うさぎ

後編

翌日、言葉どおり、あまったシチューで作ったドリアを片手に、馬超宅へと向かう趙雲のうしろから、孔明はてくてくと付いていく。
今日も中央都市の空は晴れ渡り、すみれ色の深い空のなかに、あざやかなほどに真っ白な雲がゆっくりと、形をすこしずつ変えながら流れていく。
ほとんど人のない町のなか、悠然と、かつて変化した虎のように歩く趙雲の背中を斜め後ろから見つつ、孔明は、不思議に思った。

趙雲と馬超は、性格も価値観も、生き様も、ありとあらゆるところでずれているのであるが、なぜだか、ほどよい距離を保って付き合ってきていた。
特に二人で話し込む、というわけでもないが、会えば挨拶以上の会話はする。
ある程度の相手のことは把握しており、それなりに遠慮(馬超にはあまり縁のないような単語に思えるが、とりあえずは)しているらしい。
今回の喧嘩に関しては、ある意味、その距離が近づいたといえるだろう。
「あなたはマメだよな」
と孔明が言うと、趙雲は、ふしぎそうに、そうか? と首をひねる。

趙雲は、人を好悪の感情で振り分けずに、付き合うことができる、という特技を持っている。
内気な孔明と、決定的にちがうところが、この点である。
孔明は、苦手な者とは、よほどでないかぎり、私的な時間を使って会おうとはしない。

「ところでね、昨日、あなたが帰ったあとに、ロビーでお茶を飲んでいたら、おもしろい噂を聞いたよ」
「どんな?」
アトラ・ハシースは時代の英雄たちのなかでも、とくに人類のために貢献した人物が選ばれる。
ゆえに、基本的に、みな性格は控えめで、そこそこに社交的で、その発言も慎重である。
彼らがヘンテコな噂に興じることは、滅多にない。
滅多にないが、例外として噂をしているということは、その噂、限りなく真実に近いと思われる要素が含まれているときである。
「先だって、獣化騒動があっただろう。ほら、あなたが虎になった」
「あったな」
思い出したくないらしく、趙雲の声は低い。
「夢のひと時だったな。供給所でムートンのスリッパを並べてあるのを見るたびに、惜しかったと思うのだよ」
「ではムートンのスリッパを貰ってこい」
「冷たいな。ムートンのスリッパは喋ったり、朝になったら起こしてくれたり、一緒に本を読んだりしてくれないだろう」
「俺はなんだ? 気の利いたアイボか?」
孔明は、ぽんと手を打って、そうか、と合点する。
「アイボを購入して、改造してしまえばよいのか。虎仕様にして。名前は『子龍』にして。だが、アイボ的子龍は食事を作ってくれない。稼働時間も短いしな。応答もトンチンカンだから、むしろストレスが溜まりそうだが」
「いつぞや召喚されたとき、アイボの展示場に、タニシのようにへばりついて、動かなくなったのは誰だ」
「あのトンチンカンさも愛嬌だと思えば、やはり欲しくなるのだ。いいだろうな、わたしがぼーっとしていると、勝手に踊ったり、喋ったり。ローンを組むかな。どう思う?」
「たわけ。ローンを組むアトラ・ハシースなど聞いたことがない。第一、審査に通るものか。汎世界のどこにも、おまえの戸籍はないのだぞ」
「そこはそれ、裏にはさまざまな方法があるそうな」
「あのな、その不穏当な発言を聞きつけて、おまえの大嫌いな警吏用ゴーレムが飛んでくるぞ」
「それは困る…ところでなんであったかな」
「獣化騒動のときに、どうとか」
「ああ、そうそう、獣化騒動のとき、やはり複数のアストラルやアトラ・ハシースが、その後も召喚されつづけ、被害に遭ったらしい。だが、いまのところ、召喚された者たちは、全員、無事に帰還したのだが、だれも、何があったかを語ろうとしないのだとか」
「最高府に口止めをされているのか?」
「緘口令というか、喋れないように、これもまた呪詛が掛けられているのではないか、という話になってね、我らアトラ・ハシースにさらに呪詛を掛けることができるとなると、これは並みの者ではなかろう」
「神代のアトラ・ハシースが関わっていると」
それまで、のほほんとした表情をしていた孔明であるが、神代のアトラ・ハシースの話になると、とたんに顔つきが変わる。
「おそらくは。最高府の人員構成は、神代のアトラ・ハシースが多く関わっている、というのは本当らしい」
「かつての古き人が、後続する人を管理している、というのか。汎世界のように、寿命があるわけではない。古き者の、新しい者に対する支配、というのは、いつまで続くのだ? とことん不健康だな、このシステムは」
「まあまあ、そう悪く取ることはないさ。口の悪い者の中には、最高府は、黄金の人々だけで構成されており、自分たちより遺伝子的にも劣る人間を差別しているのだ、などと喧伝しているようだが、それもどうだと思う」

黄金の人々とは、最初に人類が創生されたときに作り出された、長寿を誇り、健全な魂を持つ、賢く優美な人類のことである。
世界中のありとあらゆる伝説に残される、黄金…つまりはこのうえなく光輝に満ちた性質を凝縮した人類は、やはり、これもさまざまな伝説に拠るように、やがて堕落したがために、創造主の怒りをかって、大洪水で全滅した。
生き残った者たちも、新しく想像された、短命だがバイタリティに溢れる、しかし粗野で好戦的な人間によって粛清され、大地から費えた。
しかし、黄金の人々の存在は、その築いた文明とともに、憧憬をもって語られつづけている。
一神教の普及が、暴力的なまでにすすめられる以前に各地に残っていた古い伝説に生きる神々は、この黄金の人々の名残であるといわれている。

「わたしなんぞは、もしお会いすることがかなうのであれば、やはり堯や舜といった帝のご尊顔を、一度でよいから拝見したいと思うし、そうなったときのことを想像して、なにやら嬉しくなるのだがね」
「伯約もいつも呆れているが、本当におまえは前向きというか、明るいやつだよ」
「わたしたちがここに『いる』のは現実で、いまのところそれに変化はないのだから、日々をじっくりと楽しんで生きたほうがよい。不確かな情報に惑わされ、鬱鬱と過ごすなど、不健康だよ。
汎世界のあちこちで、最近は軋みが起こっているようだがね、人はどんどん己の内面に目を向けるようになってきているのに、周りにある情報が、良いものも悪いものも、あまりに多すぎるのだ。氾濫する情報への対処が大切だと思わないか、子龍。
わたしたちは、たしかに一度『死んだ』けれども、その魂は、まだ学習の途上なのだからして」
と、孔明は、趙雲の腕を取ろうとするが、趙雲のほうは、周囲にだれもいないことをわかっていても、気恥ずかしいのか、さっとそれを振りほどいて、さらに足を早めてしまう。
「なんだ、手をつなごうというわけでもないのに」
「誰に影響されたのだか、最近は、とみにくっついてくるな。普通に歩け、普通に!」
「つまらないな。変に意識しすぎだよ」
ぶつくさ言う孔明を振り返らず、すたすたと先に足を進める趙雲のあとを、小走りにして追いかけて、孔明はつづけた。
「話は途中だったな。噂だが、召喚されたうちの一人が、どういう手違いからか、獣化の呪詛が失敗したようで、獣になったり、人になったりを繰り返しているようなのだよ」
さすがに、趙雲は、眉根をしかめて振り返った。
「本当か?」
「だれか、とまでは特定できていないのだが、気の毒な話だよ。他人事ではない。元に戻れてよかったな、子龍」
「そうだな」
「元に戻れてよかったな、子龍」
繰り返す孔明に、ふたたび趙雲が振り返れば、そこには、にまにまと、期待に満ちた笑みを浮かべる孔明の姿があった。
「まったく…感謝いたします、当山孔真君」
「だろう? わたしと仲良しでよかったと、心の底から思いたまえ。遠慮せず」
無邪気に笑いながら言う孔明に、趙雲はため息をつくものの、それはいつもの話で、ほどなく、二人はふたたびいつものやりとりを再開し、そのうち、馬超の家にたどり着いた。

馬超は留守であった。
赤レンガの集合住宅の一角にある馬超の家は、しんと静まり返っているが、しかし、召喚されていなくなった、というふうではなさそうだ。
「今朝までいたようだな。カーテンが開いている」
「しかし、うち(蜀)の人間の特長として、よその文化を受け入れて馴染むのに抵抗がないよな。異民族に四方を囲まれている土地で、生前を暮らした影響かな。
車庫だの家屋だのを見て、ここにいるのが中華系アストラルだと誰が思う? 表札だってアルファベット表記だもの。というより、この表札、意味あるのかな」
「使い魔に頼まれて付けたのだと。伯約は、頑固に生前と同じ生活様式を守っているようだが」
「あれは頑固すぎる。さすがに水回りは直したようだ」
「馬超と伯約は、出自が似ているのに、それこそ両極端だな。おまえは、馬超とはまたちがった意味で極端だ。塔のおまえの部屋を見て、やはりここが、中華系のアトラ・ハシースの部屋だと思う人間は、少ないだろうよ」
「わたしは、新しいものが大好きなだけだ。新しいものといっても、新しいのは見栄えがよいからという理由ではなく、人類の技術の進歩が嬉しいからだ。わかるかな、この心理。わたしはありとあらゆる世界の技術者の、真の後援者としてだね…」
「はいはい。ご高説は俺の電話の留守番電話にでも録音しておいてくれ。暇なときに、とりあえず聞いてみる」
「あなたの留守番電話は、録音時間が十秒しかないではないか」
「十秒で手早くまとめてくれ。玄関は開いていないようだな」
「なんだかんだと、全部きちんと聞いてくれるくせして、なんだってそう意地悪を言うのだか。庭に回ってみようか」

馬超の家の庭は、猫の額ほどしかなく、そこには綺麗に刈り取られた芝生がある。
隣家との区切りをしめす煉瓦の壁に、自分でしつらえたらしい、小さな壁掛け式のプランターがかかっていた。
「マメだよな」
孔明は思わずつぶやきつつ、隣の趙雲を見る。
見えないところで似ている、というわけか。
「あ」
と、趙雲がちいさくつぶやいた。
見れば、カーテンが開けっ放しになったフランス式窓の向こう側に、瀟洒なデザインの木のテーブルがあって、そのうえに、茶色のうさぎが一匹、二本足で立って、じっとこちらを見つめているのである。
「うさぎだ」
「飼っているのかな。意外だ」
意外か? と趙雲が目で尋ねてくるので、孔明は答える。
「動物を飼うこと自体は意外に思わないけれど、うさぎというのが意外だ。馬超って、たとえ動物を飼ったと自慢されても、返答に困るような動物を飼いそうな気がするのだ。
たとえば、オカピーとか、タスマニアデビルとか」
「食用かもしれぬぞ」
と言ったとたん、趙雲は、すばやく窓の向こう側に向き直り、手にドリアを持ったまま、周囲に目を配る。
「どうした」
「いや…殺気をおぼえた」
「うさぎが睨んでいるからじゃないのか」
見れば、うさぎは、目を三角にして、剣呑な雰囲気を醸し出しつつ、趙雲を睨みつけている。
その鋭い目と対峙しつつ、趙雲は言った。
「おかしいな。哺乳類綱ウサギ目ウサギ科アナウサギ属なんぞに知り合いはいないのに、既視感をおぼえるのはなぜだろう」
「あなたもかい、わたしもだよ」
言いつつ、孔明が窓に手を掛ければ、無用心なことに鍵がかかっていない。
そっと押せば、窓はたやすく開いた。
「供給所にでも行っているのかな。すこし待つか」
孔明は言うが、趙雲のほうは、うさぎのほうが気になって仕方がないらしく、生返事をする。
「子龍、もしや、このうさぎ、昨日のシチューの中身の知り合いかもしれぬぞ」
「嫌なことを言うな。しかし、新鮮なうさぎ肉がここにあるわけだし、またなにか作ってみるか」
「こいつでか?」
「そうだな、今日はなににするか…」
と、メニューを考える趙雲。
しかし、とたん、ウサギは、だん、とテーブルを蹴って、趙雲のほうへと向かっていく。
その姿は、まさに茶色の弾丸。
ウサギは前傾姿勢のまま、高い跳躍を見せると、趙雲の腹めがけて、どすん、と鈍い音をさせ、その身体をぶつけた。
突然の攻撃に、さしもの趙雲も言葉をなくし、思わず小さく呻いて、前に屈む。
どうやら、みぞおちにまともに入ったようだ。
「……………………っ!」
「大丈夫か?」
蹲る趙雲の前で、誇らしげに、だんだん、と地面を足で叩いてみせるウサギ。
そして、まるであかんべえでもするように、小さな尻尾をくるりと見せて、それからぴょんぴょんと飛びはねつつ、狭い庭を逃げ行く。
そして、みぞおちを抱えて呻く趙雲の前を行きすぎ、庭をよぎって、外へと逃げ出してしまった。
趙雲は、ぱっと顔を上げると、まず、ドリアの入った皿を孔明に渡し、次に上着を脱ぐと、それも孔明に渡した。
「子龍?」
おそるおそる孔明が尋ねれば、趙雲は、まさに敵を前にしたような、緊迫感みなぎる強ばった声でつぶやいた。
「なめす」
「は?」
「そして肉は、ミートローフにしてくれる!」
そう高らかに宣告するや、趙雲は、逃げた茶色の穴ウサギを追いかけて、自らもまた走り出したのであった。

「えーと」
ひとり、置いてきぼりをくらった孔明であるが、これからどうしようかと考える。
考えて……ふと思った。
気になっていたのだが、たとえ応戦しなかったとはいえ、趙雲が一方的に殴られているなか、警吏用ゴーレムが出動しなかったのは、やはりおかしなことである。
警吏用ゴーレムというのは、最高府の監督下に置かれているものだ。
獣化騒動には、最高府が深く関わっているという。
そして、獣化騒動のおり、どこぞに召喚されたのは馬超も同じで、帰ってきてから、しばらく引きこもりになっていた。
そして、たまたま聞いた、獣化したまま、呪詛が失敗し、獣と人の姿の両方を往復しているという、気の毒な者の噂……
「まさか、ねぇ」
ひとりつぶやきつつ、つくねんとしていても仕方ないから、とりあえず馬超の家をあとにして、塔に戻る孔明であった。

その夜は、趙雲が戻ってこなかったため、痛んでしまうといけないという理由をこさえて、孔明はドリアをすっかり平らげてしまった。

後日。

馬超「わたしの呪詛の解除のスペルは、『ムーンプリズムパワー メ○クアップ!』らしい。丞相、唱えてくれ!」
孔明「こっぱずかしいからイヤだ」

と、いうわけで、馬超はしばらく茶色のウサギである。


※あとがき※
なぜ馬超はウサギなのか? 馬じゃありきたりだし、かといってカッコいい動物だとなんだか違うし、普段はやたらと決めまくっている(つもり)なのに、獣化するとなぜだかウサギ、ということでウサギ。ピーターラビットも穴うさぎだそうです。ほかのアトラ・ハシースにも、解除呪文をお願いしているようですが、みんな面白がってしまって、まったく協力してくれていない様子。ある意味、人気者なのでした。ご読了ありがとうございました(^^♪

おしまい。
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