとつ。
難民キャンプのあちこちに『踊る! 穴うさぎショー! 怪奇ろくろっ首男も登場、夢のステージ』と、どこかいかがわしさを含んだポスターが貼られている。
その興業のテントのなかで、司馬仲達は、かつてない危機に追い込まれていた。
「っていうかー、やっぱ首を百八十度曲げて振り向くくらいじゃ、お客さんは喜ばないのねー」
それは最初に自分でそう言ったではないか、と仲達は思ったが、向かう敵はアプラサス(ヴァルキューレ)の女神・伎芸天と姜維と馬超。いささか形勢不利である。
「貴様が舞台を温めるどころか、冷しておいてくれるので、わたしも次がやりにくくて仕方がない。
わたしはだ、貴様とちがって、このたび最高府によって特別区域に派遣されることになったうさぎなのだ。だのに、半端な芸しかもっておらぬと侮られたまま、この世界を後にするのは心苦しい。そういったわけで、やはり貴様にはもっと奮起してもらわぬとな」
と、いっちょまえの口を利いてくれるのは、茶色のアナウサギの姿になった馬超である。
仲達としては、毛玉を咽喉に詰まらせてしまえといってやりたいところであるが、そこはアトラ・ハシースの矜持で、ぐっと我慢する。
特別区域への派遣など、聞こえは華々しいが、苦労ばかりでろくでもないことを、仲達は経験から知っていた。おそらく馬超は、あまり仕事をしないアストラルであったから、実感として、そのことを理解していないのであろう。

姜維は静かなもので、あいかわらず趣味が良いのか悪いのか、判じかねる色合いのスーツを纏い、踊るアナウサギたる馬超のマネージャー役を勤めている。
馬超の特別区域派遣にともない、この姜維まで特別区域行きが決まったのだ。
「受けない原因に心当たりがひとつふたつあるのですが、よろしいでしょうか」
と、殊勝に意見を述べようとするものの、仲達は、姜維の纏う、いつにない暗く荒んだ雰囲気にどうも気を許すことができない。
伎芸天も馬超も、なぜに気づかないのかと、それが不思議でならない。
言葉を交わす程度には、姜維になんら変化は見られない。
かつての仇敵たる仲達にも、愛想よく応じ、うさぎの馬超に、「愛想よくしすぎだぞ」とたしなめられるほどの公平な態度を貫いている。
だが、その愛想のよさが曲者なのだ。
仲達は、これまでにさまざまなタイプの人間を見てきたが、姜維という人物、腹に一物があればあるほど、外貌がにこやかに、華やかになって、周囲を欺く癖を持っている。
孔明が、策士などと呼ばれながら、じつはうそをつけない正直者という矛盾した性質を持っているのに対し、姜維は、目的のためならば、周囲をも平気で欺く図太さを持っている。
味方にしておくにも気の置けない人物。それが仲達の、姜維に対する評価であった。

馬超とともに特別区域派遣が決まったわけであるが、それについても、姜維が伎芸天にうまく取り入ったせいだとかなんだとか、舞台裏からよからぬ噂が聞こえてきていた。
姜維が、なぜ特別区域を目指しているのか、仲達にはその意図がいまひとつつかめていない。
早いところ仕事を切り上げて、孔明に相談したいところなのであるが…

「いくら『怪奇・ろくろっ首男』とぶち上げても、ステージ名が司馬仲達という、ごくごくまともで据わりの良い名前では、観客に、迫力がないように受け止められてしまうのではないでしょうか」
姜維の言葉に、うさぎと伎芸天が、ああ、と頷いた。
「たしかにー。『司馬仲達』ってー、なんかー、お役人みたいだもんねぇ」
「ヒトが親からもらった名前を…本名なのだから仕方がないだろう。言っておくが、芸名なんぞ、わたしは名乗らぬぞ。我が名は司馬仲達。ほかの誰の名も名乗るつもりはない!」
抗議するも、ほとんど裸に近いきわどい衣裳をまとった伎芸天と、うさぎは、まったく無視して話を進める。
「どうであろう、芸名が嫌だというのであれば、名前をちょちょいと改造してだな、『司馬☆仲達』と名乗るのは」
「あ、いいかもー。一気に華やかさ倍増!」
「華やかというより、莫迦っぽいぞ!」
「ええ? それじゃあ、『司馬?仲達』っていうのは?」
「なんで疑問符なのだ。わたしはそれほど謎めいた男か? やめてくれ」
「じゃあ、『司馬☆仲達』で決まりね」
「人の話を聞いておらぬな」
「んー、そうなると、やっぱり見た目が平凡でつまらないなー。衣裳をくいだおれ人形みたいに派手にしてみる?」
「くいだおれ! 冗談ではない、あんな莫迦な衣裳着られるか!」
「もー、文句ばっかり!」
伎芸天は頬を膨らませるが、仲達はこれ以上ピエロのようになってはたまらないと思っているので、そこをゆずるつもりはなかった。
が、またまた姜維が口を挟む。
「仲達殿は、好んで老齢のお姿をとられるが、如何でしょう、すこし若返られては?」
「若返るー?」
それこそ冗談ではないと思うのであるが、面倒なことに、伎芸天はすっかりその気で、目を輝かせて身を乗り出した。
「あ、いいかもー。お爺さんが、ただ真後ろを振り返るだけってー、『年の所為でこうなっちゃったのかなー』みたいな妙な説得力があって、客が引くけれど、若い人が真後ろを振り返るなら、たしかに『怪奇 ろくろっ首男』って感じするもん。決まりー! 司馬☆仲達、若い姿になあれ!」
「ヒトの許可を取らず…ああっ!」
伎芸天はたしかに頭が弱そうに見えるのであるが、そこはやはり女神であるから、ビビデバビデブーなる怪しげな呪文ひとつで、仲達をあっさりと若い頃の姿に変えてしまった。
うー、と呻きながら仲達が顔を上げる。
それを見た、うさ馬超、伎芸天、姜維の反応は…

「「「……………………………」」」

顔をあげた仲達の顔は、舞台の袖にて紫のバラを片手に佇んでいそうな……いや、別な表現を許されるならば、目がまるで有刺鉄線のような超上向きまつ毛を持つ、河惣益巳氏描くところの美形のような、なんともインパクト大の濃ゆーい顔をした青年の顔があった。
「濃い…」
「この顔で百八十度後ろに振り返ったら、かえって怖いぞ」
「黙れ、若い頃の顔は、やたらと武将どもに舐められたゆえ、好きではないのだ。もとの六十代バージョンに戻せ!」
仲達は抗議するものの、伎芸天は、仲達の目に星の輝くその顔をしげしげと眺めて、言った。
「うん、これで行ってみようか」
「どこへ! この顔でステージになんぞ上がらぬぞ!」
「ええ? 契約はちゃんとしているじゃない。いまさら止めますなんて言われても困るー。その顔で、思い切りお客さんを沸かせてきてね。じゃあ、頑張って!」
「なにをだ!」
仲達は抗議するものの、伎芸天ほか、馬超も姜維もその言葉をまったく聞かず、かくて幕は上がり、仲達は仕方なくしぶしぶといつもの振り返り芸を披露するハメになったのであった…



そして、我らが『もなか』にもどる。

「遅ぇじゃねぇか、てめぇら! 召喚されたら、まっさきにアプサラスのトコへ来て、よろしくとあいさつを入れる、常識だろーが、常識! ったくよー!」
と言いながら、インドの密林をバックに、紅蓮のごとき真っ赤な肌(きっとリコピンの過剰摂取だ)をした、鬼子母神は、仁王立ちして、あらわれたわたしたちに雷を落とした。ここは入谷ではない。
「ったくよー、アストラルだけか! アトラ・ハシースはどこ行った!」
「向こうのカレーうどん屋で詞を書いております」
畏まって子龍が言うと、いまにも火を噴きかねないほどの剣幕で、鬼子母神は紙タバコをぺっ、と地面に吐き出した。
「なんだよ、ったく、そのシュールな状況はよ! 詞! 女々しいヤツだぜ、あとでたっぷり焼きいれてやらぁな! おう、アストラル、あらためて、名乗りな!」
「我が名は姓を趙、字を子龍。生前は蜀漢帝國にて将軍職をば拝領しておりました」
とりあえずだれにも卒なく、よい印象を与えることができるのは、子龍の長所中の長所だ。
それはこの恐ろしげな、赤いデビルマンレディみたいな女神にも同じで、畏まりつつも、過度に卑屈にならず、おのれを主張する凛とした態度は好印象だったようだ。
「よし、おまえの名前は聞いているぜ。命題は確実にこなす、仕事人のなかの仕事人だってな。そこの袋はなんだ? てめぇの霊具か?」
目ざとく、鬼子母神はわたしの隠れていた(怖くて隠れていたわけではない。不用意に目だってぱっくり食われてしまうことを避けるためである)うさ袋を指して言う。
やっぱり見つかるよな。観念して顔を出すと、赤いプテラノドンを思わせる、顔のちいさな女神は、わたしを覗き込むと、鼻を鳴らした。
「うさぎか」
「はい。もなかと申します」
「いい心がけだぜ、非常食持参とはな。食いではなさそうだが、大きさは手ごろだ。どれ、ちょっと試食してやろうじゃんか」
くわっ、と鬼子母神は口を耳元までぱっくりと開いて、わたしの腕を飲み込もうとする。

ぎゃあ! パンチ!

まさか反撃がくるとは思っていなかったらしく、わたしの放った拳は、ちょうどよい具合に女神の鼻をがつんと直撃。
女神は鼻から血を垂らして、よろよろと後ろへ、ニ、三歩後退した。
「いいモン持ってるじゃねぇか。気に入ったぜ、うさ公!」
こっちは必死だ! なにせ文字通り死活問題だからな。
うわー、なんだろ、あの口。前歯が全部犬歯だったのだけれど。
子龍、いまの見た?

子龍はというと、わたしとうさ袋をあわてて回収して、女神の目につかないところへと、そっと隠した。
「お尋ねしたいのでありますが、某のほかに、アトラ・ハシースやアストラルは召集されないのでありましょうか?」
「ああん? ほかぁ?」
と、ちり紙を丸めて鼻の穴に詰めつつ、女神は眉をぎゅっとしかめた。
「いねーよ、どいつもこいつも逃げちまってよ。洞窟のアホタレを退治に行く前に、ちょいと訓練したら音を上げちまってよ」
「訓練とは、それほどに特殊な敵ということなのでしょうか?」
「特殊も特殊だぜ。洞窟に一歩足を踏み入れると、こちら側の霊力が0になっちまう」
「なんと」
それは強いな。曹丕のバックアップがあっても、霊的加護が無効化されてしまうのならば、意味がなくなってしまう。
「霊的攻撃の一切は無効。もちろん、防御呪文も無効化されちまう。だから、勝負は肉弾戦になるわけだけどよ、最近のアストラルやらアトラ・ハシースやらは弛んでやがるぜ。だから、あたしが一から鍛えなおしてやったのによ。
スペシャルメニューの半分もこなさねぇうちに、逃げ出しちまってよー。はん、元幻想魔族のあたしの命令なんざ聞けねぇってのかね」
笑いたければ笑うがいいさ、といわんばかりに女神は肩をそびやかした。
「それがしにも、スペシャルメニューが必要でしょうか」
律儀に尋ねる趙子龍。
子龍ならば、かなりきつい鍛錬にも耐えられるぞ。
「あたぼうよ、と言いたいところだけどよ、これ以上、アストラルを召集しつづけっと、最高府の連中がうるせぇし、そろそろケリつけてぇんだよな。やりたきゃやってもいいけどよ。どお?」
と、女神は一枚のわら半紙を差し出す。そこには、ずらりと鬼子母神特製の、スペシャルメニューがずらりと並んでいた。
○ チョモランマを半日で踏破
○ ガンジス川を往復30回 型は自由
○ カレー百食、一気食い
○ タージマハルの掃除を一人でこなす
○ コブラを50匹捕まえてくる
○ 百匹の象の散歩 フンの始末も忘れずに
「これを24時間でやるのさ。挑戦してみっか?」
「ご遠慮申し上げる」
子龍がきっぱり断ると、なんだよ、つまらねぇな、と鬼子母神はぶつくさ言いながらも、命題についての詳しい話をはじめた。
「この森の奥にむかしから行者御用達の洞窟があってね、最近になって、この近所の寺院から、カンダタとかいう男が逃げて住み着いたのがはじまりさ。
この野郎、半端な只人なのは間違いねぇんだが、さっきも説明したとおり、やつの住む洞窟には仕掛けがあるらしくて、どんなに強い奴がどんな霊具を持って退治に行こうと、全部攻撃も防御も無効化させて、こっちを追い払ってきやがる。
小癪なことに、カンダタの野郎は、自在に霊具を操るんだ。それも、こっちの武器にそっくりな霊具を使用してね」
「それはつまり、某が剣で戦おうとすれば、向こうもまったく同じ剣を用意して攻撃してくる、霊力は、こちらはまったく働かないのに、敵は霊力を扱える、ということでございましょうか?」
子龍が尋ねると、鬼子母神は、勘がいいじゃねぇか、と満足そうに、にやりと笑った。
「まったくもって、そのとおり。だが、そいつの力のカラクリってのが、さっぱりわからねぇんだ。カンダタが、うちらの霊力を0にする霊具を持っているのは間違いねぇんだけどな」
「なぜそんな危険な霊具を、只人が持っているのでしょうか」
「そいつがわかったら苦労はねぇぜ。いままでに報告のない、新しいタイプの霊具だ。敵の正体がわからねぇんで、作戦も立てようがねえ。だからこそ、体をぞんぶんに鍛えてから、派遣してやろうと思ったのによー」
その母心はみごとに裏目に出て、みんな鍛錬に耐え切れずに逃げてしまったというわけである。

しかしお粗末な話だな。多くのアトラ・ハシース、およびアストラルが集っても、そもそもの目的にたどり着けないまま逃げ帰ってしまっているのだから、情報不足は当然である。
子龍、これは断ったほうがよくないか? 
アトラ・ハシースでも危うい話だぞ。

「女神よ、お聞きしたいのであるが、多くのアトラ・ハシースやアストラルが召喚されてきたと思うのだが、そのなかに、諸葛孔明はいなかっただろうか?」
「ああん? 諸葛孔明?」
女神はおおいに眉をひそめると、考える間もなく、すぐに否定した。
「諸葛孔明ってな、たしか風雷の召喚術が得意なひょろりとした野郎だろ? キュウリみたいな」
キュウリ…初めて喩えられたな、そんな野菜に。
「いや、知らないね。なんでそんなことを聞くのさ」
鬼子母神が尋ねると、子龍はきちっと威儀を正し、それから姿勢をよくして女神に向き直った。
「じつは、諸葛孔明というのはそれがしの友なのであるが、『下宿先』から姿を消して、だれも行方を知らぬのだ。しかし、アトラ・ハシースは知らなくても、アプラサスならばなにか知っているかもしれぬ。
アトラ・ハシースの中には、密命を受けて、ひそかに召喚される者もあると聞いた。そこで貴女に、あらためて諸葛孔明のことを調べていただきたいのだ」
「ええ? たしかにそういう特殊任務を請け負うヤツはいるけどよ、あたしみたいな元人食い鬼の末端のアプラサスじゃ、そういった難しいヤツは管理しねぇんだよ。アプサラスにも階級ってあってさー、上位の女どもは、あたしなんかと、なかなか口も利いてくれねぇんだぜ?」
「そこを曲げてお願いしたい! その代わりといってはなんだが、洞窟に巣食うカンダタなる者は、それがしが必ず退治しよう」
「その意気や良し、っていってやりてぇけどなー。うーん、本当に情報を集めるだけになっぜ? それでもいいんなら、てめぇの条件飲んでやるよ」
「それで構いませぬ。是非」
子龍がそう言って、深々と頭を下げると、礼儀正しいのに弱い鬼子母神は、しょうがねぇなと言いつつも、最後には、ちゃんと承諾してくれた。
とはいえ、心苦しいな、わたしはここにいるというのに。

鬼子母神が自分でそう言ったように、この女神、もともと幻想魔族出身で、アプサラス…ヴァルキューレとも言うが…のなかでも霊格は最低レベルなのである。
霊査能力も低いので、わたしを見ても、呪詛をかけられたうさぎだと見破れない。
おそらくまともに霊力勝負をしたら、わたしのほうが勝てるくらいだ。
とても有名な話なので、あえてざっくりと説明するが、彼女は夜叉神の娘で、昔は自身は五百人の子を持ちながら、人の子を攫ってその肉を喰らう人食いであった。
ところがあるとき、溺愛する末の息子が失踪して見えなくなってしまう。
気が狂ったようになって末の息子を探す彼女の前に、お釈迦様があらわれて、
「五百人の子を持つおまえがそのなかの一人でもいなくなると、そこまで嘆くのに、まして一人や二人しか子供のいないよその母親は、どれだけ嘆くと思うか」
と諭す。
そこではじめて彼女は改心し、以後、鬼子母神となって、子供の守護女神に転じた。

「消えた末の子はお釈迦様が隠していたと伝説は伝えるが、本当にそうであったのか、聞きそびれてしまったな、もなか」
と、うさ袋を首からさげて、子龍は密林の中をてくてくと行く。
鬼子母神の話によれば、洞窟のカンダタの脅威は、洞窟内だけであって、外には影響しないのだという。
しかし洞窟内の怪異があまりに奇跡めいているので、近隣の住民たちはすっかりおびえて、カンダタの言いなりになっているそうだ。
密林といっても道なき道を行く状態ではなく、ちゃんと小さいながらも道があり、ところどころにヒトの往来の痕跡がある。
アストラル状態であるから、受肉をしていないので、虫や蛇などの害獣に悩まされることはない。

鬱蒼と茂る大ぶりな木々を掻き分けて進めば、やがて視界が開けて、件の洞窟にたどりついた。
洞窟といっても、怪しげな蔓性の植物が入り口に垂れ下がり、粘度の濃いあやしげな空気がただよう、いかにもなものではない。
気の抜けたことに、洞窟の横にはちゃんと郵便ポストが備え付けてあって、毎朝の牛乳と新聞配達をきちんと受け止めているようすである。
洞窟の上のほうにはテレビのアンテナまであって、快適そうだな。
子龍も同じことを考えたらしく、あらわれた生活感たっぷりの平和そうな光景に、気をそがれたか、眉をしかめている。
しかし気をぬいてはならぬ。これすら擬態かもしれないのだから。
わたしがうさ袋から肩にのぼって、警告の意味で、軽くその顎をぺちりと叩くと子龍は、
「そうだな、悪人とて新聞も読むであろうし、テレビも見るな」
と、つぶやいて、慎重に、洞窟のなかに足を踏み入れる。

♪うさぎの もなかが どうくつにはーいるー♪
と、景気づけに歌ってみる。
しかしますます緊迫感がそがれることに、洞窟いっぱいに貼られているのは、あやしいぬめりを帯びた苔でもなければ、素手で振り払えるような蠍でもなく…ええと、これはもしかして、アニメのポスター?
一枚一枚に、それぞれ工夫の凝らされた、あざやかな色彩がほどこされており、満面の笑みをうかべた目の大きな少女が、なんとも足もあらわなミニスカートに身を包み、こちらを見つめている(ように感じられる)のがなんとも落ち着かぬ。
鬼子母神から聞いて想像していたのとは、だいぶ様子が違うな。
床に首がごろりと落ちていて、ぎょっとするものの、よーく見れば作りかけのフィギュアだったりするし。

われらが入っても、奥のほうから人があらわれる気配はない。
子龍はそれでも慎重に周囲に気を配りつつ、曹丕からもらった霊力をこめた宝石をもとに、短剣を錬成して有事にそなえた。
そうだな、この天井の低さと狭さからいえば、得意の槍や短剣をつかうのは不適当だ。
隙間なく貼られているポスターに見つめられつつ、慎重に足を進めていけば、やがてポスターの数もまばらになり、フィギュアの陳列棚もなくなった。
が、奥のほうからぱらぱらと雨の雫が落ちるのにも似た音が聞こえてくる。
慎重に岩陰より、そっと伺い見れば、痩せた褐色の肌の男が煌々と真白い光を放つモニターにむけて、背中をまるめて、なにやらキーボードを熱心に打ち込んでいる。
わたしが子龍を岩陰に待たせて、足音を忍ばせてのぞき見れば、モニターには色彩もあざやかなジャパニメーションが展開されており、やはり少女の歌声が洞窟にそぐわぬ軽やかさで響いているのであった。
どうやらアニメというよりは、パソコンゲームに興じているらしい。
雪のように濁りのない白目を大きくひん剥いて、暗い洞窟の奥底で、錬金術ならぬゲームに興じるさまは、不気味といえば不気味であるが、あんまり怖くはない。
男は、モニターの中で、自分の操作する美少女キャラクターにすっかり集中しているらしく、わたしがかなりそばに寄っても(アストラル状態の所為もあるが)まったく気づかない。どころか、
「それっ、がんばれ! もうすこし、そいや!」
などと小声で絶えずモニターに応援を送っている。
うーむ…ちょいと悪戯心が起こってきた。
ちょっと、このキーボードを押したら、どうなるかな、と。

ぽちっとな。

「ああああ、あれ? なぜぇ!」
男の悲痛な声とともに、モニター内では、へろへろーん♪という効果音とともに、美少女キャラがへたばっている画像が映し出された。
おやおや、ごめーん。
呆然とする男が、ゆっくりとわたしの方に顔を向ける。
只人たる男には、アストラル状態であるわたしの姿は見えないはずなのであるが…両の耳を、ぴっ、ぴっ、と動かすわたしの方を見ると、男はあきらかに顔を強ばらせて、口をゆがめた。
「うさぎ? なぜこんな奥にまで!」
む。やはり油断は禁物であったな。
わたしがはっきり視認できるとなると、やはり霊具を持っていると見た。
わたしが、さっと後ろに飛びのくのと同時に、それまで岩陰に隠れていた子龍が飛び出して、男がキーボードの前から立ち上がろうとするのを制止すべく、背後に立つと、いきなり短剣の柄の部分で、ごん、と男を殴りつけた。
これで普通ならば、男はぐうの音も出せずに横倒れになるところである。
しかし、子龍は手加減をしなかったにもかかわらず、男は、頭を痛そうにさするだけで、倒れない。
そうして、ゆっくりと子龍のほうに向き直りつつ、立ち上がる。

男は軽装というよりは、ほとんど半裸、腰巻を身にまとっているだけの、まるで風呂上りのような出で立ちである。
寺院から逃げ出してきたというわりには、肉体労働で肉体が引き締まっていることもない、じつにありふれた中肉中背のインド人だ。
「貴様、またも性懲りもなく、俺を退治しにきたアトラ・ハシースとかいう連中だな! せっかくあとすこしで最終面クリアだったのに! 今度もまた血の嵐を見せてくれるわ!」
恐ろしいのだか間抜けなのだか、よくわからぬ呪詛をはきつつ、中肉中背のインド人・カンダタはすっくと立ち上がると、短剣を身構える子龍を見た。
※まだまだ続く「うさぎが観察日記」。司馬☆仲達の運命は、そしてもなかは元に戻れるのか? 請うご期待!

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