うさぎが観察日記・3
〜ごきぶり戦争・後編〜

※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」「うさぎが観察日記2」「うさぎが観察日記3・前編」の続きとなります。
○月□○日

子龍の家には、白の木柵にかこわれた、ちいさな庭がある。
召喚がつづいていたせいで、庭の雑草が伸び放題に伸びているというので、外にでて草刈をおこなうことになった。わたしも一緒に外に出て、手伝っていたのだが、途中で季節外れのオオカマキリと遭遇。
この感じのわるい虫は、これみよがしに鎌で威嚇してきたので、こちらもカマキリ拳で対抗し、戦っていたら、怒られてケージに戻された。

○月□△日

ふと思い立ち、家庭用ラップの耐久性のテストをすることにした。
ゴミ箱にラップを張り、トランポリン状態にして、どれくらいでラップが裂けるのか、実験をしていたところ、ヤワなラップは、ものの数回も保たず大破。
おかげでゴミ箱に頭から突っ込み、足だけ出して苦しんでいるところを子龍に救われた。
また怒られてケージに戻された。

○月××日
部屋の隅っこに入り込んで探検をしていたら、そうとは知らずに掃除機をかけていた子龍の掃除機に詰まる。
またも大量に毛を吸われて、禿げ。
あやうくオロナインの代わりにタイガーバウムを塗られそうになり、必死の抵抗を試みる。
怒りたいのはこちらであるが、なぜだか、またまた怒られた。不条理だ。

○月□×日

たいくつなので、独自に開発した新ルールで、だるまさんがころんだをして遊ぶことにした。
遊びかた。
台所とリビングの間にある備え付けの机にあるパソコンにむかって、調べ物をしている子龍の背後より、1Mうしろに立つ。
ポーズをとり、気づかれなかったら、成功として、三歩前に進む。
もし振り返えられてしまったら、何食わぬ顔をしてとぼけてみる。子龍が不審に思わねば、よしとする。
さらにポーズをとり、気づかれなかったら三歩前に進むをくりかえす。
最終的に、オーク材の椅子に腰掛けている子龍の左足に触れる。
すると、こちらが遊んでいることに気づいた子龍が、ケージに入れようと追いかけてくるので、この追撃を一分間かわしたら、こちらの勝利である。
褒美はなにもないが、達成感は保証つきだ。運動不足の解消にもなる。
さてはて、新ルールにおける『だるまさんがころんだ』開始。
1ポーズ目。
シャドーボクシングをしてみる。ジャブ、ジャブ、フック!
子龍が振り向く。
両手をだらりと下げて、ちょこんと立って、あくまで表情はきょとんとし、つぶらな瞳で見上げて、首をかしげてみせる。これがふつうのポーズである。
子龍が、不審はないと判断し、パソコンに顔を戻す。成功である。三歩すすむ。
2ポーズ目。
逆立ちをしてみる。ほっ。
子龍が振り向く。ふつうのポーズ。
子龍がまたパソコンに顔を戻す。む、なにやら首をひねっているな。慎重にいかねばなるまい。三歩すすむ。
3ポーズ目。
太極拳をしてみる。
子龍が振り向く。ふつうのポーズ。
子龍がパソコンに……顔を戻さないな。
立ち上がると、こちらにやってきて、猫の子にするように、背中の皮を掴んで、持ち上げた。
耳をつかまれるよりは痛くないけれど、足元になにもないこの不安定さ。下ろしてくれい。
「もなか、おまえ、俺が見ていないとき、後ろでなにかやっていないか?」
ううむ、なぜに三ポーズ以上つづかないのだろう。
敏感なやつめ。優秀だと誉めるべきか。いまのところ連敗だ。
「暇そうだな。まったく、ケージに入れても、指があるから、簡単に錠を開けてしまうし」
背中の皮がね、びよーんと、伸びてきて、ちと困るのだよ。大人しく負けを認めるから、床に下ろしてくれないかな。
わたしをじっと見ていた子龍は、不意に笑って、言った。
「そうだな、俺も暇だからな、俺の暇が移ったのだろう」
仕事に行けばよいのに。よい子に留守番しているよ。
もう壁に落書きしたり、ゴミ箱に突っ込んだり、庭の凍った水溜りでスケートしたりしないから。
「孔明のやつが戻ってこないかぎりは、どうにも動けぬからな」
ああ、わたし待ちであったのか。
いい提案があるぞ。あなたが摘んでいるうさぎ、それがお探しの孔明だと気づけば、退屈は瞬時に吹っ飛ぶのだがね。
「暇ならば、おまえに選ばせるか」
と、言って、子龍はわたしをパソコンの脇に連れて行くと、自分は画面を操作しはじめた。

我らアトラ・ハシースやアストラルの使用するパソコンとは、名称は同じではあるが、基本世界などで使用される、マウスやキーボードを利用したパソコンとはちがう。
手元にある水晶に霊力でもって、おのれのイメージを投影させ、それに応じてパソコンが望む情報を自然に浮かび上がらせるという、パーソナルコンピュータというよりは、魔法の鏡のようなものだ。

画面にあらわれた文字は、あいかわらず読めないけれども、画像は見て判断することができる。
おや? 指輪?
画面には、金属のリングの画像があった。
造形はまちまちで、リングに、細かい装飾が描き込まれているものや、リング自体が、炎を象った形になっているもの、宝玉がちりばめられているもの、単純に、なんの装飾もなく、卵のように美しく研磨されているものもある。
字が読めないので、指輪なのか、腕輪なのか、判然としないのだが、まさか、結婚指輪…などということはない、よな?
「おまえの色が白とブルーだからな。金は浮くだろうし、おまえみたいな悪戯者は、宝石つきなんぞ持たせたら、すぐに壊すだろうしな」
おや、わたしのものであったか。首輪? どうぶつにやさしい子龍が、金属の首輪なんぞさせないか。見た目はともかく、肩が凝ってしまうもの。
あ、これがいいな。銀に七宝焼きが施されているの。
色彩が美しいし、銀ならば、わたしの毛皮にぴったりだし、なにより、漢族ならば、金より銀だ。確定!
「あっ!」
わたしが水晶に足を乗せると、画面からなんとも陽気なポルカが聞こえてきて、アニメーションでドワーフたちが踊っている。
一方の子龍はというと、唖然と画面を眺めている。
あれ、なにかしてしまっただろうか?
「よりによって、一番高いもの…何回ローンだ、これ…」
ローン? はて、供給所のHPではなかったのか。
「リボルビング払いで頼むしかないか。しかし、ドワーフの職人ギルドといえば、がめついので有名だ。あいつら掛売りを嫌がるというし、なにか質に取られる可能性があるな」
なんと、ドワーフの職人ギルドの通販HPであったか。うん、たしかにがめついぞ。
「注文のキャンセルは受け付けておりません。いつもニコニコ公正取引……キャンセルもできぬか。仕方ない。やはり仕事を請けて、外貨を稼ぐしかないな」

この場合、外貨とは、下宿先以外の世界で使われている金のことであるが、下宿先に置いて、紙幣や硬貨に価値があるはずもなく、我らのなかで外貨といえば、そのものずばり、宝石や黄金など、換金性が高い鉱物のことである。
アトラ・ハシースやアストラルが、いかに強い霊力をふるうことが可能だとはいえ、その任務によっては、その世界で使用される金が必要になることがある。
その事態に備えるため、アトラ・ハシースやアストラル自らが、ヴァルキューレの仕事以外に、普通の人間にまぎれて仕事をすることがある。
そうして、ある程度の資金を稼いで、要領のいいものは、投資や株式売買などで増やしているそうである。
とはいえ、堕天防止のために、アトラ・ハシースやアストラル間での、外貨の賃貸は、基本として禁止だ。
とはいえ、裏でこっそり破っている者も多いそうだ。
わたしなぞは、子龍が知らない間に用意してくれたものを使っている。
てっきり、受肉しているときにアルバイトをして稼いできてくれたものだと信じていたのだが、もしかして、ちがうの?

「商品は、一回目のお支払い後にお渡しいたします、か。直接、一回目の支払いをして、商品をもらってくることにしよう。もなか、出かけようか」
と、思い立ったら実行のひと、趙子龍は、椅子から立ち上がった。
そして、うむ、と考え込む。
「うさぎを外に出す時は、どうするのであったかな」
子龍はわたしを床に下ろして、彼にとっての虎の巻、『うさ夢ガイド』を取り出すと、付箋をはっている部分を読み出した。
「たまには、うさぎを外に連れて行ってあげましょう。人の多い公園などは、他のペットもいますので、注意が必要。うさぎは最高時速40キロで走ることができます。ちょっとした隙に逃げてしまうこともありますので、お散歩は、ハーネスなどをつけてあげましょう……ハーネスか。貰ってきていないな」
ハーネス? 嫌だよ、あんな背筋矯正ベルトみたいに、脇がこそばゆいもの。
「他のペット、とくに犬をお散歩させている公園では、どうぶつ同士で喧嘩がおこる場合もあります。鉢合わせする危険を回避するためにも、サークルを広げて、そのなかで遊ばせてあげるのがよいでしょう……向かう先は公園ではないから、よいか。森に逃げないように紐で繋ぐことにしよう」
と、言って、子龍は納戸より、なんと普通のビニール紐の束を取り出した。
そんなもので繋がれたら、痛いです、趙将軍。
「これでは、あんまりか」
気づいてくれて良かったよ。森になんて逃げたりしないから、安心してくれ。
ちなみに、ドワーフの職人ギルドは、深い森の奥に、なかなか派手な看板を掲げて、ぽつりとある。なんとも矛盾した佇まいをみせているのだ。

「俺たちが留守のあいだに、孔明が戻ってこないとよいな」
戻っているよ。
しかし、これほど孔明、孔明と気にしてくれているとは、嬉しいのだけれど、けれどさ、どうして、もなか=孔明と気づかないかね。
不信感は抱かぬけれど、ちと寂しいぞ、わたしは。
「馬孟起の車を借りたいところだが、めずらしく職務に励んで、まったく帰ってこないから、仕方ない、自転車でいいか」
そういえば、玄関先に自転車が置いてあったな。勤労学生が新聞配達に愛用していそうながっちりしたデザインの、頑丈なもの。
あれでいつも移動をしているのだよな。
たしかに馬力はありそうだったけれど。こういうところが、常に人の目を意識して、小物にまで気を遣って格好つける馬超との違いだろうな。
実用重視なところは、らしいといえばらしいけれど、色気がないのは変わらないというか、なんというか。安心するところでもあるけれど。
「自転車となると、テントの持ち運びはできないから、日帰りになるが、ちょっとした気晴らしにはなるだろうよ。そうと決まれば、出かける準備をしよう」
と、つねに何があろうと移動の準備を怠っていない子龍は、物置よりナイロンのリュックを持ち出してくると、脇のポケットにわたしが入るかどうかをたしかめてから、台所に行って、食糧を詰め込みはじめた。
遊びに行くわけか。うさぎの身になってから、中央都市の外に出るのは、はじめてだな。
「そうだ、ついでに『ごきぶりでバルさん』を焚いていくか」
子龍はリュックに荷物を詰め込み終わると、引き出しにしまってあった『ごきぶりでバルさん』を取り出し、わたしのそばで胡坐をかくと、その白い缶の、操作方法を確認している。
「なになに、『使用方法は簡単です。缶の上部にあるタグをひっぱるだけで、『バルさん』は点火します。シュボッ、と音がしますので、その音を合図に、一目散に逃げてください』」
だれが書いているのだ、その説明書き。
「さて、もなかも準備がよいようだな。俺のリュックに、おまえの入れるスペースを作っておいたから、自転車に乗っているときは、そこで大人しくしているのだぞ。
自転車に酔ったり、ほかに我慢のならぬことがあったりしたなら、俺の背中を蹴って報せること。わかるな?」
どうぶつにも気遣いのひと、趙子龍。わかったよ。いい子にしているよ。わたしがこくりと頷くと、趙雲は、よしよし、いい子だと笑って、頭をぐりぐりと撫でてくれた。

さて、出かけるか、という段になり、だれかが呼び鈴を鳴らしている。
趙雲は、意外そうな顔をして、珍しいな、とつぶやきながら、立ち上がって、応対に出た。
だれであろう。
主公は、この間、わたしを見て、なにか気づかれたようだから、主公だといいな。
玄関が開いて、だれかが入ってきたようだ
。だれかなと期待して顔を上げれば、そこには……意外すぎる人物が、囲碁盤を手に、立っていた。
司馬仲達である。
いや、人物も意外だが、なんだ、その囲碁セット。手土産か。

「諸葛亮の行方を、貴殿も知らぬか。となれば、これは本格的に行方不明ということだぞ。なにせ、ヴァルキューレが召喚しても、応答がいっさいなかったというのだからな」
と、仲達めは子龍に、なにやら親しげに話をしている。
その内容もおどろきだが、そのなんとも仲間っぽい口調に、もっとおどろきだ。
いつ、友達になったのさ。説明を求めたい。いますぐ清聴したい。ねえねえ。
わたしが子龍のズボンの裾をつんと突くと、子龍は、わたしを抱きかかえて、
「すまんな。客だ。すこし待ってくれ」
と言った。

客…司馬仲達が? 晋の建国に貢献したとかいう理由で、仲達も、わたしと同じアトラ・ハシースになったのだ。人が懸命に建てた国を滅ぼしといて、貢献はなかろうと思うのだが、最高府の基準はよくわからぬ。
司馬仲達は、いつも愛用している、金の長老杉の枝でつくったという囲碁盤を手に、顔をしかめている。
つくづく…子龍と同じ歳のくせして、老人の姿をとるのが好きだよな。
若い頃は、その甘い顔立ちが、武将たちに舐められてしまい、困ったことがあったので、老人の姿のほうがいいと言っていたことがあったけれど、本当であろうか。むかしはマスコミというものがなかったから、わたしは若い頃の仲達を知らないのだ。
いまは、なんだか話のわかりそうな、垂れ目の愉快そうな好々爺というところだが、周知のとおり、この者は、とんでもない曲者なのだ。
なにせ、千の仮面をもつ男だからな。ボケ老人の振りをして、相手を油断させ、クーデターを成功させるなんぞ、普通の神経ではない。おそろしい子! というか、出て行け。

「塔にもおらぬし、イーさんも行方を知らぬという。どこぞへ一人で出かけているとしても、ヴァルキューレが召喚しても応答がない、というのは異常だ。なんらかの妨害が入っているのだろう」
「ヴァルキューレの召喚を妨害できるなぞ、ただの妨害ではないぞ。おかしいな。ほかに召喚されているわけでもないのに」
目の前にいるのだけれどねぇ。

しかし、ヴァルキューレの召喚すらも妨害してしまうとは、ウトナピシュテムの呪詛がそれだけ強烈ということだろうな。
伊達にアトラ・ハシースの始祖、生命の始めの名は名乗っておらぬということか。
とはいえ、解けない呪いは、基本的にはない。
すべての呪いは、解除方法があるものだ。
もし、解けない呪いがあるとしたら、それはもはや、呪いなどではなく、違う形に作り直してしまった、ということになる。
つまりは、創造主とおなじ業をしたことになるのだ。
創造型アトラ・ハシースも、完全なる者も、命を作り出す、ということはできない。たとえば創造型アトラ・ハシースが擬似的に人間を作っても、それはあくまで生命の模倣であり、ひどく短命か、でなければ、致命的な欠陥があるものだ。
普通に、人として生をまっとうすることは不可能だ。
最高府の優秀な頭脳が集ってさえも、ゴーレムのように、いびつな擬似生命しか作れない。
どんなに霊力のつよいものでも、創造主と同等の力を揮うことはできないのだ。
それは、ウトナピシュテムとて同じである。人を人として、まったくちがうものに作り直すなど、出来ないのだ。

であるから、わたしのうさぎ状態も、いつか解除されるであろうが、解除が、いつになるかが問題だ。
子龍の家があまりに居心地がよいので、危機感が薄らいでいたが、なんだかひししと、切実な気持ちになってきたな。
とはいえ、仲達に解除をお願いするなど、ぜーったいに、ごめん蒙る。
それくらいならば、うさぎ続行でよい。
「ふん、せっかく連続33594回におよぶ囲碁勝負の白黒を、いまこそ付けてくれようと思うておったに、やつめ、逃げたのではなかろうな」
鼻でせせら笑う仲達に、子龍は眉をひそめた。
「逃げはせぬ。しかし、おまえたち、まだ勝負をつづけていたのか。えんえんと引き分けのくせして、なにが楽しい」
「仕方なかろう、やつめ、引き分けに持ち込むのがすきなのだ。思うに、わたし以外に友達がいないから、わざと引き分けばかりするのだと思う」
ははは、と笑う仲達に、わたしはうさキックをお見舞いしようと思ったが、そのまえに子龍が言った。
「同じ言葉を孔明も口にするだろうよ。おまえたちは、似ているよな。だから引き分けが続くのだ」
子龍、その発言に対し、いますぐ訂正を要求する。心の底から、即急にお願い。
それは仲達も同じであったらしく、おおいに顔をしかめてむくれる。
「なんという恐ろしい言葉であろうか。だれとだれが似ていると? まったく、蜀の者は、どいつもこいつも。五十年ともたずに滅んだ国のくせして、有名人が多いということでよい気になっているのではないか」
「良い気にはなっておらぬが」
「ふん、貴殿はよいよな、羅貫中に贔屓にされまくっておるゆえ、読者の印象もすこぶるよい。どこに行こうと歓迎されるであろう。
わたしなぞは、ひどいものだぞ。名乗ると、決まって、『ああ、あの諸葛孔明のね』と言葉を返されるのだ。諸葛孔明の、とはなんだ! わたしはヤツの付属品か?」
「文句は俺ではなく、羅貫中や、そのほかの講談師たちに言えばよかろう。ただ、俺の意見をひとこと言わせてもらうならば」
「なんだ」
「おまえの問題は、キャラだ」
「………いま、ぐっさり傷ついたぞ。どうせ悪者キャラだ、わたしは。この直言アストラルめが、いつかみておれよ」
「俺になにか仕掛けるにしても、堕天覚悟でな」

子龍を言い負かすなんて、無理だって。わたしで鍛えられているのだから。
さあ、もう用事はなかろう。仲達、ゴー・ホーム。我らは出かけるのだ。
しかし、仲達は、ここで、ごねはじめた。
「無礼なやつめ。無礼といえば、貴殿は、客に茶も用意せぬのか」
言い合っても無駄だと判断したのか、子龍は、ため息をついて、茶を用意する、と言って、台所へ向かっていく。わたしもその後を追った。
子龍、仲達なんぞ、放っておいて、出かけようよ。
子龍は、わたしの要求(といっても聞こえていないが)を無視し、冷蔵庫にしまってあった、とっておきのお茶なんぞを淹れている。
あ、それ美味しいのだよね。ここに来ると、必ず飲ませてもらえるものだ。
たしかに仲達は、舌が肥えているから、パックのお茶では、またごねるか。
「まったく、俺は、なんだって、ああいうタイプと縁があるのだろう」
などと、子龍はぶつぶつ言っている。
子龍、『ああいうタイプ』に、まさかわたしは含まれていないよね? ね?
「お茶請けがないな…これだけか」
と言って、子龍が、用意していたリュックから取り出したのは、主公がハワイ土産に持ってきてくださった(意外においしかった)『パイナップルもなか』の最後の一個! 
これは分けて食べようって、昨日決めたばかりではないか! それを仲達に?
わたしが抗議のために、足をダンダンと踏み鳴らすと、子龍は、困ったように笑った。
「好物だったのにすまないな、俺がいつかハワイに呼び出されたら、同じものを買ってきてやるから、いまは我慢してくれ」
とはいえ、俺はなぜだか南国関係には召喚されないのだよな、と子龍は、乾いた笑いをこぼした。

ああ、わたしのパイナップルもなか。
仲達は、図々しくも卓に座って、お茶をすすって、悪くないと言った後、パイナップルもなかを口にした。
とたん、顔をしかめる。
「なんとも安っぽい味よ。貴殿の舌は貧しいな。もっとマシな茶請けはないものか」
あっ、パイナップルもなかを放り出した! おまえは底意地の悪い姑か!
さすがに子龍もむっとするが、仲達は、にやりと感じの悪い笑みを浮かべ、言う。
「これが貴殿の、いや、諸葛孔明の頼みとするアストラルの接待かね。こういうときは、ひとっ走り、供給所に行って、お茶請けを貰ってくるものではないのかね。それが誠意といものだろう。これだから田舎の小国の無名の武将はいかん」

……………
いま、こう、ガチリ、とね。
わたしの頭のなかの、怒りの撃鉄が、がちりと上がってしまったよ。

「む」
仲達が、わたしのほうを見て、眉をしかめる。
「いま、うさぎの目が、豆電球のように、ピカッと光らなかったか」
「そんなうさぎがいるか。気のせいだ」
ソウ、ワタシハ、フツウノ、ウサギサン。
「貴殿が、五本指のふしぎなうさぎを可愛がっているという噂は、本当であったか。名前は」
「もなか」
「もなか? 庶民的な名だな。これ、もなか、こちらへこい」
と、仲達がわたしに手を伸ばしてきたので、わたしは、さっと後ろに飛びのいた。
「可愛くない…」
カワイクナクテ、ケッコウデス。
「おまえたち、しばらく一人と一羽で仲良くしていてくれ。俺は、お望みどおり、供給所へ茶請けを貰いに行ってくる。喧嘩をするなよ」
「うさぎ相手に喧嘩なんぞせぬ」
コチラハ、ヤルキ、マンマンデス。

というか、仲達、貴様はただでは帰さぬ。地獄を垣間見て去るがいい。
わたしの立てた作戦。
名づけて『ごきぶりと一緒にさよなら仲達大作戦』。
作戦とはこうだ。
ここに、『ごきぶりでバルさん』がある。
呑気に茶なぞすすっておる仲達めがけ、バルさんをぶつけてやるのだ。
仲達は大慌てで醜態をさらし、この家から逃げ出すことであろう。
もちろん、わたしとて無事ではすまないが、仲達が外に出るときに、一緒に外に出ればよいのだ。
そうして、逃げ帰る仲達を、おおいに笑ってやろうという作戦だ。

壁から、半身だけそっと出して様子をうかがえば、仲達はひとり、こちらに背を向けて茶を飲んでいる。
「わたしはどうしてこうなのか」
などと、一人で反省会をしているようだが、いまさら遅いのである。
賽は投げられた。よその英雄の言葉だが、まあよいわ。くらえ、『ごきぶりでバルさん』。
ファイヤー!

シュボッ。

「シュボッ?」
仲達は振り返り、ごとりと音をたてて足元に転がった缶を見下ろす。
なんであろうと、身をかがめてそれを拾い上げようとしたとたん、もくもくと、缶の上部より、真っ白い煙が立ち昇ってきたのを見て、顔から血の気を引かせる。
「も、もしやこれは、『ごきぶりでバルさん』!」
そのとおり。というか、知っているということは、貴様の家でも出たのか、ごきぶり。だらしなーい(わたしの家にも出たが、あれは窓から忍び込んできたものだ。きっとそうだ)
「いかん、逃げねば、大変なことになるぞ! 出口、出口!」
あわてておる。あわてておるぞ。
歌でも唄って見送ってやるか。

♪ いーつまでもー たえるーことなくー とーもだちでーいようー
きょーうの日はー さよーなーら まーた あーう日までー♪

「急げ、急げ、さもなくば、煙に巻かれてただではすまぬ」
「なに?」
「おや?」
ふと見下ろせば、そこには、白い毛皮に覆われたわたしの手はなく、ごくごくふつうの肌色をした手があった。
つづいて、顔や身体に触れても、同じである。
「呪詛が解除されている…そうか、『バルさん』の成分のせいだ!」
「貴様、諸葛亮、いつからここに現われた! というか、『バルさん』を投げたは、貴様の所業か!」
「黙れ、仲達、貴様が、不遜にも我が主騎を辱めたがゆえの報復なり。われの所業を責めるのであれば、先に、己が行為を恥じるがよい!」
「む。それは、たしかに悪かったと思っているが、ごふっ、煙がきつい! というか、貴様、呪詛がどうとか申しておったな、もしや、あのうさぎは、貴様であったか!」
「勘の良いところは誉めてやろう。しかし正解しても、ポイントも賞品もなにもないぞ!」
「いるか! なぜそのような事態になった! かなり探したぞ!」
「ああ、それはどうもありがとう。うれしくないけれどな!」
「こちらとて、暇だから探しただけのことだ。感謝される謂れもなし。だから、なんで、うさぎ?」
「話せば長くなるので省略するが、ともかく、うさぎの馬超に噛まれたらうさぎなのだ」
「馬超は、なぜうさぎなのだ。そこを省略したら、わけがわからぬだろうが!」
「知ってどうする! 部外者のくせに!」
「部外者……あんなに懸命に探したのに…そうか、部外者か。ふふ」
と、仲達は不気味な笑みをこぼす。
あ、まずいかも。
「晋の宣帝が命ず、友達をないがしろにするアトラ・ハシースなんぞ、またまたうさぎになってしまえ! てい!」
「またうさぎ!」
デロデロデロデロ、という、なんともおどろおどろしい効果音が鳴り響き、わたしは、ふたたび、うさぎのもなかに戻っていた。
「はははあーだ、いいざまだぞ、諸葛亮! 貴様はうさぎがお似合いだ!」
それ、けなし言葉か? 迫力全然ないし!
「神にさえ祀り上げられ、霊格もはるかに上である貴様が、なにもできないまま、うさぎ、というのは笑えるな。戻してほしければ、『戻してください、親友の仲達さん』と頼むがいい!」
絶対ヤダ。
「膝づいて頼め! というか、頼んだほうがいいよ? って、あれ、どうして頼まないのかな?」
喋れませんし。

と、そのときである。
またもや、主公ときと同じく、仲達の額に、きらきらと光の結晶が瞬いている。召喚の合図だ。冗談だろう? 
もしかして、ヴァルキューレ同士で組んで、なにか企んでおらぬか?
「あっ、いま召喚されるわけにはぁ。煙もきついし、くそっ、なんで、茅の輪以外に召喚を断る手段が、直接交渉以外ないのか!」
説明セリフをご苦労さん。
う。たしかに煙がきつくなってきた。
やがて、仲達の姿は煙の中に消え、遠くから、
「ごめーん、そんなつもりじゃー」
という声が聞こえてきた。
どんなつもりだ。戻ってこーい。

いや、もうしゃれにならないほど煙が回っている。
これは、まずいな。
呪詛をあらためて掛けなおされてしまったせいか、バルさんはわたしをうさぎから元に戻してはくれない。
いかん、このまま窒息する危険がある、なんとか、玄関へ………手足がしびれてきた。
雪山で遭難するって、こんなふうであろうか。意識が、遠のいていく………



「もなか、気づいたか!」
目を開けば、子龍が、わたしを仰向けにして、スポイトで、けんめいに水を飲ませているところであった。もなか……そうか、またうさぎか……
「よかった、密閉されていた状態であったら、まずかったかもしれぬが、仲達が、召喚される直前に、窓をあけてくれていたのが幸いしたのだろう」
と、子龍は言う。そうか、仲達め、あの煙のなかで、残されるわたしのために、窓を開けてくれたのだな。
……すこし狭量だったかもしれぬ。つぎに会うときは、すこしこちらも折れねばならぬな。
「しかし、なぜ『ごきぶりでバルさん』を焚いたのだ。やつめ、孔明並に行動が読めぬ」
だから、並列で扱うの、やめようよ。
「ごきぶりが一掃されたのは助かるが、もなか、災難だったな」
本当だよ。一瞬でも、戻れたのに、戻れたのに…おのれ仲達! 
前言撤回! やっぱり折れない!
「よしよし、泣くこともなかろう。赤ん坊をあやしているみたいだな。元気になったら、ドワーフのギルドへ行って、さっそく腕輪を貰ってこよう。あれさえあれば、俺も仕事に行ける」
あれって、指輪ではなく、腕輪であったのか。けれど、どういうこと? 
「仕事に行って、孔明を探そう。こんなことは、ついぞなかった。最高府は接触がむずかしいし、下宿先ではヴァルキューレと遭遇することは稀だ。だが、召喚先のヴァルキューレならば、なにか知っているかもしれぬ。
もなか、俺がこのあいだ、仕事を依頼された世界で、問題が起こっているらしいのだ。俺も、そこに行こうと思う。情報あつめにはちょうど良い」
字も読めぬうさぎの身だから、事態がなにもわからなくていかんよ。
でも、赤ん坊みたいにされていると、いけないことなのだろうけれど、こうしている以外のことは、どうでもよくなってきてしまう。
もうすこしだけ、具合が悪いことにしておこうかな…


司馬仲達は、召喚されたものの、非常に深い悔恨のなかにいた。
仲達は、根っからの性悪ではない。どちらかといえば、陰険な真似は好まぬのであるが、旧家に生まれて、そのサバイバル術が幼少から身にしみこんでしまった結果というか、一族を守ることにかけては、手段を選ばなかったことが、よそからは悪い印象を与えてしまったのだ。
それに、孔明の最期の対戦相手という位置もよくなかった。司馬仲達は、勝者である。勝者であるから、敗者の孔明をすこしでも輝かせるため、講談師たちや作家たちは、仲達を貶めなければならなかった。
実際の仲達は、明朗な男である。
同時代に敵味方に分かれたわけであるが、まさに天の見事な配置というべきか、二人はじつによく似ていた。
似ているからこそ近親憎悪に走るかといえば、そうではなく、33594回も囲碁の勝負をつづけたり、あるいは、なにかにかこつけて顔をあわせたりしているのは、結局のところ、友情の所為なのである。
仲達からすれば、生前は敵であったけれど、孔明は生涯の友である。同国の政敵だったものなんぞより、孔明のほうがはるかに信用できた。

「断るって言われても、困るー。っていうかぁ、たださ、ステージのうさぎのダンスが終わったら、幕間として、あなたの『びっくり人間芸』を披露してくれればいいだけなワケぇ」
と、べちゃっとした喋り方をするのは、仲達を召喚したヴァルキューレ…、いや、この場合、アプサラスと呼び名を変えるべきであろう…伎芸天である。
天界一の美貌をほこるということである。『ことである』というのは、仲達の目からすれば、さほどではないと感じられたからだ。
知性がなくていかん。
「あのな、だから、わたしの首が180度うしろに回る程度で、客が喜ぶものか。わたしの召喚は不適切だ。戻してくれ」
「でもぉ、うさぎのダンス、ここだと超人気でぇ、ほかのアトラ・ハシースやアストラルも、自分がかすんじゃうから、嫌がって、舞台に上がりたがらないのぉ。そうすると、白けちゃうでしょ?」
うさぎに縁があるな、とウンザリしながら思いつつ、仲達は尋ねた。
「白けるというか、落ち着くと言い換えたほうがよいのではないか。それに、そんなに人気の演目ならば、最後のトリにすればよかろうに」
「トリにするとぉ、もったいぶるな、早くうさぎを見せろって、お客が騒ぐのぉ。あたしも困るー」
ぷー、と擬音を加えて、伎芸天は頬をふくらませて、むくれてみせる。
普通の男ならば、その裸と変わらぬきわどい衣裳や、豊満な胸と尻に比して、顔はちいさく、足首や腰がきゅっとしまった肢体などは、たまらなく魅力的なのだろう。
くりかえすが、伎芸天は、まるで仲達の好みではなかった。
容姿に過剰に自信がある女というのは、どうも世渡りが変に上手になって、図々しさも身につけているから、好かぬ。
「それにぃ、うさぎの馬超さんてぇ、仲達さんの先輩でしょぉ。ちょっとは顔見知りじゃない? うまくやってくれないかなぁって思ったんだけれどなー」
「馬超? うさぎというのは、馬超なのか?」
「そうなのぉ。ウトナピシュテムに、獣化の呪詛をかけられたのだけれど、呪詛が失敗したらしくて、うさぎになったり、人になったりを繰り返しているんだってぇ」

影からそっと顔を出せば、ステージ上では、茶色い穴うさぎが、ダンサーたちと共に、うさぎのダンスを披露していた。
『そうか、あの馬超から、諸葛亮に呪詛が移ったのだな。それが、『バルさん』の成分のおかげで、解除されたが、わたしがまた、呪詛をかけてしまったのだ』
事態を把握した仲達であるが、ふと、自分がいる反対側の袖に、見知った顔を見つけ、おや、と顔をしかめる。
「伎芸天、姜伯約も召喚したのか」
「えっと、召喚するつもりはなかったんだけれどねぇ、チャーリー経由で、うさ馬超の世話をさせるから、っていうんで、召喚することになったのね。あたしも、美形だからいっかー、って思っちゃってぇ。マズイ?」
「なんとも軽い理由だな」
姜伯約といえば、蜀のなかでも面倒なタカ派であった。
蜀の群臣のなかでも、過激な言動が浮きまくって、最後は孤立し、あえなく斬り死にしたのだ。
世間では、羅貫中の『三国志演義』の影響で、姜維を孔明の後継者と見做しているようであるが、仲達は、その見方には与していない。

いやな面構えをしているな、というのが、仲達の印象であった。
これが初対面ではないし、ことばを交わしたこともあれば、同じ仕事に取り組んだこともある。
だが、以前と比べて、姜維が、陰に籠もった面構えをしているというか、あの暗い雰囲気は、知っている。
『堕天の兆候が出始めているのではないか。馬超はそれを知っているのか。ならば、わたしの関与するところではないが、気になるな』

「ねーえ? ちょっとフツーに振り向いてくれるだけでいいんだけどぉ」
伎芸天の甘ったるい声に、仲達は、頷いた。
「わかった。とりあえず、仕事は請けよう。ただし、この契約は仮契約だ。もし、何事もなければ、わたしは下宿先に帰らねばならぬ。よいな?」
「いいけどぉ、何か変なの。仮契約だなんて」
迷惑そうに言う伎芸天をよそに、仲達は、なんともいやな予感に、ひとり、耐えていたのであった。

※そして事態はどこへ行くやら。著者も見当がつかないこのシリーズ、まだまだうさぎはつづきます。

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