超初級三国志講座 どうしようもない僕に、陳寿の霊が降りてきた
はじまり、はじまり
宮城県青葉区仙台市X町。
ここは、どこにでもあるような、ごくごくフツーの新興住宅地。
そこには、サラリーマンのお父さん、昼間は河北新報の新聞店にて折り込みチラシを入れるパートに出かけているお母さん、世界史オタクの勇敢な姉、そして気弱な弟が住んでおりました。
姉「なんか『お母さん』の設定だけ、異様にリアルだな…」
弟「ねえちゃーん!」
姉「また苛められたのか。おい、今度はなんだ?」
弟「いまクラスで三国志が流行ってるんだ。だけど、俺だけなんにも知らなくって、バカにされたんだよ」
姉「そういう悩みは、あたしのところでもなく、いじめ110番でもなく、本屋か図書館へ行って三国志を読め」
弟「時間かかるじゃん!また明日も苛められたらどうするのさ」
姉「知ったことか、あたしはテスト勉強で忙しい。自分に降りかかった火の粉は、自分で払え!」
弟「そんなスパルタな!」
X「おい」
姉「あん? 弟、姉に向って『おい』とはいい根性だ」
弟「俺じゃないよ!」
ふと、姉弟が庭をみると、窓越しに、飼い犬の雑種犬・亮太が、じっとこちらを見ているのでした…
姉「なんだ、白いセキュリティじゃんか。えさの時間はまだ先だぞ」
弟「姉ちゃん、亮太を白いセキュリティって呼ぶの、やめようよ。たしかに毛は白いけど、ホワイトベース(白い木馬)じゃないんだからさ」
X「まったくだ。このお間抜け姉弟、ちょいとこの窓開けてみろ」
姉弟「亮太がしゃべった?!」
その声に、亮太はにやり、と笑った…ように見えた。
亮太はビーグルの血をひく雑種の中型犬である。
耳が片方だけ寝ており、顔立ちはひどく不細工で、短足。それでいて尻尾だけは大きくて、自己主張のはげしい性格をよくあらわしている。
姉「そんなわけないだろ、いっこく堂か? いっこく堂がうちの庭に来たのか?」
亮「んなわけねーだろ。おれの名は亮太じゃねぇ。陳寿だ」
姉「鎮守?」
弟「森の木陰でドンじゃらホイ、のあの鎮守?」
陳「あほか。そんなんだから、いじめられるんだ。おれ様は、千八百年の歴史を超えて、世に甦った英霊・陳寿なのだ!」
姉「どっかで聞いたような…っていうか、陳寿って、国に言われて『三国志』を書いた人だろ? そんな奴が、なんでうちの飼い犬に取り憑いたんだよ。まだいっこく堂のほうが、可能性あるぞ」
陳「この犬は20年の長きにわたり、ぼんくら家族を守ってきた。猫が長生きをすると猫又という妖怪に変化するように、この犬もおれという魂を覚醒させたのだ」
姉「あんた、妖怪の類だったのか」
陳「ちがう。地上にあふれる悲しみの声を聞いたおれ様は、天上界でのシアワセな暮らしを捨てて、この世に戻ってきたのだ。ありがたがれ!」
姉「あんたが降りてくるより、孔明や曹操が降りてきたほうが21世紀のためにはよかったんじゃ…」
陳「大物は忙しい…っていうか、なんなんだ、おれのこの名前。亮太だと? 諸葛亮さまにちなんだお名前をいただいたときにはラッキーとおもったもんだが、散歩にでかけるたびに「亮なんてカッコイイ名前、似合わない犬ね」といわれるのが恥ずかしくて「亮太」なんてごまかした名前に変えやがって。元に戻せ!」
姉「ってか、あんたいつからうちの庭にいたの?」
陳「物心ついた頃から」
姉「長っ! じゃあ、ほとんど20年? あんたその間に、鎖を外して逃げ出して、お隣の家庭菜園を荒らしたり、近所の柴犬と大バトルをして怪我をさせたり、かなり顰蹙モンの行動を繰り返していたよな?」
陳「仕方ないだろ、基本的には犬だから、犬の本能が打ち克つのだ。この年まで生き延びて、ようやく本来の魂が甦ったのだ。おい、弟、三国志がわからなくていじめられているだと? それでもおれ様の弟か」
犬は基本的に、群の中でいちばん弱いものの上に、自分の立場を置く。
だから、弟は、亮太にとっても弟なのである。
三国志って、いつの時代のお話なの?
弟「犬に兄貴面されているおれって…」
姉「ちいさなプライドにこだわるな。それより、チャンスだぞ。こいつから三国志について、いろいろ教わればいいじゃないか」
弟「ねえちゃん、異常に前向きだね」
陳「そうだ。おまえはおれ様の弟だから、格安でいろいろ教えてやる」
姉「なにィ! 授業料を取るのか。いい根性だな、白い毛もじゃ! うちら姉弟のこずかいは、二人あわせて六千円だぞ。いくら絞るつもりだよ!」
陳「あほか、金を貰っても、犬に使いようなんてないわい。おれはエサを、いまのノーブランドのものから、ビタワンに変更を要求する!」
弟「ビタワン? ぺディグリーチャムじゃなくて?」
陳「男なら、だまってビタワン」
姉「しようがねぇな、お母さんに交渉してやるよ。だが、こっちにもひとつ確かめたいことがある。あんたが本当に陳寿かどうか、だ」
陳「陳寿だ、って言っているんだから、信じろよ、よし、それじゃあ、なにか質問してみ?」
姉「よし、それじゃあ、邪馬台国がどこにあるか、教えてくれ」
陳「えっ…」
日本の考古学界で、最大のなぞとされている邪馬台国。
邪馬台国についての記述があるのは、陳寿のあらわした「三国志」のなかにある「魏志東夷伝」である(ひろく一般に知られている魏志倭人伝という書物は存在しない。通常、そう呼びなわされているのは、東夷伝のこと)。
邪馬台国の卑弥呼の使いが、魏に朝貢に来たのは、西暦239年のこと。このときに鏡と金印を拝領した、とある。
弟「へえー、三国志って、てっきり中世とかの話かと思ってたよ。そんなに古いんだ」
姉「ローマ帝国では、哲人皇帝マルクス=アウレリウス=アントニウスが死亡し、その子どもで、親には似ても似つかぬ、ヘラクレスのコスプレおたく、コンモドゥスが、皇帝のくせして自ら剣闘場で戦ったり(もちろん出来レース)、美少年・美女をあつめて豪快なクルージングをやってみたり、むちゃくちゃな行動を繰り広げていた。
そのために、ローマを大火が襲うと、皇帝が都市計画を進めるためにわざと放火したんじゃないかと疑われ、皇帝は暗殺されるんだ(映画グラディエーターの時代です)。以降、ローマ帝国は世襲の皇帝をやめ、軍人皇帝時代をむかえる。西と東で、大帝国が崩壊の兆しをみせていた、ってのは、面白いよな」
弟「あれ、亮太が唸っているよ」
姉「どうした、自分で書いたことを答えるだけだぞ。あんた、直接、邪馬台国に行った奴から、話を聞いたんじゃないのか」
陳「うう…この問題に関しては、回答制限が加えられているのだ。それこそ孫悟空の頭の輪のように、おれ様の頭も締め付けられる…ぐう、マジで痛い。吐きそう。魏王どのの苦しみ、この陳寿、よーくわかりますぞ」
弟「なんで制限が? っていうか、だれが制限を?」
姉「おおかた、こいつも又聞きの又聞きで東夷伝を書いたんだろ。東夷伝に書かれた、邪馬台国までの道程をまともに行けば、海のど真ん中だ、っていうのは有名な話だ。だから邪馬台国=沖縄説もある。
中華っていうのはちょいとやらしい風習を持っていて、諸外国の国名に、わざと悪い意味の漢字を当てて表記するんだ。でもって、そこへ至るまでの道のりを「ともかく遠くて、超辺境で、文化も発展してないんだよ」というのを強調するために、本来よりもかなり多めに記載する習わしもあった。
そのために、邪馬台国の道のりも、実際より上乗せして書かれている可能性が高い。この指摘をしたのは、作家の松本清張先生だ。姉もこの説を支持している」
弟「邪馬台国がどこかもわからないし、ねえちゃんのほうがいろいろくわしいじゃん。亮太、やっぱ教えてもらわなくていいや。ねえちゃんに聞く」
陳「待て! おれのビタワン! よし、それなら、ほかの質問を頼む。あんまり頭の痛くなんないやつ」
陳寿が孔明を憎んでいたってほんとう?
姉「そうだな…それじゃあ、あんたが諸葛孔明を悪く書いているのは、やっぱり父親の復讐を果たすためか?」
陳「なにそれ、侮辱! 超侮辱! だれが言ったの、そんなこと! そいつの個人情報、ぜんぶ開示して!」
姉「陳寿だっていうわりには、妙に現代用語にくわしくて気味悪いな」
陳「だって作家だし、ことばには敏感でなくてはな、って、それより、なんでそんなひどい評判たっているんだよ? おれ様、丞相さまの大ファンよ? 天上界じゃあ、ファン倶楽部の会報の発行責任者だったんだから」
陳寿の記述がフェアではない、という評判は根強くのこっている。
諸葛孔明伝において、「政治はすばらしかったが、軍事的才能はなかった」と記載されているのがその批判の根拠である。
「むなしく軍隊を疲労させ、毎年出征させながら、わずかばかりの地を攻略させることもできず、帝業の基礎を開くこともできず、国内は荒廃にさらされ、西方は税や使役に苦しむ結果を招いた」(正史 三国志 井津律子訳 筑摩書房より)
孔明の記載をめぐる話については、孔明は、かつて戦争において、陳寿の父を髠刑(こんけい)という、髪を切る罰(当時は死刑のつぎくらいに重い刑罰だった)に処しており、父の仇を討つべく、陳寿は陳寿なりの方法で報復した…つまり、孔明の軍事的才能について、苦言を呈しているのでは、といわれている。
そもそも、陳寿は蜀の人であったが、蜀が滅亡すると、晋王朝に降って家臣として活躍した。陳寿は、みずから筆をとり、「三国志」をあらわした。
その没後、「三国志」は大変な評判となり、やがて晋より正式に正史とし認められるに至る。
だが、陳寿の問題は、その性格にある。
陳寿は、故国の敵であった魏の要人の記述をするにあたって、その遺族らに、
「きみらのお父上のことをよく書くつもりなんだけど、それなりのもの貰わないと、やっぱ書けないよね」
というようなことを言って原稿料をねだり、これを断られると、その人物伝を書かなかった、とか…
弟「だからこいつ、犬なんじゃ…」
陳「あ、また侮辱! 今度言ったら噛むよ! おれ様はねぇ、その当時、まだ生まれていなかったし、だいたい父上だって、たしかに丞相さまに処罰されたけど、おれ様だって文人のプライドがあるわけだし、それとこれとはまた別だろ?
それにちゃんと最初から読んでみろよ。べた褒めよ? 当時としちゃあ、最高の評価をしているんだけど、どうしてそのあたり、わかってくれないのかなあ。それにそもそも、「三国志」を書くようになったのだって、「諸葛亮集」って本を書いたのが晋の皇帝に認められたからだよ。「諸葛亮集」だよ? いやな奴の本なんて、そうそう書けるわけないじゃん。あー、やる気なくなるー」
姉「賄賂の話は?」
陳「っていうか、おれが蜀の人間だからっていう、魏の人間のやっかみが、悪い噂を作ったんじゃないの?
そりゃあ、おれは亡国の民よ。田舎モンだって、中原の連中は差別するけどさあ、そういう魏には、丞相さまのような人物、出してないでしょ? 蜀ってすごいのよ。そこを思いっきり強調したかったわけよ」
姉「なるへそ」
当時の苗字と名前と字(あざな)の表記の仕方がよくわからない。
弟「それじゃあ、三国志について、いろいろ教えてよ。まずは、五虎将ってなに?」
陳「いきなりかい。それは蜀の劉備さまに仕えていたなかでも、選り抜きの五人の将軍を指す。劉備さまの義兄弟にあたられる関雲長・張益徳・趙子龍・馬孟起・黄漢升の五人。だけど三国鼎立前後でないと、五人は揃わないぞ」
弟「いまクラスで、この五人がカッコイイって話になっていてさー、うちのクラス、蜀のファンが多いんだよ。でも、どうして「関雲長」で、「関羽雲長」っていわないの? それに、張飛の名前、翼徳じゃなかったっけ?」
陳「おまえもおれ様の書いた正史「三国志」じゃなくて、「三国志演義」に影響を受けているクチだな。まず名前の表記だが、たとえば張飛さまだが、これは
張が姓名で、名前が飛。下につづく益徳っていうのは字なのだ。苗字の下につづく名は、身内や、よほど親しい友だちでないかぎり、単独で呼ぶことは大変な無礼になる。たとえば張飛さまを、うっかり「飛」なんぞと呼んだ日には、自分の身が真っ二つになることまちがいなし、ってことだ。
そのかわり、字(あざな)というものがあって、普通は、この字のほうを呼び合う。そういうわけで、名前を表記するときは、名前を省いて「張翼徳」「関雲長」と表記しなければいけない。
むかしに出版された本の中には、平気で姓・名・字と表記がされているが、ずばりこれは誤りだ。現在はそういった表記はずいぶんすくなくなっていて、「諸葛孔明 時の地平線」なんかでも、ちゃんと、姓・字という表記になってるな」
よい例・「張飛」…○、「張翼徳」…○
わるい例・「張飛翼徳」…×
姉「っていうか、漫画読むんだ、犬なのに?」
陳「そりゃ、丞相さまが主人公だもの。ファンは必読でしょ」
姉「ちょっと待て、このあいだ、あたしの部屋がドロだらけだったのは…」
弟「おれが疑われて、ボコボコにされたんだよ!」
陳「こまかいことは気にしない! それより、張飛さまの字の件だけど、これは、劉備・関羽・張飛の三兄弟の名前を、イメージをそろえるために、講談師が「益徳」って本名を「翼徳」に変えてしまったんだ。
劉備さまは皇帝だから、すなわち竜、関羽さまは名が「羽」、字が「雲」長、それじゃあ、末弟の張飛さまも同じようにしようってことで、張「飛」「翼」徳になった、と。
もしタイムマシンがあって、三国時代に行って、張飛さまのお屋敷へ行って、「翼徳さまにお会いしたい」ってお願いしても、「ハァ?」ってなるだけだから、注意だな」
姉「タイムマシン自体、乗りようがないが…」
三国志って、どの本のことを指すの?
弟「三国志って、そんなにいっぱいあるの?」
姉「乱暴に分けてしまうと、ふたつだな。
現在では一般的に「三国志」といえば、これは明代(西暦1494年ごろ)に羅貫中が完成させた、「三国志演義」を指す。
これは陳寿の書いた「正史三国志」をベースに、講談として世間にひろく楽しまれていた三国志説話を、小説としてひとつにまとめたもので、中国四大奇書のひとつ(ちなみに、ほかの奇書は、西遊記、金瓶梅、水滸伝。水滸伝には羅貫中が執筆に加わっているという説がある)だ。
ちなみに1494年ごろというのは、ヨーロッパでもルネサンス真っ盛りでレオナルド=ダ=ヴィンチが活躍し、その二年前にコロンブスがアメリカを発見している。
やはり東西で、後世に圧倒的な影響力をおよぼす文化がおおきく花開いていた。世界は繋がっていると感じさせてくれるな」
弟「あれ、亮太の様子がまた変だよ?」
見ると、亮太…陳寿は、白い毛を逆立たせて、ぶるぶる震えているのだった。
陳「おのれー、羅貫中め!」
弟「仲悪いの? でも、時代がちがうのにね」
姉「おそらく、おなじ題材を扱いながら、羅貫中のほうが名前も通っていて、読まれているのも羅貫中の「三国志」なのが許せんのだろう」
陳「時代を超えたベストセラーがなんだ! 文人の価値は、発行部数で決まるんじゃないやい!」
姉「売れない作家がこぞっていう科白だな」
X「オーホホ、まったくそのとおり!」
一同「だ、だれだ!」
正史三国志と、三国志演義のちがいってなに?
甲高い笑い声に、一同が顔を上げると、そこに、一匹の、豪奢な長い栗毛をもつ、シェットランドシープドックがいた。
いかにも血統書つきの様子で、動くたびにその長い毛が、さらさらと揺れる。
姉「また新手か。そのうち「どうぶつ奇想天外」がスタジオごとやってくるんじゃないか」
弟「きみはだれ?」
X「アタシは羅貫中。地上にあふれる悲しみの声を聞いたアタシは、天上界でのシアワセな暮らしを捨て…」
姉「いや、その説明は、さっきこっちの白いのから聞いたから」
羅「あら、そうなの? それじゃあ、話が早いわね。お久しぶり、負け犬さん。それらしく、やっぱり雑種犬に身をやつしているってわけね。ご愁傷さまだわー」
陳「殺!」
羅「あらあら、怖―い。そーんなにアタシが妬ましいかしらー」
陳「ちがう! おまえはこともあろうに、丞相さまを、まるで妖術使いのように仕立ててしまったではないか。なんだ、あの「風を呼ぶ」って! あの堅実な丞相さまが、そんなパフォーマンス、するわけないだろ!」
羅「それはアタシが考えたんじゃないもの。民衆がね、英雄には、「こうあってほしい」「こうだったらいいなあ」と夢を託して、そして出来上がったのが、アタシの小説よ。文句があるなら民衆に言ってよね」
弟「それじゃあ、史実じゃないことも含まれているわけ?」
羅「それは小説を書くにあたってのテクニックよ。たとえば曹操を悪者に仕立て上げるために、こんなシーンを用意したわ。
暴虐者・董卓の暗殺に失敗した曹操は、ある屋敷に逃げ込むの。夜半、家の人間が、どうやら自分を殺す相談をしているのを聞いてしまうのね。
そこで先手必勝とばかりに襲い掛かるんだけど、実は、曹操じゃなくて、曹操をもてなすための猪をほふる相談だった、というのがわかるわけ。
曹操は、あとあと面倒になることがイヤなので、自分をもてなしてくれた屋敷の主人をもまとめて惨殺してしまうの」
弟「ひどいよ、鬼畜!」
陳「ちがう、それはわざと魏王さまを貶めるために作られた話だ。実際に襲われそうになったんだ。正当防衛だったんだ」
羅「そのとーり。でもアタシは、いかに悪役「曹操」が冷酷非情か、というのを読者に知らしめるエピソードとして、面倒は困るから殺した、っていう話のほうを採用したわけ。曹操は、アクが強いから、悪く書いても格好よくなっちゃって、困ったわー。劉備ったら、泣いてばっかりいるんだもの」
陳「うう、先主さまを悪く言うな!」
羅「ま、何を言いたいのか、というと、あんたの書いた正史三国志っていう本は、あまりに無味乾燥だから、民衆はそれに自分たちで肉付けして、おもしろおかしい物語をつむいでいったわけ。それをひとつの小説としてまとめあげたのがアタシなの。つまり、
正史三国志=陳寿が書いた歴史書
三国志演義=羅貫中が書いた、三国志平話(講談師の元ネタの民間三国志)や正史を基にした小説
…ってこと」
弟「つまり、小説だから、いろいろ作り話も入っているわけなんだ」
羅「基本的には史実よ。だからそこに、普通の作り話にはない迫力があるわけ。それに陳寿の三国志というのは、さっきも言ったけれど簡潔すぎて、ひとつのエピソードをとっても、ほかの史書と話が食い違う部分がところどころあるわけ。だから小説を書くにも選択肢がいっぱいあって、自由がきくのよ。その点は感謝しているわー」
弟「ところでさ、三国志って、主人公はだれなの?」
羅「前半劉備、後半諸葛孔明ってトコ。要するに、アタシも蜀漢正統論をとって、蜀を良く書いてるのよ。そのあたり、アンタの趣旨と変わんないわけだから、目の仇にするの、やめてほしいんだけど」
陳「おまえの書いた「蜀」は、おれ様の「蜀」じゃねぇ! 人物をはしょってるし! そのくせオリキャラ満載だし!」
弟「オリキャラ? みんな史実じゃないの?」
陳「そうだ。こいつの三国志には、オリキャラが重要な位置を占めすぎとるんだ。貂蝉だろ、周倉、関索、それから…」
弟「えっ、貂蝉って、ほんとうにいたひとじゃないの?」
陳「残念ながらちがう。ついでに言っておくけど、貂蝉は戦場に出て闘ったりしないからな。小喬も、大喬も」
弟「そんなあ。 実は女キャラでいちばん好きだったのに!」
陳「某格闘ゲームは、羅貫中並みの破天荒さでもって、新しい三国志世界を作っておる。しかし、さすがにあれを史実だと思う人間は少なかろう」
姉「…そうだな、うちの弟くらいなものだ」
陳「みろ、あわれなオレ様の弟は、こんなに落ち込んでいるぞ。おまえの小説のせいだ」
羅「なによ、仕方ないでしょ。作家っていうのは、一種の巫女みたいなもんなのよ。民衆の願望を受けて、それを文字にして作品として具現化するのが作家なの! 史実とちがうからって、責められるいわれはないわ。
たとえ小説だっていっても、そこになにがしかの真実が読み取れるからこそ、アタシの小説はずうっとみんなに読まれていて、小説ってだけじゃなく、漫画やアニメやゲームになってるのよ!」
姉「たしかにそうだ。文人なら、二次創作にも寛大にならなくては…って、この場合、オリジナル創作だよな。だいたい、歴史書と小説で、ジャンルがぜんぜんちがうし」
羅「でも、こうも言えるのよ。あんたがふるさとの蜀を想う気持ちが、後世の読者に、あんたとおなじ郷愁を抱かせたのはまちがいないわ。42年間という短期間しか存在しなかった蜀漢に賭けた、劉備や孔明といった英雄たちの軌跡は、おなじ蜀の人間のあんたでなけりゃ、表現しえなかったわけなんだから。
いわば、あんたの気持ちが文章にこもっていたからこそ、ひとのココロが動いて、その後、何百年と、蜀という小さな国の物語は消えずに残って、ついには彼らを主役とする小説をアタシが書くことになったのよ」
陳「ううー、羅貫中、けっこうおまえ、いいやつだなー」
弟「あれ、ちょっと待って。ふつう、物語って、善玉が勝って終わりじゃないの?」
陳「おい、姉。うちの弟の世間に対する認識は甘すぎるぞ」
姉「仕方ないだろう。まだ小学生なんだし。いいか、弟。三国志というのは、成功と祝福の物語じゃない。黄昏と滅亡の物語なんだ。
うちの世界史の教師いわく、
「漢王朝が衰退し、国が疲弊したのを受けて、頭に黄色い布を巻いたオシャレな黄巾賊という連中が、こんな世の中もうイヤだと、反乱を起こした。
それをきっかけに、オレ様が天下を取ってやろうという輩が、竹の子みたいにあちこちから名乗りを挙げた。紆余曲折があって、曹操・劉備・孫権という三人が残って、それぞれ魏・呉・蜀という国を作った。で、最後にはそれぞれ尻すぼみで滅亡して、魏から出た晋という国が、中国を統一しましたとさ、チャンチャン♪というのが三国志だ(注・筆者は本当にこのように教わりました。時間にして3分弱の短い時間だったと記憶しています…当然、テストには出ませんでした)」
羅「お姉さんの世界史の先生は乱暴すぎるわよ…」
陳「オレ様の生きた時代をチャンチャン♪で締められるのは、きわめて不愉快だ」
弟「それじゃあ、みんなダメになっておしまい、って話なの? むなしいよ!」
羅「それよ! 三国志が読まれる理由は、そのむなしさにあるわけ。綺羅星のごとく英雄があらわれた、漢族がもっとも輝いていた時代。しかしだれひとりとして、その志をまっとうすることができなかった。いったい、ナゼなのか?
読んだあとは、かならずだれしも、なぜ、と問いかける。物語は終わらないのよ。彼らが失敗した理由、滅亡した理由。読者はいつしか、英雄の命題を、自分の人生と重ねて考えるようになる。
人とは、志とは、国家とは? 永遠に変わらない、この命題を問い続けるかぎり、三国志が読者から離れることはない。つねに英雄の残したことば、示した行動が、読者の人生の指針となる」
陳「そのとおり! 三国志において、実は主役というものは存在しないのだ。読者はそれぞれの主役を見つけて、彼の人生について、なぜ、の疑問をぶつけてみればいい。その答えは、やがてみずからの人生のなかに見つけられることだろう!」
弟「うお、カッコイイ。でも言ってることは半分もわかんないや!」
そのとき、がたごとと玄関で音がして、見れば、姉弟のお母さんがパートから戻ってきていた。
お母さんは庭を見るなり、一匹増えているのにおどろく。
母「あら、スズキさんところのポニーじゃないの。どうしてうちにいるの?」
姉「(ポニー?そんな地味な名前だったのか)亮太の友だちみたいだよ」
母「そうかあ…やっぱり逃げてきたんだ。スズキさん、今度、転勤になってね、新居では犬が飼えないから、ポニーは保健所だね、って言ってたの」
姉「ひでえ!」
弟「鬼畜!」
母「仕方ない、あたらしい飼い主が見つかるまで、うちで預かろうか。エサ代はあんたたちの小遣いから出してね」
姉「さらに残酷!」
弟「ねえ、印税とかないの?」
陳・羅「あるわけねーだろ」
そんなわけで、「超初級三国志講座どうしようもない僕に陳寿の霊が降りてきた」第一回、終わり。