うさぎが観察日記・4
〜カレーヒルズの惨劇事件〜

※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」「うさぎが観察日記・3 後編」の続きとなります。
○月×▼日

わたしの名はもなか。ダッチ種のうさぎであるが、むかしは人間をやっており、名を諸葛孔明といい…って、逆だ、逆。
もう毎度のことなので、詳しい説明は省く。
うさぎのままだ。以上、説明終わり。
なんだか威張った感じに受け取れる? 
仕方あるまい、それもこれも、ぜーんぶ司馬仲達のせいなのだ。くわしくは前回の観察日記を見るように。
かえすがえすも、仲達め! 

『ごきぶりでバルさん』の禍が過ぎて数日後、子龍はわたしを連れて、ドワーフの森に向かった。
ネットの通信販売で買った腕輪を受け取るためと、ローンの第一回目を直接支払いにいくためだ。
ここ数日、仲達めのせいで機嫌が悪かった私であるが、外のうまい空気を吸ったら、一気に気分爽快。
我ながら単純だと思うところであるが、太陽と、風と、目を癒す自然のあざやかな緑があれば、わたしは幸せだ。ああ、世界は美しい。
道らしい道もない森の中へは、自転車で行くのはむずかしいので、森の前に置いておき、わたしはリュックから出してもらって、子龍と一緒に森を歩くこととなった。
とはいえ、歩幅がぜんぜん違うわけだから、どうにも追いつけないし、わたしの肉球は室内仕様なのか、ヤワなので、しばらくもいかないうちに辛くなってきた。
そこで、子龍の体によじのぼり、肩にちょこんと腰かけて、耳に捕まって、ちょっとしたドライブだ。
これは楽しい。巨大ロボットのパイロットになった気分ではないか。
お、敵機発見(ムササビ)。そーれ、ロケットを発進!
耳をぐいっと引っ張ったら、背中の皮を掴まれて、一言、
「捨てるぞ」
と、子龍に言われた。
わかったよ、大人しくするよ。遊び心のわからぬやつめ…


さて、ドワーフのギルドというのは、明るい森のなかに、突如としてあるラスベガス、といった風情の、ともかく自然の情緒をみごとにぶち壊してくれる存在である。
自然の情緒を楽しむ、などという感覚からして、森に生まれ、森に生き、森に還る彼らにはないのかもしれない。
人と都会に慣れたわれらが自然を美化して愛でるのと逆で、彼らは都会のネオンを、宝石のように憧れてみているのかもしれない。
が、目がチカチカする。
紅白の小林幸子だって、こんな派手な電飾に飾られてないぞ。

さて、ギルドの中であったことは、冗漫な上に、わたしにとって不愉快の連続であったので、ざっと説明するにとどめる。
子龍は、どこぞで稼いだ外貨(金貨を数枚)を第一回目のローンに充てようとしたのだが、ドワーフたちは、それでは少ないとごねた。
そのうえ、わたしに目をつけて、そのうさぎの毛皮をつけてくれるなら、商品を引き渡していい、などと恐ろしいことを言った。
とたん、子龍は激怒し、このうさぎのための買い物なのに、なめしてしまったら意味がない、強欲を言うのであれば、このギルドごと、おまえたちを全滅させてくれる、と、物騒な啖呵を切った。
それがどこまで功を奏したのかわからぬが、ドワーフたちは、ひそひそやりだして、結局、趙雲の金貨で納得することにしたようだ。
そして、商品を受け取ったのであるが、子龍は、きちんとわたしに合うかどうかを確かめるため、わたしに腕輪をつけた。
腕輪は、とてもなめらかに研磨された、美しい銀の、あちこちに象嵌と七宝焼きの施された、凝ったものであった。
あまり貴金属に凝る趣味はないが、これは見ているだけでうれしくなってしまうような、職人芸の集大成。
いや、芸術と呼んでさしつかえなかろう。美術館級だ。
子龍は、あまりぼやく男ではないから、何回ローンになったのかはわからないが、わたしのために、高い買い物をしてくれたということだけはわかる。うれしくて、鼻につんと来た。
といっても、腕輪の大きさは、成人男性の腕まわりほどある大きなものである。フラフープが出来てしまうよと思っていると、わたしの腕の大きさに合わせ、腕輪は、自然に小さくなり、わたしの腕にちょうどよく収まった。

腕にきらきらと銀の腕輪が光る。
うれしくて陽に輝かせていると、ドワーフが子龍にこんなことを言った。
「しかし、なかなか豪気な御仁だ。たしかに、この腕輪があれば、ペットも一緒に召喚先に連れて行くことができますが、召喚に耐えられるのは、往復三回までで、あとは、腕輪は壊れてしまう。たった三回のために、こんな大きな買い物をなさるとは」
なんと、これは霊具であったか。
たしかに、汎世界を移動するのは、アトラ・ハシースかアストラルなどの霊的存在に限られる。
この腕輪は、一時的に装着者を、アストラルと同じ状態にしてくれる霊具なのだ。どれだけの霊力が籠められているのだろう。
こんなに綺麗なのに、壊してしまうなんて勿体ない。
たしかに豪気だな、子龍…そんなにわたしが好きか。よしよし。

「なにやら、うさぎが納得して頷いておりますな」
「ああ、こいつはヒトの話がわかるのだ。とんでもない悪戯者だから、置いていくのが心配でならぬ」
言葉ではけなすものの、なにやらうれしそうな顔をして、わたしの頭をぐりぐりと撫でる子龍。
耳が震える、耳が。
「ペットホテルも経営してございますよ」
「大人しくしているとは思えぬ。なにせ、指が五本あるゆえ、知らない間にケージを開けてしまうのだ」
それを聞いて、ドワーフたちが、それは珍しいと寄ってきて、いつものとおりの見世物状態。
見られることには慣れているから、まあ、よいが。
ほれ、にぎにぎ。
「奇妙な。指だけがまるで赤子のようだ。ヒトの話もわかるとなれば、これは、うさぎではないのではありませんか」
「では、なんだと思う?」
子龍に問われて、答えられるものはいなかった。
それはそうであろう。答えられた者がいたなら、その者にアトラ・ハシース認定おりこうで賞を与えよう。

そうして、最初はなにやら剣呑な空気であったが、最後は、わたしの愛らしさが効果を呼んで、わたしたちは朗らかな気分でドワーフの森を後にしたのであった。


○月×■日

準備万端。仕事に行くことになった。
子龍はわたしのためのちいさな鞄を抱えて、茅の輪の封印を解いた。
肩掛けのちいさな鞄のなかには、わたしのための寝袋、齧り木、うさ夢ガイド、そしてわたし自身が入る。
エサと水は現地調達だ。まあ、基本だな。

さっそく召喚されてみれば、目の前に広がる光景は、なんとも緑豊かな森。
木々に茂る葉の種類が、大作りで色が派手なところからみて、南国はまちがいない。
なんだって、南半球の動植物は、北のそれとちがって、どれもこれも形に特長があって、色も鮮やかなのだろう。自然が元気な証拠だろうか。
見上げれば、木々のあいだに見えるは、突き抜けるような蒼い空。飛び交うのは極楽鳥。
もしや、ハワイ?
だったら、パイナップルもなかを土産に買おうと、うきうきしながら、子龍と一緒に森を行く。
鬱蒼としげる木々の枝のあいだから、木漏れ日がさんさんと降り注いで心地よい。

子龍はアストラルであるから、召喚先では受肉しない。
わたしも腕輪の影響で、同じ状態になっているようだ。
肉体を纏っていないものの、我らに五感はきちんとある。
あるとはいっても、只人とちがって、コントロールすることが可能だから、五感に左右されて判断を狂わせるようなことがない。
とことん任務遂行に便利なように、体が出来上がっているのが、アストラルなのだ。
わたしは五感を解放して、南国の気温を体感したが……

……毛皮を脱ぎたい。蒸れそうだ。

ハワイって、こんなに暑いのか? 
五感を閉じて、しばらく行くと、目の前に、素朴な木の建物があった。
ちょうど黄土色の看板が立っている。
読めないな、不便だ。
しかし、鼻がひくひくと、特長のあるスパイスの香りを嗅ぎ分ける。
むむ、これは、なぜハワイに?
子龍は、
「俺を召喚したアトラ・ハシースが、あそこにいるはずだ」
といって、店のなかに入って行った。
そういえば、まだだれが召喚してくれたのか、知らなかったな。
どんな人物であろうか。
しかし惜しいことだ。もし、わたしが、馬超から移された呪詛で変化したうさぎであれば、アトラ・ハシースに頼めば、呪詛の解除が可能であったかもしれぬ。
しかし、事態は変わった。
『ごきぶりでバルさん』の成分で、わたしの呪詛は一度解けたのであるが、仲達めが、わたしに再度呪詛をかけてしまった。
しかも、その解除呪文が『戻してください、親友の仲達さん』。
口が裂けても、そんな言葉を口にするものか。
こうなれば、仲達に再会し、スペルの変更をしてもらうしかない。
なんたる不運。かえすがえすも、仲達め!

店の中は、なんとも素朴なつくりをしており、棕櫚の葉を重ねた屋根に、台風がきたら、あっというまに吹き飛んでしまいそうな木の壁にかこまれ、古ぼけた、形もまちまちなテーブルが、雑然とならべられている。
店の奥には、疲れた顔をした、髯もじゃの東洋人が、日本の高度成長期に大量生産されたふるい型式のラジオに、ぼーっと耳を傾けている。
見るからに、バックパッカーがそのまま現地にいついて、とりあえず細々と商売をやっている、というふうではないか。
店の客は数名おり、どれも褐色の肌をした、目鼻立ちのくっきりしたインド人である。インド人の、貝にも似た白目の美しさにはは、特長があるな。
しかし、彼らが汗をかきつつ食しているのはカレーうどん。
店主は日本人か。
でもって、ハワイじゃないのだな。
インド人がハワイへきて、カレーうどんを食べているなんて、考えられないもの。
それにラジオの音声、英語ではないしな。
なんだ、パイナップルもなかは、おあずけか…

われらを召喚した男は、こちらに背を向けている小男で、うどんの丼は脇によけて、なにやら書き物をしている。
「召喚によって臨界した、趙子龍だ。久しぶりだな」
と、子龍が声を掛けると、小男は振り返った。

わたしの目が思わず三角に尖ったことを、告白しなければならぬであろう。
振り返ったその小男は、なにかと因縁深い曹操の子・曹丕であった。
司馬仲達のあとは、こいつか。
続くときというのは、ほんとうに続くな。
あえて個人的感情をあらわにして言うならば、腹の立つことに、曹操・曹丕・曹植の三人は、中国の文学史に大いに貢献したとして、そろってアトラ・ハシースになったのだ。
最高府の基準は本当にわからぬ。
曹操は、わたしは当然だと思っている。
それに、治世の能臣、乱世の奸雄という評価は、まったくその通りであったらしく、なんと、アトラ・ハシースになってから、曹操はころりと人が変わったのだ。
あれほど悪名を世に知らしめた男が、しがらみがなくなったとたんに、人のために尽くしまくっている。
曹操は、いまやアトラ・ハシースの見本みたいな「いいおじさん」になってしまったのだ。その変身ぶりは徹底しており、逆に好感が持てる。
時代の所為にしたくはないけれど、能力が高ければ高いほど、その生き方の振りは大きく変わるものなのだよ。
わたしだって、主公の軍師になったあとに、趙子龍をはじめとする、さまざまな人間との出会いがなければ、どんなふうに後世に名を残していたか、わからないもの。
人は、環境に左右される動物なのだ。
にしても、塔の一階にあるロビーで、疲れてうとうとしかけていたら、曹操がいきなり
「お疲れでしょう、諸葛亮さん」
などと言いながら肩を揉んできたときには、どう対処したらよいのか、わからなかったけれど。
そのあと?
普通に談笑して終わった。
とはいえ、一分が、一日にも感じられるような、緊迫した時間だったな。

曹操はともかく、曹丕であるが、これは父の良いところを受け継がなかったらしく、あまり仕事をしないアトラ・ハシースである。
ゆえに、父子でありながら、同じ塔に住んでいても、階数にかなりの差があるそうな。
この男ときたら、仕事をしないで、詩ばっかり作っているのだ。
弟のほうも、たしかに詩ばっかり作っているが、生前の反動か、活発にあちこちに率先して出かけ、その才能を生かして、汎世界に美を与える仕事を多く請けている。
生前の反動以外にも、兄に対する対抗意識があるという話だが、くわしくはわたしも知らぬ。

「そうか、貴殿が後任か」
と、曹丕は、眉をしかめて筆をおいた。
そして、やおらポケットより宝石を無造作に取り出すと、ほれ、と犬にエサを与える感覚で、ぱらぱらと床に放り投げた。
こういうところがね、よくアトラ・ハシースになれたな、と。

仲達によれば、まえまえから屈折した男であったが、アトラ・ハシースになってから、弟と立場が逆転気味なので、ますます屈折してしまったのだとか。
それならば、おまえが昔のように補佐してやれといったなら、仲達めは首をぐりんぐりんと180度振って、
「出来ぬ、そればかりはごめん蒙りたてまつる。というか、堕天したほうがマシ」
と、はげしい拒絶反応を見せたのだった。
あやつの周囲も問題が多いのう。

店の者たちに、霊体となっている我らの姿は見えていない。
だから、曹丕がぶつぶつ独り言をいいながら、ポケットから宝石をテーブルに投げた形となるのだが、カレーうどんをすする彼らは、他人のことに関心がないのか、それともカレーうどんに怪しい物質でも入って、良い加減なのか、まったくこちらを見ようとしない。
ラジオから流れる、音楽か祈祷の詠唱かわからぬ独特の調べが、妙にこのたゆんだ空気に似合っている。
陰気な店だが、不思議と居心地はいい。
溶けるような気候のなかにあればこその、癒しの空間ともいうべきか。
あまり万人にお奨めできる場ではないが、ふにゃりとした雰囲気にいると、なにも考えられなくなることは請け合おう。

宝石を放り投げられても、子龍は簡単にそれを拾わず、あくまで冷徹に尋ねた。
「召喚されたアトラ・ハシースや、アストラルが、ことごとく任務を果たす前に帰ってきてしまうという話を聞いた。もしや、貴殿も任務を投げようとしているのか」
基本的に、召喚されたらば、任務を請け負うのが、われらの不文律のルールだ。
むやみやたらに召喚されているわけではなく、ちゃんとその能力が必要とされているから、召喚されるのだからな。
趙雲の声に、曹丕は、初めて口を利いた。
「己の力が必要とされたから召喚されたのだ、などと、気負わぬことだな。これは余からの忠告だ。貴様を召喚したのは、あの諸葛亮に耐えていられる貴様なら、もしや任務を達成できるかもしれぬと思ったからだ」
なんたる嫌味。怒れ、子龍、うさぎたる我の代わりに!
しかし、子龍は、
「それほどに気難しい任務なのか」
と、眉根を寄せた。
わたしは、世間ではどういう基準として扱われているのだ。傷つくな…
「いや、仕事自体は、我らにとっては単純なものだ。ある洞窟に、修行僧が住んでいたのだが、これがどういうわけか、その器にも足らぬというのに、アトラ・ハシースをも凌ぐ霊力を持ってしまい、里の者に禍をもたらしているのだ。
通常であれば、ここでその世界の英雄が登場し、めでたく悪者を退治する、ということなのだが、今回は、相手が強すぎる。そこで、アトラ・ハシースとアストラルが、修行僧を封印することになったのだ。ところが」
ここで曹丕は言葉を切り、苦虫を奥歯でごりごりと踏み潰しているような顔をして、言った。
「修行僧が強い。どうしてそんなに強いのか、わからぬほどに強いのだ。我らが手も足も出ないのだからな。それに、戦う環境としては劣悪だ。先に言っておくが、召喚先のヴァルキューレは鬼子母神だ」
「なんだと」
子龍の声が引っくり返る。
おや、なにか嫌な思い出でもあるのか。
わたしは、残念ながら、鬼子母神に呼ばれたことがないのだよ。
「覚悟していけ。余のほかにも三桁におよぶアトラ・ハシース、アストラルが召喚されたのだが、本来の目的にたどり着く前に、逃げ出すようにして戻っていってしまった。
余は、あのような半端なヴァルキューレになぞ、従うことはできぬからな、戦いは参加せず、ここで高みの見物を決めさせてもらう。その宝石は、勝手にもっていくがいい。霊力をこめておいた」
「高みの見物とは、よい身分だな」
と、子龍も応じつつ、テーブルの上の宝石を手に取った。

霊力は、曹丕の言葉どおり、きちんと込められているらしく、子龍が手に取ると、50センチはある光の柱が立った。
この色と光の勢いで、霊力の質が測れるわけであるが、さすが仕事をしないアトラ・ハシースのものだけあって、いまひとつ勢いが足りない。
これならば、石から霊力を抽出し、己の手に似合う武器を錬成するだけで、まるまる一個の石を消費してしまうだろう。
石の数は三つ。
つまり、一個は武器用、のこり二つのうち、一個が活動用、もう一個が保険用というわけだ。
洞窟に籠もった、アトラ・ハシース並みにつよい男を退治するのに、石が三個というのは少ない。
わたしが召喚したのならば、武器はすでに錬成した状態で渡すのに。
気遣いが足りぬぞ。せめてもうニ、三個用意すべきだろう。

「石は、それ以上は出せぬ。それでなんとかやりくりするがいい。余の霊力は、すべておまえの仲間のために使われてしまっているのだ」
意味のつかめぬ言葉に、趙雲が眉根を寄せ、曹丕が書いている紙を覗き込む。
わたしは文字が読めなくなってしまっているから、子龍の脇に抱えたうさ袋から、頭だけだして、大人しくしている。
すると、ハシシュでも吸っているのかというくらいに、どんよりした目をした曹丕が、わたしと目が合うと、怒りのこもった目を向けてきた。おや、わたしだとわかるのかな。
「蜀の連中は、一人一匹うさぎを飼うことが義務にでもなったのか」
うさぎの数え方は一羽だぞ。
うぷ。それに、なんだ、こいつの息の、この臭い。
ハシシュごときでアトラ・ハシースが酩酊状態になるとも思えぬ。
こやつ、よくない薬にはまっているのではあるまいな。堕天するぞ。

紙を読んでいた子龍が、呆れたように言った。
「馬超のためのダンス曲の歌詞? なぜに貴殿が用意しているのだ。あいつは、いまだに曹一族への恨みを忘れておらぬぞ。貴殿が作ったものだと知ったら、踊るまい」
「仕方あるまい、最高府の依頼なのだ。やつが、チャップリンの主催する難民キャンプ慰問で、大人気を博したことは知っているだろう。
これに目をつけた最高府が、最重要地域に指定した世界の慰問に、馬超を派遣することに決めたのだ」
「最重要地域だと? たしか人類が消滅したという噂の地域だな。もはや世界とも呼べぬような、器だけが残された形骸の世界だと聞いたが」

それはおかしい話だな。
人類が消滅したということは、その世界だけ、突然変異のように、汎世界のひとつの様相がかわってしまって、流行り病が世界中にひろがってしまったとか、あるいは止める間もなく壊滅的な世界戦争が起こってしまった、とかいう場合だろう。
どうしてそうなってしまうのかはわからないのだが、たまにひとつの世界で、突発的に大きな悲劇が起こる。
この場合、どうするかといえば、汎世界のなかから、その世界だけを切り離してしまうのだ。
汎世界というものは、たがいに連鎖して、影響を及ぼしあうものだから、人類が消滅した世界なんぞは、放置しておいたら、大変なことになる。

「住人は消滅したというのは、正しくない。全滅していないのだ。生き残った人類は、戦争をしているようなのだが、これまた奇妙なことに、戦争を支援しているのが、ほかでもない最高府だという」
「最高府主導の戦争だと? では、敵は何者なのだ?」
最高府の敵だなんて、想像するのも嫌なのだが……まさかな。

真面目に考え込んでいると、不意に、耳をぐいっと掴まれた。
ぎゃあ、痛い!
まるで土から人参を引っこ抜くような無造作さで、曹丕は、うさ袋から頭だけを出していたわたしを、片手で引っこ抜いた。
そうして、わたしをカレーうどんの丼の横に置く。
耳が、耳が抜けるかと思った。ちゃんと付いているだろうな、千切れかけていないだろうな。
耳を懸命に触って、傷がないか確かめていると、心無いアトラ・ハシースは、けらけらと笑いながら、
「これはいい。うさぎの耳に関する詩を書こう。ほれ、もっとなにか面白いことをしてみせろ」
と、手にしたペンでもって、わたしを突いてくる。
うわ、これはやはり、ろくでもないものを飲んでおるな。
そんなことしたところで、詩の女神は降りてこないぞ。
抗議の意味をこめて、足でだんだんと卓を叩いても、ぜんぜん利きやしない。
わたしは、もぐらたたきの要領で、突き出されるペンを、バシバシとはたきつづけた。気分はすっかりアタッカー。

「やめろ! もなかには、芸などできぬ」
「もなかという名前なのか。貴殿にしては可愛らしいな。芸ができぬというのは愛玩動物として情けないぞ」
などと曹丕は笑いつつ、ペン先をわたしのほうに向けてくる。
不吉な予感に襲われ、わたしは逃げようとしたものの、曹丕の手が伸びてくるほうが早かった。
「余の才能を分けてやろう」
いらぬ。あり余っておるわ。
そんな声が聞こえるはずもなく、曹丕は、わたしの肩耳をぐいっと掴み、その裏に、ボールペンでもって、なにやら、さらさらと書いている。
イテテテ! ボールペンの先の感触も痛かったし、耳を掴まれていることも痛い!
痛みにのたうちまわりつつも、狼藉を働かされた耳の裏を確かめてみれば、なんと「子桓」と書かれているではないか。
なんだ、この悪趣味な冗談は! 
これでは、ファンが熱狂のあまり、名前をタトゥーにして彫りこんだみたいではないか。
わたしは貴様のファンではないぞ! いや、むしろ敵だ! 

「いい加減にしろ! 人のうさぎに、なんと心のないことをする!」
口の利けないわたしのかわりに、子龍が怒鳴ってくれた。
わたしはおおいに拍手するものの、曹丕めは悪びれず言う。
「おや、アトラ・ハシースたる余に逆らうつもりか。ここで戦っても良いのだぞ。そのかわり、貴殿の霊力が、だれから発せられるのかを考えるのだな」
高らかに笑う曹丕に、子龍はめずらしく顔を上気させて、はげしく睨みつけている。

とはいえ、アトラ・ハシースとアストラルとでは、悲しい話であるが、龍と亀が戦うようなものなのだ。
アストラル側に、別のアトラ・ハシースのバックアップがあるというのならば、話は違うのだが、召喚したアトラ・ハシースに、召喚されたアストラルは敵わないのである。
なにせ活動の源が、召喚したアトラ・ハシースに拠るのだから。

ならば、わたしが立つしかあるまい。
わたしの頭の中の復讐スイッチが、がちりと音をたてて、起動をはじめる。
仲達よ、おまえと曹丕、超ソックリ。

わたしはすっくと立ち上がると、ちょうど目の前で、わたしに背を向けている曹丕の姿を見た。
そして、わたしの横には、すっかり冷めてはいるものの、まだ残りの十分にあるカレーうどんの丼。
口は、子龍を愚弄するので忙しそうだな。
ならば、背中の口に、カレーうどんを食わしてくれようぞ!

わたしはカレーうどんの丼を、ずるずると押して、テーブルの際まで運んでくると、曹丕の襟足をぐっと掴み、カレーうどんを背中と衣のあいだに、ざばりと注ぎいれた。
たんとめしあがれ。
曹丕は、最初、何が起こったのか、気づかなかったようである。
しばらく、にゅるりとした感触に、びくりと身を震わせて、勢いよく立ち上がった。
「な、なんだ? 余の背中に、ぐにゃりとした嫌な感触が! もしや、ヒル?」
うどん。
「いっやあぁー! ナニコレ! ちょっと、とって、ヒル、何匹いるのだ、これはぁ! ぎゃあ、気持ち悪い、カレーのにおいがするヒルが、背中に、ねえ、ちょっと!」
背中に這うヒル(うどん)を取ろうと、もがく曹丕であるが、運動不足らしく、背中に回す手が、ほとんど届いていない。
踊れ、踊れ、うどんに踊れ!
爆竹のようにくるくるカレーうどんの店の中を動き回るのだが、ほかの客はもとより、店主はまったく反応ない………店主、生きているよな?
それはともかく、曹丕のやつめ、すっかり混乱しているようだが、霊力で取ればいいだろう、うどん。
やっぱり薬物は、ダメ、絶対。
その服、カレーが沁みこんでいるから、染み取りを注文せねば、もう着られまい。クリーニング代は、あとでつけといて。

ぐるぐるともがく曹丕をよそに、子龍は、わたしの背中の皮をつまんでうさ袋に回収する。
どうやら、わたしがなにをしたか、一部始終を見ていたらしい。
子龍にしてはめずらしいことに、にやりと、悪戯小僧のように、わたしに笑いかけてきた。
わたしも嬉しくなって、その笑みに笑い返す。
とはいえ、うさぎの表情はいまひとつ判りづらいだろうけれど。
伝わったかな。伝わったなら、いいな。
我らは、たとえ姿が変わろうと、ずっと運命共同体なのだ。

「ああ、行かないで趙子龍! ヒル取って! たーのーむー!」
と、悲惨な声が聞こえてきたが、われらは無視して、うどん店をあとにしたのであった。
※復讐スイッチ内蔵うさぎの活躍(?)は、まだまだつづく…。次回、「司馬チュウ、元気でチュウ!」につづく(うそです。タイトルちがいます)

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