うさぎが観察日記・2
※このお話は、ずんだGAMEの番外編で、「とらとらとら」「うさぎ」「しろくま事件」「うさぎが観察日記」の続きとなります。
○月×日
わたしの名は諸葛孔明。
ただし、人兎に噛まれて呪詛が移り、この身も人兎となってしまった。
いや、人兎になった、というのは一部正しくないな。なにせ、わたしはうさぎになりっぱなしで、人の姿に一度も戻れていない。
ダッチ種のうさぎ(ただし手は五本の指を備えている)となったわたしの暫定的な名は『もなか』。
『もなか』=わたし、ということにさっぱり気づかぬ、鈍感きわまりない趙子龍に保護されている状態だ。
幸いなことに、獣化は進んでおらず、ちょっとばかりうさぎの本能に邪魔されることもあるが(におい付けをしたくなる、むやみやたらとものをかじりたくなる、昼は眠く夜は目がぱっちり等々)思考はきわめて正常だ。
馬超も同じ症状を呈していたので、おそらく、馬超からわたしに移された獣化の呪詛は、呪詛の亜種と見てよいだろう。
つまり、普通ならば理性を奪われ、完全に獣化してしまうものが、馬超への呪詛に失敗した時点で、まったく別の呪詛となってしまったのである。つまり、これは純粋に獣化の呪詛とは呼べない。
馬超の場合は顕著で、理性も保ち、そのうえ、たまに人に戻れる様子。いつ人に戻れるかどうかの調整は利かないが、喋ることも読み書きもできるのであるから、『うさぎの形をした人間になった』ようなものである。
私の場合は、人に戻れず、読み書きもできず、喋ることも出来ないが、理性だけが残されている。『うさぎの肉体に似た牢獄に、魂が封じ込められた』と表現出来るであろう。そう、これは獣化というよりは、封印の呪詛に近いのだ。
こなれば、長期戦も覚悟したほうがよさそうだ。焦ってはならぬ。
これまでの経緯は、くわしくはこちら(とらとらとら)を見ていただくとして、さてはて、今日は、わたしの保護者であるアストラルの趙子龍と供給所へお出かけである。
この『下宿先』と呼ばれる、時間軸からも隔離された英雄たちの魂の拠り所、ちゃんと四季がある。
ちかごろは寒くなってきて、風も厳しい。
子龍は、わたしの世話をこまめにしてくれており、わたしの当面の住みか(バス・トイレ付きという優れもの)に、夜になるとヒーターをつけてくれるうえ、毛布をかけて防寒対策をしてくれる。
だが、きびしい冷え込みに、朝、くしゅんとクシャミを連発していたら、庭も霜が降りそうだし、おまえもその毛皮だけでは寒いのかな、と話になって、一緒に寒さ対策を練ることになったのである。
とりあえず、言葉は通じないものの、わたしと子龍の間に、ちゃんと交流はつづいている。伊達に付き合いは長くない、ということだろうか。
供給所に向かう前に、子龍は、わたしの真の住居である『塔』へと足を運んだ。
『塔』の管理人である、水晶製ゴーレムのイーさんに、わたしの消息を聞くが、
「当山孔真君ハ、オ戻リデハアリマセン」
とのこと。
それは当然である。わたしはここにいるのだから。
わたしは、子龍の腕にすっぽり納まっていたのだが、見上げれば、表情は暗い。
イーさんから離れたあと、子龍は、
「叱りすぎたのかな」
と、まるで、家出した子供を思う、親のようなことを口にした。
そうではないのだけれど。説明できぬ身のもどかしさ。
その強面に似合わず、腕に愛らしいうさぎ、というので、塔に出入りする者が、こちらを見る。
しかし、残念なことに、みなアストラルばかりである。しかも知らない顔だ。
呪詛解除が可能なのはアトラ・ハシースだけだから、なんとか顔見知りに出会いたいところ。だれかいないかな。
わたしがきょろきょろ周囲を見回していると、子龍が言った。
「もなか、諸葛孔明という者を知っているか」
うんざりするほどよく知っているよ。自分のことだもの。
わたしが、鼻を上に向けて、ぴすぴすと返事をすると、子龍はそれを興味があると、という意味だととらえたらしく、つづけた。
「諸葛孔明というのは、変わったやつでな。仕事はおつりが来るほどに完璧に遣り通すのだが、自分のこととなると何もできない、どうしようもないやつだ」
どうしようもない? そんなことはないぞ。掃除だって、月に一度、ちゃんとやっている。
「月に一度しか掃除しないくせに、掃除をしていると言い切るやつだからな」
あれ?
「そのくせ、使い方のよくわからない掃除用品が、物置に大量に眠っているのだ」
あ、それ、通販生活で仕入れたのだ。わたしは『ミスター・エジソンの1%のひらめきコーナー』がお気に入り。
「目を外にばかり向けて、自分のことはまるで構わない。それでいて、身だしなみには時間をかける。わけがわからぬだろう」
不潔にするより、ずっとよいではないか。元に戻れたなら、あなたとは膝を詰めて、きちんと話し合う必要があるようだな。
「長年付き合っていると、不思議と、良いところより悪いところが目についてしまう。だから、あいつが白くまの絵葉書を、騙されて買ってきたとき、ついつい声を荒げてしまったのだが、思えば、いささか鬱憤晴らしの意味合いがあったように思える」
それについては、反省しているよ。誓おう、現地で絵葉書を買うときは、きっと中身を確認すると。
「子供ではないから、まさかとは思うが、叱られたことを気にして、帰ってこないのだろうか」
それはない。現にここに、こうしているだろう。怖いと思っていたら、別なところへ逃げているさ。
わたしは、もぞもぞと身体を動かして、わたしを抱える子龍の腕に、ぽんと手を当てた。
叱られたことは、もう気にしてないさ、いつものことだし。ドンウォーリー、マイフレンド。
子龍は、笑いながらわたしを見下ろして、答えた。
「エサか。供給所に行ってからな」
なんだか微妙に、意思疎通がうまくいっていない気がする。
供給所と聞くと、はじめて『下宿先』にやってきた者たちは、ガソリンスタンドや野菜の無料販売所のような、簡素な施設を想像するようであるが、実はとんでもない。
いまわたしたちの目の前にあるのは巨大なデパート。
最初は、それこそコンビニエンスストア程度の大きさだったのだが、アトラ・ハシースとアストラルの数が増えたのに併せて、増改築を繰り返してきた。
いまや10階建ての本館に、別館が二つ、という豪勢な建物になっている。
汎世界にある、たいがいの物品が手に入る、夢のデパート。
しかもただ貰うだけのものなので、懐具合を気にしなくて良い、という魅力もある。
このデパートを管理するのは、最高府から委託された、ドワーフの一族である。
彼らは見た目こそ悪鬼のようであるが、非常に起用で勤勉で、なおかつ賢い種族である。男女共に髯をたくわえ、手が異常に長い、という身体的特徴を持つ彼らは、好んで地下などの目立たぬ場所に暮らすが、最高府から委託されたドワーフたちは、供給所を穴倉に見立てて暮らしている。
ドワーフ以外は立ち入り禁止になっているが、地下三階に、彼らのための壮麗な宿舎がある、という噂だ。
彼らは厳正な審査をパスしたものたちで、最高府から降るように与えられる物品を適正にさばいている、凄腕バイヤーなのである。
売り上げというものがないわけだから、デパートに活気がないかといえば、そうではない。
彼らは気持ちがだれないように、仕入れと出庫のもっとも多い部門のバイヤーを、定期的に表彰し、互いに、どれだけ顧客の気を引くことができるかを競っているのだ。
もちろん、競争が激化すると、物品の流れに不公平さが生じてしまうため、競争とはまったく無関係な部門を別に置いている。
精算を考えなくて良いから、余裕のあるデパート経営が可能で、ありとあらゆる顧客のニーズにこたえることができる、というわけだ。
基本的に、アトラ・ハシースは、霊力の自己回復ができるのと、アストラルとちがって、総人数が少ないため、召喚される回数が多い。
さらに、汎世界からの物品の持込が可能という権限も持っているため、あまり供給所には足を運ばない。
見渡すかぎり、アストラルたちばかりである。
見知ったアトラ・ハシースがいたら、事情をなんとかわかってもらい、呪詛解除をお願いしようと思うのであるが、ここも塔と同じで、あにくと、アストラルしかいないようである。
「もなか、珍しいのか。前の飼い主とは、来たことがないのか」
と、子龍が、その腕のなかで落ち着きなく、もぞもぞするわたしを抱えたまま言う。
ないのだな。それと、『もなか』は止めないか。
ちなみに、供給所のペット持ち込みは、体長1メートルの個体までは許されている。使い魔は、そのたいがいが、身体を自由に伸縮させることができるので、これもクリアする。
わたしたちが向かったのは、ペットコーナーのうさぎ専門用品売り場である。
ちょうど『うさぎのための冬の寒さ対策コーナー』が出来上がっており、ウサギ用のニットの帽子、マフラー、手袋、靴までもが売っていた。これは便利。
『わたしが作りました』と、器用なドワーフの顔写真と名前が、ポップに飾られている。あ、この青いマフラー、模様も綺麗だし、なにより編み込みがきめ細かい。素晴らしき職人技。
これがいい、と子龍に持っていくと、子龍のほうは、機械織の赤いマフラーを手にしていた。そんなぬくもりの欠ける商品、嫌だ。
「体毛がブルーで、マフラーも青、いささかくどくないか?」
くどくないよ。かわいいだろう。ほれ。
と、わたしが、すばやく首にマフラーを巻きつけて試着してみせると、ああ、悪くないな(これは子龍の誉め言葉のうちでも、上等なものである)、と言いながら、子龍はマフラーに合わせて、帽子と靴と手袋も見繕ってくれた。
「これは、これは、趙子龍さま、本日は馬コーナーではなく、うさぎでございますか」
と、近づいてきたのは、背の曲がったドワーフである。
顔見知りであるらしく、人見知りのはげしい子龍の顔が、ドワーフを見て和らいだ。
「うさぎを拾って、保護をしているのだ。おまえは、馬具コーナーから、こちらへ配置換えか」
赤い帽子に赤いチョッキ、胸に『最高府認定バイヤー』の名札を掲げている老ドワーフは、こくりと頷いた。
「最近は、急にうさぎブームになりましてね。わたしはそのために臨時でこちらに移動になりました。本日は、ブームにあやかって、特別催事場において、『月兎』のレビューショーも行われる予定なのですよ。それがお目当てではないのですか」
「ほう、『月兎』が人前に姿を現すというのは珍しいな。いや、それは知らなかった。あとで覗いてみるとしよう。しかし、ブームだというのなら、五本指のうさぎが流行っているかどうか、わからぬか」
と、子龍がわたしをドワーフの前に見せるので、わたしは挨拶を兼ねて、皺だらけのドワーフの前で、手をにぎにぎと握って見せた。
ドワーフは、白い眉毛の下の目を細めて、ほほう、と感心する。
「これはたいそう愛らしいうさぎでございますな。毛づやもたいへんよろしい。結構、結構。しかし、この指はめずらしい。このように、人のような指をそなえたうさぎは、わたくしも見たことがございませぬ」
うさぎになっても、個性豊かなわたし。
少しばかり得意になっていると、子龍は、ふたたびわたしを胸に抱いて、首をひねる。
「となると、稀少なうさぎを手放すはずがないということだな。なぜに、こいつの飼い主は名乗り出ぬのであろう」
「召喚されてしまい、戻って来られないのかもしれませぬ。しかし、うさぎというものは繁殖力が強いもの。つがいで飼っているうちに、増えすぎてしまい、管理しきれなくなったものののうちの一匹が、逃げ出したのかもしれませぬ」
「そんなだらしのないヤツが、アトラ・ハシースやアストラルにいるだろうか」
子龍の言葉に、ドワーフは、声を立てて笑った。
「やはり貴方様はお若い。アトラ・ハシースには、その性質に癖の強い方が多くいらっしゃいます。人のことはよく面倒を見るけれど、自分のこととなると、てんで駄目、という方も多いようでございますよ」
「む、たしかに、一人、とてもよく心当たりがある」
ふうん、だれのこと?
それにしても、子龍を若い、と言い切ったな。このドワーフ、いくつなのだろう。幻想種は、どうも寿命がわからぬ。
子龍はわたしのマフラーと帽子と靴を貰った後、ほかに、綿棒やうさぎ用消毒液などを貰って、老ドワーフに教えてもらった特別催事場の『月兎』レビューショーへと足を運んだ。
『月兎』というのは、特殊な幻想種である。
わたしは月の加護を得ている人間であるから、彼女らの住まいにお邪魔することがあるが、彼女たちは非常によそものを嫌う。特に、
「男の方とはお話をしたくありません」
ほらね。みな男嫌いなのだ。
子龍は、チケット売り場の片隅で、小休止をしていた『月兎』のひとりに声をかけたのだが、『失礼する』の、すの字を発音しかけたところで、素早く上に述べたように、拒まれてしまった。
「わたくしたちがお話をするのは、アストラル、あるいはアトラ・ハシースとして身を清くして過ごすと誓願なさった殿方だけです。あなたさまは違うでしょう」
「たしかに。しかし、我が友の当山孔真君は誓願者であったはず。貴女方とも顔見知りだと思うのだが」
「だからなんです。あなたは違う。さっさとチケットを買って、おとなしくわたしたちの踊りを、間抜け面さらして見てらっしゃい」
そして『月兎』は、性格も口もキツイのである。
ちなみに誓願をするとどうなるかというと、月の加護を得られるうえに、その扱える霊力が飛躍的に増大するのである。
ちなみにわたしの属性は風、加護は月と日輪から得ている。
風雨を操る攻撃型アトラ・ハシースとしては、申し分のない状態だ。
なにせ新月の夜以外の夜間と、日食以外の日中は、常に加護を得られている、ということなのだから。
ちなみに日輪を司る烏たちは、公共性に富んでいるため、月兎のように、誓願に難しい条件をつけてこない。
彼らの気に入るような、ちょっと珍しい光物を奉納するだけで、加護を得ることができる。
イスラム文化圏のアトラ・ハシースは、その生前信奉したイスラム教のシンボルが月であるため、わたしと同じように、誓願をしている者も多いと聞く。
ちなみに、それとは逆に、キリスト文化圏のアトラ・ハシースは、月を忌避する傾向にある。異端のイメージが強いからだろう。
閑話休題。
「すこしだけでも時間をくれぬか。男と口を利くのは苦痛かもしれぬが、俺も困っているのだ」
率直な物言いに、つんけんとしていた月兎のお嬢さんの興味が、すこしだけ動く。
月兎とは、頭に大きな耳のある状態のヒト型の天女である。
月の光を織りこんだような、なめらかで、きらきらと美しい絹の衣裳を纏っているが、そのデザインは、漢族のそれによく似ている。
厳密にいえば、地上の兎とはまったくの別物なのであるが、耳が似ているために『月兎』と呼ばれているのだ。
特長としては、彼女たちは雌しかおらず、繁殖方法は、絶対の秘密とされ、わたしも知らない。
極端に男嫌いで、通常ならば男は徹底無視。このように口を利いてくれるというだけでも、応対が柔らかいほうなのだ。
彼女たちは、みな優雅で美しいが、男嫌い。
そして、なぜだかとっても狩猟の腕が立つ。
莫迦な好奇心で彼女たちの住まう異空に忍び込んだ男がいて、ガマガエルにされたとか、犬にされたとか、熊にされたとか、蠍に噛まれたとか、さまざまな話が残されているが、全部、実話であるところが恐ろしい。
子龍は、冷ややかなお嬢さんの目線にもめげず、言葉をつづける。
いや、子龍にとっては、下手に親しくされるより、徹底して冷たくされるほうが、気が楽なのだろう。その背後に、なにかあると勘繰らなくて良いからだ。
しかし、これは問題だ。自分に向けられる反応の背後にあるものを、いちいち考えていたら、疲れてしまう。
たぶん、わたしなんぞより、子龍のほうが、よほど人間について考察している気がする。たまには気を弛ませたほうがいいよ。
「尋ねたいのだが、このうさぎを見たことはないか。あるいは、この五本指のうさぎと、同じ種類のうさぎの話を、聞いたことはないだろうか」
うさぎ、ときいて、ますますお嬢さんの気持ちは動いたようである。
彼女たちは決して冷酷ではないから、子龍がわたしを突き出すようして見せると、興味しんしんで、こちらをのぞきこんできた。
わたしは、その視線に答えるように、手を振ってみせる。こんにちは。
お嬢さんは、その頭頂についている、雪のように真っ白な二本の大きな耳を、ぴっ、ぴっ、と動かして、目を開いた。
「まあ、珍しいこと。でも、残念ですけれど、このようなうさぎ、見たことも聞いたこともありません」
「とても賢いのだ。こちらの言葉を、まるで人のように理解している」
「新種の幻想種、あるいは創造系アトラ・ハシースのつくった、あたらしい使い魔かもしれません。手だけがこのように、人のように進化しているのは不自然です」
「うむ、そうだな。そう思う」
子龍が素直に頷くので、警戒心と敵意をぎりぎりと番えた矢のように見せていたお嬢さんは、すこしだけ気を緩めた。
そして、うーむと、わたしの頭を撫でながら首をひねる子龍に言う。
「わたしたちでは、あなたの疑問にお応えできません。ほかの子に聞いても同じですよ。今日の派遣団のなかで、わたしがいちばん年長ですし、外界のことに詳しいのもわたしですから」
「そうか、どうもありがとう。あ、もうひとつ」
子龍が引き止めると、お嬢さんは、子龍の紳士的な態度と、わたしの愛らしさに、尖った気分を収めたのか、今度は笑みさえ浮かべてこちらを見た。
子龍のすごいところは、こういうところだ。邪気がないので、わずかな時間で相手の信用を勝ち取ってしまうのである。
「なんでしょう」
「うさぎブームということだが、なぜだか知っているか」
「ええ、もともと、うさぎというのはニオイの少ない動物で、しつけさえしっかりすれば、猫や犬よりも迷惑をかけないペットです。ですから、人気が高まりつつあったのです。でも、直接の原因は、これですわ」
と、月兎のお嬢さんは、人差し指で、上を指す。
天井?
子龍とわたしは、一緒になって上を見上げるが、そこには供給所の天井があるばかりである。んーと?
そろって同じ仕草をしたわたしたちに、お嬢さんは、軽蔑をこめた口調で言った。
「天井じゃありません、いま流れている音楽です」
説明されるまま、耳をすませば、聞こえてくるのは『兎のダンス』である。
しかし、なんだか妙にテクノっぽくなっているような。
「呪詛が失敗して兎になってしまったアストラルの方が、開き直って、この『兎のダンス』を踊る芸人として活躍をはじめたところ、大ブレークしたそうです。
汎世界の難民キャンプでダンスを披露したのがきっかけで、ショービズ界に目をつけられ、あとはひっぱりだこ。
汎世界の一つに大きな潮流ができれば、隣接する汎世界もそれに影響されるもの。たったひとりのアストラルから、うさぎブームが起こっており、それがこの『下宿先』に跳ね返っている、という寸法なのですわ」
「呪詛が失敗して、うさぎになったアストラル? 聞き覚えがあるな」
聞き覚えがあるどころか。
馬超だ。馬超が派遣先で際立って目だった功績を上げたにちがいない。
同じ蜀の人間として、じつに誇らしい出来事だが、そうなると、下宿先に戻ってくるのは、ずいぶん先になるのではないか?
『月兎』のお嬢さんにお礼を言って、わたしたちは子龍の家に帰った。
さっそく、あまたあるTV局のうち、ショービズ関係のニュースばかりをあつめた局をつけてみる。
すると、『今週の偉大なアストラル』として、汎世界で活躍する馬超の報道がされている。
そこには、色とりどりのライトに照らされ、さまざまな人種のバックダンサーを大量に背後にひかえて、ステージの中央で踊る、茶色い穴うさぎの姿があった。
馬超である。
なんというか、輝いているな。
ライトの加減などではなく、うさぎではあるが、表情はのびのびとして、屈折した影がどこにもない。
実に楽しそうにステップを踏み、そして腕を動かしている。
このあいだ、披露してくれた『派手な盆踊り』風味の踊りだ。あのときは、激しいラジオ体操程度にしか思っていなかったけれど、うさぎが踊っているのは、なんとも愉快である。
贔屓目に見ても、これは素晴らしい。客席の汎世界の住人たちも、老若男女、すべてが拍手喝さいである。
「あのお調子者、すっかりステージの人気者だな」
と、わたしの隣に座った子龍は、あきれてつぶやいている。
「仕事をろくにせず、このままではアストラルとしての登録抹消もありうる、などといわれていたが、これで一気に挽回だな。そうか、こういう派手な仕事が良かったのか」
つぶやく子龍。なめさなくて、良かったね。
「もなかは……踊らないだろうな。トロそうだ」
失敬な! 踊れるぞ、盆踊りなら! ていうか、『もなか』じゃないから
わたしが、だん、と足を鳴らすと、子龍は、声をたてて笑い、それから画面に目を戻した。
ブラウン管の中では、山高帽、だぶだぶのズボンにステッキ、という、昔ながらのスタイルのチャップリンと共に、うさぎの馬超が、ヒゲダンスを披露しはじめていた。
なんというか、最初から神威将軍なんてやらないで、芸人になっていたほうがよかったのじゃないか。
それくらい、馬超は喝采のなかで、幸福そうに見える。
ヒゲダンスを踊りながら、鼻をうごめかせ、なんともご満悦な表情を浮かべる馬超に、わたしは思った。
ああ、そうか、馬超は、芸人とか武人とか、そういう枠は考えずに、ともかく、人のためになることが嬉しいのだ。みんなを喜ばせることができるから、あんなに幸福そうなのである。
純粋で善良な男だな、と思う。
わたしなんぞはいろいろ不純物が混ざりすぎていて、喝采の中にいても、幸福に酔うことはできないだろう。
いま、となりにいる、顔は笑っていても、目が不思議と悲しそうな男も、きっと同じにちがいない。
馬超の成功を羨ましく思うと同時に、すこし妬んでしまう、こういう悲しみは、なかなか理解されないし、また、気づかれたくもないものだよな。
気落ちするでない、わたしがいるさ。
と、子龍の膝に手をぽん、と置くと、子龍は、小さい手だな、と言いながら、手のひらの毛のある部分をぐりぐりと撫でた。
あー、すこし力を弱くしてくれないと、痛かったりするのだがな。
と、おや、いま、舞台の袖に?
わたしがブラウン管に駆け寄ると、カメラは別アングルになってしまい、その人物をはっきりと確認することはできなかった。
ぺったりと画面に張り付いたわたしを、子龍は背中の皮をつまみあげて、
「仲間がいるのが嬉しいのか? でもこれはTVだからな、友達にはなれないぞ」
と、わたしを画面から引き離す。
うさぎのステージのニュースは、ほどなく別のニュースに切り替わってしまい、結局、わたしは、それが本人かどうかを、確かめることはできなかった。
台所から、今日の夕食は干草とにんじんだぞ、と声が聞こえた。
やったあ、にんじん、と諸手をあげて喜ぶわたしであるが、獣化、進んでなかろうか…
ひげダンスを好評のうちに終わらせ、楽屋に戻ってきた馬超であるが、水を補給しつつ、ふいー、と親父くさいため息をついていると、ぱちぱちと拍手が、すぐ近くでする。
振り返ると、スーツ姿の姜維が、『うさばちょうさんへ』と書かれたカードの添えられた花束に囲まれて、華やかな笑みを浮かべ、楽屋のスツールに座っていた。
「お見事でございました、馬将軍」
文字通り、花を背負ってあらわれた姜維の姿に、馬超は、茶色の耳をぴんと動かしてみせる。
「あれ、おまえも召喚されたのか」
「ええ、先日は、馬将軍に無礼な口を利いてしまいまして、気に病んでおりました。そこで、チャップリン氏にお願いし、わたしをあなたのマネージャーとして、一緒に召喚していただくことにしたのです。
ほら、うさぎのままだと、なにかと不便でしょう。それに、あなたはいつ人になるか判らない身。フォローする人間が必要だとは思いませぬか」
「おお、たしかにな。すまぬな、姜維、そのように気を遣わせて」
とんでもございませぬ、と、姜維は言う。
身にまとうスーツは、ショービズ界の関係者であることを意識してか、派手なモスグリーン。しかし下品にならないところは、着こなしの良いためである。
また、持ち前の華やかな美貌が、派手なゆえに野暮ったくなりそうなところを、うまく抑えていた。
「そうだ、気になっていたが、丞相はどうなった。趙子龍のことであるから、すぐにそれと気づいて、もう元に戻っているかと思うのだが」
馬超が尋ねると、姜維は悲しそうに長い睫毛に縁どられた目を伏せて、さあ、と首をかしげた。
「申し訳ございませぬ。わたしも気になってはいたのですが、あいにくとあちらの様子を伺う暇がなかったものですから」
「うーむ、そうか。『下宿先』に戻ったなら、ヤツに今度こそ、なめされてしまいそうな気がする。その前に、こちらの呪詛を解除してもらうかなぁ。これだけ人気になっているので、なにやら惜しい気もするのだが」
「おや、チャップリン氏は、呪詛解除をしてくださると?」
「いいや、あの御仁は芸にうるさい。うさぎのままでこんなに受けているのに、人に戻っては勿体ない、とこうだ。あらかたの意見も同じようでな、なにが不満かと逆に問われる始末よ。こうなれば、もっともっと有名になって、最高府の人間と接触する機会を持たねばと思う」
そのとき、姜維の目が、鷹のように鋭く光ったのであるが、人の良い馬超はそれに気づかない。
観客からのプレゼントである、新鮮な有機栽培の野菜の束を確認したり、子供がクレヨンで書いた『おどるうさぎさん』の絵に、にんまりする。
孔明が看過したように、馬超は人を喜ばせることができて、嬉しいし、幸福をおぼえているのだ。
上々の首尾に鼻歌を歌いながら、自分の茶色の毛に、丁寧にブラッシングをかけていく。
「いろいろ気になることもあるが、気長にやっていくしかあるまい。それに、今回はおまえという軍師がつくわけだしな。よろしく頼むぞ、相棒」
馬超が言うと、姜維は、これまでにないほど、明るく華やかな笑みを向けた。
「ええ、こちらこそ。こうして組むのは初めてですので、なんだか楽しいですね」
姜維と馬超はそう言って、屈託なく笑った。
とはいえ、馬超は、姜維は、胸に企みがあるときこそ、その笑顔が恒星のごとく輝かしくなる、ということを、知らなかったのである。
※姜維のたくらみとは? ますますうさぎじみていく、孔明こと「もなか」の運命は? そしていまや人気者のうさ馬超はヒトに戻って引退を選ぶのか? なんだか蚊帳の外な趙雲は? 数々の謎を孕みつつ、物語はつづく…
そう、続くのであります。