うさぎ

そろそろ次の仕事がこないかと、『塔』にて、供給所からもらってきた『ナショナルジオグラフィック』のグラビアを、孔明がぱらぱらとめくって暇を潰していると、ぴんぽんと呼び鈴が鳴った。
守衛室の水晶製ゴーレム・イーさんからの呼び出しである。
モニタに、水晶製の、芸術的なフォルムを持つ頭脳をくるくると回転させるイーさんの、万華鏡にも似たおもしろさを持つ姿を眺めつつ、孔明は尋ねた。
「だれか来たのか」
「ハイ、当山孔真君。イツモノあすとらるノオ友達ガ、ボロクズミタイニナッテマス」
孔明は耳を疑い、身を乗り出した。
「なんだと、ぼろくず? いつもの、と言えば、子龍か?」
「早ク霊力ヲ分ケテアゲタホウガ、良サゲデス」
「良さげ…イーさん、言葉が悪くなってきたな。だれの影響だ?」
「マァマァ、野暮ナツッコミハ、ナシニシテ、オ通シシテヨロシイデスカ?」
「いますぐ通してくれ」
アイヨ、と妙に気さくな応答が聞こえたと思った瞬間に、孔明の『塔』の部屋の玄関に、イーさんが言ったとおり、服はよじれて、破れ、顔が片側だけ、見事に腫れあがった趙雲の姿があった。
さすがの孔明も、一瞬、言葉をなくして、呆然と立ち尽くす。
「だれにやられた? ほかのアトラ・ハシースに召喚されて、帰ってきたばかりなのか?」
「いいや」
腫れてきた頬が痛むのか、片手で抑えつつ、趙雲は、手にしていた供給所印のビニール袋を孔明に渡すと、邪魔をすると、ぼそりといって、慣れたふうに、洗面所へ向かう。
しつらえられた鏡を見て、呻いているのが聞こえた。
「中央都市で犯罪などありえぬ。第一、あなたがそんなふうな姿をさらすことがありえぬ。何があった?」
孔明が尋ねれば、趙雲は、汚れた顔を拭き、腫れた頬を絞った手ぬぐいで冷しつつ、ようやく振り返って、答えた。
「犯罪ではないだろうな。もし犯罪と認定されたなら、最高府の例の警吏用ゴーレムが飛んできたであろうし」

イーさんを始めとする、最高府特製ゴーレムは、国家制度を持たない中央都市での、アストラルやアトラ・ハシースの生活を補助するため、さまざまなところに配置されている。
なかでも、警吏用ゴーレムは、別名『ケルビム』と呼ばれており、有翼型ゴーレムであるが、翼がある、と聞いて想像する、愛らしい天使とは程遠く、ガーゴイルも裸足で逃げ出す巨体と、グロテスクな外貌を持つ。
最初、その姿を見たとき、孔明は、その姿のおぞましさのあまり、動くことすらできなかったほどである。
なにせ、四方向に頭があり、腕は八本、体中に、霊的攻撃を防ぐための防御呪文が刻み込まれているので、遠くから見ると、それが規則性のなさすぎる鱗のように見えて、不気味なこと、このうえないのだ。
しかも連中、言語機能を持たない。
『堕ちた』者の弁明を聞く気もなければ、冷蔵庫へ連行すること以外に解決法を知らない彼らに、そもそも命令を出すことすら必要ではない、ということなのだ。

「飛んでこなかった? 良かったじゃないか」
「俺たちは、四方八方から、最高府によって監視されている、ということだ。ここは英雄の楽園なんかじゃない。牢獄だ」
「危険発言だな。塔にだって、最高府の人間がいるかもしれないのに」
言いながら、孔明は、いつもの気に入りの場所である、中央都市が一望できる大きな窓の前に置いてある椅子に、不機嫌そうに、それでもどこか律儀な姿勢で座っている趙雲の頬に手をかざした。
指が真珠のように白くなり、やがて、ほのかに光りだす。
ほどなく、ぱんぱんに腫れあがっていた頬、襟元を捻り挙げられた時に、襟のせいでついた擦過傷、そのほか細かい傷、打ち身の痕などは、徐々に薄れていった。
「癒し手は苦手だが、すこしはマシになっただろう」
「マシどころか完璧だな。痛みがなくなった」
趙雲が社交辞令や上手を言うことはない、と孔明は知っているので、得意になって胸を張りつつ、尋ねた。
「で、相手は?」
「馬超だ」
「馬超? なんだってまた」
「わからん」
言いながら、趙雲は、腫れが引いたのを、おのれの顔をさすって確かめると、立ち上がり、自分が持ってきたビニール袋の中身を開けてみせる。
「中華は食べ飽きたと言っていただろう」
「言ったな」
「とはいえ、俺も料理はあまり得意ではないし」
そうか? と孔明が小首を傾げるのをよそに、趙雲は、ビニール袋から、じゃが芋、人参、玉ねぎ、マッシュルーム、かぶ、ホワイトソース、牛乳、肉の入ったパックを取り出した。
「簡単に出来る料理ならば、失敗も少なかろうと思ってな」
「ホワイトシチューか」
目をきらりと輝かせる、食べるだけの人・孔明。

孔明とてまるで料理ができないわけではないが、妻も持たず、恋人すらいない、さらに、よほど親しい人間でない限りは、部屋に入れない気難しい性質に加えて、食べなくても霊力の自然回復を見込めるアトラ・ハシースであるがゆえに、一日中、食べないで、ずぼらに過ごすことも、ままある。
ともかく家事が苦手…いや、家事をこなそうという発想からして、もともと沸かないのである。
いくら休養中とはいえ、そのあまりの無為な時間の過ごし方を見かねた趙雲が、こうして折を見て、料理を作りにやってきているのである。

その趙雲は、並べた食材を見下ろし、いう。
「で、殴られた」
「なぜ」
「本当に、心から訳がわからぬ。あやつ、専門医にかかるべきではないか」
「どういうことだ」
「しばらく家に引きこもっていただろう。今日、たまたまここに寄る途中で、供給所で顔を合わせたのだ」
「なんだかんだと、気があっているのだな。それで?」
「どこへ行くのだと聞いてきたので、今日は塔へ行ってシチューを作るのだと話をしたのだ」
「それで?」
「まあ、それで、ちょっといろいろと会話があったのであるが……そこは割愛して、と」

『あるが……そこは割愛』のあいだの、……の沈黙のなかで、趙雲の表情に渋いものが走ったところを見て、さては、また何か嫌味の応酬でもあったのだな、と孔明は見当をつけたが、趙雲の機嫌が悪くなるとシチューにありつけなくなるので、黙っていた。
大作りながらも、鍋料理に関しては、趙雲は上手いのである。
ちなみに孔明が得意なのは、テーブルセッティングであるが、武骨者の多いその周辺で、繊細なセンスと技術を評価してくれる者はいない。
せいぜいが、馬超が対抗して、ナプキンで兜を折ってみせるなどの小技を披露する程度なのである。

「で?」
「うむ、シチューならば、わたしも行こうか、喜ぶがいい、などと言い出した。そのあたりはいつもの通りだ。俺は、おまえがよいといえば、問題なかろうと答えて、一緒に食材を選んだのだ」
「ふぅん」
身の丈八尺の男ふたりで、食材を真剣に選ぶさまは微笑ましい。
「肉を選ぶ段からおかしくなった。たまたま特売でな」
「『特売』? 供給所に金は必要ないのに、『特売』はおかしかろう」
「ああ、おまえの霊力は自然回復するから。あまり利用しないし、知らないだろうが、供給所の特別会員に登録すると、ポイントカードが貰えて、『特売』品は、ポイントが三倍になる。おそらくは、供給所の流通の調整対策であろうが」
「ポイントが溜まるとどうなる」
「好きな商品をリクエスト出来るのだ。高級食材とか、珍しい食材なども手に入れられる」
「手に入れてどうするのだろう。美食家のアトラ・ハシースなんて、いたかな」
「結構多いぞ。そもそも仕事をあまりしない連中にとって、この都市は、なんの面白みもないところだから、料理に凝ったり、園芸に凝ったりする者もいるのだ。ともかく、今日の『特売』を手にしたところ、突然、馬超が俺に掴みかかってきた」
「どんな理由で?」
「よくわからぬが…『この人でなし!』と、いきなり言われた」
「『特売』品に問題があったのかな」
「普通のパック肉だぞ。もちろん、馬超にもそう言ったのだが、『この鬼畜! グール!』と罵倒を浴びせてきたうえに、めちゃくちゃに殴ってきたのだ」
「一方的な話だな。だいたい、グール(人食い鬼)ってなんだ。なぜ抵抗しなかったのだ?」
「泣いていたのだ」
「だれが」
「馬超が」
「冗談だろう?」
孔明の問いに、趙雲は首を左右に振った。
「本気で泣いていたな、あれは。もしや、過去に悲しい思い出でもあったのかもしれぬ」
「パック肉に?」
「でも泣いていた。だからあえて殴られてやることにしたのだ。俺が大人しくしていたから、『ケルビム』も、喧嘩ではないと判断したのではないかな」
「呆れた話だ。訳のわからぬ言いがかりをつけてくる、泣きながら殴ってくる相手のされるがままになっていた、というのか? どんな青春ドラマだ、それは」
「しかし泣かれてはな…」
「変なところで慈悲を見せるものだ。まあ、わたしとしても、あなた方が『ケルビム』の世話にならずに済んでよかったと思うけれど」
「この程度の怪我ならば、おまえが治すだろうとも思ったしな。あいつ、滅茶苦茶に殴ってきているようで、それでも抑えていたようだ」
「なぜわかる?」
「歯が折れていない」
「こちらの神経が痛くなってくる基準だな。その肉、もしや『馬肉』では?」
「馬肉のシチューなんぞ好みではない。これは」
と、趙雲は、肉のパックの表示を孔明に見せた。

『うさぎ肉』。

「ホワイトシチューといえば、うさぎだろう」
「そうか? 鶏肉のほうが…」
「いいや、うさぎだ。脂肪が少ないので肉が主張しすぎないから、ホワイトソースと相性がいい。特にこの時季の野うさぎは絶品だぞ」
「わたしは、あなたが美味しいと思う食材で作ってくれれば一番だと思うが、もしや馬超には、『シチューは絶対にビーフ』とか、そういう守らねばならぬ遺言か家訓があったのかもしれぬぞ」
「聞いたことがない。羌族の神の教えか? まあ、あれだけ泣くくらいだから、相当に嫌だったのだろう」
「そうか、それは残念だな」
といいつつも、それでもなお、自説を曲げずにうさぎ肉をもらってきて、調理しようという趙雲の、頑固さといおうか、確固たる意思、といおうか、まあ、なんだ、思いやりがないとは、あえて思わないようにしよう。

「子龍、今日はシチューを食べるとして、明日は馬超のところに行って、仲直りをしなければならないね」
「被害者は俺だ」
「わかっているけれど、馬超が向こうから頭を下げにくるものか。こちらから折れれば、かえって馬超も反省するよ」
不満そうに、どうだか、と言いつつ、料理を始める準備をする趙雲を見つつ、孔明は笑って言った。
「一緒に行ってやろうか」
「いらん」
すげなくする趙雲に、孔明はちらりと視線を投げつつ、すでにその全神経を、料理の手順ついて向けていることを察し、つまらなさそうに椅子に身を投げる。
「馬超は、おそらく外見は、わたしが知る限りでは、随一の煌びやかさなのにねぇ。あれは動いたら駄目な男だな。行動を起こしたり、発言をしたり、仕事に取り組むのは駄目だ」
「それ、要するに、生きるなと言っているのに等しいと思うが?」
「む? そうか?」
「また言葉遊びか。そうだ、いま作るシチューの余り物で、ドリアを作って持っていってやるか」
「女の料理があるだろう」
「それが、いまは一人らしい。以前に召喚された先の現地の野生の娘が忘れられぬという噂だが」
「『現地の野生の娘』? なんだ、その草原の香りのする娘は」
「知らんよ。さて、これから料理に集中するからな、おまえはそこで大人しくして、決して玉ねぎを剥きつづけるとか、マッシュルームを潰して遊んだりという、莫迦な真似はしないように」
「…なぜ見破った」
「いつものことだからだ」
「つまらぬ。子龍、なにかよい仕事の話は聞かないか。そろそろ退屈してきたのだが」
「退屈を楽しむのが真の貴族だと」
「だれが言った、そんなこと。わたしは貴族じゃないから関係ない。ああ、馬超が仕事をしないのは、貴族だからか。学習した」
「悟ったところで、しばらく話しかけるな。手元が狂う」
そうして趙雲は料理に向かい、孔明は、ぶつくさと言いながらも、ソファに身を崩して、何度目かのナショナルジオグラフィックのグラビアめくりを始めるのであった。


つづく…
ずんだMAPへ
更新履歴へ
MAPへ